はてなキーワード: 即売会とは
正直参っているんだけど吐き出す先がないので、ここで吐き出させてほしい。最初にごめんなさい。長文です。考えず書いているので読みにくいかもしれない。
とあるマイナージャンルマイナーCPを推している字書きです。フォロワーも別に多くはなく、日々好きで書いて、運が良ければ貴重な同好の士の目に止まってたまに感想をもらえることもあるくらいの、まあどこにでもいるタイプの字書き。
文章力は、小さな賞をいくつか貰ったことがあるくらい。多分すごく下手というわけではないとは思うんだけど、大っぴらに人気が出るタイプではない、そんなレベルと思ってください。
頻繁ではないけど作品を上げ、支部を更新し、仲間内で盛り上がったりして、楽しく過ごしていたんだけど、ある時TwitterでDMをもらった。「ファンになりました!」とあり、これまで上げた作品の感想が書かれていて、とても嬉しかった。
私自身、感想は「絶対くれ!!!」というタイプではなく、もしよかったら、気が向いたら、くらいのスタンスなんだけど、それでも感想はやはり嬉しい。できる限りの言葉を使って、丁寧にお返事をした。DM主(仮に、Aとする)は、私が出した同人誌も買ったと言っていて、それも嬉しかった。
Twitterもフォローしました、私も〇〇CP大好きなので、お話できれば嬉しいです!と締められており、仲間が増えたことも嬉しかった。こちらこそよろしくお願いします!とお返事した。
それからしばらくして、Aから「私も推しCP小説を書いたのでよかったら読んで欲しい」と連絡をもらった。特に断る理由もないので、「ぜひ送ってください!」とお返事した。送られてきた小説は、お世辞にも上手いとは言えなかったけれど、折角送ってくれたからには、と割と長文の感想をつけてお返しした。とても良かったです、読んでいて元気になりました!ありがとうございます。みたいな。
そこから、Aはたびたび書き上がった作品を私に送ってくるようになった。こちらから頼んだわけでもないのに、「おまちかねのSSが完成しました!真っ先に読んでいただきたくて送りました!」と…
ごめん。別に待っていない。読みたい小説はこちらから読みにいくし、申し訳ないけどAの小説は稚拙で読みたいと思える作品ではない。そもそも推しCPの出てくる作品なら何でもいいわけじゃない。それでも、やはり狭いコミュニティなので、ことを荒立てたくなく返信はした。
そのうち、作品だけではなく執筆論や、私の作品についてのマウントみたいなアドバイスも送ってくるようになった。内容はバレたくないので詳しく書けないけど「才能ないといいながらも頑張れていてすごいです。才能なくても書き続けられるその気持ちが才能です!」のような謎アドバイス…流石に相手をするのが疲れてきた。もちろん、もう私の作品に感想をくれるわけでもない。
多分彼女の中で、私は「自作を喜んで受け取ってくれる人」になってしまったんだと思う。
で、ある時即売会に出ることになって、それは楽しみにしていたんだけど、その場になんとAが来た。本を買いにきたのか、と思ったが違った。
自分が作ったコピ本と、一冊のノートを私に渡して、「今日イベントに出るって聞いて、差し入れしなきゃって思ったんです!徹夜でSS書きました!絶対喜んでもらいたくて、あの、今是非読んでください!で、こっちのノートに感想を直接ご記入ください!」
なんか怖くなってきて、だんだん震えてきたんだけど、断って逆上させたら何するかわかんない…という恐怖から、言われるままに感想を捻り出した。
「喜んでもらえて良かったー!」と大喜びでAは帰った。本はもちろん、買っていかなかった。
あとで、イベントでは参加者以外の同人誌の頒布は(無配であっても)ご法度と知り、ルールを破ってしまったことにも打ちひしがれた。
それからもAの作品押し付けと、感想強要は続いている。もう疲れて返事はしていない。というかTwitterに怖くてログインできない。
どういうわけか、設置していた匿名のメッセージツールにも(Aかは知らんけど)小説書いたんで読んでもらっていいですか?読むの好きって聞いたんで…と頻繁にメッセージがくるようになった。
繰り返すけど、私が好きなのは、自分が好きだと思った作品だけで、それには感想も喜んで送るし、更新を楽しみにもしている。間違っても何でもいいわけじゃない。
臓物が飛び出してる少女にしか興奮しないなんて人たちはちゃんとジャンル名も持ってる
あなたがよくわかってないってことは彼らはちゃんと場所を選び隠れる努力をしてるし成功してる
好きな人が集まる場所を定期的にもうけて交換はそこで、という文化なんだよね
ゾーニングの極みなんだよ
承認欲求を刺激し合うようになったら、オタクだけの空間でクローズドにやってたものが「無差別のシェア最高」になってしまった
しかもエロは儲かる。金がほしい人間と過激なエロを欲する人間が更に壁を壊してしまった。
世界中が男女平等を頑張っているところに、女性の意志を無視するのが素敵というポルノが拡散されたら、そりゃあ怒られるよ。
(なおこれは男性向けの功罪だと思っている、女性向けは女性の仲間に嫌われないために頭がおかしくないひとはたいてい目立つのをさける)
性癖に貴賤はないと思う
大嫌いな食べ物を今急に好きになれとか無理だし、いちごが好きでピーマンが嫌いなのが罪なんておかしいと思う
ただほんと何回いってもわかってもらえないけど
・男と同じことをしてもなぜか昇進できない
・男と同じ試験を受けても点数を削られる
・健全な努力ではなく身体を差し出すかどうかで賃金や待遇が左右される
※例外ケースはあるが裏を返せば例外。例外が当たり前になるのが目指したい
という前提があって
差別を肯定するもの、加速するもの、反するもの、そういう思想の人が作ったもの、が、実際迷惑に耐えかねて戦ってる最中の人の目に触れれば、そりゃ怒られるでしょ
そういうインディーズ的なところで出てくる作品を一番チェックしている、
元増田が個人的に面白い漫画を探している以上に、彼らは仕事でそれを探している。
弱小版元はもとより、コミティアなどの即売会、TwitterなどのSNSにいたるまで日々目を光らせている。
で、仮に既存のヒット作の10倍も面白いような作品が個人出版みたいなところから出てきたとするじゃん。
さてどうなるか?当然、そんな作品が出てきたらメジャー出版社はほっとかないわけよ。
そんなこんなで、結局文句なしに面白い作品ってのは日の目をみることが多いし、
『エヴァンゲリオン』シリーズのファン創作物公開に関するガイドライン内で
「ファンアートの販売・製品化に関するルールについても検討しています。 続報をお待ち下さい」
とあるけど、出た?
このガイドラインはファン活動をその内容含め【規制・禁止】するものではありません。
このガイドライン含めたいていの2次創作に関するガイドラインは、動画、静止画、および小説を対象にしていて、立体物、グッズに関しては対象外となっている
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演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
フォロワー数は500程、ただし、フォローも似たような数なので、Twitterでの訴求力はない。
pixivはこちらの不手際により直前で抹消されたため、作り直した結果フォロワー二桁。
何とかオンデマンド印刷したものの、勘違いしていて通常の漫画形式なのに左開き。
ページは本文20ページもない。うっすい仕上がり。
更にギリギリ完成させたため、表紙はTwitterに載せたものの、最初数ページのサンプルを載せてなかった。
ネットで調べてとりあえず、30部。
売り切れた。即完売、と言うわけではなかったけど、閉会前一時間前には完売した。
なぜ売り切れたのか。多分エロブーストとサークル配置運に恵まれたからだと思う。
今回初参加だったのになぜか壁配置だったのだ。何故かは未だに解らない(緩衝材?)
他の人にもさんざん突っ込まれてるけど、歴史の長さではなくて、男女の嗜好の差だよ。
例えば、計ったわけじゃないけど、百合@2020はBL@2000に市場規模や書き手の数では全然及ばないでしょう?(真面目に計測しようとすると環境の差分大きすぎて、難しいだろうけど)
関係性重視の恋愛ものは女性が好むジャンルで、その女性の性的志向が多くは男性に向いているから、BLの方が市場が大きい。
良く言われるLGBTが13人に一人、というのを信じたとして、その全てがLだとしても、BLと百合の潜在顧客の比率は12:1ということになる。
百合は男性読者も多いけど、百合愛好家のざっくり半分くらいだから、男性を足しても、12:2。潜在顧客の数だけで考えれば、BL市場は百合市場の6倍あっておかしくない、ということ。
ただ、面白いのは百合は百合好きじゃない人でも受け入れる率は高いから、一般紙やメディアへの浸透はBLより百合が目立つ。きらら系アニメなんかもその中の一つ。
余談だけど、百合好きの男女比には諸説あり。今、手元に文献ないから細かい数字は忘れたけど、昔の百合姫アンケートだと女性優位、最近の即売会の観測だと男性優位だったはず。なので、先程の議論では百合好きの男女比をざっくり半々としている。
タイトルの通りだ。
私は続編が出る可能性は0のそこそこ古い作品、いわゆるマイナージャンルが好きだ。
しかし知名度は高く、腐に限っては旬ジャンルには及ばないものの、そこそこ活発に二次創作が産み出されている。
私はそんなジャンルの一番人気のキャラクターを好きになり、夢小説を書いたり読んだりするようになった。
しかし、キャラクター自体の知名度はとても高いのに、彼の夢小説は本当に雀の涙程度しかない。
pixivにおいて、彼関連の腐は数え切れない程の作品があるというのに、夢小説は二十件程度。しかもその八割は二人の作者さんが書かれたものだ。
唯一作品が出たばかりの時のものがブクマ三桁を超えているだけで、ジャンルの天井は実質ブクマ30~40(これでもずば抜けている)、平均は15前後といったところか。
古い作品で夢小説モノならサイトにあるのではないか、と思い調べたものの、概ねリンク切れかサイトを消された後で、結果的にサイトは四件程度しか見つけられなかった。(しかも大体は更新が停止していた)現状の書き手は実質私以外に1人である。
そもそも私の推しに関わらず、私のジャンルは夢小説が異常に少ない。これでも私の推しの夢小説の数が最多だと思う。
私はこんな誰もいないようなところでオンで本を出したいと思っている。ブクマは平均15くらいで、私の作品を追っていてくれる人は見る限り一人しかいない。(大体見てくださるのは他ジャンル本命か腐本命の方ばかりだ)
こんな惨状で本を出して売れるのだろうか、いや売れるわけが無い。そう分かっていても、一度でいいから自分で書き上げたものを本にして、即売会に行って、自身の手で売り出してみたい。
これは昔からの私の夢だったが、今までは学生で金銭的な制約があり、それが叶わなかった。
もしかしたら5部も売れないかもしれない、少なくともサークル参加は私だけであろう。…でも一度でいいから同人誌を出してみたいなあ。ある程度コロナが収まったら、本当に出してみようかな。
そもそもVtuberって金投げるに値するコンテンツちゃうやろ。
…
1年後か2年後にまた見返しておもろいなって思えるもんか?承認欲求や流行という文脈から切り離しても評価できるもんか?
お前がスパチャとか言って投げた合計金額を5年後か10年後かに提示されて「経験としてこれだけの金や時間を費やした価値があった」って肯定できるか?他人にその価値を説明できるか?
価値は時代や状況に普遍じゃない。高級ホテルで飲んだコーラは都会で飲むコーラとは価値が違う。体験はその人がどんな状況にいるかに大きく左右される。
価値が変わりにくいエンターテイメントはあるが、そちらの方が優れているという理由はない。手堅い投資先というだけに過ぎない。
お前が絶対的価値を信じるあまり、祭りに乗り損ねている間に、他のみんなはそのノリを楽しんでいる。瞬間にしかない興奮は他では味わえないし、感謝の気持ちもその場所にしかない。丁寧なフィードバックもある。だからコスパは結構高い。
趣味のコスパについて、それを語るのを忌避する人は多いけど、俺はそういう視点はキライじゃないな。
小説や漫画のような従来型のエンターテイメントは、コミットすればするほど体験の価値は上がる。
だけどこちらが投入できる資源はほとんどが時間と集中力だ。情熱のエネルギーや想いをつぎ込む手段がほとんどない。即売会に行って作者に感謝するとか、グッズ買うとか、間接的でロスが多い。時間のない現代人にとって、スパチャにみられる贈与経済はコミット手段の革命であり、情熱解放の未開の領域だ。
Vtuberのほとんどは承認欲求とか性欲とかそういうもんを煽って金集めてる賎業をオタク向けにチューニングしただけで本質は同じ賎業やん。
いや賤業なんてない。職業に貴賎はない。
ここにも重要な認識のズレがある。スパチャに込めてるのは応援したい気持ちだよ。楽しい時間をありがとう、という感謝だし、純粋な賞賛なんだ。だから実感をともなった確信を持って、完全に肯定できる。
フィギュア等の展示即売会「トレジャーフェスタ」では、即売会当日限りで著作権法上の許諾を与える当日版権システムの下で二次創作のフィギュア等も販売されている。
12/11・12開催予定のトレジャーフェスタ・オンライン5(TFO5)で、一度許諾が降りたウマ娘(ゴールドシチュー)のフィギュアについて、開催目前の12/8になって許諾が取り消された事例が報告された。
https://twitter.com/tandteikoku/status/1468592030939230215
ディーラー(≒フィギュア製作販売者)向けのイベント参加要綱( https://bigsquare-hall.hobima.com/event_app.php?id=61 )によれば、当日版権は
という手順を経てイベント当日を迎えることになりそう(知らんけど)。
TFO5は12/1 AM12:00が商品登録完了期限なので、その時には、フィギュアの審査を経て版権許諾が与えられているはず。
しかるに、件のウマ娘フィギュアは、12/7にtwitter上で商品写真を掲載して宣伝したところ、12/8に「版元様より、一度、本申請許諾したが許諾取り下げると急遽連絡が入りました。」と報告された。
年齢なんか関係ない!同じレベルで感性のあう人間と意気投合するのって楽しいよね!
あらすじ
身だしなみにもろくに気を使わない、成績も中の下、趣味はBL、幼馴染のイケメン男子高校生にほのかな恋心、んで本屋のバイトしてる陰キャ女子高生
ふつうなら接点が生まれるはずがない、そんな二人が、ひょんなことから出会い、共通の趣味をきっかけに意気投合
最後はちょい駆け足だけど、BLの作中テーマと互いの関係を通じて、お互いに成長して次の一歩を踏み出すところまで行く
ぐぐってびびったが映画になるのね
ただ地味すぎるから、どうせヒロインはAKBとかで幼馴染にジャニーズとかがくるんだろうな・・・
おばあさん役がどうなるかが鬼門だわ
期待せずにまっとこう