はてなキーワード: アイドルオタクとは
アイドルが好きだ。
自分の身を削り、そこから生まれるきらめきで人びとを、世界をあかるく照らしてくれる。
気づいたら人生のほとんどを、アイドルオタクとして生きている。
一番長く推していた担当アイドルは独立し、今はアーティストとして活動しているけれど、相変わらず顔も声も歌も仕草も何もかもが大好きでかわいくて大切でもう15年以上彼を推しているし、ここ数年で推しのアイドルもグループも増えた。
ところで去年、わたしは転職を機に環境を変えた。地元、親元を離れて一人暮らしをはじめ、20代のはじめに就いていた業界へ復業したのだ。
業界内ではわりと有名な会社で、規模も大きい。学生時代から憧れもあったし、コロナ禍で人生設計のプランが崩れたこともあって就職を決めた。
1日12時間労働が基本、週休1日だが繁忙期は10連勤以上続くのもざら。
先月まで続いた繁忙期の中で、一日に16時間以上働いた日も多かった。ちなみに残業代は出ない。
そして、わたしの部署は社内唯一の一人部署のため、他の社員と親密に話すということがほとんどない。業務に関する会話ばかりだ。
HDDの容量は半年で2TBのほぼ全てを埋めた。読みきれない雑誌の山、再生できていない動画の数々、未開封のままのグッズや円盤。
そして推したちのグループは今、世間から推しに推されている(ありがとう世界、もっと彼らの魅力に気づいてくれ)。
そんな状況だから、ほぼ毎日のように公式アカウントから何かしらの供給が流れてくる。雑誌の裏話、新番組のPR動画、公式YouTubeチャンネルの新着動画……。
Twitterを開くと、フォロワーたちが自分の知らない話題で盛り上がっている。なにそれ知らない見てない。やばい、追いきれてない。
自分の目で最初に確かめたいから、ネタバレは見たくない。当然、フォロワーの会話に参加できない。
余談だが、学生時代わたしは一日100post以上ツイートするツイ廃だった。今でもTwitterはわたしのコミュニティを形成する重要なツールだ。そこに加われないのは強い疎外感があった。
仕事でいっぱいいっぱいの精神、推しの全てを把握できていない現状、誰ともプライベートな会話をできない環境。
心が、自分がなくなりそうだった。
でもその度に「迷ったときは苦しい方の道を選ぶ」と言った推しのひとりの言葉を思い出し、仕事に立ち向かった。これが正解だ、と言い聞かせた。好きな仕事だから、心底辞めたいと思わなかったし弱音も吐きたくなかった。
仕事で失敗したときは「悔やむんじゃなくてなにがダメだったのか考える」、心の調子が悪いときは「毎日笑顔で過ごしてほしい。一日一回は笑って」、がんばれない日は「みんながどこかで頑張ってるって思うと俺も頑張れる」。
そうやって、心の中に推しと推しの言葉を宿していると、心が、身体が軽くなる。がんばろう、大丈夫、まだやれる、という気持ちになってくる。それはまさに偶像崇拝そのもの。
推しは偉大だ。
推しと、「推しが好き」という感情だけで立っていられると気づいた。
たとえ二日に一回しか食事をする気力がなくても大丈夫。だって来月には現場がある。
それからは、隙間の時間を見つけてはコンテンツを消化するようになった。
短い休憩時間の合間にTwitterを開き、公式アカウントのpostをふぁぼってリツイートし、動画を見る。それに関する自分の感情を何回かに分けてツイートし、フォロワーのpostにリプを送る。
心が満たされていく。
ああ、わたしだ、と思った。
推しのことを思考しているとき、推しに触れているとき、わたしはわたしでいられる。
干からびてカラカラになった細胞が、推しに触れると体のすみずみまで満ちていく感覚になる。肉体の輪郭がはっきりしてくる。
仕事のときも膨大な量の思考はしている。しかしそれは会社の歯車の一つとしての思考であって、「わたし」としての思考ではない。
大好きな推したちについて考え、その推したちに惹かれて集まってきたコミュニティの中にいるとき、ようやくわたしは自分を取り戻すことができるのだ。
宇佐見りん著「推し、燃ゆ」の中で、アイドルオタクの主人公・あかりは推しの存在を「背骨」と表現している。推しこそが自分の生命の根幹なのだ、と彼女は語った。
彼女にとって推しが背骨なら、わたしにとって推しを推すことはアイデンティティそのものだ、と思う。
アイドルオタクとしてのわたし。それこそがわたしであり、もはやそれ以外はわたしでないとさえ思う。
推しの出ているテレビ番組や配信をリアタイするためなら、死ぬ気で仕事を片付けて早く帰れる。
推しが買ったものを食べ、推しと同じリップを塗り、推しが好きだという香水を買い、推しのためにかわいく、きれいであろうとする。
「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」だし、「その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとし」ている。
だから今日も、わたしは燃え尽きた炭のようにスカスカの身体をベッドに投げ、推しの動画を開くのだ。
夏の話ですが、活動を休止していた推しの復帰ライブがありました。まだ感情がぐちゃぐちゃです。なんでこんな気持ちになっているかというと、推しがそのライブの告知を一切せず、突発的に行ったからです。ぐちゃぐちゃな理由はもっとたくさんあるんですが、特定を避けるためここでは明言しません。とにかく推しがものすごくたくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人に本気で怒りを向けられているということは確かです。ほんとうに、心から悔しいです。推しが推しに殺されました。
私は休日には好きなアイドルのライブに通ういわゆるアイドルオタクです。
私が学生時代から推していたアイドル、Hくん(仮名)はある時から活動を休止していました。
アイドルオタクと書きましたが私が好きになったアイドルは後にも先にもHくんだけです。人に連れられて行ったライブで好きになって、それからどっぷりハマってしまいました。休止になった時はこれからどうやって生きていけばいいのかわからないと思いましたが、案外生きていくことができました。Hくんは何となく戻ってくる気がしていたからです。Hくんを信頼していました。
Hくんは戻ってきましたが、いつのまにかユニットに所属していました。ここ数年のユニット制度の台頭は凄まじく私と同じく推しのユニット所属によって複雑な気持ちになったオタクは少なくないと思います。私だってちょっと路線が変わったくらいなら我慢できます。でもHくんが入ったユニットはかなり過激な売り方をしていて、デビューと同時にすぐに話題になりましたがそれは度重なる炎上が原因でした。
私がHくんを好きだった理由の一つに、アイドルとして信頼できる、ということがあります。他のアイドルオタクたちが「推しがこんな風に迂闊だ!」と嘆いている時、私は「でもHくんはちゃんとしてるから」と余裕綽々でした。Hくんは文春砲を喰らったことも炎上したこともなかった(してもファンが勝手に燃えたとかでした)し、なんというか「アイドル」というものをちゃんと理解している子でした。これは思い込みかもしれませんが、私と同じオタク気質だったんだと思います。だからHくんはオタクの心を守ってくれました。
そんなHくんがたった一年ぽっちの休止を経て別人のように変わってしまったことが、自分で思っていた以上にショックでした。炎上してるっていうのは色んな人に怒られているってことです。Hくんのいるユニットが嫌い!と大声で言ってる人がたくさんいました。炎上は炎上でも、他のアイドルを傷つけるタイプの炎上だったのも大きいと思います。私の推しが人に嫌われていくのを見ました。みんなに愛されるのがアイドルだと思ってたし、Hくんもそう思っているんだと思っていました。アイドルが何か別の目的のための手段に使われていることがわかりました。アイドルのHくんはどこにもいなくなっていました。(正直本当に違う人になっているんじゃないかと疑っています。別人に見えるのは私だけなのか……)
私はHくんのファンを辞めました。Hくんにあの頃に戻って欲しいわけではないです。本音を言うと戻って欲しいけど、今更絶対に無理だと分かるので、ただ私が降りるだけです。疲れました。
分かる人には誰の話かわかってしまったかと思うんですが、私はHくんを責める気も、Hくんのユニットに怒る気も、Hくんのファンを批判する気もないです。もしかしたら私と同じようにHくんが死んじゃったように感じている人がいるかもしれない、と思ってこの文を書いています。恨んでないけどただ悲しいです。
何より悲しいのが、Hくんが死んでしまったのを見てHくんのことがどんなふうに好きだったのか思い出せなくなってきたことです。あのライブで私の好きだったHくんと一緒にHくんのことが好きだった私も殺されたんだと思います。死にたくなかったです。
少しずつCDやグッズの整理をしていますが、本当に遺品整理の気持ちです。おんなじCDが何枚も何枚も出てきて、何回も握手会の列に並んだことを思い出して泣きました。Hくんに会いたいです。
ここまで読んでくれた人に一つお願いがあるとしたら、今後Hくんの現場で複雑な表情をしているオタクがいてもどうか見ないふりをしてあげてほしい、ということです。その人も多分私と同じ殺された人です。幽霊です。
繰り返しになりますが、一アイドルオタクの個人的な意見・感情であり、アイドル自身やそのファンを批判する意図は一切ありません。
※追記です
この文はフィクションであり、Hくんは実在しません。私も実在しません。Hくんのユニットに傷つけられたオタクがいることは本当です。読んで頂きありがとうございました。
と言ってもはてなの読者は長い文章読むと脳がバグって誤読率多発するから簡単に言うね。
ナマモノの扱いは慎重に!
以上!
多数派にとっては「ナマモノだから」と「サイゲ公式がダメって言ってるから」だと前者の方が強いくらいだと思うわ。
もちろん、ナマモノだろうが気にしないというかナマモノだからこそ二次創作するというやつもいるからそういうやつを防ぐためにサイゲームスの公式声明は必須。
だが、多数派のオタクにとってウマ娘の二次創作が忌避されるのはナマモノだからの方が大きいと理解したほうがいいぞ。
「二次元好きなオタク」はナマモノの扱いにはかなり慎重なのだ。(声豚やアイドルオタクのようにナマモノの扱いに慎重でないやつらもいる)
ちなみに馬主がーとかぬかし取るやつはただの愉快犯。任天堂とかディズニーネタでバズろうとうするカスと、そのカスに便乗して騒ぎたいクズが遊んでるだけ。
つまり、「馬主が怖いからそれにゴロニャンするのか」という皮肉を言ってる人は、愉快犯につられてる情弱。フェミの上に情弱って救いようがなさ過ぎる。
宇崎ちゃんやらの他のコンテンツとこの区別がつかない人間はオタクのことをもうちょっと勉強してからしゃべってくれ。
「そんなオタクの事情なんか知らんわキモキモキモ」とうっちーみたいなことを言うののは自由だが、オタクのことを理解しようとしない態度をむき出しにしながらオタクからまともに話を聞いてもらえるとは思わないように。
雑誌BRUTUSのNo.933でアイドルマスターの特集が組まれ、そこで夢見りあむがヤンデレアイドルとして説明されたらしい。
すると雑誌に対して「りあむはヤンデレじゃない」という感想を持った人が割と見かけられた。
個人的には夢見りあむがゲームやそれ以外のメディアでヤンデレとして描かれようが描かれまいが面白ければどっちでもいいんだが
まず何らかの対象について病的な愛し方をする人をヤンデレと定義すると
夢見りあむはアイドルになる前は普通でないアイドルオタクであったので確かに「アイドル」という概念を病的に愛していた可能性はあると思う。
愛し方が病的だったために周りのアイドルオタク達との間で軋轢が生じて少なからず炎上していたという考えも出来なくはない。
しかしアイドルとしてスカウトされて3ヶ月後の総選挙で彼女は190人中で3位を取ってしまう。
ロクでもない人間と自覚していたりあむが素晴らしいアイドル187人より上のアイドルになってしまった事で彼女は苦悩した。
ヤンデレアイドルの佐久間まゆで喩えるなら、自分の面倒を見てくれるPを登場直後から病的に愛していたのに
3ヶ月目に大量の下痢便をPの顔面に不可抗力でぶち撒けてしまうようなもんだ。
今までのような愛し方も上手く続けられなくなるのも無理は無い。
それでも総選挙から4ヶ月後に夢見りあむは何とか吹っ切れる事が出来た。
ロクでもないアイドルである事は変えられないとした上でそんな自分を持て囃すアイドルオタク達に
そのままの自分をぶち撒ける事にした。
「アイドル」の概念に迷惑をかける事になってしまうかもしれないが、アイドルらしくもない自分を持て囃すアイドルオタク達が悪い!
そんな責任転嫁も込みの上で「アイドル」をまた愛せるようになった訳である。
昔とは違う愛し方になってしまったが愛する相手への迷惑等も意識するようになった分だけ健全な愛し方になったと私は思う。
そして1年が過ぎ、りあむは「アイドル」をより知った上でそれを太陽のようなものと持ち上げたりしながら愛し続けている。
迷惑を掛ける事は自覚しているが少しずつでも「アイドル」にマトモなお返しも出来るようになってはいる。
アイドルオタクにも顔とか歌とかキラキラしてるとか色々好きになった理由があるだろうけど、私はアイドルが辛い思いしてるから好き。推しには、いつも幸せでいてね。苦労なんてしないでね。と願ってるけどいざそうなったらすぐ興味なくすと思う。
何かに出るたびに邪魔くさい化粧して、太ったとか、肌荒れしてるからストレス溜まってんだねとか評価されて、ニコニコニコニコしてなきゃ駄目で、プラベでさえ品行方正にしなきゃだめで、ストーカーされて…。めっちゃ大変だと思う。特にSNSがある今のアイドルの皆さんってほんとに大変だ。
でも嬉しい。自分のタイプの男が自分みたいに評価されて、媚売って、ついにはしんどくてたまに休養したりすることが悲しいけど嬉しい。嬉しいって言葉良くないとは分かってるんだけど、実際そういう情報流れてきたときの感情は一番これに近い。ちゃんと悲しさとか心配する気持ちもあるから許してほしい。
この感情には好きなアイドルが私と同じことで苦しんでる…!わかる!しんどいよね、、っていう共感と、私が普段男から強要されて苦しんでることを男なのに受けてるっていう歪んだ感情もあります。
とにかく純粋な気持ちで好きになったわけではないけれど、アイドルや推しを愛する気持ちは本物だからこれからも応援していきます。
社会学って要は社会科学における「その他」全部をとりあえず置いておく箱みたいなところなんです。
大きくなって自立したらほぼほぼ別体系であるはずの小さな学問たちが普通に肩を寄せ合って生きてるんです。
当然ですが個々の分野単位ではどこもちゃんと学問としての健全さを保つ努力をしています。
しかしながら、たくさんある分野のどっかではやらかすとこが出てくるのです。
個々の界隈が狭すぎて、プレイヤー全員が顔見知りみたいな状態になるのが不可避なのもその原因のひとつでしょう。
それをじゃあお前社会学やってるんだから批判しろよ、と言われてもつらいものがあります。
哲学の人に同じ文学部なんだから言語学の人を批判しろ、みたいな話になっちゃうんです。
撮り鉄のやらかしをアイドルオタクに「批判しろ、同じオタクだろ」って言われても困るでしょう。
私もオタクなので応援しているアイドルのライブ行ったりするし、その帰りに飲み会してセトリが良かった衣装が可愛かっただなんだ話すのはわかるんだけど。コロナ自粛が続いてライブも中止になって辛い時期はあった。
で、discordで通話繋ぎながら一緒にゲームやってて、その中に別にアイドルオタクじゃない人たちも混ざってたんだけど、そういう人たちから話を振られても興味ない感じの返事ばかりで、どうしたんだろと思ってたら、
「あああーーー!!!!!!」っていきなり大きい声出して推しのTwitterが更新されたとか早口で話し始めた。私も確かにそうだなぁと思ったけど他のメンツはそのアイドルのことあんま知らんし、話題に挙げてもなぁって黙ってたんだけど
そこからずーーーーっと推しの話しかしない。ゲームはプレイしてるけど勝った負けたの話も無し。ずっと喋り続けてた。これが1回2回ならまだ良いかもしれないけどひたすら繰り返されてて、そんなに語れるのは羨ましいなぁと思う反面、人の話には全く興味ないのは一緒に遊んでる人たちに失礼じゃないか?と少しずつイライラしてきている。
推しの話以外が出来るようになってほしい、もしくは人の話を聞いてあげれる人になってほしい。でもそんなの私のわがままだと分かっているのでそこで凹んでしまう。
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
アイドルオタクやってるけど、最初は所謂茶の間ファン寄りだった。テレビやYouTubeで満足、CDやDVDが出たら初回限定盤のAかBか迷って1枚買います、地元にツアー来たら1回行きます。
でも友達もハマってくれて、一緒に話をするようになったらその子が今までのDVDとCDを全部一括購入した事が分かった。初回限定盤とかは在庫がなくてメルカリとかで安く買ったらしいけど、一気に使うお金の違いに驚いた。自分の方が前から好きだったという謎の意地から、ハマるずっと前のDVDは買ってなかったけどすぐに全部買い集めた。勿論DVDの内容は全部良かった。
新しいCDが出た時、なんの迷いもなく全形態予約してた。つられて全形態予約してしまった。勿論CDの特典は全部素晴らしかった。
一緒にコンサート行こうってなって、その子は当然の様に上限まで応募してた。2回当たっても3回当たっても行くつもりだったし、飛行機の距離もなんとも思ってないみたいだった。
私もコンサートには行きたかったし、何回も見られるのは素敵だと思ったから同じように応募した。1回のツアーで新幹線の距離に3回行った。勿論全部楽しかった。
勿論全ステとかグッズ全購入、CDを全形態×n買う人もいる中で、全然良心的な推し方だとは思う。
本人の意識も、オタク友達欲しいけどそこまで本気で追ってる訳じゃないから同じくらいの金銭感覚の人がいいな〜って思ってる。
私は「同じくらいの金銭感覚のオタク友達」に入っているが、無理ではないというだけでちょっとキツい。
お金を使うのに抵抗が無くなって、出来ていた貯金が出来なくなってきてる。
多分これからもちょっと切り詰めれば払える位のお金を、友人につられて、友人に見栄を張りたくて、友人に嫉妬したくなくて使い続けてしまうと思う。
無理に付き合って払ってる訳でもなく、強制された訳でもない。お金を払った分だけバックがあるから使ってしまったお金に後悔はない。ただ自分が払いたくて払ってるんだけど、アイドルに払ってるんじゃなくて自分の見栄の為に払ってる気がして虚しい。やめたい。
大学の友人がドルオタで、勧められて見たら普通にどハマりしてしまったのが3年前。
グループは1年周期で変わりつつ今3グループ目を推してる。かわいい!かっこいい!サイコー!!
でもアイドルオタクって叩かれる訳じゃないですか。で、叩いてる人の言い分を聞くとまあ理解が出来る訳ですよ。
「金づるになってるだけ」
「付き合えるわけないのにリアコとかw」
だのだの……。
こちらとしてもCD積んだりコンサート行ったりは自己満足です!っていう体でオタクやらせてもらってるけど、それでも熱愛でたら「今が大事な時期なのに」「匂わせはダメだよね」みたいに「まあ熱愛自体はいいんだけどね??でもさぁ……」的な、いやお前絶対熱愛に怒ってんだろっていう感想出ちゃうじゃん。
見苦しいね〜こんなことやりたくないよ……。幸いまだ私の推してるグループ、メンバー達にそういう噂はないけど、熱愛や結婚あったら確実に荒れてしまう。
でも好きな人(推し)である以上幸せであって欲しい気持ちも本当なんだよ。美味しいもの食べて楽しいことやってよく寝て仕事も沢山あって……という幸せの中に恋人作って結婚してっていうのも理性上あるんだけど、実際はだいぶしんどい。
勿論私が付き合えるとか結婚出来るとか思ってる訳でもない。これはマジで勘違いしないで欲しいところ。オタクと繋がるアイドルは完全アウトです。でも付き合えないって思ってるのに結婚するなの方が酷い気もする。好きです!!だけど貴方は恋愛しないで下さい!!!って事だもんね。そんなんアイドル側としては仕事で疑似恋愛提供してんのにオタク側から言われたくないわな。
あーーーーアイドルには結婚して幸せな家庭を築いて欲しい反面、一生誰のものにもならずにステージの上でキラキラ歌って踊ってて欲しい〜〜〜
アイドル産業ってアイドル側にはアイドルとしての経歴以外には何も残らない虚しい事なのかもな。
でもごめんな、それでも好きなのでアイドルとしてのアイドルを応援します。
ままならねぇ〜〜〜
オタクのシステムは漫画オタク、アニメオタク、アイドルオタクのように「なんたらオタク」とすることで対象を指定する仕組みだ。
そして、その「なんたら」には価値のある対象が入るシステムとなっている。
だが、そのなんたらはオタク以外の何かであってオタク自身にはならないわけだ。
つまりオタク自身がオタクに価値がないと自ずから表明していることになるんだ。
他人から「お前に価値がない」と言われるのでなく自分自身で「私には価値がない」と証明しているんだよ。
自分の好きな行動と自分のしている行動が結びついているから自己肯定に、なるんだ。
オタクであり続けるということは、日常的に自己否定感を育てていっているのと同義である。
最近では、オタク界隈もその構造上の欠陥に気づいたようで必死でオタクの生態とやらをアピールしてる。
でも、原理的に無理だよね。
オタクをモチーフとした創作において、作中のオタクはオタク・オタクではないのだから。
つまりオタクモチーフ作品の作中のオタクはオタク・オタクではなく漫画オタク、アニメオタク、アイドルオタクなどである。
では仮に作中のオタクもオタクを対象としたオタク・オタクだとする。