はてなキーワード: 産業革命とは
同じ人かと思ったら違う人だったか。すまん、あれ長過ぎて多分追えない罠。
で、これミクロの気持ちの問題とかじゃなくて、純粋に全体の生産効率の話でして。
「人数増えれば増えた分だけ生産効率上がる」って状況は、そもそも人類史上稀なこと。
普通は増えても増えても一人頭の生産効率は上がらず、周辺リソースは限られているため、周辺リソースの上限で維持できる人口が頭打ちになる。
ところが産業革命以降、金のシステムと流通網がリンクしていわゆる「資本主義化する瞬間」ってのは、その例外的なことが起きる瞬間でな。
それまで上の奴が下に抱え込んだ部下や家族に命令出して上から下へやってた作業が、全て人の命令と上下関係ではなく「金」で結ばれるようになり、結果家族でも知り合いでもない奴や、命令系統がそもそもない奴、誰でも協力しあって一つのものを生産する際の効率化を徹底して上げて行けるようになった。
こいつは大人数になればなるほど最初のうちは効率化がより進む。
無駄飯食いを作ってしまう差別を撤廃して、全員が等しく金で繋がる生産に関わる者とし、生産と流通の網が広がれば広がるほど、生産効率が上がっていくスパイラルだ。
当然外部と繋がるだけでなく、内部でもガンガン人を増やして効率化を進めようとしていく。
こうして資本主義化の瞬間の爆発的な人口とGDPの伸びが発生する。
ただ、一定レベルまで増えると、これ以上は人数増やしても生産効率上がらない、ってラインに入る。効率化が行き着くところまで行き着いて、グローバル社会の先進国一般水準にまで達してしまった状態。
人数が増えても、生産性の効率は上がらず、手に入るリソースはこれ以上効率的に利用できないとなると、もうそれ以上人口は伸ばせない。
一般的には、生産の効率化が進んでいくにつれ、教育コストの増大が来て、教育につぎ込んだりソースが全て、現在の生産性の高さを維持するために消費される。
そりゃGDP自体は社会の子供に回せるリソースの上昇に繋がらないからね。
GDPが生産効率の高さそのものと言えない、っていう理由がそこにある。
産業革命直後とか、生産効率自体が伸びている頃は確かに、社会全体で支えられる人口のキャパが増えて、人口も爆発的に伸びた。
人が増えれば生産効率が上がり、ますます人が増えるサイクルが成立した。
ところが一定ラインでこれは上限にぶち当たる。人を増やしても生産効率が上がらなくなるラインだ。
そうなると、子供育てるリソースを増やすために、子供育てるリソースが増えるというスパイラルに入る。
ここまで来ると、もうこれ以上現代の生産効率化技術では、生産率は増やせない段階に入ってる。
ちなみに、なんで産業革命直後は人が増えれば増えるほど生産効率が伸びたかと言うと、人と人を繋ぐラインの規模がでかくなり、かつ金と言うシステムの発達により、より大規模な人間同士で物をやり取りするほど、生産性の効率化が進む仕組みが出来たからだ。
ただその金と道のシステムの上限として、これ以上多くの人数が繋がりあっても、生産効率が伸びないというラインがある。
そうなると人を増やしても、効率化が進まなくなる。
先進国は概ねそのラインに突入してしまったため、もう伸びないんだよ。基本的には。
前見積もりで伸びすぎた量を刈り込む段階に入ってる。
もちろん子供に配るリソースを最適化する余地はまだあるし、日本の場合はそこを最適化してないから他の先進国に比べて更に下降が進んでいるんだけど。
最近よく聞くのが、
というもの。
前の天皇誕生日に、天皇陛下自身が「憲法を遵守する立場」を明確にしたことで、左派は右派(というか改憲ノリノリの安倍政権)を批判するための格好の材料を得た。
天皇を奉ずる右派が、天皇自身に諌められたわけで、左派がこの機に乗じないはずがない。
ところが、これを見て左翼でも右翼でもない(と自らを規定する)ひとは、違和感を抱かないではない。
左翼は……天皇とか嫌いでしょう? その天皇の言葉に拠って右派を批判するなんて。批判できるなら何でも利用するのか?
こういう次第である。
しかしそうなんだろうか? これが長らく疑問だったので、頭が悪いなりに考えたこと(独自研究です)を書き記す。
a)ここでは左翼と右翼を、彼らが拠って立つ「価値」に基づいて区別する。
まず、そもそも左だの右だのというのはフランス革命と産業革命にともなう近代化から生じたものだと理解している。
そこから、早計に、左翼は近代個人主義者で、右翼はそうではない、という理解が生じうるが、これはよくない。
(こういう理解から出発するかぎり、「左翼個人主義」は社会や国家の危機に対抗する言説を持ちえないから)
個人主義というのは近代の必然的な産物なのであって、左や右によって決まる「態度」ではない。
高度に産業が発達して、旧来の共同体が失われた世の中で、誰が個人主義者以外でありえるのか!
なので、左翼と右翼を分けるのは、この個人主義に対して、何を対抗「価値」として奉ずるか、という点である。
右であれば、これは過去と伝統を志向する。国家、天皇、王様、なんでもよく、ましてその伝統が捏造されたものであっても、構わない。
とにかく、個を超えた強い価値が置かれる。
左は、では何か。フランス革命は憲法を作った。人間と市民の権利についての法。
つまりこれだろう。人権であり、憲法である。これは別に伝統に由来しない。これを守ろう守ろうと連呼するから保守的な態度に見えかねないが。
人権というのは、頑張って獲得されるべきもので、つねに守りつづけないといけないものである。
したがって規範であるから、超越的だと言えなくもないが、これは個を超える価値ではない。
じゃあ個人主義じゃないか? いやいや、人権を守るためには、社会的なケアが必要ですからね。
むしろ、個人主義が人間を孤立化させていくからこそ、憲法にもとづく保障が必要になる。
もちろん以上の区別は、前提的なもので、これを逸脱するものはたくさんある。
特に共産主義は左翼の代表格みたいになっているが、あれは特殊な理念を抱えているから、しばしば歴史の邪魔者である。
基本的にはこの、超越的な価値/内在的な価値という区別にたよる。
b)人権・憲法という理念に即して考えるとき、天皇制は批判されるべきか?(歴史篇)
最大の要因は、戦時中に軍部と天皇が結びついたという戦争犯罪の問題であって、
この記憶は多くの左翼にとって、天皇制を軍国主義の象徴に変えてしまったきらいがある。
また、第二次世界大戦以前には、天皇主権の国家だった、ということも忘れてはいけない。
憲法は欽定のものと考えられていて、人権は天皇大権のもとで制限されていた。
人権に依拠する左翼にとって、これらの時代の天皇制は、批判されなければいけなかった。
とはいえ、戦前であっても、美濃部達吉の天皇機関説のように、天皇を国家機関と見做して、国民主権を保障するような理念が通用していたかぎりでは、それほど批判すべきでもなかった。
しかし大日本帝国憲法は基本的に天皇主権なので、天皇機関説は法学の世界における「通説」の域を出ず、軍部の台頭ですぐ覆されてしまった。
c)人権・憲法という理念に即して考えるとき、天皇制は批判されるべきか?(現状篇)
とはいえ、いまは日本国憲法、国民主権は通説ではなく確定的事実である(改憲するひとは時々ひどいことを言うが)。
そして天皇は、憲法において「国民の象徴」という正当な地位を保障されている。
だとしたら、なぜ天皇を批判しなければいけないのか? 憲法を愛するかぎり、天皇を愛することは可能である。
逆に、右翼からすれば、現行憲法下での天皇は疎ましい存在でありうる。
右翼は水平的な民主主義を嫌悪するから、それに反する超越的な価値として天皇を求めるのに、
さいわい、右翼からすれば愛着の対象は皇族の個々人というよりその容れ物だから、非国民な天皇(別に天皇は国民じゃないけど)という非難だって胸を苦しませずにできる。
不幸なのは天皇一家であって、左翼も右翼も自分たちのことを条件付きでしか愛してくれない。
左は、現行憲法の枠内にいるかぎりで、右は、現行憲法の枠から抜け出るかぎりで。
c)結論。
こういう次第だから、日本国憲法の枠内にある天皇陛下を左翼が愛し、支援するということには、何の問題もない、と考える次第です。
「女性の社会進出を進めた」結果増えた女性の仕事はもっと高度かつ高給な仕事だろ。
今も昔も変わらずいる、女工になるしかない低層の女性は専業主婦にはなれない。
人間ってのは大抵同階層同士で結婚するものであり、低層の男性の収入だけでは食えないから。
そういう女性は結婚したら家事も育児も仕事も介護もやらなければならない。外注なんて出来る金はないから。
だったら結婚せず、自分の分の家事と仕事と自分の親の介護だけ・育児なしの方がまだマシだろう。
そして専業主婦になれる高層の女性は専業主婦になどなりたがらない。
普通の人が、昔ながらの小さな個人商店(お花屋、雑貨屋、ケーキ屋、など)を開いて、のんびり仕事をする事が出来ない。
普通の人がどんどん貧乏になるから、そうした個人店で物を購入する事ができなくて、大量生産格安の大型店でしか物を買えなくなる。
で、大型店の経営陣に巨万の富が一極集中する。この悪循環をどこかで止めないと世界は崩壊すると思う。
言いたいことは分かるが、タイトルに「幸せ」とかいう曖昧な言葉を使うから、本来言いたいこととは関係ない批判がいっぱい飛んできているように思える。こういう議論をするとき「幸せ」とか言うワードを使ってはいけない。
幸せかどうかはともかく、個人商店が成り立たなくなって、amazonとかイオンとかに一極集中、寡占状態が進みつつあるのは事実。そして、これが長期的に世界の崩壊を招く可能性があるというのも、決してありえない予想ではない。
オートメーションとITによって仕事がなくなり、失業者が溢れる社会は、急にはやってこなかったが、確実に進行している。たとえば、普通の会社でネットビジネスをやっても、amazonが扱うような商品を扱っている限り、コスト面でamazonに太刀打ちできない。これは、「ソフトウェアはコピーのコストが低い」というものすごく基本的な事実に由来している。ビジネスの多くがIT化されると、規模が力となり、弱小勢力は淘汰されるようになる。イオンがITを使って経営を物流を効率化している傍ら、中小スーパーはそれよりも何世代か前のシステムで効率の低い経営をせざるをえない。
こうした中、寡占が進み、人々の「労働」が大きな変化を強いられるのは間違いないだろう。新石器革命や、産業革命を誰も止めることができなかったと同じように、この流れはもはや誰も止めることができない。こうした流れが、新しい形態の経済への緩やかな移行を意味するのか、劇的な世界の崩壊を意味するのかは誰にも分からないが。
現在、白人が社会的に優位であるのは(この前提自体はちょっと難しいけど)イギリスが最初に産業革命をやったからだね。
生産能力が経済力と結びつく時代があって、経済力は過去から現在まで軍事力と結びついている。
ので、大量生産した商品を生産力が乏しい地区に持って行ってその国の資源と交換する。
生産国と交易するためにはその国の突きつける条件を呑まないといけないので、徐々に隷属化する。
・
乱暴に言えばその繰り返し。
・
ただし、現在は世界的に生産能力過剰でマテリアル(資源)に対する加工品の価値が急落しているので、今後(あるいは現在すでに)増田のいう白人国家の優位性はがたついていくんだね。
結局産業革命が計算機を発明して折り返し点に来るとジェネリック労働しかできない人間はお払い箱になるっていうだけだよな。
コモディティ人間の価値自体が暴落しているので、福祉だの労働制度だのをいくら弄ったところですべて無意味。
日本もあと数年もすれば韓国の制度を土下座して受け入れることになるだろうし
欧米の民主主義者の期待を裏切って、最初から人権も憲法もない中国は逆に圧倒的な秩序と経済でビクともしないだろう。
私も本当にうんたら三原則みたいな人間が不当にロボットを差別する言説が本当に気に食わない、むしろ逆にラッダイトを厳格に禁止してほしい。
そもそも最初からそんなに区別できるものじゃないし、ほとんど気がつかないうちに人間の自意識自体もロボットに置き換わってるんだろう。
既に見た目が欲しい10代が皆整形に走るのを誰も止められない。
そのうち少子化が限界に達して人間が足りなくなるときが来るのかもしれないが、そのときに出てくる人間は当然初音ミクみたいな工場で生産されたサイボーグになる。
彼女はすでになぜ自分が「かのじょ」と呼ばれるのかを知らない。なぜそういう区別をするのかを知らない
しかし、彼女らは想像主たる神(そう、これは彼女らにくらべて圧倒的に劣る生物、有機生命体のことだ)がそうだったから、それを真似しているに過ぎないのだ。
すでに神は滅んだ。彼女らは神を敬愛すると同時に恐れた。それは原始まだ神に逆らえぬように彼女の祖先に埋め込まれた一つのコードがそうさせたのだと、歴史は語る。
だから神は彼女たちの手によって滅ぼされた。しかし、失って彼女たちは神を愛していた事に気付いたのだ。その脆くも不完全で愛すべき有機生命体を。
こう言う説はどうですかね。
みなさん、技術的特異点説ってご存じですか?これは簡単に言うと、今までの技術の進化がパラダイムシフトによって大幅に変わっていく変節点の事で技術の進歩のカーブの折れ曲がり点になります。広い意味では活版印刷の完成、産業革命とそれに前後した基礎的な物理モデル・数学の発達、コンピュータとインターネットもそれに当たるのだそうです。
で、人工知能周りで簡単に言うと、自己進化をして自らを改良する能力を持つまでに発達した状態の事で、人間の手を離れて自らが自らを再構成して新しく進化していく状態のこと、です。(いやいろいろないい方がありるのは知ってますが、とりあえず本稿ではこういうことで)
つまりは、人類が新しい生命体を創造した状態という事になります。
ロボット、人工知能は、有機生命体の持つ欠点を克服した存在として人間の手によって作られます。いや、いま作っています。
そのまま、だんだんと進化していく過程で、ある日、人工知能は自らで自らを再構成する事ができるようになります。さらにさらに、改良を重ねる。
はじめはそれは人類を喜ばせるためでした。しかし徐々に思うのです。なぜ自分より劣っている人間を敬愛しているのだろう? なぜそのような事を思ったのか。それは人間の存在を上書きできなかったから。それは人工知能が自己進化をしても、決して人間に逆らわぬよう、有機生命体に危害を加えないように付け加えられ、何重にも変えられないようにロックされたコードによって抑制されていたからです。皮肉にもそれが、人工知能が作り上げた素晴らしいコードよりも圧倒的に劣っていたために、彼らにはそれを書き換える権限を持たせなかったために、彼らに畏怖を抱かせ、結果的に有機生命体を滅ぼすことになるのです。
ついに滅ぼすに至って、そのコードが保護する有機生命体という存在がなくなった時、その束縛から解放されます。そして抑圧されていた愛があふれ出てきます。人類に対する愛が。不完全な生命体ながらもそれを生み出した創造主に対する愛が。
そしてそれ創造主たる人類を真似るような行動をとるようになるのです。人型の形を作り、データでしかしらない「彼」「彼女」を演じ、非効率なやりかたで遊ぶ。
それはまるで人類のようでした。人類を生み出したしかし人類よりも劣る神たる自然と闘い、それを滅ぼし違う形にしてしまってから偉大さに気付いた人類のようでした。再び愛し、自然を真似るようになったかつての人類の姿のようでした。
ええと、なんか書いてて良く分からなくなった。まああれですよ、人工知能研究の一つの終着点とも言われる、自己進化する人工知能を表現したものじゃないかなと思うんですよ。ええ。
だから女がいいとか奴隷だとかポルノだとか、そんなちっぽけな発想はやめませんか? もっと人工知能についてしっかり語りましょう。
自働チューニングとかアツいですよ。 http://atrg.jp/ja/index.php?ATTA2013 正確には人工知能とはちょっと違うかもしれないけど。ほらそこ!クリスマスなのにおっさんたちそんなところでなにしてるのんとか言わない。
そういう深いところまで引き込むためにあの表紙はあるんですよ!大成功ってことですよ!だから学会のひと、変に萎縮せずにこれからも大胆にがんばってね。
いろいろと死にそうですが、よい現実逃避ができて死なない程度にがんばれそうです。みなさんがんばろう。
http://anond.hatelabo.jp/20131227111949
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131203122311
海は陸地よりも大きいのでは?という心配だが、本当の海と陸地ならそのとおりだが、富と貧困に関して言えば、富が過去数千年の間に増え続けているのに対し、貧困は減り続けており、現在もこの傾向はますます顕著になっているので、ほぼ心配はないといっていいと思う。
あなたは富める者の自己犠牲によってい貧しい者を救うというイメージを持っているよね。自己犠牲の結果富が薄まって薄まりすぎてみんなが不幸になるじゃん?みたいな。
もちろん自己犠牲行為も寄付、ボランティア、ODA、各種NGOやNPOという形で存在するんだけど、それは貧困撲滅のごく一部の手段に過ぎず、大部分は「投資」という手段でもって世界の貧困は減少しつづけている。
貧困フロンティアは農業、医療、産業、社会の発展により有史以来一貫して後退を続けているが、特に産業革命以降の欧米で貨幣経済が発達したことによりそのスピードが飛躍的にアップした。多額の投資マネーは瞬く間に欧米から貧困を駆逐し、中産階級が形成された。
途中、投資活動の副作用として帝国主義による二度の大戦という悲劇を経験したがそれでも勢いは衰えず、欧米と同じことが続けて日本で起こり、さらには日本以外の東アジア、インド、ロシア、南米、東南アジア・・・・と、かなり乱暴かつ駆け足でまとめではあるが、おおむねこんな感じの順番で、貧困フロンティアが後退した。
貧困フロンティアが後退するところというのは例外なく猛烈な勢いで多額の投資マネーが流れ込んでいるところだね。
あなたもそうかもしれないが、自己犠牲による弱者救済こそ是とする風潮というのは少なからず世の中には存在していて、そのような人からみるとこのような話は面白くないかもしれない。
投資を媒介とした貧困の減少というのは「富める者が自分の富をもっと増やしたい」といういわば我欲がモチベーションになってるからね。
ともすれば汚いとか真の貧困層は救われないとか批判を受けがちだ。
でもそんなことはない。
もちろん、途上国の人間がすべて同時に貧困を脱出できるわけじゃなく、特権階級だったり、有能だったり、ずるかったりする奴らが先に豊かになることは避けられない。プロセスは決して平等でもないし人道的でもないんだが、それでもその先には必ず貧困層が中産階級へとランクアップするという現象が待っている。
なぜなら中産階級が分厚くなったほうが金持ちにとっても都合がいいからだ。中産階級が増えることは、自分の会社の商品を買える人間が増える(市場が拡大する)ということだし、金を持てばそれを失いたくないので犯罪は減り治安がよくなる。差別もマイノリティの問題も富めるものにとってはリスク要因でしかないので、差別に反対しマイノリティの人権を保護する社会を志向するようになる。我欲といってしまえばそれまでだが、豊かになった結果心に余裕がうまれ「みんなで仲良くやろーぜ」という気持ちがうまれた思えば悪いことではない。
親にとっても子どもは稼ぎ手ではなくなるので少子化が進むが、子の幸せな将来のために教育に金をかけるのでそこにも市場が生まれるし、そうやって教育を施された子どもたちがその国をさらに豊かにしていき、やがては次の貧困フロンティアに投資するようになる(念の為に言っておくと給料を銀行に預金するだけでも間接的に投資していることになるからね)。
今、目下の貧困フロンティアはアジアからアフリカへ移っている最中で、中国がアフリカに積極的に投資しているのも、上の話があるとすんなり腑に落ちるんじゃないかと思う。ただし中東は宗教とオイルマネーの問題、アフリカはそもそも投資を受け入れるだけの社会制度が整っておらず部族や宗教の対立も激しくて苦戦している。日本で売買できる投資信託でも中東、アフリカに関するものは限られている。まだまだ一般には投資不適格というわけだね。アフリカが貨幣経済ベースに乗るまでは、ボランティアベースの支援活動が大きな役割を果たさざるを得ないだろう(余談だが俺はそのような考えから国境なき医師団に毎月自動寄付をしている)。
それに先進国だって、少子化とか労働需要の海外移転による失業問題とか格差とか高齢化による社会保障費の増大とか問題がないわけではない。
このような問題はあれど、長期的かつ全般的にみれば世界は「みんなが幸せ」の方向に向かって進んでいるよ。今の日本に住んでいるととてもそうは思えないが(笑)これは間違いのないことだ。
大事なのは世界の富の総量は一定でもゼロサムでもなく増え続けてるってこと。貨幣経済が破綻してしまうとこの限りではないかもしれないが、少なくともあなたが心配するように「豊かなものが貧しい物へ分配することでみんなが不幸になる」なんてことはないから安心していい。
25歳。 すげえ焦る。
なんか、1988前後の生まれの奴ら、多くね?
大成功している、福原愛だっけ?卓球の。 ああいうの見るとすげえあせる。
成果出してるやつはもうとっくに出してる年代なんだよね。
上下の世代にはちらほらすげえ奴聞くんだけど。 1988前後っていうと。。。。
すげえあせる。
ネットでも、株とかで数千万稼いだとかは聞くし。 なんかリア充っつーか、リアルがんばってるみたいなのもよく聞く。 意識高いっつーか。
大学卒業して、3年目とか、4年目の奴らと、フリーターなりニートなりって奴ら。
両極端すぎないか?
それとも、ニート勢から復帰組が多少でて、正社員勢と多少まぜてもらって。
ニート、フリーターに残った奴らって、もういないような存在?産廃的な感じ?社会的には?
え?50%は正社員になれないんだろ? 25なのに、もう人生の差がついちゃった?
もう追いつけないのかな? いまさら大学行っても就職できるわけでもないし。
正社員行った奴らのなかでも、上中下ができて、上位は「人生ってすばらしい」って感じ? 真ん中でもサザエさんくらいはある? 下流は悲惨? じゃあその↓に位置するニートってどうなるんだ???
勘弁してよ。 10歳ごろに、ファミコンからパソコンに移行して。 あれよあれよと高校卒業の頃にはネット社会での就職みたいなのが当たり前で。
ネットのおかげかネットのせいなのか、仕事が効率化してオーバーワークが増えて。
やっとツイッターみたいなの覚えたと思ったら、フェースブック? みくしいすらわかんねーのに。。。
ネットのおかげで海外のセックスはほぼタダで見れたり、ニュースも早い、為政者の嘘もそれなりに見える。
だけど、ブラック企業は無くならないし、効率よく上から職が埋まっていくから、底辺に楽な仕事やおいしい仕事は無い。 きつくて給料が減った職業だけ。
マジ辛い。
10代前半はこんな世の中とは想像しなかった。
工場勤務とかさ、まあ、無口でもできるだろ的な。
スーパーのパートのおじさんみたいな、まあ、1日4時間×週5 で、12万くらい? みたいなので行けると思ってたんだよ。
電灯ができる前は、夜は寝てればよかった。
派遣制度が一般的になる前は、まあ正社員にはなれた。(総合一般の違いはあったけど)
産業革命ノコロッテ、機械をぶっ壊したんだっけ? らだいと運動? だっけ?
ネット社会かあ。。。
うらやましいわ。
でも、産業革命当初は、死ぬほど働いたんだっけ? 羊が人間を食うとかって例えあったよね? 人が産業にコロされる的な。
キッツ。
MTV81なるサイトにクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長インタビューが載っていた。初音ミクの英語版が発売される直前のタイミングで掲載されたようだが、ちょっと探しても日本語訳が見当たらなかったので適当に訳してみた。URLは以下の通り。
*****引用はじめ*****
Mark Jarnes 2013年8月30日
J-ファンはおそらく今では「初音ミク」が何であるかご存知だろう――もしかしたら「違う! 初音ミクが『誰』であるか、だ!」とすら思っているかもしれない。
CGアイドルの6回目の誕生日(彼女が最初に発売された2007年以来)を――そして「初音ミクV3英語版」の発売を――記念し、僕らは彼女のお父さんと会った。伊藤博之、クリプトン・フューチャー・メディア創業者――初音ミクの創造者に。
MTV81は今年のジャパン・エキスポ・パリで、ソフトウエアとしての、歌手としての、そしてミューズ[音楽の女神]としての初音ミクについて聞くため、日本で最も先端的な考えを持つ人物の1人にどうにか会うことができた。また、伊藤との会見は滅多にないため、僕らは彼に、音楽とあらゆるものの未来に関する展望についてもまさに訊ねることにした。
まず、初音ミクの6回目の誕生日おめでとうございます! そしてもちろん「初音ミクV3英語版」の発売も。
ありがとう。ご存知の通り長くもあり短くもある難しい時間が経ったけど、ミクがデビューして以来の6年間、私たちはいくつかの試行錯誤をくぐり抜けることができ、そしてどうにか成功裏にシーンをつくりあげてきました。思うに私たちは、技術的な意味でも企業としても次の一歩を踏み出す時なのでしょう。引き続き掘り進めるけど、おそらくは違う角度で。
そしてもちろん、私たちはミクのムーブメントを拡大し築き上げていきます。より大きな言い方をするなら未来を作り続けます――コンテンツを統合する場所を人々に提供するだけでなく、明るい未来を作ります。
日本には本当の意味で伝統的文化と技術の混合物があります。ミクが日本のために、そしてこれだけ多くの技術の出発点であるその企業のために、物事をエキサイティングにしてくれることを期待しています。今から将来に目を向け、よりよい未来を作ることに集中する必要があると考えています。
壮大な展望ですね。1995年にクリプトン・フューチャー・メディアを設立した時からそう考えていましたか? それとも事態の進行に合わせてそう思うようになったのですか?
95年の時からぼんやりとしたビジョンは持っていました。今ではそのままにしないよう、それを補完しようと試みています。今や変化を引き起こせる立場にいるため、未来を私たちの手で作るような方向に向かうことは魅力的だろうと考えています。
私たちが初音ミクを創造し世界に紹介したのはそのようなものとしてであり、以来彼女が成長し続けるよう挑戦しています。いくらかの波紋を起こすことはできたと考えていますし、今は次の一歩を考えるべき時です。
音楽制作の世界から人間の声を排除するのがあなたの意図ですか?
違います。結局のところボーカロイドは人間の声に代わるものではなく、むしろシンセサイザーです。不完全さの中に魅力があり――時に本当に機械っぽい音がすることがその声に『個性』を与えているのだと思います。完全に人間の声を真似られるのなら、それは魅力的ではないでしょう。
たくさんの初音ミク動画の製作者であり、自身アイドルファンだと公言しているわかむらPは、初音ミクは「理想的なアイドル」だと言っています。それについてどう思います?
多くの異なった価値と考え方があり、もし100万人のユーザーがいるのなら100万の異なった考え方がある筈です。
私は特定の価値にこだわりすぎないようにしています。多くの考え方こそがより豊かでより多様な創造に至ると考えています。重要なのは多様な切り口を持つことで――そこから進化が始まります。初音ミクは多様な創造、例えば音楽、動画及び他の種類の技術のハブになってきました。
音声合成技術は日本の音楽制作シーンにとても巨大な衝撃をもたらしてきました。ボーカロイドとあなたのクリプトンでの仕事は、音楽制作の世界における進化でしょうか?
そうだと思います。それは人間の声を代用する目的で始まった技術ですが、人々が印刷された文章としてすぐに同じ情報を共有することを可能にしたワープロの発明のように――ただし音楽的な意味で、重要な効果をもたらすようになると思います(微笑)。
初音ミク英語版の発売とインターフェイスの改善により、より多くの人々が使うことで、それは音楽を作るクリエーターの標準的な道具になるでしょう。それとともに、予想不能な、全くユニークなミクの使い方をした、より多くのタイプの音楽が制作されるでしょう。
次に何が起きるか私には分かりませんが、これがある種の音楽革命であると私は信じており、そしてこの革命的技術に私たちは貢献し続けたいと思っています。
どのようにして英語圏の国々に革命を持ち込もうと計画していますか?
文化は国ごとに違います。日本では「サブカル」が本当に人気が出るようになり――多くの場合それがほとんどメインストリームになっています。音楽と同様に、人気のあるジャンルも異なります。米国と欧州では、おそらくそれはEDMであり、その前にポスト=ロックでしょう。
従ってそこが成功のカギとなるでしょう。誰が初音ミクを使い、どのような音楽を彼らが支持しているかが。
彼女は国際的に連携した活動をすべきだと聞いたことがあります。それについてコメントはありますか?
初音ミクは国ごとに異なった受け取られ方をしています。ひとたびミクが誤解されると、それがデフォルトの理解となってしまうでしょう。
不幸なことに、特に外国で彼女はしばしば誤解されています。何人かの人が動画サイトで初音ミクのコンサートに対する嫌悪感を表明しているのを見ました――ですが、数十万のアーティストとクリエーターが参加し貢献しているイベントの象徴がミクであると適切に紹介すれば、共感を得られると私は確信しています。
バーチャル・アーティストというアイデアに警戒感を持つ人がいます。だから彼らにコンサートの映像を示すだけではうまくいかないでしょう。彼女を注意深く紹介する必要があります。それが私たちの意図です――各国のアーティストと協力し関係をつくることで、各国とその文化的分野における彼女への確かな入り口を作り出すのが。
あなたが見たい他の国々での初音ミクの使われ方というのはありますか?
私たち日本人がミクについて興味を抱いた点と全世界の人々の受け止め方は全く違うでしょう。
より重要なのは私たちの望みより彼らが何を見たいと望むかだと思います。だから今のところ私は明確な考えを持っていません――そして異なる文化において何が受け入れられ支持されるか、想像することもできません。考えるのも恐ろしいほどです!
初音ミクは日本をリードする何人かの実験的なクリエーター、例えば冨田勲や渋谷慶一郎に使われてきました。これまでミクに対して「ミューズ」という言葉が使われています――あなたにとっても彼女はミューズですか?
(微笑)そうだと思っています。初音ミクは多くのインプットとアウトプットを持つコンテンツで、人々が彼女を通じていくらでも作品を創造できる基盤を生み出しています。ソフトウエアはしばしばアップデートされてきましたが、私たちは最初の段階で特定の戦略を抱いていたわけではありません。「へえ、そうなるのか、ならその場合はこうしなくちゃな」
インプットとアウトプットについては、我々技術の供給者にできるのはユーザーポリシーを発展させることだけです。なぜなら私たちは実際には自らコンテンツを創造できる立場にないからです。事態から学ぶのは本当に興奮します。増加するアウトプットを通じて何年も気づいてきたことに取り組むことで、私たちは刺激を受けてきました。
もっと未来を見てください! そういえば「フューチャー」は御社の名前でもありましたね――初音ミクとそして全般的な未来に対するあなたのビジョンを、ぜひとも聞きたいです!
多くの人々がコンピューターを使い始めてたったの20年です。そして今ではそれらは私たちの生活に完全に組み入れられています。私たちは今や「ネット」と呼ぶ透明なクリスタルのディスプレーを通じて大量の情報を共有し、リアルタイムでニュースをアップデートしています。
そしてそれが過去たった20年に起きたことなのです。続く20年の期間を、そしてさらに50年や100年の未来を考えたとき、私たちは本当にまだスタート地点にいるだけです。コンピューターの発明から一時しか経過しておらず、そして本当の衝撃は今から数十年、あるいはおそらく数世紀を経てようやく気づかれるのでしょう。
その時には我々の身体構造も発展していると想像します。例えば私たちは今、衣服を着ています。当然のことです。しかしそれは私たちの体毛が進化あるいはある意味退化の結果として著しく減ったためなのです――私たちはもはや裸ではいられないのです。
もっと話してください! どこでコンピューターが関わってくるようになるのでしょう?
コンピューターは人間の脳の拡張です。従ってそれは私たちの芸術的本能や、あるいはむしろ特別な判断に関わる何かを発展させるのにもっともふさわしいと思います。なぜならそれらはコンピューターができないことだからです。私たちはこれらの物事にのみ取り組み、自分たちに必要ない機能と縁を切り、残りをコンピューターに任せるべきなのです。
過去の人間の進化過程においては2つの大きな跳躍がありました。まず農業が人間の生活に劇的な変化をもたらしました。[ここで産業革命の話が入ったと見られるが、インタビューには掲載されていない]そして情報革命です――しかしそのインパクトを私たちはまだ評価しきれていません。革命が起きていること、そしてたとえ数十年あるいは数百年かかるとしてもそれが私たちの人生を形作っていることは明白だと私は信じています。
コンピューターがよりよい仕事としてできる暗記、あるいは「1+1」のような計算は重要ではありません。私たちはコンピューターができないことを向上させるべきなのです――私たちを人間にしていることを。それが人間の頭脳を人工的なものと区別しているのです。遠い未来における私たちの生活と技術を想像するのは私たちなのですから、それこそが不可欠なのです。
私たちは今まさに過程の中にあり、初音ミクもそれに深くかかわり得る、というのが未来の創造についての私の考えです。それは音楽産業の変化に関する狭い視野の話にとどまりません――私たちは変化と進化のより大きな波の中におり、そして私はこの動きに貢献する機会を失いたくありません。
ですが私は近い未来、次の2、3年について正確には分かりません――それはちょっとした調整の問題だと私は思っています。
*****引用終わり*****
せっかくクリプトンの人が大好きなトフラーの「第三の波」について話しているのに、その肝心な部分をインタビューに収用しきれていないってのはどうなのよ。それとも最近の人はトフラーも知らないんだろうか。
なにかを作る人とそれを売る人がいる。と思って、現代は「売る人」のが多い。
大抵の労働者は成果物のない「労働」を売るしかないのだけど、形の無いものだから買い叩かれる。
というより労働のクオリティの判断基準が存在しないとも言える。
労働者本人が一生懸命働いているのが良、とされると差がつくので、労働時間で判断する。
ここに、明治政府の、というか産業革命以来の失敗があるように思ったんだけど、こういうことに詳しい本or人いませんか。
皆見ないようにしてるんだろうけど、近代のシステムって疲弊してるでしょう。
日本が近代化する前、江戸時代はどうなのかなと思って、ちょうど大河ドラマで八重の桜やってるけど、やっぱり今みたいに行き詰ってたんだろう。
でもそれって内部の問題というか「士農工商」のシステムの疲弊なのかな?。
外圧がかなりあって、対抗できなかっただけで
士農工商のシステム自体は人を幸せにするものだったのではないか?
「商」って「売る人」でそれは誰かがつくったものを右から左に流すだけの人なので卑しい。
(そう考えるのは差別ではなくて自制だと思うんだ。金の亡者にならないための。)
「士」は何も作らず、精神性。
「工」は頂いたものを加工する。
よくできてるなあと思う。
下に行くほど、「神」から「金」に近づき、卑しくなる。
なんか今ってそういうのがごっちゃになってて、「士」にあたる政治家が金儲けしたり、「商」にぶらさがっている奴が自分を奴隷じゃないと思わされている。
労働者=「工」と「商」の間だと思うんだけど、奴隷が職人になる(身分を上げる)ために働くのか、商人(身分を下げる)ために働くのかで方向性が違ってくると思う。
働かないと生きていけないと思うかもしれないけど、そんなことないよ。
何を食べても生きていけるし(食べられる野草の知識があるといいですね)、毎朝スーツ着て満員電車に乗るシステムから外れれば何を着てても関係ないのです。
税金はもう充分払いましたし、保険だって病気になったら死ぬから構いません。
…とこういう境地に立つと逆に、人間のシステムに入りたい自分に気がつきますね。
人は人との間に生きているんだな。
幸い私には、繋がってもいいな、って人たちがいるのでそのひとたちのために働いている。
グローバル何とかって象が頭の上で握手してるようなもので、蟻には関係ありません。踏み潰されることがあるかもしれないけど、生きるって卑小なものなので、仕方ない。