はてなキーワード: 労働力とは
能力だけを見て免許を与えれば良い試験もあるが、医師免許を附与するプロセスで定員を考える必要があるのは、たぶん、供給が多いと何か困るからなんだろう。
(合格する女性の労働力の和=最適な女医の供給量にする。たとえば「産科には○○人月の女医が必要」みたいな考え方が妥当なら、こちらになる。)
(合格する労働力の和=最適な供給量にする。男女の医師を区別しないなら、こちらになる。)
の、どちらになる。
これらの場合、労働力率の低下、たとえば育休取得率の上昇は、前者の想定なら女性だけの合格率を上げ、後者の想定なら両性の合格率を上げることになる。
定員があるのは大学の教育能力の限界のためだ、という意見もあるらしい。
(脱線だが、そういう理由なら国外で教育を受けた者にどんどん国試を受けさせるべきだと思うが、そうなっているのだろうか?)
だとすると、
ということになる。
ただし国内のみ。
※
インドから農民がぐんぐん消えてる。より稼げる産業への転職で離農してる。
(SDGsはこの農民の離農対策として打ち出された一面がある。
稼げない農業に農民を縛り付け、格差を固定化して、食料供給の安定を図り飢餓の撲滅を図ろうとしている。
もちろんそうした側面は尾首にも出さず、職業選択の自由により離農して減少した分の労働力はハイテク解決、というプロパガンダが伸びる。美しいですね。)
※
いままで食い物がどれだけ不当に買い叩かれてきたか、思い知らされるターンが近づいてるんだけども…そこに思いが至る人は少ない。
気づいた人間は題目を掲げて「今の費用で今の快楽」を維持するための枠組みづくりに躍起になってる。
だけどたぶん間に合わない。
遅く起きて少しだけ本を読んで昼寝をした
本は『蜂と蟻に刺されてみた』というイグノーベル賞を受賞した生物学者の本
自分の体で実際に刺されてみることで指数的に痛みを数値化して研究している人だ
読む前はバカなことをするもんだと笑っていたんだけど、虫って体が小さいから研究するために毒液を集めようにも1体からほんの少量しかとれなくて毒液中の成分分析とか毒液の作用の原因追及とかハードルが高すぎらしい
今日読んだところで面白かったのはシュウカクアリの集団交尾についての記述だ
この集団交尾には2種のシュウカクアリの雄と雌が参加するらしい
シュウカクアリの雌は精子を蓄える性質を持っていて、労働力をたくさん生み出すために別種の雄とたくさん交尾して、同種同士の交尾の結果の生殖用個体は少しだけ生めればいい
一方、オスは自分の遺伝子を後世に伝えるためには同種の雌と交尾をすることを望んでいる
この交尾集団でさらに奇妙さを増しているのはオスもメスも相手がオスなのかメスなのか区別できないから、とりあえず交尾しようとして判断するということだ
別種同士で交尾することが通常だというのも驚きだし、雌雄で交尾の目的が異なるのもまた面白い
人間の倫理や無理なアナロジーで測れない虫の世界は純粋に好奇心を満たしてくれる
昔、『ムシヌユン』を読んだときは爆笑したもんだけど、もう少し虫の生態についての本を読んでから再読したら違う感想を持つんだろうか
『ムシヌユン』は昆虫博士に憧れた気弱な青年が虫人間になって、性欲が抑えきれず大変な目に合う漫画なのだけど、人間側から見ると主人公の行動は奇妙だけど、虫側から見ると理にかなっていたりするもんなんだろうか
そのうち再読したいもんだ
・好きな時間に働ける
大嘘。納期や先方の都合もあり、多少の融通は効くが「好きな時間に働かせられる労働力」というのが適切。
・人間関係で悩まない
金を払わない、約束を守らない、時期を守らないクライアントが普通。金を請求すると逆ギレされることもしばしば。
特に個人のクライアントは最悪で、公私混同の発言をしたり文句を言ってきたりする。
中国でゲームが承認されないとか、私塾を禁止といった、日本から考えるとバカだと多くコメントが付く政策が行われている。
数年後、やっぱり中国の政策は正しかったとならないため、あえてメリットを考えてみることにする。
という点に最終的に行き着くので、その点を頭の片隅に置きつつ読んで欲しい。
日本だと軍事産業がまるっとないため、別の産業にリソースが割り当てられるが、中国からすると優秀な人は軍事産業、もしくは近い業界に居て欲しい。
ゲームエンジンだったり、アプリストアだったり、米国ならびに米国企業のルールで変わるし、利益も米国に行く。
無料でゲームエンジンを使えるといったことに飛びつきがちだが、長期的に見ると使う側の人間しかいなくなり、振り回されることになる。
またゲームはサービス終了したら後に残らないという状況になっており、長期的に投資が残るゲームエンジン以外、経済予測性も低くなる。
米国のゲーム市場規模から日本では忘れがちだが、米国でもゲームはナードがするものといった、二級品扱いだったり、他に投資先がないからするものだ。
米国の場合、FPSだったり、シミュレーション技術など、ゲームが軍事に利用できるので表立って批判されないのを忘れているとミスリードするのではないだろうか。
日本のように優秀な人が集まったものの、ガチャ実装だったり、萌だったりと、軍事からかけ離れたものになっている状況への対応と、
軍事に関係する物が生まれるかと放っておいたら一向に生まれることはなかったので、そろそろ締めるか、といった具合だ。
私塾規制についても少子化対策で、『民間にまかせておくと教育コストが高くなりすぎ少子化につながる』というところからくる。
どこの先進国もそうだが、
子育てにお金を配って解決するのも、緩やかな経済発展よりも、子育てにかかるコスト増が早い
色々中国の政策が出てきて、日本から見ると(人権などの観点から)変なように見えるが、基本統治を簡単にしようとしているように見える。
そういうことか。
アフリカのとある地域や発展途上国では、いまだに「子供をたくさん産めない女性は石女と呼ばれる」に近い価値観がある。古き時代の日本には確かに、女は子供をなるべく沢山産んで育てることが仕事、多ければ多いほど優秀、という価値観があった。多産で、当時は兄弟が6人とか14人とかそういう家庭が多かった。
同時にこの時代この地域では児童労働も多かった。子供は労働者だった。10歳くらいから働いた。よく働く子が偉かった。死亡率が高かった。当時は、我が子が死ぬのは当たり前。それに生まれた全部が働き者の几帳面な子供とは限らなかった。たまに口の利けないのや、怠け者や、おかしいのが生まれた。そういう子供は売ったり、殺したり、隠したりして、間引かなければならない。死ぬこと前提で沢山産む必要があった。子供は大きくなったら親孝行をするものだった。子供は、産めば働いて家計を助けてくれ、子供を産めば産むほど老後に親孝行してくれる蓄えができる。
要するに子を産むとは、労働力を得ること、年収を増やすことであり、老後の貯金だった。
もうお分かり、当時の女性には大きなミッションがあった。わざわざ働きに出て小さな日銭を稼ぐなんかよりももっと巨額の安定収入を得るというミッションが。子を産み、労働力=年収=老後の貯金を得ることである。女性は神様である。金のなる木である。そして貴重な労働力を殖やせる重要な村の資源だった。
産める女性は神様だ。では、産めない女性は、乳の出ない牛と同じである。彼の言葉は100年以上も昔に形作られた、女性神話の系譜を現代にも継ぐ、貴重な歴史的メッセージなのである。
私がK市を退職する時点で係争中だった。判決はどうなったのだろう。もはやどうでもいい。考える価値もない。
彼は、当時40代後半の職員だった。建築系の部署で働いていた。働きぶりは有能で、能力評価ではどの項目も標準以上だった。
そんな彼が、なぜ問題職員だったかというと――性格だ。後に性格ではなく、脳機能の障害の一種であることが判明するのだが、とにかく苛烈な性格だった。
キレたい時にキレ散らかし、毒を吐きたい時に吐き、暴力を振るいたい時に振るい、不謹慎なことを言いたい時に言い、不埒なことをしたい時に埒をあけていた。かと思えば、機嫌がいい時、常識的な発言をする時、的確な助言や指示を行うこともあり、そのおかげか、これまでトラブルを起こしても小さい処分で済んでいたようだ。
ある年の春だった。
建築系の部署には珍しく、大学を出たばかりの女の子(Sさんとする)がC郎さんの部署に配属された。ただ一人の女性職員だ。そのほかは男性である。
その子の働きぶりは良好だった。10コ上の先輩(Aとする。男性。既婚)に付いて回り、仕事をひたすらに覚えていった。パワポの腕に覚えがあり、デザインセンスが抜群だと査定資料に書いてあった気がする。
精一杯頑張る子だった。愛想もいい。新人にふさわしい活発さで、気立てがよく、イベントや研修会の仕事もそつなくこなした。仲間受けも上司受けもいい。花見などの親睦行事にもよく出ていた。
……年末になる頃だった。そんな彼女の指導役だった10コ上の先輩であるAが、あろうことかSさんに手を出していたことが判明した。きっかけは人事課への匿名の投書と証拠写真(※こういう文書は大抵、職員からの密告である)で、隣の市にあるホテル街で手を繋いでうろつく2人の姿が写真に映っていた。
こうとなっては対応せざるを得ない。人事課の女性職員の付き添いとともに、Sさんを面談室に呼んで話をしたところ――Sさんとの行為に及んだのは、Aと、Aの隣の席のBと、島の奥側に座っているD係長と、Bの向かいに机が位置するC郎さんの4人に及ぶことが判明した。特に、C郎さんは(状況は省略)無理やりにSさんとの事に興じ、埒を明けていた。
さて、どうしたものか。ここまでの不倫案件は前例のない事態であるため、賞罰を扱ったことのある職員5、6人の間でも意見が割れた(賞罰の扱いが難しい案件については、人事課以外でいい意見を出せそうな職員も話に入れる)。
結論を述べると、4人ともに厳重処分(全員、3ヶ月間の減給10%。D係長はそのうえ1ヶ月の停職。Aは僻地に出向。Sさんは事務系の部署に異動。本当は免職処分にもできたが、替えの効かない専門職の部署だったので考える必要があった)となったのだが、C郎の態度があまりに酷すぎた。
何を言ったかは伏せるが、反省の色が全くなく、Sさんを無理やり行為に誘ったにもかかわらず、「Sが悪い」「なぜ俺がこんな目に」「合意の上だろう」と宣っていた。
Sさんの代わりに来た年配の女性職員がいたのだが――ミスの多さに頭にきたC郎は、彼女の頭を分厚いファイルで殴打したのだ(いわゆるキングファイル)。
周りの職員がすぐにC郎を取り押さえようとした。さらにキレて怒鳴り散らすC郎を、その階にいた市民や業者が冷たい目で見ていた……と報告書に書いてあった。
ほかにも、C郎は過去にもこうした問題行動(突然キレたり、非常識な性的発言をしたり、ふてくされたり)を起こしてきたという。
この暴力事件の指導面談の時のC郎は、上に述べた報告とはうってかわって物静かだった。やはり、その時々によって気分が変わるようだ。
「今回、C郎さんは傷害という罪を犯しました。過去に、何度も職員や企業や市民を傷つける発言をしていますね」
「必要だからやった。非常識でもなんでも、やるときはやらねばならない。嘗められたら負けである。本人を傷つけてでも、罪になることでも、組織のために必要なこともある」※私のメモには方言があったので、標準的な言葉に直している。
「嘗められようと負けようと、人として不適切な言動をしてはいけません。カチンときても我慢しないと。みんな見てるんですから。特に私達は公務員です。公務員は24時間法律を守って生きていく必要があります。水清ければ魚棲まず、といったことは組織にも当然あろうとは思いますが、今回のC郎さんはあまりにもひどい」
「わかってはいるが、現実はそういうわけにいかない。杓子定規に捉えるべきではない。後輩への指導として、やるべきことはやらないといけない」
「昔はそれでよかったかもしれないが、今は」
「どれだけ時代が変わっても同じだ。それに、私は実際に結果を出している。私が基本設計を手掛けた公共施設は5つ以上ある。十分K市に貢献している。建築の弟子だって何人も育ててきた」
「今は関係ありません」
「なぜなのか? わからない人だ」
平行線だった。埒があかない。他の職員にも聞き取ったところ、やはり若手の頃から感情的に不安定なところがあるようだ。
慎重に議論を重ねたところ、C郎に下された処分はA夫と同様の諭旨免職だった。依願退職しなければ懲戒免職処分を行う。だが、依願退職を受け入れれば年度末での退職を認め、退職金も満額出すというものだ。
C郎には、建築技師としてのキャリアがあった。民間でも使える資格を多数保持している。事務吏員の場合は、この年で辞めることになれば当然露頭に迷うが、彼の場合は再就職が可能であると元転職エージェントの視点から判断した。
C郎さんを切るべきか切らないべきか、幹部の間で幾度も話し合いの場が持たれた。が、これまでの不良行為があまりにも多すぎた。
C郎は労働組合に加入していなかったので、組合からの反発はほぼなかった。ただ形式的に、「職員に対する威圧行為であり、許容されるものではない」との文書での通知があった。
度々になるが、労働組合がここまで形骸化した組織であると知って失望することがよくあった。彼らはいつもそうだ。「当局は〇〇弾圧の意図をもって」「〇〇攻撃には屈しない」「労働者がよりよく働いていけるための権利を」などと、いつも組合の広報や定期総会で息巻いているが、実際に行動に出ることはない。
昔は知らないが、私が居た〇年間では、職員側への不利益変更(職員定数や給与の削減)を行っても強硬手段でブロックされたことはないし、彼らが出した申入書の要求事項をすべて拒否したとして、特段何も言ってくることはなかった。
繰り返しになるが、彼らはあくまで政治団体なのだ。〇〇党などの上位団体に献金を納め、メーデーといった形で政治活動への労働力を提供し、そのほか票の取りまとめを行うことで自らの政治的意図を実現するための政治的アクターである。
その機能の補完的な一部として、職員同士による互助的、連帯的な機能を有している。そのことをわかっている職員は、労働組合に加入しない意思を貫いていた。全体の2割ほどだったろうか。
さて、C郎は自分で弁護士を探してきて、法廷で決着をつける道を選んだ。私が退職する時点で未決着だった。とっくに決着は付いているだろうが興味はない。
最後に、C郎がどうしてあんなに異常な行動を取っていたのか説明する。一言で表すと、『障害』だった。彼の異常行動は『性格』に起因するものではなく、(詳細説明は避けるが)脳の一部に異常があって、脊髄反射的にその人が思ったことを即、言葉や行動に移してしまう。そんな障害があった。だから、ミスが多い女性職員の頭をキングファイルで殴るといった行動を取ってしまった。
もっと早く言ってくれればよかったのに。
法廷ではなく、せめて面談の時にそれを告白していたら、こちらとしても配慮することができたのだ。私は、能力が低いという理由だけで職員の免職処分を決めたことはない。能力があろうとなかろうと、仕事への意欲が皆無だったり、他者を傷つける言動を行ったり、組織にとって不名誉となる行為(主に犯罪)をしたり――そういった、能力よりも、もっと深いところに問題がある者に限って組織から駆逐する。それが私のポリシーだった。
(蛇足1)
どれだけいい成果を挙げたとしても、違法行為やハラスメントをしていいわけではない。当人に起因する、組織に対するプラス効果によってマイナス効果を相殺することはできないのだ。プラス3とマイナス2が併存することはあれど、相殺して1にはできない。プラスはプラス、マイナスはマイナスとして在り続ける。
われわれはすべて、誰かが眼を開けてくれなければ、目を閉じて世の中を歩き廻っている傾きがある。
さて、私が新卒で勤めていた会社は若々しい社風で知られており、よくも悪くも調子に乗った社員がそれなりにいた。すでに時効と思われるので、当時の記憶をそのまま辿ってみる。
具体的な仕事としては、飲食店や小売店に飛び込み営業をかけて自社求人誌に情報を載せてもらうのだが(追記:もうわかった人もいるだろうが、旧リクルートジョブズだ。問題のある行動が多い分社のひとつであり、近年同じく問題を起こしたリクルートキャリアとともに本社に合併された)、契約条件の交渉の時に調子のいいことを言って相手を騙したり(上司と話をさせろと言われてもブロックする)、人事関係だと、面接を受けに来た転職希望者を鼻で笑って次の質問に移る(時間がないから早く切り上げたい)。そんな連中が同期に何人も居た。
十数年後、私が営業所長に昇進した時には、そういった連中は駆逐されていた。悪行は長続きしないことを30半ばにして知った。今でも肝に銘じている。だが、彼らは別の意味で会社の役に立っていた。若手の営業所員が調子に乗った言動を取った際、その駆逐された連中の末期を語って聞かせることで、組織の癌の発生を抑止する役割を暗に果たしていた。
(蛇足2)
C郎さんの裁判の結果は見ていないが、障害を抜きにしてもK市敗訴の線が濃厚だ。明らかに能力不足や人格に異常がある職員でも免職処分にすることは原則できない。民間における解雇規制、従業員をクビにするのが「相当難しい」とすると、公務員の場合は「不可能に近い」となる。
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/politics/452874/(東スポ)
橋本徹氏が大阪市長の頃に、勤務査定が著しく低い職員数名をクビにしたという記事だが、クビにされた職員が抗わなかったからできたことだ。職員側が何らかの事情で弱っていた、あるいは生きる力に欠けていたからできた。裁判に持ち込めば職員側が勝訴していただろう。それくらい公務員を免職させることは難しい。
ではなぜ、こちらが負ける公算が高くてもC郎に対する裁判の道を選んだのか? それは、他の問題職員をけん制するためだ。「C郎は度重なる指導にも従わず、挙句の果てには傷害事件を起こして免職処分になった。あなたも同じことをすればこうなる」というメッセージを全職員に対して発したのだ。
これにより、問題職員の側にいる連中に対して――まともな態度で勤務する姿勢がない人間の末路はこうなる、馬鹿なことをすれば相応の顛末が待っていることを伝えた。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/060600020/(日経ビジネス)
次は民間企業の例だ。数年前に㈱カネカという企業で労使の育休トラブルがあった。増田の諸兄なら覚えておられることだろう。
㈱カネカで実例のなかった男性社員による育休取得を行うことで、マイホーム購入やわが子の保育園入園など、子どもを育てる準備を整えたばかりの人がいた。その彼に対し、育休復帰直後に地方出向(※彼は断った後に退職している)を命じたカネカがネット上で袋叩きにあった事件だ。
上にあるのは、カネカが事件後に発したIRである。これを読んだハイレベル増田民の方々は、おそらくこう思われたことだろう。「これは現役社員へのメッセージでもある」と。
現役社員に対して、カネカは裏のメッセージを伝えている。「育休を取りたいなら取っていい。彼と同じ運命をたどる可能性はあるが」という、表にできない本音だ。
なお、IRの中味自体も信ぴょう性がないことに注意すべきだ。ここに書かれていることは、カネカの外部から確認できるものではない。カネカ内部の細かい部分の意思決定(男性社員への処遇の理由など)は調査を受けてもバレようがないため、IRに嘘を書いている可能性もある。いや、外部から確認できない時点で嘘ではない。『カネカにとっての真実』である。
https://president.jp/articles/-/25254(プレジデント)新卒1年目で解雇された地方公務員の主張
地方公務員の例になる。今は有料記事になっていて途中までしか読めないが、要約すると、「四国にある本山町が、社会人適性の低い職員を試用期間で解雇した」というものだ。公務員のクビを切ることは普通は不可能であり、この本山町も、「今しかない」と決死の思いで断行したのだろう。
裁判に訴えれば、この男性は免職を回避できたのではないかと感じる。試用期間においても解雇権濫用法理が適用されるからだ。困った時に誰にも相談しなかったり、相談相手を間違えたり、相手の言うことを鵜呑みにすると彼のようになる。身につまされる記事だった。
2021/1/4 これ以下(約500字)を修正
参考先としたブログを書かれた方が、当項の内容が正しくないものと認識されていることがわかったため修正します。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
この項の要約(抜粋)は次のとおり。
・〇〇商事とか、〇△重工とか、△△電工とか、誰もが知っている一流企業にあっても、上で述べた本山町のような社会的間引きを行っている。適性のない人間を採用してしまった場合、組織としての非を認め、当人に退職を促す。
・K市の採用試験では、一流企業を辞めて試験を受けに来る人を疑ってかかる慣習があった。それも当然であり、採用後のハズレ率が7割を超えているからだ。たとえ一流企業の出身であっても、社会的間引きに遭う人間が活躍できるほど公務員業界は甘くない。
欧州に住んで数年、欧州が日本よりも遅れていると感じさせられることは頻繁にあれど進んでいると思ったことはほぼないし、Veganや環境保護とかはイマイチ共感できなかった。けれど、なぜか多様性云々に関してはすごく魅力的というか「正しい事」のように聞こえた。まあ自分も小学生の頃から見た目のことで色々言われたりとかあったからかもしれない。元々政治的信条なんてなかったけれど、所謂リベラル的な思想になっていたと思う
ある日、ぶらっとエジプトへ行った。小学生の頃に家族で韓国に行ったことはあったけれどあまり覚えてないので発展途上国を体験するのは実質初めてだった。(エジプトは北アフリカだしあれでもかなりマシなはずなんだよなと思うと色々と考えさせられる)二日目あたりで「みんな平等✨」みたいな考えは消え失せていた。そもそもまず歩いているだけでこっちが差別される国で「平等✨」も何もあったものではない。
通りすがりの現地人からいきなり写真撮られたりとか、しつこい声かけとか(日本人の想像と理解の範疇を超えたしつこさなので、日本人が想像できる「しつこさ最大値」の7倍しつこいと思って欲しい。それでも足りないくらいしつこい。この世界は実は作り物で、バグったNPCだらけのところに来てしまったのではないかとすら思った。)、挙句に襲われかけたりとか、ああ……もう何も考えたくなかった。
舗装されていない道をトボトボ歩いていると、なんだかよく分からない臓物だか羊の頭部だかを焼いている店のおじさんが棒で幼稚園児くらいの子どもを叩いていた。「こんな人たちだらけの国に私は住めないなぁ」という考えが真っ白な脳の中にポツンと浮かんでいた。「そんなことを思っちゃダメだ」とも一応思ったけれど、エジプト人の圧倒的なしつこさパワーの前に、西欧によるリベラル洗脳はすごく無力だった。(でもこいつらをこの前まで支配してたってヨーロピアンってやっぱ桁外れの野蛮なんだなとか謎の納得もしていた)
正直に書くと、現地の人が本当に気持ち悪かった。
エジプトに住んでいる日本人とか、カイロ大を主席で卒業した日本人とかいるらしいけれど、シンプルにすごいなと思う。もしも日本でエジプト人と知り合ったとしても、その人が生まれ育ち日本でもない限り私はその人を絶対に信用しないだろうなと思う。エジプト人全員が詐欺師じゃないとか、旅行者にだけああなのだとか、もちろんいくらでも反論は思いつくけれど、それでも無理。自分は差別主義者だった。狭い世界しか知らなかったから綺麗事の咲くお花畑でうっとりしていられただけだったのだと気付いて悲しかった。しかもたった数日エジプト旅行するだけで気付ける簡単なことすら気付けない自分のアホさ加減にもうんざりした。
10日目、空港で帰りの飛行機を待っているときの安心感。エジプト旅行の一番楽しかった瞬間は帰りの飛行機が在住国に降り立ったときであった。
結局多様性多様性言ってる人は無知か偽善者かどちらかなんだと思った。もしかしたらそれ以外の何か(共産主義者とか?安い労働力が欲しい・かつ彼らが住んでいる地区には間違っても移民が来ないような大企業のお偉いさんとか?)があるかもしれないけれど、自分にはよく分からない。日本の多様性を増やすべきだと日本で叫んでいる日本人はエジプトかどこか(どこでもいいが)に勝手に移住してそこの多様性増加に貢献したらいいと思う。
たまたまエジプトは分かりやすかっただけで、現実、他の国であっても日本とエジプトとの差と同じくらい日本とは違うんだろうなと思う。後、エジプトのことは今もすごく嫌いだし二度と行かないけれど、それはそれとして彼らが日本より劣っているとは思ってない(むしろ向こうからは思われてそうではあるが‥異教徒だし)ただ、違うというだけのこと。
神の与えた生を冒涜するなど、許されない。
いろいろ言い方はあるけど、言ってることは同じです。「道徳的に生きる方が正しい」。
なんでそういう道徳があるかというと、そうしなかった国や地域は滅びたからだよ。
「死が救済」とか言ってた宗教の連中は全員いなくなった。
だから道徳は絶対にお前の死を認めることはない。認めて欲しいとかいうだけ無駄。
こっちが本質なんだけど、これじゃお前は納得ないだろう。
お前がどんなに自分のことを無能だと感じ、またそのせいで苦しんでいると訴えても
労働力は必ず正の数で存在し、お前が生きて働いて消費いることは全体にとってプラスでしかない。