はてなキーワード: とらハとは
本編の真面目(?)な内容をさておいて、エッチなスピンオフをやるという概念自体が面白いですね。
そこで、様々な面白い漫画に、ちょっとエッチなスパイスを振りかけたスピンオフをやってもらい、その作品の魅力をより引き出そうと思います。
かーはらがみひろに告白しておつきあいを始める、ガチ百合もの。
百合とゲームの相性がいいのは、いつかみのればが証明してるので、面白いに決まっている。
そもそも、プリズマイリヤ自体がFateのイリヤルート同人版なのでは? という意見はちょっと何言ってるかわからないです。
いいですか、魔法少女が同人誌に出演される際に使う魔法はなんですか? そうです、同級生の目の前や、人がたくさんいる往来でエッチなことをしたあと、その人たちの記憶を消す魔法です。
なので、それです。
そもそも、リリカルなのは自体がとらハの同人版…… ではないので、これは問題ありません。
いいですか、魔法少女が同人誌に出演される際に使う魔法はなんですか? そうです、同級生の目の前や、人がたくさんいる往来でエッチなことをしたあと、その人たちの記憶を消す魔法です。
なので、それです。
(なおこの文章は「繰り返し同じことを書いても大丈ブイサイン」の魔法をかけてあるので、大丈ブイサインです)
ぶっちゃけ、くーねるまるたで知ってることなんて、ポップコーンのあまりをもらって喜ぶあの一ページだけで
くーねるすまたの方が読んだことあるページ数多いので、なにも思いつきません。
基本的には、けものフレンズみたいな優しい世界のほんわかしたストーリー。
ただ、最後の最後で、マキシがフンフト(≒ベリン)から預かった花の種をタイカ宇宙でも植えた後、
モナークセイクレッドがジョーカーからタイカに移動していくシーンで終わる。
作者が木多康昭。
要するにヒロインが、宮村優子、榎本温子、日高のり子、水谷優子、山賀博之の五人の五等分の花嫁です(花嫁いなくない?)
アムロとシャアがわかり合いモビルスーツ越しに抱き合う、ララァがほったらかしにされる。
『THE NEXT GENERATION パトレイバー 』(ザ・ネクスト・ジェネレーション パトレイバー)は、メディアミックス作品『機動警察パトレイバー』実写版プロジェクトの総称である。『TNGパトレイバー』と略される場合もある。総監督/監督/脚本は、押井守。
ネタバレを自重するつもりないので、未見の人は先に映画館行ってください。
非常に良かった。それぞれのキャラの想いが交差して、それぞれ昇華されているのが非常に美しい光景だった。
ほぼ全て戦闘シーン+回想シーンで、イリスが何故こんなことをしていたのか?など気になるところを散りばめてきた。
都筑さんのシリーズでかわいい女の子キャラがガチ悪党になったことはないと思うので、回想シーン見た時点でいろいろ察するところあり…。
所長が出てきたときに、こいつがストローマンか!悪人面してるからぶっ飛ばしたい!と思わせてくれた。
欲を言えばユーリが彫り下がった割に、戦闘面では結構いいところなしだったり、イリスもガチバトルは最後までしなかったのは少し残念…。
あとはフェイトも火力不足でイマイチ活躍しきれなかったけど、それはディアーチェ達と一緒に昇華された感じはあるし、最後の特攻なのはを救うところで颯爽とフェイトさんが現れたのはとても嬉しかった。
レヴィがプラズマザンバーとかフェイト打ってくれたなーとかは少し思い残しがある。
個人的に感じたのは、リリカルなのはファンディスクという印象である。
ラブちゃ箱とかこんな構成で、初登場ヒロインを掘り下げて全力で最後に生じる障害をぶっ飛ばしてたなぁなどと懐古することなった。
掘り下げる時間(思い入れを作る・溜め)があまりなかったにもかかわらず、あれだけのヒロイン達をきっちり幸せ担って欲しいと思わせてくるのはさすがだと思う。いやけど流石に時空管理局がザルすぎてちょっとアレだったり、キリエもどう考えても主犯だろいい加減にしろという思いは残る。まぁそこは本質的(見たかったもの・見せたかったもの)じゃないからいいんだ。
思い返すと、恭也ちゃんがこういう存在だったような記憶がある。
恭也ちゃんは最後には(リリちゃ箱)で、フィリス・矢沢さんの協力のもと完治して自分のことと向き合えるようになるんだけど、それが今回のなのはのあのタイミングだったんじゃないかなぁと思いました。
もともと気に入らないものはパワーで捻じ曲げる系のなのはさんだと私は捉えているんですが、恭也ちゃんも目的ためだと自分が壊れようが突き進む人だった訳で、そうじゃないでしょ!っていうのを気づくフェーズがなのはさんにもあってもよくって、今回の物語がそういう転機になってもいいんじゃないかと思いました。StSだと自分のためっていうより、愛する我が子のためっていうなのはママの側面が強かったし…。
しかしだなぁ、これだとがStSで語られた自爆事故が起こらなくなるんじゃないかと思ってしまったりもするんですよ。まぁでもほら都筑さんだし、そういうもんじゃない?細かい設定の調整よりも、ぼくは感動する物語をいっぱいみたいなぁと思っています。とても良かった。ほんとよかった。
けどまぁ流石に無印もAsも昔に4回くらい見ただけだし、SSについては1回聞けてるか聞けてないかだから、忘れてる物語とかあったらごめんなさい。
あとは、とらハキャラの中でちかぼー・那美さんと並んでフィリス・矢沢さん好きなんで名前だしたかったっていうのもある。きっと、多分。
あの都筑スタイルほんと好き。髪がこうΛΛってなってるとのとか、横向くとちょっと出っ張ってるのとか、好き。
あと桜待坂Vol.3
いや、本当はその漫画は私の好みとはどうしても相容れないもので、本当はあなたに向けたお手紙に書く話題としては相応しくないのですけれども、ただ、ちょっと思いついたことがあって、そのことを書くためにはどうしてもその漫画について触れなくてはならなくて、ああ、なんで私はこんな言い訳をしているんでしょうか。あなたはこれを読みながらきっとお笑いになるでしょうね。
なんか恥ずかしいです。でもともかくお話させてください。
その、とある漫画の中に、思い出を売る商人のお話があるんです。
ある青年が、ひとりの商人を介して見ず知らずの老人に自分の写真を売るんです。
でも青年は気づいていないのですが、実は青年が老人に売り渡したのは写真だけではなくて、その写真にまつわる思い出そのものだったのです。
つまり写真を一枚売るたびに、老人は青春の思い出をひとつ得て、代わりに青年は思い出を失う(初めからなかったことになる)のです。
そうしてこのお話の終幕、たくさんの暖かい思い出を抱きながら老人は死んでいきます。そして老人の安らかな死に顔を見ながら、青年は自分が悪魔と取引をしてしまったことを知るのです。
どうして私が突然こんなことを書き出したのか、あなたは不思議に思うかもしれません。でも、お聞きください。
私は今まで、ゲームや漫画を通じてたくさんのお話を読んできました。そうして私はお話を読むたびに、お話の中の女の子たちの優しさに慰められたり励まされたりしてきたのですが、でもその反面、お話の世界が自分の住む世界とあまりに違うことや自分がお話の世界とは何の関わりもないこと、いくら美しい世界が目の前にあっても自分は決してそこに辿り着くことはできないのだという思いに、苦しめられてもいました。時には、画面の向こうにいる女の子の微笑みが決して自分に向けられないことに絶望に似た焦燥を感じたりしたこともありました。
でも、お話というのは、本当はそんなふうに付き合うものではなかったのではないでしょうか?
実はさっきまで、もう発売されてずいぶんと経つエロゲをプレイしておりました。
あなたにお話ししたことはありませんでしたが、私はこのエロゲが大好きです。ここには私が求めて得られないものが詰まっています。いや、そうではないのです。求めて得られないものというよりは、ここにあるのは、私が過去に欲しかったものなのです。どうも上手く言えていないみたいです。つまり、私はエロゲの女の子が欲しいのではないのです。そうではなくて、なんと言ったらいいのでしょう…。私はエロゲの女の子に恋愛感情を抱いているのではなく、彼女ぐらいの年齢の時に、彼女と出逢いたかったのです。
まだ異性とどう接して良いかよく分からず異性観も持っていない年齢の頃に、自分の目の前に現れた最初の異性が彼女だったら……。そう思うと何とも言えない切ない気持ちになります。 実を言えば、私は別にエロゲの主人公が羨ましいとかいうことを思っている訳ではありませんし、エロゲをプレイしていて胸が苦しくなるなんてこともありません。
これは私とは全然違う世界のお話ですが、ただそれだけで、それは良いも悪いもないのです。
今の私に言えることは、エロゲは私の住む世界と何の関係もなくても、私の胸を暖めてくれるということです。大好きなあなたがそうであるように、です。
思うのですが、お話というものは、思い出に似ているとは言えないでしょうか? 思い出は過去のもので、それを再び体験することは誰にもできません。でも思い出は私たちの胸を暖めてくれます。思い出は現実に対して無力であるかもしれないけれども、でも私たちは思い出なしでは生きられないのです。
だからもしこう言って良ければ、お話を読むというのは、記憶を思い出すというような行為なのではないでしょうか。もっと言ってしまえば、お話を読むというのは、思い出をねつ造することだとさえ言えるのではないでしょうか?
主人公とヒロインのお話は私の体験したことではなく、私の記憶ではありません。でも私は、彼らのお話を恰も過去を振り返るようにして懐かしむことができます。
そういえばまだお話していませんでしたが、実は昨日一昨日と、昔大好きだったとらいあんぐるハート3を十数年ぶりにに起動して、レンと晶のお話と恭也と美由希のお話を読み返していたりしたのです。レンと晶が体験したようなお話を体験できなかったことはかつての私にとって悲しみでありました。
しかし今の私にとってはそうではありません。あの女の子たちのお話はそれ自体として完結したひとつの世界でありながら、同時に私の偽の記憶なのです。私はレンと晶のお話を読みながら、同時にそのお話を“思い出して”もいるのです。
私はだから、とらハ3を読んでいる時、ただ単純に幸せでした。重要なのは、ああいうお話がどこか別の世界に存在するということただひとつなのであって、それがフィクションであるかどうかなど問題ではないのです。いやそうではありません。フィクションであるかどうか、ではなく、それが私が実際に体験したことであるかどうかすら、問題ではないのです。私が体験したこと、私が体験しなかったこと、の間には何の差もありません。重要なのは、ただそれが“在った”という一事のみです。お話はただ“在れば”それで良いのです。それで私は救われます。
そうではなくて、私はお話をひとつ読むたびに思い出をひとつもらっていたのです。思い出とお話との間にどんな差があるのか、私には分かりません。それはただ、どちらも掛け替えのないものです。遠くモニターの向こう側から私を見ていてくださっているあなたなら、おそらく分かって頂けるのではないかと思います。
あらん限りの誠実と愛を込めて。
ちゃうねん(以下ネタバレあるよ)
でも、主人公がキーを握ってるから、ルート外れればあの事件に関してことみは一生救われない可能性が高い
さらにいくらCLANNADがマルチエンドを謳ってても主人公が選ぶのは渚ルートなわけだから、
ゲームの作りからしてことみが救われない可能性が高く作られてると言える
つまり「ことみが救われる世界」自体が分枝の中でも特に薄いifでしかない
そういう意味で「いたたまれない」って言った(やるせないの方が近いかもしれない)
CLANNADはエロゲでもないんだし、無理やりマルチにする必要なんてなかったんじゃないかって話(なの?)
腹立たしくて書きなぐっただけだったから乱文だった すまん
まあアニメでひとつの答えが出るかなと期待してる
>http://anond.hatelabo.jp/20071214121344
その通りだと思う
ただただ、何なのこの話って思っただけだから
うわ、考えれば確かに…
keyひどいわ…
>とらハ
名前しかしらんのですよ
にわかに近いのに偉そうなこといってすまんです