はてなキーワード: 呉羽とは
これは古墳時代後期、飛鳥時代より前、高句麗と日本が朝鮮半島の覇権を争っていたころ、
大陸より伝来した、漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)を暗喩していると思われる
派遣争いのあった時代の言葉の引用は、現代の部民制、派遣会社の繁栄を示唆していよう
一方、クレハと呼ばれている呉羽紡績、呉羽化学の後裔は、現在、福島県に派遣会社を持っているが、福島はこれまでも、集団就職、原発誘致など、国策実施の先鋒となってきた地域
エヴァンゲリオンという名称自体、戦争を推進してきた独逸学協会の後ろにいた福音派プロテスタント教会、東京・横浜のドイツ・エヴァンゲリオン教会クロイツキルヒェ『Die dritte Kirche』第三教会を暗喩していることからすれば
かつての日本人の政治への無関心ぶりを確かめるバルーンとしてのアニメでもあったと思われる
そしてメディアはエヴァを一種のカルトとして扱い、背景たる文化・歴史を語らないのであり、そのことは、今でもプロテスタントの影響が相当にあるということを示している
そして暗喩を暗喩と気づかないバカをバカにしつつ、かつ統合失調症もバカにしながら、メンヘラ的な理性を欠いた思考による忖度文化を誘導したと言えよう
「獣になれない私たち」を2話まで観た。脚本家の野木さんは新垣結衣が本当に好きなんだな~と思った。
「獣になれない私たち」は、新垣結衣演じる深海昌が主人公のドラマ。「常に笑顔」、「仕事は完璧」で誰からも好かれ、愛されている女性だ。でもそれは、彼女の身を削る努力で成り立っている。みんなに気を遣い、我慢し続けていたら、次から次に仕事を任され身も心もすり減る様子が1話では描かれていた。
「営業アシスタント」の仕事の範囲を超えて、辞めた秘書の代わりにパワハラ社長の無理難題に答え、自分の仕事に責任が持てない若手社員のミスを必死でカバーし、顧客の前で靴を脱いで土下座までする昌。(「女の子困らせるの趣味じゃないんだけどな~ごめんね~」と言って土下座している新垣結衣の頭を撫でた奴の気色悪い顔と声を俺は忘れない)
このドラマでは「獣」と「獣になれない人」二つの相反するキャラクターが描かれている。昌はもちろん後者だ。「獣」とは強い人。自分が着たい服を人目も気にせず着られて、本能と直観で動いて、恋に落ちることが出来る人。菊池凛子演じる橘呉羽がその典型例だ。ブランドデザイナーの彼女の生き方は自由そのもの。交際0日で結婚も決めてしまう。
自称「簡単に人を好きになれない」昌はそんな呉羽に憧れる。一時は仕事で身も心もすり減り、線路に飛び込んで自殺しかけた彼女だったが、呉羽がデザインするブランドの服(昌の言う「強そうな服」)を身に纏い、社長に業務改善要求を出して抵抗する。
脚本家の野木さんは、どんな日本社会のコミュニティに存在する、昌のような「獣になれない人」に向けてこのドラマを作ったのだろう。3話からも「獣になれない人」がどう生きるべきか教えてくれるはず。
前置きが長くなったが、このドラマで何といっても重要なのは「新垣結衣」の存在だ。
主人公の昌を演じる新垣結衣がなんというかもう、めちゃくちゃはまっているのだ。
1話でドキッとするシーンがある。
クラフトビール店「5tap」で松田龍平演じる根元は、昌をこう評する。
あの女がキモい。前から思ってたんだよね。なんかお綺麗だけど嘘っぽくない?あの完璧な笑顔がなんかキモい。俺ああいう人形みたいな女だめだわ。
それを後ろで昌は聞いている、けど聞いていないフリをするというシーン。もちろん昌に対しての根元の意見なのだが、「新垣結衣」に対して言われるように感じて視聴者はドキッとする。
女優界の「華の88年組」と言えば、新垣結衣、戸田恵梨香、堀北真希、吉高由里子だ。新垣結衣は他の三人に比べて、知名度の割に作品の受賞歴や出演数は少ない。「同世代の女優さんが実力派として認められているのに、私はいつまでも変われない」と本人も言ったとか言わなかったとか。確かに、インターネットでは「ガッキーはどの作品に出てもガッキー」、「かわいいだけの演技」等、彼女の演技自体を褒める意見は少ない。
「ガッキー=かわいい」は日本国民の総意であり、この欺瞞・偽証が渦巻く社会の中で唯一正しいと信じられる、決定的な事実である。しかし、私たちは国民それを彼女に背負わせてはいなかっただろうか。彼女は私たちが作り出した「新垣結衣のイメージ」を崩さないよう必死に生きていたのではないか。
新垣結衣がダンスについて、実は苦手だと語ったインタビューがある。
可愛すぎる新垣結衣 実は苦手「なのに、なんでいつも踊ってるんだろう」
グリコ「ポッキー」のCM、逃げ恥等、ダンスのイメージが強い彼女だが、「ダンスは習ったことがないし、どちらかといえば苦手分野。なのに、なんでいつも踊ってるんだろうなあと思います」。と語る。周りの期待に応えるため、苦手なことでも受け入れて笑顔で楽しむ。出来てしまうからやってしまう。周囲もそれに甘える。まさに昌ではないか。
脚本家の野木さんは、日本社会のコミュニティに存在する、昌のような「獣になれない人」に向けてこのドラマを作った。そして、それは昌を演じる「新垣結衣」にも向けられている。
決定的なのは、新垣結衣がブーツ(しかもかなり高い)を履いたシーンである。新垣結衣は実は身長が高い、というのは有名である。公表では169cmだが、もう少し高いのでは?という意見もある。しかし、「かわいい」というイメージを守るため、共演者が厚底の革靴を履いたりして、彼女を小さく見せる工夫をするケースがこれまで何度かあった。脚本家の野木さんはそんな彼女にブーツを履かせた。しかも前述した呉羽がデザインするブランドの服(昌の言う「強そうな服」)としてだ。これは、野木さんから新垣結衣への「ありのままでいいんだよ」という愛あるメッセージに他ならない、と私は思う。
みんな見てね!!!