はてなキーワード: 定時制とは
働いたら負け理論やダンピング防止理論を感受性の豊かな時期に浴びて「俺もストライキに参加するぞ!」とニートになったのが20年前。
でもある日「プロレタリアの中途半端なストライキなぞ無意味だ。世界を変えたいなら自分がルールを作る側になるべき」と考え「官僚」になった。
Q.貴方は会社の人事です。転職エージェント経由で「長いニート歴のある高卒(しかも定時制だ!)。職歴は公務員のみ。趣味はネットとゲームのみ。特技もなく、前職の経験は役所の事務員」という非常に虚無い応募者が来ました。採用しますか?
ほぼ平成生まれなのにJTCの果ての果てみたいなお役所で働き続けること、それが俺に残された人生だった。
悲しい。
もしも思春期の俺がネットにかぶれず「いやーゆーて一過性のものでしょ?つうか散々個人的生存戦略を走ってきた世代の語る「今度こそ一緒に堕ちようね」とか信じるだけアホでしょ?」と考えられていれば。
俺はそこそこ頭がいい。
御三家よ旧帝は無理でも早慶マーチぐらいは狙えた地頭があるはずだ。
それを完全に無駄にした。
反ワクや嫌韓で人生を棒に振った奴らこそが俺の兄弟なわけだな。
あー辛い。
死ぬまでロクに残業代も出ないしスキルも身につかない仕事をするんだろうな。
メールソフトの使い方も知らない現場上がりの爺さんにEXCELを教えて、見返りに砂消しの上手い使い方を教わる。
これが俺の人生なんだな。
完全テレワークでクリエイティブな仕事を令和の倫理観ですすめる人生にはもう戻れないんだ。
後悔しかねえよ。
俺はさ、氷河期共に騙されたんだよな結局。
アイツラ吠えるだけ吠えておいて自分らはヘコヘコするだけじゃねーか。
レジェンドアサシンYの登場で目が冷めたよ。
本気の奴が一人でもいたら起きてた未来が起きないままの20年だったんだって。
お前らは結局本気で世界を変える気はなくて、ストライキさえも他人にやれというだけで自分はコソコソ告げ口するだけの太鼓持ちしてたんだ。
完全に理解したよ。
騙された。
本当に悔しい。
↓1968年生れの56歳だけど、たしかに子どものころはこうだったわ。
雨に濡れると頭が禿げるって姉に教えられた記憶がかすかにあったけど、あれは核実験があったからだったのか。今知った。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6094985.html
【悲報】昭和(高度成長期1954~1973) の日本、ヤバ過ぎるwww
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・高校進学者はほぼ夜間の定時制で昼間の重労働でばたばた過労で倒れた
・東京との賃金格差が広がり地方の過疎化と高齢化が始まり三ちゃん問題が発生
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・下水がないので、バキュームカーという糞尿収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる
一人暮らしを始めた。今年24になる。一人暮らしを始めるには遅い方だと思う。
家から片道1時間半近くかかる部署に異動になって一人暮らしを決めてから、こうして暮らし始めるまで、気づけば半年近く経っていた。
今年の初めに母親が家を出て行った。父が年末年始実家に帰っている隙にと、前々から契約していた部屋にごっそり荷物を持って、父に知らせずに出て行った。
最後の日、いよいよ自由になる母の乗ったタクシーが、新しい部屋に向かって走っていくのを1月2日の私はずっと見ていた。もう母と一緒に暮らすことはないんだなあと、そう思った。そして少し泣いた。
モラハラ気質の父と、そんな父のことが大嫌いな兄と、控えめな母。金銭的に不自由することはなくても、昔から仲は良くなかった。兄が母親側につくことが多いから、自然と私は父親側につくことが多かった。思えば父が運転する時は決まって私が助手席で、母が運転する時は兄が助手席だった。たまに外食する時の席も同じ。子どもと妻を置いてすいすい歩く父を懸命に追いかけるのも私だけだった。
家から自転車で通える距離にも関わらず、兄は高校進学と同時に寮に入った。そうしたら、私が一人でバランスを取らなければならなくなった。母の更年期と兄の思春期と私の反抗期でだいぶ前から荒れに荒れていた家をどうにか保たなければと、私なりに頑張ったつもりでいた。
自傷行為がやめられなくなった。中学はどうにか卒業した。不登校になった。高校を辞めた。そのあと定時制に入り直した。無事に進学して、普通に就職した。
母親も父親も大好きだ。あらゆることに対して感謝してもしきれない。でも、かけられた言葉や取られた態度の中に「絶対に死んでも許さない」というものがいくつかある。
仕方ないことだとはわかってる。親も人間だ。こと母親においては、彼女の母親、つまり私から見ての祖母によるネグレクトに近い環境で育ったことや、長いこと父親のモラハラに耐えてきた鬱憤が溜まっていたんだと。そうだとわかる。でも、中学から高校にかけての数年間、わりと長い間八つ当たりされたことも父親の悪口をずっと聞かされたことも父に似ているとあらゆる仕草を詰られたことも私に嫌味を言ってきつくあたることで父親に自分の望む振る舞いをさせようとしていたことも、どうしようもなく許せないままでいる。父親になんでもないことのように「なんの努力もしてないくせに」と言われたことも、たぶん一生許せない。
でも一番許せないのはたぶん自分自身だ。なんの努力もしてないのは事実だし、何より生きづらさを環境のせいにするくせに、10代の私は母親と父親の関係に対して何もしようとしなかった。父に母への態度を改めるように言わなかった。二人にもっと話し合うように薦めなかった。夕食中に口論が始まれば、箸を置いて自室に逃げた。兄のお下がりのiPodで二人の怒鳴り声をかき消すようにアジカンを聞いて、ただ震えながら泣いていた。
母とは1ヶ月に一度は会っている。新居の近くには美味しいベトナム料理屋があって、二人でフォーを食べて、母の部屋で少し話して、煙草を吸って帰る。私が部屋に来るたびに母はおやつを用意してくれて、私が泊まりにきた時に困るだろうからとドライヤーまで買ってくれた。この前泊まった時は作り置きのおかずを持たせてくれた。
たまに実家にも帰る。置いてきた荷物を取りに帰るたびに、父は車で送ってくれる。足りないものはないかと聞いて、あればホーマックに寄って車に乗っけてくれる。ちゃんと自炊してるか、野菜を食べろと言ってくれる。父親も母親も大好きだ。嘘じゃない。
HIRAETHという言葉があるらしい。『翻訳できない世界のことば』という本で知った。ウェールズ語で「もう永遠に戻れない場所への郷愁」とう意味だ。それが私にとっての実家だ。母親と父親が居間にいる時なんか、些細なことで空気が悪くなって口論が始まるから居心地が悪くてたまらなかったのに。
あれが紛れもなく私にとっての実家だったんだと思う。それはもう永遠にない。どこにもない。それが潔くて、ちょっとだけ寂しい。
文部科学省の統計によると、私の地元の大学進学率は近隣市の1/4〜1/2程度で10%台半ば。県下でも最低水準とのことで、それをもって子育てに向かないやら教育行政に問題があるやらと語る人がいる。
しかしながら、私の地元や近隣市は、人口面でも面積面でも小規模〜中規模程度だ。市境を一つや二つまたいだ程度でそこまで学力に差がつくわけがない。肌感覚的な面でも、中学の同級生で大学に進んだのが5人に1人未満とは思いづらい。
ということでSNS等で貼られていた画像をもとに、ソースと思われる文部科学省の学校基本調査「卒業後の状況調査票(高等学校 全日制・定時制) 市町村別状況別卒業者数」(以下「件の統計」)を確認した。数字は件の画像と一致しており、確かに私の地元の大学進学率は低い数字であった。
ところが、よく見ると分母に当たる高校卒業者の数が、市内の中学3年生の人数の1/3程度しかない。年によって学年の人数に違いはあるが、丙午でもない限り1/3にまで減ることはまずないだろう。また、大体の人は高校に進学する上、中退がいても数が知れている。
そこでさらに調査方法を確認したところ、各学校が回答し、それを学校所在地の市町村が取りまとめる方式と判明した。
ところで私の地元は人口面でも面積面でも小規模で、高校は1校、名前を書けば受かると言われているようなものしかない。その高校の生徒数、進路実績を見たところ、件の統計と数字が一致した。
つまり、各市町村の括りで出る数字は、正確には各市町村に立地する学校の数字の集合体であるようだ。件の統計において、高校が立地していない市町村に全く数字が記載されていないことも傍証となろう。
かくして私の地元は名前を書けば受かる高校の進路状況をもって、大学進学率が低く教育水準が低いと世の人に判断される状況になっているわけだ。
なお、先述の事情から、私の地元の中学生は大学進学意思がある人はもちろん、そうでない人も大体市外の高校に進学する。
小中学生であれば、私立等を除き基本的に居住する市町村の学校に通うため、市町村単位での集計はそれなりに参考になるかもしれない。
しかし、高校生にもなると通学範囲はぐんと広がり、通う市町村と住む市町村が一致しないことも増える。この状況下で、立地する高校の数字をもって市町村の数字かのように公表するのはいささか問題があるのではなかろうか。政令市や中核市、施行時特例市くらいの規模ならいざしらず、相互に人が行き来する中小規模の市町村においてその影響は大きい。
世間一般では学力水準は居住地選択において重要なファクターのようで、住宅関係や生活ガイド的なメディアでも指標として用いられているようだ。
だが、先述のとおり、こと高卒生の進路に関してはその公表の仕方に疑義がある。文科省も件の統計が世間でどう使用されているかを考慮の上、表現に気を遣って欲しいものだ。
それはそうと、大学進学率を気にする教育熱心であろう層が、件の統計について違和感を持たず鵜呑みにしてしまうことを考えると、何か皮肉めいたものは感じる。
多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。
「成人した私へ
成人おめでとう。
15の私は、まあまあ元気です。
今の猫は2歳です。
7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばにはいないんだね。
私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。
15の私からしたら、それが全部です。
15の私より」
中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分のことなのに又聞きのような状態になっている。
だから、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。
過去に自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。
し、嬉しかった。
手紙やメールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。
地元の定時制高校に通っていた彼と都心の進学校に通っていた私、今思えば無理あるお付き合いだったのだけど、本当に死ぬほど大好きだった。
小学生の頃から5年片思いして、やっとの思いで告白して付き合えたけど、付き合った途端になんだか気まずくなってしまって、半年も経たずに別れた。というか、フェードアウトされた。
きちんと振ってももらえず、ただ連絡が取れなくなって生きてるのか死んでるのかさえわからず、実家を訪ねたら彼の友達が怪訝な顔をして出てきて追い払われて、家に帰る道すがら泣きながら連絡先を削除した。
それから何人かの男性とお付き合いをして、大学時代にできた大好きな彼氏と結婚もしてすごく幸せだけど、ふとした時に元彼を思い出してはあの時どうしたらよかったんだろう……と考えたりしていた。もう1度やり直したいと言って元彼が突然目の前に現れる夢を見てしまったことも何回かある。
もう一生囚われて生きて行くのかな…と思っていたのだけれど、つい最近やっと、完全に吹っ切ることができた。
当時は夜の学校くらいのイメージしかなかった定時制のリアルを目の当たりにして、こんな環境で生活していたらそりゃ、全日制に通ってる私なんかに興味が湧くわけなかったな〜……とストンと腑に落ちてしまった。
誠実さに欠ける別れ方だったのも、全てに対して無気力で面倒くさがりな生徒たちを見てると、あぁ……と納得するところがあって、もう全然、本当に違う世界で生きてる人だったんだな……と思った途端に、未練とか悔しさみたいなものがスッと消えて、彼に対する感情が無になった。
最初から可能性なんかない関係だったんだな。そもそも手の届く人じゃなかった。
人間としてすごく素敵な人だったのは確かだし、ルックスも好きだったけど、今もし目の前に現れても、彼のことは選ばないだろう。
14年もかかったけど、彼と自分の間にきっぱり線を引けてよかった。
https://anond.hatelabo.jp/20230919002911
これに書いてあることは本当。なぜなら自分がその体験をしている。
そしてPythonもSQLもJavaScriptじゃなくて大丈夫。VBAできればもうどの事務職でもやっていける。
ただし田舎。
たまーに増田でも見かけるが、地方では信じられない位アナログな方法でエクセルを使っている会社がある。
弊社ではエクセルファイルAのセルの合計値をコピーして、別の10個のエクセルファイルの決まったセルにコピーする仕事がある。
自分はこれをAにボタンを設置し押すだけで他のファイルにコピーされる様にして、社長含め他の社員に見せた。
途端にビルゲイツ扱いである(社員A(老人)は私をゲイツと呼ぶようになった)。
その結果。ほぼ全ての事務が自分に回ってくるようになった。ゴミ屋敷の様なエクセルファイルをシンプルにまとめるのに2か月かかったが、
これは自分が文系で能力が低い為で、ある程度プログラミングできる人ならもっと早くまとめられているはず。
おかげで仕事中に余裕ができまくりで、会社のSNSも作り、事務とは別に色々やらせてもらえるようになった。
・40歳
・VBAベーシック(35歳の時に取得。つかこれは別になくもていい)
以上。
こんなんでも生きていけるから、あまり後ろ向きにならない方がいいよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230917223337
はてなーが知的で今どきのカルチャーにも明るい人間としてふるまいたいのはお好きにすればという感じだが、日本語ラップへの適当な言及はやめてくれませんかね。
具体的にはこういうやつです:
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740207123033680207/comment/tempodeamor
「反面、本邦ではいとうせいこう、ライムスター、ZEEBRAなど山の手のインテリ層が音楽的好奇心と共にヒップホップのローカライズに尽力したので、この傾向は薄い。」(id:tempodeamor)
「この傾向」というのは「抑圧された環境からの一発逆転の手段として金銭を追い求める傾向」のこと(雑要約)だが、現代日本語ラップにそういう傾向がない、というのは完全にフェイク。
一例として、今年の「ラップスタア誕生!」で優勝して注目を集めているShowyVICTORの「genzai!」から引用しよう。
「
その代わりに夢を見れてBingo!
周りの奴らにしてたよ嫉妬
でも真っ赤な愛で心 充満
待ってた この時 この順番」
今年上半期の話題作Lunv Loyal 「高所恐怖症(Remix) feat. SEEDA & Watson」よりLunv Loyalのヴァース。
https://www.youtube.com/watch?v=Ui92EzMDpp4
「
月に10万のWorks
シワくちゃな諭吉に
財布の中10万円もなかったけど
今は10万のKicks
金無きゃクソな日常
奥歯で殺した鬱病
誰も知らぬ間
首を吊って死んだBro
首を吊って死んだ
On the street, under the money
宇宙に上も下もない
彼はDrugを売る砂漠
彼女は体を売り捌く
また1人街のBoowyは部屋でDead
部屋の隅で1人Dead
誰かが生み出すこの貧困
彼らは味わった事ない貧乏
」
同曲よりSEEDAのヴァース:
「
口しなきゃ理解されない
見てた夢とか傷みでさえも
どこか遠くに消えてしまいそう
取調室 地下の地検
鉄格子と狭い窓
子供にねだられても買えなかった
セットどころかポテトさえ
うちにも現れてるサンタクロース
知ったのさ 俺にもう敵はいない
」
ここでは二曲しか挙げていないが、現代日本語ラップにおいて「貧しい環境から成りあがる」系の楽曲は枚挙にいとまがない。
そもそもANARCHYの登場以来、日本語ラップにおいて「貧困からの成り上がり」は中心的主題の一つとなっており、それからかれこれ15年以上になる。
「(「日本にゲットーはないのでヒップホップはなじまない」とされていたが日本も貧困化が進行しており)残念ながら、日本もヒップホップが似合う国になってしまいました」と宇多丸が語ったのもだいぶ前のこと。今や、貧しい環境からの成り上がりを、その激動の人生を売りにしているスターも多い。ANARCHY、KOHH、BAD HOP、SATORU、playsson、Ralph、Watson…
ついでに言っておくと、日本社会の多国籍化を背景に、これら「成り上がり」系のスターには団地育ちの移民二世・三世も数多い(KOHH、SATORU、playsson、Fuji Taito、Ralph、ShowyRENZO、ShowyVICTOR...)。
彼ら/彼女らのラップには、ラップで生計を立てて汚れ仕事から抜け出すのだ、という強い意志があふれている。
それで、インテリ層が何なんでしたっけ...?
https://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/r6saihenkeikaku.html
金のかかる実業系と夜間定時制を悉く統廃合する計画、ただそれにしてもあまりに急ぎすぎていると感じた。
これより少し前には特別支援学校の寄宿舎廃止計画が出た(運動家が騒いで凍結)けどやっぱり急ぎすぎている。
確かにこれらの統廃合で相当な経費の削減が見込まれるけど、そこまで栃木県の財政はヤバいのか。
ところでこの話とは一切関係ないけれど、栃木県教育委員会が利息込みで4億ぐらい払わなきゃいけない件、そういえばありましたよね?
https://www.sankei.com/article/20230628-ZJPY6HUNKRLV3CZY3WCISEAXNE
私はずっと頭が悪い。中学校は普通に通っていたけど、成績表はだいたい2だった。どう考えても県で1番頭が悪い高校に通うしかなかった。高校の偏差値は知らないけれど30台だと思う。頭が良い人に生まれたかった。頭が良くなくても人並みにがんばれる人になりたい。
頭が悪い、社会に出たら関係ないと思っていたけど、とても関係あった。頭が悪いと、仕事は同じ仕事に縋り付くしかない。嫌いな仕事でも、職場ではぶられても、次がないので毎日仕事にいくしかない。履歴書とかも書ける気がしない。なんか色々聞かれたりしたら、多分あわあわして終わるだけだと思う。
会話の引き出しや語彙量もないので、相手を楽しませる会話ができない。なので、会社でも普通にはぶられている。今日も飲み会にいくみんながニヤニヤしながら、私を見て「お疲れさまでーす」って言ってた。町工場なので、ずっと同じ作業をしてるから仕事の作業自体は私が1番上手だと思う。でも、いつもあわあわしてるから新人さんにもなめられて、仕事を押し付けられている。
上手くできない、寂しい、悲しい、そんなときの感情どうしたらいいか分からない。本とかも文字を調べながら読んでるうちに疲れる。どこか旅行に行こうにも、乗り換えとかカード決済とか難しい。
まずは、なにか一つを頑張り続けれるようになりたい。本とかも普通に読んで感動したい。自分の気持ちを言葉で伝えられるようになりたい。悲しいときに悲しむだけじゃなく、別の方法で紛らわせるようになりたい。なので、来年から学科に通うことにした。定時制の学校。これは頑張って卒業したい。
頭が悪くて不細工で運動神経も悪かったので教師や同級生からゴミみたいな扱いを受けてた俺は、学校環境が堪らなくストレスだった。
学校に行くだけで酷くストレスだったのて、高校は定時制に行って自分のペースで勉強したかったが、親に拒否され、ゴミみたいな中学の成績を抱え近所の底辺高校に入学した、高校に入るとみんな比較的落ち着いていて、女の子にゴミ扱いされることしかなかったので、同級生に殴られることもなく平和に過ごせた。
俺の社会性は中学でバチボコにぶっ壊されて、高校では壊死していてもう社会に何も希望を持てなかったので働きたくなかった。親には「2年で公務員になるから浪人させてくれ」といって公務員浪人をさせてもらった。
2年間、公務員試験の過去問を解きまくった俺は最寄りの市役所の筆記試験を突破し(一年目は厳しかった)、同級生からゴミみたいな扱いを受けて社会性が壊死していた俺も元々は人好きで人懐っこい性格だったので、年配者の多い二次試験の面接もスムーズにパスし晴れて市の正規職員になった。
振り返ると中高の6年間は俺にとって何もプラスになっておらず、教育機関を離れた途端好転し始めたように感じる。
「学校がしんどかったけど、行くたびに慣れてくるやつ」も中には居るんだろうけど、俺は行けば行くほど疲弊していた。中学の頃、俺の母親が小学校の同級生の親御さんから「増田くん白髪すごいあって顔が疲れてたけど大丈夫?なんかあったの?」と心配していたと言っていた。たぶんうちの親も狂ってるんだと思う。学校に通うストレスが身体に出てる息子の心配よりも、息子が不登校やレールを外れる心配が上回るのだ。家にいるのは学校にいるよりマシ程度の地獄で、当時はよく世界が曇って見えた。