はてなキーワード: アイドルオタクとは
今回に関して言えばほぼオタクくんが勝てる。
これまでの勝負とは決定的に違うのは、
VTuberっていう文化の受け皿が、フェミ界隈の想定してる以上に広いので
なんだけど、これに唯一の落とし穴があって。
彼もフェミよりはマシという程度であんまVTuberっていう文化に対して理解してない。
彼を突かれるのだけが唯一の負け筋。
VTuber界隈は味方にすれば数も力も集まるが、
逆に質の高いフェミニスト系VTuberなんてもんが出てきたらそっちも支持するだけなのだ。
そういう、好きなやつが言えば何でも正しいと信じ込む
アイドルオタク的な性質を強く持つ界隈だということを理解してない。
まさしく偶像崇拝してる集団なので、好き勝手に神様を武器にされることも嫌う。
オタクについての話が盛り上がってところだし、いい機会だから。
単純に「オタク」というと、アニメやアニメに準じる趣味を持つ人のことというイメージを自分も持っているし、一般的に語られるときもそういう文脈で語られることが多いと思う。
でもそういうアニオタのことを指して、「オタクは~」というと、「映画オタクやアイドルオタクもいる!!」と、気動車を鉄道の総称として「電車」と呼んだときに過剰反応する鉄オタみたいな人がちょくちょく出てくるのは、一体なんだと思う。
「オタク文化」と呼ぶと前述のとおり、アニメに関する文化の意味合いになる。「オタク気質」だと映画オタク等全般に指してるのかもしれない。
まあ文脈で変わるだろ言ってしまえばそれまでなんだけど、話の腰を折ってまでして、やけに定義にこだわる人がいると面倒臭いという、お話です。
私はジャニヲタ。
でもジャニーズが出る番組のSNSアカウントがとにかく嫌いだ。
以下はただただ嫌い、というお気持ちを言いたいだけで、批判したり改善を希望したりするものではない。
私は15年近くジャニヲタをやっている。
これまで好きになったのは所謂デビュー組で、ハマった時点で若手ではないグループばかりだった。また、SNSが今ほどテレビと直結していない時代を主に生きてきた自覚がある。
衝撃を受けた。売り出す側もメンバーもファンも、とにかく熱いのだ。
CDたくさん買う!有線リクエストする!MTVリクエストする!ハガキ出す!先輩はあんなに売れてる、後輩からの突き上げもある、とにかく走れ!のし上がれ!そんな雰囲気。
もちろんハマりたての私はその雰囲気に感化された。所謂"売り出し中"ってこういうことを言うのかという感慨、時代を一緒に生きてる高揚。これまで感じたことがなかった。
楽しー!と思いながらできるだけCDも買ったし、リクエストもしたし、ハガキも出した。
ファンができる限りの応援、その中には当然「Twitterでツイート・RTする」も含まれた。
Billboardのランキングは、曲名やアーティスト名がどれだけ呟かれたかが指標のひとつになっている。
Twitterも、年間呟かれたハッシュタグランキングを発表している。
それを参照してテレビ番組がタレントをキャスティングするのは当然だと思う。
また、SNSでの拡散力が評価されてタレントが出演したあと、どれだけRTされたか、トレンド何位だったか。それが次の出演にも繋がるのだろう。
ここからが私のとにかく嫌なところです。
だからって番組公式アカウントが拡散及びトレンド入りを煽ってくるのが、めちゃくちゃ嫌い。
例:
「再来週は○○の○○くんが出演☆*°トレンド入りの予感( *´艸`)」
「次週○○くんが○○します!ファンの皆さん、拡散よろしくお願いします!」
これの何が嫌かと言うと[拡散→トレンド入り→次回も出演]このループのせいでテレビ番組も腐っていくんじゃないかという予感。
私は性格が悪いので、アイドルに拡散頼まなきゃ視聴率良くならないんだね、かわいそうだね…と哀れみの目になるし、そもそもそんなツイートする人が作ってる番組に自担が担ぎ出されるのが嫌で仕方ない。
でもテレビ番組出演は貴重な機会。予告ツイートはRTするし、キャスティングありがとうございます!とリプするし、出演中はハッシュタグ付きで実況してTVerも回す。
本当にそれでいいのか?
悲しいことに頑張れてしまう。
オタク(少なくとも私)は自担のためならそこそこのものにだって労力とお金を出せる生き物。つら…でも医療費だから仕方ない。
私は自担のためというよりは自分のため、つまんない番組に反応を返しているのだ。
そんな風にオタクが番組を拡散したところで、番組は面白くなるんだろうか?
私がオタクでなかったら、またオタクが拡散頑張ってんな…つまんないのに必死だな、と冷めた目で見てしまう。オタクのことを、思考能力がなくて盲目だ、と馬鹿にさえするかもしれない。
私の心の片隅にも、こんな風に客観的に見ている自分がいて、ほんとにいいの?と思っていたんだろう。
前述した、
「再来週は○○の○○くんが出演☆*°トレンド入りの予感( *´艸`)」
もういいや…。
ただ、私はこんな風に群れからはぐれたが、頑張るオタクはきっとまだまだたくさんいる。番組公式アカウントが考えたハッシュタグはトレンド入りする。
考えても仕方ないことをぼんやり思う。
テレビって、そんなのがずっと続いていいんだろうか。アイドルオタクの拡散力なしでは、どんな面白い番組も視聴率を獲得できない時代なんだろうか。
冒頭に書いたように、SNSがそこまでテレビと密接に関わっていない時代、つまりテレビ番組がとても面白いとされていた時代を生きてきたので、なんか悲しくなる。
悲しくなって、ジャニーズが出るテレビ番組のSNSアカウント嫌い、という結論に至ったのだ。
以上です。
もちろん、効率のいいやり方なんだろうなとも思う。私がテレビ番組のスタッフで公式アカウントの中の人だったら1ツイートにめちゃくちゃ悩むし、反応があったら嬉しくてやりがいを感じるだろう。そしてこんなブログ見たら腹を立てる。
そしてそもそも、面白い、つまんないの基準なんて人それぞれだ。
私が盲目なオタクと思ってしまった人の中には、内容が大好きで応援している人だっているはず。
あとこれを書きながら、私、応援するのに疲れてきてるのかなーとも思った。
同じ野球チームやバンドのファンがすぐに友だちになれるように、酒のファンになれば同じ酒のファンとすぐ友だちになれる。
そして酒にはファンが沢山いるから酒のファンになっちゃうのは人生においてめっちゃ得なんだぞ。
とのこと。
無茶言うなと。
いつかは強くなると無理やり飲まされ続けたのもあって俺は見事に酒のアンチになった。
酒のアンチとしてその課長とは段々敵対していったし、それとは別に給料が残業時間に見合ってなかったので会社も辞めた。
そしてそれがメジャーであるほどにファンどもは加速度的に調子に乗って誰にでも布教するのが正しいと思いこむ。
鉄道オタクとかガンダムオタクとかアイドルオタクとか野球オタクとか特定宗教や政党のシンパ達……そういった厄介な信者の類ってのは結局そのジャンルを通して仲良くなった成功体験とかが変に積み上がりすぎた体なんだろうな。って
そしてそうやって甘やかされたファンほどアンチに対してやたら敏感だ。
だから俺は色んなものの悪口は言わなくなったし、アンチがどこにいるか分からんので無趣味を装うようになった。
結果として無味乾燥なヤベー奴として職場では扱われるけど、その分飲み会にも誘われにくくなって得してる。
あの自称酒のファンはマジでクソ野郎だったしその理論はたしかにクソだったけど、そのロジックそのものは俺の人生に糧をもたらした。
まさしく「敵の名言」であったよ。
そういうのあるかい?
アイドルオタクみたいな語り口で良い
ハッキリいってキモい
俯瞰で見ればそういう人間たちは気持ち悪い厄介な層だと一目でわかる
アイドルオタクの性的発言や不審な行動を見て「どうでもいい」という意見を省いて完全なる肯定と否定に分ければ否定的な意見を投げ掛ける人間の方が多いのである
しかしSNSなどでそれらを見て非難をすると最悪BANされたりするのはそれを指摘する側である
直接叩いたりするのはまた別問題だと云われればそれまでの話だが
ならば一体こういった不愉快を与える層を誰が抑圧するのか?
モラルのない人間に対しモラルがないと云わずにブロックして終わりなのか?匿名サービスならどうだ?公共の場ならどうだ?
個人がわざわざ言わないと収まらない段階まで来てるのにそれを個人が云えばBAN
だがそれを複数人が黙ってたらどんどん付け上がる
別にこれは人種差別でもない オタクは1秒で脱することができるのだからオタクをバカにしたところで人格否定ではないのだから差別ではない
Oh yeah!、10年経っていません。
酔って溜めてた少クラを見返してたら聞き慣れた音楽が聞こえて泣いて急にはてなアカウントを、つくった女の話です。
アカウント登録がうまく行かなくて何回も消火栓や自動車の写真を選択したし、いつも使ってたパスワードはミスタイプしてたせいでログイン出来なくてパスワード設定しなおした、上で酔ってこれをかいてる
ことのはじまりは5月の1週だか2週目だかの少クラを消化してたら最後の最後でハイハイがoh yeahを歌い出した。bgmの入りで感きまって泣いた。
多分酒が入ってなかったら泣いてない。
私は嵐のオタクではない。ジャニのチャンネルのバランスはラノベ並みにバランス良いなと感じながらもメンバー揃ったあたりから見てないレベルのあるある茶の間嵐オタクだ。
あるある茶の間オタクなので嵐のことはよく分からんけど周りが気になる10代だったのでMステを毎週チェックしてた影響でLove so sweetは擦り切れるくらい聞いていた。当時の貧乏小中学生の精一杯は当時リリースされた嵐のニューアルバムTimeをレンタルしてソニックステージ(時代)に取り込むことだった。
初めてCDをレンタルして親のPCに取り込んでCDに焼いてコンボボックスで再生という経験を経て、当時の私は勉強中にTimeをひたすら流していた。シャッフルという知識を知らなかったので毎回馬鹿正直に1トラック目から再生していたので、目当てでレンタルしたLove so sweetよりもoh yeahを聞いていた。
嵐がサブスクしたおかげで今これを書きながらサブスクのTimeを垂れ流しながら聴いてる。(当時のデータはソニックステージに取り残されている)今となってはアルバムを取り込んでもシャッフルで再生してしまうのだが、あらためてTimeを垂れ流していると、曲と曲の繋がりが(勝手に)印象付いているんだなと感じた。Timeなら曲順明かされなくても1人メドレーできると思う。曲が進むたびに10数年前を思い出して泣いてる。
最初自分より10も下のアイドルを応援するようになって歳を取ったことを実感したり、今は名前が売れている人々は自分の推しの年齢の時点で既にデビューしていると知って衝撃を受けたり、自分は若い方だと思っていたけど確実に歳を取っていると感じることが多くなった。あれだけ夢中になって何度も繰り返し再生したTimeももう15年前の作品になろうとしている。youtubeやsnsが発達した今このような経験をする若者はいないのだろうなと思う。でも私が嵐のファンではないのに嵐の曲を聞いて涙を流してるように、私の推しが誰かの思い出として涙を流すような存在になるのならアイドルオタク冥利に尽きるなと思う。
自分が古いオタクなんだろうなと思った。今はビジュアルだカメラパフォーマンスだと言われるが私はやっぱりアイドルがあって、アイドルがあって、アルバムがすきだ。
正直15年近く経ってTimeのコンセプトは今アイドルオタクになった今よくわからない、あまりすきではない曲もある、が、アルバムを通して聴くと愛おしくて思い出深い曲だとかんじる。
Oh yeah!、10年経っていません。
酔って溜めてた少クラを見返してたら聞き慣れた音楽が聞こえて泣いて急にはてなアカウントを、つくった女の話です。
アカウント登録がうまく行かなくて何回も消火栓や自動車の写真を選択したし、いつも使ってたパスワードはミスタイプしてたせいでログイン出来なくてパスワード設定しなおした、上で酔ってこれをかいてる
ことのはじまりは5月の1週だか2週目だかの少クラを消化してたら最後の最後でハイハイがoh yeahを歌い出した。bgmの入りで感きまって泣いた。
多分酒が入ってなかったら泣いてない。
私は嵐のオタクではない。ジャニのチャンネルのバランスはラノベ並みにバランス良いなと感じながらもメンバー揃ったあたりから見てないレベルのあるある茶の間嵐オタクだ。
あるある茶の間オタクなので嵐のことはよく分からんけど周りが気になる10代だったのでMステを毎週チェックしてた影響でLove so sweetは擦り切れるくらい聞いていた。当時の貧乏小中学生の精一杯は当時リリースされた嵐のニューアルバムTimeをレンタルしてソニックステージ(時代)に取り込むことだった。
初めてCDをレンタルして親のPCに取り込んでCDに焼いてコンボボックスで再生という経験を経て、当時の私は勉強中にTimeをひたすら流していた。シャッフルという知識を知らなかったので毎回馬鹿正直に1トラック目から再生していたので、目当てでレンタルしたLove so sweetよりもoh yeahを聞いていた。
嵐がサブスクしたおかげで今これを書きながらサブスクのTimeを垂れ流しながら聴いてる。(当時のデータはソニックステージに取り残されている)今となってはアルバムを取り込んでもシャッフルで再生してしまうのだが、あらためてTimeを垂れ流していると、曲と曲の繋がりが(勝手に)印象付いているんだなと感じた。Timeなら曲順明かされなくても1人メドレーできると思う。曲が進むたびに10数年前を思い出して泣いてる。
最初自分より10も下のアイドルを応援するようになって歳を取ったことを実感したり、今は名前が売れている人々は自分の推しの年齢の時点で既にデビューしていると知って衝撃を受けたり、自分は若い方だと思っていたけど確実に歳を取っていると感じることが多くなった。あれだけ夢中になって何度も繰り返し再生したTimeももう15年前の作品になろうとしている。youtubeやsnsが発達した今このような経験をする若者はいないのだろうなと思う。でも私が嵐のファンではないのに嵐の曲を聞いて涙を流してるように、私の推しが誰かの思い出として涙を流すような存在になるのならアイドルオタク冥利に尽きるなと思う。
自分が古いオタクなんだろうなと思った。今はビジュアルだカメラパフォーマンスだと言われるが私はやっぱりアイドルがあって、アイドルがあって、アルバムがすきだ。
正直15年近く経ってTimeのコンセプトは今アイドルオタクになった今よくわからない、あまりすきではない曲もある、が、アルバムを通して聴くと愛おしくて思い出深い曲だとかんじる。
アイドルが好きだ。
自分の身を削り、そこから生まれるきらめきで人びとを、世界をあかるく照らしてくれる。
気づいたら人生のほとんどを、アイドルオタクとして生きている。
一番長く推していた担当アイドルは独立し、今はアーティストとして活動しているけれど、相変わらず顔も声も歌も仕草も何もかもが大好きでかわいくて大切でもう15年以上彼を推しているし、ここ数年で推しのアイドルもグループも増えた。
ところで去年、わたしは転職を機に環境を変えた。地元、親元を離れて一人暮らしをはじめ、20代のはじめに就いていた業界へ復業したのだ。
業界内ではわりと有名な会社で、規模も大きい。学生時代から憧れもあったし、コロナ禍で人生設計のプランが崩れたこともあって就職を決めた。
1日12時間労働が基本、週休1日だが繁忙期は10連勤以上続くのもざら。
先月まで続いた繁忙期の中で、一日に16時間以上働いた日も多かった。ちなみに残業代は出ない。
そして、わたしの部署は社内唯一の一人部署のため、他の社員と親密に話すということがほとんどない。業務に関する会話ばかりだ。
HDDの容量は半年で2TBのほぼ全てを埋めた。読みきれない雑誌の山、再生できていない動画の数々、未開封のままのグッズや円盤。
そして推したちのグループは今、世間から推しに推されている(ありがとう世界、もっと彼らの魅力に気づいてくれ)。
そんな状況だから、ほぼ毎日のように公式アカウントから何かしらの供給が流れてくる。雑誌の裏話、新番組のPR動画、公式YouTubeチャンネルの新着動画……。
Twitterを開くと、フォロワーたちが自分の知らない話題で盛り上がっている。なにそれ知らない見てない。やばい、追いきれてない。
自分の目で最初に確かめたいから、ネタバレは見たくない。当然、フォロワーの会話に参加できない。
余談だが、学生時代わたしは一日100post以上ツイートするツイ廃だった。今でもTwitterはわたしのコミュニティを形成する重要なツールだ。そこに加われないのは強い疎外感があった。
仕事でいっぱいいっぱいの精神、推しの全てを把握できていない現状、誰ともプライベートな会話をできない環境。
心が、自分がなくなりそうだった。
でもその度に「迷ったときは苦しい方の道を選ぶ」と言った推しのひとりの言葉を思い出し、仕事に立ち向かった。これが正解だ、と言い聞かせた。好きな仕事だから、心底辞めたいと思わなかったし弱音も吐きたくなかった。
仕事で失敗したときは「悔やむんじゃなくてなにがダメだったのか考える」、心の調子が悪いときは「毎日笑顔で過ごしてほしい。一日一回は笑って」、がんばれない日は「みんながどこかで頑張ってるって思うと俺も頑張れる」。
そうやって、心の中に推しと推しの言葉を宿していると、心が、身体が軽くなる。がんばろう、大丈夫、まだやれる、という気持ちになってくる。それはまさに偶像崇拝そのもの。
推しは偉大だ。
推しと、「推しが好き」という感情だけで立っていられると気づいた。
たとえ二日に一回しか食事をする気力がなくても大丈夫。だって来月には現場がある。
それからは、隙間の時間を見つけてはコンテンツを消化するようになった。
短い休憩時間の合間にTwitterを開き、公式アカウントのpostをふぁぼってリツイートし、動画を見る。それに関する自分の感情を何回かに分けてツイートし、フォロワーのpostにリプを送る。
心が満たされていく。
ああ、わたしだ、と思った。
推しのことを思考しているとき、推しに触れているとき、わたしはわたしでいられる。
干からびてカラカラになった細胞が、推しに触れると体のすみずみまで満ちていく感覚になる。肉体の輪郭がはっきりしてくる。
仕事のときも膨大な量の思考はしている。しかしそれは会社の歯車の一つとしての思考であって、「わたし」としての思考ではない。
大好きな推したちについて考え、その推したちに惹かれて集まってきたコミュニティの中にいるとき、ようやくわたしは自分を取り戻すことができるのだ。
宇佐見りん著「推し、燃ゆ」の中で、アイドルオタクの主人公・あかりは推しの存在を「背骨」と表現している。推しこそが自分の生命の根幹なのだ、と彼女は語った。
彼女にとって推しが背骨なら、わたしにとって推しを推すことはアイデンティティそのものだ、と思う。
アイドルオタクとしてのわたし。それこそがわたしであり、もはやそれ以外はわたしでないとさえ思う。
推しの出ているテレビ番組や配信をリアタイするためなら、死ぬ気で仕事を片付けて早く帰れる。
推しが買ったものを食べ、推しと同じリップを塗り、推しが好きだという香水を買い、推しのためにかわいく、きれいであろうとする。
「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」だし、「その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとし」ている。
だから今日も、わたしは燃え尽きた炭のようにスカスカの身体をベッドに投げ、推しの動画を開くのだ。