はてなキーワード: イニシアティブとは
http://www.epochtimes.jp/2017/05/27201.html
あなたはどんな方法で通勤していますか? 自転車で通勤すれば、ガンと心疾患リスクを抑えられるという報告があります。
スコットランド・グラスゴー大学(University of Glasgow)の研究チームは、イギリスのバイオバンク(UK Biobank)に保存されている26万人分を超える膨大なデータを分析しました。
彼らの通勤方法を調べ、その後5年間にわたり、ガンや心疾患の有無、また死亡したケースなどの追跡調査を行いました。
それによると、自転車通勤者は、電車や車に比べてガンに罹るリスクは45%少なく、心疾患の場合は46%、また早期死亡リスクは41%少ないことが分かりました。
心臓血管医学研究所のジェーソン・ギル(Jason Gill)博士は、「通勤の一部だけでも自転車を利用すれば、大幅に疾患リスクを抑えられる。
通勤の全行程を自転車にすれば、心疾患やガンになるリスク、また死亡するリスクを40%以上減らすことができる」と話しています。
一方、徒歩で通勤する場合は、ある程度の心疾患の予防に役立ちますが、ガンや他の死亡原因を減らす効果はないと科学者は話しています。
徒歩通勤者は週平均6マイル(約10 キロ)歩くのに対し、自転車を利用する者は週平均30マイル(48キロ)走ることから、徒歩は距離が短いために効果が薄いと指摘しています。
同研究は先月、ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載されました。
https://www.carenet.com/news/journal/carenet/43895
自転車通勤は心血管疾患(CVD)・がん・全死因死亡のリスク低下と、徒歩通勤はCVDのリスク低下とそれぞれ関連していることが、
英国・グラスゴー大学のCarlos A Celis-Morales氏らによる、前向きコホート研究の結果、明らかにされた。
徒歩通勤や自転車通勤は、日常の身体活動を高めることができる方法として推奨されている。
先行研究のメタ解析(被験者17万3,146例)において、有害な心血管転帰のリスク低下と関連することが報告されていたが、同報告の結果は、
心代謝性エンドポイント(高血圧、糖尿病、脳卒中、冠動脈心疾患、CVDなどの発生)の範囲が不均一で徒歩通勤か自転車通勤かの区別がなされておらず、限定的なものであった。
26万3,450例を前向きに追跡
研究グループの検討は、2007年4月~2010年12月の英国内22地点からの英国バイオバンクの参加者26万3,450例(うち女性52%、平均年齢52.6歳)を対象に行われた。
仕事場までの通勤手段(非アクティブ、自転車、徒歩、混在)を曝露変数として用い、主要アウトカム(致死的・非致死的CVDおよびがん、CVD死、がん死亡、全死因死亡)の発生について評価した。
結果、追跡期間中央値5.0年(四分位範囲:4.3~5.5)の死亡発生は2,430例で、うちCVD関連死496例、がん関連死1,126例であった。また、がん発生は3,748例、CVD発生は1,110例であった。
最大限補正モデルにおいて非アクティブ群と比較して、自転車通勤群は、
全死因死亡(ハザード比[HR]:0.59、95%信頼区間[CI]:0.42~0.83、p=0.002)、がん発生(0.55、0.44~0.69、p<0.001)、およびがん死亡(0.60、0.40~0.90、p=0.01)のリスクが有意に低かった。
同様に自転車通勤を含む混在群も、全死因死亡(0.76、0.58~1.00、p<0.05)、がん発生(0.64、0.45~0.91、p=0.01)、およびがん死亡(0.68、0.57~0.81、p<0.001)のリスクが有意に低かった。
CVD発生のリスクについてみると、自転車通勤群(0.54、0.33~0.88、p=0.01)、徒歩通勤群(0.73、0.54~0.99、p=0.04)ともに有意な低下が認められた。
CVD死についても、自転車通勤群(0.48、0.25~0.92、p=0.03)、徒歩通勤群(0.64、0.45~0.91、p=0.01)ともに有意な低下が認められた。
一方で、徒歩通勤群は、全死因死亡(1.03、0.84~1.26、p=0.78)、がん関連アウトカム(がん発生:0.93、0.81~1.07、p=0.30、がん死亡:1.10、0.86~1.41、p=0.45)について、
統計学的に有意な関連はみられなかった。徒歩通勤を含む混在群も、測定アウトカムのいずれについても顕著な関連はみられなかった。
これらの結果を踏まえて著者は、「アクティブ通勤を促進・支援するイニシアティブによって、死亡リスクを減らし、重大慢性疾患の負荷を減らせるだろう」とまとめている。
Celis-Morales CA, et al. BMJ. 2017;357:j1456.
http://pmc.carenet.com/?pmid=28424154&keiro=journal
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/bmj/201705/551297.html
人々の運動量は世界的に減少傾向にある。英Glasgow大学のCarlos A Celis-Morales氏らは、
中高年の英国人の通勤方法と心血管疾患、癌、総死亡の関係を明らかにするために住民ベースの前向きコホート研究を行った。
得られた結果は、自転車通勤の健康利益を示し、徒歩通勤も心血管疾患の発症と死亡リスクを軽減していたと報告した。
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http://anond.hatelabo.jp/20170522214454
自転車通勤者は徒歩通勤者より全死因死亡リスクが低い/BMJ|医師・医療従事者向け医学情報・医療ニュースならケアネット
https://www.carenet.com/news/journal/carenet/43895
自転車通勤は心血管疾患(CVD)・がん・全死因死亡のリスク低下と、徒歩通勤はCVDのリスク低下とそれぞれ関連していることが、
英国・グラスゴー大学のCarlos A Celis-Morales氏らによる、前向きコホート研究の結果、明らかにされた。
徒歩通勤や自転車通勤は、日常の身体活動を高めることができる方法として推奨されている。
先行研究のメタ解析(被験者17万3,146例)において、有害な心血管転帰のリスク低下と関連することが報告されていたが、同報告の結果は、
心代謝性エンドポイント(高血圧、糖尿病、脳卒中、冠動脈心疾患、CVDなどの発生)の範囲が不均一で徒歩通勤か自転車通勤かの区別がなされておらず、限定的なものであった。
26万3,450例を前向きに追跡
研究グループの検討は、2007年4月~2010年12月の英国内22地点からの英国バイオバンクの参加者26万3,450例(うち女性52%、平均年齢52.6歳)を対象に行われた。
仕事場までの通勤手段(非アクティブ、自転車、徒歩、混在)を曝露変数として用い、主要アウトカム(致死的・非致死的CVDおよびがん、CVD死、がん死亡、全死因死亡)の発生について評価した。
結果、追跡期間中央値5.0年(四分位範囲:4.3~5.5)の死亡発生は2,430例で、うちCVD関連死496例、がん関連死1,126例であった。また、がん発生は3,748例、CVD発生は1,110例であった。
■自転車通勤は、全死因死亡、がん発生・死亡、CVD発生・死亡とも有意に低下
最大限補正モデルにおいて非アクティブ群と比較して、自転車通勤群は、
全死因死亡(ハザード比[HR]:0.59、95%信頼区間[CI]:0.42~0.83、p=0.002)、がん発生(0.55、0.44~0.69、p<0.001)、およびがん死亡(0.60、0.40~0.90、p=0.01)のリスクが有意に低かった。
同様に自転車通勤を含む混在群も、全死因死亡(0.76、0.58~1.00、p<0.05)、がん発生(0.64、0.45~0.91、p=0.01)、およびがん死亡(0.68、0.57~0.81、p<0.001)のリスクが有意に低かった。
CVD発生のリスクについてみると、自転車通勤群(0.54、0.33~0.88、p=0.01)、徒歩通勤群(0.73、0.54~0.99、p=0.04)ともに有意な低下が認められた。
CVD死についても、自転車通勤群(0.48、0.25~0.92、p=0.03)、徒歩通勤群(0.64、0.45~0.91、p=0.01)ともに有意な低下が認められた。
一方で、徒歩通勤群は、全死因死亡(1.03、0.84~1.26、p=0.78)、がん関連アウトカム(がん発生:0.93、0.81~1.07、p=0.30、がん死亡:1.10、0.86~1.41、p=0.45)について、
統計学的に有意な関連はみられなかった。徒歩通勤を含む混在群も、測定アウトカムのいずれについても顕著な関連はみられなかった。
これらの結果を踏まえて著者は、「アクティブ通勤を促進・支援するイニシアティブによって、死亡リスクを減らし、重大慢性疾患の負荷を減らせるだろう」とまとめている。
子供のせいで金がどんどん無くなってくし、現代じゃ夫婦で働かなきゃならないからとどんどん時間もなくなって摩耗していくし、休みの日も気を使わないと嫁子に嫌われるし、家事のイニシアティブ取ってる奴は家事下手な方にイライラするし、学校の親との人間関係で問題起こってばかりだし… 子供の笑顔とかいう、あとにはゴミにすらならないもののために、時間と金をドブに捨てなきゃいけない
独身が羨ましくて羨ましくて仕方がないから、わざわざ独身にあてつける嫌味を連発しちゃったりするんだろうなぁ、可哀想に。
http://anond.hatelabo.jp/20150706220527
4050になって子供が出てってお互い飽きた妻とも疎遠なんだろ?かわいそうに。
デートのイニシアティブを早くとらない男性を「情けない男」と呼び、デートのイニシアティブがあまりにも早く行われれば「レイプ犯」とその男性を呼び、彼がうまく引っ張ってくれない場合「最低な男」と呼ぶ。
この文章が、恋愛について受け身な人の嫌な点を非常に的確に表現していると思った。
鶉まどかさんのブログに出てくる「クラッシャられ男子」は、男子だから情けなくて最低と評されるのであって、女子だったら許されているのが現状だ。そこそこ可愛い女子に生まれて愛想も良ければ、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生の王道を歩み続けることが出来る。
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。一方的にリスクを負わされていることに気づき、不平等な関係から降りたのが「草食男子」なのかもしれない。既得権は、得ている側は気づかないものなので、「草食男子」という降りた存在が現れたことで、女性が既得権を失う可能性が初めて可視化されたのではないだろうか。
しかしこれからも、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーは男女の恋愛における憧れの対象として語られ続けはすると思う。フィクションだけではなく、芸能人の結婚話などで定期的に実話が投下されるとも思う。男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。しかし「美」も「献身」も希少であり、非常に高い価値を持ち、凡人には手が届かないものだ。簡単に手が届くという勘違いは、その人にとっての「世界」を「敵」に変える。凡庸な多くの人々にとっては、メジャーリーグやセリエA、オリンピックを観るような気持ちで、遠巻きに憧れの視線を送る程度がちょうど良いのだと思う。
個人的な拒絶を引き受けるよりもむしろ、若い男性は女性をセックスのための物として見るように変えることを学ぶ───物に拒絶された方が彼はあまり傷つけられずにすむ。物として扱われることは彼女に疎外感を与え、拒絶されることは彼に痛みと怒りと弱さを感じさせる。
「男性は女性を物のように扱う加害者で悪人で絶対的強者」という一方的な認識に一石を投じる解釈だと思う。
女性を物のように捉えることは、拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされ、そうした社会は変えられないという現状に対する、個人的な適応なのだ。夫に傷つけられ失望しきった妻の心が麻痺し、夫がATMにしか見えなくなるのも、一種の精神的な適応であると思う。非人間的な考え方の根源には、これ以上傷つくことを恐れるという人間的な理由がある。「だから女は肉便器、男はATMという考え方は正しい」と言いたいのではない。人間関係の問題を解決に向かわせるためには、加害者批判に終始するのではなく、加害者理解が必要なのだと言いたい。
男性は女性を性的に拒否すべきではないという強い規範も存在する。女性が幼い男性を強姦するケースもあるが、笑い話やポルノ的消費で片付けられてしまいがちだ。女性ストーカーに怯える男性も「男らしくない」と罵倒される始末で、男性被害者こそセカンドレイプに晒され続けている。男性がセカンドレイプに晒されることを当たり前と考えていると、女性をセカンドレイプに晒すことも当たり前になる。セカンドレイプの悪質さに、被害者が女性か男性かということは、一切関係が無い。
第二次世界大戦における日本人男性は、「武士道」の訓練をまだ受けていた。「武士道」は、屈従の方法であったので日本の軍人は、進んで天皇および祖先のために死んだ。死以外に勝利への代替方法は許されないと考えるように彼は訓練を受けた。神風特攻隊は、「武士道」、すなわち「他者」への総合的な奴隷になる道の結果である。
『男性権力の神話』には、これまで男性がいかに危険な仕事に従事し、いかに使い捨てにされ、いかに国家に殺されてきたかという話が繰り返し出てくる。若い男性の労働力や命を、「名誉」を餌にして権力者が根こそぎ収奪して富を得ている構造がある。現在も「生活保護という不名誉」から逃れるために過酷な労働をしている男性が数多く居る。「他者」への総合的な奴隷、というのは上手い表現であると思う。
歴史を振り返るに、女性よりも男性の方が、よほど従属的だ。発言や態度が挑発的であったとしても、実際の行動が集団に従属的なのである。最近、男性が従属的で自尊心が低そうに「見える」女性を好むのは、支配欲というよりも共感なのではないだろうかと思う。男性向けの創作で、巨乳の存在に萎縮する貧乳が描かれたりするが、「優れた同性」の存在にやたらと萎縮する傾向は、女性より男性の方が、実際には強いと思われる。身体的な特徴を優劣・上下の関係に単純化したがる傾向は男性によくみられる。強さ議論が好きであり、劣ったものを侮蔑することを好む。男性の自殺が多い原因もここなのではないかと思っている。これが男女の器質的な違いによるものなのか、社会的な扱いの違いによるものなのか、あるいはその両方なのかは、専門家ではないのでわからない。しかし男性は「男は強くあらねばならない」と考えているため、自分が弱者・被害者の立場だったとしてもその事実を受け入れられず、強者・収奪者の価値観を内面化し、「収奪の社会構造を肯定する弱者」となってしまいやすいのではないかと個人的に思う。その結果が「喜んで徴兵される」「経済的に失敗したので自殺する」などの、集団に屈従した行動ではないか。
性的少数派である「ゲイ」と「ロリコン・ショタコン」の違い http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ジェンダー論者による「モテるヒント」 http://anond.hatelabo.jp/20150129001630
男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ http://anond.hatelabo.jp/20150125162654
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
うん、まあ、別に雅楽に熱心なのではなくて、一番下っ端のくせに出しゃばりなお前が単に職場でイニシアティブ取りたいだけだってのはわかってるから、私含め誰も何も言わないんだが。
本当にイニシアティブを取りたいなら、きちんと雅楽会に所属してまともな合奏練習をしろと。
でもアレが気に入らないコレが気に入らないって言ってるお前は、近隣の雅楽会はいくつもあるのに嫌いな人がいっぱい居すぎて所属できないんだよな? 雅楽会に所属した経験すらないんだよな?
だったら、やる気出すようなフリをして真面目な職場の連中を練習に付き合わせたところで、いつまでたっても技術レベル低いままなんだから、演奏が終わった後でいちいち意見を口にするのはやめて、黙っておとなしくしてろと。
雅楽部や雅楽会に所属してる人なら誰でも知ってるルールなんだけど、所属したことないからわからない? そうじゃないよな? わかってて無視してるんだよな?
お前毎日毎日人前で聞こえるところで居残り練習して随分経つけど、全然上達してないよな?
よそのお宮の雅楽会で指導してる私が意見を求められても特に何も言わないのは、お前が表面的に意見を求めるフリをしているだけだとわかっているからだけど。
そろそろ、「人の耳があるところでしか練習のできない奴は上達しない」ってルールにいい加減気付いたら?
毎日毎日練習してるおまえ自身が、周りの人達から「どうして〇〇(私)が通ってる(指導してる)雅楽会に参加しないの?」って不思議に思われるのを避ける為だけに、全然関係ない私の技術をおとしめるような真似はそろそろやめたら?
ひとつ言っとくけど、お前がやってるのは合奏ではなく粗探しだからな。それも自分のじゃなく他人の。
レベル低い職場の連中を付き合わせて我流の合奏を作り上げて、それにそぐわない、例えば正音で演奏をするような人間をはじくような言動を取って、それでイニシアティブ取ったみたいな顔されてもな。
それお前、ただ単に自分がヘタなことを誇っているだけだからな?
映画→食事とか、ディズニーランドとか。また、デート前から行動パターンが見える人もつまらない。
打ち込んでいる趣味があるとか、少しは意外性を見せてほしい。
「批評が癖になってる」も含めて、結局は「オレこんなにすごいんだよ」と言いたい気持ちが透けて見えるのでシラけます。
イケメンでも金持ちでも、チヤホヤされても彼女ができないのはこのタイプ。
「自分大好きで、私のことは大切にしてくれない人」なので、当たり障りなくご飯友達扱いにする。
顔色ばかりをうかがって、何がしたいかよくわからない人が一番厄介。
食事した程度で勘違いしたくないし、おセンチになるのも面倒くさいので、ハッキリしてほしい。
好きだったら好きとはっきり言え!男らしいところを見せやがれ!
ビーフストロガノフなど、手の込んだ料理を見せられたら引きます。
「こいつ、女いらねーな」と。
潔癖症は言わずもがなですが、若干だらしないくらいが母性本能をくすぐります。
→これはある。
例えば、部屋のインテリアを無視して、ホームセンターで安物のミニストーブ買ってきたりする人。
ありがた迷惑だ。先回りしてあれこれやられたら「馬鹿にしてんのか?」と思えてくる。
女性は現実的なので「トラブルに遭遇した時、頼りになるかどうか」を見ています。
良い評価をすれば、母親思いの良い人ではあるんですが、これ言われたら結婚後が思いやられる。
「結婚できれば誰でもいいの?」と女性に思わせてしまうNGワード。
「私のこと何にもわかってないのに、なに結婚とか抜かしてやがるんだ。夢見てんじゃねーよ」と、心の中で毒ツイ。
「アボカド好きだったよね?美味しい店があるから、今度一緒に行こうよ」と誘える人は高ポイントです。
良いところを見せようとして、店の店員に文句言ったり無理な注文をつける姿はスマートじゃないので敬遠されますが
選択肢を持っていて、女性の好みに合わせてお店をチョイスできる人は普通にモテます。
学校の授業から漫画やアニメ等におけるジェンダーバイアスに興味を持ったんだけど
本を見てもネットを検索しても女性にとってのバイアスしか解説されてないので、
男としては以下みたいな事も気になったりするんだけど、これらもジェンダーバイアスと言っていいんでしょうか
・男女で行う勝負事は大抵女性側が勝つ。
・男性の活躍は女性のサポートあってこそ。最近の特撮物とか見ても味方に強力な女性キャラが多い。
・しかし女性は男性のサポート無しでも十分活躍できる。男が空気なプリキュアとか象徴的。
・男性ヒーローの作品には、主人公を喰うレベルの「男顔負けのスーパーウーマン」が頻繁に出てくる。
・一方、女性ヒーローの作品には漏れなくヘタレ男が登場して主人公のかっこ良さを存分に引き立てる。
・女性=善、男性=悪。ファンタジー世界が舞台のRPGなどでも女神(女王)は正義、男神(男の王)は悪という配役が極めて多い。
・女性=優秀、男性=愚劣。既に書いたが優秀でカッコイイ女性を描く場合、高い確率で対比させるためのダメ男が登場する。
・女性は悪役として描かれる場合でも、実は同情すべき可哀想な事情があるという設定になることが多い。特に推理モノ。
・性別を逆にした場合は言うまでもなし。
・女性は成功のイメージ、男性は失敗のイメージ。ビジネスを題材にした漫画等の解説シーンに多し
・男性は加害者、女性は被害者。自動車教習所の教本とか笑えるくらい事故を起こすのは男、事故に巻き込まれるのは女だったりする
・そのわりに安全運転で感謝されるドライバーは女性で描かれる。
『紅一点論』とかも面白く読んだんですけど、取り上げてる作品が自分の世代と合わないせいもあってかピンと来ない部分も多々。