殺意が募るといっても私が直接その相手と会ったことがあるわけではない。
その相手とは私の好きな作品の作者/製作者/監督/ディレクターであり、私は単なる読者/視聴者/鑑賞者/プレイヤーでしかないからだ。
詳細は省くがその元凶が携わった作品で私にとって許しがたいある出来事があった。
同担の多くは恨み、嘆き、憤った。私もその一人だった。
殺意まで抱いたのは私一人だけなのか、あるいは表に出さなかっただけで他にもいたのか。私には知る由もないが、いずれにせよ私はその元凶に殺意を抱いた。
それだけならよかった。抱いたところで元凶の居場所はわからないのだからどうしようもない。
怒りは時間とともに薄れるものであり、苦い思い出として残るだけのはずだった。
誰かに殺意を抱いた経験がある者はそれなりにいるはずだが、実行に移す者は数少ない。私もその一人になるはずだった。
ある日Twitterでその元凶が行きつけの店を紹介してしていた。
店の名前がわかる画像をツイートしていて、よく行く店だという趣旨のことを添えていた。紹介というのは言いすぎかもしれないが、私にはそれで十分だった。
その店は私の生活圏にあったからだ。行こうと思えば気軽に行けるような距離だった。
やる理由はすでにある。できない理由が消えてしまった。不可能から可能になってしまった。つまりそれを理性で抑えなければならなくなってしまったということだ。
言うまでもないが実行に移す気は微塵もない。
できない理由が消えたところで、やらない理由はいくらでもあるからだ。
家族へどんな世間の目が向けられるか。何十年も刑務所で過ごすほどの覚悟はあるのか。元凶の家族にも罪はないだろう。なによりやったところで気分が晴れるわけでもないのはわかりきっている。
しかしどれだけお題目を並べたところでやる理由は私の中にある。やろうと思えばできてしまう。
人を死に追いやるのに刃物も鈍器も銃もいらねえよ そいつの情報と、悪意と、ネットに書き込むための方法があればいい
まあ自殺したレスラーやネットを憎む怪物になったモノマネ芸人がいるからねえ 誰一人として加害者は裁かれてないし
何が怖いって勘違いと早とちりでいたずらスクリプトで送検された女の子を批判しちゃった時に 「ネットリンチする側の快感知っちゃったかぁ」「俺があいつを叩いたのは間違いじゃな...