はてなキーワード: 遂行とは
代わりに語る。
彼女はいたことはないが(恥ずかしながら一途な面食いなのだ)ワンナイトラブがあった。
大学当時は大阪のつり目の色白女性に色目を使って、尚且つ硬派を気取っていたので、群馬出身の彼女からのアプローチを拒否した。
そして大学卒業後に関西にいた群馬出身の女を東京に呼びつけ、土下座して抱かせていただいた。マンコ舐めさせていただいたのだ。
うーむ我のことながらかっこ悪い🤣
話がズレた。結局何が半童貞かというと中折れして果てなかったのだ。
げに恐ろしきは初めてのセックス。
いくらオナニーで真ん中で射精真ん中で射精とシミュレーションしてもうまくいかないものだ。
その前後から風俗にハマって全額貯金していた奨学金300万円は、
川崎のパンプキンクラブ、ススキノのスクールメイト、上野のエンジェルクラブに消えた。
名古屋や雄琴にも足を伸ばしている。阿呆の金の使い方である。諸兄は真似してはいけない。
また脱線してしまった。さてそれからも素人女性を抱くこともなく、ソープやメンズエステで婦女子との肌のまぐわいを重ねてきた私が今何を思うか?
結論、女なんて金払って相手するもんであって家で飼うもんではないなと思う。
わがことながら私には獰猛な姉がいる。獰猛である。今では他人の上がりをバリバリと食って生きているらしい。げに恐ろしい
そうした姉に幼少期はよくいじめられた。なので女性はちょっぴり苦手なんである。
そんな経緯もあって、女性と一緒に暮らすのは真っ平御免であるなぁと感じてしまう。
金払って相手をしてもらうくらいがちょうどいい。
ちなみになぜかその世代の姉のいる私の同級生も皆晩婚・未婚である。
生理前の女性と、出産後の女性ははっきり言ってコンサータ飲んで欲しいほど頭がいかれているとよく聞くので、私はこれからも愉快で気楽な独身生活を貫くつもりである。幸いなことに、彼女がいないのが35年なので、いないことで困ることは思い当たらない。むしろいる方が奇妙である。以上。終わり。俺は男らしいので遂行なんて女々しいことはしない
宮城県北部の県の地方機関に勤める50歳代の男性職員が、部下の30歳代の女性職員に好意を伝えるなどしたところ、女性が強いストレスによる体調不良で職場を休み、「職務上優位な立場を背景として行われた」として文書厳重注意処分を受けていたことがわかった。
処分は今年3月25日付。男性は昨年10月頃、部下の女性と公務で出張中に車内で2人だけになり、好意を伝え女性を困惑させた。男性は昨年11月にも女性を呼び出して個人的な感情を伝え、女性の手をつかんだという。
元増田です。続きを書く上手いやり方がわからなくて、このような形で蛮行じみた生活の結末を書きます。
皆さんの反応を拝見すると、石鹸で全身を洗う人が多いみたいですね。
結論から申し上げますと、Luxの全身用シャンプーは上手く行きませんでした。
あれから一か月半程が経って、俺は相変わらずLuxの全身用シャンプー一本を掲げて身を清める生活をしていた。
不満は無い。
香り、良し。
泡切れ、良し。
泡立ちが弱い、ご愛嬌。
そういう生活であった。
不満は、無い… 筈だった。
臭う。
また、ある日、ふと裸足の踵を見た。
どうも角質が付いている気がする。
鏡を見た。
どうも顔の肌もざらついている気がする。
歳のせいだろうか。不摂生が祟っているのだろうか。
慌てて皮膚科に行くと、汗の不始末だと言われる。
俺は毎日、あの素晴らしい全身用シャンプーで身体をくまなく洗浄しているのだぞ! とは医師に言えなかった。
幸いにも、処方された薬で湿疹は収まった。
そして、今日、在宅勤務となった俺は、全裸で職務を遂行していた。
何気なく鎖骨の辺りを掻いた時であった。
ざらり。
こわい感触だった。
掻いた爪を見やる。
黒い、垢であった。
つまり、水戸光圀公の印籠の如く掲げていたLuxの全身用シャンプーで、俺は 全 く 清 潔 に な っ て い な か っ た の だ 。
俺の背を、混乱、羞恥、絶望がそれぞれ、ずくん、ずくん、ずくんと駆け上った。
何という事だ。俺はこのひと月半、自分を清潔だと思い込んだ不潔な狂人であったのだ。
俺は震えた。
印籠は偽物だった。俺は偽の印籠で社会に出なければならないのか。
恐慌に陥りかけた俺は思い出した。
全身用シャンプー生活を始めるにあたり封印した、毛穴撫子の「重曹つるつる石鹸」を。
コイツの洗浄力は信じられる。無印良品の全身用シャンプーに出会い、この生活を始めるまで3年以上愛用していたのだ。
それなのに、新しい洗浄体験に目が眩んだ俺は、連れ添った「重曹つるつる石鹸」を暗い収納の片隅へ追いやっていたのだ。
「重曹つるつる石鹸」を取り出し、申し訳無さを抱きながら、俺は風呂場へ向かう。
今日は「重曹つるつる石鹸」のかつての相方、無印良品のナイロンボディタオルも一緒だ。
何だ。何だこの泡は。石鹸とは、これほどの泡が立つのか。これほどの豊かで柔らかい泡が立つというのか。
泡を流し、タオルで身体を拭き上げると、俺は自らの変化に目を見張った。
柔らかい。あのガサついた肌が嘘のように。まるで垢などなかったかのように滑らかであった。
そして、幸せは身近なところにあったのだという事を。
つづき。
子どもが何で悩んでいるのか。これを把握するのが一苦労だということがとりあえずわかった。
まず、自分で説明などしてくれない。というか、まだできないのだ。
自分の感情に向き合い、起こったことをできるだけ客観的にとらえ、筋道立てて説明するなど小学生に期待するほうが馬鹿げている。
彼らは「眠い」を「あいつムカつく!なぜこんなにイラつかせてくるのか」と変換して伝えてくるような生き物だ(そこが可愛くもあり厄介でもある)。
どうなれば安定するのか、何を目指すのか、ということを親がああでもないこうでもないと探り続けていく。それしかない。
そういうわけで、各方面から色々探ってみて、今日ふと気づいた。
私が今まで一生懸命伝えてきた
「あなたと私は同じ人間で、対等で、お互いに意見を言い合う権利がある」という考え方と、現実社会の価値観が乖離していることが問題なのかもしれない。
いや、私なりに現実との折り合いの付け方についても話してきたつもりだった。
でもそれは単に「仕方なく折り合いをつける方法」でしかなく、同じ人間として誰とでも対等に付き合うという前提を崩すことなど考えなかった。
私の言ってることはある種理想論で、実際の子供たちの社会では、仲間意識がやたら強い子、
大人の理屈に対する言い訳をうまく用意できる子、年上・年下・男・女などの属性で対応を変える子、
相手の力量を推し量るのが上手い子などいろんな子がいる(彼らの個性を責めているわけでは決してない。念のため)。
その中で関係を築いていくには、私の教えてきたことだけでは不十分、いやむしろ「お母さんの言ってたこと全然違うんだけど・・・」と混乱させていたとも考えられる。
私は親にされて嫌だったことは絶対子供にしたくなくて、そこから出発して「じゃあ親の価値観に代わるものは何だろう」とか「とはいえ同居家族とのバランスも考えなくては」とかいうことでやってきた。
ただ、「既存の価値観を疑う」「新しい方法があればどんどんチャレンジする」が生きる理由なタイプの暴走しがちな発達障害グレーゾーンなので、このへんのバランス感覚がうまくいってなかったのだと思う。
てか、理由、私やんけ!となって、親という役割の業の深さを噛み締めている。
尊敬できる親に育てられて、その価値観をすこし現代風にアレンジするだけで大体のことがうまくいっちゃう魔法のような育児環境が2万円くらいで手に入らねぇかな~!!!とか思ってしまう(しかしもはやその人は私ではないだろう)。
「人権」とか「多様性」の概念の難しいところは、100%の正しさにたどり着くことが不可能なところだと常々思う。
より「正しい」と思える方を探して日々模索しているわけだけど、「誰の意見も否定しない」を一切例外を作らず遂行すると「レイシストにはレイシストの言い分がある」となって矛盾してしまう。
それに自分のやり方を日々ブラッシュアップし続けていると、まわりが停滞しているように見えてしまう。何世紀前の価値観だよ…と(暴走気味に)見下して優位に立とうとしたりしてしまう。
差別の芽はそこここにある。相手より優位に立とうとする気持ちと戦いつづけるのは簡単ではない。
それでも諦めたら終わりだ。特に、子供の前でそんなことは絶対にできない。
結局のところ大切なのは鈍感力とかテキトーさみたいなものなのだ。そのあたりで子供もつまづいている気がする。
いや、「気がする」とか言ってる場合じゃないな、私にできていないことを子供に求めてどうする。
私は頭の中が多動で注意欠陥なので鈍感力もテキトーさも掃いて捨てるほど持ち合わせているのだが、肝心なところでストイックさが顔を出してしまうのだ。
そしてたぶん、子供もその傾向がある。少なくともうちの兄弟の中で、あの子が一番その傾向が強い。
支援は必要だけど、特性をもつその人が「劣っている」ということでは決してない。
発達障害的な特性と向き合うとき、一番重要なのは二次障害に発展させないことだと思う。
だから今回のことはどうしても踏ん張りたい。
» 思春期は周囲の影響を受けながら一人の大人として自分を確立する時期です。仲間集団の役割は大きく、この時期の仲間関係のトラブルは大きな影響を及ぼします。思春期に見られる様々な問題行動に対応するには、子どもにとっての目標と背景要因を理解する必要があります。「両価性」は思春期を理解するためのキーワードです。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-002.html
このページで、不登校に関しては登校することというよりも、本人が何の問題に躓いているのか、どんな自分になりたいと思っているのかを把握し、それを実現できるように大人がサポートするべきだと書かれていた。
そうだ。うちの子は今、やり残していた宿題に取り組んでいるんだ、と思った。
どうも、今までわりとひとりで休み時間を過ごすタイプだったのが、最近になって友だちと一緒に球技に精を出すようになったようで、今回のことはどうもそれがきっかけであったようだ。
担任の先生との話でも出たのだが、これは本人としては相当がんばっているんだと思う。
しかし自分がスルーしてきた問題なだけに、どう取り組んだらいいのか手探りだ。
まあ明日になったら「あ、やっぱ違うわ」とかいって方向転換してるかもしれないけど。
おわり
某ブラック企業を退職後、あれよあれよとそこそこのホワイト企業に就職できてしまい、テレワークというものが始まってしまった。
自宅も仕事場になるというのは中々苦しいことかと思いきや、定例の会議さえこなせばほぼ自由であるという緩さで歓喜の極みだった。人は自由という餌で生きている、そう確信した。
そんな中、この空き時間を使って以前から触れてみたかった、ノータイムオーガズムを極めようと考えた。
やり方は簡単である。まずは前立腺で快感を得れるようにトレーニングしなければならない。全く面倒であるが、この先に待っている快楽を考えれば些細なことある。
俺は前立腺で快感を覚えたことはまだなかったので、様々なウェブサイトを参考にして普通の前立腺オナニーを極めた。
まず浣腸をする。その上でベッドに寝っ転がる。
初心者向けの前立腺開発道具を右手に持ち、モニターアームでノートパソコンを左手で操作できるようにする。
これで前立腺を開発しながらもテレワークを遂行できる。俺は前立腺開発とテレワークを並行作業することで、時間的効率を高めたのだ。
前の息子をいじりながら前立腺をいじめ、やがて前立腺から快楽が得れるようになると、徐々に弱い刺激に移行していく。
そしてやがては何も刺激を与えなくても、自ら前立腺を「しめる」だけで絶頂できるようになるのだ。
長く厳しい道のりだった。ときには、俺には前立腺オナニーの才能はないのではないかと思ったこともあった。ときには、仕事がうまくいかずに前立腺開発だけがうまくいったこともあった。
だが俺は成し遂げた。
これは、イケる。そう確信したのは立ちながら前立腺を指でいじってイけるようになったその瞬間だった。俺はこの瞬間から、もはや前立腺をいじらずともイけることを確信した。
もちろん、ノータイムオーガズムを習得してからもその質にはまだまだ先がある。
例えば上級者ができるという触らずに射精するという技術はまだできないし、触りながらイクのとも「深さ」的には劣る。
だが、俺は少なくとも仕事をしながらノータイムオーガズムできるのである。
私は安楽死を支持する。その早急な法制化を望む。それへの抵抗勢力は徹底的に粉砕されるべきだ。
そう考えるに至った経緯を、以下に書く。
何年か前、某所で尊厳死・安楽死に関する議論をしたことがある。私が安楽死について肯定的なことを書いたところ、反対派から反論されたのだ。私の書き方もあまり良くなかったので、議論を挑まれたこと自体は構わない。だがその議論で、私は安楽死に対する信念を強化することになった。
議論の中で、私は自分の家系について触れた。私の家系はがん患者が多く、しかも体中を蝕まれて苦しみながら死んでいった者が何人もいる。私もそうなることはほぼ確実で、だから私は苦痛に満ちた死よりも慈悲の一撃による安らかな死を望む、それを邪魔する安楽死反対派のことは支持できない、という趣旨のことを書いた。すると議論相手は、次のように書き込んだ。
「それでも、自殺することは禁じられていません」
唖然とした。私はさっきまで、体中がボロボロになってひどい苦痛に苛まれていた親族の話をしていたのだが。「自殺できるでしょ」って、苦しまない自殺を自力で遂行できるのは健康な人間だけだという程度の想像力も彼にはないのだろうか? そりゃ自分一人で自殺する分には法によるお咎めなどないことは私だって知っている。私はただ死にたいのではなく安らかに死にたいのだ。
さらに彼は、私の自由主義的な主張にも反駁を加えてきた。私は、同性婚や選択的夫婦別姓と同じく選択の権利を求めているだけなのに、同性婚や別姓の問題では同じ側にいたはずの人たちからなぜここまで否定されるのかが理解できない、と書いたのだが、彼は言った。同性婚や別姓を主張する運動は同性婚や別姓を選んだ人たちが幸福に生きるための運動をしてきたが、安楽死推進派は病に苦しむ人びとが幸せに生きられるための運動をしてこなかった、だからそれらは同列には論じられない、というのだ。
他人の幸福のための運動をしなければ、私には安らかに死ぬ権利すらないと言いたいのだろうか?
この時点で確信した。安楽死に反対する連中には人の心がない。彼らは私が苦しんで死ぬことを望んでいる。
もちろん彼にそんな意図はないのだろう。でも、彼は私の安らかな死を、よくわからない運動の都合とか、見ず知らずの他人の選択とか、そういったものの下に置いたのだから、結果としてはそういうことになる。私にとって見ず知らずの誰かが望まぬ死を強制されないかわりに、私は苦しんで死ねというわけだ。
優生学は間違っている。高齢者やALS患者や知的障害者が「社会のお荷物」だからというとんでもない理由で意に反した死を強制されるなんてことがあってはいけない。だから、安楽死を認めるが、その際には厳格な手続きを導入すべきだ、強制を排せる仕組みを構築しなければ、という議論なら私は賛成していた(というか、そういう施策を私は支持していた)。私は彼らに死んでほしいわけじゃなく、自分が安らかに死にたいだけだから。選択の自由を認めてほしいだけだから。
でも彼らは、意に反した死を強制されるかもしれない人たちを守るために、私が安らかに死ぬ権利は認めないのだという。
見ず知らずのやつらが自分の意志を貫けないという恐れのせいで、なんで私が苦しんで死ななきゃならないんだ?
それ、私には関係ないよね?
苦しまずに死にたいというのは、そんなに強く否定されるほど、他人の都合で却下されなければいけないほど身勝手な望みなのか?
安楽死に反対する人たちの書いたものを色々読んだ。彼らの書いたものの中には、苦痛のない死を迎える権利についてはほとんど書かれていなかった。彼らにとってそれはどうでもいいことらしい。
私の苦痛があなたたちにとってどうでもいいなら、あなたたちに死が強制されることも私にとってどうでもいいことになってしまうのだが。
あの議論を経て、私の考え方は変わった。安楽死反対派は本質的に、私が苦しみに満ちた死ではなく安らいだ死を迎えることはたいしたことではないと思っているということが理解できたからだ。だったら、ALS患者や高齢者が死ねという圧力に抗しきれず安楽死の書類にサインしてしまうことだって、私にとってはどうでもいい。見ず知らずの他人が意志薄弱すぎて死ねと言われて死んでしまうことは私には何も関係ない。私はただ、ひたすらに安楽死を支持すればいい。自分の権利を強く主張すればいい。
私は、私の苦痛を切り捨てる冷血漢どもよりは、私に苦痛のない死を保証してくれる人たちを支持する。結果として死を強制される人が出てきたところで知ったこっちゃない。だって安楽死反対派は、私に苦痛を強制しようとしてきたのだから。そんなやつらが死を強制されることを、なんで私が心配しなきゃならないんだ? あの冷血漢どもが私の苦痛を心配しないなら、私にもあいつらの死を心配する義理なんてない。
だから私は、たとえそれが新自由主義者であろうが、安楽死を推進する側を支持することを決めている。私が苦しんで死ぬことを望んでいる側にはつかない、そんなやつらには徹底的に立ち向かって自分の選択の権利を守ると、反対派との議論の中で決意したのだ。
安楽死は早急に実現されるべきだ。反対派に屈してはならない。彼らは人の心がない冷血漢で、他人の苦しみを座視する連中なのだから。
ところで、医者には応召義務があるのだから、安楽死を認めることは医者に殺人を強要することになりかねない、という主張もあり、これはもっともだと思う。だから、安楽死に際しては応召義務を解除しうる法整備をすればいいと思う。それはブラックリスト方式で、デフォルトは安楽死を認めるものとし、安楽死を拒否する医者は役所に届け出た上でそのことを周知する看板かなにかを設置しておき、そういう看板が予め設置されている病院では安楽死を断れる、としておけばよいのではないか。これなら死ぬ権利と殺したくない権利を両立できるかと思う。死にたい患者はその病院を避けて別の病院にかかればいいのだ。
前職は事務職兼現場作業で、1年ごとに新しい担当が増えるような仕事だった。これ以上は無理だなと思いながらも過去のファイル見たり、規程を調べたり、その歴史がどうとか検索してなんとかパターンを見つけてた。でもやってると違うことがわかったり、年ごとに変更されたりして、それはもう悩む日々だった。前の担当者も次々に代わっていてファイルがなかったりバラバラだったり、次々に壁が出てきた。上司にもミスで迷惑をかけた。いい経験だったと思う。よかったことはいろんな方面の知識が増えていって組み合わせや応用ができたりして、今考えてももっと挑戦できる事業はあったと思う。でも余裕がなかったから、頭のなかで止まっていた。あとファイルの整理には力を入れた。来年見てわかるように書き込んだり、必要ないものは極力破棄、必ずファイリングしたりキャビネットの整理もした。先輩がやっていた影響もあるかもしれないけど、次の担当者が困らないように工夫はしたつもりだ。
仕事は情報で決まると思う。情報の量とスピード、質。量があれば効率的な方法がわかる、スピードがあればすぐに取り出せて無駄がない、質がよくなるように収集と廃棄を怠らない。知っているか知らないかが生活を良くする秘訣だと思う。ほとんどの担当を素直に遂行していた。その質・結果は別としてなんとかやっていたと思う。形にはなっていたし、取引先とも関係を壊れることはなかったし、むしろ相手の担当者と懇意になって冗談を言えるぐらいになりたくて、電話で仲良く話せるように頑張った。それぐらいのほうが仕事がやりやすいと思ったからだ。苦手な人でも根気よく接していれば普通の関係ぐらいになれる。自分の見た目がいかにも害がない顔なので、悪くは見られることはないが救いだ。
ただ「結果」がない。無難に終わらせただけで、もっと輝かしい成績があれば自慢できるんだろうけど、なんとかお客さんと取引先に迷惑をかけないように、かけないように実行した。というよりそれしかできなかった。
だから、新しい仕事とか未経験のことでも真面目に取り組めば、普通の結果は出ると自信はある。それ以上となると新しいことを加えたり、変えたりしないといけない。時間の余裕と先を読む情報が必要だ。
実際自殺するのはすごく難しい。
一番難しいのは人に見つからないこと。
コミュ症の引きこもりならまだしも芸能人なんて他人が時間管理してるんだからすぐ探されるだろう。
(首吊りは勢いが良ければ頸椎が折れるけど結構な高さが必要なんだって。)
飛び降りとかだって高い所から飛び降りれる場所意外と見つからないからね。
電車も失敗するケースが多いらしい。死にかけが一番キツいから失敗したくない。
だからこっちから見た感想は「うまくいったんだ!すごい!」なのだ。
この「人に見つからない」を遂行するには死にそうな雰囲気を醸し出さない事が重要だと思う。
死にそうなヤツはやっぱり皆警戒する。だから絶対に自分は死にたいとか周囲に漏らさない。
楽しそうに見せかけながら首を吊るドアとかを選んでいる。そうやって安心している。
まあこれは自分のことで本人のことは何も知らないけれど。すごいなあ、うまくやったんだなあ、と思う。
全国旅行業協会の会長でもある二階の利権でGO TOをゴリ押ししたり、キンペーを国賓扱いで招いて観光客増やそうとしたり、つまり利権第一主義政党を支持し続ける限り、国益より常に利権政策ばかりが遂行され続ける。愛国心がない政党が国のTOPとか恐怖だわ。
お疲れ様です。
医療者側も初期はまだよくわかってなかった。
医療機関だと、施設内の感染対策部署が「現時点ではAを遂行してください。最新情報ではこれが最善という〇〇の調査報告・指導があるので、私たちはこのように対策しています。ご理解・ご協力ください。」と啓蒙する。省略すると「(最新情報)感染対策にはAが有効です!(〇〇より)」となる。
詳しく説明あるいは注釈をいれることで、あとで「Aはやっぱりだめ、Bが有効です」「今までの対策Aだと感染リスクが高くてアウトだから、これからはAはやめてBにしてください。」って路線変更されたときに、また同じように言うと「あ、そうか。最新なんだ」となる。
結局、現場は振り回されるんだけど、振り回された患者さんからのクレーム対応は減る可能性がある。
「俺が責任を取る」って良くいうけれど、実際責任ってどうやって取るの?
https://manager-life.net/oyakudachi/thought_mindset/post_5455/
完全にポイントがずれている。
責任を「取る」なのか「果たす」なのか、みたいな言葉の問題にすり替えることで、本来考えるべき論点がよけいに見えづらくなっている。
「責任を持つ」という概念を簡単に定義すれば、「ある人Xは事業Pに対して責任を持つ」とは、「XはPの遂行に関して意思決定権を持つ代わりに、Pの結果についての責めの対象になる」ということだろう。
例えば、Pの遂行においてネガティブな結果が生じ、その結果によって不利益を被った人がいたとしよう。
その人がその不利益に対する原因を責め、何らかの償いを求めるときに、その責めの対象になるのが責任者であるXである。
責めや償いの要求に対してどう対処するかはケースによって異なるだろうが、よくある対処の形式は罰則の適用である。
減給や辞任や辞職(あるいは島流し、切腹、斬首、etc.)は、そういう罰の伝統的な型のひとつというだけのことだ。
その意味で、「責任をとれ」が「辞職せよ」を意味することがあるのは不自然でもなんでもない。
もちろん、普通その償いは、責任者が罰を受けるだけで終わるものではない。
説明、補償、今後の事業の改善のための施策など、やるべきことはいろいろあるだろう。
そしておそらく元記事は、そうした罰以外の「責任の取り方」に注目したいのだろう。
だが、「責任を取ることには罰を受ける以外の面がある」ということから、「責任を取ることは罰を受けることではない」などという帰結は出てこない。
要するに、
政治家など著名人が「責任を取るべきだ」と批判されるとき、しばしば「責任を取って辞任するべきだ」と同じことを意味している場合があります。このような責任の取り方は、果たして適切なのでしょうか。
この問いは本来「辞任は、ネガティブな結果を引き起こしたことに対する適切な罰なのか」と言い換えるべきものであって、「本来の意味での責任を取るとは、遂行義務を果たすということなのではないか」みたいな話にはなりようがない。
いつまでやってんだよ、こいつら…
職場におけるパワハラとは、以下の3つの要件をすべて満たすものと定義されています。
(1)部下が業務上必要な知識や経験を有しており、部下の協力がなければ業務を円滑に進められない場合における部下から上司への言動
業務上明らかに必要のない行為や目的を大きく逸脱した行為、業務遂行の手段として不適切な行為をいいます。
たとえば、重要な会議に遅刻をした部下に対して上司が一度叱責するような行為は教育として意味合いが強く、通常はパワハラには該当しません。他方で、「遅刻するような人間だからお前はだめなんだ」などと、人格を否定するような言動をともない、それが日常的に繰り返されればパワハラに該当し得るでしょう。
教育・指導の名目でも社会通念上許容される限度を超えていればパワハラとなる可能性があるということです。
労働者が能力を発揮するのに重大な妨げとなるような看過できない程度の支障を指します。たとえば就業意欲が低下する、業務に専念できないなどの影響が生じている場合です。
ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。
すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、風呂の蛇口から滾々と、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
歩ける。行こう。
肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、ブラインドに投じ、隙間から差し込んだ光も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人(クライアント)があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。飛んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。
いや、休め! メロス。
「忙しい」などの建前を使い
ここが問題なんでしょ?
表面上は「私は貴方に友好的な態度を示している」というスタンスをとることで、拒絶していることを隠蔽しようとするし、
その感覚のせいで、「あまり関わりたくない」という個人的な感情と、業務やコミュニティの形成/運営に関わる社会的判断を混合してしまう。
同じ会社で働いていて、その人と仕事を頼み頼まれる関係性を維持しなければ適切な業務の遂行が困難なのが明確でも、
我慢して隣に座ってるんだから、今日一切口聞いてないけどそれは仕方がない。」
英人とか米人とか海外の人間は「こいつと働くの無理」って感じたら自分が業務から外れるか相手を外そうとするか、そこまで出来なくても「お前の腋臭のせいで仕事が捗らないんだ」と業務に差し障っちゃってるからあからさまに伝えるぐらいの事はするだろう。
「我慢して目を瞑るのが優しさ」なんて考え方はやっぱり変だよ。
安倍さん界隈が私利私欲にまみれた頭おかしい連中ってのは分かりきってて、法で裁かれるべきなのは当然なんだけど
だからってアベ死ねだのヒトラーだの言ってたパヨ連中が正当化されるわけでも勝利がもたらされるわけでもないんだよ。
『5年以上前からアベの異常性を指摘してきた私達の勝利だ、これが民主主義だ。ようやく私達の時代が来る』
じゃないんだよ
マーケティングやオペレーション遂行という観点で君等は完全に敗者で一般人からしたら蚊帳の外なんだよ。そのやり方ならこれからもこの先もな。
だから君らの手柄なんて間違っても思っちゃいけないよ。だって君らの支持率上がってないでしょ?
安倍さん界隈がいずれこうなるような予感はしてたけど、それを支えてたのは批判対象を口汚く罵って一般人の態度を硬直させ続けてきた君等の責任もあるんだよ
安倍政権になって7年だっけ?権力の危険性を監視してる人たちの先見性で彼は極めて危険だというと察知するのが早かったから先に動いてたというのは認めるよ。
でもね、警察が仕事量の確保のために反社やパチンコ屋の完全な殲滅をしないのと似たような、アベさんを口汚く叩き続けてジリ貧の内部組織の結束を高めていくというある種の依存関係を保ってきたわけでしょ君たち。
それってもう完全に共犯じゃん。
だめだよ君ら。ほんとだめ。