はてなキーワード: チャリとは
https://twitter.com/YukariAkiyama48/status/1736507160908234865
明らかに自動車が教習所で習う義務を果たしてなく問題だらけの運転で(チャリもウィンカー見て減速なり対応してないのは論外ではあるんだが)
「皆もやってる運転だから」で勝手に免責して無罪のように扱う一方で
・駐車場など道路に面した場所に出入りするために、歩道や路側帯を横切る場合は、それらの直前で一時停止しなければなりません
・左折の時は、あらかじめできるだけ道路の左端に寄り、交差点の側端に沿って徐行する。
チャリが高速で突っ込んでくるなよと思うが、
車視点は左端に沿ってない以上、突っ込んでくるのはある程度仕方がないので
一時停止してやり過ごすべきであった。
結局、車が守るべき安全運転のための措置を取ってればこの事故自体は防げたわけで、その責任を全部放棄しといてチャリが突っ込んでくるのが10:0で悪いような意見が多数みられる。
学生の頃はホームページが主流で、何件もブクマして毎日巡回してたな。
ロム専だったけど、お気に入りのサイトが休止や閉鎖になったときはショックだったし、自分が管理人になったら絶対閉鎖なんてしないのに!って思ってたな。
ブログはアニメやゲームの感想を投稿してて、マックス3千アクセス/日だったかな。あの時はバイトの帰り道、嬉しくてチャリ漕ぎながら心の中で叫んだな。
いっちょ前にアフェリエイトなんかにも手を出して、Googleアドセンスから届いた住所確認の手紙は今でも実家の壁に飾ってあるな。
そんなブログを閉めることにした。理由は更新できなくなったから。びっくりするほどやる気が起きない。
なんというか、面倒になってしまった。
ログインするのも面倒くさい。
放置しててもサーバー代はかかるので、次の更新はしないことにした。
みんなこんな感じで辞めていくのかなぁ。
呆気ないな。
高校の時の同級生で、一緒によく遊んだりもしたし、二人でファミレスに行ったこともあった。
そうなんだ!おめでとう!!
そう返したけれど、なにか違和感を覚えた。
でも妙な胸騒ぎがした。
というか、よく分からないけどざわついた。
頭の中がからっぽになって、頭の中がざぁーっとして、さ。
何だよ、これって悶々として眠れたくて、何度も寝返りを打って、それでも駄目で、すっげぇもやもやして全然眠れなった。
もやもやも苛々もしていた。
気付けば土曜日。カーテンは明るくなり、それでも眠れなくて跳び起きた。
適当に着替えてすぐに家を出た。
朝の風俗街は静かで、前に一度だけ行ったことのある店に迷わず入った。
一番かわいい子を頼んで、それで抜いてもらうことにした。
彼女は若く、確かに可愛かった。でも抜けなくて、女の子は困った様子だった。
でも彼女は何も悪くなくて、仕方がなかった。
店を出てから駅に向かって当てもなく歩き、抜いたのは性欲じゃなくて魂だったんだって気付いて。
それから松屋でカレーを食べて、電車に乗って、コンビニでたらふく酒を買って帰宅して。
家に帰り、ドアが閉まり、カチャリと音を立てて施錠し、そのまま立ったまま何も考えずに一缶を開け、プシュッ。
その音を聞き終える前に一気飲みした。
感情は固まり、目を閉じ、飲み終えた缶の残りを流しに捨てて横に置き、ベッドに横たわった。
眠たかったけど眠くなかった。
腕で顔を覆う。カーテンから溢れる光から逃れようとするように。
そのうち腕が濡れ、涙が溢れた。ああ…と思った。
俺は好きだったんだって。
本当に好きだったんだって。
その時になってようやく気が付いた。
気付いてわんわん泣いた。声を上げず、ひくついた嗚咽を漏らしながら。
この前、昼休みに会社の近くのパン屋でパンを4つくらい買って、チャリで家まで帰って、また出勤したんだよ
パン、全部は食わなかったんだけど、終業後に食うかもと思って、出勤用のバッグに入れてチャリのカゴに乗せてまた出社したわけ
そんで、チャリ漕いで会社に近づいてきてさ、あーまた午後も仕事か〜、帰りてえ〜、と思ってたところで、チャリがちょうど段差に差し掛かって大きく揺れたんだけど、そしたらまあパンは跳ねるわけじゃん
チャリのカゴがガタンと揺れて、一拍遅れて丸いパンが5センチくらい飛び上がるわけ
うわ〜、いいなあ!と思ったんですよね なんか
理由はマジでわかんねえけどさ、冬晴れの、ダウンジャケットがむしろ暑いくらいのいい気候の中、クランベリーとクリームチーズが入ってるっていう丸いパンが跳ねる っていう光景は、なにか俺の心の琴線に触れるものがあったらしい
人生って意外と悪くねえのか?!と一瞬思いすらした
そういう瞬間があってほしいよな
【ごはん炊いたらべちゃべちゃ】柔らかく炊けてしまったごはんの対処法【加熱?水分飛ばす?】
https://tagawake.work/about-rice-cooked-too-softly/
炊きあがった後、ジャーのふたを開けたまんまで保温する
炊飯ジャーの水分の目盛りが見づらくて、少しベチャッとした状態で炊けてしまう事、ありますよね。あと炊きあがった直後はベッチャリしていたりしますよね。そういう場合は
炊飯器のふたを開けたまま5~10分保温しておくと余計な水分が抜けてちょうどいい固さになることもある、、そうです。
開けたまま放置してしまうと今度はカッチカチに固まってしまうそうですので、こまめに混ぜたり、様子を見てあげてください。
(参照:LIVINGくらしナビ)
などなど書いてあるよ。
免許も移動手段もないと金を得る手段が皆無なのは母親も知ってるから俺に何も言ってこないけど、帰ってきてもずっとため息ついて疲れた顔して「お金ない…お金ない…」ってガタガタ震えて呟くの辞めてほしいわ。
そもそも俺の祖父であるお前の義父が農家辞めて農地も何もかも売り払ってドライブイン開いたのに高速道路できてドライブイン潰した上で悪性リンパ腫で医療費食い潰して死んで、俺の父であるお前の旦那が農家辞めてサラリーマンになったのに市街地に引っ越さずにこんな嘘みたいなポツンと一軒家に住み続けて仕舞いには完全自損のバカみたいな交通事故で金も残さず死んだのが全ての元凶じゃねーんか。
ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。
いろいろ安いものも出ているし実際ドラッグストアより安かったりするのだが、ど田舎地方民にはありがたい価格で提供されていると思うが、中都市以上となったら話は別である。
まず業務スーパーやサンディで食料品はだいたいAmazonより安く売っている。ただまぁ品揃えがまちまちなのでどうしても欲しい物があれば止めない。セール好きの間では目玉っぽく扱われてるサッポロ一番は最近値上げになったので、この価格でサンディで出会ったら買うと思う。ご飯パックやシーチキンやスープやドリンクやパスタなんかはサンディのがちょっと安い。思うにAmazonは配送料が上乗せされている。
い。だいたい店舗アプリにあるクーポンを使えば医薬品はドラッグストアのが安い。
ただしドラッグストアに売っていないちゃんとしたとこのジェネリック医薬品は、セール関係なくAmazonのが安い。例えばアレグラはフェキソフェナジン塩酸塩で検索をする。製薬会社はチェックしてくれ。
韓国系のコスメとかは結構Amazonのが安い。メラノCCはどこのドラッグストアよりもAmazonのが安い。ちなみに店舗のオーエスドラッグの値下げはヤバイので行ってみたほうがいい。
基本ドラストのクーポン対象外となりやすい化粧品は要チェックだ。
便利なAmazonプラグインアプリのKeepaは円安の影響で以前より高くても今の限界値となっている場合もある。見極めるには市場価格を知っとくべきだろう。
あまり関係ないがYouTuberなんかで爆買いしている人は、年に数回のセールに必死になっているがよっぽど郊外に住んでいるんだろうか。そこまでアフィリエイトの収入は多いんだろうか。
首都圏の土地が暴騰してるが、埼玉だけかなり割安感があるけどそりゃそうだと思った
埼玉に住める人
◉人混みが大好きかつ耐性がある人
→一にも二にも本当にこれに尽きるかも
人の量はかなり少ないはずなんだが
車で移動する時もギリギリの判断を強いられるしそれにチャリが突っ込んでくるから超カオスである
◉煽り耐性がある人
→病院は本当にすくない
◉低い治安に耐性がある人
なんで埼京線だけ突出してるんかね
→暴れる外国人は本当におおい
◉全てのインフラを東京に頼れる人、東京に行くのが苦痛じゃない人
→これ地味に大事と思う
何か楽しもうと思った時に埼玉県内で楽しめるものはほとんどない
他県に行くのが前提になるし、他県に行くと高確率で埼玉ナンバーを見かける
◉都市部にも関わらずあらゆるインフラの行き届いてなさを不便と思わず楽しめる人
→個人的にこれが1番無理
首都圏の土地が暴騰してるが、千葉だけかなり割安感があるけどそりゃそうだと思った
千葉に住める人
◉人混みが大好きかつ耐性がある人
→一にも二にも本当にこれに尽きるかも
人の量はかなり少ないはずなんだが
車で移動する時もギリギリの判断を強いられるしそれにチャリが突っ込んでくるから超カオスである
→病院は本当にすくない
◉全てのインフラを東京に頼れる人、東京に行くのが苦痛じゃない人
→これ地味に大事と思う
何か楽しもうと思った時に千葉県内で楽しめるものはほとんどない
他県に行くのが前提になる
◉都市部にも関わらずあらゆるインフラの行き届いてなさを不便と思わず楽しめる人
→個人的にこれが1番無理
今年の夏は生まれてから31年目を迎えた。前に「失業」してから4年経とうとしている。その失業した仕事は契約社員を2年、それ以前はアルバイトで4年近く働いてて一番長かった。どちらも複数の理由で辞めたけど、片方は天災も絡んで色々厳しかった。
失業元年は失業手当を受けとれた。東京の家賃が安い穴場に住んでいるが、感染症が蔓延したり、オリンピックが強行されたりして、公共交通手段を積極的に使うのは憚られる時期だったし、元々フットワークが重い方なのでその時期の生活には馴染んだ。
初めはいやな仕事場から解放された喜びが大きかったし、まずは通勤からの解放を噛み締めた。続いて自炊や家事、ライフラインの見直し、選挙に行く、体調に合った健康的な食生活=結果金がかからなくなったりとか、預金とか、やらないと損するポイ活に渋々着手とか。生活を色々変えてゆき、その余裕ができたことに恩恵を感じ(早く辿りつきたかった悔しさ混じりではあるが)喜びはあった。
その後、去年は貯金で旅行に行ったが、一度前日や旅先で眠れなくなって不調になり、戻ってからは11連勤の倉庫作業で金を稼いだ。それは電車で数駅、混雑と逆方面だったから、やればできてしまう早起きをやった。夏に冷房のない過酷な環境だったが、ウォーターサーバーや塩飴から配慮を感じられたこともあり、熱中症や指の痛みに耐え、残業も全部出た。最終日の帰りには酒を10杯くらい飲み路上に座る、という金銭面にも身体面にも代償を出してしまい、しばらくは自責の念が止まらなかったけど、今は喉元すぎて、場所の思い出になった。
久々に働いた勢いで、一度は試したかったチャリ通勤の範囲のアルバイトを半年やった。展覧会の監視業務。近所で落ち着いた環境で試しに働くことを重視して始めたが、何もせずに座ってる時間が多すぎたのと制服がないのにそれっぽい格好を求められるのが面倒で、ずっと続けることは考えられなかった。3ヶ月の休止期間に入ったこともあり辞めてしまった。
今年の春は催事に挑戦した。呼び込みが必要な食品販売は大学生の頃に事前講習で泣きを見て(大きい声を出すのが苦手)避けていたのだが、表情がマスクに隔てられていること、書類提出だけで済むことに背中を押された(そういう派遣は昔より増えたように感じる)。割りが良かったから二ヶ月半関わったけど、雇い主は高圧的で人生最悪の労働が発生したり、待機が長すぎたり。催事の性質上先が見えないこともあり途絶えてしまった。
いまは月に10万も稼いでいない。業務委託の時間固定報酬で、国民健康保険に加入してて、将来貰えるかわからない年金は止めっぱなし。
現在の仕事の合間を埋めれるもので、且つひとつでも長所のある求人があれば応募しているけど、中々面接に漕ぎ着けない。履歴書の形式破りが悪いのかとか(大幅に手を加えてしまっていたが、過去に受かるものはあったので気にかけてこなかった)、8年前の証明写真の口元の歪み(静止して撮られるのが大の苦手だ)を素人レタッチしたりとか、こんなことで査定されたくない気持ちと、かといってこんなことで弾かれたらひとたまりもない気持ちが、長すぎる毎週末(土〜月)の間にそそのかしてくるから、最近は応募のたびにアップデートしてみてもいるが通らず。大学卒業後のいわゆる就職活動が嫌でやらずにきているから経験が乏しいけど、求人応募は「お祈り」の経緯が示されないから、一方通行で学びもなくてしんどいなと思う。
自分は今、図書館をありがたく思っている。電車通勤時はいつもすれ違っていたのに、今年まで利用することはなく、その豊かさを知らなかった。本を知って読みたくなったときには、その時に脈々と流れていたムードが発端だったりするけど、買わなかったり忘れたりする。図書館では値段とかどこで手に入るかとか気にせず、どんなジャンルの本から手をつけてもいいなんて最高の状況。高い住民税を払ってきた理由の一部をここには見出せる。
Podcastもバイトの休憩の食事時間を埋めるのに聴いたことから、触れる時間が増えた。集中行動が気まぐれなので、興味があるのに未着手のコンテンツはありあまっている。ちなみに自分はストリートビューが高校生の頃から好きで、それを含めたら手をつけていないコンテンツがありあまっているといえる。自分がたのしませてもらってる創造物の作者に還元できたらしてみたいと思うけど、それを中心に据えれば何してでも働くとはなれないし、働いていたときにどれだけ還元してたかと思うと失業する先を見越して、今より懐が狭かったようにさえ思うからあきれる。
お金があると、やりたいことは色々発生してくるし、それに付随して近視眼的にお金を使う。そして旅の休暇は短い。お金がないと、情報とか近所のもので満足してしまうようやりくり上手になるのかも。近所を観光するようになる。時間は余りがちで、金を要する欲望はどんどんしぼんでいる。いつか遠くの街や、別の住処に引っ越したいとか、いつかチャリ以外の乗り物を運転できたらいいねとか。確固たる「自分ひとりの部屋」は体験したいがそれさえ忘れがち。憧れも順位も大変ボンヤリしている。夢だとか何かを絶対やりたいって意欲的な感情はなく、希死念慮が老後の不安なんかは覆い隠している。実際に金をつくってやってみるしかないんだろうな。
多分そう。この生活を続けるのも、これ以上何もしないわけにはいかないんだろうなと立ち返る。また眠れなくなると辛いしたまに人に会うとき眠いと困るから、今ある服が入らなくなると面倒だから、週4日はまじないみたいにきんにくんの筋トレ(3年目)して体力を消費する。隙あらば「死にたい」と口にせずには生きられないし、これ以上健康体になってどうするのか、とも考える。一方で、自分は寄りかかってる人々に対して無責任すぎるのか、とも考えてみる。一人と折半で生活している、インフラ(という名のケア)の十分な都市に住んでいるという事実以外で、個人との繋がりは希薄で、日々老いていくなか孤立無縁を分散したり予防できてないから。さあ働くのかどうか。
実家のスナックの仕事を手伝わされてる美人ヤンキーが顔面にあざを作って登校してきた日に
父子家庭の誰某は中学卒業後は建設現場で働くらしいって話を聞いて
意味不明な臭いの酷い駅前の商店街をワンカップ大関片手に屯するおっさん達の脇を足早に通り過ぎた
みたいな青春ではないんだ
スタンド・バイ・ミーやイージーライダーが青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。
例えば土曜の部活をサボって多摩川をチャリで下った思い出がある。
車のディーラーやファミレスがセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所の住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップで面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯の時間もあるしそう遠くは行けない。
フラフラとチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日は半ドンで時間もあるし海でも目指してやろうって思う。
最初は楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンションか物流の倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。
途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポットは釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。
段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安。大人になったら人から借りたそういう陳腐な言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。
焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯の時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。
後日友達にチャリで多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。
後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体も拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。
川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミーも青春作品として支持されているのかもしれない。
先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。
今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか、妥協を受け入れてしまったか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。
ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。
茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。
青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。
明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。