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2014-04-23

不可思議/wonderboyと小沢健二

かの @pamyurin さんが突如ツイッター投稿した効果(あとセカオワ効果)で、不可思議/wonderboyの路上ライブPV

単位再生数が跳ね上がっている模様。。200万人フォロワーの力は恐ろしい…

その不可思議/wonderboyの代表曲とも言える『Pellicule』に、前から思っていた事があったので、この機会に少しまとめてみた。

神門狐火、泉まくら、daokoなどの楽曲提供で知られるトラックメイカー・観音クリエイションさんによる儚げで美しいピアノメロディが特徴の、

1stアルバムラブリーラビリンス』のリードトラックで、個人的にもポエトリー・リーディングで一、二を争うくらいの、フェイバリットだ。

この曲をあの屈託の無い声で語られるといつも何故か涙腺が。。。

リリックの内容は、正直言ってベタだわ青臭いわだで苦手な人は全く受け付けないのかもしれない。自分も一周回って好きになった口。

大雑把にあらすじを書いてしまうと、サッカープロ選手になれなかった高校の友人が、夢を諦めきれずにタイの二部リーグ留学し、

久しぶりに日本へ一時帰国。そして大人になった主人公がその友人を迎え入れる所から始まる。

主人公は久しぶりに会った友人の変貌に驚きながらも、再会を喜び、周りの皆も心配してたんだと伝える。

だが、そこには昔つるんでいたいつもの面子は居なかった。

主人公は他の友人が居ない理由を「忙しくて来れない」と取り繕い、2人だけで呑もうぜと誘いに出る。

そこで2人は他愛も無い思い出を語り合いながら、「来はしない友人達」を待ち続けた---という話。

この曲のバース(っていうの?)「待ってた 俺たちはいつまでも待ってた 来はしないと分かっていながら いつまでも待ってた」というフレーズは、

これだけだと一見普通に聞こえるが、その文脈を辿ると、「校庭で流星群を待ち続けたあげく、結局星が見れなかった俺たち」と

「未だに漠然とした夢を信じてうだつの上がらない俺たち」、そして「来はしない旧友を待ち続ける現在の俺たち」の

つのシーンにかかっており、非常に強く訴えかけてくる。

そして話は飛ぶが、「そもそも何かを待ち続けるという行為は何の意味があるのか?」という問いが浮かんでくる。

小沢健二が言うには、スペイン語で「待つ」という言葉は「エスペラール」と言い、その派生が「エスペランサ」、

希望」という意味だという。元来、人にとって「待つ」と「希望」は一緒の意味だったのではないかという説。

(※ちなみにカイジに出てくる船エスポワールはフランス語

まり、「何かを待っている状態」は、「希望を信じている状態」に他ならなく、「待つ」という行為を急かしたり、

すぐ結果を求めたり、ムダなものとする行為は、そのまま希望(のようなもの)を捨てる事、らしい。

ここから話が様々な思想へと繋がっていくが、それは割愛

話を戻すと、自分はこの考え方は、不可思議/wonderboyのセンチメンタリズム、そしてこの『Pellicule』という曲のテーマにそっくり当てはまる気がしている。

大人の事情で来れない友人を待ち続けるという行為が、如何にバカバカしく子どもじみた行為かを分かった上で、

それでも信じて待ってみる事は一体人生においてどういう意味があるのか。あるいはやはり無いのか。

まぁあまり話はまとまらないが、オザケン大好きな自分不可思議/wonderboyにハマったのはある意味必然だったのかな、という事で。。

2014-04-03

クズ系真面目

 ちょっと前にVIPツイッター等の半匿名SNS界隈で非常に流行った「真面目系クズ

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9C%9F%E9%9D%A2%E7%9B%AE%E7%B3%BB%E3%82%AF%E3%82%BA

 「ガンダムビルドファイターズ」のマシタとベイカーコンビが、↑の発展形の

クズ系真面目」ともいうべきキャラなのじゃないかという気付きがあったので

メモ代わりに描く



◇「クズ系真面目」の定義

○上昇志向が強い一方で自分の分を知っている

オーバーテクノロジーを秘匿する一流企業社長でありながら『おもちゃ屋の社長』以上になろうとしなかったマシタと

その気になればマシタの会社を乗っ取れる機会を持ちながら彼の秘書に甘んじたベイカー)

○分を知っているとはいえ保身感情が異常に強く、「(一定レベル以下の)現状維持」には強い情熱を持つ

自分たちの地位を脅かすかもしれないレイジを、自身が破滅するかもしれないリスクを犯してでも排除しようとした)

能力があって仕事ができるが「ルール破りや不正をして達成できる」事は極力そちらを使う

(劇中をご覧になった方なら説明不要

○人当たりがよくユーモラスでコミュ力は高いが「身内」以外に本心を悟らせない

海外企業との商談を自分の顔でまとめる『有能社長』のマシタはレイジが来るまでは「ケチこそ泥」の顔を悟らせなかった)

○「身内」の危機には自分を投げ打つ真摯さがある一方で「他人」は何の躊躇もなく切り捨てる

(PPSEワークスチームのメイジンといえども自社利益のためなら使い潰してどこ吹く風の非情さ。

一方でマシタはベイカーだけには弱い本心を露わにし、ベイカーもマシタが消えそうになる一瞬、全てを捨ててついていった

…正直後半に関してはベイカーちゃんが『救いようのない程のだめんず好き』なだけかもしれないが…)


 多分ガチクズにしちゃうガンプラ扱ってる磐梯山イメージが悪くなるんで多少コーディネートしたらこういう不可思議キャラになっただけだと思うんですけど(名推理

「劇中やってることは真っ黒黒ブラックなのになぜかファンの間では『ゆ 許された』状態」なキャラになってるのは面白いなと思って

こう考察してみました

2014-01-10

日本マスコミ世界の「ガラパゴス」だろうな

このところ、英米の大手マスコミウェブサイトニュースを私はまた読んでいるのだが、日本国内のマスコミとの世界観の相違が激しいことを再認識させられる。

話題のずれ、例えば中東アフリカの話題への関心の高さというのもある。

だがそれだけではなくて、日本マスコミでは言ってはいけないことがどうやら多いようで、情報操作された、「よく洗脳がゆきとどいた国ですね」と皮肉られてもしかたないような社会だなと思う。

先日やしきたかじん氏が亡くなったが、彼が生前大阪地元テレビ番組ほとんど言いたい放題でやっていたのに対して、東京マスコミ全国ネットも多いだろう)における「自主規制」(という無言の圧力、「空気」のたぐい)は、やはりびっくりだ。

役者で現参議院議員山本太郎氏が、以前に原発反対を言ったとき仕事を干されたという話もあるが、なかば被害妄想もありなん。だが、タレント立場ファストフード反対だとか酒反対だとかパチンコ違法ですだとか言い出したら、おそらくマスコミ広告代理店ブラックリストに載る、広告塔としての価値ほとんど無くなってしまうだろう。藤原紀香氏だったかが先日にしんぶん赤旗日本共産党機関紙)の日曜版に登場した際にもいささか揉めたらしいというのも、話に聞く。

私とて、せいぜい英米の大手マスコミしか目にする機会がないのだが(関心はあるのだが、ドイツフランスすらも日常的には読んでいないし、ましてや世界各国のを確認してまわれない)。しかし、The Times英国)のウェブサイトをこのところ見ていたら、砂糖依存性の話題で議論が巻き起こっていたり、「ADHDの診断名が付けられる小児は多いが、そんな疾患は本当は存在しないと書いてある専門書もある。診断名を付けることで気休めになり、そこで投薬に移り云々。診断名を付けたがる症候群なのだろう」と大要そんなことを書いているオピニオンがあったりする。日本大新聞テレビ局ではおそらくそんな記事はそうそう出せないだろう。

在京一般紙でも、サンケイ読売が似たようなもので、日経はもろに資本主義バンザイで、朝日はこのところ元気がなくて、毎日はまあまあ活躍していて、それらが超えられない壁の先に東京新聞名古屋中日系の東京地方紙)がある気がする。さらに言えば、大新聞と比べて、宮城福島地域地方紙や、沖縄県地方紙なんかは、世界観がまったく異なっているように思う。

なんというか、日本大手マスコミ不可思議デマゴーグだなと、このところ常々思う。

2013-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20131124121502

はっきり言って、安物食堂コスパったら日本はもうその辺の発展途上国より上な場合もあるからな。

そのすぐ近くでヨーロッパでもありえないような高級店とかがあったりするからまた不可思議だが。

ま、いずれにしろアメリカの方が待遇が良いだとかなんだとか、

アメリカの下層民を見てから言ってくれよ。

そうやって騒いでる「ぷろぐらまー」なんて、アメリカではまともに仕事もらえず

というかむしろ大学にもいけず

アルバイトでやっと、という程度の馬鹿なのに。

2013-07-12

この世には情緒豊かで情熱的な方々がたくさんいらっしゃるようで、その場の激しすぎる衝動子供を作ったり、「愛さえあればやっていける!」と高尚な感情のみを頼りにして結婚したり、惰弱な逃げ道など用意せずに「義」のため、「愛」のために金を貢いだり借金を立て替えたりする風流人を拝謁する機会が多々ある。

「そこまで激しい愛に突き動かされたんだ。さぞかし幸福ある永遠の仲になるでしょうなあ」と感心していればそうでもなくて、あんなに愛を競い合っているように見えた彼らが、数年後には憎しみを競い合っているように見える事もままあるし、子供が生まれた時は満面の笑みで祝福していた母親が、今では般若の顔を被って子供を厳しく折檻しているどころか、逆に親子間で罵り合いつつ喰らいあう場面も多々あるというのだ。

全くもって不可思議奇っ怪、花の散るよりお早いうつろい人間というのは実に読めませんなあ、と結婚出産関連の怨嗟を覗きつつ独りごちている。

まるで梅よな。花を見る分にはいいが、漬けると途端に酸っぱくなる。単体では到底食えぬが、添え物としてなら程よい味を醸し出す。

満開の桜、松の下の鶴、満月すすき野にも勝てず、栄えがあるのは鶯止まる満開の梅の花のみ。

頻繁に切り詰めないとすぐ枝が汚らしくなり、鬱蒼とした暗がりを作り出す。古来からしまれてきているのに、中途半端な位置づけの一スパイスとしてしか影響が垣間見れないのも近しい物を感じる。

それでしかないのに、世の結婚出産必然的に人を縛り付け、無理にでも二人三脚しなければ立ちいかぬ仕組みとなっている。

「元気が二倍!」なぶん負担も疲労も二倍、いや、それ以上の重量を抱え込む事になる。特に子供は己を犠牲にせねば育ちもせず、育った後も見続けねばならない危うい存在だ。「梅のみを大切にし、他の花は疎かにせよ」などと戯けた状況だというのに、この世の思慕強き方々は若々しくそれを渇望していると来た。

子供の俺には毛程も理解できませんなあ。

2013-05-30

男と女の友情

俺は男と女の友情なんてありえないと思っている。

例え仲が良くても、それは男同志の友情とは異質。

女を感じない+気が合って楽しい=友人。ってわけじゃあないんだよなー。

何か性を感じない、つまりセックスをしたいと思えない女は、恋人にもなり得ないし、友達にもなり得ないという、不可思議存在

2012-10-31

ネットは全て役人監視はされてるけどビビる必要はない

47 ソーゾー君 [] 2012/01/03(火) 17:17:07 ID:Qr5fNk4YO Be:

ネット監視監督しているのは役人からネット全てだよ…

だけど…少数派の役人監視監督するのは不可能なの…

ガクブルしながら監視監督しているの…怖いから脅すの…数=力で劣ってるから…」






俺の身体的特徴を晒し始めたのは親子丼ミャンマー問題で議論し小吹の自爆で過去を叩いていた頃だ。

その頃は身辺においても不可思議なことが起きた…黒い車事件だw

その頃は携帯に非通知で夜中2~3時頃に十件とかざらだったぜ?

で…その出来事で経験を積んで「慣れたの…」

で…フリメスレで初めてサンヘドリン手紙晒してサンヘドリンに付いて語り始めた

頃に個人情報晒しだ…話し一切関係いからな…それとなく晒して脅す…

サンヘドリン手紙晒してサンヘドリンに付いて語った時の異様な書き込み見てみ…

凄いぞ…確かフリメスレのNo.30ぐらいじゃね?






ネットは全て役人監視はされてるけどビビる必要はない…

レスを見たら分かる…ビビってるのは監視してる側…

知人や家族に「真実と伝える危険性と伝える事で身を守れる事」を伝えれば良い…

知らずに放置している危険性もな…

欧州銀行家と飼い犬達は多数派の大衆真実を知らないから支配し計画を進めている。」

「だから欧州銀行家と飼い犬はマスコミ学校等を支配し情報を歪曲して真実を伝えない。」

「知れば計画は頓挫し支配はおわる。」
















中央銀行・発行権】黒幕銀行家【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50

中央銀行・発行権】黒幕銀行家37【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/

2012-05-09

自然現象です!過去にも有りましたから!

609 ソーゾー君 [] 2012/05/07(月) 18:18:05 ID:lr7KkB9IO Be:


行政府の飼い犬=気象予報士が聞かれてもないのに

最近起きている不可思議な気象を「自然現象です!過去にも有りましたから!」と大騒ぎしているな…

何で自分達で暴露するのかな?頭悪すぎだよな?

自分達が信用されてると思ってるのかな?










中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

最近起きる不可思議自然災害実験も兼た予行演習だぜ?

621 ソーゾー君 [] 2012/05/08(火) 03:47:59 ID:INYkDtPIO Be:



警告する…理解してくれよ…小沢無罪になったよな?

民主党圧勝小沢又は小沢派内閣が発足した後が本当の戦いだからな?」







最近起きる不可思議自然災害実験も兼た予行演習だぜ?

欧州銀行家はどんな非道な事でもそれが目的達成の為ならやるよ?

目的は手段を正当化する」←これがキチガイ共のスローガン

今更、鳩山・管を称賛する馬鹿がが居る…腹が立つ…

短絡的に物を見るな…しょーもないマスコミデマ一喜一憂するな…







民主主義国民覚悟と知恵が無ければ成り立たないんだぞ?

野球を観戦している客か?民主主義国民は観戦者ではなくプレイヤーなんだぞ?

野球なんかどのチームが勝とうが優勝しようが関係ないが政治は違うんだよ?

もろ直結するぜ?玉遊びの観戦は二十歳で卒業しろよ?

ガキの遊びだよ?仮面ライダーに熱狂しているガキと変わらん…





















中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

小沢又は小沢派内閣が発足した後が本当の戦いだからな?

621 ソーゾー君 [] 2012/05/08(火) 03:47:59 ID:INYkDtPIO Be:



警告する…理解してくれよ…小沢無罪になったよな?

民主党圧勝小沢又は小沢派内閣が発足した後が本当の戦いだからな?」




最近起きる不可思議自然災害実験も兼た予行演習だぜ?

欧州銀行家はどんな非道な事でもそれが目的達成の為ならやるよ?

目的は手段を正当化する」←これがキチガイ共のスローガン




今更、鳩山・管を称賛する馬鹿がが居る…腹が立つ…

短絡的に物を見るな…しょーもないマスコミデマ一喜一憂するな…

民主主義国民覚悟と知恵が無ければ成り立たないんだぞ?




野球を観戦している客か?民主主義国民は観戦者ではなくプレイヤーなんだぞ?

野球なんかどのチームが勝とうが優勝しようが関係ないが政治は違うんだよ?

もろ直結するぜ?玉遊びの観戦は二十歳で卒業しろよ?

ガキの遊びだよ?仮面ライダーに熱狂しているガキと変わらん…











中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

2012-03-31

俺の身体的特徴を晒し始めたのは・・・

47 ソーゾー君 [] 2012/01/03(火) 17:17:07 ID:Qr5fNk4YO Be:

ネット監視監督しているのは役人からネット全てだよ…

だけど…少数派の役人監視監督するのは不可能なの…

ガクブルしながら監視監督しているの…怖いから脅すの…数=力で劣ってるから…」

俺の身体的特徴を晒し始めたのは親子丼ミャンマー問題で議論し●吹の自爆で過去を叩いていた頃だ。

その頃は身辺においても不可思議なことが起きた…黒い車事件だw

その頃は携帯に非通知で夜中2~3時頃に十件とかざらだったぜ?

で…その出来事で経験を積んで「慣れたの…」

で…フリメスレで初めてサンヘドリン手紙晒してサンヘドリンに付いて語り始めた

頃に個人情報晒しだ…話し一切関係ないからな…それとなく晒して脅す…

サンヘドリン手紙晒してサンヘドリンに付いて語った時の異様な書き込み見てみ…

凄いぞ…確かフリメスレのNo.30ぐらいじゃね?

ネットは全て役人監視はされてるけどビビる必要はない…

レスを見たら分かる…ビビってるのは監視してる側…

知人や家族に「真実と伝える危険性と伝える事で身を守れる事」を伝えれば良い…

知らずに放置している危険性もな…

欧州銀行家と飼い犬達は多数派の大衆真実を知らないから支配し計画を進めている。」

「だから欧州銀行家と飼い犬はマスコミ学校等を支配し情報を歪曲して真実を伝えない。」

「知れば計画は頓挫し支配はおわる。」

黒幕銀行家4

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/

2012-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20120224152510

右手うずくんだろう。

これを50歳前後独身オヤジが書いてると思うと、

憐憫の情を禁じえない。



朝の9時からおやつの3時まで南京問題で激論するオジサン。

ではなくて激論することができる環境にいる不可思議なオジサン。


なーに、そんな難敵に会うレベルになる頃には逃げずに立ち向かえるようになってるよ。

だって逃げられない敵ってだいたいボスキャラだろ?レベル1の人間がいきなりボスキャラ対峙しないよ。

2011-09-10

パラダイムシフトの真っ最中だけど今月結婚する

今月結婚する。今まで2chで「結婚人生墓場」という例もたくさん見かけてきた。自分の親もずっと不仲で数年前離婚した。だから結婚しなければ」というプレッシャーがあったわけではない。それでも今月結婚する。

もちろん、この人と結婚したい、そう思える人が見つかったからだが、それまでの間「結婚したいと思える人」を探していなかったといえば嘘になる。それは、なぜだろうと考える。有り体に言えば「結婚願望があった」ということなのだろうと思う。でも、なぜ結婚願望があったのかは、未だに自分でもよくわからない。

から一時的な恋愛にはあまり興味がなかった。寂しいという感情が薄く、性欲もオナニーで解消するほうが合理的だと考えていた。クリスマスにかっこいい彼氏彼女を引き連れて街を歩くといった、恋愛ファッションと考える向きもあるけれど、そういう嗜好性も僕にはなかった。だから、寂しさと性欲のためにいつか終わりを告げる関係性に時間投資するのは無駄だと思えた。

それでも女性とつきあったことはある。当然、好きだな、と思ったからだが、しかし一方で好奇心セックス含む)の延長線上、あるいはいつか結婚するためのコミュニケーション研鑽としてつきあっていたようにも思う。十代の恋愛なぞ、互いがどんどん変化していく中でズレが発生してしまものだと思うし、どうせ長続きはしないと思ったからだ。実際に長続きはしなかった。それでも、それぞれと数年は付き合ったけれど。

まり恋愛願望はかなり薄いが、結婚願望はそれなりにあったということになる。たぶん単純に安定志向だとか、そういう話で片付けてもいいのだけれど、せっかく結婚するのであるから、もうすこし自分内面を掘り下げてみたい。

結婚したいと思ったのは、両親の失敗例があったからかもしれない。どんなに経済力があっても、夫婦の仲がダメでは家庭はダメだということを理解しているからかもしれない。だから、ちゃんと夫婦仲がしっかりした家庭を作って、なにか「仇」みたいなものを取りたいと思っているのかもしれない。

あるいは、諸々の事情からもう僕には実家がないからかもしれない。僕には何かあったとき「帰れる場所」「セーフティネット」はもうない。ならば、自分の手で作ってしまえ、と思った。僕にとっての「帰れる場所」、あるいは僕の大切な人間にとっての「セーフティネット」を、自分の手で用意したいと思った。生きていく上での何よりも大事な「インフラ」を自分の手で創り上げてみたいと思った。自分のために。あるいは自分の大切な人のために。

単純に、結婚ということにも興味があった。なぜ人は結婚するのだろう?結婚してみるとどうなるのだろう?という好奇心だ。自分は体験主義者であり、世の多くの人が行っている「結婚」をいうことを、自分自身の身で確かめてみたかった。たとえば好きな人と一緒に生活したいのならば事実婚いいとも思うし、わざわざ結婚届にサイン証人サインまで取り付ける必要はない。配偶者控除もなくなりそうな感じなのだし、税制上も特に影響はないと言って過言ではない。

でも結婚する人はいる。なぜか。古くさい社会習慣に引きずられているからか?しかし、僕の知人の中には、とても過去の習慣に引きずられてはいないような人も結婚したりしている。しかもどうもそういう人の結婚幸せそうだし、なにかとても「芯」のようなものを感じる。錯覚の可能性は十分にあるのかもしれないし、自分こそがまさに古くさい社会習慣に引きずられているのかもしれないけれど。そういう意味で、とにかく不可思議で、よくわからない何かを解明したい、という思いがある。

結局未だにわからなくて、それを整理したくて、だからこんな文章を書いてみたりもしたけれど、結局わからないままだ。どれぐらい分かっていないのかというと、「結婚おめでとう」といわれても、何がおめでたいのかよく分からないほどだ。

就職おめでとう」「転職おめでとう」のように、面接にでも合格した扱いなのだろうか。もしくは、大きな船出の無事を祈っての「おめでとう」なのかもしれない。こんな風に、ひねくれた、とんちんかんな事を考えてしまう程度に、分かっていないのだと思っている。結婚たからと言って「大人になった」「これで一人前」とは、特に思わないからだ。結婚しても、ダメ人間などたくさんいるからだ。むしろ結婚していない人間のほうが、無知無謀ではない、という解釈すらあり得るのが今だからだ。

人は長期的には、自分を否定できない生き物だから、もしかしたら僕も幸せ結婚生活をするうちに「結婚できない人間ダメじゃねーの」と言い出すこともあるのかもしれないし、もしくは結婚に失敗して「あんなものはやっぱり人生墓場だった」と言い出すのかもしれない。

ただ、これだけひねくれた人間結婚を決意してくれた人間を、幸せにしたいと強く願っているし、ついでに僕も幸せにしてもらえるといいなあ、と思える程度には、脳天気な心持ちだって、もちろんあるのだ。

そんなわけで、今月結婚する。自分で読んでもさっぱり意味の分からない文章を、ここまで読んでくれた方ありがとうございました。

2011-06-19

最後幻想

 これはとあるゲーム会社に対する私の雑念だ。この会社日本でも有名なゲーム会社だ。まあ有名な理由は色々ある。もはや□を通り越して●(穴)に真っ逆さまだとか、いや、もう口にされることもなくなったとか・・。と、そんなことはどうでもいい。このゲーム会社の作品に「最後幻想」(邦題)と題されたシリーズものRPGがある。いや、すでに終わっているとか言われているがそんなことは、やはりどうでもいい。最新のタイトルは「13番目の最後幻想」(以下「13」と表記)だったと記憶している。14番目もあったか?たしか中国製の海賊版を買収して発売してみました」的なやつだったか?まあ、幾つまで出ていようが別にいいや。私の中では7番目まであれば問題はない。

 前振りはここまでにして、私が気になってしょうがないのは今年の冬くらいに発売予定の「13番目の最後幻想の2番目」(邦題)と名付けられた作品だ。書いていて既に混乱は始まっている。最後でありながら2番目?でさらに13番目?ん?何故誰もツッコんでいないのだ。まあ、そうか。この会社は既に「10番目の最後幻想の2番目」(邦題。以下10-2と表記)なる訳の分からなくなるタイトルの作品を発売している。今更だ。会社の好き勝手にやらせておけばいい。私が気にしたところで別段なんともなるまい。今の日本なら「はじめの一歩Ⅱ(3巻)」のようなタイトルがあってもいいじゃないか。と、ひたすら自分を納得させている。

 と話は少し置いておく。ところで、10-2はアルファベットで表記するとⅩ-Ⅱつまり12だ。当時の開発時にも一部で言われていたことだが、本来はシリーズの12として開発されていたものではないだろうか?と私は今でも思っている。まあ実際は別の12が出ることになるわけだが、どうもこの12というのが曲者だ。この12はシリーズの別枠で作られていた気がする。その根拠は、「このゲームに毎回登場しているポケモンみたいなやつが12だけ異なっている。」というだけなのだが。まあ、得てして「10番目の2番目の最後」は着せ替え型ギャルゲーRPGというなんとも珍妙なジャンルゲームになったわけだ。

 で、「13番目の2番目の最後」これだけなら良かったのだ。まだ、納得ができたのだ。このゲーム会社はこともあろうか「最後幻想ゼロ型」(邦題)なる更に、はた迷惑なタイトルを出してきたのだ。ゼロ?基本的には0という数字は1よりも前の世界という意味がある。そもそもこのシリーズ数字は振られていても数字前後に繋がり等持っていない。1番目も2番目も出した発売した順番程度の意味しかない筈だ。なのに0?あり得ない。いや、このゲーム会社不可思議名前など既に驚くことはない。0なのだ。繋がりなどなくとも0なのだ。もう受け入れざるを得ない。0でOKにしよう。いや待て。本当にいいのか?0とは1よりも前という意味だ。つまり最後幻想」が始まる前という意味だ。「最後幻想の一つ前・・。」

 「最後幻想の一つ前」つまりは「ふつう幻想」ということだよなあ。差し詰め「おっさんたちの妄想」をカッコ良くしてみました(笑)的なノリのタイトルと考えてもいいのだろうか?

「帰ってきたマイナス壱番目の最後幻想の2番目」・・。

2011-06-03

その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした

夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。

それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。

わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。

思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達先生サークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。

家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやり映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。

膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。

なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。

わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。

なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。

記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。

でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神感覚で感じ取ることができなかった。

つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。

どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。

不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである

すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。

ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。

わたしという内実は空虚なのだ。

一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。

映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せエンディングを迎えることができた。

チープな物語あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした

同時にほとんどマグカップが空であることに気がついた。

ほんのりと温もりを宿した陶器の底には、飲み干した紅茶が少しだけ残っていた。

2011-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20110311125306

銀行理事まで務めたような人が「日本では外国人から献金違法」って事を知らなかったってのも、ちょっと不可思議な印象を覚えるね。

知らなかったとしても事前に調べるなり菅の事務所に問い合わせるなりしようという発想がなかったのかな、と。

この人、菅以外に献金したことなかったんだろうか…って、してたらそれはそれで問題かw

2011-01-21

肉片落ち葉

さまざまな問題意識子供たいに産んで育てて、それでその子が最終的にどうなるかってことを考えたら

生活も、やるべきことも、考えるべきこともほとんど雲散霧消してしまったのだ。

手元に残ったのは何かよく分からない個別的な、理解しがたい、気持ちの悪い、細かな肉片のようなものばかり。

どこか自分の外に吐き捨てるとしても、なるべく目立たない身近な場所に埋めて隠しておかなければ

後で聡明な誰かにその肉片を掘り起こされて、いかにも正しそうな難癖をつけられてしまう。

その誰かは自分かもしれない。

自分自分の肉片の埋めた場所を無意識に掘り起こしてしまうことももしかしたらあるかもしれない。

そして、以前よりさらにぐちゃぐちゃに荒らされたそれを見つけて、二度とその周辺に近付けないほどの恐怖を感じてしま

ということもありうる。

とにかく、今即刻私が身に付けなければならぬ思想は、「どういう形であれ私は変わらなければならない」という切迫感溢れる意識を含むものだ。

今全く興味を見いだせないといって捨てたたくさんの肉片も、いつか醜い欲望に駆られて利用したくなる日が、もしかしたら来るかもしれないのだから

こうやって、ね。

言葉を並べられるというのも非常に不可思議で、相当自分に酔ってなければできない営みであるように思う。

けれどその論理を見えなくするくらいの肉片が、今日落ち葉たいに街にごろごろ転がっているように思えるから

とりあえず外出て、それらを繋げようと齷齪しながら絡まって、遊んでみようと思う。

生きてみようと思う。

2010-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20101220031450

過去に似たような企画して見事に失敗した事例が過去にあったから、別段驚くようなもんでもない。

なんだっけか、「ブログ甲子園」だったかな。高校生ブログを集めて色々賞とかあげたりしてたやつ。ポイントの集計システム不可思議な挙動を繰り返しまくってちょっとしだ騒ぎになってた。途中で全記事削除したブログ最後まで上位に残り続けてたりとか(笑)。不評すぎてその年だけで終わっちゃったみたいだけど。

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825204643

「思考の統合性を保つためには、他のある分野に対してはこの思想を選択してしかるべきだ」のような押し付けはてサがやっていて、キャフキャフしながら批判していたのはどこの誰かな。

そして、全くといっていいほど関心が寄せられていないにもかかわらず、特定の非常に狭い時間帯にトラバがついて議論が進行する。

あまりにも不可思議光景である。

ここまで自演にまみれたものは見たことがないけど、どこの工作員だろうか。いくら金をつまれているのだろうか。謎である。

2010-07-19

京都道路は碁盤目状だから、バス停も通りの名前を組み合わせたものになる。

ただ、最近それがカップリングのように聞こえて仕方がない。


例えば、「千本今出川」は千本×今出川、「千本北大路」は千本×北大路という風に変換される。

この場合千本通りはどの通りと組み合わせても名前最初に来るので、攻め気質のキャラクターだということが分かる。


同様に、堀川通りも攻め側にまわる事が多い。

堀川上立売」「堀川中立売」「堀川下立売」を順番に聞くと堀川はこの三兄弟の誰が本命なのかとハラハラしてしまう。


中でも、河原町通りは気になる存在だ。「四条河原町」「三条河原町」の時は受けなのに、「河原町丸太町」の時は攻めになる。不可思議極まりない。

けれども、かわらまちまるたまちという音韻の可愛らしさから、この二人は双子気取りの百合カプなのかもしれないという考えに至る。


大宮だって気になる。「四条大宮」と「大宮五条」があるということは、攻めヒエラルキー四条大宮五条なのだろうか。

兄には受けて弟には攻めるなんて、大宮はリバ魔性にもほどがある。


ちょっと待て。今何となく調べたら「河原町五条」ってバス停もあるじゃないか。五条は受け確定なのか。

それに「四条堀川」って何だ。基本的に攻めキャラ堀川もさすがの四条には敵わないってことか。

京都には「四条は攻め、五条は受け」という決まりでもあるのだろうか……



しかし、こんな風に悶々としながら市バスに乗ってるのなんて自分だけだろうな。

修学旅行生が騒がしい時期だけど、この脳みそのおかげで車内は快適です。

2010-02-05

すげー小さいんだよ。

もう、すげー小さい。

洗剤に含まれているものの粒の小ささを競う意味わからんけども。

でもある程度より小さかったら

もう俺らにはわかんないね。

ウソもつけるしな。

カス原子何個分とか

素粒子いくつの集合体とか

どうでもいいしな。

そういえば子供って

那由他とか不可思議とか好きね。

2009-11-27

人力検索はてな質問の補記

* AnonymousDiary を人力検索はてなの質問の補記に使うことをお許しください(質問文はこちら)。

tcpdumpネットワーク接続を開始したときに、キャプチャする方法

OSは、Ubuntu 8.04。シェルは、bashをそれぞれ使用しております。

下記、(1)、(2)の手順で、ネットワーク接続を開始したら、

tcpdumpパケットキャプチャするような設定を行いました。

OS再起動さてみたところ、正常に取得を開始してくれません。

そこで

下記、(3)、(4)の手順で試してみると、それぞれ不可思議な挙動を発見しました。

原因が分からず苦慮しております。ご教示いただけないでしょうか。

何卒、よろしくお願い致します。

(1)/etc/capture.sh というファイルに下記シェルスクリプトを書き込み

#!/bin/sh

tcpdump -i eth0 -s 1500 -C 10 -w /var/log/tcpdump/tcpdump`date '+%Y%m%d%H%M%S'`.log

(2)ネットワーク接続が完了したときに、コマンドが起動するよう

/etc/network/interfeces に次の1行を書き込みました。

up sh /etc/capture.sh

# This file describes the network interfaces available on your system

# and how to activate them. For more information, see interfaces(5).

# The loopback network interface

auto lo

iface lo inet loopback

# The primary network interface

auto eth0

iface eth0 inet static

address ???.???.???.???

netmask 255.255.255.0

gateway ???.???.???.???

up sh /etc/capture.sh

* ???は、適当な数が割り当てられてます。

OS再起動さてみたところ、正常に取得を開始してくれません。

そこで、(3)、(4)を試してみました。

(3)ネットワークリスタートさせると、つぎのようなエラーが返ってきます。

user@server:~$ sudo /etc/init.d/networking restart

* Reconfiguring network interfaces... SIOCADDRT: File exists

Failed to bring up eth0.

(4)ところが、一度、インターフェイスをdown、upしてから、ネットワーク再起動すると、tcpdumpが正常に動き出します。

user@server:~$ sudo ifconfig eth0 down

user@server:~$ sudo ifconfig eth0 up

user@server:~$ sudo /etc/init.d/networking restart

* Reconfiguring network interfaces... Received cookie: SQ_SYSTEM_SESSION=4gqai700bd5s0tdo9f0fafnbr7

tcpdump: listening on eth0, link-type EN10MB (Ethernet), capture size 1500 bytes

2009-06-02

香港上場中国企業95社が倒産 - GM倒産のどさくさに紛れ。

被害は海外ヘッジファンド投資家に集中し、誰も責任をとらない

GM倒産は巨大なショックを株式市場に与えた。

世界一企業倒産するのだから、目立たない中国企業倒産しても、投資家はそれほど騒がないだろう?

あおりを受けたのか、ゴールドマンサックスは保有している中国工商銀行の4%株式(20億ドル相当)を2010年4月までに市場で売却する方針を固めた(フィナンシャルタイムズ、6月1日付け)。

これらの巨大な金額に比べると、下記の倒産騒ぎなどニュースにも値しないかも知れない。

香港で「マンドラ森林ファイナンス」という魔可不可思議な「会社」が倒産した。この会社は四年前に2013年五月償還の社債を発行していたが、償還前の09年5月15日に二億ドル弱の負債を残して倒産した。

ウォールストリートジャーナル(6月1日付け)に拠れば、この「マンドラ」なる企業は一切の木材工業務をしておらず、ひたすら設立時の宣伝文句に地方政府高官とのコネの強さを謳っていた。ばかりか、森林伐採の許可も受けていなかった。

半導体製造の「ASATホールディング」社、「アジアアルミニウムホールディング」社などもまもなく倒産と囁かれ、S&P(スタンダード&プア社)に拠れば、合計95社が負債をまかなえず倒産した。

被害は殆どが海外投資家という。

ペーパー上の業績を謳って海外オフショア市場で起債する手口。私募債をいずれ上場するという触れ込みで資金を集めただけの面妖な中国企業が含まれる。

とくにマンドラは、幹事行にモルガンスタンレイの元社員が絡んでおり、NYのヘッジファンドブラックロック」社などが出資していた。

いずれも責任を否定しており、いかに中国投資が危ないかの一端を物語っている。

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