はてなキーワード: 選挙特番とは
自分が応援したものが勝つことって、野球でも競馬でもかなり気持ちがいい。勝ちが確定した瞬間に脳内にあふれ出てくるアドレナリンは、理性を超えた本能的なものだと思う。
その視点で選挙に向き合うと、何があっても党としては負けることのない自民党を応援すれば嫌な気持ちを味わなくて済むし、様々な選挙区で自民党候補に当確が出るたびにちょっとした勝利の気持ちよさを味わうことが出来る。
どうせこの国はもう何をやっても衰退する道しか残されていない。そんな中で選挙なんかに夢や希望を託したあげく失望する人達って、人生の過ごし方が下手だなーと思ってしまう。変なプライドなんか捨てて自民党に投票すれば、晩酌しながら気持ちよく選挙特番を見る事ができるのにね。
https://anond.hatelabo.jp/20220624170518
この増田で思い出したけど、選挙って報道各社にとってものすごい負担なんだよね。
マスコミも一般市民も、マスコミは選挙を扱わないといけないと思ってるから続けてるだけで、選挙関連記事は他の記事より読まれない。
選挙特番はある程度視聴率あるけど、開票日の一回だけだし各社横並びで差を付けづらい。テレ東はその点良くやったけど、まあみんながみんな差別化できないだろう。
しかも日本の場合NHKが採算を考えずに選挙報道に金を投入できる。無料で公開されてクオリティも低くない。
ニコニコの選挙特番で東浩紀も言ってたけど、今回の選挙では”自民にお灸をすえたい”けれど”立憲民主党に政権を担って欲しくない”人が維新に投じたのだろう。
そんな風に考える無党派層がそれなりにいるのであれば、立場上「衆院選は政権選択選挙だ!」と言わなきゃいけない野党第一党、立憲民主党はどうしても不利になってしまう。
一方で維新はよく自民の補完勢力などと呼ばれるけど、「与党入りしない」、「与党入りするメリットがない」と日頃から話している。
与党入りした社会党の崩壊、今では公明党が反対する選挙日程を組むこともあり公明党でさえ影響力を落としていることを考えると、自民が与党入りをちらつかせても維新は与さないだろう。
そんな維新が、懐かしさすら感じる連立与党からは距離を取り”確かな野党”として票を集めたと考えると、政権を目指した野党共闘は政権選択選挙である衆院選には向いていなかった。
候補者一本化程度で絶対安定多数を切り崩すとか適当なことを言っておけばよかった。
仮に野党に入れたいけど政権を担って欲しくない票が一定のマスを形成しているとしても、次の国政選挙は間違いなく参院選でそれは政権選択選挙じゃないから野党共闘でもそれなりの結果を残せるだろう。
太田光が選挙特番で炎上しているが、ただ爆問ファンとして擁護したいのは、太田は最近多くなった、情報番組のコメンテーターをしている芸人とは違うことをしたかったと言うこと。
太田の振る舞いについて、この10年情報番組に芸人が出ている傾向の弊害として批判する人もいるが、それは明確に異なる。現在、情報番組出ている芸人は、世間の常識代表のようなポジションで、笑い抜きで真面目にコメントしていることが多い。少なくとも、政治や犯罪のニュースそのものをネタにして笑いをとることはしない。俺はこの常識人ぶって情報番組にのこのこ出ている芸人連中が大嫌いなんだけど、おそらく同じ芸人として太田も嫌いなんだろうと想像する。「芸人はたとえ偉くなっても常にバカで笑われるポジションでいろ」というのが太田の姿勢だとすれば、あの特番の振る舞いも理解できる。太田は古舘が報道ステーションで生真面目にニュースキャスターを務めたことに、「プロレス実況みたいにやってほしかった」と不満を言っていたことがある。太田のやりたかったことも似たようなことで、おそらく「政治家をツッコミ役としたボケ役」をやろうとしたんだろう。
ただ最大限好意的に見ているファンの俺からしても、選挙特番はとても見ていられるものではなかったことは確か。政治家を茶化して安心して笑っていれらる雰囲気だったのは、せいぜい民主党政権誕生の時ぐらいまで。大震災以降、とくにコロナ禍を経験した後は、政治家や官僚をいくら叩いても壊れないおもちゃのように扱っても、視聴者は全く笑えなくなった。そうした空気に抗いたいというのはあったんだろうどけど、まさに悲惨なほどスベッてしまった。やはり太田をMCで使いたいなら、田中を横に置いて突っ込ませるべきで、それをしなかったのはTBSの失敗だろう(それでも成功はしなかったと思うが)。
太田が嫌いな人が増えてしまったこと思うけど、「爆笑問題カーボーイ」と「太田上田」は絶対おすすめ。ラジオの帝王・伊集院はあまり面白くなくなっちゃったけど、ラジオの太田は今でも本当に面白い。今晩の「爆笑問題カーボーイ」で何を言うかが、今から楽しみ。
衆院選投票日である10月31日、以下のような記事が配信された。
[衆院選2021]投票所の中には午後4時終了も…3分の1が閉鎖時刻繰り上げ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/61ea7f33af3efd230b9ea7eef6600140d297772a
この記事、よく読めば「コスト削減により閉鎖時間が繰り上げられる投票所の数を総務省が発表した」というだけなのだが、書き方の問題かタイミングの問題か、閉鎖時間の繰り上げが投票日に決定されたと誤読してしまう人が多発した。
まあ一般の人が誤読してしまうのは仕方ない。実際に自分も知らなかったので、上記記事のブコメを見ていなかったら誤読してしまっていたかもしれない。誤読から妄想が飛躍して、自民が不利になったから工作したとか言い始めるのはダメだが。
しかし、投票促進団体である一般社団法人GO VOTE JAPANの代表である辻愛沙子氏も誤読してしまう。
辻愛沙子|arca@ai_1124at_
予定終わりに駆け込み投票しようと思ってた人はどうなるの????
確かにエリア的には運搬上仕方ないのかもしれないけど、なぜ今???
https://twitter.com/ai_1124at_/status/1454678431992479744
これはひどい。こちらが辻氏に対して、なんなん????と言いたい気分である。
通達の使い方が間違っているし、総務省が発表したのは繰り上げされる投票所の数であり、閉鎖時間の繰り上げは事前に通知されている。
投票促進団体の代表ならば、投票率を上げたいならば、辻氏は事前に繰り上げを知っているべきであり、一般の人に啓蒙すべきではないだろうか?
仮に知らなかったのはしょうがないとしても、辻氏がとるべき行動は脊髄反射でなんなん????ってツイートすることではなく、
「恥ずかしながら今知ったのですが、閉鎖時間が繰り上げられる投票所があるそうです。
選挙はがきに閉鎖時間が書いてあるそうなので、皆さんもいま一度確認されてはいかがでしょうか」とツイートすることである。
しかもこの人、このツイートの後に日テレの選挙特番に出たんだよね。
自分だったら恥ずかしくて無理だわ。
なんにせよ、この増田を書いている11月1日午後九時現在でも、辻愛沙子氏は謝罪も訂正もしていない。
投票促進団体の代表が選挙に関して間違ったことを言うのはやばいと思うけど、辻氏と共同でGO VOTE JAPANを設立した発起人二人も辻氏と同じ左だから自浄作用は期待できなそうだな。
新自由主義160キロストレートを投げ続ける維新がなぜこんなに強いのか、ネットの言説で自分の肌感覚と合うものがなかったので言語化してみたい。
①今回なぜ維新が強かったか? →答え:吉村知事(「吉村はようやっとる」)
③維新の今後は?
この順に書いてみる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、答えは簡単でテレビにたくさん出ていたからだ。
コロナ禍において、とにかく関西では彼を目にする機会が多かった。中でも10チャンネルの「かんさい情報ネットten」という夕方のニュース番組の影響は大きいという肌感覚がある。中谷しのぶさんという女性キャスターがメインで、関西では人気がある。中谷さん自身は非常に聡明で、物腰柔らかくスマートに番組をまわすので、見ていて安心感がある。各コーナーも吉本の芸人などが関西の情報を取り上げていて名物化しているものも多く、関西では夕方はとりあえずこれという家庭も多いはずだ。
この番組に吉村知事はたびたび登場した。そうでなくても、吉村知事の記者会見は毎日取り上げられた。関西の番組なのでこれは当然である。番組に登場したときも、吉村知事はマスクや手洗い、外出自粛など、ごくごく常識的な内容を一生懸命発信していた。そう、彼は発信力が高いのである。
他の地域の方からすると、全国最悪の事態を招いたのは、他ならぬ維新ではないかと思われるに違いない。実際、維新の新自由主義的切り捨てによって弱体化した医療体制等々により事態が悪化したり、吉村・松井両氏による無計画な雨合羽集めで現場が疲弊したり、あの有名な吉村イソジン発言など、どう考えても頭がイッたとしか思えない場面が多々あった。
しかし、多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
いや、その事態の悪化はかなりの部分、維新が招いたものだろう、とあなたは言うかもしれない。しかし、東日本大震災のとき、政府や菅首相の対応にまずさがあっても、誰よりも必死にやっている枝野官房長官の誠については多くの人が信じたように、吉村知事の誠についても多くの府民が共感を覚えたのだ。実際、イソジン発言など明らかに頭がイッた、さすがの多くの関西人も「ワオゥ…」と思う場面はあったにせよ、確かに、吉村知事が本気で府民に訴え、情報発信し、駆け回っていたことは間違いない。その多くは少なくとも菅首相の死んだようなメッセージよりは多くの人に届いていた。むしろ政府との対比で吉村知事が頑張っているように見えた。忽那賢志が阪大教授にやってきてからは、ブレーンとなった部分もあったのか、かなり適切に発言していたし、無理を承知でもとにかくやれることをということで野戦病院みたいなことをやると表明したり、アレな部分はあっても実際頑張っていた部分も大きい。
維新が勝ったというより、吉村さん=維新のほうがずっと政府、自民より頑張ってくれてるやん、という感覚の人が多かったのだと思う。
その昔横山ノックが勝ってしまったように、橋下徹が圧倒的に強かったように、タレント的知名度、人気があれば、一気に波に乗る。これは別に大阪以外でもそうだとは思うが、今回の吉村さんにはそうした強さがあった。それがもう、今回の圧勝の最大にして唯一の理由だ。
この背景には、お上が嫌いという大阪の気質もあるように思う。まずはやはり、東京は好かんという、わしらはわしらで大阪やという意識は、陰に陽にいろんなことに作用しているように思う。しかしそれに留まらず、何もせんと偉そうにだけしているお上は気に食わんというのは、多くの一般府民のもつ感覚で、それは大阪府や大阪市の役所にも長く向けられてきていたものだった。大してなんもしてないくせに、金ばっかり無駄遣いして、偉そうにして、なんもわしらのこと考えてくれへんやんか、あの役人どもは、というわけだ。そして実際、確かにその通りである部分は多かったのだ。
そこへ維新、橋下徹がやってきた。大阪府、大阪市の役人は無駄遣いばっかりして何もしてくれへん、徹底的にそれを叩き直そう、無駄をなくそう、偉そうにしてるだけの時代はもう終わりや、そういうメッセージを発した。これは強かった。確かにそれは新自由主義になる。しかし、そのへんの大阪府民をつかまえて、新自由主義について説いたところで理解されるだろうか? 橋下さんはやりすぎなとこもあるけどな、ほんまによう頑張って戦ってくれよるで、今まで役人は偉そうにしすぎたんや、そういう答えが返ってくるのが関の山ではないか。維新はようやっとる。
そこへ、数日前に維新がツイッターであげたような画像がくると、それは府民にウケる。確かに10年前の大阪城公園なんか、閑散としていた。今はカフェなどもたくさんでて、とても賑わって楽しい場所になった。こういう目に見える、ウケる政策を打っている。それは確かにポピュリズムだ。しかし、古い政治や自民はそういう草の根レベルで、確かに自分達のために動いてくれている、と多くの一般人が感じることをしてこなかった。維新になってようなった。
松井代表、吉村知事、維新にはみんな、上記のようなイメージが重なっている。それが今回の圧勝の背景にある。
では最後に、③維新の今後について、つらつらとできるだけ短く書いてみたい。
ここまで維新の人気ぶりを書いてきたが、しかし、だからといって大阪府民が諸手を挙げて全肯定しているかというと、そうではない。ここは大事なポイントだ。大阪都構想は、二度までも住民投票で否決されているのだ。
あれは、「ようわからんけど、大阪全部かえてまうのは、いくらなんでもやりすぎやで。そんなん、意味あんのかいな。やりすぎちゃうのん、知らんけど」と多くの人が感じたからで、維新のやることを何でもかんでも大阪府民が肯定しているわけではない。
自民以外に入れたくない保守層が、維新に流れた面もかなりあるだろう。自民にお灸を据えたいと思ったときに、維新は外交政策などがわりとしっかり保守なので安心して入れられるのである。
あるいは無党派層の中のリベラル寄りの人たち。立憲民主は共産と組んでてどうんだろう、しかしれいわとかは行き過ぎやしなぁ、とぼんやりと思っていっる層も、上記の①のような印象があると、まあ維新頑張ってるし自民に入れるのはありえないし、今回はいっぺん維新伸ばしとくか、となるパターンもわりとあるように思う。
では、自民や立憲民主などが、維新をおさえようと思ったらどうすればいいのだろうか。
兵庫県知事は、長らく井戸敏三というお爺さんが20年に渡り務めていた。この人は、ずっと与野党相乗りで、知事選なんてあってないようなもので、兵庫県民からすると選択の余地がなかった。まあ特に大きな失政や反感もなかったので、長らくまあいいやという感じだった。
端的にいうと、この井戸さん、菅首相や政府と同じだったのである。何も対応しない。何もせず偉そうにして、やることといえば吉村知事の悪口ばかりだ。多くの関西人からはそういうふうに見えた。実際、行動は遅かった。挙句、任期終了が迫っているのに公用車にセンチュリーの購入を決めたりして、お前が最後にええクルマに乗りたいだけちゃうんか、という多くの反感を買った。
そして知事選。
井戸さんの後継者が自民公認となった。しかし地元の自民党市議会議員、県議会議員や後援者たちは、井戸さんの後継者では勝てないと肌感覚で実感していた。だから別の候補者をおそうとした。しかし自民党本部に潰されて、遺恨が残った。ちなみにその遺恨から、今回兵庫1区ではその地元自民の人たちが無所属で候補をたてて、地元の支持団体などがそちらに流れた結果、毎回接戦だった自民・盛山さんが大きく負けて、盛山さんと勝ったり負けたりりだった立憲民主・いさかさんが余裕勝ちしている(これには立憲・共産の選挙協力もあるが)。
とにかく、兵庫県知事選では、もう井戸さんの後継者(自民)に入れようという県民は多くなかった。井戸の後継者なんかが出るくらいなら、維新の斎藤さんのほうがマシや、ということである。若いから色々腐った部分もやる気をもって正してくれそうやし、どうせ井戸の後継者にしてもコロナ対策はぼんやりして動きも遅いままやろう、維新には若干の不安もあるがこの際仕方ない、やっぱ20年もやったら驕りもでるし一般人の感覚も忘れるし腐敗もするんやな、ここは変えなしゃあないな、ということである。
これをみて、兵庫県知事選でまで維新がかった。兵庫県民、お前らもかよ。アホちゃうか。関西はみんなアホなんちゃうか。愚民なんじゃないか。
と言われても、そうとばかり単純に言って終わりにはできない背景があるのである。
下あたりをみて触発されてかいた。
10月に入ってから、一日中だるかったり、仕事に集中できない日が続いていた。理由はよくわからなかったが、仕事でつまづいてしまい常に昨日の遅れを取り戻さなくてはいけないというプレッシャーに追われていたのがきっかけだと思う。さらに、会社が完全リモートワークになってからの入社で、社内の人間関係に馴染めていないのも良くなかった。
好きなアイドルの出ている番組を見たり、マンガアプリで面白い漫画を読んで気分転換しようとしたが、何をやっても気分がスッキリしない。1人でなんとかするのではなく誰かに頼った方がいいとは思いつつも、一人暮らしで気軽に電話をかけられる恋人も友達もいないし、電話したところで何を話せばいいんだろう(別に相談したいこともないし、知らないアイドルの話くらいしかできそうになかった)と思ってしまい、何もできなかった。楽しくもないのにやたら食べて、余計に気分が悪くなった。
このままだと良くない、明日からの仕事はどうしようと思いながらもぼーっとしていたところにやってきたのが選挙だった。
何もなくても一応選挙特番は見るつもりだったが、特番が始まってしばらくして、それなりに話しやすい友人がTwitterでスペースを開いていることに気付いた。選挙の話ならできると思ってスペースに入り、テレ東の選挙特番を眺めながら当確候補者の自己紹介を笑ったり、接戦区の当確に盛り上がったりした。結局0時過ぎまでおしゃべりが続いた。(ちなみに一番盛り上がったのは甘利小選挙区落選のときだった)
そうして1時過ぎに寝て、起きて、意外なほど気分が穏やかなことに気づいた。
何が良かったのかははっきりしないが、ひさしぶりに人と長く喋ったこと、相手がどう思ったかを気にせず遠慮なく話せたこと、特に否定されることもなく相手が話を聞いてくれたこと、同じものを共有していたことがポイントだったんだと思う。
選挙のおかげで再び仕事頑張ろうという気持ちになれた。このタイミングで選挙することに決めた岸田首相、激戦区を盛り上げた候補者の方々、遅くまで投開票業務に当たった選管の方々、報道に当たったメディアの方々、ありがとうございました。
私は途中から見始めたのだが、その時は選択的夫婦別姓を亀井静香氏に認めさせるべく、現場のコメンテーターがあの手この手で亀井静香氏の説得を試みていた。
結局亀井氏はひろゆきのYES NOクエスチョンにも、YESか NOかで全く答えず、議論は全然成り立っていなかった。
亀井氏が退席したのち、番組の最後では亀井氏を「老害」と評するコメンテーターもおり、「やっぱりこんな年寄りに政治を任せちゃダメだよね」みたいな雰囲気が場を包んでいた。
ただ私には1つ疑問が残る。
多様性の尊重、夫婦で別の姓を選びたい人や、性的マイノリティといった多様性を認めよと言うのであれば、“古い”考えで凝り固まったありのままの亀井氏の意見や存在も、肯定せねばならないのではないだろうか?
亀井氏の意見を変えようとするのは、同性愛者に異性を愛するように説得することや、夫婦別姓を希望する人に同性にするように説得するのと、構造的に何が違うのだろうか?
ちなみに、私は選択的夫婦別姓にもセクシャルマイノリティに諸々の権利を認めるのも賛成なので悪しからず。別に認めたことろで私は困らないしね。
ただ、多様性の尊重を謳いながら、結局正しい価値観というのは1つなんだろうなと思ったのだ。
多様性を認めるという1つの価値観が、多様性を認めないという価値観を駆逐し、結局正しさというのは1つしかないのだ。
なので、多様性の尊重、多文化共生などというのは、それ自体が多様性を尊重しない自己矛盾を抱える概念なのではないかと思った今日この頃である。
今回の犯人は、しっかりと可燃性のある液体を利用したようだ。
この裏には、以前小田急線で起こったサラダ油では着火しないというケーススタディが隠されている。
もちろんここにも、白金高輪駅で起こった硫酸事件によるケーススタディがある。
番組表が選挙特番でうまる中、否が応でもこのニュースは速報で流れた。
自らの不遇を恨んで、社会に腹いせしたいという犯人の思惑は叶えられてしまった。
twitterで拡散された動画には犯行当時の生々しい状況が映っていた。
これを見て、わたしは正直肝が冷えた。
自分が乗り合わせたらどうなるかという恐怖ではない。
この動画をもとにさらに計画を練れば、かんたんにより多くの命を奪うことができると感じたからだ。
改めて書くことではないかもしれない。しかし、凶行に及ぼうとする人間だけが先に気づいてしまうことのほうが悪い影響は大きいと考えたのであえて書くことにする。
1.1箇所で火災が起こったことで、人が大量に逃げ出して密集した状態になってしまった。
逆を返せば、一箇所で火災を起こすことができれば、一気に人を追い込むことができることが証明されてしまった。
我先に逃げたい気持ちを抑えて、誰頭が車両から乗客が逃げ出したら扉を閉じて犯人を隔離するなどの解決方法が考えられるが、危機的状況の中でそんな判断力を発揮できるかはわからない。
乗客が線路に降りたところに他の車両が突っ込んでくることで被害が拡大することを恐れてのことだ。
また、安全確認などに大量の時間が取られることで、運行への支障が大きく、とにかく鉄道業界は線路上に人を立ち入らせることを嫌う。
今回においては駅まで走り続けることが被害の拡大にはつながらなかったようだが、より計画的に、より多くの命を奪おうと考えた場合、次の駅までの数分間は犯行を行うに十分すぎる時間になる。
昔のように電車同士の連絡手段が信号しかなかった時代ではない。
鉄道業界は、ある程度のラインを越えた緊急非常事態については、乗客を早急かつ安全に線路内に立ち入らせるための準備が必要な段階に来ている。
それでもトンネル、橋の上など、止まりたくても止まれない状況は思ったよりも多い。
もしそうした場所を通過するときに合わせて計画を練られてしまえばやはり被害を抑えることは難しいだろう。
列車の緊急停止や車両の切り離しなど、乗客にできることが増えてしまえば新たな悪事の対象になりえる。
さすまたの常備ですら、酔っぱらいの喧嘩などに悪用されてしまうだろうことは明らかだ。
事件同様に、走行中に車両火災が発生したことを想定して乗客に避難させる経験をさせることで、有事に対してのパニックを抑えることしか方法はないだろう。
そのときに線路上で停車してしまった場合を想定した訓練を含めれば、それもまた新たなケーススタディとなり、2次的な事故を防ぐ知識の蓄積にもつながる。
爆薬などを用いられた過激なテロに対しては、対策は難しいがまだ日本において対策を急ぐ状況にあるわけではない。
しかし、ガソリンや刃物、硫酸などの液体を用いた反社会的行為は、回を追うごとに被害は大きくなってきている。
マスコミ各社においては、犯人の異常性や被害者の人生ドラマを描くより先に、鉄道各社と連携した上で、いかに安全に迅速に避難できる方法があるかの検証をお願いしたい。
これから凶行に及ぼうとする人間に、鉄道でのテロ行為は難しいと判断させることが、唯一かつ最大の抑止手段となりえるからだ。
断言してもよい。
このまま何も対策を打たないままでいれば、次はより多くの犠牲者が出る。
今回の犯人のような鬱積を抱えている人間はいくらでも潜んでいて、さらに今回の犯人よりももっと多くの被害者を出すことで自己顕示欲を満たしたいと考えている人間もいくらでも潜んでいるからだ。
荷物検査なんて、一部の犯行のために社会全体がコストを背負う必要はない。
だからこそ、選挙に行く・行かないというのは道徳の問題に近いんじゃないかな。
あなた1人の視点から見て、「投票場に行き、紙に書いて、1票を入れる」という手間(コスト)に対し、
「あなたの投票した1票が選挙結果に影響を与える確率」というのはほとんどゼロに近いです。
もちろん、「俺の1票で政治が変わるんだ!」と強く信じている人にとっては、(その人にとって)1票の重みは大きくなりますが、
客観的事実をもって自分の1票の重みを見積もっている人にとっては、投票行動はほとんど無駄な行いといってもいいでしょう。
ここで重要なことは、投票率を上げるための呼びかけが盛んにおこなわれていますが、いくら呼びかけたところで
「「私の入れる1票が選挙結果に与える確率はゼロだ」と考える、合理的な人間」を投票に向かわせることはできないということです。
「投票者を考えて選ぶんだ」とか、「将来のために投票しよう」とかの呼びかけは、一個人の投票行動が意味を持つという前提からしか始まらず、
だからこそ合理的人間にとってそれは、考えても意味のないことでしかありません。そもそも、選ぶことができないんですもの。
「あなたの1票が政治を変えるんです!」なんてサイアクです。それはウソですから。
あなた一人の投票行動に意味はありませんが、実際に投票率が低いこと自体はよくないことです。
この投票率の低さが起こす問題自体は多くの人が分かっていると思っています。
もし全員が合理的判断をして投票率が0になれば、ほんの数人が結託しただけで、その数人以外の全員が不利益を被ることになります。
(「ミクロな個人がそれぞれ合理的選択をした結果、マクロでは全員が損をする」みたいな用語ありませんでしたっけ。誰か教えて)
合理的人間は投票しない、けれど、全員が投票しないとそれはそれで困る。
どうしたら解決できるのでしょうか。
例えば、選挙特番はどうでしょう。投票しないより、誰かに投票したほうがより楽しく見られるのではないでしょうか。
馬券を買った方が競馬のレースを楽しく見られるのと似ていますね。
自分がかかわった物事の結果を見ることは楽しく、この「楽しさ」を上げるメリットが投票のコストを上回る可能性はあります。
他にも、「選挙は推し活」なんて広告がありましたね。あれも応援したい候補に票を入れたという満足感を上げる狙いがあると思います。
(そもそも可愛いアイドルと違って、常に少し怒っているオジサン・オバサンをどこまで「推せ」るかという話もありますが)
投票によって上がる楽しさや満足感は、投票のコストに対して上回るかどうかギリギリくらいだと思います。
もちろん人にとってはそんな楽しさ・満足感なんでゼロに等しいよという人もいるでしょう。
そうなってくると、投票うんぬんについては、合理性で考えるのではなく、もはや道徳の問題にするしかないと思うのです。
みんなでこの価値観を持つより他に投票率を上げる方法はない気がしています。
投票行動がいかに道徳的に正しい行いであるかを、どれだけ広められるかにかかっています。
「選挙に行こう!」の呼びかけの多くが道徳的な価値に訴えかけるものなのは、こういう理由からなのでしょうね。
※蛇足ですが、一応、誤解のないように言っておくと、私は決して「選挙に行かないのが賢い、だから投票なんて非合理的なことをするのは馬鹿だ」
などと言っているわけではありません。そう思ってしまうなら、「合理的行動は賢い行いだ」という価値観に毒されすぎです。
東京都議会選挙の投票率の低さを嘆いているアカウントが、はてなムラやツイッターに散見されるが、オレからすれば愚の骨頂。滑稽で仕方がない。
要は彼らは選挙の奴隷であり、投票に行かず休日を過ごすという自由を自らの手で握りつぶしてしまっているのである。
オレは都民ではあるが、当然投票なんぞには行かず、小雨の中家でぐうたら過ごした。選挙というイベントでの一番の合理的行動は、投票に出かけて余計な労力を使うバカどもを尻目に自宅でアマプラでもフールーでもYou Tubeでも見てダラダラ過ごすに限る。
「お前らは選挙に行かなかったから文句を言う権利はない」という声は嫉妬の最たるもので、奴らの悔しそうな歯ぎしりが心地よく聞こえる月曜日であるw
民主主義国家だから選挙はあるべきだと思うし、選挙権もらってからすっぽかしたのは1回ぐらいなんだけど、でも必要なこととはいえ選挙ほど関心をそそられないものはない。考えるのもあほくさい候補ばっかり出る。
さすがに笑いながらコミック候補に入れられるほどヤケクソにはなれないからしかたなく毎回適当に書いたり、書かなかったりする。白票に意味があるのかないのかは知らないけど、選挙に行けとやかましい人に対してもう行きましたからってすました顔できる。行かなかっただけでマウントをとられることにくらべれば白票にだって意味がある。
行くけど、選挙がつまんないのが大きいのかもしれないけど、投票しに出かける行為そのものが死ぬほどめんどくさい。
まず日曜日に家を出なきゃいけないのがめんどくさい。あとわたしの住んでるとこの投票所は小学校じゃなくて近所の団地の妙に奥まったとこにある集会所で、戸建に住んでるわたしはそんなところには小学校の100倍行かない。毎回迷う。めんどくささが加速する。
これをカーチャンにぼやくと毎回「じゃあ期日前に行きなよ」と言われる。ほんとそれ。真っ当。でも必要な書類が届いてすぐは区役所までわざわざ電車乗り継いで行かないと投票できないし、近所の公民館でできるようになる頃には忘れてるんだよな。これもまためんどくさい。
都民なので今回の都知事選もめんどくせぇ……めんどくせぇ……って言いながら選挙公報にはとりあえず目を通したけどあんまり読むとこなかった。なんで都知事選ってこんなアホのバトルロイヤルみたいなんなってしまうん? 最終的にデザインのあら探しして遊んだ。それから選挙関連のことは何も頭に入れなかった。
とにかく投票がめんどくさくてしかたなかった。だからまた任期満了まで何事もなく続けてくれそうな人にした。おじいちゃんでもよかったけど、失礼な言い方をすると任期満了まで保つのかが不安だなと思った。
若さならどこぞの元副知事って人がよかったのかな。でもあの人何言ってんだかよくわからなかった。選挙後のコメントもよくわからんかった。太郎は論外。選挙特番で流れた敗戦の弁を聞いて「なんだこのオッサン……こういうとこ嫌いだわ……」と思わず漏らしてしまった。カーチャンが噴いた。
政治の難しいことは、わたしよりもっと人間のできた人が論じればいいと思うし、同時に人間のできた人が政治をやるべきだと思う。少なくとも、百合子おばさんが任期を果たしたことは、わたしに「このおばさんはまともな人なのだ」と思わせるには充分だった。任期満了までやるなんて本当は当たり前なんだろうけど、それをまともにできない人がいたからわたしは投票に行かなきゃいけないことになる。
投票めんどくさくてほんとにきらいっていう動機は我ながらアホだけど、ちゃんと続けられる人を選ぶのはまちがってないと思う。どうか2期目も何事もなく最後まで続きますようにと願ってやまない。