はてなキーワード: 風物詩とは
リアルでは吐き出せないからここに匿名で書きにきた。これは愚痴であって今後の改善アドバイスを求めるものではない、というかアレは夢であってほしいなーという願望も混じっている。
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,。∩ もうどうにでもな~れ
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`。 ヽ、 つ ゚
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友人はエアではなくいまも実体がある友人だ。高校の時に席が近かったというだけで意気投合し、大学は別々だったがその後も連絡を取り合うくらいの間柄。
すごく仲がいいわけではないが知り合い以上、親友未満くらいのごく普通な関係を歩んできたつもりだ。
私はどちらかといえば文系だが彼は理系を名乗っていた。学生時代も根も葉もない噂に対して「ソースは?」と元のネタを辿って真実か確認する人間だった。はずだった。水素水あれだけ化学式見て馬鹿にしてたろうに何故に今回こうなのさ。
私も友人も幸か不幸か、世界であれだけ騒がれてはいるが身近でコロナの被害という被害に遭わなかった。社内の別部署で「誰々のお父さんが無症状で完治までしたらしい」と噂で聞くくらいの規模。
人の少ない地方ではなく友人は首都圏、私も政令指定都市にいるので珍しい部類ではあるのかもしれない。ネットで報道される人数とか他人事のように捉えてはいた。予防はもちろんしていたけどいつの間にか第5波を乗り越えた形になる。
今月になってようやく私も熾烈なコロナワクチンの奪い合いの中で予約ができて2回目も終えた。ワクチンはあくまで予防、酷くならないようにするものという認識の上。これ以上生活がぐちゃぐちゃになられても困るしな、と判断して打った。共通の友人に看護師もいて春に打っているし不安は特になかった。
だからこれは話の種として振ったのだ。
「2回目のワクチン終わったよ」と。
「は、どうして?」と返信がきて純粋に驚いた。どうしてとはどうして?と返すのもあれなのでどうしたもんかと考えていたら送られてきたのがこれ
https://twitter.com/nihonjintamasii/status/1445928998949720067?s=29
え、なにこれと開いたらTwitterだった。大学の論文とかさ、そういうのなら「ふーん」と読むけどなんだこれ。さらに続けてYahooニュースのリンクが続々と送られてきた。こちらはリンク切れてたから貼らない。どれも反ワクチン、接種したらお前は死ぬだろうみたいな内容。情報源とは。
あきらかに香ばしかったのでいつもは見ない彼のTwitterを覗いてみたらチベットスナギツネのように真顔になった。リプもツイートもコロナ陰謀論とワクチンのもたらす弊害ネタで埋め尽くされていた。
このアカウント二次創作アカウントだった気がするけどその話題はまったくなし。推しはどうした。コロナに負けたんか。なにこのフォロー数と名前が妙に長い人たち。
とりあえず見なかったことにして元のトークに戻ると共通の看護師の友人が「それ事故死したけど検死したらコロナだったから死者に含めましたとかあって全然信用できないじゃん」と返していたがそれにはダンマリ。副作用の被害のニュースやらを貼り続けるマシーンになってしまった。
「半年で効果が切れるワクチンはワクチンではない」と言われても。日本の風物詩になったインフルエンザのワクチンについてコメントはないのだろうか。私はいつも一回で済めばいいのにと毎年思ってるよ。
看護師の友人やワクチンをすでに打っている他の共通の友人は「目が覚めるまで構わない方がいいよ」と無視しているし私もしている。彼のTwitterはこわいので覗いていない。
現在進行形の彼が元に戻るのかはわからない。なにが引き金になったのか。今年の春はまだワクチン打つ気でいたはずなんだけどな。目の前に座っても遠くを見て視線が合わない人になってしまった。愚痴はここまで。
夢だといいな、というただの吐き出しでした。ここまで見てくれた人はありがとう。あなたは体と心には気をつけてね。
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https://togetter.com/li/1791822
「お気持ち」をシカトして「法に違反してなければ何してもいいんだよ」とやられたら法で殴るしか選択肢がなくなる。
それでまんだらけ側も大ダメージをおったわけだ。最初から近隣に配慮していればこんなダメージはおっていないだろうね。
法に触れてなければ何をしてもいい、という考えを大声でいいたてているというだけで、まるでタガのはずれた連中なのだなあ、としか思えぬ。
法に触れていれるというだけで一斉に黙ってしまう、というのもいかにも権威主義で、お上にはいっさいさからわないまま「表現の自由」などと抜かすのも笑えるな。
「表現の自由」を守るためには必然的に公権力と対峙する場面があるわけだが(そもそも公権力と対峙するために表現の自由はあるといえる)
実際に「法に触れなければ何してもいい」で大ダメージをおったよね。法治国家、というのは法以外の規範を無視してもよい、という意味ではないことくらい理解しようなw
風営法の200m以内がどうこう、というのはゾーニングど真ん中案件だということは理解しているかな? あとね、例えば中国で表現の自由を実践しようとしたら、必然的に法に抵触する。表現の自由は、とにかく法に従います、というところでは守れないんだな。
上でやりとりあったようにこれは風営法であって表現の自由案件じゃないんだけど。仮に表現の自由案件だったとして、現行法を超えた自由を得たいなら、まずお上に取り合って法を変えましょうというのが正規の手続き。やりたいことがあれば法だって無視しても良いという考えが表現の自由じゃないよ。性表現をそのまま支持する=表現の自由戦士が押し通そうとしてる、性表現が許されなかった=表現の自由戦士は無力 って背景も条件も考えずにどちらの結果でもスキあらば場外を叩こうとするからおかしな発言になるんだぞ
だからそのゾーニングが今回の場合は法律で明確に定義されててそれに抵触するってことが報道ではっきりしたんでしょ。曖昧だったり定義されてなかったり判断が割れたり法律に基づかない批判だったり現時点で適法だけどこれから違法化させたいとかそういう表現の是非を問う争点は無いわけで。そしてここは日本で、本件は日本の法律と照らし合わされる。勝手に全世界対応の表現の自由を進めたくて仕方がない人扱いされても知らんがな。
リベラルが「MtF(所謂トランス女性の事)問題」や「キラキラネーム問題」に際して自分から化けの皮を剥ぐという事態はもはやネットの風物詩である
公示前の風物詩・日本共産党予定候補者達のタスキチャレンジが、公示で終了!
全員達成できた? 残念だ。来年の参院選では、ぜひ、全員達成してほしい。
太田彩花 東京16区予定候補 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/28)
笠井亮 比例東京ブロック予定候補 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/30しんぶん赤旗記事)
宮本徹 比例東京ブロック・東京20区重複予定候補 (タスキの文字不明 9/30しんぶん赤旗)
西之原修斗 北海道ブロック ★違反タスキチャレンジ達成!(9/23)
木村たくじ 福岡1区 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/28)
池内さおり 東京12区 ★違反タスキチャレンジ達成!(10/2)
宮本たけし 大阪5区 ★違反タスキチャレンジ達成! (10/10)
河野一弘 福岡6区 ★違反タスキチャレンジ達成! (10/15)
公示前の風物詩・日本共産党予定候補者達のタスキチャレンジを記録!
太田彩花 東京16区予定候補 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/28)
笠井亮 比例東京ブロック予定候補 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/30しんぶん赤旗記事)
宮本徹 比例東京ブロック・東京20区重複予定候補 (タスキの文字不明 9/30しんぶん赤旗)
北海道ブロック 西之原修斗 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/23)
木村たくじ 福岡1区 ★違反タスキチャレンジ達成!(9/28)
池内さおり 東京12区 ★違反タスキチャレンジ達成!(10/2)
宮本たけし 大阪5区 ★違反タスキチャレンジ達成! (10/10)
河野一弘 福岡6区 ★違反タスキチャレンジ達成! (10/15)
ダービーだ重賞だのとテレビの向こうでスポットライトを浴びるウマ娘たちが居る一方で、街にも田舎にも人知れずひっそりと暮らすウマ娘たちがあふれている。
毎日受け取る通販の商品を届けてくれるのは段ボールいっぱいの荷バ車を引くウマ娘たちである。
競争で鳴らしたウマ娘たちがすらっとしたスポーツマンならば、荷物を運ぶのは身長は180cmを越えて丸太のような筋肉を蓄えたプロレスラーといった体格のウマ娘だ。
毎日、健気にドスドスと轟音を立てながら荷物をもって駆け上がってくるウマ娘は一見の価値がある。
ときどき、荷物運びの休息中のウマ娘に小さな子供が駆け寄っておでこをナデナデする微笑ましい光景も良く見られる。彼女曰く、「仕事を頑張る私をもっと撫でてもいいんですよ」と目を細め、耳を傾けリラックスの極みとのことだ。
人間を運ぶのはバ力車(ばりきしゃ)と呼ばれる2-3人乗りの車輪のついた座席を曳くウマ娘たちである。
体格はそれほど大きくないが、脚の作りがしっかりとしていて頼れるお姉さんたちである。
街の中でバ力車(ばりきしゃ)の客待ちをするウマ娘たちが、暇をもてあまし相互の髪をわしゃわしゃと搔きあってるのは何とも素晴らしい光景だ。こうすると、仕事仲間との信頼関係が築けるのだとか。
長距離移動の際にはこまめに休息と水分補給が必要で、旅といえばバ力車(ばりきしゃ)を曳くウマ娘と相談しながら行先を決める楽しみがある。
裕福な人々の中には住み込みのウマ娘を雇っていて、肩車で通勤するような人も居るが初心者にはおすすめしない。
近所にいる同じく住み込みのウマ娘にちょっかいを出され、驚いて転げ落ちたなどという話もある。そのウマ娘が言うには「いつもはこんな場所には居なかった」だそうだ。
農家に住み込みで働く彼女たちの仕事は力のいるもので、繊細な作業は人間が担当して分業が成り立っている。
地面を耕す重い農具を引きながら「ムリー!」と弱音を吐くウマ娘を農家さんがなだめすかしているのが田舎の風物詩になっている。
山間部にはずんぐりむっくりした体形で、大変愛想のよいウマ娘たちの一団がいて農家のアイドルと呼ばれているらしい。
ひょいと山道も軽々と登っていくので、農作業に荷物運び、それに森で切り出した丸太を運び出す作業などオールマイティに文句ひとつ言わず活躍しているとの噂である。
数は少ないがウマ娘たちの人気の職業としては、こんなものがある。
例えば大きな体と脚力で民衆を圧倒するウマ警察や、ウマ娘というものを少年少女に啓発するPR隊などという選ばれしウマ娘だけが就ける職業も知られている。
それから、もっぱら人間を肩車して野山を駆ける乗バという職業は、他のウマ娘達に「遊んでいるだけで三食飯付きの高給取り」などといわれている。だが実際は肩車しながらお客様の無理難題に答えるのはストレスのたまる激務のようである。
ソフトウェア開発における名著とされる読みものがある。かつて、そういった著作のエッセンスをひたすら抜き出して黙々とまとめていくはてなダイアリーが存在した。2010 年代のことである。GoF のデザパタ本とか UNIX 哲学とかピープルウェアとかそういうの。ジュンク堂の本棚でいえば「SE 読みもの」というやつだ。業界に入って間もなかった当時の自分は、技術的な相談ができる大人が周囲にいなかった。いま思えば、残業中のオフィスで長いコンパイルを待つあいだ、ぼんやりとこのはてダを読み、目の前のやるせないソースや、所属するチームが置かれた状況について思いを巡らせながら、ガス抜き感覚でこのはてダを読む時間が好きだった。どの項目も歯切れの良い紋切り型の文体で読みやすく、読んでいるうちに不安のかたまりがスルスルと解かれていき、気持ちがラクになるような気がしたのだった。
その後、わたしがアラサーになるころには、そこで紹介されていた大部分の原著は書店で購入し物理的に所持するに至っている。あのはてダがなければ、本屋でも仕事関連の棚で足を止める人間にはなっていなかったのではないかと思う。その後、当時のはてダの内容を抜粋したものが秀和システムで書籍化され出版される運びになった。ファンだったわたしは発売をとても楽しみにしていた。が、本屋に並んだ書籍を手にとってみると、あのはてダにあった宝物のような輝きはすっかり失われていた。なぜかはわからないけれど、説得力が損なわれている気がしたのだった。書籍化の都合、はてダに貼られていた Amazon へのリンクが取り払われ、原著との接続性がいくぶん薄らいでしまったせいかもしれない。またこの書籍化に伴って、はてダも閉鎖されてしまった。もっとも新刊の売上にも関わるだろうし、あの「要約」は原著に対する網羅度がかなり高いもので、権利面ではかなりグレーなものだったように思うから、閉鎖されるのは当然の成り行きだったと言える。が、自分の成長期にあたる年代にあのはてダがあったことは本当にキャリアの上で助けになったと感じているし、原著を所持していてもなおあのはてダを参照したいという思いがあるくらい、とても優れたものだった。他人の「きれいなノート」を借りて勉強していたような感覚というか、そんなような。「新人に読ませたい n 冊の本」というタイトルのクソ記事がもはや春先の業界の風物詩になっているが、そんな記事とは段違いにもっと直接的に本が持つ価値を訴えてくるコンテンツだったのだった、少なくともわたしにとっては。
図解界隈というのが流行っていると聞いて、そんなはてダがあったことを思い出した。結局のところ「SE 読みもの」も自己啓発本に他ならないし、個人的に DDD
なんて宗教だとすら思う。それにしても「要約」がきっかけで世界が広がるとことは実際あるかもしれないよ、ということが伝えたかった。
もう飛び込むしかない!
行くわよ!
カンパーイ!っていったら乾杯ですからね!って言う一番嫌われるやつあるわよね。
もう飲んじゃったよ!みたいな。
あのさ、
私思ったんだけど、
あそこをお漬物にして
よく婆ちゃんが作ってくれてたんだけど
よくよく考えたら囓った後のものを漬物にするってなんか食い意地張ってる感じの夏の風物詩でもあり
風物詩の夏でもあるわよね。
白いところ多いなーって思いながらスイカ漬物食べてた様な気がするのよ。
今なんか白いところが全くないというか少ないというか、
カントリーマームの小ささなどお菓子がいつの間にか小さくなっていると思ったら、
私たちが大きくなっていたって、
縮尺がよく分からないわ。
きっと誰かが夏休みの自由研究でスイカの白いところの巾を研究した自由研究少年少女もしくは
電話をして見破られないように
スイカの白いところが少なくなってきているんですが!って
6歳なのによく気が付いたね!って褒められたいの!
でもまあ食べるところが美味しくなったら良いので、
実際私はあのスイカの白いところ漬物より赤いところがたくさん食べられたらそれはそれで嬉しいんだけど、
真ん中だけの美味しい甘いところを隅々まで行き渡らせる美味しいスイカの名産地の研究は進んでいるのかしら?って思うの。
一所懸命考えていると思うのよ。
八百屋さんで
スイカは丸ごと1玉まるごとを買う方が断然美味しいぜ!って教えてくれたけど
白菜とかスイカとか丸ごと買っても使いきれるかどうか問題あるじゃない。
そう言うこともあるから
あれだと
同じぐらいカワイイじゃない。
やっぱり小さくまとまっている方がいいのかなーとも思うの。
外国のさー
虎のお寺あれ今あるかどうかまだ分からないけど、
騎虎って一度は憧れるじゃない。
流石に小さいからカワイイって理由で子どもの虎に乗っかるのは流石に無理そうだけど、
大人の大人しい虎なら背中に乗って大冒険しても怒られないと思うんだな
でもあれって
虎のやる気をなくすために鶏肉しか与えてないという切なくもあり
虎のお寺って虎ン禁止になったんじゃなかったっけ?
そんで、
虎で思い出したけど、
虎ダイエットって言うのがあって、
虎は獲物を捕らえるために何百キロも歩き回って獲物を探すってことで
車とかで通常行く買い物を徒歩で行って虎のように歩いて行くってのが虎ダイエットの神髄らしいわよ。
ってそれ普通の行動を徒歩に置き換えただけじゃないって言われそうだけど
徒歩だけにトホホとは言わないけど、
これはさすがに時間がいくらあっても足りないわよね虎ダイエット。
押しちゃうの!そしたら一休さんはびっくりして虎の穴に入っている分だけ
アピールタイムがゲット出来るって仕組みでその時にアピールした場所が虎ノ門って今でも名前が残っているぐらい
なるほどねー!って思ったし
虎のお寺のように虎のやる気をなくすために鶏肉を与え続けていて虎が大人しくなったところを
捕まえに行こうと思ったら虎の子どもがめちゃくちゃ鶏肉食べて育っていて大人の虎になっていた!って
結局一休さんはそのことを忘れないように屏風にその大人の絵を描いたの。
あの屏風の絵は実は一休さん自身が描いていたってことになっているのよ。
なかなか虎屏風のあの話しも奥が深いと思わない?
私はそう思うわ。
まあ今日は
うふふ。
暑いしさー、
もう美味しいものを食べるっきゃないってことよ。
ガブガブ飲めちゃう!
水分補給はしっかりね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お笑いをメタ的に見るのは前からあったけど、お茶の間でも受けいられるようになったのは最近ですね。
YouTubeやTikTokで誰もがクリエイターになれる時代。
四千頭身の「前半に畳みかけんな」ぐらいから、お茶の間でも受け入れられるようになった兆候ですね。ぺこぱもそう。あとは大晦日のガキの使いがマンネリ化というか、風物詩として定着してきたことも。水曜日のダウンタウンも出てきてだんだん先鋭的になっていったことも。
そんな中、千鳥含め、よくロケを止めて突っ込むというシステムを開発したなぁと思う。
ロケはこれまでいちいち止めなかったわけで、あるまとまった情報をワンパッケージとして送られてきた。その構造をひっくり返し、千鳥のツッコミ(ボケ)力で成立させる。ツッコミはツッコミだが、ちゃんと振ってるし、何に突っ込むか?というボケも成立させてる。写真で一言の大喜利をずっとやってる。
千鳥はM-1やキングオブコントなど元々上位で出れる実力はありながらも、テレビでは若手や身体を張る枠の扱いだった。
そんな中、Abema TVやらロケやらも含めて地道に実績を重ねて東京進出と成り上がりをを完了した。
良かったのう。
「皿うどん」という言葉を目や耳にした時、どのようなものを貴方は頭に思い描くだろうか?東日本で生まれ育った人、西日本に行った経験が無い人は、うどんが皿に乗って出るのかと想像して、実物を見ると「これが、うどん?」と違和感を覚えるかもしれない。
長崎県及びその周辺で暮らしている人、生まれ育った人にとっては常識だが、皿うどんは細めで固いパリパリした麺の上に、様々な具材が入ったトロトロのアンを掛けた食べ物である。
なお、これとよく似たもので「バリそば」と呼ばれる食べ物が、山口県(山口市及びその周辺地域)には存在する。此方は、同じパリパリ麺でも皿うどんに比べてやや太く、アンも皿うどんに比べてサラサラしてスープ的な感じがする。かなり量が多い。同じ一人前で比較すると、皿うどんよりも多いかもしれないので、長崎県人でも少し驚く。此れは此れで良い。
皿うどんもバリそばも、一人前から注文できるが、数人前を頼んで家族などで分け合って食べることが多い。
皿うどんもバリそばも、麺が固い状態で食べるのが本来の在り方である。しかし、上のように出前で数人前分を頼んだはいいものの、多すぎて余ってしまうことがある。そんな時には思い切って、余り分を冷蔵庫に一晩置く。すると、アンの汁気を吸った麺は柔らかくなる。これにウスターソースを少し加えて、中華鍋またはフライパンで温め直して食べる。
これは、店で商品として出される本来の状態とは異なる食べ方である。しかし、長崎県を含む西日本地域で生まれた皿うどんやチャンポン、それらに関連した食べ物は、余り物を流用して安く手軽に作れる食べ物として考案されたのが起源と言われている。そう考えると、こういう食べ方も此れは此れでアリと考えるべきだろう。
隣近所の集まりや催し物で人が集まると、皿うどんを頼んで、皆でワイワイしながら取り分けて食べるというのが、よく有る楽しい風物詩だった。しかし、コロナウイルスのせいで、家庭内で食べる場合を除いて、取り分けて食べる楽しみ方が出来なくなった。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
水がめちゃちべたいわ!
この時期の風物詩!
注いだそばから液体の水が凍っちゃう超常現象実験映像あるじゃない。
うちの水道から水が出たらそばから固まってそんな状態になったから笑っちゃったわ。
ウソだけど。
ところで、
たまには真面目に仕事をするでお馴染みの私なんだけど、
不慣れな輸出のこと?
大袈裟にそれ輸出というのかも怪しく分かってないんだけど
そういった海外輸出のことを調べていたら
お手上げする前に上げる手もないぐらいややこしいのよね。
すでに、
テストに出る海外輸出のことについてのテキスト赤本を読みたいところだけど、
あんまりそう言うことやったことない不慣れなことはなかなか慣れないわね。
そのオンスとかポンドとかでいきなり詰まっちゃって詰んだーってもう終了したいところ。
おんぶに抱っこって似た節で言い方をしても解けないものは解けないわ。
やっぱりまたドキュメンツをちくちくと読み進めていく地道な作業となるのその辛い辛みに効く特効薬があったらいいわ。
でね、
海外発送でもなんか種類があってまた読み進めなくちゃいけないんだけど、
「海外発送」と「グローバルセリング」って言うもうまたここで分岐点が2つあって
2種類もあるとかよく分からないし、
ぐろーばるせりんぐ?って美味しいの?って平仮名で言っちゃうレヴェルよ
前途多難中の前途だわ!
今日の日替わり昼ランチは何かと尋ねてみたら今月の献立表の紙を昨日くれた給仕さんにも感謝!
だいたい何でも感謝!
だいたい何にでも感謝!
と言うことで、
調べ物してたら
今日の日替わりのことすっかり忘れていたので、
すっかりSwitchずいちゃって冒険癖がついちゃったみたい。
よく分からないけど、
ゲーム遊びたいし
仕事もあるし、
日替わり定食も救いに行かなくちゃ行けないしで
私もハーレーダビッドソンにクリスマスサンタの格好して乗ってクリスマスの告知に走ろうかしら?
にしても
この時期、
ハーレーダビッドソンに乗ってる人は
クリスマスのサンタの衣裳を着てクリスマスの告知に精が出るわよね。
今時、
ハーレーダビッドソン達の人よね。
ハーレーダビッドソンに乗ってる人って、
クリスマス衣裳をこの時期着がちだし
みんなで集まってツーリングしがちでもあるわね。
彼らが街を走っているうちは
何でも無いようなことが
幸せだったと思う
トラブリューの第65536章の一節を引用して今日は締めたいと思うわ。
私は日替わり定食を救いに出る旅にでる!
ってオレは海賊王になる!ってルフィーの節の言い方で言ってみたら、
日替わり定食がまたより一層美味しく感じられちゃうから不思議よね。
今風に言うなら
日替わり定食の呼吸!っても言えるわね!
うふふ。
まぐれ美味しいかも知れないので、
今日も食べて確かめたみたら美味しかったのでリピまたしてみようと思いました。
さすがに寒くて寒い冷たい水飲んだら、
腰に響くわ!ってことで
ほうじ茶でホッとするわ!ホットだけにとかってベタなことは言わないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!