はてなキーワード: 憂鬱とは
「猫を毒殺してるおばさんが近所にいた」って話を書いてるだけの増田に対して、
以下ブコメ
RRD 増田も狂ってる
俺は猫好きだけど猫好きなら猫好きじゃない人の感覚も理解するべきでは。
こういうキチ達がいるから猫好きって困った人多いみたいなイメージ持たれるんだろなぁ……。
oh_yeah_kimio 誰かの管理下にない猫って正直害獣だもんな。ねずみやゴキブリと不快度変わらん人だってそりゃいるでしょう
ledlizerd ネズミやモグラの駆除は家で毒餌なり撲殺で退治してもなにも言われないのに猫は保健所への対応してないと指摘されるのもなんだかなという気持ちはあるな…猫は好きなのでそんな風に死んで欲しくはないけれども
vndn 行政がネコを処分する確実で妥当な方法をもっと周知・提供すべきだと思う。被害を受けている人間が「飼い主を探そう」とか言われるのはおかしい。路上からネコを消した後なら殺処分もゼロにできよう。
ブコメが全員キチってるわけじゃなくてこういう中立的なブコメもあるので安心はするが、前半のネコキチみたいな人が近所に住んでたら憂鬱すぎる。
新型コロナウイルスが怖い事は知ってる。
老若男女関係なく感染すると色々後遺症とか残ったりして大変なことになることだってわかってる。
外に出て、みんなと会って、酒とか飲んでワイワイしたい。
だって辛いんだもん。
居場所がないって、ほんとうに辛いよ。
こんな狭い賃貸の部屋で毎日ずーっと体操座りして耐えるなんて、できるわけないじゃない。
なんか、オンライン飲み会をしろとかなんとか、なんでもオンラインでやれって言うじゃない?
言われた通りにオンラインでやってみたけど、全然楽しくなかったよ。
(初めてやったときは確かになんだか不思議な感じだねーって新鮮な気分にもなったけど、最初だけだったな)
ちっさなスマホの画面なんかじゃ、やっぱりみんなと顔を合わせてる気分になんかなれない。
1つの画面に一人しか収まらないし、ワイワイしてる感じも全然ない。
自分のパソコンとか持ってる人は「みんなの顔が見れてむしろこっちの方がいい、またやろー」なんて言う子もいるんだけど、
パソコンなんて高い買い物、できないし。
もちろん、新型コロナウイルスにあわせて、世間がオンラインに寄っていってることだって知ってるよ。
Youtubeとかそういうのをは日頃からみてるけど、今更それだけで過ごせって言われてもって感じだし、結局手のひらの上にしかその世界がない。
パソコンとか、そういうのを使う前提でオンラインでやれとか言われてもうちらには絶対に無理だし。
LINEで友達とチャットしてて、「今ここの人、誰も感染してなくない?」てなったんだよね。
なら、うちらだけで会うなら、リスクゼロじゃんって話になって、久々に外でみんなと会って、
んで、別にそれで感染なんかも誰もしてないし、お店もちゃんとアクリル置いたりアルコール消毒したりしてるし、
それだったらもう別にうちら自粛なんかしてても意味なくない?ってなっちゃうよね。
実際意味なんてないと思うし、今まで憂鬱になりながら自粛に従ってたうちらなんだかバカみたいに思えてきたりなんかして。
居場所を奪われたら、新しい居場所を見つけようなんてシャレたこともたまに聞くけど、
他の人がいるから、居場所という概念が生まれるわけであって、ここには自分しかいないのにどうやって居場所を作れっていうの?
手のひらサイズにおさまる世界のちっぽけな居場所にすがるような矮小な人間になるつもりなんてないし、うちらやっぱり外の世界の人間だって認識した。
このギャップによるストレスが積もり積もったのが自粛疲れって言われてるやつなのかぁーって納得もしたし、
多分、今外でワイワイしてる人たちはみんなおんなじなんじゃないかなーって思うよ?
自粛しない、アホな奴らだなんてSNSとかで言われてるらしいけど、あなたたちも逆の立場になったら同じことするんじゃないの?って思うよ。
居場所がないって、自分を自分と認識できる場所がないってこと。
これがどれほど恐ろしいことか、想像してみればいいと思う。
日常のほとんどを取り上げられた人生って、想像もできないと思うけど、つまり、それほど恐ろしいってことだからね。
今うちらが日本に求めることは、とにかく居場所を返して欲しいってこと。
元いた場所に戻ったら、世間そこらから汚らなしいものをみるような視線を向けられ、人差し指刺されながら汚い言葉で罵倒される。
うちらの場所をそんなところに変えてしまったのは、元はと言えば新型コロナウイルスだってのはわかってるけど、助長したのは国の方針なんだから。
とにかく、現実を返してほしい。
はやく死ね。
アル中とか癇癪持ちとか家に金入れないとか子供の面倒全部親戚に押し付けたとかばあちゃん殴り殺したとか妻と20年近く別居してるのに離婚してないとかそういうのはマジでどうでもええ。
容器の口開けずに電子レンジ使うところとか食べ物こぼしたらティッシュでぐちゃぐちゃ拭けばいいと思ってるところとか一人だけスリッパ履いて生活してるところとか家族で使う洋式便所で立って小便するところとか風呂場で水バシャバシャ飛ばすところとか洗濯機に制限以上の服突っ込むところとか自室がバカみたいに汚いところとか。
とにかくお前と一緒に暮らしてると家が汚れる。家が嫌いになる。特にトイレ。トイレいくたび小便アイランド見せられて憂鬱なるわ。死ね。
何度か伝えたけど全部無視したよな。自分に都合のいい話だけ耳傾けて他はすべて我関せずですか。
俺が一人暮らし始めたらお前が寄生してる実家からは出てってもらうからな。お前の老後なんぞぜってー見ねえから、裏のまいばすあたりで野垂れ死ね。
殺意が募るといっても私が直接その相手と会ったことがあるわけではない。
その相手とは私の好きな作品の作者/製作者/監督/ディレクターであり、私は単なる読者/視聴者/鑑賞者/プレイヤーでしかないからだ。
詳細は省くがその元凶が携わった作品で私にとって許しがたいある出来事があった。
同担の多くは恨み、嘆き、憤った。私もその一人だった。
殺意まで抱いたのは私一人だけなのか、あるいは表に出さなかっただけで他にもいたのか。私には知る由もないが、いずれにせよ私はその元凶に殺意を抱いた。
それだけならよかった。抱いたところで元凶の居場所はわからないのだからどうしようもない。
怒りは時間とともに薄れるものであり、苦い思い出として残るだけのはずだった。
誰かに殺意を抱いた経験がある者はそれなりにいるはずだが、実行に移す者は数少ない。私もその一人になるはずだった。
ある日Twitterでその元凶が行きつけの店を紹介してしていた。
店の名前がわかる画像をツイートしていて、よく行く店だという趣旨のことを添えていた。紹介というのは言いすぎかもしれないが、私にはそれで十分だった。
その店は私の生活圏にあったからだ。行こうと思えば気軽に行けるような距離だった。
やる理由はすでにある。できない理由が消えてしまった。不可能から可能になってしまった。つまりそれを理性で抑えなければならなくなってしまったということだ。
言うまでもないが実行に移す気は微塵もない。
できない理由が消えたところで、やらない理由はいくらでもあるからだ。
家族へどんな世間の目が向けられるか。何十年も刑務所で過ごすほどの覚悟はあるのか。元凶の家族にも罪はないだろう。なによりやったところで気分が晴れるわけでもないのはわかりきっている。
しかしどれだけお題目を並べたところでやる理由は私の中にある。やろうと思えばできてしまう。
母親、もともと韓国ドラマとか中国ドラマとか好きな人間なんだけど、なんか知らないうちにスマホでなろう系とかティーンズラブ系の小説読み漁るようになってて引いてる
悪役令嬢とか転生ものとかそういうやつね
すげえハマってて昼間から深夜の3時くらいまでずーっとスマホ眺めてて昨日なんか家事ほっぽってたから当番の日じゃないのに代わりに洗い物とかしたわ
そりゃ寝不足にもなるし動けないだろって感じなんだけどこっちがオンライン授業受けてる横でずーっとスマホいじってるのイラつくし気が散るんだよな(お互い自分の部屋がない)
挙げ句の果てには「そっちはただ座ってるだけだからいいけど」とか言い出してさあ じゃあお前がRとかPythonとか動かせるのかよやってみろよこっちは洗濯も料理も出来るんだよ数学から逃げて文系に行ったのにプログラミングとかやらされて辛いんだよってキレそうになったけど口論ってマジ時間の無駄だからやめた
2020/1/19(コロナ前)
去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。
福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。
他者との交流の代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。
プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。
結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。
この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。
来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから、来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由に決断できる環境なんだろうか。
あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。
「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。
顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOだから、これはもう宗教なのかもしれない。
中高での毎日の礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているか分からない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。
この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰な自分がそれを選んでこなかっただけだ。
いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。
結局死に向かって突き進むほかないのだから。
この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。
2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。
いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。
私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。
なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。
ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生の目標なんて考えない。目の前の時間を問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。
八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。
コロナで死ぬと遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまりに不憫で可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。
だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。
あまり苦しまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分が死ぬ事実を、家族が理解できるスピードで終わらせたい。
流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定の説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実だけが残る。精神が鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。
この世界を変えた感染症が収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめじめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。
これを読んでドキドキしている。
これまで新生児や乳幼児が可愛いと思えず、大学の女友達グループラインとかで出産報告とともに写真が流れてきても、右に倣って「可愛い」というのも苦痛で、スルーしてきた。
妹の出産予定日が過ぎたばかりの今、増田の記事を読んで、もうすぐ身内の子供を「かわいい」と言わねばならない日が来るのだとふと思って怖くなった。むしろなんで今までその考えに至らなかったのだろう。
親には、自分が新生児や乳幼児が可愛いと思えないことをカミングアウトしていて、一応理解はしてくれていて、例えば従兄弟が赤ちゃんを見せに来ても、私は顔を合わせなくていいようにしてくれていた。
しかし今まで、妹とその話をしたことがあったかが定かではない。(もしくはしたけどもっとライトだったか、かなり時間が経っていると思われる)
体調がずっと悪く、入院も経験した妹(今もこれからも精神的にも不安定なのではないかと思われる)に今更この話を振ろうとも思わない。
自分の子供は別だ、はよく聞く。でも自分の子供ですらキモかったと言う人もいる。
結局のところその時にならないと分からなくて、一目会おうものなら目に入れても痛くないほどかわいくなっちゃう可能性も万に一つくらいはあるが、どう考えても、かわいいと言わざるを得ない状況になりそうな可能性の方が高く、憂鬱だ。憂鬱だと思ってしまう自分を責める気持ちもあって、ここに吐き出しにきた。
この時期に妊娠出産を決意した妹夫婦を尊敬するし応援しているし、できることは手伝うつもりではいる。
でもそれとこれとは話が別なのだ。どうか強制しないでくれと願う。でも「かわいいでしょ」聞かれたら、複雑な顔で「ソウダネカワイイネ」というしかないんだろう、大人だもの。つらい。
Y:文章を書くのは好きな文系出身。うっかり第二新卒で大企業で働くことになった。
Mくん:Yの同期で工学系の院卒。国家資格を複数持つエリート。
Yと研修で同じグループになり、仲良くなった。基本的にヘラヘラしている。
ーーー
今日は部屋に同期のMくんがやってくる日だった。
*
(ボーナスも入るし、そろそろ家具を新調したいなぁ。在宅で残業するのに今の椅子だとちょっと辛いし…)
数日前、Yは在宅勤務での残業が辛くなってAmazonで新しい椅子を探していた。
「在宅勤務におすすめ」と書いてある特集ページを見ていると、今の部屋の雰囲気似合いそうなゲーミングチェアを見つけた。
(ゲーミングチェアって黒地に赤とか、やたら光るやつとか中二病のイメージがあったけど、レザー調のもあるんだ。
少々値段は張ったが、レビューの評価もよかったのでYはベージュのゲーミングチェアの購入ボタンを押した。
その恐ろしさも知らずに…。
*
届いたのは、予想を超える大きさのダンボールだった。
玄関に入れるのがやっとのことで、洗濯機でも入っていそうな大きさだった。
やっとの思いで出したパーツを床に並べ、手順書を開いて組み立てに着手する。
キャスターを土台に入れ、ガス圧調整レバーを差し込み、その上にカバーをかける…はずだった。
(あれ、キャスターが土台に入らない…)
色々な角度から嵌め込もうとするが駄目だった。
キャスターの根元についているリング状の金具が邪魔しているようにも見えたが、
手順書に書いていないことをしたら余計面倒なことになりそうだった。
(だめだ…)
その日は疲れてしまったので組み立てを諦め、同期のMくんに愚痴を言った。
「ゲーミングチェアを買ったのに組み立てれなくて詰んだ」、と。
ただの愚痴を言うはずが「じゃあ手伝おうか」と予想外の提案を受け、心臓が飛び跳ねた。
こんなことってあるのだろうか?
(そもそもMくんを部屋にあげてもいいのだろうか?
このまま組み立てられずにいるのも嫌だけど、わざわざMくんに来てもうのも悪い。
男性を部屋に入れるのって何年振りだっけ…?
でもせっかく提案してくれてるし断るのも変か…?)
「うーん、じゃあお言葉に甘えて…!」
ぐるぐると考えたが(考えても仕方がない)と思い切り、
Mくんに組み立てをお願いした。
*
そして冒頭部分に戻る。Mくんが部屋に来る当日だ。
(不用品は捨てたし、シンクも磨いたし、洗面所も隅まで磨いた…)
できる事は全部やったが、それでもYは不安だった。
プレゼン前よりも緊張していた。
Mくんに対して差し当たってできることは、自分の部屋に対するイメージを下げておくことだった。
あらかじめ部屋の綺麗さのイメージを下げておくことで、現実のギャップを減らす作戦だ。
「めっちゃ気にするじゃん」
「それもう、気が気じゃないよ…
家事できないのバレるし家具の組み立てもできないの恥ずかしいし」
緊張の中、部屋の鍵を回す。
ガチャリと音が鳴って扉を開ける。
Mくんに入ってもらうと、さっと靴を脱いで揃え、手前の洗面所に向かった。
(ここまで誘導の通りだ)
Mくんが手を洗う。
「汚部屋って言ってたけど、ここまで汚いとか特にないんだけど…?」
「いや、このスペースにある分だけ」
「確かに一人暮らしだとこれくらいでいいかも。今度引っ越すから参考になる〜」
そうして奥の部屋。
「え、別に汚部屋じゃないじゃん!カーテンとベッドカバーの色とか揃ってるし
とっさに大きな声を出してしまった。
(Mくんと密室ってだけで緊張するのに…自分のだらしない所まで見られたら死んでしまう!!)
「はいはい、これを組み立てればいいのね」床に散乱したパーツを見てMくんが言う。
渡した手順書をふむふむと読んで「え、ここで躓いてたの?」と少し驚かれる。
「すいやせん…」
Yがしみじみと謝っている間、Mくんはしれっと土台に4つのキャスター全てをはめ込んだ。
「え、早くない…?神?教祖って呼んでもいい?」
「教祖になるつもりはないな〜」ヘラヘラ笑いながら、Mくんはやすやすと組み立てていく。
またたく間に椅子らしい形が出来上がってきた。
「このパーツと背もたれを繋ぐ時、ちょっと床傷つけそうだからベッド借りてもいい?」
「え?う…うん」
ベッドを使うことに異存はないが、Mくんがベッドにいると思うと、ドキドキする。
変な緊張をしているYをよそに、Mくんは「作業者」として完璧だった。
手順書を読み上げ、パーツや作業内容に誤りがないか一点一点確認する。
可動域を調べ動作確認をするMくんの手つきが滑らかで、綺麗だった。
「はい先生!」Mくんの手つきに見とれていると、指示が飛んで来た。
背もたれの部分だけでも結構な大きさだったので、片手で支えながら座席部分と組み合わせるのはかなりしんどそうだった。
Yが背もたれの部分を持ち、応援する。
「あ、助かる」
「うん…」Mくんとの距離が近くなると当然ながらMくんの香りがする。なんとなく安心する香りだった。
(柔軟剤の香りかな?いい匂い。あと首筋きれいだなー)Yはぼんやり見とれてしまった。
「あー、来週の構築作業もこんな感じなんだろうなぁ」組み立て作業中のMくんが仕事の話を投げてきて、急に現実に引き戻された。
Mくんの「聖域」を邪魔できるはずもなく、ただ作業を見守っていた。
*
座席と背もたれを接合し、土台にはめ込む。
それにフットレスト、アームレスト、各種クッションをつけて、ゲーミングチェアが完成した。
できたてほやほやのゲーミングチェアに座ってYが「わーい」とはしゃいでいると、Mくんがぐるぐると回して来る。
「この椅子本当にいいな〜持って帰ってもいい?」
「じゃあ作業費3万もらうわ」
「そこを同期割でなんとか」
「1万5千円になりますね」
「いや高いわ!」冗談を一通り言うと「よし、じゃあ撤収する!」とMくんが言った。
「来週引越しだよね?荷造りとかお手伝いします…」とYは申し出た。
「うーん、来週はちょっとスケジュール的に難しいんだよね。夜勤だし」
「そっかあ。じゃあ今度なんか奢らせて!」とYはぼんやりした提案しかできなかった。
(こんなんじゃ社交辞令みたいじゃないか)いつものことながら、
YはMくんと会うと、いつも言いたいことを言いそびれる気がする。
*
Mくんと駅まで他愛のない話をしながら歩く。
「またなんか組み立て必要だったら呼んで」へらりと笑ってMくんは言う。
「まじか、本当に助かる…」
じゃあ、と言ってMくんは改札まで向かう。
じゃあね、と言ってYはくるりと方向を換える。
Yは少し歩いて振り返ると、Mくんが階段を降りようとしていた。
後ろ姿まで颯爽としている。
ぼっちで休みにやることがなくて持て余してたから助かった感すらある
仕事に疲れ切ってからの休みは有難みがあるが、3日休めば疲労回復し、
2~3日するとやることがなくなり、仕事やったほうがまだマシな感じになる
この人と一緒に働かないといけないの辛すぎて転職考えるレベルだわ。せめて素直な人ならいいんだけども。
辞めてくれないかな。
・最近Youtube見始めたんだ → 推しYoutuberは?
なんなの?
誰か推さなきゃいけない掟でもあるの?
いやさ、分かるよ。言いたいことは分かる。
好きなものの話になったら、とりあえず出す話題の1つだと思う。
オタクは好きなものを話せるだけで嬉しい生き物だから、有効な一手だろうさ。
でも辛いんよ。その空気。
俺なんかまさにそうだけど、別にアニメゲームが好きだからって推しがいるわけじゃないんだよ。
マリオは確かに好きだよ。でもペーパーマリオは方向性が違うから苦手だし、そもそも全部のマリオシリーズを揃えてもない。
VTuberも好きだよ。でも特定の誰かが好きなわけではなくて、切り抜きで面白そうな話題だったりシチュだったりがあったら見る程度。
辛いなって思ったエピソードとしてちょっと自分語りさせてもらうんだけど、
俺としては普通に謎解きとかやりこみ要素の深さとか、そういったゲーム性が好きでおすすめをしたわけなんだ。
そしたらその友人、まさかの「リンクとゼルダの関係性」にドはまりしちゃったらしい。
(そちらの界隈の方々を貶すつもりは毛頭ないのでことわっておくと、別におかしい話だとは思ってないぞ!
友人のハマりっぷりといったら凄くて、あらかたゲームを楽しんだあとは創作にも手を出し始めたそうだ。
それで、俺もゲーム自体は好きだったからちょっとのぞかせてもらったんだ。
そしたらそのコミュニティの方から開口一番、「好きなキャラorカプは!?」って聞かれて、
タイトルの疑問、というか不満を感じたわけだ。
結局そのコミュニティで「謎解きの楽しさが~」とか「自由度の高さのなかにも絶妙な制約が~」とか話しても、
「お、おう…」みたいな空気になったのさ。
推しの話をされた俺と同じ反応よね。そもそも摂取してる部位が違う。
多様化が進んでる今、どんなコンテンツにも無限の楽しみ方があると思う。
でもとりわけオタク向けといわれてるコンテンツに関して、「推し」っていう概念が強すぎやしないか?
俺もう誰とも趣味の話できないよ。
伸びすぎわろうた(真顔)。
「オタク」じゃなくて「オタク界隈」が正解です。それでも主語デカ問題かもだけど。
わかる
よかった、息苦しく感じてるの俺だけじゃなかったんだ! って少し楽になったよ。
ほんとありがとう。
箱推しって言っとけ
あー、うん。今はそうしてる。
とはいえ別に全員をまんべんなく推してるわけでもないから、違和感すごいけどね...。
こうして俺も何かしらを推している(と見せかける)ことで、「オタクなら推しいるやろwww」って空気に拍車を掛けてるんだなと思うと、ちょっと憂鬱にはなる。
今は現実世界で俺の話に全力で乗っかってくれる優しい彼くん(満点大笑)がいるので、おとなしくしておきます。
一見厳しいこのコメントだけど、なるほどなと思った部分があったよ。
コミュニティに入る理由って大抵は「共感を得たい」「語り合いたい」だと思うんだけど、ネットでは前提として発信力が必要なんだな。
じゃないと、そもそもコミュニケーションがとれないもの。確かにそんなやつコミュニティに入れても...ってなる。
で、その大前提となる発信力を測るのに最適な物差しが「推しへの熱量」なのかなって感じた。
新たな気づきを得られた。ありがたや。
入るべきコミュニティを間違えてる
見てる世界狭くない?
そうかな...そうかも...。
こんなに反響あると思わなくて、完全に体感ベースで話を展開したのはほんと申し訳ないなって思ってる...すまない。
俺と似た考えの人もいるみたいだし、その集まりをうまく見つけられたらいいな。
ふふってなった。