はてなキーワード: 定時制とは
「誰かのため」に生きてきて、あまりにも自分で決断する能力が乏しいことに気づいたのはここ最近の話。
「母が姉のことですごく大変(超オブラート)だから、母に負担をかけないようにしよう」と考え始めた幼い自分は、ドラムを始めたいと思ったが母に伝えるのをやめた。そもそもそれまでの習い事がほぼ続かなかったのもあったが。
中学時代は不登校だったのでそもそも進学先が絞られていたが、学校の先生が勧めてくれた公立の定時制を選んだ。学費が安かったから。
高校時代の学費は出してもらっていたものの、定期代はバイトを始めてからはほぼ全部自分で出した。
お小遣いは欲しかったけど貰わなかった。母の負担を減らそうと、バイト代を毎月渡したりもした。結局姉が母にお金を出させるので、渡したお金が姉のために使われるのは嫌だと思い、渡すのはやめてしまった。
よくわからないまま「大学に行き人生を考える!」だとか大義名分のようなものを掲げて進学したものの、結局何も分からない、見つからないまま卒業してしまい、奨学金という名の借金を抱えてしまった。
なんやかんやあり当時付き合っていた恋人を振り、そのまま新しい恋人を作り地元を出て同棲を始め、就職して、1年半でやめた。次に就職した会社もついこの間4ヶ月でやめた。
どちらも途中で心が折れてしまった。
自分で決断できないということは、責任を負う能力も乏しいということを痛感した。
自分でも支離滅裂な文章を書いていて何もわからないが、「姉のため」「母のため」だとか他人を軸にして行動していたら、自分が何をやりたいか全くわからなくなってしまった。
とりあえずバイトを決めてフリーターになる予定だが、誰かに依存し続けてきたせいで、あまりにも自分がやりたいこと、進みたい方向が何もわからない。
お先真っ暗!だとか、過去の選択をもう一度やり直したいとか、昔の恋人を振った時に相手を傷つけてしまったことの罪悪感が消えないだとか、自分は上手く立ち回れているかだとか、やめた職場で分からないことを聞いた時の声色だけで「怒らせてしまったかな…」と被害妄想してしまったことだとか、人生の失敗や後悔ばかりを考える毎日を送っている。
今日生きることを考えるのもしんどくて、外に出かけるかすらも恋人に依存してしまい、一人だと日中もまともに動けなくて、一日の大半を布団や部屋の中で過ごして終わる日々が続いてる。
一人暮らしを始めた。今年24になる。一人暮らしを始めるには遅い方だと思う。
家から片道1時間半近くかかる部署に異動になって一人暮らしを決めてから、こうして暮らし始めるまで、気づけば半年近く経っていた。
今年の初めに母親が家を出て行った。父が年末年始実家に帰っている隙にと、前々から契約していた部屋にごっそり荷物を持って、父に知らせずに出て行った。
最後の日、いよいよ自由になる母の乗ったタクシーが、新しい部屋に向かって走っていくのを1月2日の私はずっと見ていた。もう母と一緒に暮らすことはないんだなあと、そう思った。そして少し泣いた。
モラハラ気質の父と、そんな父のことが大嫌いな兄と、控えめな母。金銭的に不自由することはなくても、昔から仲は良くなかった。兄が母親側につくことが多いから、自然と私は父親側につくことが多かった。思えば父が運転する時は決まって私が助手席で、母が運転する時は兄が助手席だった。たまに外食する時の席も同じ。子どもと妻を置いてすいすい歩く父を懸命に追いかけるのも私だけだった。
家から自転車で通える距離にも関わらず、兄は高校進学と同時に寮に入った。そうしたら、私が一人でバランスを取らなければならなくなった。母の更年期と兄の思春期と私の反抗期でだいぶ前から荒れに荒れていた家をどうにか保たなければと、私なりに頑張ったつもりでいた。
自傷行為がやめられなくなった。中学はどうにか卒業した。不登校になった。高校を辞めた。そのあと定時制に入り直した。無事に進学して、普通に就職した。
母親も父親も大好きだ。あらゆることに対して感謝してもしきれない。でも、かけられた言葉や取られた態度の中に「絶対に死んでも許さない」というものがいくつかある。
仕方ないことだとはわかってる。親も人間だ。こと母親においては、彼女の母親、つまり私から見ての祖母によるネグレクトに近い環境で育ったことや、長いこと父親のモラハラに耐えてきた鬱憤が溜まっていたんだと。そうだとわかる。でも、中学から高校にかけての数年間、わりと長い間八つ当たりされたことも父親の悪口をずっと聞かされたことも父に似ているとあらゆる仕草を詰られたことも私に嫌味を言ってきつくあたることで父親に自分の望む振る舞いをさせようとしていたことも、どうしようもなく許せないままでいる。父親になんでもないことのように「なんの努力もしてないくせに」と言われたことも、たぶん一生許せない。
でも一番許せないのはたぶん自分自身だ。なんの努力もしてないのは事実だし、何より生きづらさを環境のせいにするくせに、10代の私は母親と父親の関係に対して何もしようとしなかった。父に母への態度を改めるように言わなかった。二人にもっと話し合うように薦めなかった。夕食中に口論が始まれば、箸を置いて自室に逃げた。兄のお下がりのiPodで二人の怒鳴り声をかき消すようにアジカンを聞いて、ただ震えながら泣いていた。
母とは1ヶ月に一度は会っている。新居の近くには美味しいベトナム料理屋があって、二人でフォーを食べて、母の部屋で少し話して、煙草を吸って帰る。私が部屋に来るたびに母はおやつを用意してくれて、私が泊まりにきた時に困るだろうからとドライヤーまで買ってくれた。この前泊まった時は作り置きのおかずを持たせてくれた。
たまに実家にも帰る。置いてきた荷物を取りに帰るたびに、父は車で送ってくれる。足りないものはないかと聞いて、あればホーマックに寄って車に乗っけてくれる。ちゃんと自炊してるか、野菜を食べろと言ってくれる。父親も母親も大好きだ。嘘じゃない。
HIRAETHという言葉があるらしい。『翻訳できない世界のことば』という本で知った。ウェールズ語で「もう永遠に戻れない場所への郷愁」とう意味だ。それが私にとっての実家だ。母親と父親が居間にいる時なんか、些細なことで空気が悪くなって口論が始まるから居心地が悪くてたまらなかったのに。
あれが紛れもなく私にとっての実家だったんだと思う。それはもう永遠にない。どこにもない。それが潔くて、ちょっとだけ寂しい。
文部科学省の統計によると、私の地元の大学進学率は近隣市の1/4〜1/2程度で10%台半ば。県下でも最低水準とのことで、それをもって子育てに向かないやら教育行政に問題があるやらと語る人がいる。
しかしながら、私の地元や近隣市は、人口面でも面積面でも小規模〜中規模程度だ。市境を一つや二つまたいだ程度でそこまで学力に差がつくわけがない。肌感覚的な面でも、中学の同級生で大学に進んだのが5人に1人未満とは思いづらい。
ということでSNS等で貼られていた画像をもとに、ソースと思われる文部科学省の学校基本調査「卒業後の状況調査票(高等学校 全日制・定時制) 市町村別状況別卒業者数」(以下「件の統計」)を確認した。数字は件の画像と一致しており、確かに私の地元の大学進学率は低い数字であった。
ところが、よく見ると分母に当たる高校卒業者の数が、市内の中学3年生の人数の1/3程度しかない。年によって学年の人数に違いはあるが、丙午でもない限り1/3にまで減ることはまずないだろう。また、大体の人は高校に進学する上、中退がいても数が知れている。
そこでさらに調査方法を確認したところ、各学校が回答し、それを学校所在地の市町村が取りまとめる方式と判明した。
ところで私の地元は人口面でも面積面でも小規模で、高校は1校、名前を書けば受かると言われているようなものしかない。その高校の生徒数、進路実績を見たところ、件の統計と数字が一致した。
つまり、各市町村の括りで出る数字は、正確には各市町村に立地する学校の数字の集合体であるようだ。件の統計において、高校が立地していない市町村に全く数字が記載されていないことも傍証となろう。
かくして私の地元は名前を書けば受かる高校の進路状況をもって、大学進学率が低く教育水準が低いと世の人に判断される状況になっているわけだ。
なお、先述の事情から、私の地元の中学生は大学進学意思がある人はもちろん、そうでない人も大体市外の高校に進学する。
小中学生であれば、私立等を除き基本的に居住する市町村の学校に通うため、市町村単位での集計はそれなりに参考になるかもしれない。
しかし、高校生にもなると通学範囲はぐんと広がり、通う市町村と住む市町村が一致しないことも増える。この状況下で、立地する高校の数字をもって市町村の数字かのように公表するのはいささか問題があるのではなかろうか。政令市や中核市、施行時特例市くらいの規模ならいざしらず、相互に人が行き来する中小規模の市町村においてその影響は大きい。
世間一般では学力水準は居住地選択において重要なファクターのようで、住宅関係や生活ガイド的なメディアでも指標として用いられているようだ。
だが、先述のとおり、こと高卒生の進路に関してはその公表の仕方に疑義がある。文科省も件の統計が世間でどう使用されているかを考慮の上、表現に気を遣って欲しいものだ。
それはそうと、大学進学率を気にする教育熱心であろう層が、件の統計について違和感を持たず鵜呑みにしてしまうことを考えると、何か皮肉めいたものは感じる。
多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。
「成人した私へ
成人おめでとう。
15の私は、まあまあ元気です。
今の猫は2歳です。
7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばにはいないんだね。
私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。
15の私からしたら、それが全部です。
15の私より」
中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分のことなのに又聞きのような状態になっている。
だから、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。
過去に自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。
し、嬉しかった。
手紙やメールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。
地元の定時制高校に通っていた彼と都心の進学校に通っていた私、今思えば無理あるお付き合いだったのだけど、本当に死ぬほど大好きだった。
小学生の頃から5年片思いして、やっとの思いで告白して付き合えたけど、付き合った途端になんだか気まずくなってしまって、半年も経たずに別れた。というか、フェードアウトされた。
きちんと振ってももらえず、ただ連絡が取れなくなって生きてるのか死んでるのかさえわからず、実家を訪ねたら彼の友達が怪訝な顔をして出てきて追い払われて、家に帰る道すがら泣きながら連絡先を削除した。
それから何人かの男性とお付き合いをして、大学時代にできた大好きな彼氏と結婚もしてすごく幸せだけど、ふとした時に元彼を思い出してはあの時どうしたらよかったんだろう……と考えたりしていた。もう1度やり直したいと言って元彼が突然目の前に現れる夢を見てしまったことも何回かある。
もう一生囚われて生きて行くのかな…と思っていたのだけれど、つい最近やっと、完全に吹っ切ることができた。
当時は夜の学校くらいのイメージしかなかった定時制のリアルを目の当たりにして、こんな環境で生活していたらそりゃ、全日制に通ってる私なんかに興味が湧くわけなかったな〜……とストンと腑に落ちてしまった。
誠実さに欠ける別れ方だったのも、全てに対して無気力で面倒くさがりな生徒たちを見てると、あぁ……と納得するところがあって、もう全然、本当に違う世界で生きてる人だったんだな……と思った途端に、未練とか悔しさみたいなものがスッと消えて、彼に対する感情が無になった。
最初から可能性なんかない関係だったんだな。そもそも手の届く人じゃなかった。
人間としてすごく素敵な人だったのは確かだし、ルックスも好きだったけど、今もし目の前に現れても、彼のことは選ばないだろう。
14年もかかったけど、彼と自分の間にきっぱり線を引けてよかった。
https://anond.hatelabo.jp/20230919002911
これに書いてあることは本当。なぜなら自分がその体験をしている。
そしてPythonもSQLもJavaScriptじゃなくて大丈夫。VBAできればもうどの事務職でもやっていける。
ただし田舎。
たまーに増田でも見かけるが、地方では信じられない位アナログな方法でエクセルを使っている会社がある。
弊社ではエクセルファイルAのセルの合計値をコピーして、別の10個のエクセルファイルの決まったセルにコピーする仕事がある。
自分はこれをAにボタンを設置し押すだけで他のファイルにコピーされる様にして、社長含め他の社員に見せた。
途端にビルゲイツ扱いである(社員A(老人)は私をゲイツと呼ぶようになった)。
その結果。ほぼ全ての事務が自分に回ってくるようになった。ゴミ屋敷の様なエクセルファイルをシンプルにまとめるのに2か月かかったが、
これは自分が文系で能力が低い為で、ある程度プログラミングできる人ならもっと早くまとめられているはず。
おかげで仕事中に余裕ができまくりで、会社のSNSも作り、事務とは別に色々やらせてもらえるようになった。
・40歳
・VBAベーシック(35歳の時に取得。つかこれは別になくもていい)
以上。
こんなんでも生きていけるから、あまり後ろ向きにならない方がいいよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230917223337
はてなーが知的で今どきのカルチャーにも明るい人間としてふるまいたいのはお好きにすればという感じだが、日本語ラップへの適当な言及はやめてくれませんかね。
具体的にはこういうやつです:
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740207123033680207/comment/tempodeamor
「反面、本邦ではいとうせいこう、ライムスター、ZEEBRAなど山の手のインテリ層が音楽的好奇心と共にヒップホップのローカライズに尽力したので、この傾向は薄い。」(id:tempodeamor)
「この傾向」というのは「抑圧された環境からの一発逆転の手段として金銭を追い求める傾向」のこと(雑要約)だが、現代日本語ラップにそういう傾向がない、というのは完全にフェイク。
一例として、今年の「ラップスタア誕生!」で優勝して注目を集めているShowyVICTORの「genzai!」から引用しよう。
「
その代わりに夢を見れてBingo!
周りの奴らにしてたよ嫉妬
でも真っ赤な愛で心 充満
待ってた この時 この順番」
今年上半期の話題作Lunv Loyal 「高所恐怖症(Remix) feat. SEEDA & Watson」よりLunv Loyalのヴァース。
https://www.youtube.com/watch?v=Ui92EzMDpp4
「
月に10万のWorks
シワくちゃな諭吉に
財布の中10万円もなかったけど
今は10万のKicks
金無きゃクソな日常
奥歯で殺した鬱病
誰も知らぬ間
首を吊って死んだBro
首を吊って死んだ
On the street, under the money
宇宙に上も下もない
彼はDrugを売る砂漠
彼女は体を売り捌く
また1人街のBoowyは部屋でDead
部屋の隅で1人Dead
誰かが生み出すこの貧困
彼らは味わった事ない貧乏
」
同曲よりSEEDAのヴァース:
「
口しなきゃ理解されない
見てた夢とか傷みでさえも
どこか遠くに消えてしまいそう
取調室 地下の地検
鉄格子と狭い窓
子供にねだられても買えなかった
セットどころかポテトさえ
うちにも現れてるサンタクロース
知ったのさ 俺にもう敵はいない
」
ここでは二曲しか挙げていないが、現代日本語ラップにおいて「貧しい環境から成りあがる」系の楽曲は枚挙にいとまがない。
そもそもANARCHYの登場以来、日本語ラップにおいて「貧困からの成り上がり」は中心的主題の一つとなっており、それからかれこれ15年以上になる。
「(「日本にゲットーはないのでヒップホップはなじまない」とされていたが日本も貧困化が進行しており)残念ながら、日本もヒップホップが似合う国になってしまいました」と宇多丸が語ったのもだいぶ前のこと。今や、貧しい環境からの成り上がりを、その激動の人生を売りにしているスターも多い。ANARCHY、KOHH、BAD HOP、SATORU、playsson、Ralph、Watson…
ついでに言っておくと、日本社会の多国籍化を背景に、これら「成り上がり」系のスターには団地育ちの移民二世・三世も数多い(KOHH、SATORU、playsson、Fuji Taito、Ralph、ShowyRENZO、ShowyVICTOR...)。
彼ら/彼女らのラップには、ラップで生計を立てて汚れ仕事から抜け出すのだ、という強い意志があふれている。
それで、インテリ層が何なんでしたっけ...?
https://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/r6saihenkeikaku.html
金のかかる実業系と夜間定時制を悉く統廃合する計画、ただそれにしてもあまりに急ぎすぎていると感じた。
これより少し前には特別支援学校の寄宿舎廃止計画が出た(運動家が騒いで凍結)けどやっぱり急ぎすぎている。
確かにこれらの統廃合で相当な経費の削減が見込まれるけど、そこまで栃木県の財政はヤバいのか。
ところでこの話とは一切関係ないけれど、栃木県教育委員会が利息込みで4億ぐらい払わなきゃいけない件、そういえばありましたよね?
https://www.sankei.com/article/20230628-ZJPY6HUNKRLV3CZY3WCISEAXNE
私はずっと頭が悪い。中学校は普通に通っていたけど、成績表はだいたい2だった。どう考えても県で1番頭が悪い高校に通うしかなかった。高校の偏差値は知らないけれど30台だと思う。頭が良い人に生まれたかった。頭が良くなくても人並みにがんばれる人になりたい。
頭が悪い、社会に出たら関係ないと思っていたけど、とても関係あった。頭が悪いと、仕事は同じ仕事に縋り付くしかない。嫌いな仕事でも、職場ではぶられても、次がないので毎日仕事にいくしかない。履歴書とかも書ける気がしない。なんか色々聞かれたりしたら、多分あわあわして終わるだけだと思う。
会話の引き出しや語彙量もないので、相手を楽しませる会話ができない。なので、会社でも普通にはぶられている。今日も飲み会にいくみんながニヤニヤしながら、私を見て「お疲れさまでーす」って言ってた。町工場なので、ずっと同じ作業をしてるから仕事の作業自体は私が1番上手だと思う。でも、いつもあわあわしてるから新人さんにもなめられて、仕事を押し付けられている。
上手くできない、寂しい、悲しい、そんなときの感情どうしたらいいか分からない。本とかも文字を調べながら読んでるうちに疲れる。どこか旅行に行こうにも、乗り換えとかカード決済とか難しい。
まずは、なにか一つを頑張り続けれるようになりたい。本とかも普通に読んで感動したい。自分の気持ちを言葉で伝えられるようになりたい。悲しいときに悲しむだけじゃなく、別の方法で紛らわせるようになりたい。なので、来年から学科に通うことにした。定時制の学校。これは頑張って卒業したい。
頭が悪くて不細工で運動神経も悪かったので教師や同級生からゴミみたいな扱いを受けてた俺は、学校環境が堪らなくストレスだった。
学校に行くだけで酷くストレスだったのて、高校は定時制に行って自分のペースで勉強したかったが、親に拒否され、ゴミみたいな中学の成績を抱え近所の底辺高校に入学した、高校に入るとみんな比較的落ち着いていて、女の子にゴミ扱いされることしかなかったので、同級生に殴られることもなく平和に過ごせた。
俺の社会性は中学でバチボコにぶっ壊されて、高校では壊死していてもう社会に何も希望を持てなかったので働きたくなかった。親には「2年で公務員になるから浪人させてくれ」といって公務員浪人をさせてもらった。
2年間、公務員試験の過去問を解きまくった俺は最寄りの市役所の筆記試験を突破し(一年目は厳しかった)、同級生からゴミみたいな扱いを受けて社会性が壊死していた俺も元々は人好きで人懐っこい性格だったので、年配者の多い二次試験の面接もスムーズにパスし晴れて市の正規職員になった。
振り返ると中高の6年間は俺にとって何もプラスになっておらず、教育機関を離れた途端好転し始めたように感じる。
「学校がしんどかったけど、行くたびに慣れてくるやつ」も中には居るんだろうけど、俺は行けば行くほど疲弊していた。中学の頃、俺の母親が小学校の同級生の親御さんから「増田くん白髪すごいあって顔が疲れてたけど大丈夫?なんかあったの?」と心配していたと言っていた。たぶんうちの親も狂ってるんだと思う。学校に通うストレスが身体に出てる息子の心配よりも、息子が不登校やレールを外れる心配が上回るのだ。家にいるのは学校にいるよりマシ程度の地獄で、当時はよく世界が曇って見えた。
フェミは共学出身ばっかり、女子校ではそんな甘えたことは許されないから、的な発言を見かけた。
そうなん?って思って、Wikipediaで石川優実の経歴しらべたら「商業高校在籍中にお菓子系グラドルとしてデビュー」とかあって「あ… 」ってなった
共学出身、女子校出身で分けると、劣悪な生育環境で育った弱者は共学出身になるってこと、冒頭の発言主はわかって言ってんのかな。
女子校ってだいたい私学だから、女子校に行けるって時点で親が教育に最低限の金はかけてるし、短大や大学に進学させる意志もあることがほとんど。
公立中学で学歴が終了すれば共学出身になるし、高校だって最底辺の公立高校は共学。高卒で働くことを前提に商業高校や工業高校に行くと共学。働きながら定時制や通信制に行っても共学だよね。
生育環境が劣悪な弱者ゆえに性被害や女性蔑視に合う。あまりIQも高くなく勉強もできないからその時にはよくわからないままに流されて生きてきたが、SNSでフェミに目覚めた…みたいな人の場合、そういう経歴を辿ってる人はそりゃ多いだろうよ。
まあ、実際には仁藤夢乃は中高恵泉女学園だし、フェミの中にもアルテイシアとか女子校至上主義みたいな人はけっこういるけどね。
小学生の頃、先生と(後述の問題もあり)性格が合わなかったのかすごい色々言われるのが嫌で中学でも不登校気味になってしまい、受験では内申と出席日数の問題で第一希望のGOサインが出ず、高校は定時制高校に進学した。
小学生の頃から授業への集中力が無くて自由帳でお絵描きしたり寝てたり、勉強は全くできないし、問題児だった。
それでも、自分の得意分野になると記憶力や集中力が極端に上がる。自分の好きな分野については小学生ながらもそこらへんの大人よりも知識があったと思う。
中学生の時は、さすがに授業に参加してノートを必死に取るし、頑張って集中力を継続できるよう頑張ったけど、いつの間にか寝ていて、それも本当に記憶が無かった。
中学が公立のくせに住んでいる街が街だからか、親が金持ち教育熱心家庭が多くまともな生徒が多くて、俺以外でもちょっと違うと攻撃されたり避けられたりしていた。
おまけに教育熱心な家庭に合わせて授業が進むため公立にしてはハイペースな授業だったと思う。授業にもついていけず、先生とも合わず、人間関係も辛くて、中学ではついに不登校気味に。
朝起きると、平日だけ何故か頭が痛くて起き上がれない。通学路で涙が止まらない。本当に行きたくない日は行かなかった。
なんでみんな1時間も机であんな授業受けれるんだろう。勉強もできないし自分がおかしいのかな。なんでだろう。ってずっと思ってた。
親は「学校の休みがちならせめても…」ということで家庭教師をつけてくれた。その時は定期試験も少し点数上がった。高校受験に向けても対策をした。
でも、やっぱり勉強が苦手。覚えられない。計算ができない。集中力が続かず、結局バックレて(家庭教師の時間になったら外出して逃げた。)家庭教師も中2終わり頃に解約した。
同時期、初めてインターネットで知り合った人と実際に会って遊んだ。学校が辛くて、学校を行くふりしてその人の最寄り駅まで行ったり。自分の最寄りまで来てくれたり。
新しい世界が見えた気がして、その時は精神的にも心から楽しかった。その人と、はまだ繋がっていてたまに遊んだりしてる。本当に感謝。
ちなみに家族はめっちゃキレてた。「なにしてんだよ」「学校行け」「学校行かないと近所の人から変な目で見られる」。結局家族は世間体だけで、多分俺がサボってるとしか思ってなかったんだと思う。まぁ確かにサボりだし。今思えばそうだなと思う。でもその時はこれしか逃げ道がなかったのもわかってほしかった。
そんな中、中3に。周りはみんな受験モード。自分はぎりぎり行ける近所の全日制高校を狙っていたが、内申点と出席日数的に第一希望として認められず、
定員割れの定時制高校へ進学した。定時制にも理由があって、学校行く前の頭痛や体調不良が午後になれば少しはマシになるかな。というのが大きな理由。安直だけど。
定時制高校は驚きの毎日だった。本当にごくせん?GTOの世界。
まず、日本語が通じない。噛み合わない。俺よりバカな人がいる。
行動が高校生っぽくない。(言葉に言い表せない感じ。なんか子供っぽいというか…)
覚せい剤を使って同級生が逮捕。タバコ・お酒は当然。喧嘩や窃盗、無免許運転。まだまだある。
本当にこんなことって現実にあるんだ。フィクションじゃないんだ。
自分で選んだ学校だから文句は言えない。けど辛かった。中学校とは違うベクトルの辛さ。
でも勉強は簡単すぎて余裕だったし、校則も緩い。悪いところだけではなかった。
バイトも始めた。
バイトは、本当に向いていたと思う。接客業。高1の1学期から始めた。
お客様に「ありがとう」って言われると本当に心から嬉しかったし、クレーマーは来たらちょっと嫌だったけど。
店長や社員さんから褒められるのも嬉しかったし、仕事を任されるのも嬉しかった。気づいたら本部の研修を何回か受けて名札の★が増えたり。
勉強以外で、自分が認められて本当に楽しかった。週5~6入って必死に働いた。大人との接し方も、電話応対も、社会のアレコレもたくさん教えてもらった。
高校で学んだことよりもバイト先で学んだことの方が今の自分にとって大きいと思う。
小学生の頃から好きだった分野を仕事にしたいと思い始めるようになった。そのためには最低でも専門学校か大学にはいかないといけない。
専門学校も考えたけど、大学のほうが分野についての授業や設備が幅広くて自分のやりたいことはそっちの方が強かった。
でも、小学校の頃からまともに授業受けていない自分には無理だな。というのが第一に思った。
先生にも相談した。「●●(俺の名前)さんのやりたいことは、大学でしか学べないよ」この言葉が決め手だった。
今から一般の勉強なんてビルギャルじゃないんだし、無理だなと思った。すでに7月。
分野が若干特殊なせいか、やっと見つけた大学は、日東駒専レベルの大学。日東駒専と言えば、インターネット上ではよくバカにされている印象だが
それでも偏差値測定不能の高校に通っているヤツが受かる確率は1桁ほどだろう。
そんな中、先生からAO入試を進められた。プレゼンテーションをするだけでよいらしい。
パワポを作るなんて簡単だし、プレゼンの内容を考えるのも楽しそうだった。でもプレゼンするだけでって、そんな都合よい話があるんだろうか…?
あった。
受かってしまった。それも数人しか取らないAO入試だ。倍率はまぁまぁ高かった。
学校行ってないときはPCやスマホをいじるのが生活の一部になっていたせいか、プレゼン資料作るのも苦じゃなかったし、
資料で出典元を見つけたり自分の考察、案を考えるのも苦ではなかった。
面接官からは「高校生でこんなプレゼン初めてみました。」「完成度高いですね」「すごいですね」…。
まさか褒められるとは思っていなかった。面接だから鋭い質問されると思ってドキドキしていたのに、プレゼンが終わるとすごい褒めてくれた。
さすがに受験会場で誉められたくらいで、受かるなんて思っていなかったけど、忘れもしない11月のとある合格発表日、ウェブサイトには合格と表記が出ていた。
正直実感が無いのと、やっぱり勉強についていけるか心配だった。焦って大学に向けて中学校の範囲から少しずつ勉強をし始めたり。
そして入学。
もう2~3週間経つけど、割と授業は楽しい。小学生の頃から関心があって自分なりに勉強したり調べていた分野だったから専門的な授業は簡単に感じる。
「高校までまともな学校行ってなかったのに、大学にAO入試で入って授業も割とついていけてます!!!!!!!楽しい!!!!」みたいな記事ではない!本題はここから。
入学して数日。幸いにも数人、話すような仲の友人…(少なくとも自分はそう思ってる)ができた。
話し方や行動、高校の時の話、上京してる人の地元の話。。。聞く限り「アオハル」を満喫した「ガチの高校生」なんだなと思った。
いや、「ガチの高校生」ってなんだよって感じだけど、自分は定時制高校という特殊な構造の学校でお世辞にも普通の高校生活とは程遠かった。
テレビや中学時代の友人を見るたび「青春」が羨ましかった。もちろん、もし普通の高校に通ってても青春できる保証はないけど。思うだけなら自由じゃん?
それも、日東駒専レべルだからか、偏差値50後半くらいの高校からの指定校推薦や、滑り止めで来た人が多かった。
そんなやつらが勉強もまともにできない底辺高校出身の俺と一緒の大学で一緒に過ごしてる。
本当に申し訳ない。自分は何も努力していない。勉強も全然頭に入ってこない。興味ないことは全くできない。人間としての欠陥品。
ちょっとその分野が得意なだけで、取柄もなんもない。
自分がバカ高出身って明かしても全然みんななんも言わないんだ。
なんでお前がここにいるんだよとか。中学校の頃みたいになんか言われたり距離を置かれるんじゃないかと不安だった。
ある日、入試の話になった。周りは共テ利用だったり一般入試だったり。そんな中プレゼンだけのAOなんて言いたくなかった。
けれども、聞かれて正直に答えたら「AO入試!?すごいね!」「才能あるんだね!」って褒めてくれた。お世辞でも嬉しかった。
AO入試で入ったからずるいとか、避けられるかなって思っていたから。優しい。泣きそう。
みんな、高校でフツーの青春をして、人並みかそれ以上に勉強ができて、こんな自分にも優しく接してくれて。
そんなやつらと一緒にいると毎回自分が醜いなって思うのと同時に、
集中力があって、興味がない勉強も理解できていれば、自分も普通の高校生活を過ごせたのかなとか。
普通ってなんなんだろう。なんで自分は頭悪いんだろう。集中力尽きると記憶が無いまま寝っちゃうんだろう。とか。
たらればばかり。
だからといって努力もしないくせに劣等感を感じる自分が一番つらい。
日本語めちゃくちゃで見にくい文章。最後まで読んでくれてありがとう。
追記 4/21 22:55
いつもの流れでトップページ開いたら自分の記事があってビックリしました。
ちょっと指摘された部分や日本語がおかしい(不適切な)部分を修正しました。
ADHDや発達障害の傾向は小学生の時から言われていました。現在正式な診断は受けていないですが、小学生の頃は毎週カウセリングを受けていました。
記事内の大学の相談に乗っていただいた先生と当時担任の先生には本当に感謝しています。周りの生徒とは少し合わなかったけど、高校の先生は本当に優しかった。
便乗。俺が働いている訳じゃ無いけど。
資源回収・解体業。いわゆる産廃処分業である。創業社長、現在の会長が高度経済成長期に帰郷して立ち上げた会社。
現在はその息子が社長(66歳で高卒)孫が専務(37歳で大阪の大学を出て、商社勤めしていたことがある)と言う布陣。
従業員数はたぶん100名はいるんじゃないか。専務曰く、フルタイムで働いているのは20人ぐらい。残りは正社員の肩書きは持っているが、年寄りが多く、半日勤務とか、働ける範囲で働いているとのこと。
昔は農家が農業だけでは喰っていけず、アルバイト的に兼業で来ていた従業員が主力だったそう。今たぶん違う。
そして、日系ブラジル人とか5人はいるし、暴力団だったという噂のあるじいさんとかもいる。女性は社長の奥さんと専務の奥さんだけ。常にハロワに求人でているが人が集まらない模様。落とした奴は一人しかいないとは専務。
創業者の代から、中卒で入ったら会社が金を出して定時制なり通信制に行かせる、と言う事をやっている。が、十年以上在籍しても卒業できないんだよ、とかネタにしてる奴がいる。いや専務の目笑ってないけどな。
外に出しちゃ駄目なやばい奴と、出してもいいやつの二種類に分けられている。やばい奴は電話も出るなと徹底されている。
そうして持ち帰られたものを、外に出しちゃ駄目な奴が工場で分別などの処理をするという流れになってる。
敷地には、専務が作った自動プラントが聳え立っており、同業者や自治体が取材に来るぐらいのインパクトがある。社内でゴールデンタワーと呼ばれているが、これは借金借金言いすぎたら借金タワーという名前が定着してしまいそうになったため、ゴールデンタワーと呼べと徹底がはかられた結果らしい。
敷地がむちゃくちゃ広く、何処からともなく拾ってきた車を緑色に塗って巣を作っているやつがいたりするし、養蜂をやってる奴とか、ゴミの中から出てきた物を修理してジモティやメルカリで売り払ってる(業務上横領)話を、自慢げに専務に話す愉快な連中。
社名で検索すると、金属泥棒の片棒を担いで処分を受けたと言う新聞記事が出てくる。
金属泥棒をやって持ち込んでた奴はさすがに警察に突き出されているが、何故かそいつは今は社員として働いている。
こいつがどうしょうもないクズ野郎で、金属泥棒の経験が解体業に役に立つと公言したのを見たことがある。素行が悪いとしか言いようがない。クズは所詮クズ死ぬまでクズ。
時給制と日給制。安い。
だが、残業はし放題なので稼ぐやつは残業が出来るし、ここが面白いところなのだが、売上げや利益の額がオープンにされていて、この利益の半分はボーナスに回すと言及している。なので、年5ヶ月分とかボーナスが出る。
業務や資格ごとに手当が出る仕組みになってる。外勤手当が5万円、重機が使えれば月1万円、高卒なら5000円、大卒なら8千円、と言ったノリ。それを全部入れれば人並みの給与にはなるっぽいが実際は知らん。
これを専務は「ジョブ型労働」と呼んでいたが、それは、なにか、違うと思う。
行くといつも休憩室にいるおっさんとか、持ち場についているのに何もしてないように見える奴とか、そういうのがいるのでたぶんまともじゃ無い。
また、この仕事の9割が儲からない仕事だと言うのが口癖。え。じゃあ残り1割ぼってるってこと?
社内のノリは完全に年功序列。年寄りが一番偉い。外勤担当のエースであっても、年齢が若いので子ども扱いされる。
おそらくパワハラセクハラだと認識してないハラスメントが多数降り注ぐ感じ。昭和まではいかないが、平成中頃の内輪のノリと行ったらいいだろうか。
なお、経営者一族はゴリゴリの自民党員で、選挙が始まると仕事そっちのけでフルコミットするので仕事が遅れて酷いことになるが、みんな知っているのでその時期はみんなで諦めている。
アラサーです。夢を見ました。中学〜大学時代のメンヘラ友達と仲良くする夢。もう二度と会うことはないんだろうけど私の中では大事な友達だったから、夢でも会うと切なくなる。
中学、ふたりともいじめられてたけど私は母親に逃げることを許してもらえなかったから耐えた。その子は不登校になった。
高校、私はその辺の普通科へ。その子は定時制へ。定時は環境が荒れ過ぎててその子はすぐに中退してしまった。
大学、私は地元のFラン大学に進学した。その子は工場のパートとして働き始めた。
就職、私は田舎から東京に出て働き始めた。その子はパートも辞めて、合法ドラッグ(当時は規制されてなかった)と酒をチャンポンして寿命をすり減らしながらなんとか生きるメンヘラになっていた。
「あなたの人生は私には眩しすぎる。どうか幸せになってね。さよなら」
繋がっていたって具体的に何か助けるとかできなかったけど。福祉系の色んなところに電話かけても、「友達って間柄では行政は動けません」って言われたし。そりゃあそうなのは今ならわかる。かといってじゃあお前が助けろって言われても、お金を渡したりするほど裕福でもなかった。
そんな感じで、友達でいつづけてたまに連絡したりご飯食べたりする関係そのものがその子にとって毒だったのも今ならわかる。友達でいたかったのはこっちの自己満足。
たとえ話を一々気にするのも野暮かと思ったけど、一クラス50人の設定が気になったから調べた。
第六条 公立の高等学校(中等教育学校の後期課程を含む。以下この条において同じ。)の全日制の課程又は定時制の課程における一学級の生徒の数は、四十人を標準とする。ただし、やむを得ない事情がある場合及び高等学校を設置する都道府県又は市町村の教育委員会が当該都道府県又は市町村における生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合については、この限りでない。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=336AC0000000188_20200401_429AC0000000029
ほいノ
高専行こうと思えば行けたんだけど、実家離れるの怖くて偏差値45の工業高校へ。
18歳までフリーター。
18歳〜21歳まで定時制に通った。
英語は個人的にそこそこ勉強したけど、数学なんかはⅠの後のAが半分も終わらなかったレベルのバカ校。
この時期は暇で、なぜかやる気に満ち溢れてたから、TOEIC700近くとか日商簿記2級とか色々資格を取った。
24歳でうつになって、30歳くらいまで日雇い・派遣↔無職を半々くらいでリピートしてた。
やってる仕事は大したことなかったけど、幸い仕事中にPCをめちゃくちゃ使うのでやりたい放題だった。
この時にプログラミングを始めた。
ここで年収どんどん上がった。
36歳でうつが再発して辞めて今に至る。
基本は、仕事で使えそうなもの・必要なものをその都度吸収していった感じ。
Webが中心ではあるけど、組み込みとかのハードが絡む分野以外は結果的に広く浅く手を出してる、つもり。
Excel VBA | 1年 |
VB.NET | 半年 |
JavaScript(Node.js) | 4年 |
HTML | 1年 |
SQL | 4年 |
GAS | 3年 |
C# | 1年半 |
TypeScript | 2年 |
Java | 半年 |
C++ | 半年 |
ラダー、FB(三菱、シーメンス) | 1年 |
実務経験があるって胸張って言えるのはこれくらい。
大体習得順。
他には、Python、Julia、R、Fortran、Rust、Go、Dart、Shell、Deno、CSSなんかは少しずつかじってる。
最近はWebに関してはほとんどJS(TS)で済む感じになったので楽。
なんでPLCが最後やねんってツッコミは置いといて、Web系寄りでラダーも触ってるって人は観測範囲ではあんまりいないので、それが俺の数少ない強み。
RDBはPostgreSQL、SQL Server、MySQL、SQLiteの順で実務経験あり。
NoSQLはFirestoreが実務経験あり、実務なしだとNeo4jとか。
PaaSはGCP(Firebase)、AWSの順で実務経験あり。AzureはADとVM周りをちょっと触った程度。
Dockerはよく使うけどKubernetesとかまでは行ってない。
後は産業用の通信プロトコル的なやつを無駄に色々触ってる。Modbus TCPとかORiNとかCC-Linkとか。PLCもそうだけど、あの辺は日本とドイツとアメリカが未だに既得権益で幅利かせててまじで闇深い。その代わりそれをブレイクスルーできればめっちゃ稼げる分野だと思う。
閑話休題。
フリーターでどんな仕事してるか知らないけど、仕事で一日の半分が無くなっちゃうじゃん?
以下、俺の場合ね。
次長クラスの人が「この製造番号でクレームがあったんだけど、作業当時どんなことあったか覚えてない?」みたいなことをわざわざ現場まで何度も聞きに来るんだよ。
作業したのなんて半年前だったりするから一々覚えてないっすよ、って言ってるのに何度も聞きに来るから、イラッとして仕事用のPCで勝手にExcelで業務日報を付けるようにして、イントラのファイルサーバーに置いて「そういう時はこれ見て下さい。次長の貴重な時間が勿体ないです」って言ったのよ。
それだけでめちゃくちゃ喜ばれる。
で、今度はその次長が「この製造番号どれくらいの時間で作業終わった?」みたいなことを現場までわざわざ何度も聞きに来るから、俺はその時またイラッとして、Excelでストップウォッチもどき作って製造番号とか工程ごとに時間計測して記録して、やっぱりファイルサーバーに置いて「これ見て下さい」って言ったのよ。
それでまた、めちゃくちゃ喜ばれる。
最初はプライベートな時間も結構使ってやってたんだけど、そういう周りに喜ばれる効率化を繰り返してると、少しずつ業務時間内で自分のスキルアップに直結する時間を作れるようになる。
自分でこれ面倒くせーな、効率よくできねえかなって思ったら、じゃあどうやって?てのを考える。
ちなみにPCがなくても、たとえばメールアドレスさえあれば今の時代カイゼンはできる。
大きな会社に勤めてるとかだと使うのが難しいんだけど、IFTTTとかが良い例かな。
これはiPaaSっていうサービスの一種で、まあ言葉の意味は覚えなくて良いんだけど、要は「イベントAが発生したら別のイベントBを起こせ」っていうのを登録して、自動化できるWebサービス。
例えば、あなたが日雇いの会社にいて、毎日違う現場に働きに行くとする。
で、出勤前、現場到着時、勤務終了の時にLINEで毎日報告しなきゃいけないとする。
で、その報告を受けた事務方は、Googleスプレッドシートにその都度入力する。つまり、それだけの為の事務員が一人いる。
面倒くさいし、お金がかかる。
そこで、「特定のグループでLINEを受信したら(イベントA)、特定のGoogleスプレッドシートに情報を記録せよ(イベントB)」っていうのをIFTTTに登録すると、少なくとも事務員の入力の手間は省けるってえ寸法だ。
IFTTTはたくさんイベントを処理させたい場合は有料になっちゃうけど、個人で試すぶんにはクレカ登録しなきゃいいだけだから試してみるといいよ。
月1000円で学べる。コスパは圧倒的。
入門コース(学習に180時間と公称してる)がしっかり理解できていれば、Webで大抵のものは作れる。
ただし、大筋は問題ないんだけど、細かい部分で最新技術をキャッチアップできてない可能性があるので、そこは注意した方が良いかも。
https://www.nnn.ed.nico/pages/programming/
N予備校の入門コース終わらせたら、基本情報技術者か応用情報技術者を取る。
そしたら、職歴書の作り方次第で中小企業の社内SEにはまず転職できる。
中小企業の社内SEは、ITリテラシーの低い社員が多い中で「Excelのセルの色が変わらなくなっちゃったんだけど!」とか「複合機が紙詰まりって言ってるけどその紙が見つからない!」とかクソイージーなクエストをこなすだけでおちんぎんが貰える、人によっては天国、人によっては地獄のような職業だ。
ごめん、流石に言い過ぎた。実情は色々と面倒くさい。DXとかバズワードを聞きかじったクソ重役から突然言い渡される重めのミッションとか。
けど安定なのは間違いない。
N予備校の入門コース終わらせたら、基本情報技術者か応用情報技術者を取る。ここは社内SEと同じ。
生産技術ってのは、誤解を恐れずにすげえ簡単に言えば、カイゼンばっかりやってる人たちのことだ。
あんまり詳しくは言えないんだけど、俺が最後にやっていた仕事は言わば生産技術だった。
で、中小企業の生産技術は、Webに強い人材をかなり欲しがっている。有り体に言うとIoTとかね。
IoTは最近、セキュリティの強化がかなりクローズアップされていて、そのせいで二の足を踏んでる企業が多い。
そこに滑り込むのはアリだと思う。
よく「T型人材」って言われ方をするけど、どっちのスペシャリストの言うこともある程度分かる「橋渡し」的な人材になると途端に貴重になって需要が増すので、上昇志向があるなら「Web+何か」の組み合わせでお金稼ぐのが良いんじゃないかな。
ま、橋渡しって自然とプロマネとか任されがちで、裁量大きくて大変なんだけどね。
質問あればどうぞ。頑張って。