はてなキーワード: a先生とは
b:id:xevra 日本なんか5年後から子供達がバタバタと白血病で多量に死に出す。30年後、全員死んだ頃に政府はフクシマが原因だと認めるだろう。人類史上最悪の放射能汚染国で生き延びるには頭オカシイ奴らの攻撃のスルー力が必須
http://b.hatena.ne.jp/xevra/20111230
魚拓 https://megalodon.jp/2018-0814-1403-41/b.hatena.ne.jp/xevra/20111230
7年近く経ってるが、白血病で多量に死に出してる統計とかあるのか?
ほんと人間のクズだよなこいつ
======追記======
b:id:TakahashiMasaki id:xevra がくそ虫ゴミ虫え●非●なのは事実だが 匿名ダイアリーで卑怯に攻撃するのも最低である
b:id:kote2kote2 匿名で特定の人を叩くのとどっちがクズなのかな
言わなきゃ分からないことか?
b:id:xevra 被害が少なかったのは放射能の飛散量が予想よりかなり抑えられたというのが大きい。でもこれはたまたま。4号機プールの冷却に失敗してたら日本全滅だった。最悪の事態を想定しておくのは重要。ゆっくりしていってね
今後コレのことは「白血病で日本人の子供はバタバタ死ぬというデマを流して訂正も謝罪もしない真正カスのxevra」でいいと思う
======追記2======
b:id:xevra 今日の名言「ぜひ一緒に死んでください!」5年後福島の子供達が白血病で次々死んだら福島の安全厨どもは全員腹切って死ね。死んでも許されないが/敵は東電経産省である事を国民全員が理解しないと悲劇が止まらない
http://b.hatena.ne.jp/entry/70391057/comment/xevra
魚拓 https://megalodon.jp/2018-0814-1828-13/b.hatena.ne.jp/entry/70391057/comment/xevra
腹切って死ねだの威勢がいいことだな
======追記3======
おい、xevraのコメントに星付けてる以下のIDはどういう見解なんだ?
xevraに賛成ってことか? 言ってみろよ
言っておくが俺は福島を蔑んだxevraを許すつもりは毛頭無いぞ
b:id:murasakizarumurasakizaru
b:id:arearekorekorearearekorekore
非表示にしろと言っているやつに聞きたいんだが、俺がxevraを非表示にしたらxevraのヘイト発言が世界から消えて無くなるのか? 違うだろ
あいつの発言の誤りを指摘したら某先生のようになる? そこまで俺が知るかよ ヘイト発言撒き散らしておきながら批判は受け付けないって何様だ
単に非表示にして自分の目に入らないようにすればいい!っていうスタンスなら、同じ口で二度と他人(政治家・学者・作家・企業人・etc)の発言を批判するなよ?
b:id:humid あの収束前の専門家さえ先行きが見えない抜き差しならない状況で様々な機材や物資を船で届ける作戦に志願してくれた私の弟を含む自衛隊や米軍の方々は一生尊敬するわ。でもxevra先生は道化師だから別にええんでない?
貴様が「道化師だから別にええ」と思うのは勝手だが、そのクソ見解を俺が受け入れなければならない理由は無い
それこそ誰かが言っていたが杉田水脈の発言を「あれはああいう人だから〜」と擁護する自民議員と1ミリも変わらんな
b:id:masumizaru なら運営に違反報告すればいいじゃん。はてな利用規約は迷惑行為や誹謗中傷を明確に禁止してるんだから。俺はしたことあるよ(対応されなかったけど)
貴様はヘイト発言への抗議に対して「なら裁判所に申し立てればいいじゃん。日本国の法律は侮辱や名誉毀損を明確に禁止してるんだから」というクソ理屈を受け入れるのか?
これに限らず、他のことに置き換えてみればいかに狂ったことをほざいてxevraを擁護してるか分かるだろう… というコメントが散見されるな
b:id:j3q この人が責任とって腹切らなきゃいけないんだとしたら、国会や官公庁から人がいなくなりそうだな。目くそが鼻くそを攻撃する風景もお盆ならでわ
俺の発言がどう「目くそ鼻くそ」なのか、どう「お盆」と関係あるのか抜かしてみろよカス
盆じゃなかったらxevraのヘイト発言が正しくなるのか? 口からクソ垂れるのは自分の家のトイレだけにしとけ
b:id:flowing_chocolate 5年後の推測を外したらクズ呼ばわりされるのは解せない。
お前には上記引用のxevraのコメントと今現在の態度が「5年後の推測を外しただけ」に見えてるのか? 眼球と視神経と大脳のどこに異常があるんだ?
b:id:yamatedolphin xevra氏を弁護する訳じゃないけど、当時はこういうコメが受け入れられる状況にあったわけで、氏のみの罪とするのはどうか、と。(放射能など関係ない地域のガレキの移動すら反対運動にあってたからねえ。)
本当に「同じ派閥や政党の政治家の発言をかばう政治家」と全く同じ物言いだね
百歩譲って当時そういう空気だったとして、今も当時の誤った発言を訂正も謝罪もしていない点についてはどうお考えなんですかねぇ〜
======で、結局======
個別の糞ブクマに返信するのはキリが無いので今日はいったんやめるが
当のxevra大先生はご自分の発言に対して訂正も謝罪もしないんですかね?
全員腹切って死ね。死んでも許されないが
と仰ってるので、まさかご自分だけは訂正したり謝ったりした程度で許されるとは思っていないでしょうがねえ〜
と
を書いた増田です。すいません、この2つですが、書いたのは実は同じ増田です。
どのくらい反響があるかを前の増田の影響がない状態で見てみたかったので、2つめはあえて文体を変えて書いてみました。
ばれるかなと思ってドキドキしていたので、今のところ同一人物じゃないかという指摘がなくて良かったです。
今回、東京医大の事件によって、医療界が抱えている大きな歪みが一般の人の前にも明るみに出たので、いい機会だと思って普段なんとなく考えていることを文章化してみました。
読み返してみると2つとも無駄に長いですね。
現代の医者の性かもしれませんが、できるだけ状況を丁寧に説明して相手に選択してもらうような考えが染みついてしまっているので、ぐずぐずまとまりのない文章になってしまいました。
まぁ、もともとまどろっこしい性格なのですが。
こんな長い文章なのに、多くの人に読んでブックマークしてもらってうれしかったです。
あんなにたくさんの増田がある中で拾われるなんて、増田ウォッチャーの方は本当にすごいですね。
たくさんいただいたブックマークのコメントを読んで感じたのは、やはり医療現場の外にいる人に医療現場のことをわかってもらうのは難しいということです。
別にすべての人にわかって欲しくて書いた訳ではないですが、中にいる人間としては、そんなに単純な話ではないんですと思うコメントもたくさんありました。単純に私の伝える力がヘボいだけかもしれませんが。
その現場の中にいる人にしかわからない空気感があるというのはどの分野でもある程度同じだとは思いますが、病院はどうしても病気の人と病気を治す人という特殊かつ閉じられた環境になってしまうので難しいです。
風通しを良くするために、他力本願で大変申し訳ないですが、こうすればいいという考えを持たれている、他の分野、特にはてなユーザーに多数いらっしゃるであろうITエンジニアの皆様におかれましては、ぜひ病院という環境に飛び込んで、自分の分野を活かした医療環境の改善プランを提案していただきたいものです。
ニーズは非常に高いので、ビジネスチャンスはたくさん転がっていると思いますし、なにより実際に環境が改善されれば現場の人間に非常に喜ばれると思います。
さらに、現場の環境の改善はそのまま患者さんに提供する医療の質の向上につながります。
みんな大喜びです。
可能であれば医師側から何か提案したいところなのですが、医師、特にマネージメントに関わるような立場にある医師は、結局その技術で何ができるのかと言うことまでキャッチアップできていないことが多いので、そもそも活用法を思いつきません。「IT活用して何とかして」とか言われたらみんな困るでしょう。
医療者がAIも含めたITリテラシーを高めるのと合わせて、IT側もビジネスチャンスと考えて積極的に医療に関わり、その高い技術力を活かしてもらいたいものです。
偉そうなこと言ってないでお前も何とかしろよと言われそうですが、卒後10年弱で中堅に入りかかった程度の小児科医としては、増田を書いて少しでも理解の裾野を広げることと、自分の周りの環境を何とか良くする程度しかできることがないのがつらいところです。
最後に、前2つの記事ではできるだけフラットな立場で読んで欲しかったので、自分の考えをあまり書きませんでしたが、「結局増田は解決法についてどう考えるの?」というコメントをいくつかいただいていましたので、自分の考えを書いておきます。
前もって断っておきますが、例のごとく非常に長いです。すいません。
今回の事件に限らず医学部入試に黒い噂がつきものなのは、大学の医学部医学科に入学した人のほとんどが医者になるという現状が原因で、これが諸悪の根源です。
つまり、入試不正をなくすためには、ほぼ入学ゴールという現状を変えなければいけません。
すなわち、医学部入学者を増やして医師教育の入り口である医学部入学の門戸を広げて、代わりに国家試験という出口で医師の数を調整する、という方法です。
大学医学部に入れたところで医師になれるかどうかはその後の自分次第なので、不正をしてまで入学するメリットは大幅に減ります。
出口を国家試験にしてしまえば試験による不正は基本的には起こらないはずです。(このご時世なので何があるかはわかりませんが)
現行のペーパーテストのみの国家試験をより実践的なものに変更する改革と合わせれば、現場に出る医師のレベルもある程度保証できるはずです。
国家試験が受験者の大多数が合格できる試験でなくなり、さらにより実践的なものになれば、各大学間で合格率に大きな差が出ることになると思いますし、大学間での競争も活性化されて問題のある大学は淘汰されていく流れになるかもしれません。学生も競争にさらされてしっかり勉強するようになるでしょう。
さらに、医学教育の出口で医師の人数を調整することにより、入り口で調整している現在より速いスピードで医師の需要の増減に対応できるようになります。
問題点としては、医師になる教育を受けたのに医師になれない人が多く発生することです。タイミングによっては、氷河期みたいな現象が起きてしまうかもしれません。
医学生にとっては、大学に入ってしまえばほぼ医者になれる現状に比べてかなり厳しい状況ですが、世の大学生や大学院生たちは、就職においてかなり熾烈な競争を行っているようですので、現状が甘やかされすぎです。
ただ、医師になれなかった学生の受け皿は必要です。医師に準ずる知識や技術を持った非医療職というのはある程度の需要があるとは思いますが、どこまで一般の企業などがそういった人材を、しかも国家試験に落ちてしまった人材を欲してくれるかは疑問です。
準医師みたいな資格を作って病院で働くというのも一つかもしれませんが、どういった制度設計にするかは十分な議論が必要です。
とにかく、国家試験に落ちてしまってもすべて自己責任としてしまうのは今の日本ではちょっと受け入れ難いと思いますし、この辺りは検討の余地が多数残っています。
他の問題点としては、やはり大学の負担が増えることでしょうか。
大学時代によく言われたことですが、医者を一人育てるのにはお金を含めた莫大なコストがかかっているそうです。
国公立大学は言わずもがなで多大な税金が投入されていますし、私立大学でもある程度は学生の授業料でまかなわれているものの、少なくない税金が投入されています。
その税金を、医師教育として医者にならない(なれない)人のために払うべきなのかというのは議論が分かれるところだと思います。
国公立大学でも学生の負担を増やすのは一案だと思いますが、結局お金持ちしか医師になれなくなっては本末転倒ですし、アメリカのように借金してでも大学に入ったのはいいものの、最終的に医者になれなかったのでは救いのかけらもありません。
現状では大学の教員は診療・教育・研究を一手に引き受けており、学会活動なども含めて多忙を極めています。
ただでさえ手薄な教育なのに、これ以上にリソースを割けと言われると行き着く先は地獄です。
解決策は大学教員を増員して診療・教育・研究のうち得意な分野に専念させることですが、そんなことができるお金のある大学は日本には存在しないでしょう。
やっぱり先立つものは金です。
最初の増田に書いたように、医師の労働環境改善は女性だけの問題でなく、今後は男性医師にとっても重要な問題となってきます。
特別に女性が働きやすい環境を作る必要はなく、性別関係なく医師が働きやすい環境を作れば、その結果として女性もあまり無理なく働ける環境になると私は考えています。
そのためには、賢明なるはてなユーザー諸氏と同様に、医師の数を増やし、医師の業務を他の職種に移譲できるものは移譲し、病棟業務については複数主治医制にすることが基本的には必要だと思っています。
この3つのうち根本的かつ最も強力な改善策は医師の増員だと思うのですが、いかんせん現在の制度では増やそうと思ってもどうしても10年近いタイムラグが生じてしまいます。
軍隊みたいに予備役みたいな制度があればいいんですが、医師に関してそんなバッファーを用意できるほどこの世の中に余裕はありません。
増えた頃にはAIの進歩によって劇的に医師の業務はスリム化されていて、既に多くの医師が用なしになっているという未来も想定しておかなければいけないことを考えると、現実的には、今から医師を増やすよりはAIの進歩を待つ方が良いのではないかと個人的には思います。非常に悩ましいところです。
また、医師を増員する場合は、増員した医師の診療科と勤務先が偏ってしまうと増やす意味がないので、国家試験の成績など何らかの形でそれらを制限する仕組みが必須です。
むしろ医師を増やさない場合でも、今後の医療においてこの仕組みは必須になってくる可能性が高いでしょう。
これから医師を目指す学生諸君にとってはこれも厳しい話ですが、医者が好きなように診療科と勤務地を選べる時代は終わったと諦めるしかありません。
業務量の減少に合わせて個々の医師の給与は減ることになると思いますが、総量規制で「人数を倍にしてやるから給料半分な」というのはさすがに厳しいですし、それなりの人件費の増加は免れないでしょう。
また、上にも書いたように医師を増やすことで大学の育成のコストも増加します。
やっぱり先立つものは金です。
私の給料が減ることについては生活に困らない程度までは我慢しますので、国民の皆さんにも納得していただいて、増税のうえ健康保険料の値上げと医療費の自己負担割合を上げさせてもらうしかありません。
医師の業務を他の職種に移譲することについては、現在も徐々に進んできていると思いますが、現在既に忙しく働いている医療者に業務を移譲しても仕方ないので、やはり追加の人員を確保することが問題となります。
医師を雇うよりは人件費は抑えられると思いますが、日本全体で考えれば結構な人件費の増加になるでしょう。
また、処置にせよ事務仕事にせよ、医師の負担を減らせる程度までの業務を移譲するためには、相手にもそれ相応の医療知識や技術が必要です。
その教育や育成にも金銭的・人的コストがかかります。やはり先立つものは金ですね。
カネカネ言い過ぎて、賢明なるはてなユーザー諸氏に「医療現場の問題は放っておこう」と思われないか心配になってきました。
とは言え、退院サマリを書けるくらいの医療知識と高い事務能力を備えた人材がいれば、病院においては引く手数多だと思うので、そういった人材を育成して派遣する会社を作れば儲かりそうです。実はビジネスチャンスなのかもしれません。
複数主治医制についても基本的に賛成です。医師がある程度安心して病院を離れるためには必要な制度だと思います。
「主治医団のメンバーすべてが同様の能力を持っている訳ではないこと」、「チームのメンバーのうちA医師にはできることがB医師やC医師にはできないこともあること」、「緊急時を始めとして常に望む相手の診療が受けられるわけではないこと」。
理性的なはてなユーザーの皆様には理解しがたいことかもしれませんが、この当たり前とも思えることを納得して受け入れてもらうことすら難しいのが医療現場の現状です。
2つめの増田に書いたシチュエーションはほぼ実話で、同じようなことは重症度は違えど年に数回は起こります。複数主治医制での別の主治医とではなく、当直医との間においてですが。
もちろん、実際の状況はあんなに単純ではないので、自分が主治医側の場合もあれば当直医側のこともあります。
私は小児科医なので、実際に起こっていると言うことは、あの場で急変しているのは子どもです。生後1ヶ月に満たない赤ちゃんのこともありますし、中学生のこともあります。
いずれにせよ、急変した我が子を見て、このまま我が子が死んでしまうかもしれないと言う状況で「これも運だから仕方ない」と冷静でいられる人はいません。A医師を呼んで状況が改善する可能性があるのだったら「A先生を呼んで!」と言わない親は現実にはいません。そんな親はみたことがありません。
別にそれが悪いと言っている訳ではありません。自分がその親の立場だったら言ってしまうと思います。
ただ、その希望が常に叶えられるものではないことくらいは理解して受け入れてもらうのが、複数主治医制が根付くために必要な前提条件だと思っています。
簡単そうに思えるかもしれませんが、現場においては本当に難しいことです。
患者さんやその家族が、多くのはてなユーザーの皆さんのように、正しさのためならC先生で我慢するか、と思える方ばかりならいいのですが。
この前提条件が成り立たない状態で複数主治医制を実施すると、前の増田に書いたようなことになって、優秀な医師が病院を離れられない空気感ができあがりA医師が疲弊するだけです。
また、複数主治医制を機能させるためには、どうしても1つの医療機関にそれなりの数の医師を集めなければいけません。
上にも書いたように、医師の増員にはどうしても時間がかかるので、さし当たっては医療機関の集約化を行うしかありません。
中規模の病院を中心に統廃合が行われた結果、中規模以上の医療機関へのアクセスが悪化し、患者さん側にはご負担をおかけすることになると思います。
医師の労働環境改善のための患者さん側の理解という点では、医師の時間外の仕事を増やさないように協力していただくことも重要です。
夜間・休日の不要不急の受診を控える、平日の日中以外に病状説明を求めない、この2点で小児科医の労働環境は結構改善すると思います。
子どもの医療費の自己負担額は多くの自治体でただ同然なので、その受診で人件費を含めてどれくらいのコストがかかっているか無頓着な方が少なからずおられます。
金銭的・時間的にアクセスが容易だから夜間・休日でもとりあえず受診しておこうという姿勢は、上に書いたように医療費の高騰や医療機関の集約化を通してその容易なアクセスを崩壊させ、結果的に自らの首を絞めます。
もちろんどうしようか非常に迷った上で受診して、ひどく申し訳なさそうに診察室に入ってこられる保護者の方もたくさんいますし、小児科に関しては子どものことなので、もちろん心配であれば夜間でも日曜でも受診してもらったらいいのですけどね。
<AIについて>
AIは将来的に医療の様々な分野において医師の業務を助けてくれる存在になると思います。しかもAIの素晴らしいところは、いったん開発してしまえば計算機に電気さえ食べさせていれば文句を言わずに働いてくれるところです。もちろんメンテナンスは必要ですが。
上に何度も書いたように、先立つものは金というこの世知辛い世の中において、人件費がネックにならないのは非常にありがたい存在です。
咽頭の画像を撮影して、その画像からインフルエンザかどうかを診断するAIを作っているベンチャーの記事をどこかで読んだ気がしますが、そういった特定の疾患かどうかを診断するようなAIは実現が間近のようです。
一方で、多くの人がAI診療と言われて思い浮かべるような、患者情報をインプットすることで自動的に診断や治療法などをアウトプットしてくれる夢のようなAIはまだまだ実現は遠そうです。
そういったAIを実現するための最大の課題は、我々医師が診察の現場において収集している情報のうち数値化や言語化が難しい情報を、どのように計算機に Permalink | 記事への反応(10) | 23:00
残念ながら、この世の中には優秀な医者とそうでない医者がいる。
では、その違いは何なのだろう?
ちなみに出身大学ともあまり関係はないと思っている。東大や京大を出ようとアホな医師はアホであり、カネを積めば入れると言われている私立を出ても優秀な医師は優秀だ。
実は、医師が遭遇する多くの場面において両者にそう大きな違いはない。
診断・治療に対する各種ガイドライン等が(内容の是非はともかくとして)かなり整備されてきており、医療機器の進歩も相まって、大抵の場面においてどんな医者が診察・検査・治療を行っても結果に大きな違いが生じない状況がかなりできあがってきている。
ただ、残念ながらあくまで多くの場面においてであり、すべての場面で違いが出ないわけではない。
むしろ、多くの場面で違いが出ない分、違いが出る場面では如実に優秀さの違いが結果に表れる。
重症患者の管理や急変時の対応、難しい症例における診断能力、年末年始など繁忙期の救急外来の待ち時間などなど、決して頻繁に遭遇するわけではないが避けては通れない状況においては優秀さがその結果にコミットする。
当たり前と言えば当たり前の話だが、うまくいっている時は誰がやってもうまくいくが、うまくいっていないときは優秀なやつがやらないと最終的にうまくいかない。もちろん優秀なやつががんばってもうまくいかないことも多々あるが。
一見したところ合理的な制度に見える複数主治医制がイマイチ広まらないのもここに理由がある。
”あなたの主治医は女性が交代でやりますがいいですか?~東京医大女子減点問題が迫る「患者改革」”
という記事がはてブで大いに叩かれているが、内容の是非は置いておいて、ブクマのコメントを読むと多くのはてなユーザーは複数主治医制に賛成らしい。
だが、実際に自分が患者もしくはその家族になったときに、諸手を挙げて賛成してもらえるかは甚だ疑問だ。
もちろん、診断や治療がうまくいっている時はいい。別に誰が担当しようとほぼ変わりない。
問題はうまくいっていない時だ。
ひどくざっくりした例えで申し訳ないが、ほぼ同じ経験年数の優秀な医師A、普通の医師B、アホな医師Cという3人で患者の主治医をしていて、担当医は研修医で基本的に指示したことしかできない、指導医は外来で忙しくて基本的に入院患者は任せっきりという状況を考えてみる。
担当患者の一人が急変して集中治療室に入室して厳密な管理が必要になったため、当直帯や休日も3人の主治医のうち誰かが交代で病院に常駐して対応することになったとしよう。
優秀なA医師が綿密な治療計画を立てて、B医師・C医師とも積極的にミーティングをして治療方針を共有し、当初は治療がうまく進んでいるように思えたが、やはりこうした状況で急変はつきものであり、当直帯で急激な状態の悪化があった。
そのとき病院にいたのはA医師で、適切な検査と対応によって何とか状態は持ち直し、患者家族は「やっぱりA先生は優秀で頼りになるわ」と胸をなでおろした。
ただ、その後は状態が不安定になり、一進一退を繰り返す状況になった。
今度はC医師が病院に残っている時に急変が起きた。A医師は優秀なので、考えられる限りの状況とその対応法を電子カルテに申し送りとして記載して家に帰ったが、急変の状況はA医師も予想していなかったものだった。
C医師も考えられるだけの検査を行って原因と対応法を探るが一向にわからない。
そうこうしている間に患者の状態はどんどん悪化していき、患者家族にも「大丈夫か?」と不安が募っていく。
C医師は自分だけでは対応できないと考えて指導医に電話するが、指導医も「電話ではよくわからないからとりあえず病院に行くけど、私も集中治療は得意じゃないからちょっと対応できるかわからないけど・・・。A先生に相談してみたら?」と言うのみ。
担当医の研修医が不安そうに「C先生、どうしましょう?A先生呼びますか?」と言ってくる。
患者家族も「この前状態が悪くなったときはA先生がうまくやってくれた。このまま死んじゃったらどうするの!早くA先生を呼んで!」と怖い顔をして言い出す始末。
アホながらも責任感の強いC医師はなおもA医師に電話しようか迷っているが、その間に「このままでは患者さんが死んでしまいます。C先生が呼ばないなら私が呼びます!」といって夜勤の担当看護師がA医師に外線で電話をかけて状況を説明し、A医師がダッシュで来院。
レントゲンと各種データを確認して人工呼吸器の設定を変更し、何とか状態は改善したものの依然予断を許さない状況。
細かい投薬の調整や人工呼吸器の設定の調整が必要なため、A医師は結局その後1週間は泊まり込みで患者の対応に当たることになり、B医師とC医師もシフト表に従って病院に泊まってはいるものの、看護師は「A先生が泊まってるならA先生に相談しよう」と言うことで、シフト表を無視して何かあれば時間関係なくまずはA医師に電話をかけるように。
患者家族も「A先生が対応してくれるなら安心」と言うことで急変時の怖い顔はどこへやら。
その後患者さんはA医師の献身的な治療によって何とか状態を持ち直し、集中治療室を退室して一般病棟へと戻っていきましたとさ、めでたしめでたし。
だいぶデフォルメして書いたが、これと多かれ少なかれ似たようなことは日本全国津々浦々で起こっている。
同じ医療職で看護師ではチームによる交代勤務ができるのに、医師ではなぜできないんだと言われているが、看護師の業務については教育や指導によって個人の技量をある程度均一化できるが、残念ながら、ここで書いたような医師の「優秀さ」は教育や指導で何とかなるものではない。いかに優れた教育をしようと、到達できるレベルには限界がある。
一定の基準は保証されているものの個々人のレベルが大きく異なり、しかも置かれた状況によっては求められるレベルが限りなく高くなるということが、医師の業務と看護師の業務の根本的な違いであり、多くの人が思っているように医師の交代業務が浸透しない理由だと思う。
一定の基準が保証されているのであれば、それで満足すべきだと言うのが理屈ではあるが、人間はそんな単純なものではない。
選択肢がないのであれば納得するしかないが、眼前に別の優れた選択肢があるのであれば、理に適っていなかろうが、それを選びたくなるのが人情というものだろう。
上に書いたような状況で、理屈に従って「A医師を呼んで!」と言わない自信がある方は大手を振って複数主治医制に賛成と言ってもらっていい。
自信がない方は少し考えて欲しい。
A医師が身を粉にして奮闘した結果として得られるのは、自分の優秀さで患者さんを良くしたという大きな達成感と幾ばくかの時間外労働に対する報酬、そして周囲からの高評価のみである。
治療を受けた患者さんや家族の負担は変わらない。今の日本では誰に治療を受けようがかかる医療費は同じである。患者さんが呼び出し手当を払うわけでもない。
A医師のことだから他の担当患者や外来などにも迷惑をかけないようにしっかりやっていただろう。
色々なところで言われているが、現在の医療において「利便性」と「成果」と「医療者の労働環境を含めたコスト」の3者は残念ながらトレードオフの関係にある。
現状ではこのうち「コスト」、しかも「医療者の労働環境というコスト」に負担がのしかかっている状態で何とかバランスが取れている。まぁ、そよ風程度でもう崩れそうであるが。
極論すれば、この「医療者の労働環境というコスト」を最も多く払えるのが若い活きのいい男性医師と言うのが、東京医大の女子減点問題に端を発する一連の問題の原因の大部分を占めている。
この問題を受けて、この「医療者の労働環境というコスト」を減らせば良いという意見が声高に聞こえてくる。全く以てその通りである。このアンフェアな関係を早く何とかして欲しい。
ただ、そのコストの総量が減った場合にどこがそれを補填してくれるのだろう。
AIを含めたテクノロジーの進歩で状況は劇的に変わるかもしれないが、すべての医師を「優秀」というレベルまで持って行くには到底至っておらず、現状は実用面ではまだまだ未来の話としか言いようがない。
とにかく、リソースが限られている以上、夢のような解決法がないことだけは確かである。
医療関係者だけでなく、多くの人が当事者として今後の医療のあるべき形を考えて行って欲しいと思う。
「優秀な医者とそうでない医者の違い」とかいうタイトルのくせに結局この話か、と思われた方におかれてはタイトル詐欺で誠に申し訳ない。
だが、現在のシステムの崩壊によって結果的に患者さん側に「利便性」や「成果」のコストを押しつけるようなことはできればしたくないと多くの医療者が思っていると思う。
その医療者の端くれとして、微力な自分にできるのはこうして増田として自分の考えを書くことくらいなんだよ。
ここまで読んでくれてありがとう。
最初はテンプレを変えてきたのかと思ったけど、日本スゲー🇯🇵はただの手抜きに見える。
前のテンプレは「この人は本当にあらゆる問題が運動瞑想野菜で解決すると思ってるんだなぁ、やべえ人だなぁ」と思わせ、その勢いが大好きだった。
俺は「もしかして本当に全ての解決策なのかもしれん」と思って運動を始めたり、瞑想について調べたり、野菜を食べるようにした。
生活に影響を受けるほど、あのモノクロアイコンを愛していたのだ。
(まぁ運動と野菜は普通に健康のためだし瞑想は結局一回もチャレンジしてないんだけど)
ブロック機能のチュートリアルとして名を馳せた、悪意の塊のようなブコメも減っている。
俺の好きだったxevra先生がいなくなり、十把一絡げのブックマーカーに成り下がっている……。
どうしたんだよxevra先生。
美術系の授業がたくさんあり美大芸大からも多くの講師が来ていた
その中の1人がA先生だった
先生は歳の頃は30前後、スキンヘッドで身長180超えてて、スラリと細身で足も長くて顔立ちもはっきりして、見たことないような柄のシャツやネクタイとオシャレなスーツをばしっと着こなしてて、まるでモデルみたいだった
ただいわゆる「オネエ」言葉を使う人だった
美術系の私のクラスはほとんどが女生徒で、A先生はあっという間にクラスの人気者になった
作品講習では歯に衣着せぬ物言いでズバズバ言うにもかかわらず、「全然ダメ!何よこのデッサン!ここのパースが狂いまくってるじゃない!」みたいな調子でテレビから出てきたタレントのようで、けちょんけちょんに言われても皆んな嬉しそうにしてい
た
ある時、休み時間に日直の私が黒板に書き物をしていたら、教壇に立ってたA先生のところにクラスの女子が寄ってきて「先生!ちょっと聞きたいことがあるんですけど…」と切り出した
その子はいわゆる「腐女子」でBLもの同人誌を普段から描いている子だった
「なーに?」とA先生が聞くも、その子はモジモジしてなかなか質問を言わず、A先生が重ねて問うてやっと口に出した
詳細は忘れてしまったけど、それはあまりにもプライベートな、性的な質問だった
A先生が答える前に、私があんまりびっくりして動揺して、チョークがボキッと折れて床に落ちた
それで2人が私の方を振り向いたので、私は「躊躇ってた割に、すごい失礼なこと聞くんだね」と思わず言ってしまった
A先生はそれを聞いて手を叩いて大爆笑して、私の肩までバンバン叩きながら「ほんとそうよねー!!」と、私がひくくらい笑っていた
それからまた別の日、A先生が全校生徒の前で壇上に上がって話す機会があった
A先生がしゃべりだすと、他のクラスの生徒がザワザワし出すのが分かった
あちこちで笑ったり、驚くような声が上がった
先生は騒がれてもちっとも気にしない(ように見えた)で話し終えた
私たちのクラスの子たちが近寄って行って、「先生すごい騒がれてたよー!」「他のクラスの子から『あれってホンモノなの?』って聞かれた!」などと囃し立てられていた
先生は笑っていた
その子たちが行ってしまって、先生が後ろを歩いていた私に気づいて、「なにが『ホンモノ』なんだか。ほっとけって言うのよ、ねえ?」と口を歪めた
私はこうしたことから、A先生は当たり前だけどタレントさんじゃなくて、普段笑って上手に冗談にして返してるけど、本当は本当はセクシャリティのことを話題に騒がれるのは嫌なんだと気付かされた
一度気づくと先生には毎日のように性的なからかいが投げかけられていた
担任から「お前、かわいい男子生徒を見つけても手を出すなよ」と言われてクラスが爆笑したり、
学年主任の先生もみんなの前で「俺はその気はないからな」とか言って笑いを取っていた
尊敬していた別の講師が、「オネエ言葉なのに女の格好はしないの?」とニヤニヤ聞いてたのを見たときは、私がなんだかシュンとしてしまった
正直、私だって前はなんとも思わなかったでも先生は本当は嫌なのかもと気づいてからは、先生へのそういった性的なからかいが、ヒリヒリして聞こえてきて辛かった
他人の私が、またかーってウンザリするくらいだから、先生はこういう毎日をずーっとずーっと過ごしてて、怒ったりするのもとっくに諦めてるのかな、と思ったりした
だって女の先生にそういうこと聞いたらセクハラになるんじゃないの?A先生だとオールオッケーなの?
しかし私はおとなしく目立たない地味な、勇気も何もない生徒だったから、幼い義憤をかきたてられても何もできなかった
今思えばA先生はオネエ言葉ではあったけれど男の格好をするのが好きといってた
当たり前みたいに先生を「同性愛者」として見ていたけれど、今思えば、恋愛対象が女か男かも、性自認が女か男かもわからない。しかし、一番大事なのは、そんなこと知る必要もないってことだった
大人になって大学、社会に出てからも、美術系にはいわゆるカミングアウトした性的少数者が何人もいた
もちろん誰も表立って迫害したりはしないし、ふつうに仲良く過ごす
でも、悪意のない冗談めいた性的なからかいはしょっちゅう耳にした
その度にA先生を思い出した
誰もA先生を嫌いじゃなかった
みんなA先生が好きで、仲良くなりたがってた
それでも善意で、悪気なく、誰かを傷つけるかもしれないんだなと分かった
大人になって、社会でいわゆるセクハラのような扱いを受けたことが何度かあった
そのたびA先生をまた思い出した
先生、私も笑って受け流してるよ。だって相手に悪意がないのに戦っても仕方ないし良いこともないし そんな深刻な被害でもないからノリのいい女でいた方が生きやすいし
でも先生、なんかこれ削られるね
笑って流して大したことないって顔してるだけで、ちょっとずつ自分が削れていくもんなんだね
私もきっと知らずに誰かを削ってるんだね
まあ私はA先生じゃないからA先生のことが分かるわけでも代弁できるわけでもないんだけどね
今も忘れられないの
必要があって20代半ばになってから自動車免許をとりに教習所に通うことになった。
合宿じゃなく地元に通いで取ることになったのですでに取得してる同年代の友人や親類に尋ねてどこがいいかと事前にリサーチしてみた。
それで地元で最も評判のよい教習所に通うことにしたのだが、その時みんな口々に「あそこはいい教習所なんだけど、一人すごく口の悪い先生がいるんだよね」といったことを言っていた。
入学してみるとたしかに学科はとてもわかりやすいし、教室もきれい。
使っている教習車も某有名メーカーのものでとても運転しやすいという大満足の品質だった。
で、実技教習となっていくつか段階が終わってから初めてA先生についてもらうことになった。
ビクビクしながら乗ってみたが、指摘はとてもはっきりしていて、どこをどう直せばいいのか自分にとってはわかりやすかった。
顔で損してるところはあると言ってもよいけど、別に一緒に路上に出て不快感を感じるようなこともなくストレートでハンコももらった。
ようやく免許が取得できてそれを周囲に話したとき「嫌じゃなかった?」というようなことを聞かれたけど別にAさんに関して全く不満もなく、むしろあの教習所の中では自分的に好きな方だと思ったのでそう言ったらみんな怪訝そうな顔をして「もしかしてMっ気があるの?」とか言われた。