2020-07-13

責任を取る」の意味

「俺が責任を取る」って良くいうけれど、実際責任ってどうやって取るの?

https://manager-life.net/oyakudachi/thought_mindset/post_5455/

完全にポイントがずれている。

これで納得しているブコメはなんなのだろう。

責任を「取る」なのか「果たす」なのか、みたいな言葉問題すり替えることで、本来考えるべき論点がよけいに見えづらくなっている。

責任を持つ」という概念簡単定義すれば、「ある人Xは事業Pに対して責任を持つ」とは、「XはPの遂行に関して意思決定権を持つ代わりに、Pの結果についての責めの対象になる」ということだろう。

例えば、Pの遂行においてネガティブな結果が生じ、その結果によって不利益を被った人がいたとしよう。

その人がその不利益に対する原因を責め、何らかの償いを求めるときに、その責めの対象になるのが責任であるXである

責めや償いの要求に対してどう対処するかはケースによって異なるだろうが、よくある対処形式罰則適用である

減給や辞任や辞職(あるいは島流し切腹斬首etc.)は、そういう罰の伝統的な型のひとつというだけのことだ。

その意味で、「責任をとれ」が「辞職せよ」を意味することがあるのは不自然でもなんでもない。

もちろん、普通その償いは、責任者が罰を受けるだけで終わるものではない。

説明補償、今後の事業改善のための施策など、やるべきことはいろいろあるだろう。

そしておそらく元記事は、そうした罰以外の「責任の取り方」に注目したいのだろう。

だが、「責任を取ることには罰を受ける以外の面がある」ということから、「責任を取ることは罰を受けることではない」などという帰結は出てこない。

要するに、

政治家など著名人が「責任を取るべきだ」と批判されるとき、しばしば「責任を取って辞任するべきだ」と同じことを意味している場合があります。このような責任の取り方は、果たして適切なのでしょうか。

この問いは本来「辞任は、ネガティブな結果を引き起こしたことに対する適切な罰なのか」と言い換えるべきものであって、「本来意味での責任を取るとは、遂行義務を果たすということなのではないか」みたいな話にはなりようがない。

  • 「責任を取る」って、江戸時代以前は「切腹する」ってことだったわけで。 切腹する代わりに、家を子供に継承することが許された。 現在は家制度なんかすたれてるんだから、責任をと...

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