はてなキーワード: TOEiCとは
はてブに時折ホッテントリされる英語勉強法エントリ。最近は海外居住者も増えたりフィリピン英語留学学校の煽りもありより多いように感じる。そこでお前はそろそろ英語勉強しないとな、と言ってブクマして、記事の下のアフェリエイトリンクを押したり、本屋に行ったら英語コーナーに立ち寄ったりして、一冊買ってみて、はじめに、だけ読んで、おしまい。また今回のお前の英語ブームも一週間もせずに終わってしまった。知ってるよ。俺がそうだったからな。
はっきり言っておく。お前は今の環境にいる限り、何度やっても失敗する。考えてほしい。今日のお前が今後の未来において一番若い。今日できなければ脳が老いてくる未来においてもやり遂げることはできない。
俺は精神論を言いたいのではない。俺が死んだときに葬式で周りの人にどんな人だったと言われたいか考えてを目標に行動しろ、なんて自己啓発書みたいなことは言わねえよ。できると思ってないからな。なんでお前が続かないのかを伝えたいのだ。それは、目標が明確でないからだ。英語ができるようになる、という目標は漠然としすぎている。TOEICのスコアなら数値だからわかりやすい思うが、体調で100点くらいのブレがあったり、何よりも「このスコアが取れたからといって俺はどうなるのか」というゴールがないから、目標が達成できてもできなくても何も残らない。なぜこうなるのか。今、お前に英語は必要ないからだ。ただお前はそれに気づいていない、もしくはそのその決断に不安があるだけだ。よく考えろ、今できないのならば今後もできない。英語もやもやがあれば今すぐ、英語ができるようになりたいという緩い目標みたいなのを捨てろ。一言でいう。英語を諦めろ!
といっても心配があるだろうから俺の話を聞いてほしい。俺は会社の辞令によって英語圏での生活を余儀なくされた時期があった。英文書かせたら動詞が抜けているようなレベルの俺であったが、行ってしまえば生きるしかないのだ。家を借りる、苦情を言う、仕事をする、英語を使わなければいけない状況になる。英語圏サバイバルの環境下においてコミュ障の俺でも専門分野の単語を並べて仕事はなんとかできるようになったのだ。必要に迫られれば誰だって低いレベルであってもできるようになるのだ。そして思う、今必要なのは英語力ではない。思考のフレームワークだったり、専門分野の知識が最も必要なのだ。今、お前は英語が必要に迫られていない、ならやらなくていい。中途半端に始めるくらいなら自分の専門分野の知識を深めるべきであって英語なんて必要に迫られたその日が来るまで忘れててよいのだ。お前は煽りに負けているだけだ。
一つ付け加えたい。わかっていると思うが日本語圏の人口より英語圏の人口のほうが多い(中国語圏の人口のほうが多いけどおいといて)。お前の今の仕事ができる人間は日本語ができないだけで世界にはごまんといる。お前に専門性のスキルがあろうがなかろうが同じだ。同じ勉強してきたやつは世界にもっといる。うちはブラック企業だ!と叫んでいる場合ではない。お前の工場のラインの仕事、レジ打ちの仕事、システム保守の仕事、半分の賃金でもやりたいという外国人は必ずいる。ただ今の日本は日本語しか使えないという鎖国によって俺たちの雇用が守られているにすぎないのだ。そこで俺たちはどうするべきか? 英語を勉強することではない。俺たちは専門性を高めて日本語圏ダムが決壊したときに備えて俺たちは個々の専門性を高めることを優先すべきなのだ。だから英語はやんなくていい。諦めろ。
予備校講師の安河内はCMでこう言った。英語なんて言葉なんだ、こんなもんやれば誰だってできるようになる。荻野は俺にこう叫ぶ。安心して君たちはぁ、今の仕事に打ち込めばいいんだよぉ。俺は決めたんだ。いつもの仕事をそのまま続けて、そこから少しずつ専門性を高めようと。だって資格を取得して専門性高めよ!って言ってもできないでしょ? 英語勉強法なんて読んでも俺の英語は上達しなかったんだから。
まあシンクタンクもパワポ係だったり御用調査員だったりするのは変わらない気がするけど。
これまでのキャリアがわからんからなんとも言えないけど、年齢的に大手に入るのは厳しいだろうなあ。100パー無理かどうかはわからんけど。小さいところに潜り込んでキャリア作ってくしか無いんじゃね。統計とかデータ分析系のスキルを身につけるとかも多少可能性を広げる気はするけど、数学とプログラミングがどのくらいできるかによるな。
あとはまあ思い切って海外に出るのも無くもない気はする。俺が今日本にいないからだけど。日本より年齢制限がゆるい国はいっぱいある。英語がどのくらいできるかによるけど。俺ぶっちゃけtoefl受けたことないけど、まあtoeicで950くらい取れる程度の英語力があれば慣れで何とか何かしらの職ゲットくらいはできるんじゃないかと思う。ビザはきついので色々裏技を駆使する必要があるかも。
あっ、どうも。多分、少し書ける資格があると思って。
自分は英語を全く勉強せずに30超えてから一念発起して、海外留学したものです。TOEICは最低点から975までその受験のために上げたりしたでござる。
英語をほぼゼロ(ここで書いている元増田さんよりはるかに劣る、経験、学歴)から大体1年ぐらいで、そこまで上げたのだけど、努力らしい努力(ダイエットや筋トレみあいな)は一応したよ。
ただインプットはそれこそ座学で何とかなったけど、アウトプットは勉強方法がわからなかったので、インターナショナルパーティーによく参加したり、英語に接する機会を増やすようにして、できるだけ生きたコミュニケーションが出来るようにした。
けど、今でも一番役に立ってるのは、元々海外ドラマが好きだったので、それにハマって英語で見続ける事で表現や発音を真似て覚えたりみたいなのが大きかった。
今でも大きく使う仕事についていて、逆に元増田さんのような経験が無い自分としては、やっておいたよかったなと思う。でも元増田さんみたいにすでに何かがある人は必要ないのではとも思うよ。
別にTOEICの点数が人間の価値を決めるわけではないということは承知していますが、ちょっと嫌なことがあった。
今勤めている企業はグローバルとよく言っていて、企業理念にもそれらしいことが掲げられている。きっと多くの企業が似たような感じでしょう。
新卒入社のTOEICの目標点数が600点です。これもグローバルと言っている割には低いです。これはいいとしましょう。
しかし、管理職になるために必要な点数が500点と聞いてがっかりしました。おっさんらが英語できないのは知っているけれども、新入社員の目標値より低いってなんですか?
何のために私は英語の勉強を嫌なのにしているわけ?私は英語も含めて自分より能力が低い人間の下で働かなければならないのですか?こんな安い給料で。
耐え難い。
もうずっと前から同じことが言われている。
日本人は英語の読み書きはできても話すのが苦手、これからの英語教育はコミュニケーションを重視すべき云々。
しかし思う。言うのは簡単だが、現実にはなかなか難しいのではないか。
教育には選別という役割があり、彼らはそれをあまりにも軽視しすぎている。
今の日本人が暮らしに必須でもない英語を学ぶのは、やらなければまともな大学に入るのが難しいからだ。
読み書き偏重に見えるのは、とりあえず単語と文法と読解をやればセンターで180点が取れるからだ。
英検の2次試験ではコミュニケーションが必要になるが、合格率を見てわかる通りザルである。
よほどヘタこかなければ落ちない。
TOEICのスコアにしたって、単に大学の名前があてにならなくなったから、
代わりに足切り基準に使われているだけで、英語力そのものは割とどうでもいい。
もし、今後はスピーキング能力を求めるというのであれば、それに対して飴を与えなければならない。
さもなくば、授業時間を割いたところで、内職に費やされるだけだ。
だが、そうしたところで問題が発生する。それで得するのはボンボンだけだ。
いきなりだが、安倍とか正直アホだと思う。英語のスピーチなんか聴くに堪えない。
しかしあんなアホでも字はうまいのだ。きっと高い金払って習ったのだろう。
あいつの英語がヘタクソなのは、おそらく単に、字を書くほどには必死こいて習わなかっただけだ。
当時のボンボンにとって、英会話スキルが必須ではなかったからに過ぎない。
だから彼らが本気になってかかれば大きな差がつく。
留学だの、経験豊富なネイティブスピーカーを家庭教師に雇うだの、平気でやるだろう。
今は読み書き中心だから、ギリギリのところで勝負になっているのだ。それを忘れてはならない。
それから、コミュニケーションを必須にしようにも、現実的に厳しいという問題もある。
まして、私大でスピーキング重視の入試をやるのは不可能だ。受験者が多すぎる。
彼らは入試で儲けてるのだから、これ以上余計なコストもかけたくないだろう。
まだまだ問題はあるだろうが、そもそも日本人はコミュニケーション以前に、まず読み書きすら十分ではない。
もっと詰め込んじゃって構わないと思うよ?
とりあえず、転部のためのTOEFL ITPは終わった。
自分がどうして容姿がものをいうクソ大学の底辺学部にいるのか良く分かる出来だった。
仕方がない。とりあえず来週TOEIC IPを受けてひとまず終わりだ。
どうせ醜いものはボコボコにするのに、心地の良いものは大切にする人間が多くて呆れる。
同性愛の人間が異常なのか、そうでないのかというのは、結局のところどこで異常にするのかというものである。
自分は容姿が醜い。容姿が醜いから、ひどい扱いを受けたことが散々あるし、自分が醜い者に散々な扱いをしたこともあるし、今もしているかもしれない。
だから、容姿がいい人間はセックスができるのに、醜い人間はセックスができない。
そんな社会は自分にとってクソだと思うし、異常なのだが、そんな社会を皆さん認めているし、醜い者がひどい扱いを受けているのをよくわからない科学的根拠でウダウダ肯定したりするのだ。
そのくせして、同性愛が異常だとかいう科学的根拠はあるのかとか言って怒るのだろう。
結局、容姿がいい人間がどこまでも肯定される。毎日、自分は生きている心地がしない。
同性愛の人間が異常だと言った人間に対して正義面して叩いている人間というのは、結局のところ自分にとって同性愛は受け入れられるから叩いているだけだ。
正義もクソもない。
TOEFL、TOEICの勉強をしていると、自分の勉強のできなさに心底うんざりする。そして、毎日膿やケロイドみたいなものが凹凸や赤みで覆われている汚い自分の顔に出てきて、絶望する。
すると大抵、登場人物のスペックというのはなんだかんだ言って高く、周りからの扱われ方も良いことに気づく。
読み進めれば読み進めるほど、登場人物のスペックが高くて、苦労していないことに腹が立ってくる。
勉強をしなくても、よい点数が取れるだとか、容姿がいいだとか、容姿がいいだとか。
最近の流行り小説でも、主人公である女が、なんかよくわからない闇取引をしている部族にナンパされたときは、あぁこいつは顔がいいんだろうなと感じた。
さらに読み進めると、かなり社会的地位として上に属しているようで、あぁ自分には関係ないんだなと思い始める。
ごく稀に、自分と同じような能力の人間がでてくることがあるが、それに対してはどこまでも惨めに感じる。
あまりないが、専門書でもごく稀に疎外感を感じることをがある。
それは、自分が一生該当しない、みんなが羨むステイタスに属する人間に対する研究だ。
皆さん、お久しぶりです。
2015年も残すところ2か月となりました。
今年の目標は達成できたでしょうか?もしくは達成できる見込みでしょうか?
六分の五が終了ということは、制限時間1時間のテストで言うなら、今はもうラスト10分ということですよ?
ラストスパートをかけるか、最後の見直しを行うか、すべてを諦めて机に突っ伏して寝るか、いろいろだと思いますが、あなたはどうでしょうか?
と言っていた増田さん、本気と成果をだしているでしょうか?
TOEICで165点取れた。順調順調♪
と2月に煽ってた増田さん、825点を取れるようになったでしょうか?
「いやー、今年の目標なんてすっかり忘れてたわ。また来年、新たに頑張るわ」と思ったそこのあなた。
忘れるのは仕方ありません。人間だもの。
あなたはつい今、失敗したばかりじゃないですか。
なのに、なんで同じ失敗をしようとするんですか?
「信号無視して道路渡ったら、車にはねられちゃったよ~。さて、もう一度信号無視しよう」ってやってる人がいたら頭おかしいんじゃないかって思いますよね?
それと同じです。
「やる気が出たら、はじめる」とか言ってたら絶対に始められません。
やる気ってのはやってる最中に出てくるんです。
よくあるじゃないですか、テスト前にちょっと部屋の掃除を始めたら、勉強そっちのけで掃除に集中してしまった話。
あれは掃除をやってる最中に、掃除のやる気が出てしまったものです。
だから、行動を今、始めてください。今。
今年の目標は達成できなくてもいいんです。
来年達成できるように、今、助走をつけるんです。
http://anond.hatelabo.jp/20151011032832
自慢以外になんの意味があるのかってコメント、自分でも「へー」っと思ったエピソードだからシェアしただけだよ。
実際の自分はその辺の他の増田と同じ謙虚で奥ゆかしい人間なんだが、匿名ダイアリではここの仁義にしたがってちょっと煽りっぽくTOIECのスコアとか書いたけど自慢のためならそんなもん書かないで、嘘でもいいから学歴と年収でも書いておくよ。少なくともアメリカじゃ大概の人はTOEIC自体しらない。(でも「死ね」ってコメントがきたのはびっくりしたので通報しておいたよ!)
で、自分で「へー」と思った点というのは以下の通り
1. 何年も英語勉強してきたにもかかわらず、こんな基本的な事を見逃していたのは意外
2. それを発見したきっかけがコンピュータの音声認識というのも意外
3. 訛りの許容範囲は人によってかなり違い、社会的バックグラウンドと、地域性で大きくことなる(これは知ってはいたが実際に肌で感じるのは新鮮だった)
基本的な事という点。これはRをドロップする自分の癖と言うより、Rの無視がコミュニケーションを阻害するというということ。以前から自分がRの発音が弱いというのは知っていたが、「イギリス英語はerのrとか発音しないし」「ボストンの人も発音しないし」と思って、まさかそれがコミュニケーションを大きく阻害しているとは思っていなかった。つまり問題の重要性の勘違い。あと、自分には他の訛りもあるので(そりゃ日本人だからね)、その組み合わせでわかりにくくなる、というのはあるんだろう。たとえばボストンから来た人やイギリス人が、Rの発音のせいだけで西海岸のバーガーキングでメキシコ系の店員にWhopperを頼むのに苦労するとは思えない。だからRだけが問題というわけではないが、他と組み合わさったときにコミュニケーション阻害の原因になりうる、ということだろう。(逆に言うとRに気をつけても変わらない人もいるかもしれない)
で、今頃こんなのを見つけたってことは他にも似たようなのがあるんだろうなということでげんなりしている。外国人にとっての言語習得には終わりはないのだよね。次の自分の課題はWがUっぽく発音されることがあることだ。これも「え?なに?」と良く聞き返されることに気がついたので、直しておいた方がよさそうだ。いまさらアメリカ人みたいに発音したいとは思わないが、コミュニケーションが止まるのは現実問題として困るので。
コンピュータの音声認識、という部分。面白い符合として、わかりやすい英作文をするためにコンピュータが読みやすいような英文を書こうという主張の本がある。
理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則 (中公新書) 新書 – 1994/11 杉原 厚吉
http://www.amazon.co.jp/dp/412101216X
雑にまとめると「ネイティブみたいに書くのは無理だしわかりやすい文章を書こうよ。それならコンピュータにも理解できるように書くといいかもよ」というもの。コンピュータはデータと照らし合わせて文章の意味を推察するので、コンピュータが理解できるようなら、標準的な文章として合格になる確率が上がるということ。名文を書くのではなくわかりやすい文章を書く手法。なんだか音声認識ソフトに発音チェックさせるとの似ている。音声認識ソフトも標準的な発音とくらべるので、エラーがでない発音は標準的な範囲に収まっている可能性が高いんだろう。で、エラーがでると標準から大きく逸脱した発音なので伝わらなくなる可能性があがる、と仮定すると納得がいく。人間のインストラクターを置き換える物ではないが、実際にネイティブの教師につきっきりで発音チェックしてもらうのは非現実的なので、コンピュータの発音チェックは良い補完教材になるのかもしれないなと思った。(以前は馬鹿にしてた。スマン)
ところでRosetta Stoneは発音矯正ソフトじゃなくて総合英語トレーニングソフトなので発音の確認には効率が悪い。100語くらいの頻出英単語の発音や、基本的な発音の組み合わせをチェックするソフトがあればいいのになと思うけど、ちょっと探した範囲では見つからなかった。
最後、自分は仕事がら世界中の人と話をしなきゃならないので、それこそいろんな種類の訛りと闘ってきた。いろいろ不思議な組み合わせがあって、インド人と東欧人の電話会議にでたときはインド人参加者が軒並み東欧人の訛りが理解できなくて、「なんんでお前はあいつの言うことがわかるんだ?俺たちは一言もわからなかったぞ」とか言われたりとか。(こっちにしてみればきついインド訛りの方がよっぽど大変なんだが)。そんななかで特定の発音の欠落が特定の人とのコミュニケーションの阻害に直結している例というのを初めて体感したのが面白かったのだ。(また言っておくけど、20年以上も外国人とコミュニケーションをとり続けた上での感想だからね)
ところで、メキシコ系でも海外にしょっちゅう行っているような人には自分の発音は割と伝わっていた。今はNYCにもメキシコ系の人が多いそうなのでそういう人たちはRなしでも伝わるのかもしれない。自分がメキシコ系の人との会話で苦労していたのは主に米西部の話なので、これもメキシコ系全体ではなくて特定の地域のメキシコ系移民に関わる話かもしれない。あと、アメリカ大陸以外の人はイギリス英語にも慣れているから、Rなしでも伝わる率が高いんだろうね。
とりあえずTOEICを満点目指せばわかるよ・・
炒飯が好きだ。
美味しいし、飽きないし、野菜もお肉も食べられるし、なにより簡単で、お皿ひとつで食べられる。
もちろん、他のご飯もときどき作る。
すごく手の込んだ料理でなければ、だいたいなんでも作れる。
でも、炒飯が大好きだから、炒飯を食べる。これは実に理にかなった行動だと思う。
炒飯ばかり食べていると言うだけで、私に「料理できない認定」をしてくる人間がたくさんいる。
ちゃんと料理しなよ〜なんて言ってくるくせに、てめえの家には料理酒も味醂もないじゃないか。
なぜ炒飯を作るだけで「料理ができない」と思われなくてはいけないのか。
そういえば昔、私がTOEICで600点を取ったとき、机の上に置きっぱなしだった成績用紙を友人に見られて馬鹿にされたことがある。
確かに高くはないけど、馬鹿にするほど低くもないだろ。
初めてにしてはいい方だっただろ。
ここで馬鹿にしてきた奴も、TOEICを受けたことのない人間だった。
受けたことないけど600が低いのは分かる〜6割でしょプププ〜とかなんとか言っていた。
半端な人に知ったかぶりのコメントされるとうざいので英語関係のスペック書いておく。TOEICは20年前に925点とってからあほらしくてうけていない(TOEICは英語のテストじゃなくて忍耐力のテストだ。今受けたらつまらなくて15分で寝る)。英検は十年前に一発で1級とった。教養のあるネイティブにくらべれば読む速度はかなり遅いが新聞も雑誌も読める。米在住合計7年でアメリカの現地企業で毎日英語で仕事している。その辺の「TOEICxxx点をめざす」とかいうブログとかは生暖かく見守るレベル。
普段は割と優秀な人とコミュニケーションしているのであまり問題ないのだが、ときどき教養の無さそうな人(店の店員とか)と話していて自分の発音がいっさい通じなくなることがあった。これはもう極端で、さっきまで他の人と世間話してたのに、その特定の人とは商品の注文でさえできなくて絶望する程。メキシコ系の移民の人と話しているときにも同じ傾向がある。そういうときは他の人が助け船を出してくれたりするから、他の人には自分の発音が通じているらしい。以前からこういう傾向はあって、英語の個人授業の教師に相談したこともあったんだけど、その教師は自分の発音を理解できる人なので「問題ないけどな」という反応で、てがかりなしだった。
それがこの前原因がわかった。
きっかけは家族(自分ほど英語がしゃべれない)に買ってあげたRosetta Stoneという英語練習ソフト。この中に、発音をコンピュータが判定するトレーニングがある。家族にはこれが難しいらしく、やってみてと頼まれた。自分がやると、90%は一発で通り、5%も二回目くらいで通るんだが、中ににいっさいクリアできない単語がある。なんだこりゃと思って、しばらく試して気がついた、こりゃRだ。しかも母音の後。
思い当たる節がある。初めて英語の発音をちゃんとならったのは米東海岸で、あのあたりはRの発音が適当な地域があるのだ(ボストンとか)。先生がその地域の人だった可能性があるし、東海岸の人たちはR抜きの発音にもなれているから自分の発音の欠点に気がつく機会を逃してしまったのかも知れない。当時自分の発音にはそれ以上の大問題が沢山あったから先生もこの比較的小さな問題は矯正しなかったんだろう。
そして現在。普段自分がつきあいのあるような教養ある人はいろんな発音の種類に触れているから、R抜きの発音も理解できる率も高い。R抜きの発音を知らない人にあたると「こいつ、何言ってかわがんねっぺ」状態になる。メキシコ人にはこういう人の比率が多いらしい。あー、なんだ、そういうことか。
その後Rの発音を気をつけるようにして、過剰なほど母音の後のRを強調するようにしたら、通じなくなる率が激減した。
追記書いた
Rの発音、追記
http://anond.hatelabo.jp/20151013015136
ちなみに、スペイン語は片言話せる。それだけになんかイライラしてた。
お前がレジの後ろでこちょこちょ喋ってること、こっちは半分くらいは理解できるんですけど、なんであんたは俺の言うこと1ミリも理解できないの?って。
仕事:最初はほとんどが夜勤ありのネットワーク監視。NOCやSOCと呼ばれるセンターで
.何もなければ暇な時間を過ごせるが、何かあると地獄に早変わりする。
.そこでスキルを磨いてネットワーク構築や設計に行くもよし、諦めて一生を終えるもよし。
給料:大体、額面で月25~30万。正社員になるとボーナスが年間3.5~4.5ヶ月くらいは貰える。
.年収ベースだと300万~360万(非正規) 420万~460万(正規)。あとは努力しだい。
なるには?:リクナビなどの転職サイトに募集が出ているから応募する。ハロワは基本的にダメ。
.書類選考を抜けるためにCisco CCNAという資格を取るとほぼ100%面接まではいける。
.後は業界で働きたいという熱い思いを面接官に伝えよう。それで一次は通る。
.問題は二次面接以降。ニートに特有の空白期間に対して突っ込まれるので、
.ジョブカフェやサポートステーションで相談しよう。切り抜け方を教えて貰える。
資格: Cisco CCNA(ビルメンで言う4点セットにあたる基本。これがないと何も始まらない)
.LPIC/MCP/基本情報など(オプションとして。CCNAを取った後で余裕なら取得すべき)
.TOEIC/英語検定(ネットワークの基本は英語なので、アピールポイントになる)
http://anond.hatelabo.jp/20150910215231
からの続き
自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。
僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端の研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。
いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。
そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語、英語、世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会、政治・経済、倫理、科学と人間生活、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しかし高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省のサイトで過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。
まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文・漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文と漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文・漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから、中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。
英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外を放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。
次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。
日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい。地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。
公民は、現代社会、もしくは政治・経済+倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。
理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。
科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領が改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙なラインだ。これは勉強必須だなあ。
あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須。
まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。
え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもうホントかんべんしてくださいよマジで。マジで……。なんぞこれ……。1ミリもわからん……。死にたい……。
マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分は理系なのだとばかり……。マジかよ……。
嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。
まずは本屋で数Iの参考書を立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学の参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。
参考書とドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。
算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである。
算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスとマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学の最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省の陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。
そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそがギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。
つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズのケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実の認識が必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ。
そのとき「バタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。
そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。
数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。
それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書をパラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学をちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。
よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。
まずはまた本屋で参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学のときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学のときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイトに実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。
いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気でちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師はあくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学や物理の実験を映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端の研究の現場のリポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。
よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽のエネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれたときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。
さらに日本史、世界史、数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。
試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後の若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史」なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代そのものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。
高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。
次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたい。しかしおかげで緊張はほぐれた。
英語はTOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。
そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。
科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。
1日目、無事終了。
2日目。地理。海外放浪のときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。
世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。
地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。
2日目も無事終了。
試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。
1ヶ月後、試験結果が届いた。
全科目合格だった。
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。
数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。
あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。
方程式、定理、法則、電気、磁気、エネルギー、素粒子、宇宙、銀河、太陽、地球、生命、遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力、支配、隷従、社会、自由、イデオロギー、宗教、民族、言語、貨幣、法、国家、議会、政党、福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション、条約、為替、貿易、経済。
時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。
そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。
人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。
それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム。
どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。
だから僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。