「凄さ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 凄さとは

2021-07-28

競泳大橋悠依選手凄さ

競泳には選手同士の「格」みたいのがある。4つの泳法全てでトップクラスであることを求められる個人メドレーがその中でもトップにあり、メドレーの選手というのは競泳選手の中でも特に尊敬され畏怖される存在である

その個人メドレーには200mと400mがあり、これらは全く別の競技だという人もいるくらい求められる能力が異なる。

200mは4つの泳法全てで世界トップレベルのテクニック要求される。泳ぎのスピードが求められることもちろん、ターンの上手い下手で大きく差がついてしまうのでテクニカル能力重要なのであるテクニシャンが勝つ競技である

一方の400mは200mのスキルに加えて体力、持久力がとにかくものをいう。ターンが多少劣っても体力があれば追いついてしまう。考えてみてほしい、400mとは25mプールを16回分だ。水泳としてはとてつもなく長距離なのである

大橋悠依選手はその両方で金メダルを取ってしまった。オリンピック史上これを両制覇したのは大橋選手が史上初である。とにかく偉業なのである

しか大橋選手は持病の重度の貧血を克服しての金メダルである

大橋悠依選手、本当におめでとう。

女子卓球伊藤美誠選手凄さ

混合ダブルス金メダルで分かった伊藤美誠選手凄さ

1試合7ゲームのうち、伊藤選手最初の2ゲーム相手技術に全くついていけずに返球できないケースが多発していた。

ところが3ゲーム目で相手のクセを飲み込み、スピードに追いつき、4ゲーム目以降では完全に返球できる身体対応した。

もともと混合ダブルスというのは、男子選手の打つ球を女子選手が返球しなきゃいけないという過酷ものだ。

男子女子では握力でさえ倍くらい違うからそもそも同じ戦場で戦うのは物理的に無理があり、だからこそ男女別になっているのである

ところがこの混合ダブルスという試合男子選手の打つ球を女子選手が受けなきゃいけない点でとても難しい競技なのだ

それを伊藤選手試合中のわずかな時間世界ランク2位の男子選手の豪速球を受けられるレベルまで「成長」してしまった。この順応の速さが伊藤選手凄さである

若さってこういうことなんだろうなあとも思う。それを分かっていて伊藤選手にチャンスボールを与え続けた水谷隼選手も凄い。

金メダル本当におめでとう。

2021-07-27

性的要素がなければ女子ビーチバレーなんて誰も見ないだろ

純粋スポーツ凄さを楽しみたいなら、男子バレーボールを見て楽しめばいい。

女子バレーボールは、男子に比べて大分レベルが劣るが、「女性」という性的要素が少しあるから、まあ見てられる。

さて、問題ビーチバレーだが、バレーボールより数段レベルが劣った選手の集まりで、その中にさら女子となれば、

男子バレーボールトップやってる選手から見えばお遊戯レベルだろう。

そんなお遊戯レベルプレーは、素人からしても見れたもんじゃない。

からビキニ着て、性的要素を出して男の目を楽しませる。

その競技団体努力の結果として、ここまで競技が拡大したんだろう。

こんなの暗黙の了解で、競技従事している関係者なら誰もが理解してることだろう。

そんなのに、突然「わたしたち性的視線で見られたくない!性的搾取被害者だ!キリっ!」ってされても、説得力ゼロなんだよ。

それなら、お前ら実力磨いて、女子バレープレーしろよ。

できないから、レベルが低くて、性的要素というゲタが履けるビーチバレーをやって、それで金なり名声なりをそれなりに得てきたんだろう。

空っぽで、「性」で売って露出して、散々ワガママして、金も名声も利権も確保した女子アナが40代になって「性的搾取被害者」になって、

フェミになるケースと同じ。

利益を得た後で、それを批判する姑息ダブルスタンダードはすぐにわかから批判されるんだよ。

anond:20210727113433

ネトウヨ日本の歴史を誇ったり、パヨク中国凄さを誇るのと一緒

何もない人間自分と同じ要素を持つ誰かや何かに自己投影して、その喜びを味わおうとするんだよ

anond:20210726220907

現役選手でありながら人気ユーチューバーチャンネル内でも色んな人とスパーリングしてる朝倉未来とか

アクション俳優でありながらウェイブという技術マスターしてその技を自分チャンネル披露している、 坂口拓とか

漫画とかその時話題になっている技を動画検証してみて実際に自分試合で活かそうとする現役選手矢地祐介とか

TikTokとかで人気のワンインチパンチを使いこなすジークンドーの使い手の石井東吾とか

日本空手とか躰道とか八極拳とかの類を本人達解説付きで動画化してるKuro-obi worldとか

朝倉未来の影響でYouTube始めたその他の格闘家とか

 

YouTube見てるとそういうオカルトじみた格闘家動画がいっぱい見れるよ!

 

勿論、骨法もあるけど古い動画しかないよ!

僕が好きなのは古武術の奴!動画で見ても地味すぎて凄さが分かりづらい!

合気道もおんなじ!ひょろいおっさんがヒュってやったらバターン!って事の繰り返しでなんか地味!

 

もっと言うなら中国太極拳師範代総合格闘技選手と戦ってボォッコボッコにされた動画とか全世界に広まっちゃったから下手な格闘技が「はいはいダイエットの為の変な運動ね、実際の格闘では一つも使えない奴ね」と解釈されるわけで

 

こういう感じでYouTubeとかで検証される為、オカルト的な受け継がれ方はしないんだと思う

 

現代でそういう文脈で受け継がれるとすれば坂口拓がやってるウェイブとかなんでしょうね、もっと行って躰道とか、地味な面白さで言えば元ピーマンズスタンダードみなみかわがやってるシステマとか

あいつがやってて面白そうだから俺らもやってみようぜ〜システマ〜スゥーッスゥーッスゥーッみたいな感じで

2021-07-24

オリンピック開会式ゲーム音楽が使われたことの凄さを語りたい。

時は90年代小室ブームまっただ中、オリコンランキング音楽番組クラス話題として幅を効かせていた。

CDショップではゲームサントラは奥の隅の方にひっそりと置かれ、流通量も少なく、まさにマニア向けの商品だった。

好きな音楽は何?」なんて問いに「ゲーム音楽」なんて言ったら鼻で笑われる。そんな時代だった。

たまにリリースされるアレンジバージョンだったり、メディアCD-ROM媒体に変わることで、生演奏が取り入れられるようになっても、

まだミュージシャンから音楽と思われていなかったり、馬鹿にされて悔しい思いをした、なんてクリエイターインタビューを目にしたこともあった。

インターネットが発達し、ニコニコ動画あたりでゲーム音楽を身近に楽しむようになってきたぐらいから、風向きが変わってきたように思う。

オーケストラコンサートも多く開かれるようになってきた。聴きに来る人、そして音楽家が「ゲーム音楽が好き」という人が増えていった。

そして今回の開会式で、20曲近くの曲が入場BGMとして採用された。

安易だ、なんて批判的な意見もあると思うが、開会式を見た多くのゲームクリエイター特に作曲者自身が、心から喜びの書き込みをしているのが全てだと思う。

おめでとうゲーム音楽。これから世界中の人たちに愛されますように。

2021-07-21

誕生日おめでとう。

大好きだった彼は今はここにいない

彼は昨年、自らの足で立って大切な6人の仲間とデビューと言う地に踏み立った

祝福の気持ちももちろんあるが

それでも私は"あの事務所"にいる君が好きだったんだ。

他の人とはちがう異色な存在

明確な同期が存在せず、いつ入所したのか本人すら曖昧な人

常に年下の先輩と共に立つ舞台

いつまでも出来ないグループ

それでもいつの間にかあなたは彼らの真ん中に立っていた

誰もが頼りにしていた

大人にも信頼されていた

あなたがまとめあげた5人の夏

断片的に流れるあなたの強さに改めて凄さを知った

あなた存在を痛烈に眩しく思った埼玉

他の人の口から語られるあなたの話をどれだけ誇らしい気持ちで聞いていたか

やっとできた3人の、そして6人の仲間を

あなたは腕をなるべく伸ばして抱えて、支えてそして支えられていたね

強い気持ち未来を語ることはない人だった

でもそれが彼の彼なりの美学だと教えてくれた

押し付けがましいことを一切言わない人だった

思いやれる人だった

愛される人だった

まさか、そんなことないって思ってたけど

まさかあなたがこんな形で離れていくなんて思ってもみなかった

でも、一人で最後まで全うしてくれた

でも、最後まで笑顔でお別れしてくれた

あなたは間違いなく伝説だった

いつまでも、元気でいて欲しい

彼のやりたいことを、しがらみのない大きな世界で羽ばたいて欲しい

いつかまた、あの子と語る姿がみたい

いつかまた、あの人たちと同じ舞台に立ってくれたらいい。

私はもう、あの頃の気持ちと同じ想いではないけれど

あなたには幸せでいて欲しいのだ

それでも

どうして、いなくなってしまったの

どうして、あの場所はいけなかったの

どうして、今そんなに楽しそうなの

とある方がブログで、一緒に昇ることができないから降りるのだと言っていた

私もこれ以上ジャニーズではなくなってしまったあなたと一緒に昇ることができない。

ありがとう安井謙太郎

ありがとう、私の10年間

最後

30歳のお誕生日おめでとう。

いつかあなたの見た目が年齢に追い付いた時、また会いに行きます

2021-07-14

anond:20210714070842

の子凄いよね

あれだけテレビに出まくってた子だけど無理にテレビに出続けなくてもいいんだ、アイドルだって自分の夢をちゃんと追っていいんだという気持ちになれたし

 

引退する前から一つ飛び抜けた凄さがあったけど

引退してから更にその凄さが知られていったタイプだと思う

2021-07-13

anond:20210713181808

それだけ、能力者の強さ・凄さを際立たせたい、比較したいってのがあるんだろうなぁ。

2021-07-10

酒飲みは酒を飲まない人間凄さもっと認識すべき

禁酒をしている。と言ってもやっと3週間目だが。

これまで毎日のように酒を飲んでいた人間にとって3週間の禁酒はとても長いようで、体が少しずつ酒を飲まない人間のものに近づいてきたのか、大きな変化がいくつも現れて困惑している。

どこの禁酒ブログにも書いてあるような体調の変化については省略するが、最も大きな変化について書きたい。

それは、欲求が溢れ出て止まらなくなっていることだ。

食欲、性欲、金銭欲、そして何より承認欲求。それら醜い欲求が酒を飲んでる時に比べて明らかに増している。

これまでは1人でいる無為時間の寂しさを酒が誤魔化し、スキップしてくれていた。翌日もその翌日も寂しい人間であることは変わらないのだが、その事実直視せずに済んでいた。

酒を飲まなくなり、自分が如何に寂しい人間であるかを直視せざるを得なくなって、その結果なのか承認欲求が凄まじい。

昔ながらの宗教が酒を厭うのは酒を飲みたいという欲求と戦うためでなく、酒によって誤魔化されていたもっと強力で多様な欲求と正面向かって戦うためなのかと気づいた。

これまでは承認欲求を満たすために異性を求めたり、SNS時間を費やしたりする人間馬鹿にしていたが、どうやら本来の私はそちら寄りの強欲な人間であったらしい。それをアルコールが包み隠してくれていたようだ。

そして社会には酒も飲まず、異性やSNSにも居場所を求め過ぎない、依存していないような人間が数多く存在している(ように見える)。

酒を飲まずに1人の時間と戦う彼らの凄さを讃え、もっと多くの人に認識して欲しい。彼らはかつて宗教の中で欲求と戦った聖人と同じくらい立派な人間だ。

私はそうはなれない。これからは何に依存しようか。

2021-07-08

原作より面白かったアニメってあるの?

映画結構ある気がするんだよな。

厳密に言うと「ニッチ向けだった原作大衆向けかつ超リッチに作り変えてレビューの平均点で圧勝」みたいなパターンだけど。

アニメだと基本的劣化コピーしかなってないよね。

鬼滅は売上凄かったけど、アニメのほうが面白かったかと言われると疑問以外浮かばない。

ワンピナルトも最終的に作品凄さ原作の売上としてアウトプットされたわけだし。


まあ、表題に沿った作品釣りだすだけの増田やったけど、一応模範解答ぐらいは出しておくわ。

忍空、な。

2021-07-02

anond:20210702215408

トイアンナさんの論には、オタク表現女性への抑圧って問題意識がある。

元増田の論には、フェミニズム家事育児の困難さや凄さを上手く評価できないって問題意識がある。

 

ギャグで言ってんの?🤔

 

でも案外、本気で言ってんのかもな

フェミニズム論では無いのはもちろんだが男女厨ごっこですらなかったということか

 

ネット話題にいっちょがみしたいだけね

anond:20210702194201

数なんか関係ない、無視できないお前の問題だよ

いや、誰が誰のための論を語っても自由なはずだ。

トイアンナさんの論には、オタク表現女性への抑圧って問題意識がある。

元増田の論には、フェミニズム家事育児の困難さや凄さを上手く評価できないって問題意識がある。

この点確かに腐女子粘着増田の論には「なぜ困るのか、無視ではダメなのか」が欠けている。動機の部分がよくわからない。女性思考自分の気にいるように矯正したいとしか見えない。

でもそこにお前が無根拠人格否定しても何も伝わらないだろ。彼の心が傷つくだけだ。

2021-06-22

anond:20210622132448

かじったこともない競技とか人が走るだけの競技とか見たい気持ちにならないね

やったことがあれば多少選手凄さとか判断テクニックが楽しめるけど

この2年でスポーツ選手への尊敬の念は消え失せた

自分マラソン趣味でやっているので、子供の頃はつまらんかったマラソンTV放映とか箱根駅伝が楽しめるようになり、そこに出場している選手凄さも分かるようになった。

そしてそれ以外の競技への尊敬も増えていき、デブが木の棒振ってるだけに見えてた野球見方も変わった。

しかし新型コロナオリンピックのゴタゴタで全部消えた。結局身体能力がどんなに凄くても知能は義務教育以下だった。むしろ勉強を捨てないと彼らのようなトップにはなれなかったのだろう。

現役選手ポジショントークもあるだろうが、現役を引退した元選手とかは後進の為とはいえ中学生レベル脳筋発言を平気でやっている。まさに「力こそパワー」が背広着ている。

今のペナントレース駄々こねたデブおっさんが木の棒振ってるだけに見えるし、マラソンとかの陸上競技も見る気が失った。ゴルフ共々地上波から消え去って欲しい。

本当に賢かったらオリンピック後の事を考えると思うのだが残念だ。恐らく3日先くらいしか考えられないのだろう。

2021-06-21

anond:20210620032759

いつも思うんだけど、普通にピアノの鍵盤を使ってゲームにしたら、音ゲーマーからラフマニノフを超えるような名ピアニストが生まれそう。

音ゲーって「音を奏でる」んじゃなくて「奏でられた音に合わせてボタンを押す」だけだから凄さ分からんのだよね。

2021-06-18

YOASOBIはアンコールを聞け

夜に駆けるばかりがかかりすぎているけど、YOASOBIの良さが最も詰まっているのはアンコールという曲だ。

音楽ちゃんと習ったことはないけが、これは断言してもよい。

YOASOBIの真骨頂ミニマルミュージックにある。

ミニマルミュージック定義自体曖昧な部分もあるが、基本的にはある特定の短いメロディリズムを周期的に繰り返し、それが少しずつ変化していく様子を楽しむという音楽ジャンルだ。

さて、ここでミニマルミュージック代表的一曲を紹介したい。

それがThe wind forestである

となりのトトロ「風の通り道」と言ったほうがぴんと来る人は多いだろう。

久石譲代表的な曲の一つであり、そして久石譲こそ、ミニマルニュージックの第一人者でもある。

このThe wind forestミニマルミュージックだと考えている人は実はそれほど多くない。

その理由は単純で、ミニマルミュージックしからぬドラマティックな展開と、サビのゴージャスさがこの曲にはあるからだ。

しかし、そうした演出面を削ぎ落とすと、この曲自体は実にシンプルメロディライン構成されていることがわかる。

その点だけに焦点を当てればこの曲は間違いなくミニマルミュージックであり、しかし、その定義に縛られないくらいに万人の心に響く曲として完成したのがこのThe wind forestである

まり久石譲ミニマルミュージックを突き詰めた末にたどり着いた一つの最終形がこの曲だと言えるのだ。

ミニマルミュージック面白さは、繰り返しと裏切りにある。

人間という生き物は何事に対してもパターンを見出そうとする習性がある。

その習性を逆手に取って、ほんの少し裏切ることで、人はそこに意外性という面白さを見出すようになる。

ミニマルミュージックは、まさにその意外性をひたすらに楽しむ音楽だと言える。

ではなぜYOASOBIの楽曲ミニマルミュージックで、YOASOBIの楽曲ミニマルミュージックとして完成度が高いのかを説明したい。

平たく言うと、昨今の一般的アーティストは曲の幅をもたせようとしたとき、あれでもなくこれでもなくとにかく詰め込もうとする。

展開を激しくしてその落差が才能であるかのような見せかけをしようとする。

聞いている側の人間は、そんな発想はなかった!と、それを才能だと勘違いする。

当然だ。自分を含め、音楽を聞くことはしても作ることをしない人間が大半だ。

料理と一緒で作る側の想像ができないから、思いもしないものが出てきただけで簡単に優れたものだと勘違いしてしまう。

音楽もそんな安っぽい市場で出来上がっている。

YOASOBIの楽曲は、まずサビがある。

そしてそのサビがその曲を作り上げる上での最もミニマル構成要素となっている。

それに対し、いわゆるAメロBメロは、そのサビを想定より少しずれた方向に展開させ、今度はそのメロディ同士がミニマル構成している。

まり一曲に、サビ、AメロBメロという3パターンミニマルミュージックが詰め込まれていて、それらを組み合わせて1つの楽曲として構成されているのだ。(それらをつなぐためのメロディ存在しているが、それらは基本的にどこかのメロディの転調である。)

それらを激しくドラマティックに展開させるわけではなく、ほんの少しずつ、期待通りから少しだけ外れるけどでも決して心地悪くならないように、とても細かく繊細に意外性が散りばめられることで作り上げられている。

そして、そうした楽曲に対して、ボーカルの幾田りらの歌声絶妙マッチしている。

彼女の声を単調と表現するのは乱暴だ。

歌がうまい=パワフルな歌唱力と考えられがちだが、彼女凄さはその歌声の安定感にある。

ある意味では機械的と捉えられるかもしれないが、決して単調なわけではない。

安定感の上に少しのゆらぎとうっかり見落としてしまいかねないような表現力が含まれている。

これを表現力に乏しいというには浅はかで、決して押し付けことなく、同じような繰り返しと思わせながらも毎回新しい発見をもたらせてくれるような実に繊細で表現力にあふれる歌声だと言える。

同じような繰り返しに見えて、ちょっとした変化や意外性に富んでいる。

そう。つまり彼女歌声のものミニマルミュージックのものでもあるのだ。

アンコール」を聞き終えた方は、次に「優しい彗星」を聞いてほしい。

夜に駆けるに比べれば展開もつまらない、メジャーでは受けないような曲かもしれないが、この曲をミニマルミュージックとして聞くと評価が変わってくる。

どこぞの評論家がYOASOBIの楽曲を安っぽいと表現していたように記憶しているが、クラッシックオーケストラが至高だとでも思っているのではないだろうか。

寿司屋に入ってフレンチのフルコースが至高だと言われても、だからどうしたとしか返答のしようがない。

恥ずかしいのはお前だ。

さて、この2曲を聞けば、YOASOBIのサウンドミニマルミュージックによって構成されているという仮説を理解してもらえるはずだ。

そうしたら最後に聞いてほしいのはこの曲だ。

ハルカ

最初からメロディがいきなり転調する様子は、まさにミニマルミュージックのそれだ。

そしてこの曲は、サビに入るときに再び大きく転調し、サビ終わりに再び、しかも幾度なく転調していく。

最近流行りの、ただの意外性を求めるだけのこびた転調ではない。

曲の最初にかかった1フレーズメロディがすべてのベースになっていて、ミニマルミュージック本来の気づかれないようなそれでいて意外性のある変化をすっとばして、変化し終わった形をいきなり見せてくるような転調なのだ

曲全体を聞き終わったとき、それが連続性のある転調と気づく。いや、気づかないでも一つの曲として心地悪くなく楽しむことができる。

そしてそれを一つの楽曲として破綻させることなく結びつけているのが幾田りらの絶対的安定感のあるヴォーカルなのだ

申し訳ないけど、YOASOBIはずっと食べず嫌いだった。

キャッチーメロディと、悪いけど面白みのない歌声になかなか食指が伸びなかった。

そんな中、夜に駆けるブームが終わった頃、埋もれていた楽曲が耳に届くようになって考えを改めた。

そして聞いているうちに、ミニマルミュージックの新解釈であるという仮説を立ててからは、俄然聞くことが楽しくなった。

誰の邪魔をするでもないようなかかりかたをしているのに、一度意識が向けばその構成面白さに引き込まれていく。

そんな不思議な魅力に気づいてしまった。今日ヘビロテが止まらない。

残念ながらこの曲調が売れる曲調ではないことだけははっきりとしている。

しかしながら、彼らの才能が詰まったこれらの曲に少しでもスポットが当たることで、彼らの才能がもみ消されてしまわないことを祈るばかりだ。

まずはアンコールを聞いてくれ。

それが面白いと思えたら優しい彗星を聞いてくれ。

その上でハルカを聞いたら、彼らの才能がどれほどのものかわかってもらえるはずだ。

才能が詰まっているのはアンコールだが、ハルカではその才能が爆発しているのだ。

ドラマティックでゴージャスな楽曲ばかりが名曲なわけではない。

現代ジムノペティといえるような彼らのミリマリズムを感じ取ってほしい。

2021-06-15

柔術の帯の色について

朝倉選手とクレベル選手が少しだけ話題になっているので書いてみる。

◎帯の色

白→青→紫→茶→黒

上に行くほど強いということ

朝倉選手は紫。

斎藤選手は茶。

レベル選手は黒。

黒以外は道場判断で帯が変わっていることがあるので過去に見た時の記憶です。

ちなみにドランクドラゴン鈴木拓さんは紫だったはずです。

一般人からすると驚異的な強さです。


◎昇級について

道場主の判断になるので習っている場所により異なります

大会に出なくても昇級するところもあります

私が習っていたところでは大会に出て最低1回優勝することが条件でした。

確実に昇級したいのであれば2回以上優勝していることが必須でした。

階級大会規模によるので断言は出来ませんが、通常2~3回は勝ち抜かないと優勝にはなりません。

同じ階級、同じ色の帯の人にだいたい5回勝つと昇級すると思うと分かりやすいかも知れません。

「1本勝ちを続ける」「無差別級で優勝する」など明らかに突出して強い場合などは例外があります


朝倉選手とクレベル選手について

レベル選手無差別級黒帯全日本で優勝しています。めちゃくちゃ凄い事です

シンプル柔術だけで言うと、スパー10回やって1~2回朝倉選手が勝てるかなというレベルです。

柔術のみの真剣勝負だと下手したら10回やって1回も勝てない可能性が高いです。

朝倉選手トライフォースという柔術で有名なところに所属しています

斎藤選手パラエストラという有名なところに所属しています

なのでお二人ともクレベル選手柔術凄さ理解しているはずです。



柔術について

とても面白いですが関節技メインになるのですぐに節々を痛めます

キックボクシングボクシングの方が社会人にはお勧めです。

2021-06-12

anond:20210612183609

向いてないもなにもないと思うんだよな

ネットという媒体があるのだから

マネタイズ方法もたくさんある

 

たとえばエロゲ。ある作家さんいわく、某ダウンロード販売サイト手数料

価格設定手数料
600円50%
700円43%
1300円31
190027%
2500円24
3900円21%

 

2500円の価格設定で1万本売れたら2千万ですぞ

1300円の価格設定で1万本売れたら900万弱だ

 

もちろん、売れること(お金を払っても良いというファンが付くこと)自体

とんでもなくすごいことで1万本どころか1000本売り上げるだけでも

十分にドヤっていいレベル凄さなのはよくよく承知しているけど

 

現実に、1万本・3万本と売り上げてる方はいるわけで

 

エロにこだわりがある人はやるべきでは?

2021-06-10

コロナワクチン子どもに打つか?

別にコロナワクチン自体否定してるわけじゃない。

イスラエルアメリカをみれば効果凄さはわかる。


生い先短い高齢者はどんどん打ったほうがいいと良いし、現役世代大人も打っていいと思う。

けど、生い先が長い子供mRNAワクチンを打つのはどう考えても危険


そもそもmRNAワクチン2008年に開発はされていたけど、どこの国も怖くて承認しなかった薬。

それをコロナからしょうがないエイヤっていって承認した経緯がある。

打ってしばらくは大丈夫かもしれないけど、5年先、10年先、20年先どうなるかは誰も知らない

専門家だって知らないものは国だって知らない。


子どもに打つヤバさは、打った後高熱が出るとか副反応が怖いとかそういう問題じゃなくて、最悪、将来子どもができにくい体になったり、何かのきっかけで免疫過剰反応起こしておかしなことになる可能性があるのがヤバいって事。


修学旅行に行かせたいか学校集団接種するとか言ってた市長いたけど、アホ過ぎんだろ。

コロナなんか10代にとってはただの風邪なんだから普通にワクチンで行かせろよ。

周りの大人ワクチン打ち終わってればいいってだけの話。ワクチン接種済の従業員旅館だったら大丈夫だろ。

anond:20210610014531

人々は実力主義の話が好きだからな。

こんなかわいそうな境遇から、一攫千金出世するみたいなストーリーが大好きなんだと思う。

から見て、彼女がいったい、社会的弱者なのか強者なのかは謎だけど、

本来はすべきなのは彼女凄さを持ち上げるのではなく、このことが新聞に載るぐらい珍しくなってしま教育格差問題視することなんだけどね。

2021-06-01

anond:20210601140943

あいう状況に巻き込まれ人間感情葛藤の描き方については

当時としては群を抜いてリアルだったぞ

今はその影響下のアニメが多すぎて凄さが分かりづらくなっているけど

2021-05-23

ベルセルク自分の話

三浦先生訃報を聞いてから時間が経ったが、ショックすぎて気持ちがまとまらないのでここに吐き出させてほしい。



高1のときベルセルク出会った。


リョナ趣味の後輩から主人公のやられが多くて興奮するから見てくれ」と勧められて以来頭にはあったが、グロが怖くて読んでいなかった。でも受験を終えて燃え尽き症候群に陥っていたから、この際フヌケの自分を変えてくれるならグロでもなんでもいいかと思ってなんとなく1巻を手に取った。


なんだ、この漫画主人公がめちゃくちゃやさぐれてるじゃねえか。自分の巻き添えになった爺さんのことも何とも思ってなさそうだし、美少女建物から落ちそうになってんのに助けないのかよ。


ジャンプ漫画の清く正しく美しい主人公しか見てこなかった自分にとっては衝撃的な展開の連続だった。


人を助けないし、自殺教唆するし、お供の妖精はいじめるし、一体なんなんだこいつは。


けれどもそういう殺伐とした殺るか殺られるかの世界観は、案外すんなり肌に馴染んだ。

これは自分の家庭環境ボロボロで、現代日本なのに親と殺るか殺られるかの戦いを毎日繰り広げてたからというのも大きいと思うが、とにかく「綺麗事で済ませない」といったベルセルク雰囲気自分感覚に合うな、という印象があった。

親の金でユニバに行くクラスメイトよりも、親代わりのガンビーノを殺しつつも愛を求める気持ちを捨てられないガッツの方が身近に感じた。


ガッツが鷹の団に入るまでのストーリーは読んでてキツかったが(親代わりの大人貞操売られてぶち殺すってどんな話だ?)、黄金時代ストーリー面白くて夢中になって読んだ。ガッツの初仕事(川沿いで奇襲かけたあと殿ひきうけたやつ)の話も、ユリウス伯爵暗殺も、ドルレイ戦も、そんなに上手くはまるわけないだろと思いつつも毎回読んでてワクワクした。

読み進める度に胸が熱くなるようなシーンが次々出てきて、この先どんな物語が待っているのかとページをめくる手が止まらなかった。

(個人的にはプロムナード館での夢の話が好きだ。「夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される」……夢を表した言葉としてこんなにも的確な言葉は珍しいと思う)


そして黄金時代も佳境に入り、グリフィスが全てを失い絶望の果てに蝕を起こす。

無数のモンスター対峙する鷹の団の見開きの絵を見たとき、初めて気がついた。


(あれ、もしかしてこの人、メチャクチャ絵が上手い?)


バカなので蝕に辿り着くまで三浦先生の絵の偉大さが全く分かっていなかったのだが、大量のモンスターと鷹の団の苦悶の表情を前に、三浦先生凄さを""分からされて""しまった。


びたびたと飛び散る内臓。好きだったキャラクター割れ頭蓋骨と、はみ出した脳みそ。どういう骨格をしているのかよく分からないがとにかく気持ちが悪いことだけは分かるモンスターの群れ。一度見たら忘れることのできないガッツの咆哮の表情。抜ける女体。死ぬほどイカした造形の新生グリフィスことフェムト


ゴッドハンドの女が「愛、憎悪苦痛快楽、生、死、すべてがあそこに……」と言っていたが、まさにその通りだった。読んでるだけで頭がおかしくなりそうだったし、自分体験したわけではないのに脳みそ上下に全力で揺さぶられたような衝撃で心がめちゃくちゃになった。


蝕のシーンがショッキングすぎてトラウマになり、心ここにあらずな日が続いた。授業も全部上の空だった。何をしていても蝕のことが頭をちらついた。あん凄惨光景は二度と見たくないと思うのにもう一度触れさせるような、魅力を越えた魔力があった。蝕の絵は、麻薬だった。


蝕のショックから正気に戻った後は坂を転がり落ちるように、その時出ていた最新刊(36巻だったかな)まで一気読みした。蝕以上にショックなシーンはなかったが、ただただガッツの行く末を見届けたくて、三浦先生の絵が凄すぎてもっと見ていたいという気持ちが強くて、一心不乱に読み続けた。

(個人的には蝕以降のエピソードだとロスト・チルドレン(偽エルフの谷)の話が好きだ。エルフ女王の造詣がクリーチャーとしてクオリティが高すぎるし、女王になった女の子の親父が自分父親そっくりで「ああ、いるいる、こういうくそ野郎」「不幸な家庭があることをぼかさずに書いてくれるんだなあ」と、汚いことも忌避せずに描いてくれる姿勢に信頼が置けたからな)


やがて奨学金を借りつつも大学生になり、バイトを始め金に余裕が出てきたので、スイパラのコラボも行った。

普通なサンリオみたいな可愛いものコラボするようなところがなんでベルセルクコラボした?と思わなくもなかったし、店内にはファンシー雰囲気にはミスマッチキャプ画が張られてて一種異様空気が漂っていた。

どう見てもベルセルクファン自分場違いじゃねえか。コースターポスター目当てで行ったが終始いたたまれなかった。

注文したベヘリットチョコケーキ普通に美味かった。まあ中身スイパラだもんな。



そんなこんなでちょろちょろベルセルクコンテンツに触れたり、他の漫画アニメ浮気したりしつつ、ずっとベルセルクは続いていくんだろうな、早く次の巻出ねえかなー、でも三浦先生には無理しないでほしいしな……と思いながら、年1ペースで出る単行本を追っていた。



2018年の40巻発行から続刊の報が入らなくなって3年目。

相変わらず知り合いに「ベルセルクは良い漫画から読んでくれ、トラウマになるとは思うが読まずに人生終わるよりいいと思う」と吹き込み続けながらいつも通り41巻発行の報を待っていたある日、そのニュースは訪れた。




三浦先生、ご逝去享年54歳。




何が起こったのか全く分からなかった。職場トイレにいたのにどういうことなのか分からなくてしばらくぼうっとしていた。胸の上にどすっと重たい何かがぶつかり、心を胸の内側から弾き飛ばししまったようだった。


もうベルセルク新刊は出ないのか。もう、三浦先生のお描きになった素晴らしい新作の絵を見ることはかなわないのか。


そのことが信じられなくて逃げるように仕事に戻った。全く効率は上がらなかったが、何もしていないよりかはましだった。

けれども何をやっても三浦先生がこの世にもういらっしゃらないのだと知らされた衝撃が消えることはなくて、明日会社に行くのをやめようかと一瞬考えた。


仕事を終え、訃報を聞いてから4時間ぐらい経ったあたりで、自分もっとお金を落としていれば、先生に美味しいものを食べて気持ちよく寝てもらってと、健康的な生活を送ってもらえたのではないか自分を責める気持ちが湧いてきた。

もちろん自分高校生ときには既にベルセルクは大ヒット漫画だったし、その時点で三浦先生ポケットにはベルセルクマネーがドカドカ入っていたのだろうからファン一人がたくさんのお金をつぎこまなかったからこんなことになったというのは馬鹿げた考えだというのは分かる。

だがそんな考えが浮かんでくるぐらい、自分にとって三浦先生訃報がショックだったのだろう。


結局当日はショックを受け止めきれず、友人に話を聞いてもらった。

自分にとってベルセルクがすごく大事作品だったこと、もう二度と続きが出ないなんて信じられないこと、自分を責める気持ちになってしまたこと。拙い言葉での話だったのに、友人は最後まで黙って聴いてくれた。

それで大ベルセルク展が9月に開催されるから絶対に行こうと思っていることを伝えると、友人は穏やかにこう言った。


「そうだね。でもたぶん売り上げは関係者のところに行くと思うから、ご家族とか近しかった人に届くと思うよ」


この一言が、沈んだ心を救ってくれた。


三浦先生ご本人には届かなくても、近しい方には届くのか。

一般的に言って、亡くなった方が気がかりなのはなんといっても残された家族のことだろう。自分の金が三浦先生のご家族のところに行ってその生活に役立つというのなら、天国におられる先生安心してお休みになられることに繋がるはずだ。


ショックで放心状態になっていたが、友人のおかげで「大ベルセルク展で金を落とす」という目標ができた。


今年9月に大ベルセルク展が無事開催されたら、ガッツマウスパッドと複製原画烙印ピアスを買おうと思う。そのためにいらないものメルカリで売って、給料から天引きする形でささやかながら貯金もすることにした。三浦先生がお亡くなりになられたショックは消えたわけではないが、今から少し楽しみだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん