はてなキーワード: 真夏とは
よく分かる。
たとえば真夏の海で適度な多さの波が渦巻き、その頂上が太陽の光を反射してキラキラと光る光景を見たとき。
誰が、何のために、どうして自分にこの美しさを感じさせるのか。
デキ婚に対する偏見というか侮蔑の目というか、適当な言葉が思い浮かばないけど、デキ婚が良くないものとされる意見が大多数だと思う。
私はデキ婚や未成年での出産を批判するなと言う気は一切ないし思ってもいない。
ただ、ネットや同じ価値観の友人間で話している分には一切構わないけど、悪意を若ママ本人にぶつけるのはやめてほしい。
出産後落ち着いてから結婚指輪を買いに行った際に「やっぱり、あれ?キラキラネームっていうの?つけてたりするの?(笑)」と言われた事がある。
まさか客商売、しかも結婚指輪を取り扱っている店の店員がこんな発言するなんて。
同じように赤子連れの30代前後の客にはこんなこと言ってなかった。
私達が店内で騒いでいた、子供を泣かせたままにしていたなんてことは一切なかった。
他にも第2子妊娠中、第1子をベビーカーに乗せてバスを利用しようとした時。
「あのね!迷惑なんだよ!ベビーカーを乗せたら駄目って厚労省との取り決めで決まってんの!」と真夏のバス停で怒鳴られ、何分も他の乗客の前で説教された。
「すみません、乗りません、申し訳ありません。」と言っていたにも関わらず、勝手にベビーカーを乗せられ、終点に着いても降りることを許されずまた説教。
なにも満員の中ベビーカーで突撃しようとしたわけじゃない。ちゃんと車内が空いているのを確認したし、ベビーカーを広げているのが迷惑なら畳むつもりもあった。
それに厚労省はそんなこと言ってない。
上記の2人がたまたま特別おかしかったのでは?と言われたら「それな!まじであいつらおかしかった!」だけど、やっぱりチクチクと嫌味のような事を言ってくる人間はそれなりにいる。
赤の他人の頭髪が薄い方に「前髪が後退しているように見受けられますが、やっぱり育毛剤を使用しているんですか?」なんて言わないよね。
赤の他人に「あなた鈍臭そうだけど、会社では窓際だったりする?」なんて言わないよね。
私が若いから、子供が子供を産んでるから、何を言ってもいいと考えてる人がそれなりにいるんだなぁ。
これはなにも若ママ限定じゃなくて、若い女性、ハンディキャップがある方、趣味嗜好、なんにでも置き換えられると思う。
何かを好きな人がいれば、その何かが嫌いな人も、その何かに対して無関心な人も必ずいるしさ。
その「何か」に属する私が嫌いなのも構わないけど、じゃあ私が直接あなたに迷惑をかけましたか?って話。
過去に嫌な目に遭ったからそれに属する人間が嫌いっていうのもわかるけど、その過去の人と私は別の人間だから。
私が存在してるだけで許せないってなったらもうどうしようもないけど。
子供を産んでから色々な性質の悪意に触れてきたけど、その分色々な善意にも触れた。
なんだかんだでこの世は悪意と善意のバランスが取れてると思う。
禍福は糾える縄の如しって言うし。
善意の貯金を貯めて、悪意に触れた時はその貯金を削って、また貯め直して…ってできるから再起不能にならなくて済んだのかなってふと思った。
この子達もいつか必ず悪意に触れる時が来ると思う。
超絶引きずっている。
ほぼ10年欠かさず寝る前に彼の事を考えてから寝る。「父」「子供」「家庭」のワードを見かけるとすでに結婚して妻子のいる彼を思い出す。彼の住んでいた町の近くを通り過ぎ、「この風景を見ていたのだろうか」と考える。
10年前、別れたのがショックすぎて大学に通えなくなり留年。卒業するも就職は決まらず、やっと小さい会社に就職が決まるが仕事ができなすぎて試用期間で辞めさせられ、以後繰り返し。発達障害と診断され、職業訓練として通っていた学校は元彼が住んでいた町だった。そこで1年間通うこととなり、「もしかして会えるかもしれない」と期待に胸を高鳴らせていたが一度たりとも再会することはなかった。
別れる直前は、元彼が就職で他県に移住するというので本人に言わず現地へ就活してみたり(落ちた)、仲良かった頃のデート先へ一人で出向いたりした。別れた直後はそんな外へ出る元気もなく、泣いて泣いて布団から出られず昼夜逆転生活。風呂に行く気力もなく真夏だというのに1カ月間で入った日は5回くらいだと思う。トイレさえ行くのが億劫だった(膀胱が強くなった)。
今は手帳を取得して障害者雇用でちゃんと働いていて、メンタルが回復したのは感じている。だが、日課のように毎週私は彼の住んでいた町へドライブへ行く。①身内が近くに住んでおり送り迎えをしなければないらない②車の運転が好き、という理由もあるのだが、毎週通らなくてよい回り道をする度、「何してんのかな…」と思う。
正直今も彼が好きなのかは分からない。ただあの頃に戻りたいと思う。この意味のない自傷のような行動を、誰かに知ってほしい。批判してほしい。異常だと言ってほしい。顔見知りには痛々しすぎて話せない。
中止確定は時間の問題だろうから、忘れないように「東京五輪クソかるた」を作ることにした。
はっきり言って、もう、うんざりだから、自分が生きているうちはやらないでほしいというのが率直な感想だ。
個人的には、夏に招致しといて、札幌でマラソンやると決めたあたりから厳しいと感じていた。
ウソばっかで行き詰ったオオカミ少年のような東京五輪よ、さらば!
[追記]
たくさんのコメント、ありがとう。こんなにリアクションあるとは思わなかったので、帰宅して、驚いた。
自分も「クソかるた」をプレイしたいので、イラストの続きを求めたいところだけど、厚かましいかな。
批判だけなら誰でもできる、ならば、どうすべきか。
まあ何度も話題に出ていることなんだろうけれど、なんでオリンピック開催に反対するのかがよくわからん。
いや別に積極的にオリンピックやるべし!という賛成派なわけではないんだけれど、でも出来るんならやればいいんと違うと思うのよね。
日本の夏にオリンピックをやるのは狂気の沙汰だといわれた酷暑でしょ。
一応、エビデンスとしてコロナの感染力(かんせんぢから)は気温と湿度に大きく影響されるというのがあるわけですよね。
去年の夏場も、コロナそれうまいのか?くらいの感じが無きにしもあらずだったわけじゃないですか。
これ、オリンピックできなくもなかったのじゃないという感じだったじゃないですか。
今年もそうなるのは、だいたい想定されることじゃないですか。
まあ世界中から人が集まってというイベントだから難しい面もありますが、それでもなんとかなるんじゃないかなとも思うんですがね。
とはいえ、まあでもやらないんでしょうね結局は。
日本政府も本気で開催する気なんてなくて、ただ開催しないという決定をIOCにしてもらいたがってるだけなんじゃないのかな?と思うんですよね。
そうするといろいろと政治的な問題が解決されるはずなんですよね。
1点目
もちろん100人、まして10人や1人は極端に早すぎるタイミングだとも思います。
ただ、例え仮に100人という早すぎるタイミングで宣言したとしても、それを後悔する必要はまったくないんです。
「もっと感染者が増えてから宣言したほうが、緊急事態の期間を短くできたのに」なんてことは、ないんです。
ここからは2点目にも絡みますが、この「早いに越したことはない」理論の考えが唯一覆されるのは、ご指摘の通り、たとえばワクチンの普及や、真夏の自然減(?)などによって、「緊急事態を宣言せずに、回避できそう」な場合のみです。しかし、いまの日本の現状で、それが可能かというと、まず無理でしょう。
もちろん、何かしらの方法で、国民に高い意識(と知識)を根付かせて感染が増えない未来が来るなら、それに越したことはありません。
親からずっとブサイクブサイク言われて育ってきてるので、自分の容姿には非常に否定的な感情を持っている。
ちょっとはコンプレックスの解消になるかなーって美容院行ってみたりしてもちょっと小綺麗な不細工が出来上がって、よけい容姿の至らなさを認識するハメになったり。
最近のコロナ禍では、真夏でも堂々とマスク付けてていいってのがめちゃくちゃ楽だった。冬になったらいつもマスクとかネックウォーマーとかで顔隠した上にパーカーのフードかぶったりして、夏でもネックチューブみたいな日焼け対策のやつで基本的に隠してた。さすがに店の中だと周囲の目線が痛かった。今年はほんとうに楽だった。これは絶対被害妄想なんだけど、店員さんに嫌な対応されることがなくなった気がした。自分の容姿を気にしなくていいってこんなに楽なのか、めちゃくちゃデカいアドバンテージだなって思ってた。
本気で悩んで何年か前に整形外科で相談したこともあったんだけど、自分の顔どこを変えたいとか全く無くて。全体が不細工なんだよ。よくわからないんだけど、私は不細工だからどうにかしたい、そんな気持ちしかなくて、医者を困らせた。そりゃどこを変えたいかわからん奴に変えてほしいなんて言われても困るよな。無理に切ろうとしないあたり、ちゃんとした医者だったんだろう。ありがとう、そしてすまなんだ。
で、その医者に言われたのは、「客観的に見て、頭部が大きいのは事実。それを含めても、自分がどうしても直したいという気持ちが無い限り切る必要はない。」とのことだ。私が直したいのは不細工であって、顔じゃないんだな。書けば書くほど本当にいい医者だな。ちょっと恨んでたが、逆恨みでしかないな。自分の至らなさを恥じるしかない。
その中で誰みたいになりたいか、って話もあったんだけど、それも無くて。世間で不細工と言われてる芸人とか、いわゆるあの絵の通りのチー牛顔とか、全然不細工だと思わないんだよな。アインシュタインの稲田くらいでやっと「個性的だな」って思う程度で、そんなに不細工だとは思わない。ただ、ちょっと私と似てるところのある、とろサーモンの久保田とかは、その部分に対して不細工だなーって思ってしまう。たぶん私の脳味噌の中では、私の容姿がブサイクのイデアとして扱われている。そんな状態で整形しても、整形された不細工が出来上がるだろう。
あまり認めたくない話の一つなのだが、人間には感情というものが存在する。
例えばデブが服屋に行った時に「デブは着れる服が少ないんだからこーいう服でも着てろ」なんて言いながら服を差し出す店員なんていない。「身体のラインが柔らかい人はこんな感じの服が似合いますねー」とかなんとか、外敵から種を守る綿花のように、或いは訪れた人間の脂肪のように柔らかい言い回しを必死に探しながらサイズが大きくて身体のラインが隠れる服は無いものだろうかとサーチして少しでも小気味よく服屋を後にしてもらおうとするだろう。言ってる事は同じで事あるにも関わらずどうやらこの違いは心象というものに大きな影響を与えるらしい。
商売に限らず人間関係というものにおいてネガティブな言葉なんぞ使うべきではない。そんな文明人にとっては真夏の晴天に太陽を見るより明かな不文律を物ともしない人種がいる。それは殊職場というコミュニティに存在し、そうでなくとも度々見掛ける事がある「良かれと思って人に辛辣な事を言う人間」だ。人の落ち度や欠点を孔雀の羽のように押し広げながら恫喝しそれを悪びれもせず虫を潰して遊ぶ子供の如くくりかえす。そんな人間がこの世にはテーブルコショウの瓶に入っている胡椒の粒程度には存在する。
これが頓珍漢な事を言ってるならまだマシでコミュニティから駆除の対象になるだけであるのだが、鯵刺が魚を捉えるが如く寸分の狂いも無く正論を叩きつけてくる人間がいる。得てしてそういう人間は、本人は「デキる」人間であるが為にコミュニティの地位も高く、対して言われた方はぐうの根も出ない状況に追いこまれ雨風に晒されるトタンよろしく初めは徐々に、やがて一気に錆が回ってくる。
この手の人間への対処法として、よく「見返してやれ」という意見が存在する。非常に前向きな意見であるが、それは人参を吊されて延々と走り続ける馬の如く愚かな行為である。仮にその過程の上で一定以上の実力を得て相手を「見返せた」として、その相手は「アイツは俺が育てた」というハウステンボスもびっくりの花畑を咲かせそれを自身の成功体験にしてしまい、また別の人間に「教育」を施し悲劇の再生産が始まる。成功体験がある以上その過程で心が折れた人間がいたとして「使えないヤツだった」と思うだけでそこに自らを省みる思いは存在しない。
一つだけこれを回避する「見返し」かたがある。それは相手を凌駕する実力と地位を身に付けた上で「私怨」を報しめながら自身のやった事を反芻させ相手のコミュニティ地位を下げる事である。修羅を狩る物はまた修羅にならなければいけない。だが概ねの場合そうはいかないだろう。それまでその人物がそのコミュニティにいたということはその存在は許容されている訳であるから、「余計な騒動を引き起こした」という事で自身のコミュニティ地位も一緒に下がる事を覚悟しなければいけない。コミュニティに全体に対する寄与と差し引いた時の総評がどうなるかは場合によりけりだ。
疲れてるせいか、TVerでバラエティ見てると煩くて堪らない。アニメも気力が要るので見られない。
そんな中、今まで全く見ていなかったヒロシのぼっちキャンプを何となく視聴してみた。
これは…
静かでいい。
裏庭で焚き火するかな…隣人に奇異の目で見られるな…。カーポートで七輪が精一杯だな。網の上に何も乗っていない七輪(怖)
つーか、なんで(全部用意されてて出向いて焼くだけで食べられる)BBQって夏場しかやらんのだよ。冬もやれよ。ダウン着てやるよ。
まあ、夏場に海辺のユースの屋上に登ってやるBBQの開放感は最高だけどな。冬にやったら物悲しい荒波を眺めるだけになるけどな。
そんでやっぱりメタクソ寒いから、火に手を翳してみんなで背中を丸めるというダウンタウンの路地裏状態になってしまうだろうけどな。
秋や冬にメリットを感じない。秋の果物が豊富ってことくらいか?魚とか旬のもの食べないし。コメも食べないし。
紅葉とか見る余裕無いし(というか無残に枯れ果てた木々が余計陰鬱な気分にさせてくれるわ)
雪が降ってわー!なんてあるわけねえし。光熱費爆上がりだし。体調も崩しやすいし。
今年はそうでもないけど、秋になると冬季鬱まっしぐらでほんっとうにキツイ。
秋冬なんて観光地だけに来ればいいんだよ。
そんなこんなでヒロシのyoutubeチャンネルを登録して延々とキャンプ映像を見続けている。早く真夏のキャンプシーンに到達したい。
三島由紀夫没後50年という事で、三島由紀夫の短編集『真夏の死』を2編読んだ。
「三島由紀夫は実は〜」などとよく言われるが、「実は〜」なんてもんじゃない。
大人になり、あどけない少年からおっさんになってしまった三島由紀夫は、
鏡の中の自分に抱かれる事で自分を慰めることを見出したのかも知れない。
『煙草』で三島由紀夫の性癖を分かったつもりになっていたが、『春子』ではその認識を覆された。
「なるほど、おねショタ性の目覚めモノね」と読み進めると、TS願望、変則NTRと来て、そしてクライマックスのどんでん返し...とM方面への性癖レーパートリーが広い。
「年下の女単体には興奮しない。自分に惚れてる年上の女が見ている前で年下の女とイチャイチャして年上の女が嫉妬するシチュエーションに興奮する」という部分はS面が出ていたけど。
東京基準だと自宅は駅徒歩10分以内みたいなのがデフォらしいんだけど、しかし田舎基準(?)というか普通に長時間の徒歩に慣れてる人間基準でいうと、
べつに駅から30分歩いてもいいし、ていうか自宅から会社まで60分以下くらいなら徒歩通勤できるって人も多いと思うんですよね。
実際自分は2年近く片道徒歩40分を通勤してた。まあ雨とか真夏とかはちょっとキツいんで、アウトドアーな装備が必要になってくるんですけど。
「徒歩通勤」ってものをもっと普及させていいと思うんですよね、その選択肢を取る人が少なすぎるというか。それでいてエクササイズしてるの、意味不明。歩けば一石二鳥やん。
数年前にジョガーパンツが流行りだして、ズボン/パンツの裾がキュッとしまったシルエットが基本になったことがあったよな。
でも最近はその流行も落ち着いて、服屋に行くと、いろんなシルエットのズボン/パンツが売ってる。
目につく一つの傾向は、やたらと幅が広いシルエットだ。
最近はトップスもボトムスもやたらとダボダボの、オーバーサイズのシルエットが多い。これがとても個人的に嫌だ。
ファッション業界の流行の波かなんかしらんが、身長の低い奴が着ると絶対に似合わないようなシルエットをゴリ押しで流行らせようとするのはやめてくれ!!!
もうひとつ目につく傾向は、細く、短いシルエットだ。
くるぶしが出るくらいの長さ(アンクルパンツ)か、それよりもさらに短くて、脚を釘みたいに細く見せるタイプのやつだ。
シャープに見えるシルエットはそれはいいよ。でも、その丈、冬に寒すぎじゃない???
これからのクソ寒い季節に、真夏みたいに短いスニーカー用ソックスを履かないと見栄えしないシルエットって、無理がない?⁉?
ジョガーパンツ的なシルエットはなんか足首のあたりが落ち着くんだよ。で、冬も寒くないんだよ。
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。