はてなキーワード: 主犯とは
もしも家族会議をやるから集まってと言われたら、俺はどうふるまえばいいのかわからない
話には聞いたことがある
借金や進路やすれ違いやもめ事など何か重大な事象があったとき、家族が総員顔をそろえて課題に対して意見を述べ、すり合わせた答えを家族の総意とするのだろう
でも俺の家では一度も開かれていない
それとも俺の知らないところで開かれているのだろうか
ヤクザに因縁つけられて数十万円払った話とか、学級崩壊の主犯だった話とか、大学への寄付をめぐるあれこれとか、そんなトラブルは全部あとになって聞いた
まあ俺に意見を求めてグダグダになるより、内々でやりくりする方が手っ取り早いのは確かだろう
ただ、ほとんどの家庭で家族会議が行われているのだとしたら、俺は誰の家族にもなれないような、仲間外れにされたような気がして仕方ないのだ
6年付き合って別れた人のことについて振り返ろうと思う。
私は、仕事を頑張りすぎて鬱になった彼を突き放したひどい女である。
彼はとても頭が良くて、ユーモアがあった。
YouTubeもお笑い番組も、彼が見ていたから私も見るようになった。
私ではとても入れないような優秀な大学の中でもずば抜けて優秀な学科に通っていた。
浪人していたことをコンプレックスにしていたけれど、多浪も多い、しばらく不正入試で話題になっていたあの業界である。
と笑って話していた。
ともよく言われたけれど、地方国立大の底辺と頂点ではえらい違いだというのはよくわかっていた。
私と彼では業界は違うものの、大学に入ってしまえばもう道が決まっており、選択肢は基本的に一択しかない。それに抗うよりも従った方が効率がいい、というのは共通していた。
とはいえ、できれば従いたくない、抗いたい、という思いも同じだった。
先に従うことを決めたのは彼だった。
命を救うという大それたことに戸惑いを感じながらも、逃れられないのだと覚悟を決めたようだった。
医学部の中でも地元では最高峰の大学を卒業した彼は、初期研修の時期に救急医療の技能を身につけたいと、かなり忙しい病院に就職した。
あとから、全国の中でも忙しさは指折りだったということがわかってきた。
いつ鳴るかわからない携帯を抱えて家に帰ってくる。鳴らない日も多いものの、鳴るかもしれないという緊張感から逃れられない。
大学時代の友人と会って話をすれば、同じ業界にいながらも自分ほどは忙しくない様子になんともいえない虚無感を感じていたようだった。
はじめはその忙しさでさえ楽しんでいるようにもみえたが、どんどん疲労していくのがわかった。
もともと変わった言動の多い人ではあったが、お金を手にし、時間のない中で、それまでの質素な暮らしから変わっていった。
学生時代は通学定期券代を払うために家の電化製品を売るなど、本当にお金に苦労していた彼だったが、
働きはじめてお金を手にすると、
、というから驚いた。
病院では感染予防のために使い捨てのものも多いとは思うが、まさか靴下を使い捨てにするとは。
嫉妬や多忙、疲労が渦巻く闇に彼が飲み込まれていくようだった。
相手を思いやるつもりでかけた言葉なのだろうという上司の言葉でも、選び方が下手すぎて傷ついていく彼がいた。
癒されている余裕はない。
生活を立て直さねばという思いから気晴らしにコンサートに出かけようと計画をしたこともあった。
しかし、チケット購入まではできたものの当日会場に行くことはできなかった。
彼の優秀さに惹かれていたが、医者であってほしいとは思っていなかった。
彼の生活を支えるために、私はなるべく早く仕事を切り上げて、彼の家に向かい、掃除、洗濯、料理など身の回りのことをした。
多いときには週4日は彼の家にいた。
移動だけでもしんどかった。
仕事が終わる時間が夜8時前であれば家に帰らず、高速に乗った。
夕飯の買い物を済ませ、洗濯を回し、時間があれば掃除をして、夕飯を作る。
彼は、10時に帰ってくることもほとんどなく、日付を超えることも多かった。
はじめは起きて待っていたが、体がもたなくなるため、そのうち仮眠をとりながら待つようになった。
彼が帰ってきたらご飯を食べ、片付けをして、夜食を作り、彼が寝てから家に帰る。
次の日も仕事であることを考えれば、夜のうちに帰れば道が空いているため移動時間が短い。
うっかり彼と寝てしまうと、遅刻との戦いになり、冷や汗をかく。
そうすれば、周囲の理解も得られ、少しでも楽になるのではないか。
そう思いながらも、結婚は遠かった。
朝日が昇るかどうかという時間帯に高速に乗って帰る日々は決して楽ではない。
私が住所を置いていた家と、彼の住む家との生活圏は全然違っていた。
自分が苦しいとき、しんどいときに、いつも苦しんでいる彼に頼ることはできなかった。
頼ろうと思ったこともあったが、結果ストレスが増えるだけだった。
風邪で辛いから長ネギと豚肉でビタミンをとろう、簡単に作れるように鍋にしようと買い出ししたのに、あとは切って煮るだけなのに
幸い、職場環境には恵まれており、自分が苦しいときは力になってくれる職場の同僚がいた。
いつか結婚するのだろう
そうすれば、きっと楽になれるはずだ
と未来に希望を抱いていたとき、彼から勧められて読んだのが、闇金ウシジマくんだった。
正直、私はウシジマくんが好きではない。
ウシジマくんよりはナニワ金融道の方がまだ、よい。
勧められて仕方なく読んだのが、洗脳くんだった。
私はそれまでこの事件のことを知らなかったが、内容が衝撃的すぎて、受け止めるのに時間はかかったものの、事件について少し調べた。
親族を殺させ、そのあと処理をさせる。
なぜこんなことに、なぜ、なぜ、…
どうしたら回避ができた?
どうしたら、
恐ろしかった。
一般的な家庭で、よくあることだと思っている。
女は男を立てるもの。
ウシジマくんを読むまでは、それでいいと思っていた。
正直、男性に対して少し馬鹿にする意味合いも含んでいたと思う。
従っているそぶりを見せておけば満足するなんて浅はかな人たちだ、くらいに思っていた。
男性は偉そうな態度を取るのが当たり前だと。
でも、それでいいと受け入れている感覚こそが、あの事態を招く可能性を秘めているのではないか…
そう思うようになった。
もし何か踏み間違えたら、わたしはこの渦中にいてもおかしくない。
人を信じることは素晴らしいことで、疑うことはいけないことだ思っていた。
性善説を信じてきた。
でも、世の中には、信じ続けて、従い続けて、それがこんなことになってしまった事例が事実として存在している…。
これまで信じてきたことを覆されたような気がした。
私は彼を信じていてよいのだろうか
その先に結婚はあるのだろうか
北九州連続殺人事件は、主犯である内縁の夫がいなければ起こりえない事件である。
しかし
妻が、盲目的に信じていなければ、もっと早く外に出て意見を求めていれば、思考停止になっていなければ、…
ちはやふるの序盤、小学生時代の話の中で、(記憶がおぼろげなのでセリフは正確ではないことをご容赦願いたい)
ちはやが新に
私の夢はお姉ちゃんが有名になること
と無邪気に話すと、新は
という。
彼が医者として立派に働くことは、彼の夢であって、それを私の夢にしてはいけない。
ほんとうに彼を信じていいのか
その先に幸せはあるのか
2人の幸せを追求するのであれば、私は医者を辞めて欲しかった。
けれど、彼は医者であり続けることを選んだ。
私は人生の最大の危機を、闇金ウシジマくんに学び、ちはやふるに救われたと思っている。
2年前、彼と別れ、今の旦那と出会い、結婚し、もうすぐ第一子が産まれる。
あのとき夢みていた穏やかな生活の中で、クリスマスキャロルを見て、ケーキを食べている。
ときどき、よそのお家の、家事育児に非協力的な旦那さんの話を耳にしては、もしあのまま前の彼と結婚していたら…と想像する。
家庭内を殺伐とした戦場ではなく、落ち着ける安心できる場所にしてくれたのは今の旦那である。
私よりも育児書を読み、妊婦のためのレシピを調べ、作ってくれる。
ほんとうにありがたい。
誰か家庭をみてくれるような人の支えなくしては出来ないような働き方を望む会社はこの先も存続していくのだろうか。
その犠牲となり、苦しんでいる人たちはどうしたらいいのか。
今となっては知る術もないが、身を粉にして働かれている方々に救いのあらんことを。
茂木健一郎が先日の武智・久保田によるM1暴言騒動にコメントした、というニュースがヤフーで流れていたので例のごとくコメント欄を見たら案の定「こいつはダメ」「論点ズレてる」という意見と「今回の騒動の問題は云々」という意見があった。
■「こいつはダメ、何も分かっちゃいない」という意見は単純に個人的な信頼から生じるもので、「いや、俺はこの人の言ってることは何一つ賛成しない。なぜならこの人は俺にとって信頼できないからだ」と言ってるにすぎない。さらにいえば「俺にとって」というのも曖昧で「実際はみんなが言ってるから」とか「そんな感じがするから」というくらいの意味しかない。聞く耳さえ持てばありえない意見。
■「論点ズレてる」と併せて「そうではなくて、問題なのは云々」というものがあった。それは本当の問題、重要な問題、つまり本来、なぜ騒動が生じたのかを説明するものだと思う。だけど、それについて語る人は大体のところ、なぜ「私たち」がこの騒動を問題視しているのか、なぜ「私たち」はこの騒動の主犯を叩きたいと思っているかを説明する。そんな問題、知らねえよ!もしそれが本当の論点であれば、どんな意見もそれに一致しない限り、ズレてしまうのは明らかだ。
ネタバレを自重するつもりないので、未見の人は先に映画館行ってください。
非常に良かった。それぞれのキャラの想いが交差して、それぞれ昇華されているのが非常に美しい光景だった。
ほぼ全て戦闘シーン+回想シーンで、イリスが何故こんなことをしていたのか?など気になるところを散りばめてきた。
都筑さんのシリーズでかわいい女の子キャラがガチ悪党になったことはないと思うので、回想シーン見た時点でいろいろ察するところあり…。
所長が出てきたときに、こいつがストローマンか!悪人面してるからぶっ飛ばしたい!と思わせてくれた。
欲を言えばユーリが彫り下がった割に、戦闘面では結構いいところなしだったり、イリスもガチバトルは最後までしなかったのは少し残念…。
あとはフェイトも火力不足でイマイチ活躍しきれなかったけど、それはディアーチェ達と一緒に昇華された感じはあるし、最後の特攻なのはを救うところで颯爽とフェイトさんが現れたのはとても嬉しかった。
レヴィがプラズマザンバーとかフェイト打ってくれたなーとかは少し思い残しがある。
個人的に感じたのは、リリカルなのはファンディスクという印象である。
ラブちゃ箱とかこんな構成で、初登場ヒロインを掘り下げて全力で最後に生じる障害をぶっ飛ばしてたなぁなどと懐古することなった。
掘り下げる時間(思い入れを作る・溜め)があまりなかったにもかかわらず、あれだけのヒロイン達をきっちり幸せ担って欲しいと思わせてくるのはさすがだと思う。いやけど流石に時空管理局がザルすぎてちょっとアレだったり、キリエもどう考えても主犯だろいい加減にしろという思いは残る。まぁそこは本質的(見たかったもの・見せたかったもの)じゃないからいいんだ。
思い返すと、恭也ちゃんがこういう存在だったような記憶がある。
恭也ちゃんは最後には(リリちゃ箱)で、フィリス・矢沢さんの協力のもと完治して自分のことと向き合えるようになるんだけど、それが今回のなのはのあのタイミングだったんじゃないかなぁと思いました。
もともと気に入らないものはパワーで捻じ曲げる系のなのはさんだと私は捉えているんですが、恭也ちゃんも目的ためだと自分が壊れようが突き進む人だった訳で、そうじゃないでしょ!っていうのを気づくフェーズがなのはさんにもあってもよくって、今回の物語がそういう転機になってもいいんじゃないかと思いました。StSだと自分のためっていうより、愛する我が子のためっていうなのはママの側面が強かったし…。
しかしだなぁ、これだとがStSで語られた自爆事故が起こらなくなるんじゃないかと思ってしまったりもするんですよ。まぁでもほら都筑さんだし、そういうもんじゃない?細かい設定の調整よりも、ぼくは感動する物語をいっぱいみたいなぁと思っています。とても良かった。ほんとよかった。
けどまぁ流石に無印もAsも昔に4回くらい見ただけだし、SSについては1回聞けてるか聞けてないかだから、忘れてる物語とかあったらごめんなさい。
あとは、とらハキャラの中でちかぼー・那美さんと並んでフィリス・矢沢さん好きなんで名前だしたかったっていうのもある。きっと、多分。
あの都筑スタイルほんと好き。髪がこうΛΛってなってるとのとか、横向くとちょっと出っ張ってるのとか、好き。
あと桜待坂Vol.3
どうせ粗探しするんだろうと思うがまぁいいや。
【小学生】
無視と机の落書き、ノートに死ねとか書かれる。上履きとか物を隠される。
トイレに閉じ込められる。
【中学生】
元々いたグループから弾かれ無視されいじめられている奴がいたため
そして、そいつ含めた元グループから無視、暴力、陰口などを受ける。
元々、そのグループはいじめグループだったためクラスの奴らも無視してくる。
→1対1で戻った奴と話し合った。ボスと話し合う必要があると判断。
ボスと1対1で話し合い、最終的にお互いに1発殴りあうことで解決。
2回目
俺が友達に近づくと「浮気!」とかその他ギャーギャー騒ぐもんだから
ウザすぎて友達全員が離れていった。
1週間程度「やめろ」と言いながら我慢したんだが、一向にやめないからムカついたので胸倉掴んだらやめた。
クラスの友達多めで、彼女もいたから嫉妬されてたらしい。Shit!
これで良いか。
「天賦人権は誤ってる」のはその通りでしょ。「人権」は人が作り出したルールであってしかもアップデートが繰り返される未完成の概念。
「主権は国民にはない。日本が長年培った伝統と歴史に主権がある」にしても「国民」が「長年培った伝統と歴史」に影響を受けてると言ってるだけの事だろうし
「基本的人権こそが日本精神を破壊した主犯」も正しいだろ。昨今の行き過ぎた個人主義が少子化を呼んだりして国を破壊しつつあるのは事実。
眠れなくてこれを書いている。
私は中学生のときいじめられていた。きっかけはものすごくくだらないことで、林間学校だかなんだかにサ○リオのキャラクターのTシャツを着ていったことだった。
確かに、少し幼いデザインだったけどそんなに笑われるようなものではなかったと思うし、要するに理由なんてなんでもよかったんだろう。
いじめをしていたのは、ある授業で同じ班の、たった二人の男の子で、悪口を言うとか、無視するとか、ゴミを投げてくるとか、そんな感じ。
友達もいたし、その二人とさえ関わっていないときは普通の生活だったと思う。
いじめ自体は耐えきれなくなった私が先生にチクったらすぐなくなった。実際にいじめられていた期間は半年ぐらいだった。幸いなことに主犯だった方は次の年に家庭の事情で転校していった。もう一人とは高校も同じだったけど、同じ委員になったときはごく普通に話ができた。
それでもいま、思い出すとつらくて悲しくて悔しくてこうして文を書いている。
二人が憎いとか、復讐したいとか、そんなことは思わない。同窓会に出たことはないし今後出る気もないけど、仮に会ったとしても世間話ぐらいできるだろう。私はもう、許しているつもりだ。
でもやっぱり、あの短くてくだらない、いじめられていた日々は、あのときの私にとっては地獄だったし、今思い出してもどうしようもなく辛いもので、この午前2時に眠れないでいる。
明日ははやいのに。
2006-12-23 Revolution is my name
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20061223
(ブログの記事は古い物なので、いまは明月堂書店という会社の代表らしい)
そりゃ普通に就職とかは中々出来ないだろうし(自分が社長だとしても雇いたく無い)。生活保護で細々と大人しく暮らすみたいな感じがまだマシな方で、また犯罪やら革命やら企てられても迷惑過ぎるしね。自分もここで紹介されているインタビューも読んだが『やった事を反省しているか?』って意味では反省しているとはとても感じられないけど。本質的には反省しているとかしていないとかどうでも良くて、再び犯罪を起こさないでいてくれればいいんだと。そういう意味ではうまくいったんだろう。そもそも『反省しているのか?』なんて認定はあらゆる事態に無意味なんだと思う。
どういうつながりか判らないが、有名作家編集者がこのテロ犯を養子に迎えて、本人も苗字もそちらを名乗っているようだ。こういう人がいないと社会に戻っても暮らせないだろうから、もう良いも悪いも判らない。こういう物好きな人がいてくれてよかったという事なんだろう。
1971年の事件だからってのもあるんだろうが、主犯の人(こちらは無期懲役だから恩赦でもなければ出て来れないだろう…あっ…)以外は殆どネットに名前が出てこず、今とは隔世の感がある。最近の事件だったらこんな風にはならないだろう。
凶悪犯の服役後なんて心配する義理は無いといえば無いのだが。だからって、その後にまた事件を起こされても困るので、これはうまくいった方なんだろう。
たまに、この人の話がネットに出ているのだが、書いている人はこの事件の事を知っているのかな?知らないなら知らない方がいいのか…
『金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。
とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単な言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単に説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。
金閣寺は1956年に雑誌『新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統的近代文学の内の一つである。海外においては複数の言語で翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫の文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。
しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。
金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄の象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである。小説『金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行の根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである。
「美への反感」。
つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情は一言に言って地獄の現出に他ならない。
「金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくその吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。
吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身の父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺の存在を、憧れと同時に、憎悪の対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺に放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。
美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージの重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫の人生そのものをも固く包み込んでいたのである。
三島由紀夫、本名:平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。
幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。
三島の心中にいかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたかは推して知れることである。小説『仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫の心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情の存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。
ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身の感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生そのものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかりやすいものだったのかもしれない。
金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。
そして、小説『金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである。
作中における柏木のキャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公の青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要な台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。
柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割を果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉の意味は曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾は物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説の重要なテーマである、金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要なキーワードであるのだった。
飛んで、物語の後半。主人公の青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。
彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺の存在そのものを一挙に焼き払おうというのである。しかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである!
そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。
が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)
ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)
そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである。
金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木の警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである。
小説『金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。
息子は中1の時の約一年間、同じ部活の同級生をいじめていた主犯でした。
大変恥ずかしい事ですが、それは相手のお子さんとご両親にきちんとお詫びを致しました。
しかし、今年になって、相手のお子さんのお母様がうちの息子を脅すようなことを言ってきたのです。
下校中、突然目の前に表れて凄まれたそうです。
同じ時期に、一緒にいじめに加わっていた同級生のお宅周辺にもそのお母様は表れて、ニヤニヤと笑いながら自転車で立ち去ったそうです。
怖くなって警察に相談に行こうと思いましたが、主人に止められました。
いじめた相手のご両親は地元の有力者なので、警察に言っても取り上げてもらえないと言うのですが、本当にそんな事ってあるのでしょうか?
息子は大変怖がっています。