青色LEDの時から思っているのだけど、発明した人の価値って本当にそんなに高くていいのかな?
例えば小さな研究機関にいて同じものが発明できたのかどうかって疑問だよね。
さらに言えば、発明できたとして、それの権利を守りながら流通させられたのかどうかという問題になってくる。
そんなことは当然個人の限界を超えた対応が必要なのだから、やっぱり発明した人の価値ばかりが騒がれるのはすごく違和感がある。
昨今のデザインパクリ問題についても同じような疑問があって、例えば本当にロゴをパクってたとするよ。
でも、地方の劇場でしか使われないようなデザインを、世界的なオリンピックという舞台に相応しいデザインとして取り上げた功績って本当にない?
違法性うんたらの話をしたいわけではなくて、あるべきものをあるべきところに配置するセンスってすごく価値が有ることだと思うのだよね。
トートバッグだって、使用料を払わなかったのは問題だけど、素材を選ぶセンスと配置するセンスがなければできないことなわけじゃない。
音楽にもパクリ問題がよく話題に上がるけど、ほとんどの場合、確かに存在はしているけどそのオリジナルなんて聞いたことがなかったりするよね。
海外のどこか片隅で聞いたことのある音楽を、日本で流行る!って持ち込んで受け入れられるようにアレンジできることってやっぱり価値が支払われるべきことだと思う。
生み出すことに価値がないとは言わない。
だけど、それがどんな場面で使われようが、自分には一定の対価が支払われるべきっていうことにはすごく違和感がある。
それよりも、それを見つけ出して今の世の中で使える形にアレンジして、それが受け入れられたとしたなら、はっきりいって生み出した人に支払われるべき取り分なんて些細なんじゃないかな。
無断は良くないってみんなは思うかもしれないけど、中途半端に法整備されてるから無断で使ったとはいえないし、かと言って作者と交渉どころか連絡すら取る手段がないときだって沢山あるはず。
それが原因で良質な作品が生み出されるきっかけを失うことのほうが世の中にとってよほど大きな損失だと思うのだよね。
そんなことはない。どんな場面でどんなアレンジして使われようが、オリジナルを制作した人間には一定の対価が支払われるべきだって人。
あなたが生み出すものは本当にあなたが全て0から生み出しているものですか?
それらを最初に提唱した人に、常に対価を払い続けることが正しいと思う?書籍代払ったかららチャラ?
今回のパクリ騒動を声高に叫ぶということは、むしろこの辺のライン引きを加速させてしまうことになるような気がするんだよね。
タダ乗りがしたいわけではなくて、もっと自由にアイデアが行き交う時代になって、もっと自由に色々なものが生み出される時代になってほしいということ。
適材適所を見抜ける才能がある人間が、もっと評価される時代になってほしいということ。
そのほうが、世の中はもっと良い方に加速していくと思うんだ。
わかってもらえないかな。