はてなキーワード: パンセクシャルとは
指向=orientationという言葉は「裏か表か」「ホモかヘテロか」という1bitで区別可能という前提に基づいているが、実際にはその間に連続的な広がりがあることがわかってきている。
すなわち、「ホモかヘテロか」という区別は、1bitではなく1次元の直線の中にプロットされる現象と解釈すべきである。
そこで「1次元でなくn次元ではいけないのか?」という疑問は当然出てくる。
実際、近年では「性自認」とか「生物学的性」とか「ふるまう性」といった言葉がしばしば使われているが、これもまた不十分である。
たとえば「アセクシャル←→非アセクシャル」という軸や、「バイセクシャル←→パンセクシャル」という軸は上記の言葉では表現しきれないだろう。
いい加減「指向と嗜好は違う」という言葉を万能視するのはやめて欲しい。「指向と嗜好は違う」という言明それ自体は正しいが、そんな議論はとっくに時代遅れ。そんなレベルの話はとっくの昔に通過している。
なんでNLCPならいけるんだ?明示されてないならBLもNLも一緒じゃね?よしんば明示されてたとしてもそのキャラクターはパンセクシャルではないと言及されたのか?モノガミーかどうかを何で証明する?
って言い出すとキリなくなるから2次創作は好きにすればいいし基本的に嫌なら見るな見たら記憶を消せでいいと思ってるよ。
モブレだってそもそもそんな概念が存在してないかもしれない。推しはセックスに関しては暴力オッケー来る者拒まずよしよしカウンセラーになるのかもしれない。そうでないことが原作で描かれていたのだろうか?
女体化や年齢操作容姿捏造、パラレルワールドパロディ設定も逆に公式で全く同じことをしてるとやりにくくなるよ。正解が提示されてるので。
例をあげると、あるジャンルでは昔は各々が妄想捏造して推しのショタ時代のイラストを描いていた。しかし原作でショタ時代ビジュアルが公開された。そうしたら捏造ショタは"完全に"捏造になる。原作で推しのショタ時代が確定して公開されたことは喜ばしいが(喜ばしくない人もいるかもしれんけど)、今までの妄想の産物はどうするべきかと思案する…。その産物に理屈つけて描き続けるような人もいなくはないだろうけど。
他の腐女子がこんなことを考えてるかは知らん。
増田は交流や評価もされたいなら他人の受け入れがたい創作を薄目にみながら推しのモブレだいすき!えっち!さいこう!を貫いて布教したらええのでは。他人は誰も増田がそう思うことを禁止できないので。
受け入れがたいということを、公言はしないほうがいいかもしれないが。そういうのはコミュニティに属して平和に過ごしたいなら腐女子に限らず何でも一緒だからね。
昔は年齢操作も女体化も時代物作品の現パロも喜んで見ていたのに全く見れなくなってしまった。
むしろ自分でも年齢操作+現パロ容姿捏造BL二次創作描いてたんだけどある日突然「こいつら・・・・誰だ・・・・?この二人である必要はあるのか・・・?」となって見るのも描くのも不可能になった。
それ以降は自分はどちらかというとモブ攻めやレイプ系のエロばかり描いたり見たり読んだりする人間になってしまった。
女体化や年齢操作現パロ容姿捏造BLを見たり描いている人はどうやってその意思を保っているんだろうか
私はそれを好んで見ていたころは気にならなかった・・・というより、「まあアニメは原作と絵柄違うし、2.5次元も原作の派生と思えばどう描いてもいいか・・・」と思い込むようにしていたので見ることができていた。
最近は症状がさらに悪化して男キャラ同士で恋愛をさせると公式に提示された関係性が崩れるのが気になってしまうので許せる設定の穴を無理やり見つけ出せないと描けないし見れなくなってしまった。
(大雑把に言うと両方に男女の区別がついておらず全く性知識がないので一時的な間違いとして描写されるめちゃくちゃ軽い恋愛)
なぜ女キャラがいるのにそれを差し置いて男同士の恋愛に発展してラブ・・・ラブ・・・することに引っかからないのかわからない
どうして何気ない少しの絡みで付き合ってるなあとか結婚してほしいとか思えるのだろうか
(腐女子だから・・・と言われてしまうとせやな・・・としか言えないのだが。)
もう何もわからない
自分は男同士のセックスだけを見るのが好きなの中身のない腐女子になってしまった(中身のある腐女子ってなんだ?)
男キャラ同士のものは片思いが重症化して発生するレイプ的な物しか見れなくなった。
例えばサウスパークのやおい回以降の例の二人みたいに公式でゲイカップルとして出てきたものは恋愛してるものでも見れる。
それからずっと一つのジャンルにとどまっていられなくなっている。(交流を求めると自然と他人の恋愛をしているBL二次創作が流れ込んでくるため)
モブレはキャラを貶めることになるが、キャラを取り巻く環境が崩壊しないので楽しい。
でもそればかり描いている自分が腐女子の輪の中に入ると異質すぎてマジで浮く。
みんなモブ攻め好き!と言って反応もするし描いたりもするけどそれとは別で恋愛しているBLも好きなので大体CPの妄想をしている。
私はその中で○○くんエロいな・・・エッチ見せてほしいな・・・としか言ってない。キッショ・・・
自分のただ好きなキャラのエロを描く行為だってそのキャラへの冒涜だしただの性欲のはけ口と言われたら何も反論できないのにず~っと他人BLになんで?と言っている。
BLもエロもただの健全なファンアートの域から外れていることに違いはないのに
さっさと二次創作畑からオリジナルへ移るべき人種なのはわかっているが二次創作界隈でワイワイするのが楽しい。
結局二次創作垢の反応は他人の褌で相撲を取っているに過ぎないのだが、オリジナルで誰の目にも留まらなかったら・・・と思うと二次創作から抜けられない。
オリジナルの人はおそらく他人の目がどうこうより先に創るのが楽しい!が優先されていると推測されるので、それが疎かな自分はそもそもオリジナルに向いていないのではないか
しかしオリジナルの世界で自分の考えた最強の男同士の恋愛と最強のエロを描けたらどんなに楽しいだろうか・・・・と思う
なんか鎖で繋がれたサーカスのゾウが鎖外されてるの全然逃げないみたいな話だな
絶対自分好みのBLを作るの楽しいのにツイッターやピクシブでの反応に囚われている
やはりもう腹をくくって腐女子グループからも二次創作からも距離を置くべきか?
苦しいよ~助けて~こわいよ~
>よしんば明示されてたとしてもそのキャラクターはパンセクシャルではないと言及されたのか?
これ見てハッとした。私は性対象が明示されていないほとんどのキャラクターはヘテロだろうと決めつけていたのか。
確かに明らかな女好きの男キャラや男好きの女キャラでさえ同性愛に嫌悪を示す描写が無い限りはどちらでもありどちらでもないんだな・・・
いつ結婚するのかと両親から言われ続けて数年だけど結婚したくない
その同性とは友情の延長線上の関係でもいいし、恋愛関係でもいい
だけど成人して数年経ってみて、男性と付き合いたいかといえばそうでもなく、自分が惹かれる女性と親密な関係になりたいと思うことが多くなった
だから自分はレズビアンかもしれない!と考えたものの、男性を好ましく感じる瞬間も無いではない
未だにレズビアンかバイセクシュアルかパンセクシャルかは迷っていて、まあその辺は迷い続けているままでもいいかなと考えているのだけれど、結婚しろと言ってくる外野はそうはいかない
一度、同性愛者のニュースがテレビから流れるのに合わせて冗談っぽく「自分も相手が女の子の方が気楽だから女の子と暮らしたい〜」みたいなことを母に言ってみたけれど、母からは呆れつつ否定された
父親は同性愛者を頭から否定して嫌悪しているから冗談でも言えやしない
このまま一人で生きていくのはさびしいからいつかパートナーを見つけたいとは思う
それを考えるといつも憂鬱になる
LGBT当事者だけど、昨今の風潮には疑問を抱きながら見てる。
元増田の言う通り
>LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
これなんだよなあ。
LGBTという言葉で表すなら私はバイだけど、もっと細かく言うならパンセクシャル。でも、これを言うと、私と結婚したいと騒いでいたレズビアンの元カノには嫌な顔をされたし、ビアンのコミュニティには入れてもらえない。あの人は違う、と、線をひかれる。男でもいいんでしょ?本当は男がいいんでしょ?私たちの気持ちなんて分からないよ、って。
なんかもうそういうこと言われるのが面倒で、その人達からは離れた。
結局、差別される側の時は認めろと声高に言うくせに、自分達だって差別する側に平気で回る。
セクシャルマイノリティはLGBTだけじゃない!あなたは"LGBTTQQIAAP"という言葉を知っていますか?
この記事読んだ。
LGBTはご存知の通り以下の4つ。
Transsexual(トランスセクシュアル、性別違和)
Queer(クイア、当事者がセクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉(総称)として抵抗運動(クィア・ムーブメント)や連帯の合言葉)
Questioning(クエスチョニング、性自認や社会的な性、性的指向が確立できず、自問している人)
Intersex(インターセックス、身体的な性別(体の性)を男性・女性どちらにも分類できず、性染色体に異常がみられる。両性具有など)
Asexual(アセクシャル、恋愛感情を抱くことがなく、性的に興奮することもない)
え、おかしくない?
なんで「アライ」とかが平然と入ってるの?「クィア」?連帯の合言葉ってなんだよ。
これ、性的少数者の分類じゃねーじゃん。ただ自分の味方とか認めてるやつを並べてるだけじゃん。
しかもしれっと「PZN」(ペド、ズー、ネクロ)とかを省いてる。
PZNも性的少数者なんだけど?「アライ」なんかより優先順位が下だってのか?
おかしいでしょ。そこまでして性的少数者内で差別を続けたいの?
はっきり言わしてもらうけど、こういう不誠実なダブスタ差別を続けてる限り、LGBTには何の正義もないよ。
蜘蛛の糸の犍陀多。救われようとしてるくせに、他の性的少数者を蹴落とそうとしてる。
セクシャルマイノリティの理解は我々日本人にはまだまだ足りていない部分が多いと思います。
現状では、セクシャルマイノリティの方々が安心して普通に暮らせる環境がまだ整っていません。
誰もが自分らしく生きていける世の中にするために、一人一人がセクシャルマイノリティの理解を深めていく必要があると思います。
そうだな。まずお前が理解足りてないよ。
この国で、いや世界で一番差別を受けてる性的少数者の分類は何か。
Pだよ。paedophilia。
性自認もケンミン自認も「まずはその他の人と一緒にしないで」という主張でしょ、
一緒にしていいならわざわざこだわる必要はない。みんな地球市民のパンセクシャルでいいよと。
敢えて自認を発話する場面で「現状(都民とか同性愛者と混同)で満足しろっておしつけるな、ありのままの属性もちの俺を認めろ」って主張してるわけだよね
じゃあ「混同しないってどういうこと、どうやって傷つけ合わないように住み分けようか」ってなっていって世の中はより良くなる。
でも小児性愛者は一緒にしないことが他人か本人にとっての不都合しかないのでは。
ピグマリオンコンプレックスでごまかされてくれる小児性愛者ばかりではない
世間定義のごった煮ざっくり「ロリコン」の中には両方混在しているのかもしれんが。
一例として精神障害のなかには生きているだけでいいようのない不快感をおぼえ、
自殺を繰り返し強制入院させられ結局ベッドにしばりつけられて喉にちぎったベッドマッド詰め込んで死ぬみたいな行動するのがいる。
小児性愛者も小さな子供と(破壊的な)性行動ができないとそのように苦痛を覚え絶望するタイプのが混じっている。
(しかもその子供が運良く生き延びて肉体が成長すると子供じゃなくなったから見捨てて次の別の子供を求める、
そして自分が今満足しても将来そうやって乗り換えしないとまた苦痛に陥るであろうことも本人は理解している)。
これをはたして倫理的に救えるのかというのは疑問。
「自殺未遂者とセックス由来によるHIV感染者とアル中とヘビースモーカーは
全て保険治療適用外にするべきだと思ってるのよね。」と言った。
ネットにこの音声でも流れたら即失職だろうな」と思いながら
適当に相槌をうっていた。
折れそうなほどに痩せ細り、異様に落ち窪んだ目がギラギラしていて
「人違いです」と逃げるのも悪い気がして挨拶をし、
カフェをする時間でもなかったので近くの居酒屋に行くことにした。
座るなり彼は「お姉さぁ〜ん」と呼び、ハイボールをダブルで注文した。
映画の話しをする気配は一向になく、なんだか危なそうな人だったので
一杯だけ飲んだら早々に話しを切り上げて帰ろうと思っていたのに
何故か向こうは自分に心を許したらしく、「仲良くなりたいから話すね。」と前置きをして
自分がHIV感染者であること、パンセクシャルの男娼であったことを語り始めた。
セックスしまくってたんだけど、いざなったら人生終わった!って感じでぇ〜」と
悪びれる様子もなく明け透けに言う彼。
言葉がたどたどしいのは鬱病と脳漿を併発しているからなのだそうだ。
行ってる病院にはぁ〜似たような子がたくさん来てるよぉ〜」
現在は生活保護を受け、二日に一度来てくれる在宅介護のヘルパーが
炊事や洗濯などは全て面倒をみてくれるらしい。
男娼をやっていた頃の太客からも援助を受けているそうで
「日本ていい国らよねぇ〜、なぁんもしなくても生きてはいけるしぃ〜。
スマホつかって遊んでれば生きて行けるのぉ〜。
でもねぇ〜、これでもいつか社会復帰はしたいんだよ。
そう言ったらヘルパーさんも偉いねぇって褒めてくれるのぉ〜エヘヘェ〜」
三本目の煙草に火をつけた時、「もう一杯いい?」と言うので
「せっかく久しぶりに人に会えたのになぁ〜、寂しいなぁ〜。」と
大声で話しながら店の外でふらふらと漂っている彼は
また会えるといいなぁ〜」と、男娼をやっていた頃ならば
必殺業にしていたのであろうとっておきの笑顔を見せた。
「ごちそうさまぐらい言える大人になりましょうね」とだけ言って背中を向け
「あ、ほんとら!ご、ごめんなさい。ごちそうさまっ!」と言っている
彼の方を振り返りもせずに駅に真っ直ぐ向かって帰った。
「自殺未遂者とセックス由来によるHIV感染者とアル中とヘビースモーカーは
きっとあの女医は、こんな人を山ほど見てきたんだろうと思った。
俺はパンセクシャル寄りのバイで、おまけに社会不安障害を抱えていてあまり人と仲良くなれない。なので女性と満足にセックスできたためしがない。風俗店に行ったこともあるがいたずらに時間が過ぎるだけだった。
しかしそれでいて「生産性」発言で非難轟々の某議員をあけすけに叩くことがどうしてもできない。
セクシャルマイノリティの内訳ではLGBTはマジョリティであると俺は思う。小児性愛やケモナーよりは確実にポピュラーな存在だろう、LGBTは。多様化のスローガンを掲げてホモフォビア的態度を封殺しようとすれば、LGBT以外のセクシャルマイノリティにも寛容にならなければいけない。人間のイマジネーションは奥が深い。俺らが思いもよらないものや行為に恋愛感情や性的関心を寄せる人は幾重にも存在する。
小児性愛者やケモナー、はたまた四肢切断に関心を抱く人等、これから出会うかもしれないセクシャルマイノリティの全てを受け入れろというのは個人のキャパシティを超えている。人にはどうしても認められない価値観があって、当人の持つテーゼからあまりにかけ離れているがために今はその存在すら想像だにしていないのだ。
こうやって判断の難しいレアケースにどうやって対処するのかと言うことを唱えると「小児への性的接触や獣姦は判断能力が低く意思表示が難しい者を弄ぶ暴力行為であり、そういった行為に走る可能性がある人間を容認することはできない」というような反論が聞こえてくるだろう。しかしそれは僕からすると間違いで、性的欲求を暴走させ周囲を傷つける判断能力の欠落とセクシャルマイノリティであるかどうかは何の因果もないと思う。同世代を対象としたヘテロセクシャルやLGBTにもレイパーは存在するわけで、猥褻な事件の要因をセクシャリティに絡めてはいけない。
リベラリストの立場でLGBTの権利拡大に賛同する人のどれだけが、明示化されるかもしれないレアケースに向き合う覚悟があるんだろうと、どうしても俺は冷ややかな態度になってしまう。突き詰めていけばみんな結局自分の信心に従った勝手のいい「倫理」を持ち出して、自分が嫌悪するものを「例外」として門前払いしようとし始めるのではないのかと考えてしまう。結局僕らは女性蔑視の酷いイスラム原理主義者や中絶を認めないカトリック信者のように、自分の持つテーゼを一方的に盲信しているだけかもしれない。
「生産性のない者に施しはいらない」という言葉をもってして考慮すると騒動はセクシャリティに限った話ではない。
カルト教団や統合失調症患者、アルコールや麻薬依存症、医療大麻支持者、ニート、生活保護受給者、パチンコ店経営者、ブラックワンマン社長、ゴシップ誌記者、うなぎ養殖業者、原子力発電業者…世間から存在意義を問われ時には社会を卑しめる悪とすら呼ばれる人たちは枚挙にいとまがない。彼ら全てを肯定しようといえば、どこからともなくそれは違うという人が現れて、彼らの短所を挙げ尤もらしく彼らの排除を訴える。世界は単純ではなく、何にだ短所はあるというのに。
俺は別に認められないものがあってもいいと思うんだよ。神じゃないんだから個人的にNGってものは絶対あるし、逆にこれは守りたいってものもあっていい。でもそれを「社会の多様化」だとか大義名分掲げて、さも公益のため人の尊厳のために滅茶苦茶正しいことやってるですよって正当化していくの、なんか卑怯だなって思っちゃう時があるんだよ。結局根っこは私信だと思うのね。「ゲイがオープンリーになったらなんか良さげじゃん」みたいな気持ちに色々肉付けして説得力あげようとしてるだけなんじゃないのかなってたまに思ってしまう。
みんなが「ゲイが虐められてるの見ると気分悪いからホモフォビア嫌いです」ぐらいの意思表示にとどめたほうが、かえって問題がわかりやすくなるんじゃないかなとか考えちゃう。
それから今回の炎上でやるべきなのは議員や自民党を叩いて潰そうとすることじゃなくて、カウンターになりうるLGBTに理解ある議員の応援だと思った。気に入らないものを潰せというのではなくて、自分の意見を反映してくれる人を送り込むというアプローチのほうが社会の多様性という点では好ましいんじゃないかな。
まとまりがなく幼稚な内容かもしれないけど、あの議員に迷いなく憤りをぶつけることがどうしてもできなくて、その理由を探るために書き記しておきます。
自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランス問わず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。
積極的に性自認やセクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。
隠しているわけでもない。
私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人と言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。
元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。
当初私は何を指しているのかよくわからなかった。
なんで彼らは誇りを求めるのだろう。
それから数ヶ月経ち、自分の性別の違和、女性を強制されることに耐えられなくなって、制服を男性のものに変更してもらい、登校するようになった。
元々男子のクラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。
加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性を強制する人もいた。
体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。
どちらに入ればいいんだ。
どちらに入っても通報されそうだ。
もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクターの男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。
修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバーの希望は全く叶わなかった。
私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。
制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである。
女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。
もしかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間、存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。
そこでふと思い出したのが「pride」だった。
私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。
周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。
女性の地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等」であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツで特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから、「pride」が損なわれている状態になる。
一般的に自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。
「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。
ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。
それを何故排除しなければいけない?
そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。
女性専用車両の場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。
ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。
あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである。
恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって、結婚や恋愛を強制されることなんて必要ない。
同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなたも同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。
ユーリオンアイスが、少なからずイデオロギー的色彩があるっつうか、つまり「BLなにが悪いねん、同性愛なにが悪いねん、みんな同じ愛だ!」というメッセージ性が高い作品だとしたうえで以下を書くんですけど。
一般論として、消費者にせよ作り手にせよ、BL萌えや百合萌えにイデオロギー的だかポリコレ的だか思想的だかな正当性を持たせようとすると、LGBT地位向上論に繋がりやすく、その論を更に磨いていくとジェンダーフリーやジェンダーレスにまで至ると思うんすよね。
腐女子や百合好きがその辺のリベラル思想を口にするのは見たこと多いと思う。
もしその思想に集うなら、自分もジェンダーフリーに賛同しているというスタンスになる。
しかしジェンダーフリー論陣で生きるには、己がバイセクシャル・アセクシャル・パンセクシャルあたりの、性的対象や萌え対象が相手の性別に関係ないですって人間じゃないと居心地が悪い。
だって、好む対象が男性か女性どっちかに限られていたら、「お前、ジェンダーフリーを掲げてるくせに、相手の性にこだわって扱い変えてるじゃん」というツッコミが、他人からも自分からも出てくるから。
でも、そんなこと言ったって両性愛者にはなれないんすけどって人が多かろう。
「男同士の恋愛にとりわけ萌えるから腐女子なんですよ、なのにNLや百合にも公平に萌えるのがイデオロギー的に正しいと言われても困りますよ」って人が多かろう。
自分の萌えを正当化して心を安定させたかったはずなのに、理屈を詰めていくうちに、かえって己の正しくなさが明確になってしまう。
BL萌えや百合萌えがイデオロギーを纏おうとすると、しばしばそういう問題にぶち当たる。
BL萌えだけでなく同性愛全般萌えに守備範囲を拡大しなければ、セクマイ全般萌えに守備範囲を拡大しなければ、マイノリティでもメジャーでもあらゆる姿への萌えまで守備範囲を拡大しなければ、理論武装に穴が生まれてしまう。
困ったもんですね。
んで、ユーリなんすけど。
というのはつまり上で書いたようなことで、ユーリのメッセージ性の強さは、BLへの肯定だけでなくジェンダーフリーの推進にまで至っているんじゃないでしょうか。
男同士で恋愛したっていいじゃん、にとどまらず、性別なんかにこだわる必要ないじゃん、というメッセージが発されている。(と、受け取る人もいる)
しかし、BLは好きだから「男同士の恋愛したっていいじゃん」て話には賛成するけど、他のどんな恋愛でも残さず食えと言われても困る、性別にこだわらずにはいられない、っつー腐はいて、それが
その他「腐狙い」アニメにおける「過剰な妄想の種まき」とは異なり、このアニメで2人の関係は肯定されるべき清らかなものとして直接的に言及された。2人の関係がなにかしらの愛でありながら、本人も周りも性別を気にかけることなく「人によってはこんな人生もある」と認められてしまったら、そして、それを「特になんの注意書きもする必要のないもの」とされてしまったら、そこに男女か男性同士か女性同士かという境目がないとするならば。
という抵抗感や居心地の悪さを生んでるんじゃないかなーと思う。
まあ自分は腐女子じゃなくて百合豚の男だから、全然ピントが合ってないこと書いちゃったかもしれん。
追伸
「ジェンダーフリーとジェンダーレスは違う。ジェンダーレスならすべての性別を愛することを強制してくるだろうが、ジェンダーフリーはどんな恋愛でも肯定するだけで異性愛や同性愛が偏っていると否定するわけじゃない。ユーリはジェンダーフリー的世界ではあってもジェンダーレスではない」
みたいな指摘もありそうだけど、たとえジェンダーフリーとジェンダーレスを区別するとしても、異性愛者は既存体制との対立要素が少ないことにより、イデオロギー闘争において自分がジェンダーフリー陣営への貢献度が低い気がして居心地が悪くなりやすいだろうから、あんまり話は変わりません。