そういうことか。
アフリカのとある地域や発展途上国では、いまだに「子供をたくさん産めない女性は石女と呼ばれる」に近い価値観がある。古き時代の日本には確かに、女は子供をなるべく沢山産んで育てることが仕事、多ければ多いほど優秀、という価値観があった。多産で、当時は兄弟が6人とか14人とかそういう家庭が多かった。
同時にこの時代この地域では児童労働も多かった。子供は労働者だった。10歳くらいから働いた。よく働く子が偉かった。死亡率が高かった。当時は、我が子が死ぬのは当たり前。それに生まれた全部が働き者の几帳面な子供とは限らなかった。たまに口の利けないのや、怠け者や、おかしいのが生まれた。そういう子供は売ったり、殺したり、隠したりして、間引かなければならない。死ぬこと前提で沢山産む必要があった。子供は大きくなったら親孝行をするものだった。子供は、産めば働いて家計を助けてくれ、子供を産めば産むほど老後に親孝行してくれる蓄えができる。
要するに子を産むとは、労働力を得ること、年収を増やすことであり、老後の貯金だった。
もうお分かり、当時の女性には大きなミッションがあった。わざわざ働きに出て小さな日銭を稼ぐなんかよりももっと巨額の安定収入を得るというミッションが。子を産み、労働力=年収=老後の貯金を得ることである。女性は神様である。金のなる木である。そして貴重な労働力を殖やせる重要な村の資源だった。
産める女性は神様だ。では、産めない女性は、乳の出ない牛と同じである。彼の言葉は100年以上も昔に形作られた、女性神話の系譜を現代にも継ぐ、貴重な歴史的メッセージなのである。
^^ anond:20220104114443
産む機会という言葉の意味を分かっているかな? それは女性崇拝の話なのである anond:20220104114443
うーむ
産む機械とはどういう意味なのかを教えてあげよう。 anond:20220104114443
「女性一人当たりの出産人数を機械的に算出した場合」の意味だぞ