はてなキーワード: 春の祭典とは
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
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https://anond.hatelabo.jp/20150214223556
( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――
その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。
「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」
「高度に発達した空想は現実と見分けがつかないくらい不自由なものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」
ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャーを要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランのことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。
明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間が必要だった。
「じゃあ、決まりだな」
こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランのキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身がディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。
最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手に惣菜とパンの店が見えてきた。看板にはアルファベットで DELI BAKERY と書かれていた。
「デレク・ベイリーのCD、今日こそは返していただきます」と彼は言った。
「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」
おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命のうねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実は物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。
「デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」
「そうです」
「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」
「猫たち、とはどういう意味ですか?」
「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」
「また拾ってきたんですか?」
「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」
「猫の方から入ってきた?」
「いや、入っていないし、出してもいない」
「じゃあどうして増えるんですか?」
「さて、どうしてでしょう」
「ちーちゃん、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、お客様にご挨拶だ」と上司は居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司が公園で拾ったとき、ちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。
「里子に出すまでの幼名だよ。正式な名前は里親がつければいい」
猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーはリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。
「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」
( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。
――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます。
( ・3・) それにしたって、そのアルバムの位置づけくらいは踏まえないと。
――では、Rate Your Music のページを見てください。
https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan
――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年に最初のピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギター、ハーモニカ、歌というフォークのスタイルで世に出ました。
( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。
――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディランは1941年生まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります。
――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます。演奏はフォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります。
( ・3・) どう変わるんだ。
――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナのヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。
( ・3・) 理解できない要素というのは?
Inside the museums, Infinity goes up on trial
Voices echo this is what salvation must be like after a while
( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ。故に一般に東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」
――どうしました?
( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。
――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?
( ・3・) ただなんとなく。
――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』は、カントリーのアルバムでした。
( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。
――捉えどころのない人である、というディランのイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年。
( ・3・) 33歳。――それだけ?
――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルだから」といったアプローチはとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。
( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――
――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています。
( ・3・) なんで? 有名な曲なの?
――ほかの曲より易しめだからです。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。
https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/
She looked at him and he felt a spark tingle to his bones
――ディランの歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンザから、どうぞ。
( ・3・) 訳すの? 俺が?
――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。
( ・3・) 夕暮れの公園に男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。
( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。
( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的な表現だな?
――もちろん。
( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園のなかにありき――
――?
( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?
――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります。
She looked at him and he felt a spark
( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。
https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137
――ついでにコード進行も確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
――まずは1小節目から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?
( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。
――はい。ラはサブドミナントのコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。
( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。
( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fmの構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?
――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?
――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントのコードがメジャーからマイナーに変化するときなんです。
( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまり、コード進行と歌詞の内容とが結びついている、と。
――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。
( ・3・) また誘導が始まった。1小節目から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コードの構成音のうちのひとつが半音下がるだけだし、曲のテンポもゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか?
――はい。11小節目から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう。
( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。
――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています。
( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
( ・3・) はっさく食べる?
この歌だった!
そういう時は
あのさ、
いよいよ私の近くのお蕎麦屋さんがざるそばやざるうどん始めたので
早速食べてきたわ。
お店のものと食べ比べてみようと思って、
いつもならだいたいお蕎麦にするんだけど
これは関東では少ないからざるうどんとなるとこちらの方が分があるかも知れないわ。
そんでね、
駅近にもう一見それはうどん屋さんには見えないような感じのするうどん屋さんが一軒あるのね。
蕎麦党だったからアウトオブ眼中を決め込んで行ったことがなかったのね。
でも行かなかったことに後悔!
今回のうどんのことがあったからもう今朝朝からうどん屋さんハシゴよ。
へーなるほどねってウドンワールドの春の祭典とを感じつつ食べたそのうどんはなかなか美味しかったわよ。
であとで寄ったお店は、
な、なんと夜の23時まで開いてるって言うからてやんでーばーやろーちくしょーめって言いそうなぐらい
夜にでも寄れちゃうじゃない!
コシに関しては家で作った製麺機での方が好きかな。
麺の長さ!
長いほど値打ちがあるって私も思っていた時代があった四時台なんだけど、
それは間違いね!
だって長すぎると流石に食べにくいわよ!
ほどよく箸で持ち上げて良い具合の長さが良いのねって。
あまり長すぎるのも何だわ。
意外とうどん麺が重いのよね。
持ち上がらなくなっちゃう。
で、その2軒目によったおうどん屋さんも長めの麺で、
そりゃおつゆのお猪口に入れるのが大変よ!
ああ、これか長けりゃいいってもんじゃないってことは。
実定的にそういうもの!って思ったわ。
なんでもほどほどなのね!
それはさておき、
ゴールデンウィーク中って意外と人少なくない?
ふなばしアンゼルセン公園は案外穴場よ!
うふふ。
ちょっとハマりそうね。
今度混んでなかったら行ってみたいわね。
もう冷やしても良いぐらいなんだけど、
さすがにまだそれを一気にはと思うので、
夜煮出して置いてそのまま放置しておけば朝になれば飲み頃の温度になるから、
そうやって作ってるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
近親調以外の転調を遠隔調への転調と定義することで、調性圏内の和声は飽和した。広い意味での調性、あるいは無調、またそのようなものの連結は、厳密には定義されず、慣習として認知されるにはまだ歴史の積み重ねが足りない。
もともと、教会旋法があり、そこからの選別を経た結果として残ったIonian、Aeolianが一時は主導権を握り、和声的連結ももっぱらこの二つを考えたものだ。
ところが19世紀、ドビュッシーが教会旋法を再評価する。(厳密にはドビュッシーに限らず、かのリストや数々の音楽家から群発的様相をもって現れてきたものだが、代表はドビュッシーである、ということは異論はないはずだ。)そのドビュッシーの「帆」は、全体にわたってMTL1、すなわち全音音階が散りばめられ、幻想的な雰囲気を醸すことに成功している。後にも先にも全音音階が効果的に使われたのはこの曲のみといっても過言ではない。
この時期は、既存和声の崩壊が随所に現れる。トリスタン和音、神秘和音といった概念はこれまでの和声に衝撃を与えた。型破りな進行と、限定的、効果的なものが共存したそれは矛盾をはらむことなく組み込まれていくこととなる(もちろん、穏健的な層からの反発はあった。今でこそ評価の高いドビュッシーの作品すら「誤用」と声を挙げるものもいたのだ。)
SomethingNewを求めた先に、過去の歴史の再評価があったとはなんとも興味の惹くところだが、この時代の印象主義に限らず、あらゆる作曲家は新たな音楽観の萌芽を享受し、育んでいったのだ。
また、クラシック音楽界隈以外にもJAZZの誕生など、別方面からムーブメントが起こったのは見逃せない。巨大な市場が成立すれば、作曲家も無視するわけにはいかなかったのだ。JAZZ史を俯瞰するだけで何十万字という文章が書けるが、今回は省略しよう。とにかく、新たなアプローチが産声をあげ、互いに影響されたのだ。
そのなか、新規性が斬新さを持ち過ぎて受け入れがたい空気が醸成されたのもまたひとつの事実である。ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、初演当時そうそうたる作曲家――ドビュッシーやサン=サーンスなど――が席を同じくしたのだが、その結果は賛否両論がふさわしく、それ以前「ペトルーシュカ」まで彼を評価していたドビュッシーすら、この演奏以降をもってアンチポジションを取るようになるほどのものだったのだ(もっとも、ニジンスキーのあの振り付けを初めて見て冷静に評価しろというのもなかなか難しい注文だと思うが)
これを期にして、というわけではないが、今後の音楽シーンは「クラシックな」ところから乖離していく動きが目立つようになる。シェーンベルクがドデカフォニーを確立し、システム的な面が強調されるようになる。後のセリー技法に直結するこの動きは、今日穏健派からは黒歴史認定されている。
時系列的に和声の展開を捉えれば、それは不協和音程の和声的獲得である。現在パワーコードやモーダルクラスターなど、ごくごく当たり前に用いられるのも、こうしたプロセスを経たものである。
では、この先どうなるのだろか。
すでに一部急進派は、微分音を積極的に導入し、1オクターブを何十分割にもしてきた。穏健派も遅れながら、限定的な用法で微分音を導入しつつある。十二音を崩壊させてどこへ行こうというのだろう。