はてなキーワード: 謙虚とは
凄く面白い。まだ大して本数は見ていないが話に聞いていた通り、世界への解像度がグッと上がる気がする。昔から色んな人の視点を知りたいとは思っていたものの、それをゲームと言うメディアを通じて実現するのは実にクリエイティブな発想だと思った。と言うかそもそもゲームをこういう形で利用すると言う発想に目から鱗が落ちる思い。
視聴中の印象は100分de名著に近い。でも100分de名著はゲストの言説が綺麗にまとまっているが、ゲームさんぽは非常にざっくばらん。だからこそ思った事をそのまま口に出すかの様な生々しい、と言うより加工していない生の活きの良い考えを聞く事が出来て良いと思う。100分de名著は非常に手間の掛かったフルコース料理、でゲームさんぽは素材の味を活かしてる感じ?ちょっと違うかもしれないが、取り合えずさておく。
また、なむさんの話の聞き方及び引き出し方は非常に好感が持てるしコミュ力が高く感じる。生臭坊主と紹介されており本当にお坊さんなのかまでは知らないが、そうだとすれば説法を説く人だけに人の心の開き方や話を引き出す質問が上手で、だから逆に教えを受ける側になっても凄くコミュニケーションが上手なのかなと感じた。そういう意味でこの動画における注目点はゲストの所見だけでなく、なむさんの振る舞いそのものにも有ると思う。それだけに案内人がなむさん以外だとやはり少し魅力が落ちる印象。
以下、観た回の感想
②~⑤、⑦もそうだが、著名人って感じじゃない人がゲストの回は気楽な雑談味が強く、肩の力が抜けてリアルにその人の視点を語ってくれている印象を受けてグッと惹き込まれる。くだらない事で笑ってアイスブレイクし、肩肘張らずに出た生の所見は直感的に理解し易い。上述した様に丁寧に丹寧に調理されたフルコース料理の様な高説は大変味わい深いが正直理解するのに体力を使う。
この回は特別非常に関心する話続出って感じではないが(そもそもそう言うコンセプトの動画では無いと思うが)、ガラスが割れる様からプログラマブルマテリアルの話になり、そんなハイテクな技術があるのにわざわざ割れた壺を大事に展示しとくのには文化的な意味が有るのかもしれない、という発想に行き着くのはゲームさんぽの神髄だと思った。
孤食に対する忌諱が凄い。やはり家庭科の先生は家族と言う存在に対し相当重きを置いているのだなと感じた、まぁ当たり前だけども。
あとは困った事をする大人に対しては、発達が終わっているから自制心を働かせて頑張るしかない、という精神論で終わらせてしまっているのが物足りない感じ。この先は家庭科の範疇ではないって事なのかも。家庭科の取り扱う範疇という物に対して少し考えてみたくなる、これもまたゲームさんぽの魅力だなぁ。
普通に面白いんだけど、取り分け印象に残る会話は無い。ただ今後ゲームをする上ではつい音響を意識しちゃう様になるのかもしれない。それこそが世界に対する解像度が上がると言う事である意味コンセプト通りの回。あ、7.1サラウンド風ヘッドホンの話は豆知識でした。
滅茶面白い、ゲームさんぽ初見の人は①を見た後にこの回を観て欲しい。この回からでも良いんだけど基本フォーマットを理解した方がより動画に浸れるかなと思う。環境工学を学んだ人の視点を知れると言う興味深さの点でも、単純に馬鹿笑いする意味でもこの回は今の所観た回の中で一番面白い。
(サスティナブル的に考えると)この町はダメだな→いやまだそう判断するの早計→(10秒後)いやこの町やっぱダメだわ→でも将来も考えて…→(10秒後)いやこの町やっぱダメだわ、の流れは最高。滅茶苦茶笑った。
(町の全体像が見れた上で環境工学を学んだ方の見解としてこの町は)どうすか?→凄い凄い、良い景色→え?、も漫才かと思う位笑った。
③と同じ印象。どちらかと言うとレゴに関する所見よりも19歳の東大生くんの少したどたどしい会話自体が可愛いらしいし興味深かった。
⑥気象予報士・石原良純さんと『ブレス オブ ザ ワイルド』をやってみたら、天気の仕組みがよーーくわかった!
正直石原良純氏に関して今までテレビ番組で観た印象としては余り面白くない人って印象だったんだけど、やっぱり本職の話となると印象がグッと変わるね。急に教養深い人に見えた。気象学を学んだ人には風が見える、って話はまさしくゲームさんぽのコンセプト。あと何かと酷い扱いを受けるリンクに同情する様な発言をするのが案外優しい面も有るんだと感じた。
ただまぁ、やっぱりゲストが著名人だけにちょっと所見と言うより語りが多いかなぁ。ゲームさんぽでなく石原良純氏が語る気象学って感じの内容になっちゃってる。ちょっと堅いんだよねぇ…。なむさんも遠慮してる感じする。もっと友達と下らない事喋ってる感がある方が動画に浸り易いんだよね。
⑦弁護士・水野祐さんと、 極悪非道なゲームの世界で「法律」の意味について考えた。
⑥と打って変わってご知人?なのかな?飲酒しながらの撮影と言う事でかなりゆるーい回。④ほどじゃないけど④に近い、興味深くも有り単純に馬鹿笑いも出来る回。結びとしての音楽業界は法律面からみた時に時代の先を行っていると言う話を例に挙げた所からの法律は縛るだけの物と思わないで面白く活用出来ると良い、そういう世界になれば良いなっていうゲストの話は自分には無い視点だったなぁと思った。
⑧現役のスナイパーとFPSをやってみた
実は一番最初に観た回。大変面白いんだけど、①~⑤、⑦に比べるとやっぱ堅い、ゲームさんぽってコンセプトとして大分バラエティ寄りだと思うんだけど、この回はかなり教養番組寄りって感じがする。ゆるさが無い。なむさんが案内人じゃないってのも大きいかも。なむさん雰囲気作りも話の広げ方も本当上手なんだよなぁ…。
でも色んなメディアで触れて知った気になってるスナイパー感と言う物がかなり崩れる良い回。教養番組と感じるだけあって、披露される知識量としてはこれまで観た回の中でも随一な気がする。
⑨【ゲームさんぽ/龍が如く】歌舞伎町のキャバレー経営者が語る、夜の世界の一流接客術
まだ半分しか観てないんだけど、感想を書きた過ぎて思わずココに登録してしまった位かなり面白い回。ゲストの会長が話し上手。まぁやや石原良純氏回の悪い所と同じ感じも出ちゃってるが、やっぱり夜の世界で一財築き上げた人間の話は一事が万事興味深い。何というか知識や経験に裏付けされた自信が良い所見を生み出している。ゲーム内の女の子の顔写真を観ただけでその子からどの様な印象を受けるか、そしてどの様に扱うべきか考えが浮かぶ、ってのが良い。所詮ゲームなんだから単なる妄想に過ぎないんだけど、それでも恐らく会長のそれは当たっている可能性が高いんだろうなって思わせる。勿論会長自身の才能も大いに有ろうが、きっと何百何千と女の人と会って得た経験が単なる妄想じゃないリアルな想像にするんだろうな。
あとYouTubeの米欄に有ったけど、水着を着させた時に目がエロくなってるのは笑う。やはり女好きじゃなきゃこの業界はやってけないよね。
それにしてもホント会長自身がキャバ嬢なんじゃないかと思う位話し上手。何度も対比に使って申し訳ないが石原良純氏はどこか上から感を感じるが、この会長さんは尋常じゃない程偉い人の筈なのにそれを一切感じさせない位謙虚。じゃあ卑屈かって言うと全然全く。寧ろ自信に満ち溢れた発言は聞く者に敬意を抱かせるに充分。こういうコミュニケーションが取れる人になりたいなぁ。
長くなったのでここまで。
[B! 表現] ほとんどの人は、そもそも表現者になりたいとは思ってないのでは - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
100文字に押し込めてしまったときに溢れだす部分が少しでも正確に伝わらなくなることに耐えられないから。
いいバトルだな。
俺も混ぜろよ。
タイトルと少しの間だけ矛盾することを許されるなら、多分俺は「(凄い)表現者になりたい」んだと思う。
でもそれは俺が望んでいることを実現するための手段として手っ取り早く一石三鳥出来るのが「(凄く売れっ子な)表現者になる」だからというだけだ。
まず、俺は大金が欲しい。
仕事辞めて好きなことだけして生きたい。
美味しいものを食べたいってほどじゃないけど、ふとトンカツを食べようとした時に余計なものがチラついてチリチリしたくない1ミクロンだって。
勉強したくなったときに専門書の値段を見てビビるような人生をやめて、一流の家庭教師を当たり前みたいに雇ってみたい。
とにかく金があればなんとかなる。
次に叶うならば神になりてえ。
神っていうのは人間を辞めて神話のそんざいになりたいとかじゃなくて、「ジャンルの神」ぐらいの立ち位置だ。
その界隈にいる人類の中で最上クラスの完成度で指先から直接発射するように出力したいものを飛び出させたいんだ。
はじめに言葉ありき、ヒカリアレのたった一言で宇宙を包む無数の光子が概念として生まれだしたと聖書は語るけど、これに近いナニカになりたい。
俺が「こういうの欲しい」と思ったら、次に意識が戻ってきた時にはそれが目の前にあって欲しい。
俺が選んだいくつかの限定的なジャンルだけでいいから、そのジャンルの全能になって脳が欲しいと思った物が現実にこの手の中に生み出せる存在になりたい。
俺は神になりてえ。
ただ単に、俺が思ったらそれが実現させてえ。
俺は人付き合いが苦手だ。
職場で人とすれ違うのさえ嫌で必要以上に距離を離して壁に身体を擦り付けるようにあるいては「当てつけか!」と怒られてばかりのダンゴムシだ。
理解したいという気持ちはこの世界に無数に散らばった創作物から作者の言いたかったこと探ししていれば何とかかんとか満たしていける。
でも理解されたさを満たすには誰かに自分をさらけ出さなきゃ駄目だ。
誰かの理解されたさと理解したさ、人に理解してもらえる人間であることの確認と、人を理解できる感受性の再確認、そのためのイニシエーション。だろ?
俺はそれを直接自分の体を人前に晒さないで少しでも済ませたいんだ。
だから創作物に自分ヲタクしてボトルメールを流す見てーな気持ちでこの世界に投げ込んで返事を待つんだ。
アマチュア無線が一時期あんなに流行った理由なんて結局コレだよ!
帰ってくる返事がカーテンの揺らぎだって俺が「届いたんだ!」」と思えればそれでいいんだけど、でもできれば「これはカーテンの揺らぎじゃない!本当に届いたんだ!」したいんだ。
そのためにはとにかくランダムアクセスの絶対数を絶対的に増やし続ける以外の近道はないだろ?
そうした欲望を叶えてくれる手段として「超有名な表現者になる」ってのは全く持って理想的ではある。
「表現者」そのものはともかく一握りの「有名な表現者」になれたら、きっと金と知名度が手に入る。
出張先の土産でとりあえずモンド・セレクションを受賞した中から選ぼうとするように、噂が噂を読んで、顧客が顧客を増やしてファンが生まれて、金が俺の懐に次々入ってくる。
そして俺は、仕事を通して金と存在意義を目指す必要がなくなったことを感じて、自由を手にするんだ!
あとはもう自分次第だろ?
手にした自由の大きさに振り回されて、何者でもなかったという自覚だけが自分のたった一つの武器だったんじゃないかって毎日後悔してるような人生が待ってる可能性だってあるけどさ。
もしかしたら俺は手にした自由をちゃんと強くなるために使って、強くなって、強くなって、強くなって、ある日ふと神に辿り着いてたって気づくかも知れないだろ?
神になる近道なんて時間と自信なんだよ結局は。
表現者として生きることが出来れば、表現し続けるために生きることが出来るだろ?
な?
誰だよこのさも「超バズってて大金持ちになってフォロー10人なのにフォロワー100万人のアカウントがないと表現者じゃないですよ」みたいな意味分からね―言葉の定義を始めた日本語下手くそ侍はよぉ!!!!
まあええわ。
でもそもそもさ、俺は「表現者になりたい」が目的じゃないんだよ。
俺の目的は最初に言ったように「大金」「神になること」「無数の消費者」でしかないんだ。
じゃあ、俺はどっちなんだろうな。
「表現者になりたい」でいいのか?
それとも「表現者になりたい」ではないのか?
は?
知ってるけど夢は見てもいいだろ?
TIGER and BUNNY の世界観や ONE PIECE のクロスギルドみたいに、私営の自警組織から契約中の人材に依頼が来るシステムになってそれを配信すればいいんだろうか?
捕まえた人は一躍ヒーローになれるし、処罰対象の人の精査や捕縛方法も定義できて多少は健全になると思う
行為自体のヘイトや法的な責任は自衛組織に向くから、自警行為をする人自体にヘイトが向かずよほど非人道的な事をしない限り活動は応援される
たまたま通りかかって助けて、「名乗るほどのものではない」って颯爽に立ち去る謙虚さがある人
もちろん現場に残って対応する必要はあるけど、「当然の事をしたまで」と恩義せがましくない人
そうすると決まった時間に、神社の外からとても丁寧なお辞儀をしてから駅に向かう家族がいる。
どんなお願い事をしているのか、それとも過去に起こったことに感謝しているのかわからない。
両親は50歳くらい。おそらく息子と思われる男子は中学生くらいだと思う。
過去に大きな病気にかかったときに頼ったのか、未来のために何か大切な願い事を掛けているのか。
特に会話もなく神社に近づき、入り口の外に3人が横並びになって、特に合図があるわけでもなく3人がきれいにお辞儀をして、そのまま何事もなかったかのように駅に向かう道を行く。
そこだけ切り取るととても美しい何かを感じさせるシーンなのだが、何かが引っかかった。
毎日しっかりと決まった時間に家を出ているわけではないので他の日はどうかわからないが、同じ時間に神社に差し掛かるときは決まってその家族が神社の外からお辞儀をする姿が確認できた。
それでなんとなく他の時間帯でも気にするようになったのだが、この家族以外にも、一定数の人が神社の外から非常に丁寧なお辞儀をしてから駅に向かっていることに気がついた。
朝の時間帯、忙しいという理由で中に入るまでもないという感じなのかもしれないが、お辞儀だけは手を抜くまいとする姿は皆に共通していた。
それだけ切り取ると確かに美しい何かを感じさせるシーンなのだが、やはり何かが引っかかった。
そうなのである。
お賽銭を全く投げていないのにも関わらず、お辞儀だけはクソ丁寧なのである。
願い事の万引き。
ちゃんと参るっていう行為自体が信仰の対価になるのだから、そこ端折ったら万引きでしょ。
それに気づいてからそれまでどこか神聖に見えてた彼らがエビルな存在だとした感じられなくなってしまった。
もしかすると何かのタイミングでまとめてそれなりのお布施(初穂料?玉串料?)を払っているかもしれない。
それにしたって、そんなに大きな神社なわけでもないのだから、たった十数メートルの参拝を省略するのはどうなのか。
だったら神社の前を通るときに心のなかで手を合わせていけばいいだけなのに、お辞儀だけクソ丁寧っていう願掛けの線引はまじで意味がわからない。
神様にガチなプレッシャーかけて、絶対に元取ってやろうっていう魂胆が見え見えなのだが。
似たような話で、大手町に将門塚というのがあるのだけど、めちゃくちゃ丁寧なお参りをしてる人がすぐ横に路駐してた車に乗り込む姿をみるとやるせない気持ちになるのよね。
そこを通るとかなりの頻度で路駐があるのだけど、そのせいで左折車線に入りづらくて迷惑だしそもそも危ない。
人に迷惑をかけてまで参られる側がどんな気持ちになるか考えればわかることだろうって。
お参りは誰よりも丁寧!って姿が、謙虚の皮を被った傲慢に見えておかしくて仕方ない。
MRJ計画失敗、技術者が「謙虚さに欠けていた」 元社長が激白 破綻の原因はたった1枚の書類
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.tv-aichi.co.jp/single.php?id=2699
にブクマカが噛みついている。
謙虚さが足りないのはお前だろ!って。
だけど、この件に限っては、本当に技術者の方に謙虚さが欠けていたんだわ。
元社長は技術畑の人なので、型式証明の取得が一番大変なのは承知していたからこそ、
型式証明の審査員以上に詳しい、ボーイングのOBを招き入れたのに、
200万だろうと1000万だろうと、人間は稼げてさえいればより稼げていない人間に対して尊大に振る舞うようになる
そして同居人に何か言われると恫喝や暴行を安易に行い、経済力を傘にして黙らせ、わがままに振る舞うことを認めさせる、非人間的な言動をなんの疑問も持たずに行うようになる
当人の能力が著しく低くても、他人に支えられている事実があっても、稼ぐというロールに就くだけでスタンフォード監獄実験の看守のように徐々に倫理観を失っていく
オンラインゲームで言えば傲慢なアタッカーを抱えるパーティは壊滅やギスギスといった事態を発生させやすいことと同じだ
知性や教養の極めて高い人はこのような情動を理性によって意識的に抑えて問題を避けることができるが、極めて例外的なことにすぎない
一般市民の9割以上は程度の差こそあれこのような怪物思考を抱く/抱かれた経験があるだろう
労働は時間をカネに引き換えるだけでなく、人間性をも引き換えていると言っても過言ではない
現在の労働の大部分を機械ないし自動化して一般人を労働から遠ざけるべきではないのか
労働は高邁な精神をもつ知識人階級だけができる、社会への無私かつ無給の奉仕行為として神性化したほうがよい
これを成り立たせることが不可能な、例えば自動化できない産業分野というのは、そもそも無くすか抜本的に改めるくらいでよい
それくらいに人間性を守ることのほうが労働や経済成長よりも重要なことだからだ
あらゆる行いに伴う収益は国家が受益して、全国民へ均等に分配すればよい
人口を増やしたければおのずと自動システムを構築し効率化を進めることが前提となる
その上で国民には利益を生み出すこと(労働)ではなく、利益を損ねないことだけ求めればよい
利益を損ねない振る舞いを求めることは、思慮に富んだ謙虚な人間であることを生存の条件とし、傲慢な人間を生み出さないことに繋がる
私が卒業した大学は一般に『高学歴』と言って差し支えない大学だ。
先日、会社にて自己紹介の場で出身大学を聞かれたので、「◯◯大だ」とシンプルに答えた。
妹がいることを話すと、妹の出身大学を聞かれたので、「同じ◯◯大だ」とこれまたシンプルに答えた。
すると、「姉妹揃って◯◯大!?イヤな姉妹〜〜!」と返されてしまった。
この至って短い会話が、ずっと引っかかっている。
「高学歴だ」と言ってネガティブな反応をされたことは、それまでの人生一度たりとてなかった。
皆褒めてくれた。
勉強頑張ってきたんだねとか、何がやりたくてその大学を選んだの?とか、親御さんのサポートにも感謝だねとか、まだまだ学ぶことが多いね!頑張って!とか…。
要するに高学歴に辿り着くまでのバックグラウンドを即座に共有し、努力を純粋に評価し、驕ることなく謙虚に学び続けなさいと励ましてくれるような人たちだ。
もしかして世の中ってそういう人は少ないのか?
「高学歴」を開示しただけで「なんかいけすかないやつ」と短絡的に結びつける人が、思ったより多いのか?
その断絶ってなんか凄くかなしいなとずっと考えている。
働きたくないンゴねぇ……
働かずに金がないなりの暇潰しをして生きるよりもそれなりに良い暮らしをしたいから、それを秤にかけて嫌々働きはする。けどやっぱり労働はダルいって言ってんの。
それくらいの事もいちいち説明されねーと分かんねーのか?バカが。
そんな陳腐な相対化をした所でおれの心が瘉える訳でも余暇が増える訳でもないが?バカが。
そうやって謙虚さと弱腰を履き違えてる労働者が資本家をつけ上がらせてナメられんだよゴミが。
自分の欲求も分かってねえ弱虫、自ずから湧いてくる欲求もなくなった老人は感謝とか義務とか、外から与えてもらえる宗教がねーと働いてらんねーもんな。働いてねーと暇で仕方ねーもんな。雑魚が。
敵「金で得られる快楽やモノなんて虚しいよ?」
一億歩譲って浪費に飽きたド級の金持ちに言われるのならまだしも、テメーは誰なんだよ。
俺は車を乗り回す楽しみも高級時計を着ける満足感も知らねー。資本主義に刷り込まれた欲求だろうが、一度おれの心に入り込んだのならそれはもうおれのものなんだよ。
たとえ後になって虚しいものだと思ったとしても、それはおれが実際に体験して初めて納得が生まれんだよ。
手にした事のないものを最初から諦めて腐しても、それは酸っぱいブドウにしかならねーんだよカスが。
いくら金のかかんねー読書が素晴らしかろうが、知識が散歩を豊かにしようが、別種の飢えから目を逸らす言い訳にはならねーんだよゴミが。
ゴータマ・シッダールタが捨てるものすらなく最初から持たざる者だったら悟りを開けたか?自分を差し置いて豪邸の門の前で苦しむ者を見て、何かを思えたかよ?
俺は東京の裕福な家庭の生まれで東大卒だけど、東大には入れる知能を持って生まれた時点で恵まれてんだから謙虚になれよ。
やっぱり女って馬鹿だなって見下しちまうわ。
努力なんて人生においてはオマケでしかない。遺伝子と環境と運で決まるってその年になっても気づかないとか未熟すぎ。本当に東大卒なの?
ネットで定期的にそんな書き込みを見かけるけど、自分なりに疑問に思ってることを書く。
『本当の金持ちは敢えて上下ユニクロとかシンプル、でも靴と時計だけはこだわってる』
『本当に頭のいい人は難しい言葉を使わず、こちらにも分かりやすく話してくれる』
言われると確かに~ってなるんだけど、同時に引っかかる点もあったので、
自分の考えの整理のためと、ほかの人の意見も聞きたいので内容をまとめる。
疑問①『本当の』金持ちって表現があるということは『偽物の』金持ちがいるの?
この手の話の中には共通のイメージがあるようで、例えばお金持ちの話になると以下のような順序になる。
一般人 < ブランド品を身に着けて高級車を乗り回して自慢してくるタイプの金持ち < ひけらかさないいわゆる『本当の』金持ち
イメージとしては分かる。
少年漫画でも武器めっちゃ持ってるアーマー着たマッチョと、古びた刀一本持ってる寂れたジジイが戦ったらまず本当に強いのは寂れジジイの方だし。
でもブランド品を購入して高級車乗り回してるんだから、その人の金持ち度は偽物ではなくない?それを俺ら庶民が「ああいうのは本物の金持ちはしない」って否定するのおかしくない?
性格や容姿みたいな数値化しづらいものならまだしも、資産という明確に数値化できる指数があるのに、それをひけらかすと本物扱いされないのはおかしいのでは?という疑問。
疑問②それ『本当に頭のいい人』っていうより『我々のような馬鹿に対して置き換えや比喩表現での説明が上手い人』じゃない?
俺馬鹿だから周りの友達もずば抜けて頭のいい人っていなくて、サンプル数が少なくて申し分けないけどよォ、
人生の中で関われた頭のいい人って、理系の大学の教授数名と、元大企業の役員だった増田の働く会社の社長くらいなのよ。
客観的な数値を出したわけではないけど、まぁどちらも間違いなく日本人のトップ数%の頭のいい人だから、『本当に頭のいい人』って言っても差し支えないと思う。
そういう人の話に出てくるワードって、俺たちが理解出来るレベルの言葉に噛み砕いちゃうと、逆に齟齬が出ると言うか、事実と違う言い回しになっちゃう。
だから正しい言葉のまま発信する必要があるし、むしろ受け取り手が勉強していないとそもそも会話が成り立たない。
逆に表面上の浅い部分のみを、俺らに分かりやすく比喩表現を交えて理解出来るところだけ話してくる人って、せいぜい俺らよりちょっと頭がいい人とかくらいで、それこそ本当に頭のいい人って立場上俺らに噛み砕いて説明する必要が無い立場の人なんじゃねえかっていう推測。
疑問③『本当の~』で話題に上がるイメージの人、全員人格者過ぎない?
お金持ちにも頭いい人にも一定数性格が悪い人いるけど、『本当の』を付けると、何故か自然と人格者である事が求められる。でも実際は性格悪い人って一定数いるけど、そういう側面を見ると「本当のOOはそういう事しない」って否定される。
以下、推測
①意外性によるバズりやすさ
難しい事が分かる人『なのに』難しい単語を使わない
こういう「普通こう思うけど実はOO」みたいなのってバズりやすいから目に付く。
意外性がフックになって、読んだ人が納得すると豆知識のように拡散したくなり、結果目に入る回数が増える。
個人的にはこれがインターネットの民の深層的にあると思っている。
きちんと事業を成功させて、でもひけらかさずに謙虚な人とか最高じゃん。
俺らより何段階も頭良いのに、小難しい言い回しせずに真摯に分かりやすく話してくれる頭良いやつとか好きじゃん。
世の中自分より上の人ってそういう人がネットだと持て囃されるけど現実はそうじゃない。
お金あって性格最悪な人とか、頭が良く仕事が出来るけど、カタカナ語多用して伝わらないと馬鹿を見る目で見る人とか普通にいる。
だから俺らの防衛本能として、そういう奴らは『本物』じゃないって自分に言い聞かせてるんじゃないかという推測。THEインターネッツ。
これ書いてる増田は弱い人間だから、心のどこかで『俺の尊敬出来る良い人間が金持ちとか天才であってくれ』って僻み半分羨ましい半分で考えてしまう。比べてもしょうがないのにね。
関西出身の私だが北関東(南東北)人のプライドの高さには時たま驚かされる。
南東北の雄である宇都宮市にしばらくお邪魔したことがあったが、宇都宮駅東口を出た瞬間に希望は消えて砕け散った。
現在では無駄な路面電車を走らせたり、無駄なビルを建てたりして足掻いているらしいが、当時は立派な歩道橋とただ広くて汚い「無」が広がっており、その真ん中に何がしたいのかわからない、景観汚染も甚だしい汚い急拵えの観光客向け餃子施設(決して美味しくない)があるのみだった。
その周りを囲む繁も華もない繁華街はただただ汚く、違法行為を行う多国籍パブや足が異常に太くて汚い嬢が多数在籍するキャバクラ崩れなどが乱立する場末の吹き溜まりであった。
旧市街が西口側(東武側)であることを置いておいても、県下最大のメインステーションの真ん前でこりゃないでしょという廃れっぷりにただただ、頭を抱えたものだった。
その後、現地での活動を行う中で原住民との交流の機会も徐々に増え、その中であることに気づいた。
住み心地を聞かれた際に我々転勤族が返す「住む分には困らないですね!」これは「何もないですね⭐︎」をオブラートに包んだ地元民を刺激しないための返答なのだが、どうやら原住民は褒め言葉として受け取っているらしいことに気づいた。
それに返す原住民の言葉には大抵「東京も近いし〜」や「東京まで一本だし〜」などの北⭐︎関東⭐︎であるこの地を賞賛するセリフが次々に返ってきた。
どうやら原住民は本当に東京を心底身近に感じていて愛しているらしい。
(これはローカルテレビ局が機能しておらず、基本キー局が東京のローカル情報を常に放送しているためという説が濃厚)
東京まで直線距離にして約100km、在来線で約2時間1980円の道のりが近いという感覚は全くなかったのでただただ驚かされた。
新幹線があると言っても約50分、4500円、これが果たして近いのだろうか。
関西に当てはめると大阪市内中心部を基準に100kmの円を書くと京都府舞鶴市、福井県小浜市、滋賀県彦根市、三重県津市、三重県松阪市、
和歌山県田辺市、兵庫県相生市などとてもではないが「大阪に近い」なんて恐れ多くて口にできないような自治体が並んでいる。
特急や在来線を乗り継いでの大阪までの時間と値段も似たようなものだが、これらの地域で「大阪に近い」という自意識を共通認識として共有している地域は無い。
文法は間違えるしまともに議論はできないし本当に海外在住か疑わしいけどな
それは結局「hi→こんにちは」の変換を高速でやってるだけなのよ
わかった気になっているだけで本当の意味でhiの使い方をわかっているわけではない
thank youも一見簡単に見えるが日本語のありがとうとはかなり使い方が異なる
生の英語に触れていればその差異を多少埋めることはできるが結局ネイティブではないから限界がある
だからこそ常に自分の理解は正しいのか自問自答する謙虚さが大事なの
そういう謙虚さを忘れるとこの海外在住増田や菅総理を批判した連中のように大して英語もできないくせにネイティブや辞書の言うことを偉そうに否定した挙げ句恥をかくようになる