はてなキーワード: エントリーとは
転職を決め、人材紹介会社にコンタクトを取り、紹介を受けたり自分で探した求人に応募をし始めてから2週間。
書類選考の結果がボチボチ出てきた。
応募:44件
う~ん。なかなかに厳しい結果。
そんなにキャリアもスペックも高くないので、こうなることは予測していたが・・・
タイミングの問題も大きいし、絶対評価ではなく相対評価なので、相手によりけりでもある。
まずは4件の面接を、しっかりこなそう。
そして、引き続きエントリーは続けていく。
幸い求人はたくさんあるので、選ばなければどこかしらに潜り込めそうだが、今のキャリアを無駄にしないためにも、現職での経験が活かせる職場に行きたい。
現職への転職が、「失敗だった」ということになるのは、どうにか避けたい。
https://anond.hatelabo.jp/20171024075235
批判対象として話題になっていたエントリー。批判も正しいと思うのだけど、自分が気になったのは本題ではなくて、「人権とか言うのは、カルト宗教みたいなもの」というフレーズ。
人権とか民主制とか、信じてない人から見れば、カルト宗教みたいなものなんだってこと。
人権とか民主制を軽視している人が、しばしば「保守」を名乗るけれど、彼ら<も>、人権とか民主制は、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしている。勘違いしているから、人権とか民主制を批判しても、それに近いものが、社会を支えてくれると思っている。
でも、そうじゃない。人権とか民主制は「カルト宗教」みたいなもので、みんながその価値を信じることにしか基盤がない。みんなが「そんなもの大したことない」と思い始めたら、いつでも崩壊する。
そして、この点において、実は左翼とかリベラルとか言われる人たちも同じ問題を抱えている。人権とか民主制が、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしているから、その価値を受け入れない人の立場が分からない。そして、対話が成立しない。
大事なのは、人権も民主制も「カルト宗教」だということ。脆く、儚いものだということを、認めることだと思う。
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あと、別件だが、「リベラル」という概念と、国際問題や安全保証の問題につながっているのは歴史的には正しけど、現時点での政策の問題としては分けるべきだと思う。
たとえば、自分は「憲法にかかれている国民の権利に条件を付けろ(論理的には、普遍的権利としての基本的人権を廃止せよと同義)」という意見に反対だし、それが「リベラル」のもっとも典型的な主張だと思うのだけれど、一般的に「リベラル」という言葉が指しているものは、それよりもかなり広い。
国際政治について言うと、論理的には、「リベラル」であることは、「侵略戦争は批判されるべき」ということまで導く。論理的とまでは言わないけれど、慰安婦問題見直し論とか、歴史修正主義とかに、批判的な立場になることも、「リベラル」の帰結として自然とも言える。
ただ、9条をどうするかとか、米軍基地をどうするかとかは、リベラルかどうかとは関係ない話で、リベラルの立場から、9条の維持、廃止の議論はできるし、リアリズムの立場から、9条の維持、廃止の議論ができる。実際、日本は、「民主主義の価値観を世界に広めるために、世界最強の軍隊を持つべき」という立場(だった)国と友好的関係にあるわけだ。
「リベラル」ということで、こうしたリベラリズムが中立的であるはずの問題にまで、特定の立場を取っているとみられるのは、「リベラリズム」にとってマイナスだと思う。
題名の通り、甥っ子と姪っ子に教えたら、親から幻想を壊すなと怒られた話。
それも必死に。
なんでこの人たち、急に大道芸みたいなパフォーマンスを始めたの?みたいな内容からのスタートだった。
自分は儲かってないが自営業で、世の中をお金という視点で判断することが多い。
選挙も毎回、動いているお金を考えたら必死にもなるよなーと思ってた。
そのうちの一つが供託金。
いわゆるエントリー費用で、今回のような国会議員選挙では最低300万が必要。
これには比例選挙名簿に名前を記載するという600万のアップセルがある。
つまり国政に関わるには、選挙一発で1000万円を超える出費を毎回捻出しなければならない。
議員もいわゆる職業の一つ。つまり個人経営の営利活動なわけだから、当選したらそれ以上の見返りがある。
それだけ儲かるなら、顔と名前を晒して頭下げてでも頑張るよね。
また供託金は、選挙で一定数の得票があったら戻ってくる。つまり、最低得票数を達成しないと、お騒がせ料よろしく没収されてしまう。
300万、何があろうがなかろうが没シュート!ということは、選挙の公示から実質10日として、一日30万円で街頭で叫ぶという、苦行チケットを買ったようなもの。
最低でもこれだけは取り戻したいから、何が何でもカスカスの得票だけは避けたい。
だから、頑張るんだよー。
そんな話を小学生にしたら、選挙に出るくらいなら新しい自転車とライダーベルトを買う方がいいって言われたので、今はまだそれが正解なんだろうなと思ってしまった昨日の出来事でした。
端的に言うとそれは村はてブには該当しません。元記事ではアカウントの選定を一定のルールに従って選定してフィルタリングしてはどうかという提案なのに対して、村はてブは村人の選定は人力手動でやってそのアカウントがブクマした記事を集計したりフィルタリングしたりしています。フィルタリングはこれも人力手動で設定した URL を減点したり、特定のサイト(BuzzFeedとか)だったらタイトルにサイト名を挿入したりとかです。
ついでに、せっかくなのではてなブックマークや村はてブについて色々語ってみようと思います。
オワコンとか廃村なのか?とか言われていますが、村はてブは自分は情報収集の中心になっています。と言っても、途中経過と選りすぐりだけですけど。自分にとってはとても良いです(自分用に作ったからねえ)村人リストとかブラックリストとかは更新してないけども、現状で問題を感じてないからであって、メンテナンスを放棄した訳じゃないです。コードの方も特に利用に関して問題のあるバグが発覚してないので同様です。村人の追加とかは元々保守的な性格なのと、村人を増やすと載せる載せないの閾値の設定もやり直さないといけなかったりとまあ要するに面倒だからですね。そこを楽になるように閾値設定も自動でやるようにするべきだったかもしれないかなと今更。
上述の通り村はてブは手動でアカウントを設定して集計してるだけでして表向きははてな村のメタファーを使っていますが、言ってしまえば temtan お気に入りのマイホットエントリーと大差ありません。だから村はてブに合う人は temtan と似てる感性を持ってるという話、逆に合わない人は temtan の感性と合わないってだけです。村人の選定はある程度公共性を考慮して選定してありますが、所詮は一個人が適当に独断と偏見で選んだだけです。
村人候補者機能について。これは村はてブで上がってきた記事を沢山ブクマしてる人をリストアップしてるだけです。当初の狙いとしては候補者、つまり村人リストに入れると良さそうな人を選定する機能として実装したのですが、上記の通りの既に村はてブに上がってきた記事をブクマしてる人を村人リストに入れると今までの傾向がより先鋭化する方向に向かう訳でして。自分としては今の村はてブには上がってこないが良い記事が上がってくるようになる人が良かったのに。つまり、当初の狙いと全く逆の機能になってしまったのですね。こりゃあかんははは。
はてなブックマークの将来に関してはだいぶ前にもう諦めた感じです。正直現状維持してくれればそれでいいやって感じ。村はてブを作った後のしばらくは色々やってて、スパムを色々調査してみたりブラックリストの更新を助ける自分用アプリを作ってみたり。けど、肝心要のはてなブックマークが機能的に全く進化しない。新機能は入れないし、API だって増えない。今でもアカウントの情報(ブクマ数とかお気に入り、お気に入りられとか)の API が無いっぽいし。表面的なリニューアルはするけどコードに手を入れるような事を全然しないのでもう諦めました。正直、技術者としてのプライドがあるならパーソナルブラックリストぐらい実装しろとは思うのですがね。これに関しては、自分の予想はそのコードに手を入れるだけの技術力を持った技術者が居ないんじゃないかと思っています。なので改良したくても出来ない状況なんじゃないかなとか。まあしたいと思ってるのかも疑問ですがね。最近だってリニューアルしたけど自分達で使ってない、ユーザを見てないの丸わかりで、結局は元に戻したりしたからね。
なので村はてブの新機能とかも(まあ元々プログラマとしては Web 系ではなく OS システム寄りなのもあり)やる気はあんまり無いですね。一時期はユーザ個別に村人リストを持って集計するパーソナル村はてブとか考えましたが、セキュリティの問題もありーの、集計の閾値の設定や重み付けの設定値とかどうするのとかあって考えて終了な感じ。Windows アプリで似たようなのも考えたけど、そもそも今の時代 PC の前で情報収集も既に少数派になってる気がします。
村人リストを自分なりにこうして自分だけの村はてブが欲しい人はソースコードを公開してるんで、それを自分のサイトで運用してみたり、自分で作ってみると良いと思いますね。村はてブのソースコードは SSI まわり以外はテキストデータ処理しかやってないみたいなもんだし。というかやってる事なんて大したことじゃないんで自分でゼロから作ってみると良いかと。はてブからデータを収集して集計して出力するだけだし、これならプログラマー中級者ぐらいなら良い練習になりますよ。
しかし、最近ははてな村の祭りも行われなくなりましたね。自分は村長が自転車に嵌ったのが大きな原因じゃないかと踏んでます。
追記:
パーソナルブラックリストとは特定のサイトを表示しない機能のこと。もうこんな糞サイト見たくないって思うことあるでしょ。ホットエントリ等を見る時にそれらを自動で排除する機能。
https://i.imgur.com/b6UDzAF.jpg
全部「過払い金」関連だよ
anond:20171010193503 (昨日の不具合についていちばんよくまとまってる増田)
https://i.imgur.com/4YwYXRO.png
(『はてな匿名ダイアリー』 の新着エントリー - はてなブックマーク http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=eid&url=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F )
↓
https://i.imgur.com/653zk3B.png
(はてなブックマーク - [感想]映画「アトミックブロンド」 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171011103709 )
(追記 18:24)
で、これを書いてる今、また再発してる。。。
ファンに憶測の批判が強過ぎるといいつつ、匿名の増田がしているのも憶測。制作の非公式な行為が許されないなら、原作者が嫉妬したとする週刊誌の記事はどうして許されるのか? それを真に受けない方がいいとしている時点で、自分のエントリーも価値がない事に気付かないのは本当に社会人かと疑いたくなる。
それからクリエイターが聖域で利害関係に疎い、そうした事は教えないかのように書きながら、ファンに事情をもう少し勉強しろというのもおかしな話だ。これは商行為として常識のなさを客に対して咎めているのか、社会人としての話なのか、同人的なマナーを説いているのか。
この点、論旨を大まかに整理して通常の商習慣に当て嵌めればおかしな部分だらけなのはすぐに分かる。そうでないなら業界が丸ごと異常なのだろう。
自分は事情通で内部に詳しいかのように書きながら、知りえない事情を推測で押し付ける。その上で勉強不足だと批判しつつ、実態は権利側の擁護でしかないお粗末さ。
主張が正当であるのなら(今更、ファンは信頼しないだろうが)制作会社に経緯説明を促す発表を最初に権利側がするべきだったし、今後はどういった形で話を進めるべきなのか触れて合ってよいはずだが、そうした部分は全く見て取れない。要するに、このエントリーはファンの無知と制作だけを責め、権利側の手落ちには全く触れずに印象操作をしているようにしか見えないのだ。
また、業界関係者であるのならバーニングに関する言及が全くないのも極めて不自然。
そもそもファンは内情など内側から発信しない限り知り得ない事を分かった上で書いているのだから、悪質としか言いようがない。
アイドルマスターsideM、TVアニメ化おめでとうございます。ファスライのチアリングから現場に参加するようになり、セカライLVで発表の瞬間に立ち会ったのがついこの前のようだ。正直アニメ来年の冬だと思ってたよ。それどころか本家の他にもう一つゲームがリリースされるなんてびっくりだ。セカライでのガミPの挨拶を思い出しつつ先行上映会行ってきました。(エントリー投稿は関西圏でのTVでの放送終了を目処にしてます。)
sideMからこのアイマスの世界に触れて、ほかはデレステをゆるゆるやってるくらいのまったりしてる身なので、正直765のアイドルの子たちを殆ど全く知らなかった。(さすがに天海春香の名前は知ってたが)それでも皆が可愛くてかっこよくて、映画始まってすぐに、キラキラした春香さんたちに惹かれた。(数日前にやっていた一挙放送を一部見ていたので、「頑張ります!」って言葉を聞くと卯月ちゃんを思い出して心配で胃がちょっと痛かったし、雨で濡れた窓ガラスが春香さんの涙の代わりとなって流れるあのシーンにだいぶやられた。見事な演出だったが彼女らの事を思うと思わず変な声が出そうだった。当時劇場で見た先輩Pたちの心境は想像を絶する)
こんなに頑張ってる765の子たちの前にライバルとして現れた男性アイドル。そりゃあ、なかなか受け入れてもらえないだろう。当時のことは調べて出て来るページを読むことしか出来ないが、良くは思われないだろうな、とは想像がつく。だけど、Jupiterを諦めないでいてくれた関係者の方、そして先輩Pたちのおかげで今に繋がった。Jupiterがいなければ315プロダクションのアイドル達はきっと日の目を見ないままだっただろう。大好きな担当と出会えたのも、7年前から今へと繋いでくれた人がいるから。だから彼らは特別だ、と、個人的には思っている。
そんな3人の移籍までを描く、ということもあって、「輝きの向こう側へ」に感動し泣きながらエンドロールを眺める傍ら、緊張で喉も乾いていた。しんどい。アイドルしんどい。でもカッコイイ。
そして始まった「Episode of Jupiter」。40分とは思えない密度に制作陣の本気を感じた出来の良さだった。運良く2回先行上映に行けた中で、冬馬と「おとな」たちについて(記憶のある範囲で)書いておきたい。
※以下ネタバレ含む
1)冬馬と北斗
…Jupiterの3人は翔太(14)、冬馬(17)、北斗(20)と3つずつ歳が離れているので、必然的に冬馬は「こども」(翔太)と「おとな」(北斗)の真ん中になる。Jupiterのリーダーとして二人を率いる姿は非常に格好良くて頼もしいが、まだ出来ない事もある。懲りずにやってくるスカウトマン達の対応や事務関係の窓口は北斗が主に請け負っていたが、冬馬の表情はそれを良しとしていないのがありありと伝わってきていた。
業界大手の事務所で結果を出していたJupiterは、恐らく結構な収入があった筈で、インディーズになっても資金の方では困っていなかったのでは、と思っている。何故なら彼らは「お金に困って」活動をしていたのではなく、「自分たちを応援してくれるファンのために」動いていたから。「年齢」がネックになって思うように動けない冬馬は、「3人の中で俺が一番年上だからね」と、なんでもないことのように(そしてスマートに)面倒な仕事を引き受ける北斗に対して、恐らく多少なりとも申し訳無さを感じていただろう。「出来ることならなんでもやるから言ってくれよ」と、やや切羽詰ったような表情と声音の冬馬からは、自分たち3人の誰か一人が重荷を背負う事になるのを絶対に良しとしない、リーダーとしての意地も感じられた。
(ところでこの3って木星の環にかけてるのかな。黒ちゃん結構ロマンチスト…)
…この項目は個人的な推測を多く含むので、過去アイマス2を筆頭にゲームをプレイし、今までの刊行物を網羅している先輩Pからすれば間違っている箇所もあるかと思う。どうぞお手柔らかにお願いしたい。という前書きは置いといて。
アニメの黒井社長はやり過ぎだったけど他媒体ではあそこまでひどくないんだよ、と幾つか話を聞いたのと、コミカライズにて「天ヶ瀬冬馬は頂点に立つ価値がある」と父親を説得したらしいことなどを踏まえての話。先に離反シーンを見てしまっていたのでどうにも悪い人の印象が拭えないが、エムステで冬馬をデスクにした際のセリフや、そもそも3人が961でJupiterとして活躍している時でもあまり天狗になっていなかった辺り(※ドラマCD聞いた)、根っからの極悪人ではないのか?と。媒体によって「悪人」度合いに結構な差があるそうなので一概には言えないが、父親と離れて暮らす冬馬にとっては、「親代わり」とまではいかなくても、「認めてほしい大人」のひとりだったのではないだろうか。だから裏工作の件も、単純に許せなかったのは勿論のこと、「そんな事をしなくても自分たちは実力をつけてきた(し、それを認めてくれ)」という気持ちもあったんじゃないかな、と思う。実際、自分が見つけてきたアイドルの原石を何が何でもトップに、というのは、マネージメントする側としては間違ってるとは思わないので(手段がダメだが)。
ただ、自分の事を見つけてくれた人間と決別しなければいけないというのは、やはり何かしら精神的に傷が残ってもおかしくないんだな。ということで次。
…961を辞めてからJupiterは1年(!)もインディーズ活動をしていた事が物語冒頭で明かされる。ライブに協力してくれたスタッフたちを労うシーンのすぐ後、充実感・達成感をぶち壊すように現れるスカウトマン達の群れ、一方的に告げられる待遇や金銭の話。
正直、劇中でスカウトマン達をあしらうシーンが見ていて一番辛かった。なるべく荒立てないように言葉を選んでいる北斗と、そんな事など気にも留めないまま話を進めてくる人々。「一線」を越えてしまった後、何の合図もなしに現れて無邪気な笑顔のまま拒否を示す翔太、そしてダメ押しで追い返す冬馬。この1年、数え切れないくらいこんな場面があったのだろう。3人でJupiterを守ってきたのだろうなと思わせる、熟れてしまった連携プレイ。…胃が痛い。
冬馬の周りにいる有象無象の「おとな」は綺麗に二分されている。自分たちを食い物にしようとする汚い「おとな」と、協力してくれる「おとな」。Jupiterのリーダーとして、きたない「おとな」には真っ向から対峙する事で対処できるが、個人的には、協力してくれる「おとな」に対しても、どこか申し訳無さはあったように思う。というのも、味方になってくれるスタッフたちが「格安で」仕事を引き受けてくれているのだと翔太との会話で出た時、冬馬の表情はあまり明るくなかった。間違っても「安く済んでラッキー」とは思っていない。
思うに、961時代に良い環境でアイドル活動をしていたのだから、スタッフの質と、もしかすると「見合った賃金」くらいは分かるようになってたのではないだろうか。いい仕事をする人間には相応に対価を支払うべきである、と、学んでいたのではないだろうか。それを「Jupiterのファンだから」との一言で気前良く引き受けてもらっている現状は、金銭よりも「パフォーマンス」と「信頼」が勝っている関係だ。ただ「プロ」である以上、満足はしていなかったと思う。(勿論、翔太と北斗も)
以上の事に加えて、冬馬は一人暮らしである。母親とは死別し、父親は四国に単身赴任中。当然、家に帰っても誰もいない。これは相当キツかったんじゃなかろうか。甘えられる人が傍に居なかったのだから。
…齋藤社長の登場から、3人は一気に表情の幅が増える。絵に描いたような神出鬼没っぷりと、ゲームで知っていた以上にパワフルさ溢れる社長に北斗でさえもたじたじだ。しかし社長は他のスカウトマン達と異なり一切金や待遇の話をしない。それどころかライブ準備を手伝い、3人の仕事現場へも顔を出す。「Jupiter」のネームバリューと生み出すお金に惹かれた有象無象のスカウトマン達とは異なり、きちんと仕事内容を見た上でスカウトを続けた。
(余談。いつもシルエットの社長だけれど、そういえばこのポロシャツどこかで見たな…?と思ったら、本家のスーパーライブ・フェス2015の雑誌で出てた。気づかなかった…)
最初こそ戸惑っていた冬馬も、社長が他とは違うことを感じて真摯に向き合う。「あんたは悪い人じゃない」。それでも冬馬はどこにも所属しないのだと告げる。
単なる意固地ではない。リーダーとしての責任やファンへの思い、これからの活動など沢山の要素が絡み合っている中で、また誰かを「信じる」ことが怖かった筈だ。3人が互いを支え合うことで表面化していなかったけれど、傷ついていなかったはずがない。
社長がそこまで見抜いた上でスカウトを続けていた事に驚いた人、多かったのではなかろうか。そして、その後の315Pにも。
今回のチアリング上映で、何故「輝きの向こう側へ」と同時だったのか。勿論あのシーンがメインだと思うが、この場面でも大いに意味があったと思う。劇マスがアイドル達の「ただいま」から始まり、最後また日本に戻ってきたバネPに対して「おかえり」と出迎える所で終わる。対してライブハウスで活動を続ける冬馬たちは、時間がきたら場を去らなければならない。いくら「いつも使わせてもらってるライブハウス」であっても、そこは拠点にならない。改めて自分たちの現状を確認した上で、帰る場所のない事は重く響いていただろう。
だけど、そこに315Pがやってきた。それも遅い時間、全速力で息を切らして。齋藤社長と315Pだけは、Jupiterをスカウトする上で「誠意」「誠実さ」を忘れなかった。この7年、Jupiterを信じて待ち続けた「こちら側」のプロデューサー達を劇中に投影させるなら、これほどぴったりな性格はないだろう。
Jupiterのために扉をあけたシーンがあったのは、315Pただ1人だ。
…物語の終盤、渋滞に巻き込まれた為315Pの到着が遅くなることを聞かされた冬馬が「しゃーねーな」と言う横で、翔太が彼をからかうシーンがある。
「冬馬くん、ほんとあの人のこと好きだよね」
「! お、お前だって妙に懐いてんじゃねーか」
「うん、あの人いいよね」
素直に好きだと言う翔太に対して、冬馬は指摘された時に顔を真っ赤にしている。けどその前に、Pの姿が見えない、と、3人で事務所内をキョロキョロと見渡す箇所がある。たぶん、この前日譚で3人が自分たち以外を探したのはここが初めてだ。探す相手ができたこと、帰ってくる事務所ができたこと。
信頼できる「おとな」と出会った彼らの物語は、ここからまた始まる。
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961時代、王者でなければ生きている価値がない、と教えられてきた冬馬は、315プロダクションに移り、そしてソロで「HAPPY×HAPPYミーティング」を歌った。「meet」(知らない人と出会う)も「meeting」(会議・集会・大会)も1人では出来ないことだ。「向き合ったみんな」が手にする輝くサイリウムに導かれるまま、冬馬は、Jupiterは、そして315プロダクションは、未来へと進んでいく。
独りでシコシコ描いてるからとにかく客観的な意見が欲しいです。
客観的な言葉があればそこをフックに視点を広げられる気がするので、お願いします。
http://inferio.hatenablog.com/entry/2016/06/10/135111
匿名なら忌憚ないコトバも貰えるかと、、、
今のままじゃどこに力を入れてスキル上げていけばいいか分からない
※追記
先ず、増田汚しもうしわけないです。オコの人ほんますんません。
一人で考えると同じことばっかり問うてしまうんで
視点広がりました。
※追記
元々書く予定だったプロットを一旦破棄したので時間が掛かってしまったけど第四話描けました
指摘いただいたこと全てを反映させることはまだまだ出来そうにないけど
このエントリーはバイブルとして何度も見直しながらやっていきます
自分の作品に向けられた言葉なので読めば読むほど気付きが得られます
障害者に関するお話です。不快に感じられる方はご注意ください。
障害者とひとくちに言っても多種多様ですが、ここでは身体や脳、精神などのものには限定しない事とします。
こんな内容の記事をエントリーしておいてなんですが、僕には一切障害がありません。
後ほど書きますが、障害があるのではと疑いをかけられたため様々な検査を受け、テストなども行った結果、一切障害はなく、発達障害などのものも無い、という結果でした。
なぜ結果を受ける必要があったか。端的に言えば『障害者ではないか』という疑いをかけられたためです。というより、それしかないですね。
事は小学生の頃、僕は周囲の人と行動を合わせるのがとても苦手でした。周りのすることと自分のしたいことが違うのだから、他人と行動が変わるのは当然のことだと考えていました。
そして、僕は笑うのが好きでした。周囲の人が笑っているのも好きでした。お笑い芸人になりたいと考えていたこともありました。
そして笑いを取りたいがため、様々な奇行に走ることもありましたし、自分で面白いと思うこともたくさんやってみました。
結果として僕と父は学校の校長室に呼ばれ、校長直々に『お宅の子は頭がおかしいので障害者クラスに入りましょう』とお達しをいただきました。
なんの障害なのかわかるまで検査をし、その間の1カ月ほどを障害者クラスで過ごしました。
僕自身は、障害者クラスであたらしい友達もできたし、時々検査に行けば面白いテストや見たことない機械にかけられ、変にワクワクしてたのを覚えています。
家族はそうではありませんでした。校長を相手にさまざまな話が進んで、危うく出るところまで出そうとしていた、とまで聞きました。
そして様々な検査を重ねた結果、僕には一切病名のつく障害は無く、単にそういう性格の子供だということがわかりました。
中学生になってもほとんどそれは変わらず、そんな自分のまま多感な時期を迎え、そんな自分のまま青臭い思いも甘酸っぱい思いも経験しました。
僕と仲良くしてくれる人ばかりではありませんでした。学校ではやはり、クソ障害者なんて呼ばれたこともありました。
でも仲良くしてくれる友達も数多くいたし、何よりそんな事を言ってくる子と仲良くする気は初めからなかったので、特に気にはなりませんでした。
高校生になり、そして大学へ行き、この時期でだんだんと、社会の姿が見えてきました。
そして知ったのは、社会というものが僕のようなタイプの人間に対してそれほど寛容ではない、ということでした。
小学生の時の校長先生のような人が大半を占めているんだと、知りました。
突然ですが、パラリンピックの水泳選手、一ノ瀬メイ選手という人がいます。
彼女は、障害の『害』の字をひらがなにするのが嫌いだと語っていた。
『私からしたら腕がないのが障害なんじゃなくて、それを持って生きていく社会が害』
『私からしたら障害は本人じゃなく社会やから、ひらがなに直して勝手に消さんといてほしい』
この話を初めて聞いた時の衝撃は忘れられません。
日本のスイミングクラブに入ろうとしても、腕がない人は困ると断られ、海外のスイミングクラブでは、ただタイムだけを聞かれOKをもらえた。
バリアフリーという概念が生まれたとはいえ、それは建築の話に限ってしまい、人の中にある社会というものは、いまだ障害者を障害者のままにしている。
社会というものに障害がある。その部分に生きている人を障害者と呼ぶ。
そしてそれらの障害に、病名がつけられることで初めて障害者だと認定される。
では、病名がつかなかった僕はどうなるのでしょうか。社会人になり、様々な新しい病気を知り、自分を知るためにそれら全ての検査を受け、結果健康体だと診断された僕は、なぜ社会から障害者だと認定されてしまうのでしょう。
僕には、社会が明確な障害を抱えているのにそれを認識せず、病名もつけられず、誰の助けも借りられない、理解者もいない、そんな部分がポッカリと開いている気がします。
そしてそれは、社会の障害なのに障害と認めてもらえない、『透明な障害者』と言えるのではないでしょうか。
そんな『透明な障害者』は、社会がどうしても生きづらくて、苦しかったりしんどかったりしても誰も頼れず、理解も得られず、今でも苦しんでいると思います。
そしてそれは、その人個人の問題とは言えず、やはり障害を抱えてそれを見ようとしない社会の問題だと思うのです。
少なくとも、僕は今でもそれを感じる時があります。心無い言葉をかけられることも、冷たい目を向けられることもあります。
どうか、もしあなたがこれから先の人生で、自分の常識的価値観から逸れた行動をする人が現れ、その人が障害者だろうと頭の中でレッテルを貼りそうになった時、どうかそんな『透明な障害者』のことを思い出してください。
たくさんブックマークされていて驚きました。私の書いたエントリー(であってる?)が皆さんを童心へ返らせることが出来たら幸いです。私事ではありますが追記を書きたかったので書きます。
明後日から二週間の春休みに入る為、学校でトランポリンをすることが出来ません。というかいつもボルダリングをやっている(これもめちゃくちゃ楽しい)体育の授業でトランポリンをすること自体珍しいようで、昨日一昨日としょげかえっていました。
しかし、体育の授業とは別のクラスメイトにその事を話すと、トランポリンをやった事がないこととトランポリンについて人生で一番楽しかったと語る私を若干バカにしつつ市内にトランポリンパークがあることを教えてくれました。(彼はそういうやつです) さっそくグーグルで調べてみると、私のXPERIAの画面には楽園が表示されていました。
数百平方メートルの相互接続トランポリンで構成されたエリアではトランポリンの跳ね返りを利用して壁を登ったり 走ったり、バスケットゴールにダンクを決めたり出来るうえ、トランポリンで跳ねながらドッジボールが遊べるようでした。そんなの最高に楽しそうです。さらに深さ2m、大きさ学校のプールの半分くらいのスペースに発砲スチロール50×50の四角い何か(語彙力が貧弱で申し訳ありません)がいっぱい入ったあれにそのままダイブすることも出来るみたいです。トランポリンパークで画像検索すると私が伝えたいものがわかると思います…。
とにかく最高にヤバ気な施設を見つけたのでこの二週間は禁断症状が出なくて済みそうです。