はてなキーワード: なるたけとは
男女バトル、この構図なんじゃないかと思ってる
男は基本的にガンガン加害する代わりに自分が加害されても文句は言わないというか、言うにしても個人的な争いに留める文化 加害を行う権利にフォーカスされてる
女はなるたけ加害しない代わりに自分が加害された場合は怒って外部に助けを求めて良しとする文化 加害をされない権利にフォーカスされてる
男は男文化で育って、多少の加害を受けてもものともしない一方で自分の加害行為に文句を言われると驚く価値観
女は女文化で育って、加害行為を行わない・抑えることに長けている一方でちょっとした加害行為でも受けるとダメージを大きく食らう価値観
男だと「うわっ、ブッサイクやなあ!おめでとう!」みたいなリアクションがまあ許容される (ただこの「ボケ」はガチでブサイクな場合許されない感じがするので、もうちょっと複雑な文脈はありそうだけど)
女でこれやると彼氏の実態に関係なく総スカン食らいそう とりあえず褒めておく・第一声から罵声を浴びせるのはアウトみたいなとこあるイメージ
気軽に何でも言える男文化をとるか、誰も傷つかない女文化をとるか…みたいな話な気がしてる
でも俺は罵倒って行為が好きだからちょっと寂しい気もするんだよな しかしこれは奴隷制を懐かしむ農園主とかそういうアレで全く顧みる必要はない感情なんだろうな
母は承認欲求が満たされないまま老けていった。
母は本当に何もできない人だった。頭が悪いし、専業主婦なのに家事は出来ないし、不器用なので大抵の事は人よりも下手。性格も良いとは言えない。
故に家族を含めた周囲からの評価も、あまり良いものではなかった。
それでもレイク・ウォビゴン効果とダニング=クルーガー効果の典型例である彼女は、自分が何故か優れていると信じて疑わない。
もしくは分かっていて目を背けているか。
「自分はすごい人間だ」「しかし誰も褒めてくれない」が発生したとき、人はおかしくなってしまう。
自分は狂気の始まりに気が付いて、なるたけ母を褒めるようにしてみた。今日の服が似合ってるとか、珍しく家事をした日には称えたり。
しかし母はそれでは全く満足しなかったようで、自分の褒め言葉を嬉しくなさそうに一蹴して、インターネットというものに目を付けた。
まずいつもネットで見ているブロガーに憧れて、ブログをやり始めたいと言い出したのが昨年だった。
しかしながらどうやらアクセスがほぼ0だったようで、モチベはすぐに消し飛んだ。
次にSNSを始めたいと言い出し、Twitterを始めたが、やはり誰からも相手にされなかったようですぐに終わった。
詳しく聞いたところ、自分が映るのは嫌なので、死ぬほど寝起きが悪い増田弟がなかなか起きずに暴れてる寝起き映像でも撮って大儲けしたいとのこと。
ツッコミどころが多い。まず肖像権の侵害だし、タレントでも何でもない一般人の増田弟が布団でうずくまっている映像、一体誰が面白いんだそれは。
しかも自分は映りたくないのに人は勝手にアップロードするっておまえ、
をオブラートに包んで伝えたところ、なら猫なら流行るだろうから猫を飼おうと言い始めた。
自分の承認欲求のために猫を飼おうとするな。動物愛護団体さんこっちです。
しかも驚くべきことに、自分は愛にあふれていて倫理観もあると思っているらしい。怖すぎる。
最近増田でオタクのお気持ち長文を読んでいると、みんなよくやっていると思う。
めんどくせえなとか思わなくもないけど、少なくとも母の1億倍マシだと思う。
自己研鑽をしているか、しようとしていてしきれていない自分を知り、
オタクたち、辛いことはあるだろうが、時々吐き出しながらどうかたくましく生きて欲しい。
そしてどうか脳が衰えてもこういう老け方をしませんように。と願うばかりだ。
未婚化少子化への解決策って保育園や教育費の無償化もそうだが、
いやだってそもそも結婚しないと子供を保育園へ預けるとか学校へ通わせるとかのステージへ辿り着かないじゃないか。
知り合いの独身者とか話してても「金が無いからそもそも婚活できない」(あるいは、婚活が続かない)って聞くんだよね。
結婚相談所や婚活パーティーにかかる費用を支援して無償にしたらいい。
あとデートにかかる費用(交通費、食費、遊興費、ファッションや清潔感身嗜みにかける費用etc…)も支援して無償にすべき。
…まあ完全無償にするのは難しいにしても、これらの費用をなるたけ安く済むようにすべきだろう。
とにかく総合的に「婚活は金がかかる」というイメージを払拭させる必要がある。
Twitterでそれなりにバズってる話題でこんなものがあった。
金融機関で働いている方からDMをもらいました。そのまま掲載させていただきます。これは私の意見ではなく別の方の意見です。私と同じ状況にある方が他にもたくさんいるのです。このアカウントはたった一人の意見ではなく、金融機関で働く多くの方が同じ境遇にあることを知っていただきたいです。 pic.twitter.com/YoEEaVRhhm— 金融機関のコロナ対応について (@P8RqLEQOYPLiCoA) April 18, 2020
https://anond.hatelabo.jp/20200417193708
ようするに、銀行に大した用もなく来るなという内容だ。
このコロナ禍の中でも社会インフラを支える立場として客前に立たなくてはいけない人たちの叫びつづられていて、読んでいるとそれなりに同情的な気持ちになる。
ただその一方で、一見たいしたことのない用で来ている人にも、その人なりに理由があって来ているということを想像してモノを言うべきでは? とも思ってしまう。
私が個人的に思うのは、そうした人たちは引きこもり生活に限界を感じて、しかし行き場がないから銀行に来ているのではないかという点だ。
自分のことを話させてもらうと、私は数年前に精神的に病んでカウンセリング通いをしていた。
今はもうそちらにはお世話になっていないが、それでも人よりメンタルのバランスが傾きやすい部分は治っていない。
とくに同じ場所にずっといると考えがグルグル巡って思い詰めやすい性質だ。
そのため、私にとって外出は心の健康を維持するための必須行為で、外出自粛が求められるようになってからもなるたけ回数は減らしているが程々の外出は止められてない。
なるたけ人のいない公園での散歩などに留めているが、無目的な外出だと頭の中のグチャグチャが晴らせないことも多いので、なんらかの店に行くことも少なくはない。
まあ私のようなキャパシティが極端に低い人間は少数派かもしれないが、コロナ鬱なんて言葉が一般的にも使われているように、外出自粛に耐えられなくなってしまっている人間は既に出てきているし、これからドンドン増えていく。
そして、そうなった人たちは、安全に配慮した上での外出でたまたまコロナに罹る低確率の可能性と、対処しなくては確実に来る精神の不調とを天秤にかけ、冷静なリスク計算として後者への対処を優先し、外にくり出すだろう。
一ヶ月くらいなら耐えられる人も多いかもしれないが、5月6日以降もまずコロナ騒動は終わらず自粛生活は続く可能性が高いので、これは根っからの引きこもり気質でない限り、今は余裕余裕と思っている人も他人事ではいられない話だ。
長期的な目線で言えば、これから先は根性論での外出自粛ではなく、現実と折り合いをつけ、安全と外出の両立をいかに行うかという視点が絶対に必要になってくる。
それで、話を銀行に戻そう。
上述のように、人は外出自粛に対して限界があるにも関わらず、そうした最低限の精神の慰撫のための遊びさえ許さない雰囲気だ。
その結果として、行き場を失った人は銀行のような「用事があって仕方ないんすよ~」という雰囲気を出せる施設にやむを得ずやってくるのだと思う。
そうした人の相手をさせられて感染リスクにさらされる銀行員のような人々には同情する。
中には単純にコロナを軽視して毎日のようにやってくる奴や、安全に配慮しないで大声で唾を飛ばす輩もいるだろうし、そうした人たちはいくら罵倒しても構わないと思う。
ただ、大したことのない用事でも本人なりの理由でやってくる人を非難するのは違うのではないだろうか?
情報を発信する前に、もう少しそういうことに想像力を働かせてみては? と言いたい。
加えてもう一点言えば、もう少し世の中が自粛に耐えられなくなった人の行動も考えた方が良いのでは? とも思う。
冷静になって見てみれば、混んでいて対面でやりとりをする銀行なんかよりも感染リスクの少ない外出先はいくらでもある。
例えば、朝一の喫茶店などの方がよっぽど空いているし、銀行に行くよりも気も晴れるだろう。
ただ、世の中の風潮的にやはりそうした店には行きにくいと感じる人も多いと思われる。
世の中がもう少し程々の外出というものに寛容になれば、人々は様々な空いている場所に散るようになり、感染リスクの分散・軽減につながるのではないだろうか?
コロナ騒動が大きくなってから増田でもSNSなんかでも店員や受付窓口対応の人なんかが「こんな時に来るな、自粛してろ、馬鹿、〇ね!」って愚痴を吐いているのをよく見かけるが、その手の人を見ると想像力が欠如しているんだなーって気持ちになる(愚痴にマジレスするのもアレだが)。
お前のところにやってくる客の多くは、馬鹿でもなんでもない。
実際のところは普段ちゃんと自粛をしていて、その上でその日はたまたま外出してきたって人達なんだよ、と。
まず前提として、政府の掲げた自粛期間でコロナ騒動は終わらない。
そうなるとコロナ騒動が収束しなくても、やらなきゃいけない手続きがたまったり、閉じこもり生活への精神的な限界が来たりで、結局みんな外出するようになる。
それが分かっている人はもう現実的な落としどころとして、なるたけ外出回数を減らして出かける時もマスクや手洗いうがいで安全を考慮しつつ、必要に応じてだったり、たまの自粛の息抜きだったりで、ほどほどの外出をしている。
今、外出している人の多くはそういう現実的な生活と感染リスクとを天秤にかけてその上で外出を選んだ人たちなんだよ。
まあ、中には感染リスクなどどこ吹く風で大した用もないのに毎日やってくるような迷惑な客もいるだろう。
そういう人に関しては好きなだけネットの海の中で罵倒して良いと思う。
解説ありがとう。長文に思い入れというかこだわりのある人だったんだね。今伝わったからあんしんしてね!
私としてはど真ん中ストライクというかナチュラル極まりないなあという肌感覚でいるのだけど、増田みたいな多くの人にとっては外している判定になるらしくて、いつもごめんねって思う。
なんかね、そういう感じの増田定義の「長文」(確かにこれ長文としか言いようがないね、もはやめちゃくちゃ紛らわしい同音異義語の域だね)を楽しみに増田を見にくる勢というのも確かにいるから、日記を書くにしてもなるたけご迷惑をかけないようにしようとは思っているのだけど、そんな思惑とは裏腹に私たちこうして出逢ってしまってほんとごめんね。
割と本気で申し訳ないから普段はあんま表に出さないし、今日はなんか我こそはインターネットなりみたいな気持ちになったので久々に増田にのーみそコネクトしたものの、びびりなのでいっぺん白紙投稿してから時間差で編集使って書いて、五~六ページは埋もれさせといたんだよね。なんで掘り返されちゃったんだろうねこれ。
なんだろう、ちょっとしたギャンブルというか、自分のアウトプットをインターネットのどこかに置き逃げして、誰の目にも止まらずスルーされたら勝ちみたいなのをちょくちょくやってて、今日はチートまでしたのに、増田とかを巻き込んで負けてしまった訳です。未必の故意丸出しでごめんね。
時短復帰の前、総務から「他の社員より勤務時間を少なくさせてもらってるのだから、しぬほどがんばれ(大意)」みたいな説明されたときは正直クソだなと思ったんだよね。
勤務時間少ない分給与は減ってるわけで、ちゃんと代償は払ってんだからトントンじゃないん??なんでより頑張らないかんの?同じ頑張りじゃだめなん???て思ってたんだけど。
でも実務はどうしたって「急な今日中のタスク」が発生するし、自分が早めに上がるぶん、それは他の社員にやってもらわないといけないんだよ。
ごめんね、申し訳ない、ありがとう、って言ってなるたけのフォローはしてくけど、どうしたって不公平だよね。もしかしたらその社員だって口には出さないだけで「今日早めに上がれたら映画でもみよっかな」て思ってたかもしれないじゃん。でも保育園のお迎えのほうが正当な理由として通っちゃうんだよ。
日々の仕事は集中して効率化もできるけど、それって毎日全力疾走ってことでけっこうしんどい。今日気が抜けちゃったから残業してくかー、てのもできない。
支え合いとも言うけどさ、うちの子の手が離れて他の社員が時短復帰したらそりゃあ全力でフォローするつもりだよ。でも子供持たなかったら?ずーっと独身の社員はいつまでも割りを食うだろどうすんだよ、て言われると、まじで良い案が思いつかないんだよ。どうすりゃいいの。
しかも昨日は2年目の社員が当日必須の作業ほっぽって帰っちゃったから(お迎え遅刻してまでフォローしてったのに)、わたしにはその人にちゃんと注意するタスクと、翌日作業するタスクと、各方面にごめんなさいと再作業の調整するタスクが一気に乗るんだよ。毎日効率化(笑)で作業ギリギリなのにね。そこまでしても結局「やっぱ時短の社員は時間の融通効かないし使いづれーな」って思われたら?
しかもさ、真の理由は時短じゃないんだよ。こなせない自分の能力不足なんだよ。できる人もいるんだよ。でもそれで完結しちゃっていいんか?できる人に照準合わせて後を切るのはいまの時代に合ってるん?でもそれってただの自己弁護?
よくわかんないよ、どうすんだよもう。7億円当たりたい。
いつ職場から電話が来てもいいように携帯の電源を入れてなきゃいけない。
映画館でも当然のように、携帯の電源は「ON」だ。バイブモードにした上でポケットに仕込み、ドアの近くでなるたけ端の席に座る。
意識の5%は常にそこに、絶対に100%を画面に向けたりはしない。上映中はスマホを見れない。震動を一度逃せばそこでアウトだ。
我が社では緊急の連絡に応じるのに30分かかったら晒し上げられる。5分遅れても曖昧な情報ながらも「あいつのせいでうちの部署の評価がー」と噂が立つ。
休息はあっても安息はない。
今の私は、映画館に行くことにあまり価値を感じない。映画館のいいところは映画しか見れないことだ。画面に集中できる。否応なく。それがなくなった。
正直、家で見るほうがよっぽど画面に集中できる。大音量の着信音をセットしたスマホを脇に於けば、画面に全ての意識を向けててもすぐに応答できる。
正直、この現状に納得できない。
がめつい言い方をすれば、時間は拘束せずとも精神や即応できる態勢の維持という形での拘束を受けているんだから、金を払ってほしい。いっそ時給の20%や10%ぐらいくれ。払ってくれ。アラームの音を一切気にせず寝られる日曜日を返してくれ。そうじゃないなら金をくれ。
自分は33年生きてきて一度もパチ屋で遊んだことはない。トイレの為入店したことはあるが、そういう男なので、パチ屋の事情はよく知らない。
だがはてブで「飲み会代を代理でクレカ払いして実質現金化しパチ屋へ」という記事を見かけて、疑問が湧いたのだ。
クレカのショッピング枠現金化はダメですよという話はよく聞くし、ネット上でもアマギフやらチュンカやらを経由してそれを実行しようとする人がいるのは知っている。
でもそこまでして現金を調達したがる人は、多重債務で返済に追われている人か、ヤクザのような現金オンリーの闇取引をしている人だけだと思っていた。
パチ屋は三店方式で賭博として扱われないようにズルをしているグレーなビジネスだということは知っている。
調べたらtotoやBIGのようなスポーツくじには使えるし、競馬や競輪といった公営賭博でもクレカは使えるらしい。
また、賭博ではないがいわゆるソシャゲでもごく普通にクレカ決済ができるし、限度額まで使う人の話もちらほら耳にする。
けれどパチ屋でクレカが使えない理由は、少しぐぐった程度ではよく分からなかった。
仕方がないから自分で考察すると、おそらくパチ業界の自主規制なのではと思う。
あるいはカード会社が、パチ屋を反社勢力と捉えて忌避しているかのどちらかだろう。
パチ屋は自分たちのビジネスが、上で挙げたような他の賭博類よりもいかに悪質であるか理解している。
クレカを解禁すると破滅して「被害」を訴える顧客が続出し、当局に見逃してもらっていた立場が危うくなるのではないか。
そうであるとしたら、パチ屋にはぜひクレカを解禁していただきたい。
そうでないと、本当に愚かな人は、負けを取り返そうとして闇金や換金業者を装った詐欺師にすら引っかかるのだ。
パチ屋の問題は、パチ屋自体の悪質性だけでなく、こういう完全な犯罪集団も寄せ付けているところにある。
オンラインゲームが、RMTに手を出してカモられるユーザーを減らすために「公式RMT」とも呼べる仕組みを作り出したように、
なるべく言わないように気をつけたいと思っている言葉が、「自分で選んだことじゃん」ってやつ。
個人的な体験に紐付いてこの言葉をあまり言いたくないと思ったので、簡単な自分語りから始める。
僕は自宅から勤務地までがそこそこ遠い。県を一つまたいで、ドアtoドアで2時間半弱といったところ。
朝は早いし、必ずしも早く帰れるわけでもないので、必然睡眠時間が短くなる。
睡眠時間が短くなると頭は働かないしメンタルの方は弱ってくるしで、泣き言を言いたくなる。
職場まで遠いから寝不足でつらい、と言うわけだけれど、そこで出会ったのが「自分で選んだことじゃん」という言葉だった。
何も間違っていない。間違っていないんだけど、それを言われると本当に立つ瀬が無い。口をつぐむしかない。愚痴くらいは言わせてほしい。
このある種の自己責任論はとても息苦しい。何も言えなくなってしまうな、と思う。
自分の外部の環境に原因を見出して自分は悪くないと言いたくなることや、改善したいからこそ自分の外部の原因を探すことだってあるのに、自分の内面の問題にされてしまうと、甘んじてこの辛さを全て引き受けなければいけないような気持ちになる。
つらいことや失敗があったときに、自分でね、これは自分の責任だって自己帰属するのはいいんです。
ましてや疲れているときなんかは正常に思考が働かないのだから、自分の責任、他人の責任、環境の責任、などをきちんと分けて考えることなんてできやしないんです。
そんなコンディションで「自分で選んだじゃん」なんて言われると、それを無条件に受け入れざるを得ない瞬間だってあるんです。
ということで、自分が嫌だったことはなるたけ人には言わないようにしよう、の精神で、「自分で選んだことじゃん」をなるべく言わないようにしよう、言うにしても状況をきちんと考えようと思ってるよ、って話でした。
この言葉で奮起できるパーソナリティの人や、状況なんかもあるんだとは思うんだけれど、叱咤激励にならないんだとしたら建設的な声かけには微塵もならないような気がしている。
あんまり論が立ってないような気がするし、過去の事例から入場禁止も仕方がないと思われるって明言してるし、特に読んでなさそうだからもう一回言うね。現状刺青の偏見があるとして、それを撤廃するのが喫緊の課題と考えるのはだいたいタトゥーをしている側なわけ(当然なんだが)で、タトゥーをしている側が権利だけを盾に反対意見を封殺するのが認められないとすれば、タトゥー嫌いの側が個人の自由の範囲を超えて他者を傷つける言動や擯斥するような行為も認められないだろうという観点で意見をしているんだけれど……。現在の意識やマジョリティの意見を反映した上で一方は堂々と間違いを犯し、他方は同じことをすれば指摘されるなんて状況をなくしてなるたけ対等な立場で話し合うほうが道義的だと思うな。少なくとも合理的。
前に面白いとはどう感じるか?と吐き出してみようと思ったけど、
前提を一つ書き忘れたのでここで。
人間って、知ってることは思い出せるけど、知らないことは思い出すことすらない。
どこかの巨乳バインバインメガネおさげ女子高校生のセリフみたいな事言い出してるけど、
実際知らない事を伝言ゲームでもしない限り理解できる人はいない。って事を前提にしたい。
まあ、増田じゃ思考実験出来る人ばかりだろうから、理由は言わなくてもいいよな?
言い換えると、どんなにバカでも、それがIQ30切っていようとも、条件としては成り立つという事。
これ言っとかないとしつこく。しかも同じことを何度も聞いては「俺構われれてる」という認知がずれたまま楽しむ人が現れかねないからね。
趣味の一環として映画字幕を翻訳する、と言っても、そんなに難しいものではない。
DVDによっては耳の不自由な人向けの全セリフ入り字幕が入っているのでヒアリング能力は要らないのだ。字幕はテキストファイルではなく画像ファイルで入っているのでOCRが必要だが、試行錯誤していくうちに認識率の高いフリーソフトも見つかった。似た文字が多いから時々手動認識すら間違えることもあるし、稀に字幕そのものが間違っていることもあるのだけど、google検索すれば一般的な単語は「〇〇では?」とサジェストされるので、知識が少なくても誤字修正可能になる。IT技術とバリアフリー万歳である。まあ全ての海外DVDがバリアフリー対応ではない、というかそこまで字幕が入っているのは自分の興味のある国では1ブランドしかないのだけれど、その1ブランドが最大手なので全然困っていなくもある。
さて、そうしてIT技術に頼ったところで、翻訳に一番困るのは「固有名詞」である。大体の場合、辞書にはそれらは載っていないのだ。とは言え登場人物の名前はそのままカタカナにしてしまえばいいから、เมย์ไหนはそのまま「メイナイ」にしてしまえばいいし、ป๋องはポンでいい(本当はポングなんだが日本人には最後のグはたいてい聞こえない)。เฟมはフェームで済ましてしまっていい、とかやっていると登場人物にเฉดとฉัตร、カタカナにするとチェットとチャット、1文字違いかよ!みたいなことも出てきてさてどうしようか一瞬迷うがフィクションの固有名詞はなるたけ変えないのが自分のポリシーだからそこは趣味に走ってそのままにして問題ないことにしている。
問題なのは例えば実在の芸能人とか、店の名前とか、車種とかそういうやつだ。字幕にするのはだいたい現代が舞台の恋愛映画、早い話がトレンディドラマだ。そういうところでは現地の観覧者なら確実にわかる固有名詞が山ほど、"ストーリーに絡まない、どうでもいい話題"として出てくるのだ。
おそらくここで「バード・トンチャイ」とカタカナ表記したところでその国で1,2を争うスーパー芸能人の名前を把握できている人は少ないだろう、ましてTik Kanyaratと言われてそれが男か女か分かる人すら何人いるというのだ。Liab duanという場所は自分も知らない、知らないがカラオケが楽しめる場所として有名らしい。Club FridayというTV番組がどの層にウケているのか、ホンダから日本のブランド名を変えて「JAZZ」という名の車が出ていることはどのくらいわかるのか、もうさっぱりわからない。
わからないので、今やっている字幕翻訳に関してちょっと聞いてみた。具体的には先週から1週間ほど、首都にあるデパートの名前をカタカナ表記したものが何のブランドかわかるかTwitter上でアンケートしたのだが、7割以上の人が「何のことだかさっぱりわからない」との回答だった。これら高級デパート、ガイドブックには必ず書かれている有名デパートにも関わらずなのだ。まあ、現地駐在で働いているか年数回も同地に旅行に行くようなマニアでなければそんなものかもしれない。
固有名詞は現地のローカルブランドに限らない。アニメ「Ben 10」は日本ではカトゥーンネットワークで放送されているアニメの主人公の名前でありアニメの名前でもあるが、そう言われただけで日本人のどのくらいの人がそのアニメを思い出せるだろうか。そう考えてみるとあの映画会社の映画には「スーパーサイヤ人」とか「ドラえもん」とかいう言葉が何のエクスキューズもなく入り込んでいて、それだけでどれだけ現地の人にそれらが受け入れられているかがわかる。レベルの差はあれ現地では「Ben 10」もその枠に入っているわけだ。
ちなみにその辺が野良英語字幕だとどうなっているかというと、だいたい無視されている。デパートの名前は服飾店のブランド(クリスチャン・ディオールとかな)に完全意訳されてたりした。日本で売られている数少ないDVDに付いてくる正規の日本語字幕もそういうのはやっぱりきついらしくて、現地アルファベットの勉強法をなんとか英語風に訳したら「現地のことをわかってない、ひどい」とAmazonレビューで酷評されたりもしている。自業自得とはいえあれは可哀想だ。こちらは、別に売ったり配ったりするものじゃないし、調べてなんとなく理解もしたから基本的にはあまり気にせずにそのまま残すのだが、流石に「JAZZ」は「フィット」に書き換えたし、Club Fridayは「週末のメロドラマ」にしたり、「Tik Kanyarat」は「ワイドショーの旅番組(そういう番組のMCなのだ)」にしたりした。なんだよこんなのもわからないのかよと粋がってみても、自分が知らないものもいっぱいあってそれらは適当に書き換えてしまうのだ。
映画オリジナルの固有名詞は固有名詞で困ったことがある。そう名付けた理由があったりするのだ。เมย์ไหนは実はเมย์ ไหนと分かち書き可能で、固有名詞としてだけでなく「どのメイだよ?」という質問文にも読める。しかもストーリーでは、犯人探しをしている主人公が「犯人はメイだ」と言われた時にそう質問しかえして「なんだお前知ってるのか」と納得される重要なギャグシーンに使われるのだ。本職の字幕なら「どのメイだよ?」という字幕に「メイナイ」というルビを振るのかもしれないけれど、テキスト字幕でルビを振るのは難易度が高い。なので同じ響きの駄洒落でごまかした。勘弁していただきたい。
趣味の一環で映画字幕の翻訳をしていると、どう訳せばいいのか困る例によく会う。
趣味の一環だから15文字制限とか1文字1秒とかそういうクオリティまで気にする必要はないんだけど、アニメの野良英語字幕みたいに※つけて注釈いれまくるのもなんか野暮ったい。いや実際非英語映画の野良英語字幕に「※そうだよ、同じアジア人に見えるけどこのひと日本人だよ、名前でわかるだろ」(英語意訳)って書かれたの見たときは萎えた。
英語字幕は英語字幕で大変なんだろうなとは「君の名は。」の入れ替わった外見滝君の一人称変化が全部"I"にしかならなかったことで気がついた人もいると思うけど、やっぱり人称と言うか人の呼び方というのはそれぞれの地域で頻繁に使われているだけに少しでも違えば違和感生じるしその違和感はなるたけなくしたい。
พี่(ピー)という言葉がある。英語字幕だとMr.にすることが多いのかな。年上の人の名前の前につけて敬称として用いる。単体でも呼びかけとして用いる。状況によって訳語が変化するのは面倒なんだけれども、状況に応じてふさわしい訳語があるからそれほど迷わない。例えば学園ものの映画で名前付きで呼びかける際には「○○先輩」同様に単体なら「先輩」、相手がお店のおばちゃんなら「すみません」で済む。
これと対になる言葉があって、น้อง(ノーン)って言葉がある。年下の人の名前の前につけて丁寧語として用いる。単体でも呼びかけとして用いる。こっちも単なる呼びかけなら簡単だ。OLが若い店員を呼び止めるなら「すみません」で十分通じる。問題は学園ものの映画で上級生が後輩を呼ぶ際にどう訳すかだ。英語字幕ではこれ、訳す際には無視してることが多くて、単体で使う場合も名前呼びに変更していることがままある。うんそれもありっちゃありなんだが、できればあんまり意訳的なやりかたはしたくない、というのが趣味の一環であるからこそのこだわりでもある。
自分の周りでは下級生のことを呼ぶ時に「〇〇後輩」っていう言い方は見たことがない。最近のマンガではそういう言い方をしている人が見受けられなくもないけれども、どちらかと言うと違和感のある喋り方をするキャラのセリフに多い印象もあっておそらく逆の意味で意識して使わせているような気もする。名前についている場合は下級生が女性であることを考慮して「〇〇ちゃん」とした。たぶん男性なら「〇〇くん」でいいような気もするがどちらも若干幼い(相手との年が離れすぎている)印象がある。年下を意識している場面だからそれでいいのかもしれないがそこまでこだわらず「〇〇さん」でいいのかもしれない。そういえば昔のドラマとか少女漫画では年下女性にも「〇〇くん」と呼びかけている人がそれなりにいたがあれは今違和感の意味で許される使用例なのか気になる。
ちゃんとした解決が着いていないのは単体で相手の名前を省略しているときだ。いろいろ考えた結果、「君(きみ)」にしてみた。男性がこれ使う場面だったので、若干キザな雰囲気になったんじゃないかと思わなくもないが、ほかにいい呼びかけを思いつかなかった。勘弁していただきたい。
ちなみに英語でMr.に当たる言葉は別にもう一つあって、これも単体で「あなた」という意味に使われる。だから現地で怪しい呼びかけを受ける時にはミスター、ミスター言われるのかと合点したが真実がそうなのかは定かではない。