はてなキーワード: 堀北真希とは
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
私は…ルッキズムが嫌いだった……
学生時代、エヴァを見ては「綾波レイがかわいくなかったらクラスで絶対いじめられてる」とか野ブタ。をプロデュースを見ては「野ブタが堀北真希じゃなかったら修二も彰も現れないんだが」…とかしょうもないルサンチマンを抱えながらアトピーと戦いちょっといじめられつつ生きてきた。
が、ひょんなことから5年ほど前にイケメンの旦那と結婚してしまい、「顔がいいってすごい」と感じる毎日である。
ご飯食べると昼でも夜でもすぐ寝ちゃうのかわいい、ジュース買ってくると喜ぶのかわいい、在宅勤務でひげ伸びっぱなしかわいい、酔ってすぐ寝るかわいい、最近ちょっと出てきたお腹を気にしてフィットボクシングに励むかわいい、私が台所でご飯作ってるとドアの隙間から顔半分出して覗いてくるかわいい(「今日のご飯なに?なに?」なのか「手伝う?手伝う?」なのか分からないがかわいい)
でも一番かわいいと思うのは、ソファで昼寝するとき毛布をかけずに抱き枕のように毛布に抱きつきながら寝てるとこ
もちろん、旦那の良いところは顔だけではない。
でも時おり15歳の私が心の奥から問うてくる「『かわいい子は性格も良く見える。逆は…』ってニヤニヤしてたクラスの男子と今の私、何が違うんだ?」と。
いや、旦那のことは全てじゃないけど付き合ってきた年数分よく知っていて、その上で私にとって唯一無二の存在であり、ぶっちゃけ昔のことなんてどうでもいいのだけれど。
ただ、なんで私と結婚してくれたんだ?とは今でも思う。
とりあえず、頑張って稼ぐね!
10-15
住田萌乃(11),川島夕空(11),本田望結(15),鈴木梨央(14)
15-19
浜辺美波(19),芦田愛菜(15),上白石萌歌(19),清原果耶(17)
小芝風花(22),広瀬すず(21)、橋本環奈(20)、中条あやみ(22)、池田エライザ(23)、松岡茉優(24),福原遥(21),杉咲花(22),上白石萌音(21),土屋太鳳(24),永野芽郁(20),広瀬アリス(24),橋本愛(23),優希美青(20),黒川結菜(22)
25-29
波留(28),高畑充希(27),黒木華(29),吉岡里帆(26),二階堂ふみ(25),有村架純(26),夏帆(28),門脇麦(27),桐谷美玲(29),山本美月(28),谷村美月(29),真野恵里菜(28),清野菜名(25),能年玲奈(26),大政絢(28),福田沙紀(29)
30-34
石原さとみ(32),戸田恵梨香(31) ,長澤まさみ(32),蒼井優(34),綾瀬はるか(34),仲里依紗(30),沢尻エリカ(33),宮崎あおい(33),満島ひかり,新垣結衣(31),安藤サクラ(33),上戸彩(34),木南晴香(34),多部未華子(30),堀北真希(31),榮倉奈々(31),井上真央(32),吉高由里子(31),杏(33),上野樹里(33),木村文乃(32),松下奈緒(34),三倉茉奈(33),三倉佳奈(33),貫地谷しほり(33),比嘉愛未(33),本仮屋ユイカ(32)
35-39
深田恭子(37),柴咲コウ(38),安達祐実(38),真木よう子(37),広末涼子(39),小西真奈美(41),小池栄子(38)尾野真千子(38),栗山千明(35),田畑智子(38)
40-44
米倉涼子(44),仲間由紀恵(40),中谷美紀(43),麻生久美子(41),菅野美穂(42),井川遥(43),市川実日子(41),松たか子(42),ともさかりえ(40),木村佳乃(43),内田有紀(43),小雪(42),佐藤仁美(40),吉瀬美智子(44)
45-49
吉田羊(45),稲森いずみ(47),深津絵里(46),松雪泰子(46),篠原涼子(46),宮沢りえ(46)、,永作博美(49),牧瀬里穂(47),宮沢りえ(46),中山美穂(49),堀内敬子(48),常盤貴子(47)寺島しのぶ(46),西田尚美(49),和久井映見(48)
50-54
鈴木京香(51),天海祐希(52),沢口靖子(54),若村麻由美(52),石田ゆり子(50),南野陽子(52),原田知世(51),財前直美(53),小泉今日子(53),富田靖子(50),斉藤由貴(53),有森也美(51),羽田美智子(51),鈴木保奈美(53)
55-59
黒木瞳(59) ,室井滋(59),浅野温子(58),浅野ゆう子(59),薬師丸ひろ子(55),高橋ひとみ(58),キムラ緑子(58),山口智子(55),真矢みき(55)
60-64
大地真央(63),大竹しのぶ(62),余貴美子(63),戸田恵子(62),片平なぎさ(60),古手川祐子(60)
65-69
70-74
吉永小百合(74),宮本信子(74),泉ピン子(72),倍賞美津子(72),富司純子(73)
75-79
80-84
吉行和子(84)
85-89
堀北真希は美人で、若くして二児の母になれるのが羨ましいなあと思う。お金があれば子供は二人でも三人でも作れる。
しかし、きょうだいを作ったとしても必ずしも仲がいいということははく、きょうだいがいることで嫉妬や格差が生まれて家族間でギスギスしてしまうかもしれない。
堀ちえみのように仲のよい家庭が作れればいいけれど。
私は既婚者で、今は妊婦であるが、この出産を最初で最後のお産にしたいと思っている。
私にはきょうだいがいるが仲が悪い。今は成人した大人であるのできょうだいで普通に会話するが、自分のきょうだいのことは今でも嫌いである。きっと私のきょうだいも私のことを嫌っている。というかライバル視している。詳細は書けないが、娘から見ると絶対に親のきょうだいの教育の仕方が悪かったと思う。どうして、きょうだいが仲良く育つように教育してくれなかったんだろう。この影響で私は自分がきょうだい児を育てることに良いイメージがない。世の中には仲が良い素晴らしいきょうだいたちがたくさんいるけれど。
きょうだいを健やかに、誠実に育てるって実はものすごく大変で、気も使うし、教育費だって、もちろん子供が増えるたび増えていく。
私は住宅ローンをしっかり払っていきたいし、老後の資金もしっかり貯めていきたいし、子供には奨学金を借りさせずに進学させたい。そう思うと一人っ子がいいなあと思う。
堀北真希や佐々木希やお金もあって、美貌もあって、きょうだいを産む余裕がある家庭は羨ましいな。
お母さんが若くてものすごい美人というだけで子供の自尊心が強くなりそう。私の親戚に親が医者のいとこがいるが、「私のパパはお医者さんなの」と幼いときに自慢していたらしい。親の職業や容姿も子供の心に大きく影響する。
それにしても、堀北真希は本当に羨ましいなぁ。金髪もよく似合っているし夫婦仲もいいし、スクープされたマタニティ姿もマスクをしていても幸せ感がいっぱい。女優時代も好きでした。
私も早くママになりたいな。そして、幸せな家庭を築く。私は堀北真希にも、佐々木希にもなれないけれど、私が好きになれる私でありたい。
横だが、会社に堀北真希似の女子がいたのだが、先輩(男)の業務上の指示にいちいち噛み付いてて先輩大変そうだったから、彼女をかわいいとは思えなくなったし、次第に堀北真希をかわいいとは思えなくなってしまった。
女だけど、堀北真希が結婚したとき本当に自分でもよくわからないショック受けてびっくりしたことある
ヘテロだしそれまでごく普通にいいなあと思ってた女優さんくらいに思ってたからほんと驚いて
色々考えたんだけどどうしてもまだ答えが見つからないな 男性の俳優さんの結婚にもそんなショック受けたことなかったし
彼女が俳優業をやめてしまってもう見られないと思うことの辛さとか相手があんまり好きな俳優じゃないからかなとか
ちょっとずつ思い当たる節はあってもそれは増田が言うような独りよがりな考え方だってことはわかってるし、
自分には何の関わりもない人の結婚なんだからこんなショック受けるのおかしいよな~とも思って
どれもほんとの理由じゃないような気がしてる 単純に思ってたよりめちゃくちゃ好きだったのかもしれないけどね
どういう場合でもすごい好きで応援してる俳優さん女優さんなら素直におめでとう~って思えそうなもんだよね
女優界の「華の88年組」と言えば、新垣結衣、戸田恵梨香、堀北真希、吉高由里子だ。新垣結衣は他の三人に比べて、知名度の割に作品の受賞歴や出演数は少ない。「同世代の女優さんが実力派として認められているのに、私はいつまでも変われない」と本人も言ったとか言わなかったとか。確かに、インターネットでは「ガッキーはどの作品に出てもガッキー」、「かわいいだけの演技」等、彼女の演技自体を褒める意見は少ない。
ガッキーがどうこうってより、戸田恵梨香や堀北真希がどれほどの女優なんだよ。
俺は堀北真希は好きだったけど、あの人が女優として凄かった作品てわからん。
ドラマは特に大概全部酷い。逃げ恥一本でガッキーが勝ってると思う。
吉高由里子はまあ。
それぐらいじゃん。
「獣になれない私たち」を2話まで観た。脚本家の野木さんは新垣結衣が本当に好きなんだな~と思った。
「獣になれない私たち」は、新垣結衣演じる深海昌が主人公のドラマ。「常に笑顔」、「仕事は完璧」で誰からも好かれ、愛されている女性だ。でもそれは、彼女の身を削る努力で成り立っている。みんなに気を遣い、我慢し続けていたら、次から次に仕事を任され身も心もすり減る様子が1話では描かれていた。
「営業アシスタント」の仕事の範囲を超えて、辞めた秘書の代わりにパワハラ社長の無理難題に答え、自分の仕事に責任が持てない若手社員のミスを必死でカバーし、顧客の前で靴を脱いで土下座までする昌。(「女の子困らせるの趣味じゃないんだけどな~ごめんね~」と言って土下座している新垣結衣の頭を撫でた奴の気色悪い顔と声を俺は忘れない)
このドラマでは「獣」と「獣になれない人」二つの相反するキャラクターが描かれている。昌はもちろん後者だ。「獣」とは強い人。自分が着たい服を人目も気にせず着られて、本能と直観で動いて、恋に落ちることが出来る人。菊池凛子演じる橘呉羽がその典型例だ。ブランドデザイナーの彼女の生き方は自由そのもの。交際0日で結婚も決めてしまう。
自称「簡単に人を好きになれない」昌はそんな呉羽に憧れる。一時は仕事で身も心もすり減り、線路に飛び込んで自殺しかけた彼女だったが、呉羽がデザインするブランドの服(昌の言う「強そうな服」)を身に纏い、社長に業務改善要求を出して抵抗する。
脚本家の野木さんは、どんな日本社会のコミュニティに存在する、昌のような「獣になれない人」に向けてこのドラマを作ったのだろう。3話からも「獣になれない人」がどう生きるべきか教えてくれるはず。
前置きが長くなったが、このドラマで何といっても重要なのは「新垣結衣」の存在だ。
主人公の昌を演じる新垣結衣がなんというかもう、めちゃくちゃはまっているのだ。
1話でドキッとするシーンがある。
クラフトビール店「5tap」で松田龍平演じる根元は、昌をこう評する。
あの女がキモい。前から思ってたんだよね。なんかお綺麗だけど嘘っぽくない?あの完璧な笑顔がなんかキモい。俺ああいう人形みたいな女だめだわ。
それを後ろで昌は聞いている、けど聞いていないフリをするというシーン。もちろん昌に対しての根元の意見なのだが、「新垣結衣」に対して言われるように感じて視聴者はドキッとする。
女優界の「華の88年組」と言えば、新垣結衣、戸田恵梨香、堀北真希、吉高由里子だ。新垣結衣は他の三人に比べて、知名度の割に作品の受賞歴や出演数は少ない。「同世代の女優さんが実力派として認められているのに、私はいつまでも変われない」と本人も言ったとか言わなかったとか。確かに、インターネットでは「ガッキーはどの作品に出てもガッキー」、「かわいいだけの演技」等、彼女の演技自体を褒める意見は少ない。
「ガッキー=かわいい」は日本国民の総意であり、この欺瞞・偽証が渦巻く社会の中で唯一正しいと信じられる、決定的な事実である。しかし、私たちは国民それを彼女に背負わせてはいなかっただろうか。彼女は私たちが作り出した「新垣結衣のイメージ」を崩さないよう必死に生きていたのではないか。
新垣結衣がダンスについて、実は苦手だと語ったインタビューがある。
可愛すぎる新垣結衣 実は苦手「なのに、なんでいつも踊ってるんだろう」
グリコ「ポッキー」のCM、逃げ恥等、ダンスのイメージが強い彼女だが、「ダンスは習ったことがないし、どちらかといえば苦手分野。なのに、なんでいつも踊ってるんだろうなあと思います」。と語る。周りの期待に応えるため、苦手なことでも受け入れて笑顔で楽しむ。出来てしまうからやってしまう。周囲もそれに甘える。まさに昌ではないか。
脚本家の野木さんは、日本社会のコミュニティに存在する、昌のような「獣になれない人」に向けてこのドラマを作った。そして、それは昌を演じる「新垣結衣」にも向けられている。
決定的なのは、新垣結衣がブーツ(しかもかなり高い)を履いたシーンである。新垣結衣は実は身長が高い、というのは有名である。公表では169cmだが、もう少し高いのでは?という意見もある。しかし、「かわいい」というイメージを守るため、共演者が厚底の革靴を履いたりして、彼女を小さく見せる工夫をするケースがこれまで何度かあった。脚本家の野木さんはそんな彼女にブーツを履かせた。しかも前述した呉羽がデザインするブランドの服(昌の言う「強そうな服」)としてだ。これは、野木さんから新垣結衣への「ありのままでいいんだよ」という愛あるメッセージに他ならない、と私は思う。
みんな見てね!!!
昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識も素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。
来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。
それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。
チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。
昨年1月、松居大悟監督の映画「アズミ・ハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様を暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。
この映画の主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw
”不安を言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”
チャットモンチーというのが、かように豊饒な言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督のオファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。
それからYouTubeでチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。
それまでの俺の中でのチャットのイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年だから俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。
”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”
俺にはほぼ縁がなかったピュアピュアな恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラスが運動会の応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……
ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行ものに必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいたものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。
ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。
それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である。
“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”
スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラを放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我の肥大化に慢心もできる。しかし歌詞はこう続く。
“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”
そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱や栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。
この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。
さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか?
ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフトを惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己史認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉子作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A)
中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーそのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。
後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。
そういう子だね、と好きなアイドルのことを、友人から言われた。彼女は私が数年来、ゆるゆると見守っている地下アイドルの女の子だ。
顔は福原遥に似ていて、声はまさに鈴が鳴るような可憐さ、歌もダンスも上手い努力家で、関西弁がかわいい。年齢も若い。目立った欠点は見当たらない。
贔屓目だろうと思われそうだけれど、人に見せると一目で「こんな子が地下で燻ってるの?」と言われるほど、とにかく顔面が可愛い。
贔屓目を存分に発揮するなら、顔ならAKBセンター余裕なのではないかと思っている。私なら、整形するとき堀北真希の写真よりこの子の写真を見せる。とにかく顔が抜群にいい。けれど、彼女はフォロワー数500代の地底を彷徨っている。
3、4年、地下でアイドル活動をしてきて、ついに代々所属していた4つのグループが全て解散という形に終わり、このまえ、彼女は俳優志望に転向したらしい。
歌もダンスも上手だったから、悲しい。推し始めた頃は「いつか絶対ビッグになる!」とワクワクしていたが、ここまで燻っているのを見ると、本当にいつか発掘されるのだろうかと不安になる。