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はてなキーワード: 九州とは

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170111212058

大阪人だけど、関西弁で書き込めるとめっちゃ楽なんよ。

東北九州沖縄などより特徴的な方言話者による方言書き込みが増えない理由は、

彼らはとてもシャイな上に、他の話者への配慮っちゅーもんがあるんやろな。

2017-01-10

へんな夢を見て、旦那への愛情が突然復活した

吐き出したくて感情のままに書きなぐったのですごく読みづらいうえにずいぶん長いです。ごめんなさい。

暇な人は読んでください。そしてこの感情の正体を教えてください。

結婚3年目、共働き子どもはいない。

マイホームを建てて、引越しだのなんだののバタバタのなかでケンカが絶えず、「離婚届を取りに行こう」という言葉年末旦那から出てきた。

建てたばかりで離婚なんかあんまりにも残念だと思ったし、ローンとかお互いの仕事の都合とかのもろもろで、離婚したとしてもたぶん家を出ていくのは旦那のほうになるんだけど、それはともかく、こちらももう実はずっと前から旦那に対する愛情とか愛着みたいなのを感じられなくなっていて、一緒にいても息苦しいばかりで、正直会話をするのも苦痛で、たぶんそれは旦那も同じで、何か月もレスだった。

何度こちらの考えや気持ちを伝えてもなかなか変わることができず、悪い意味典型的九州男児男尊女卑亭主関白、家の中ではいつも横柄な態度で何もしない、いちいち一言多い旦那に愛想が尽き、わたしから離婚を申し出たことも以前あった。話し合った結果離婚はなくなったのだけど、こんなふうに何度か別れ話まで行きつきながらも結局別れずに今まで来ている。ふたりとも優柔不断からだと思う。どちらかが決断力のあるはっきりした性格だったらとっくに別れていると思う。

わたし自身も、横柄な父親とそれに不満を持ちつつ黙って従う母親のもとで育ったし、旦那実家も見ているとだいたい似たようなものなので、まあ育ってきた環境がそうなら本人もそう簡単には変われないだろうし、わたし自身も結局、手本となる母親がそうだったのでなんだかんだ言っても知らないうちに旦那の横暴を誘発しているところがあるのはわかっているし、まだまだ日本も過渡期だよな特に九州は、なんて勝手主語を大きくしたりしてもやもやした気持ちを無理やり押し込めながら生活してきた。

ただ、今回の年末の大ケンカの直後にわたしインフルエンザにかかってしまって数日間寝込んでいて、そんなときも以前は「自分食事自分で用意するから気にしなくていいよ(ドヤァ)」というアレを素で言ってしまう、嫁の食事およびその他の掃除洗濯についてはまったく考えを巡らせることができないほんとにテンプレ通りの困った旦那さんだったのだが、何度か話をするうちに、少しずつ面倒を見ようとするようになってきているのは感じていた。

今回は、それに加えて掃除をしてくれた。

掃除機をかけ、風呂を洗っている音が、熱でぼんやり寝込んでいるところに聞こえてきた。

ああ、ちゃんと考えてくれているんだなあ、と思った。

何度話してもわかってくれない、変わろうとしない、と思うときも多いが、そんなこともないよな、と思った。

だいたいこれもケンカの直後だけで、数日すると、すぐにもとの横柄な人に戻っちゃうんだけどね。それでまた不満が溜まっちゃうんだけど。

でもそのたびに、やれることが増えているのを感じている。それは本当にありがたいし嬉しい。

そういうことも、ケンカしたあとの話し合いのときにはその都度全部伝えている。

わたしもだから変わりたいな、と思って、不満とか違和感を角が立たない言い方で小出しにすることを日ごろから心がけていて、それでもやっぱり期待値が上がってしまうのかイライラが募ってしまうので、まだまだ精進が足りないなとは常々思っている。期待するから腹が立つのであって過剰な期待をはなからしてはいけない。これは完全に自分精神的な問題なので旦那がどうこうという話ではない。

あとはそもそもの話だがベースの部分の愛情がずいぶん少なくなっているか沸点も下がっているのだろうと思う。

そんなふうにベース愛情がなくなりつつあるので、話すのが苦痛、一緒にいても息苦しい、という気持ちをなかなか切り替えることができずにいたんだけど、こないだの3連休の真ん中の日に、夢を見た。

旦那が、キャバ嬢みたいな派手な身なりの女の子を3人、連日家に連れて帰ってきて泊めてやっている。

キャバ嬢と言っても平野ノラみたいな昭和な感じの人たちなのだけど、まあとにかく女の子がうちに泊まるようになった。

寝るときだけは、彼女たちの姿がなぜか幼稚園児ぐらいの幼い女の子になる。

そして旦那に、父親と娘のように屈託なく甘えている。

なんか、ひよこみたいだな、となんでかわからないけれど思った。

たくさんのひよこが一匹の大型犬にくっついたり乗っかったりしてて、大型犬も静かにそれを受け入れているという写真ネットで見たことがあるが、なんかそんな感じだった。旦那は大柄だから

何日目かの朝、彼女たちを送りだしてからわたし旦那に問いただした。

非常に迷惑している、一体何のつもりなのだ彼女たちに対する文句を言うと、旦那は腹を立ててわたしを蹴ってきた(一応書いておくけど現実暴力を振るわれたことはありません)。

実家に帰るとか、他の友達のところに泊めてもらうとかできないのかと問うと

「そんな場所が、あの子たちにあるわけないだろ」

と、悲しそうに旦那は言った。

そこで目が覚めた。

わたしは親と不仲で、ここ数年連絡を取っていない。向こうからメール電話は来るがすべて無視している(以前は着信拒否していたのだけど、そうすると母親義母電話をしはじめたらしく、義母から「困っている」と言われたので慌てて着拒を解除し、とりあえず義母への電話攻撃はやめさせた)。

家を建てるときも、うちの親に知られると無為に引っかき回して話をめちゃくちゃにするのは明白だったので、黙って建てた。

ただ、旦那の親にもわたし気持ちを話したのだけどやはり親の立場としては納得がいかないということで、旦那の親はうちの親と今も連絡を取り合っている。

旦那基本的に静観の立場を貫いている。

旦那旦那の親に、うちの親子事情のせいでこれ以上負担をかけられないと思い、先日、夫婦わたし実家に行って「家を建てた」という話をしたところだった。

うちの親はいわゆる毒親気味でこういうときに隙を見せると喜々として人格攻撃を始めるので、あえて最後まで儀礼的な態度を崩さなかった。

1時間ほどで話すことを話して、きりのいいところで引き上げた。

自分子どもができればまた変わるのかもしれないが、思春期を過ぎても両親を「気持ち悪い」と思う感情が消えてくれない。母親の卑屈な作り笑顔気持ち悪いし、父親理不尽人格攻撃や横暴も心底軽蔑している。大人になった今は、親としてというより人としてそれぞれどうにも苦手で、単純に接点を持ちたくない。

その直後にこういう夢を見た。

たぶん、3人の女の子わたしなんだろうと思った。屈託なく甘える一方で、わたし本来そこにいるべきでない存在だと思っている。わたし旦那に不満を持っているが、旦那わたし結婚して幸せになったようにはとても見えない。わたし旦那からいろいろなもの搾取している。わたしは、本当はこの人と結婚してはいけなかった。旦那に苛立ち、息苦しさを感じるたびに、同時にそんなふうにしか思えない自分を責める気持ちと、旦那への罪悪感も増していった。

あんなにも疎ましく思っていたのに、目が覚めると涙がぼろぼろ出て、旦那のことをどうしようもなく愛おしく思う気持ちぼんやりと湧いてきた。

横で寝ている旦那にくっつくと、旦那は少し驚いたようなそぶりを見せて、また寝た。

本当に、自分に起きたこの変化はなんなのだろう、よくわからない。

彼は煙草を吸うので、ときどき匂いに耐えられなくなることがあった。正直、近くにいたくなかった。寝言もうるさいし、夜中に目が覚めるたびにイライラしていた。

でも今は、旦那匂いも愛おしい。すごくいい匂いだとなんか知らんけど思う。寝言も愛おしい。

何がどうしてこうなった。さっぱりわからない。

ただ、それと一緒に罪悪感と自責の念もどんどん増えていく。

から、この気持ちの変化を無邪気に旦那に伝えることができないでいる。

旦那のほうは、もう無理なのかもしれない。

それはもう、仕方がないと思っている。離婚することになるのなら、仕方がない。そう思っている。

でも自分気持ちは、あのへんな夢を見てから突然変わった。理由はよくわからない。けれどとにかく変わった。

それだけは、まあとにかく伝えなきゃなあ、とは思っている。

どうすれば伝えられるのだろうか。そのまま話してわかってもらえる自信がないし、そもそも罪悪感がもうほんとに半端なくて、やっぱり好きだとかこれからがんばるとかそういうことを口にするのもはばかられるぐらいの罪悪感に押しつぶされそうになっている。それでうまく言えない。

そもそもこういう感情の振れ幅が大きすぎる女性というのが、自分が男だったらめんどくさすぎてもう駄目だろうと思う。

やはりわたし結婚などすべきではなかったのだ。

家族がほしい、と思うこと自体が図々しかったのだと思う。

話がしたい。話さなきゃな。

2017-01-09

ところでユーリオンアイスって主人公初恋の人が今25歳で三つ子の娘が6歳。

しかもその夫が24歳だから18歳と19歳で一気に三人の子持ちになってる事になってかなり怖いんだけど。下手すると男の方はまだ17歳の時に妊娠させてる可能性も。

子供が一人ならまだしも、十代の夫婦が一気に三人の子持ちって大変そうなんですけれど。

普段子育ての大変さ的な事を語ってる人達はその辺無視なんだろうか。

それと、主人公の姉が30歳でおそらく独身実家旅館仕事従事してるのも男尊女卑っぽい。

以前九州男尊女卑が酷いと散々語っていた人達がこのアニメを持ち上げているのをみると甚だ疑問。

2017-01-04

むっちゃ分かる

http://anond.hatelabo.jp/20170101194020

料理に関しては女性がするのは日頃やってるだろうから得意っていうので分かるんだけど、お皿を下げたりコップを用意したり出来た料理テーブルに持っていったり、そういう誰でもできることすら手伝おうとする気持ちがない!そして感謝もない。

正月とか親戚とかは関係ない話にはなるが、

うちの場合は兄がいる。母親が何でもしてあげるからただただ享受してる。兄が仕事から帰ってきたら母は「ご飯は◯◯よ〜 △△は美味しいから温めとくね」とかって優しい言葉をかけてあげながら飲み物(お水)を用意してあげる。ご飯もついであげて、兄は食べ終わった後は片付けずに部屋に戻る。兄から母への感謝言葉は一度も聞いたことはない。

わたしがいる時は「それくらい片付けたら?」って言う。言わないとしない。

ちなみに兄は40歳超え・独身・たぶん童貞・100kg超え・ハゲ・部屋が汚い&臭い仕事場でもたぶん臭いやつみたいに思われてる。雑巾臭みたいなんするやつ。最悪やんね。

良いところもあるけどね、平和的で優しいところ。(わたし喧嘩っ早いので尊敬する)でもそれだけじゃ彼女はできん。

こんなどうしようもない兄が何で家で堂々と母親メイドにしてふんぞり返ってるんだ?身の程を知ったらいいのに・・・

元ネタにある、テレビ正月特番)に対して偉そうにコメントするっていうのがあったけど、それそれそれってなった。

ちなみに両親の出身九州九州って男性のふんぞりかえり方はんぱない。女性はそれに従うしね。親戚集まった時まじで苦痛

2016-12-31

2016年懺悔詩(4)「九州中部大震災交通戦争

日本じゃ 地獄がおっぱじまった

バイクが人を殺し合ってる

鉄道族と資本族が育てたディストピア

第三次交通戦争現実なっちまってる

鉄道好きはでっかい夢を背に

公共交通イメージをすげかえる

車社会と戦うヒーロー

新幹線 迷惑施設に化けた

ほらまた地震かい

ほらまた地震かい

災害善悪などありゃしねぇ

災害味噌も糞もありゃしねぇ

迷惑施設にぶら下がる トカイ

僕らは列車の窓から交通事故瓦礫に倒れる人々を見てる

地面に体叩きつけられたオートバイ乗りの高校生

から真っ赤な血液(ち)がしたたりおちる

学生屋と鉄道族に俺は尋ねてみたい

新幹線と銭(かね)はどうしても必要ですか?

地方新潟・温州が吠えている

「もういやだ!」と 泣き叫んでいる

ほらまた地震かい

ほらまた地震かい

災害善悪などありゃしねぇ

災害味噌も糞もありゃしねぇ

あゝ早く日本の大地に

未来希望よやどってくれ!

あの時の少女の瞳をこわさないで

俺は祈る静かなるキュウシュウの大地

俺は祈る静かなる学生安全

俺は祈る交通平和

2016-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20161215094046

千葉県もクソも関東圏に文化的遺産なんかほとんどないぞ

江戸時代以前は平野が広がってるだけのクソみたいなド田舎だったんだから

まともな歴史があるのは国創りの宮崎県九州から京都に至るくらいまでだぞ

2016-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20161212213723

あんたのノリ好きだわ。

わたしだったら車に乗るの好きだから車中泊なんなりしながら温泉巡りかな。

車持ってないなら新幹線乗って九州まで行ってレンタカー借りて温泉巡りとかどう?

別府温泉保養ランド絶対行っとけよ。体腐った卵のニオイが染みつくけど混浴だ!

途中男女が交差する道があるから鉢合わせたらラッキーだよ~。

2016-12-12

年末年始10連休

大晦日成人の日まで、10連休が取れそう。

5連休以上の休みなんて3年ぶりだから、せっかくなのでどこかに行きたい。

海外

 →本籍地が遠くてパスポート取得に難があるので無理。

国内

 →どこに行けばいいかからない。寒いところはヤダ!!!!!

沖縄とかどうなの? 行ったことないけど。

ちゃんとしたホテルに泊まるんじゃなく、行き当たりばったりで、最悪バーで夜通し飲んで翌日はマックで寝て終わるとかなってもいい。

とりあえず青春18切符でも使って九州の方までだらだら行って、だらだら帰ってこようかなというのが最有力案

俺のスペック

・29歳

東京まれヒップホップ育ち

・悪そうな奴にいじめられて高校中退したけどヒップホップは好き

彼女いない歴5年

ほとんど旅行したことな

2016-12-09

責任をトル

いまのプロジェクトで失敗したら、私は左遷されるだろう。

昇進したと浮かれていたが、裏返せば責任を負ったポジションになったという事に他ならない。

人事発令で優秀な人間がある日突然、北海道九州に異動になる闇を、私は知っている。

そして今、私は闇を覗いた者として、闇からも覗かれる立場にある。

単身赴任リスク、恐怖、そして底知れぬプレッシャー

ただただ、恐ろしい。

責任をトル、そして上司から詰められる。

トルツメとは良く言ったものだ。

2016-12-04

妹が某掲示板実名書かれて自殺した。

もう二年になる。

二年前のある冬の日、俺の妹自殺した。

LINEで俺に謝ったまま。

俺の妹は昔から社交的で友達も多く、頭も良かった。

気まぐれなところがあるのが玉にキズだったが基本的にいろんな人に可愛がられてた。

子どもの頃は俺もそれを妬んだりとかしてた。

俺たちの父親は昔から機械に強くて、周囲よりも早い時期からパソコンに触れていたせいもあって俺たち二人は簡単オタクになった。

中学のころには俺は萌え豚に、妹は腐女子になった。

高校生になり、妹は地元でも有名な公立高校に進学して、腐女子仲間ができたと喜んでたのを覚えている。

成績はよかったが、手に職をつけたかったのと自分趣味仕事をしたかった妹はゲーム系の専門学校に進学し、

不自由ない生活を送っていた。

その、はずだった。

俺は仕事九州の方にいてLINEで話を聞くだけだったが、

専門学校でも先生に可愛がられていて、資格勉強も順調と聞いていた。

から、あの冬の日に妹からたった一言「ごめん」と送られてきた時、

妹がその時置かれていた状況が理解できなかった。

きっかけは、twitterだった。

妹はtwitter腐女子仲間と交流したりしていた。

妹の友人がある奴から嫌がらせをされていたらしい。

それを見た妹は黙っていられなかった。

なんでそんなことをするんですか?やめなさい、とリプライしてしまった。

相手は逆上した。

バカなことに、妹は絵が得意でフェイスブックとかにもその絵を載せてたんだよ。

それで、相手は妹の本名やどの専門学校いるかを知ったらしい。

掲示板本名つきで根も葉もない誹謗中傷が書き込まれるようになった。

妹の性格や人となりを知ってる俺からすると「ないわー」と思える内容だが、

第三者として見ると妹の名前のやつはすげぇ悪いやつなんだろうなぁと思えるような内容だった。

twitter炎上したアカウントとかの話をにちゃんねるで見てるのにかなり近い感じで、

こいつはこんなに悪いやつで、社会的制裁必要だ!と思わせる書き方だった、

ゲーム系の専門学校では人脈が大事で、就職のために色んな勉強会に参加したり

インターンに参加するらしい。

から名前大事で、検索したら一発でそういうのが出てくる人は採用されない。

妹が自殺した後、

俺だけが知ってる場所から出てきた紙に書いてあったブログの内容は概ねそんな感じだった。

そのブログは本人だけに見えるように非公開で作られていて、

最初はその嫌がらせを記録しておくためのものだった。

途中から、某掲示板の妹への誹謗中傷が書かれたURLを保存したりするのに使われていて、

「何度も何度も削除してるのにまた増えていた」

「いつまで続ければいいのか」

とか、そういうのが書かれていた。

俺はまだ、妹からの「ごめん」の意味を考えている。

死んでごめん、ならなんで生きててくれなかったのか。

掲示板本名書かれてごめん、ならそれはお前が謝ることじゃないと思う。

妹が俺に何を謝ったのか。その意味さえ、俺にはわからない。

妹の自殺から、俺は炎上が嫌いになった

2016-12-03

自社内(人貸しIT業)で見る弱者の身の置き場

1.顧客現場の補佐要員

新人時短など

減額・非課金業務従事

ここにいる弱者はむしろかなり上の部類

2.自社の生産部署

自社開発で稼ぐ会社ではないので、自社の生産部門要員=余り者を回すための仕組み

マネージャー新人・客がつかない社員時短など

金を稼いではいるため、卑屈さは少ない

3.自社の運用部署

運用とは言うがきちんと切り分けられておらず、実質は生産部署のオコボレ仕事的なものも多い

人員構成は2と同様だが、社員の質は生産部署から下がる感じ

3b.新事業部

マネージャー営業新人+行き場のない社員

立ち位置としては2・3の部署に近い気がするが、生産性としては2・3の下

固定メンバー化している

4.自社向けの内勤補佐業務部署

専門スタッフ時短・病んだ人・顧客トラブルを起こした人・その他行き場のない人

金を稼がない立場になる

雰囲気の暗い男性時短女性構成

1・2・3の部署間は人の流動がある

1→2・3の異動をしても1に戻ることも少なくはない

2・3間は異動というほどの区切りもなく、かなり流動的

4のみ人の流動は著しく低い

1→2・3→4と異動した後、4以外の場所に戻った人間というのがほとんどいない

生産部門と非生産部門の隔たりは大きい

社外勤務→社内勤務(生産)→社内勤務(非生産

右への異動は容易だが逆は難しい

社外勤務→→→→→社内勤務(生産)→→→→→→→→→→→→→→→社内勤務(非生産

これくらいには差がある

落ちる方は楽で逆は難しい、なら自社勤務さらには非生産部門社員人数は増えるばかりのはずだ

しかしそうはならない、退職者が出るため

また近年は経営側もそうそ簡単に非生産部門への異動を許可しなくなった

そのため自社の非生産部門は決まった人員がずっと担当している、彼らはもうどこにも行き場はないだろう

弱者が自社に集まる一方で、自社は勝者が集まる場所でもある

生産部門で勝ち抜いてマネジメント立場に就いた役職者がいる場所でもある

しかし彼らは自社に席を持ちながら週の半分は客先や他社との打合せその他で外出している

定時後は客との食事会ということも多く、忙しそうにしている

部長より偉い席の役職者が金曜の定時挨拶時に言った

今日はこれから九州への出張から、月曜の出社は昼過ぎになるから

土日も仕事か、そして休みしなのかと恐れ入る

弱者と超勝者の入り乱れる自社の風景である

2016-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20161201124738

色々いろいろあって、夫が転職することになった。

それに伴い退職前の有休消化で1か月休むことになった。

夫は激務に身体と心が悲鳴を上げていた。

うつ…にはまだなってないが、このままいくとそうなってもおかしくなかった。

1か月まるまるやすみなんて小学生以来のこんな休み

専業主婦子供2人の4人家族

なにする…

なにしよう?

始まる数日前までは「毎日のんびりすごそう」と話してた。

疲れた頭と体を休ませようかと。

子供も小さくそんな貯蓄もないし、あんまりお金使わず

図書館にでも通ってみる?ははは なんて

でも

始まってすぐに思い立って

子供学校を休ませて 

結果的にはまるまる1か月国内旅行に出た。

理由

まるまる自由な1か月なんて、もう65歳過ぎるころまでもう無いだろう。

いやそれどころか家族が無理してでも一緒にいられる1か月休みだなんて、もう二度とないだろう。

大学生と違って、時間はある、まぁお金あのころりある

なんとか、なる、する。

1週間くらいは北海道にいた。

1週間くらいは沖縄にいた。

この2か所は長期利用レンタカーがとにかく安かったので

その日その日でひたすらドライブしながらiphoneで行ってみたいところを検索しながら旅した。

その他の期間は、

東京関東周辺に数日

近畿に数日

九州に1週間

ホテルじゃらんなんかで当日予約の安宿素泊まりを探した。

服なんて下着の替えを少し持ってる程度で最小限に抑えた。(気候もいい時期だったのが幸いした)

日本なんだから必要ものはそのたび現地スーパー等で調達できる。

当時iphoneは初めて買ったばかりのまだ3Sだったか

なんて便利なんだ!!!と感動した。

まさに地図いらず…

いまやスマホは当たり前になっているけど、放浪の旅にこんな便利なものはないと思った。

iphoneで撮った写真位置情報がついていて、

日に日に日本地図のいたるところにチェックが入っていく。

これは旅を終えてからスマホ写真で振り返った時

充実感や達成感を感じたし、またそれを見ては何度も懐かしんだ。

新幹線飛行機は除き)

食費・車移動費・宿泊費で

4人で1日2万くらい使った記憶がある。

日によってもっとかかった日もあれば

もっと少ない日もある。

食べることは本当に楽しかった。

ご当地グルメばかり楽しんでいたが、

朝は毎回コンビニパンおにぎりを買って食べていた。

移動した先のなんでもない広場のんびり過ごすこともあれば

ばりばりの観光地うぇーい楽しむこともあった。

無料安価はいれる温泉ハシゴした。

はじめる前は学校やすむとか…不安に思ったが

まだ低年齢だったため

結果まぁなんてことなかった。

旅行開始前、きっと仕事や将来の不安が気になって頭から離れないだろうなぁと話していた夫も

終わってみて「全く思い出しもしなかった」と。

私も毎日が楽しすぎて日常の事なんてこれっぽっちも思い出さなかった。

とてもよかった。

本当に価値のある時間だった。

ありがちな言葉だけど、これに尽きるんだ。

こんな家族もいるってことで。

今日も元気に夫は出社、子供は登校、私も今から仕事に行きます

2016-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20161201073125

TV東北出身者という設定の人物が出る。当然、その東北訛りはインチキだ。

でも、東北出身者は鉛に対して変だとか文句は言わない。

TV東京下町文化だって滅茶苦茶だ、でもそれに文句を言わない。

TV九州文化や訛りだって滅茶苦茶だろう、でもそれに文句は言われない

なぜ関西だけ苦情、文句が出てくるんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20161201113407

そもそも方言や訛りを揶揄するあの感じ

他の地域ではみたことな

津軽弁猿真似とか

九州出身者が訛ってた時に「出た、博多弁」と言ったり・・

そんなのみたことな

嫌がらせしか見えないもんね

2016-11-28

一昨年の読み

九州出身だけど30年間ずっと「おとどし」だと思ってた

普通がおととしでおとどしは大阪方言らしい

親戚含めて関西関係ないんだけどなんでだろ

自分場合は親が使ってたからだと思うけど親も全然関西関係ないしなあ

2016-11-25

九州人(女)が苦手だ

九州人(女)全員がそういう訳ではないのかもしれないが

自分が付き合った奴のせいでそういうイメージが出来た。

最初付き合った感じ、ゴーイングマイウェイみたいな、

自分の道を突き進む、貫いていくぞ、自分は義を重んじるぞ!

みたいな印象を受け「カッコいいなぁ」と尊敬の念を持ったが、

些細なことで衝突をすればすぐ周囲の人間

その印象、上辺の良さで取り込み、

間内悪口を言うなど姑息陰湿なやり方をしてきて

本当に嫌な奴だと思った。

それが二度三度あった。しか九州出身女性で。

たぶん自分を良く見せるための口が達者なだけで、

有言不実行な奴ばかりに出会っただけなのかもしれない。

いや、よく考えてみたら自分が人の内面

よく観察せず尊敬の念を軽々持ってしまったのが

いけないのかもしれない。

九州出身の女の方々、すみません

全員がそうというわけではないんだと思う。

(とかいったら、九州出身女性ほとんどが、

自分は違う!」とか思ったら笑えるけどね)

自分もなかなか陰湿だ。

2016-11-22

津波記憶を忘れたはてなー

今朝の地震津波警報に関して、煽りすぎだ。煽っても人が死ぬよりいいというはてなーコメントを寄せていた。

どっちだろうと興味ないけれども、中には煽っても人が死ぬよりいいというはてな民が「もう震災を忘れたのか!」となかなか強いコメントを寄せる人が結構な人数いて、驚いた。

というのもなぜ津波あんなに犠牲者が増えたのかという当時の検証番組インターネット記事では津波警報を過大に報道しすぎて信用されなくなった経緯があるということが原因だろうと結果が出ていたからだ。

津波記憶だけを覚えていて、過剰に煽り津波警報が信用されなくなる。

そして未来津波被害者が増える。

教訓までは覚えていなかったか。はたまた知らなかったか。それを知っても煽ってもいいというのだろうか。

未来犠牲者はどうでもいいけれど、そこだけに興味がある。

以下は今探しても読める記事の一部である

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恐ろしい数字がある。津波避難勧告が出たのに、実際に避難した人は6%しかいなかったことだ。2011年3月11日、東日本大震災の日の大津波警報静岡県焼津市での数字だ。和歌山県でも4600人に避難指示が出たのに、ある避難所には6人しか来なかった。

 このように東日本大震災ときには、全国的津波警報が信用されなくなっていた。

 これには長い歴史がある。1998年5月4日、津波警報が出た。沖縄九州四国、そして本州南岸に最大2~3メートルという警報だった。

 港につないでいる船や港の関係者沿岸の人々などに緊張が走った。ちょうどゴールデンウイーク最中だった。行楽を打ち切って港や家に駆け戻った人も多かったに違いない。

 だが拍子抜けだった。実際に来た津波は、わずか数センチのものだったからだ。

 2003年9月にはM8・0の「2003年十勝地震」が起きた。この地震ほとんど同じ規模だった「1952年十勝地震」で6メートルを超える津波で甚大な損害を被った北海道東部厚岸町でも、勧告に応じて避難した人はわずか8%にとどまった。実際の津波警報よりもずっと小さくて被害を起こすようなものではなかったから、人々の判断は間違っていなかったことになる。

 10年以上も過大な津波警報がくり返されたので人々は警報を信用しなくなってしまった。

 それには理由がある。同じ大きさの地震が同じ場所で起きても、海底での地震断層の動きかたが違えば津波の高さは大変に違う。

 震源からP波とS波という地震波が出る。P波が先に進み、S波はどんどん遅れていく。雷から音と光が同時に出るのに、音のほうが遅れていくのと同じである

 津波警報の仕組みではP波だけを使って計算している。S波は、震源地震断層がどう動いたかという大事情報を運んでくるのだが、S波を待ってからでは間に合わないからだ。

 それゆえ、地震震源地震の規模だけが分かった段階で「考えられる最大」の津波を想定して警報を出す。だが地震断層の動きかたによっては実際の津波の大きさが最大を想定したときの何百分の1にもなってしまうのだ。

 「最大」の警報と、実際にはずっと小さい津波の繰り返し。人々が信用しなくなったときに襲ってきたのが東日本大震災だった。2万人近い人命を奪った被害が出てしまった要因のひとつは「信用」だった。

 行政住民防災意識の低さを嘆く。しかし、夜中の警報で財布や預金通帳やはんこを探し、おばあちゃんを背負って逃げたのに予報された津波が来なかったことをくり返した人々のことを考えてほしい。行政津波警報を信用されるものにすることこそを心がけるべきなのである

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http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140227/dms1402271802029-n1.htm

http://anond.hatelabo.jp/20161122021950

12万年10回ってことは、1万年に1回あるかどうかってことでしょ。

人間長生きしたところで、100年ちょいなんだから自分が生きている間に起こる確率は非常に低いと思ったら良いのだ。

前回が7300年前だから、まだあと3000年ちょいは大丈夫かもだし。

 鬼界カルデラは約7300年前に噴火を起こし、九州南部縄文文化を滅ぼしたとされる。巽教授によると、こうした超巨大噴火日本では過去12万年で10回発生。実際に起これば国内で死者が最悪約1億人と想定している。

とんでもない規模の火山噴火が起きるかも、というニュースについて

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161119-00000001-kobenext-sctch

このニュースを見てからもやもや、というか漠然とした不安が止まらない。

この日本壊滅の危機は、何時だか分からないけど確実に来るんだよね?

九州だけでなくて大阪東京も甚大な被害が出るみたいだけど。

「死者一億人」が最悪の数だとしても、国内だけで数百万~数千万人の人が死ぬんじゃないの?

たとえ爆発の予知ができたとして、どう対策するの? 国単位国外に逃げていく??

まだまだやりたいことがたくさんあるんだよね。自分が生きている間に起きるのは嫌だけど、

将来的に発生したとき日本の文化破壊し尽くされて途絶えてしまうのも、とても悲しいな。

でもこのニュース自分の回りでも使っているSNSでもほとんど話題になっていない。

実はそんなに恐れるイベントではないのか?

もうどうしようもないので諦めるしかないのか?

現時点ではなんとも言えないだけなのか?

いや、そもそも深刻に考えなくてよいものなのか?

どう考えたらいいんだろう。全然考えがまとまらないです。

はてなには詳しい方がいるだろうからここで聞いてみるけど、皆さんはどう考えます

2016-11-14

うちのじーさまの話とじーさまのいとこの話

昭和の一桁頃

九州の山奥へ駆け落ちした夫婦がいた。

さな山間集落自転車屋を営み、一男三女をもうけ

ささやかながら幸せ暮らしていた。

一番上の長男小学校の高学年になった頃

父親事故あい、帰らぬ人となってしまった。

元々病弱であった妻もその二年後

後を追うように亡くなってしまった。

残された子供達は一番上で中学にあがって間もない長男姉妹達。

若く働き手として期待できる長男養子先として引く手はいくつかあった。

知り合いの子供のない薬局屋さんから養子に来ないかと誘いがあった。

長男は断った。

当時別の集落でそれなりに権力があった家に

嫁いでいた長男の母方の叔母がこう言ったのである

妹たちの養子先をきちんと用意してやる。

お前の親父の名字も残してやる。

その代わり、うちに丁稚に来い。

長男はその取引に応じた。

自分より年下の従兄弟のおもりをし

学校へ行きながら、一人畑仕事をすることにしたのだ。

かけおちした罰があたったの嫌味を言われながら

少年は働いた。妹たちの養子先を教えてももらえず

頑張ればいつか教えてくれると言われながら。

少年は背は小さかったが

バカにされまいと努力したせいか喧嘩も強く

勉学にもまた真面目に励んでいた。

やがてそのバカ真面目な姿勢評価され

学校では級長となった。

その時の副級長と結婚することになるとは

この時は少しも考えつかなかったそうだ。

少年丁稚先、とはいほとんど自分の妹たちと

そう変わらない年の従兄弟達の面倒をみていた。

親戚といえども丁稚とその家の大事子供

多感な頃であり、色々な気持ちが渦巻いていたことは

想像に難くない。

だが少年文句も言わず、よく従兄弟の面倒をみたそうだ。

とくに一番下の子には兄さん、兄さんと呼ばれ実の兄よりも

懐かれていたそうだ。

やがて少年が成人、就職し、先の副級長と結婚し所帯をもったが

仕事先へ叔母が給料を受取りに来て

拾ってやった恩だと言って少年給料ピンハネしていたそうだ。

まだ妹の行方も全ては教えてもらえぬため

文句も言わずそのまま働き続けるその姿に

親方最後には見てられなくなり、地元で働く限り

あの家には逆らえない。

ここをやめて紹介してやるから隣の県に就職しろと言った。

生活も苦しかった夫婦はその提案に乗り

隣の県へ引っ越した。

やがて夫婦は二男一女をもうけ、ついに妹の行方も分かり

やっと幸せ暮らした。

その後、年をとり、少年が老人となり、ついに亡くなったその日

飛行機で一番初めにかけつけたのはその丁稚先の従兄弟の一番下の子だった。

その時、僕らはその従兄弟の人や葬儀に来た人たちから

亡くなった少年、僕らのじーさまの上のような色々な話を聞けた。

そのじーさまのいとこが亡くなったとの知らせを聞いた。

いろんなしがらみの中で、それでも仲の良かった二人。

きっと今頃世話焼き大好きなじーさまが迎えに来てくれてると

そんな予感がする。

2016-11-08

40歳大学准教授

40歳になったのを記念に、「不惑からはほど遠いが、自分語りする。

幼稚園前後から自分記憶ははじまっている。

自分のことがよく分かっていなかった。

自分のことをバカだと思っていた。

あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。

毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。

自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。

恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。

しょっちゅう小便をもらしていた。

身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。

自分のことをロボットだと思い込んでいた。

幼稚園から小学校の低学年まで、泣いて帰らない日はなかった。

特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。

いつも親は、泣いている自分明日はいいことがあると言い聞かせていた。

あくる日になったらなったで明日はいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。

やはり自分バカなのだと思った。

自分のことを指さして笑う同級生教師を見て、確信は深まるばかりだった。

人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。

小学校3年生の時、親友が一人できた。

転校生だった。

家族以外の誰かと、はじめて意志疎通できたような気がした。

性格が明るくなった。

中学生になり、強制的に体育系の部活に入部させられた。

同じ目標を共有できるスポーツが、さら性格を明るくした。

高校生になるともう一人の親友ができた。

また性格が明るくなった。

やはり転校生だった。

もし親友に恵まれなかったら、自分人生はまったく違っていたと断言できる。

いっちょまえに、幼稚園小学生と恋はしていた。

やさしい女の子が好きだった。

自分を受け入れてくれるかもしれない可能性を思うことが、すなわち恋だった。

高校3年生になった時に女の子がどうでもよくなった。

そのかわり勉強に恋した。

度を過ぎて打ちこめば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえると思った。

だとすれば勉強することが、あるがままの自分でいることにつながる道だと思いこんでいた。

寝ている時と食事している時、風呂に入っている時以外のすべての時間勉強に費やした。

母はついに気が狂ったと思ったらしかった。

成績が偏差値40台から70台まであがった。

それなりの大学合格して、田舎から上京した。

大学生になって間もなく、猛烈に女の人を好きになった。

間もなく、男二人女一人のよくある三角関係にはまりこんだ。

自分が好きになったそのひとは、友人のひとりと出会ってすぐに付きあっていた。

今でも理由が分からないのだが、なぜか二人から付きあっていることを隠されていた。

そうとは知らずに告白しつづけ、ふられつづけた。

大学3年生の時、友人にふられたそのひとが自殺未遂を起こした。

血で染まった畳を清掃したあと、睡眠薬で眠りこんでいる女性の様子を見に隣室に入った。

枕元に置かれた手帳が目に入り、いけないと思いつつも手帳を開いた。

手帳に友人の写真が収められていた。

ようやく、最初からめがなかったことを悟った。

その年の夏休み、どうしようもなくなって東京九州間を自転車縦走した。

当時大阪にいた親友のひとりに電話し、大阪で合流して3週間かけて九州実家に帰った。1500キロの道のりだった。

もうひとりの親友は、大工として上京していたが、たてつづけに失踪した母親と兄を追いかけるように行方知れずになっていた。

余談だが、この親友とはそれから10年してようやく再会した。

そうこうするうち、大学留年していた。

勉強することの意味が分からなくなっていた。

なんとか大学卒業してそこそこの会社入社企画仕事にたずさわった。

特許をいくつか取るほどにはがんばった。

が、結局丸3年勤めたところで退職した。

仕事意味が分からなくなっていた。

働くことの意味も分からないのに5年、10年先が見通せる会社生活がうとましくなった。

会社退職後、大学院に入りなおして修士課程博士過程と6年間を大学院生として過ごした。

結局また勉強に頼った。

大学院で恩師に出会い、人生が変わった。

家財を売り払ったお金学費にあてていたが、実家が困窮してこちから仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。

それで大学時代からフリー仕事をした。

この間に、嫁さんになる人があらわれた。

自分人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。

博士号を取得する前後からいくつかの大学非常勤講師を勤めた。

博士号取得後、1年をへだてて結婚した。

結婚した翌年に母が死んだ。

明日はいいことがあるといいつづけてくれた母だった。

通夜の日に、大学採用面接があった。

誰になんと言われようが面接を受けようと思った。

面接から帰った夜、こっそり棺桶の隣で寝た。

母の前では子供になれるのだと自覚した。

翌年、専任講師として採用され、ようやく生活が安定した。

大学院に入学してから10年が経過していた。

それから3年で、准教授になった。

自分大学教員にふさわしいかどうか考えると、向いていないと思えることのほうが多い。

からこそすくなくとも教室の中だけでも、学生に対してだけでも、真人間として振るまいたいと思う。

自分にはそれくらいしかできないし、きっとそれで充分だ。

2016-11-07

あごだし

「あごだし」

九州北部では出汁の基本

福岡長崎では当たりまえ過ぎる出汁。アゴとは「トビウオ」の事。そのトビウオを焼き臭みをとってからじっくりと出汁をとったものです。

カツオイリコと…

「うましょく」

http://nobie.biz/ac/umashoku/agodashi-tobiuo/

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