はてなキーワード: 姉妹とは
朝5時に目が覚め、することもないのでスマホをいじっていると、以前言及したブルマー情報局というサイトで、フランス映画「Peppermint Soda」でブルマーが見られると書いてあった。しばらくはブルマーについて調べるのはよそうと思っていたのだが、目覚めた直後には自制心があまり働いていないせいだろうか。ついつい時間を費やしてしまった。たばこを吸ったことはないのだが、禁煙をしていてつらいのは目ざめの一服を我慢することじゃないか、とあてずっぽうで考えた。
原題は「Diabolo menthe」で、1977年に公開された青春映画だ。監督はDiane Kurysで、女優でもある。ウィキペディアによれば半自伝的な作品が多い。以下、英語版のウィキペディアから抜粋する。
舞台は1963年、13歳のアンヌと15歳のフレデリックは両親が離婚したユダヤ系の姉妹である。二人は母とパリに住み、夏休みは海辺で父と過ごすが気まずく感じている。二人の通う学校は規律が厳しい。
妹のアンヌは思春期の入り口にいるがあまり社交的ではなく、成績もよくない。周囲で何が起きているかを母や姉から盗み聞きして知ろうとする。成績は良くなく標準以下で、不公平な教師に対処しないといけない。あるときは姉の一年前に書いた小論文を剽窃したのが見つかっている。また、初めての生理や男の子と話すことや、問題を起こした後で母と問題に対処しなければならない。
対照的に姉のフレデリックはより外向的で政治的意識も高い。特にアルジェリア問題と反核運動に関心を持っている。自分よりずっと年上の人に片思いをして、初めて本格的な恋の痛みを感じ始めている。また、初めて逃げだした友人や、価値観の違いによる友情の喪失も経験する。
例えばyoutubeの予告編に出てくる。大体0:38頃である。
https://www.youtube.com/watch?v=lGpU3y8RAFM&ab_channel=DulacDistribution
他にももう少し鮮明な画像があるページもあったが、「映画を無料でダウンロード!」と書いてある危険そうなサイトだったり、映画での性的なシーンをつなぎ合わせた違法アップロードだったりするので、リンクは張らない。どうしても気になる方は英語やフランス語のタイトルで検索してほしい。
で、肝心のブルマーを見てみると、ブルマーというよりは極端な短パンに見える。前列右から2番目の子を除いて、他の国のようなショーツ型ブルマーではないようだ。さらに、生徒によって短パンやシャツの色が違っている。フランスではブルマーが制服として採用されたのではないらしい。
しかし、逆にそこが興味深い。この仮定が正しければ、制服ほどの強制はなかったにもかかわらず、1960年代のフランスではブルマーに近い短パンを生徒が自主的に着ていた可能性があるからだ。もちろん何の証拠もないし、強制ではないにせよブルマをはく雰囲気があっただけでも強要されたように感じた人もいるだろう。ただ、当時のファッションの傾向としてブルマ的短パンが許容される風土があったのやもしれない。奇しくも60年代はミニスカートが初めて流行した時代である。当時の青ブルマーはおしゃれの先端だったのだろうか。
この映画、ちょっとだけ年端もいかない少女の下着姿や乳房が映っている(該当シーンがアップらされていたのも、リンクを貼らなかった理由の一つだ)。昔の芸術系の映画にはたまにあるが、やっぱりショックだ。ショックなのはそのためらいのなさと、どうしても一瞬は美しいと感じてしまう自分の感覚だ。
ここでは表現の自由と検閲の是非については議論しない。専門外なので解像度の低い議論はしたくない。
ただ断っておくと、今は少女の裸体を(少なくとも実在する児童の写真・映像なら)禁じるのは当然だと思う。悪の定義が「なにも知らぬ無知なる者を……自分の利益だけのために利用する」ことならば、まさにその定義に該当するからだ。性についてまだ知らない相手を同意なく性的に扱うのは間違っている。
一方で、グーグルで「少女 ヌード」と画像検索すると一件も引っかからない。正しい処置だと思う。けど、大企業によるあからさまな検閲は正しくてもなんだか怖い。
映画の配信とかも怖いと感じるのがそれで、どのような理由であれ、いつ同意なく内容を差し替えられてしまうか、それが怖い。
ところで、表現の自由に調べてみると興味深い事実に行きあたることがある。
たとえば英語版wikipediaの「Pornography_in_Europe」を読んでいると、「Like Denmark and the Netherlands, Sweden does not regulate pornography and the country has no age laws for the possession or viewing of pornography.」つまり、スウェーデンでは18歳未満であってもエロ本を見ることは違法ではないのだ。「Some shops follow a voluntary limit and do not sell to minors.」ともあり、実際には売らない店もあるらしいのだが、売るなと法で定めているわけではない。
またフィンランドでは「It is legal to sell pornography in any store, but magazines may not be sold to buyers less than 15 years of age, and hardcore is restricted to buyers aged at least 18.」つまりソフトコアなら15禁、ハードコアなら18禁とわかれているらしい。
ただし、どちらの国でも18歳以下のモデルは禁じられている。
以上、全くの余談だ。
一応、初めてテニスの見せパンをはいた選手について書こうとは思っている。ただし、いつになるかはわからない。数ヶ月後くらいかな。
こっそり追記。
ドイツに一歩及ばず。
ワンオペ育児で母親がわが子3人を手にかけた事件に対して、予想通り「母親の辛さ」がフィーチャーされている。
小児科医が人を殺したこの母親に同情し、すべての母親のためになんとかしようみたいな話をしているし、
育児垢が「私とこの母親は地続き。批判してる育児垢見たら実家住みだった、人生いろいろ育児もいろいろ」とか言ってる。
まるで母親の自己実現のために育児してるかのような言い草に失笑を禁じ得ない。人生いろいろだから生後数か月で親に殺されてもしょうがないってか。
法の下の平等に準じて我が子を手にかける所業には重きを置かないにしても、「そんなに辛けりゃ一人で勝手に死ね」と言われもおかしくないはずなのに。
そもそもワンオペになるのに3人も産むなとか、共助を拒否した結果だとかは白饅頭界隈にでも譲ります。
どんな事情があったにせよ、世の保護者に「私も我が子を殺すかも」なんて思ってほしくないので私はもうちょっと優しいアプローチをしたいと思い文章を書いてみます。
簡単に言えば、必要なのはリソースの適切な配分と多チャンネルの開設である。
親のリソースは有限である。よっぽど特殊な環境でない限り、一人の子どもに対してかけられる親の労働力は最大2人だろう。
一方で育児が要求する労働力は2人でも足りない、というのが私の過去の経験からの感覚である。
無論最低限の生存レベルではなく、「親としてしてあげたいこと」がこの要求を無限に引き上げていく。
清潔で快適な環境においてあげたい。たくさん眠らせてあげたい。写真を撮っておいてあげたい。たくさん食べさせてあげたい。
親として最初に考えないといけないことは、この全部を完全に達成することはほぼ不可能であるということだ。
何をしてあげないか決める。何を与えないか決める。何を切り捨てるか決める。これを明確にしておくだけで全然違う。
一度捨てたものには未練を残さない。再びそれに手を伸ばすことは禁忌とする。このルールを守るだけで育児の負担は確実に減る。
しかし往々にしてこれができない。特に母親は。これは善悪の問題ではなく、本能的なものだろう。
体力があろうとなかろうとリソースを延々と子供に注ぎ続け、判断力を失い、ときに鬱になり、最悪の場合子に手をかける。
自分がいかに寝不足でも泣いている子供を無視できない。これはもうそういうものとしか思えないから、無視せよと言っても無理なのだ。
かといってこれが美しいものかと言われれば全然そうは思えないのであって、これを美徳とすることは全く肯定できないのだが、
結局親と子供を引き離す他に親の労働力無限供給を解決する術はないのだ。
古い価値観ではこの役目を同居の祖父母等が担っていたのだが、現代人は他人の干渉を拒絶しているためそんなものは贅沢品扱いだ。
保育園だってパワーカップルのキャリア維持に使われて全員が入れるわけもなく、近所の人は顔も覚えていない。
カネも縁も知恵もない親だとあとはもう根性頼み、運頼みで闇雲に突っ込んでいくばかりなのだ。
だからもう自分で事前にやるしかない。自分は子育てを始めるとまともな思考はできなくなると予想して、安全装置を設置しておく。
それが多チャンネル化、平たく言えば外界と繋がりを複数持つということだ。
必要なのは自分の判断力が弱ってるときにそれを検出してくれる繋がりなので、理想的なのは昔からの友人や兄弟姉妹だ。
親とか義理親は母親自身より子のケアに寄る場合がほとんどだろうからあてにしてはいけない。
相手が独身だろうが不妊だろうが繋がっておく。子供の話はしない、自分の話をする。
ネタ画像を共有したり、腹が立った話をしたり、ふと思いついたときに声をかける相手がいればいいだけ。
そういう保険をかけられる相手との関係をメンテしておくことは普段からの心がけとしか言えないが。
ストレスを逃がし、自分と子を別の存在であることを認めてくれる相手が複数いれば最悪の事態に至るリスクはぐっとさがるだろう。
はてなー、お前らのことでも有るぞ。
ストレスが溜まってくるとキレる理由を探してはキレてくる奴がいる。
マジうぜ~。
素直に愚痴でも吐いてろと思いはするが、いざ愚痴りだすとなげぇなげぇ。
つうか半分ぐらいソイツの勘違いっつーか思い違い。
一人っ子が「僕ちゃんパパとママから一番大きいケーキいつも貰ってたよ?なんで普通に3等分なの?僕が40%でパパとママが30%ずつだったよ僕ちゃんの家では」って愚図りだすようなもんなんだわ。
いやなんでやねん。
お前真ん中やんけ。
いやアレか真ん中が一番強い説有るのか。
姉から見りゃ妹で、妹から見りゃ姉、両親からしたら一人目と三人目をつい優遇してしまっている思い込みから気づけば逆に一番気を使ってしまうのか。
いやゆーてもその感覚を仕事の調整先に対して求めるのはやっぱおかしいだろ。
お前が楽することをお前が最優先にするのはまだしも、なんで組織や社会全体がお前の事を最優先にせなアカンねん。
ほんまムカツクやっちゃわー。
マジなーネットで喧嘩してるのもこのタイプばっかやろぶっちゃけ?
「僕って本当はもっと王様扱いされていいはずなんだけど、なんでお客様のときさえ神様みたいに扱ってくれないの?僕は僕の物語の主人公だよ?主人公補正まだ?」みたいな奴ばっかやんマジキッツ。
んで勝手な思い込みで勝手に期待して勝手な裏切られ感情で溜めたストレスを喧嘩売りまくって晴らしたいって?
はあああああ?????
三人姉妹の真ん中。小さい頃から母に「あなたは1人でも平気だよね」と言われていた。本当は平気じゃなかったけど、長女で父から可愛がられていた姉と末っ子で母から可愛がられていた妹に挟まれていた私は「自分は一人でも平気なんだ」と言い聞かせていた。それぞれが就職して家を出たあと、姉と妹が二人で旅行に行ったり、私抜きで家族旅行に行ったりしたことをあとから聞かされても、「そうなんだ」と気にしていないように振舞った。
最近仕事や人間関係で疲れてしまい、嫌なことばかりが浮かぶようになって、上記のことに急に苦しくなってきた。疲れて姉の話にうまく応対できない時、母は私を叱る。妹と母と出かけると、お姉ちゃんなんだからと妹の分の服を買わされる。母にとって私はいつでもニコニコ話を聞かなければならない人かつ財布なのだろうかと悲しくなる。たしかに私は姉妹の中で一番収入が高いけれど、それは家族に還元するためだけに稼いでいるわけではない。
こんな風に言いながらきっと家族からは逃れられないし、母に「頭がおかしい」と言われる度に謝り続けるのだろう。完全に縁を切るのは怖い。吐き出せてよかった。明日からも生きていきたい。
なんと言うかお互い前提が違いすぎる気がする。
私は男だが、婚活だろうとデートだろうと、最初の食事ってのは、この人にほんきには本気になっても良いのかなって見極める面接みたいな感覚なんだよな。
だから、高い料理をだす出す程本気で落としに行ってるんじゃないし、恋人でもないまだ他人の段階なんだ。
取引先みたいに今後お付き合いをして行きたい人ではなく、取り敢えず試供品配ってリピーターになるかを確認されてる消費者みたいなイメージである。
だが、女性の意見を見るに、誘われたと言うことはガチ恋勢だから本気で落としに来るはずと思い込んでいる。
ナンパ師でもないんだから、飯食ってそのまま生中しようなんて思っては居ないし、ましてや惚れられてるなんて自己評価高すぎてビビる。
何も買ったこと無いのに大得意様並みの割引率を要求してくる一見様くらい厚かましいとは思わないのだろうか?
結局、男は養う側女は養われる側と言う意識はのままなんだと思う。
だったら本当に正社員やフルタイムで男性より稼ぐのやめて欲しいし、男性に多めに給与を出すような時代が正しかったのだろうとさえ思う。
男性の友人からも、女性は本気で婚活なんかしてないと愚痴を言われるし、姉妹からも男は本気で婚活なんかしてないと言われる。
しばらくこの構図は変わらんのだろうな。
腐女子がプラットフォームの仕様を理解していない&SNSとインターネットの仕組みを理解していないのは
『知的な困難を抱えている人物』or『禅でも極めているレベルで物を考えない人物』だからで終わる話なので言及しない
(その見本のブクマカたち → https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220206222214)
>もしかして女性SNSユーザーは他人のことを自分の摂取する情報を自分でコントロールする能力がないゾンビかトロールか何かのように思っているんだろうか?
腐女子たちはあらゆる自己選択・自己責任から逃げているので "嫌なら見るな" だってもちろん出来ない
彼女たちにとってあらゆる情報は自分自身が取捨選択するものではなく、自分以外の何かに無理矢理見せつけられる物なのだ
児童福祉と親の教育の権利に配慮してゾーニングを徹底しようという意識から "無理矢理見せつけられる" 発言が出てくるならまだわからないでもないが、
基本的に腐女子たちは共同感覚が欠如していて海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
(ちなみにジャンプは過去にはスポーツ漫画の公式スピンオフを同作品のbl描いていた(る)同人作家に描かせていたりもする。
もちろんポルノファンタジーの対象になっていたキャラは"未成年"だ)
日本を代表する出版社ですらこの有様なので App Store も女性向け男性向けともにヤベーことになっており、
英語圏なら 17+であってもキックされるゲームが日本ではまさかの全年齢でリリースされている
Apple が lazy なのは今更指摘するまでも無い事だが、
金に物を言わせてレーティング無視するパブリッシャー(アニプレックスなど)の倫理観の無さもなかなかどうしてである
人類は所構わずセックスちんこまんこってやってる個体を積極的に淘汰してきたし、
お布団の中のこと(性癖)は男女ともお外では口にしないのは人権が生まれる前からの暗黙の社会ルールである
この暗黙の社会ルールを親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然に学ぶことができないとして、発達障害(特にADS) 向けの支援サイトなどでは、愛情・性愛表現を公開して良いシーン、ポルノの取り扱い方を明示的に示していたりもする
・・・にも関わらず、なぜ腐女子は大手を振って差別的なポルノファンタジーであるBLを愛好しているとネットで表明出来たり、オフ会や同人誌即売会に参加して自らの顔を第三者に晒す事が出来るのか?
社会インフラが発達し生活にゆとりが生まれ子育てコストが下がったので社会全体が性に寛容で奔放になった?
もちろんそんな事はない
今もなお子どもが成人するまでのコストは高く、子どもの人権が守られる国ではお気軽にセックスしてポコポコ作れないし、
児童福祉と親の教育の権利に配慮し、性表現には年々厳格になっていっている
性衝動は男女とも持つもの、女もBLなどのポルノ・ツールを使って積極的に自己解放すべきという一種のウーマンリブ?
もちろんそんな事はない
もしそうならポルノの公開・共有の仕方はともかくまだ救いがあるが、
腐女子たちはポルノファンタジーを愛好しておきながらオナニーに使わないと言って憚らないだけでなく、
『わたしは性欲を持っていない』と言って憚らない
ちなみにこの『性欲を持っていない』というのは、
生物における性欲とエロ(eros)は違うといった類いの話でも無い
腐女子らにとってセックスは、自己決定で望んで楽しくするものでは無くて、
"恋人" や "妻" という肩書きを得る為に、直球で "(理解ある彼くん等に) 養って貰うために"
だから腐女子らはキスやボディータッチやセックスのいずれかを必ず描写する。なにせ彼女たちにとっては肩書きを得るための義務だからだね
そして義務なのでわたしが望んでやった事ではない=性欲は無いという事だそうな
ここから既にコケている逃げているのに女性の社会進出もなにもねーのである
実際、はてブでヤベー言動をしている腐女子ブクマカを眺めていると、当たり前のように男に縋るしか無い思考であり経済レベルもヤバければ自己実現も他者任せだ
自己選択を楽しむ・責任を持つという発想がなく、当たり前のように化粧をすべき・化粧を強いられているとかならやっている
父親が同年代で、かつて治療拒否をしたことがあるので、他人事じゃないと思った
家族はみんな父の治療拒否をなんとか思い直してもらいたいと考えていたが、何を言っても父親は聞かなかった
父親の兄弟姉妹にも説得を頼み、何人かが説得に出向いてくれたが、やはり父親は聞く耳を持たなかった
家族皆、諦めはじめていた
結局治療するかどうかは本人が決めるもの、こちらが何を言っても聞かない・治療を受けないならもうどうしようもない、
がその後、父親はとあるきっかけから治療を再開し、命はつなぎとめた
タイトルからして普通にイングランド王のメアリー1世とエリザベス1世の映画かと思っていたけれど違ったのか
エリザベスはエリザベス1世でいいけれどメアリーはメアリー・スチュアートの方らしい。
あと、ガラスの仮面の作中作の『二人の王女』のオリゲルドとアルディスのモデルもやっぱりメアリー1世とエリザベス1世なのかと思っていたんだけど
どうやらメアリー・スチュアートの方らしい…?えー?こっちのメアリーとは別に姉妹でもないし違和感あるなあ。
エリザベス1世と対比させる『メアリー』なら普通にメアリー1世の方でよくないだろうか?
二人とも男児に執着する父王のせいで庶子に落とされ母を失い艱難辛苦を舐め
最後には政敵だった相手を後継者に指名する似たような行動を取っているし
よくある異母姉妹の対立を超えて祖国の命運そのものを案じる大局的な視点を持っていたところが似ていたんだって思う
そこを行くとメアリー・スチュアートってぽっと出てすぐ処刑されたし行動も場当たり的で思慮分別に欠けるとしか思えないし正直そこまで重要な人物に思えない
生活保護、障害年金持ちフリーランス。日銭を稼ぎながら納税できない代わりに余剰にもらう分のお金を国に返してる。
年度初めに取引先全てに契約を切られた。まあ、能力がなかったのだろう。いい機会だしもう元気になったしと言うわけで脱生活保護を目指して就活を始めた。医者ケースワーカーその他もろもろがもう少し休んで!と言うが知るか。5年も休んで来年には三十路。今年が勝負なのだ。
まずはなんの仕事に向いてるのかハロワの職業診断をした。結果、何にも向いてなかった。能力が普通の人よりだいぶ劣るらしい。
どうしましょう…と言ったら詳しい職業診断を受けるために障害職業なんたらとか言う施設に行けと言われた。行ったら医者の意見書持ってきてくださいねーと言われた。お金は立て替えますと言われたが立て替える金がないので利用することはないだろう。あと今からだと支援受けれるのは4月からですねってなめてんのか。
どうやら職業適正を受ける権利もないらしい。友人に愚痴ったら生活保護って働かなくていいな〜と言われた。
生活保護を抜け出そうとすると役所医者家族からまた警察と病院のお世話になる気か!頼むから大人しくしてくれ!と言われ、生活保護のままでいると生活保護は楽でいいねと言われる。どうしろと。
失うものは何もない。なんなら今住処も無い。障害者施設のトラブルに巻き込まれて従姉妹宅に居候している。
書いててイライラしてきた。私は障害者が嫌いだ。施設にいる時、障害者の男から怖い思いをするような事をされたからだ。その施設はやめたけれど、今度は別の障害者の女から怖い思いを受けることになった。だから障害者専用の職場には行けない。行きたくない。
失うものが何もない無敵の人になってしまった。最近色々な無敵の人が雨後の筍の様にわいてきているけれど、私もその中に入るかもしれない。電車やバスに乗るたびに周りにイライラする。私は生活保護を脱して普通になりたいだけなのにどうしてみんな邪魔したりするんだろう。
同じく生活保護の親に至っては子供産めば母子手当がもらえる!と婚活している。ああはなりたくないと毎日毎日頑張っているのに誰も認めてくれない。
私に少しの勇気があれば今すれ違った人をぶん殴ることができたかもしれない。私に少しの勇気があれば毎日うるさい下の階のジジイを殴れたかもしれない。でも勇気がないから自分を見て!と世間にアピールすることもできない。
無力だ。死んだ方がいい。