指向=orientationという言葉は「裏か表か」「ホモかヘテロか」という1bitで区別可能という前提に基づいているが、実際にはその間に連続的な広がりがあることがわかってきている。
すなわち、「ホモかヘテロか」という区別は、1bitではなく1次元の直線の中にプロットされる現象と解釈すべきである。
そこで「1次元でなくn次元ではいけないのか?」という疑問は当然出てくる。
実際、近年では「性自認」とか「生物学的性」とか「ふるまう性」といった言葉がしばしば使われているが、これもまた不十分である。
たとえば「アセクシャル←→非アセクシャル」という軸や、「バイセクシャル←→パンセクシャル」という軸は上記の言葉では表現しきれないだろう。
いい加減「指向と嗜好は違う」という言葉を万能視するのはやめて欲しい。「指向と嗜好は違う」という言明それ自体は正しいが、そんな議論はとっくに時代遅れ。そんなレベルの話はとっくの昔に通過している。