はてなキーワード: 通勤とは
関西の政令指定都市生まれ・育ちの女が夫の転勤で田舎に行って辛かった話
東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話が話題になっているので、隙あらば自分語りをしようと思う。
当方はアラサーの在宅ワーカー、運転免許は所持しているが持病があり車の運転に不安がある。関西の政令指定都市の中心部にほど近い、終電を逃しても中心部から家まで歩ける距離の場所で生まれ育った。
酒が好きで、友人と頻繁に飲み会を開いたり一人で飲み屋に入ったりすることもしばしばあった。
関西の別地区(駅前以外はそこそこ田舎)出身の夫と結婚してすぐに関東の大都市に転勤。そちらには友達もいて、スキルアップのために仕事と並行して専門学校に行ったりして毎日が充実していた。しかし1年で中国地方に転勤することになった。
ここまでが前提である。
中国地方の田舎に引っ越す際、その地方の大きな駅周辺ではなく、大型スーパーに自転車で行ける距離の場所に家を借りた。既に車を1台所有していたが旦那が通勤で使うため、日中私は使えない。もう一台車を購入することも考えたが、持病のことと今回も1年で転勤になったら……と思うと二の足を踏んだ。
同県内の中心部に近い場所に友人がおり、県庁所在地のある場所で会うことになった。旦那とは共通の知り合いがいないため電車で行くことにし、徒歩だと45分くらいかかる最寄り駅まで車で送ってもらい、駅に入る。
駅員さんがいない。
まあ、これは想定内だった。
改札もない。
都会で見慣れた自動改札機がない。ICカードが使えないのではないか。仕方ない、切符を買うか……。
券売機がない。
これは想定していなかった。どうやって切符を買うのか分からない。アラサーになって電車の乗り方が分からないなんて思いもしなかった。
バスと同じ後払い制なのか?と冷静になれば分かるのだが、私にとって電車は券売機で先に切符を買うというものだと信じて疑わなかったのだ。
「終電21時→到着翌朝5時」……? アプリで終電だと表示されたルートだと、途中の乗換駅から最寄り駅までの電車が朝の5時前までなく、22時半から5時まで待つというルートだった。前の時間の電車を調べ、県内の中心部から最寄り駅に電車で帰れる終電は「19時半」だということが判明した。終電19時半……これが田舎の公共交通機関か……と頭を抱えた。
田舎に住んでいてある程度は覚悟していたが、「遊びに行くのに予想以上に交通費がかかる」ということが出かけることに対してハードルになった。
中心部に買い物に行くだけで3000円。
家の周りには徒歩で行けるお酒を出す飲食店がない。お酒を飲んだら運転ができないので車で行って代行で帰ることになる。美味しい店は20km先ということもざらにあるので、飲食費とは別に約5000円。
家賃が都会に住んでいた時と比べて安くなっているとはいえ、形の残らない交通費に数千円を出すことにためらってしまう。私は実家の立地が良かったこともあり、交通費に片道1000円以上かかることが滅多になかったので、抵抗が大きかった。
遊びだけではない。
平日の昼間。旦那の仕事中に足にけがをしてしまった。足首に痛みが走り、段々と腫れあがっていく。田舎の病院は数えるほどしかなく、最寄りの数キロ先の病院は休診日。その次に近い病院は十数キロ先。最寄りのバス停から直通バスはない。田舎の病院の診療終了時間は早いので旦那を待っていられない。救急車を呼ぶレベルでは全くないし、そうなるとタクシーか、と考えた所でタクシー代が頭を過る。……それなら一晩様子を見よう。
そう考えた時に「これがもっとひどい病気や怪我だったら……?」と怖くなった。生活がひっ迫しているわけでもないし、旦那はタクシーを使ったからと言って怒るような人ではない。しかし都会ではすぐに医者に行こうと思うことも、こちらだったら行くのを躊躇ってしまう。それがとても恐ろしくなったのだ。
田舎に暮らしていて良かったこともあるし、辛かっただけの生活ではなかったが、持病や運転に不安がある自分には田舎は辛かった。
朝が弱いのでとにかく職場の近くに住むぞ、と決めてアパートを借りた
駅まで徒歩50分、駅直通のバスは一日3本という立地に若干の不安を覚えたが、
最寄り駅から政令指定都市までJRで3駅だから田舎じゃないし、車あるから余裕だし、毎日ギリギリまで朝寝できるし十分お釣りが来るレベル、と思っていた
新しい土地、慣れない運転、さてどこへ出かけようか、なんて考える余力は無い
車で近場のコンビニに出かける気力すら無く、一日グッタリして過ごす
そんなことやってるうちに夕方になり、何とか近くのコンビニやスーパーへ車を走らせる
やっと趣味を楽しめる程度に元気になったと思ったら、もう風呂に入って寝る時間だ
学生なら平気で夜更かしするところだが、社会人は翌日の仕事のために寝なければならない
一人暮らしは初めてでは無かった
だが、今までのアパートは徒歩でコンビニやスーパーに行けたし、駅までどんなに遠くても徒歩20分程度だったので、全く状況が違った
選択肢は二つ、朝一の駅直通バスに乗って帰りはタクシーに乗るか、
最寄り駅近くのコインパーキングに車を置いて、帰りはタクシーに乗り、翌日以降に車を回収するかだ
一度終電になった時は、駅のタクシー乗り場で1時間立ちっぱなしだった
学生の頃より稼げるようになったのに、一人でフラッと飲みに行くことも出来ない
車→電車で出かけて、その場の雰囲気でちょっとだけ飲むなんてことも出来ない
コインパーキングに置いた車の中に自宅の鍵を忘れ、アパートの扉の前でマジ泣きしたこともある
息抜きするために使うエネルギーがデカすぎて、息抜きまでたどり着けないか、息抜きしたはずが逆に疲れたということばかりだった
そんな暮らしに必死でしがみついてたら、1年と経たずに鬱になりましたとさ。
まあ病んだのは仕事自体との相性もあったが、もう少し交通の便がいい環境に住んでたら病む前にもう少し何とかなったんじゃないかと思ってる
私は大阪の田舎生まれ。皆さん大阪の田舎を想像しにくいかと思うけど、田園風景広がってて、コンビニも近くにない、車社会。
社会人になって家を出て、横浜に住んでいたこともあるけど、今住んでるのは地方都市。
地方都市と言っても、田舎県の三番目に栄えている市で、繁華街と言われる場所まで出るのに、公共交通機関使っても車でも1時間以上かかる。
公表されているコロナ感染者は現時点で片手で数えられる程度なので、毎日そんなに怖くない。スーパーですら、人との距離は2メートル以上空いている。
外で飯を食うにしても、行く店を選べるぐらいには店があって、飽きることもない。
最寄駅のエリアには大きなショッピングモールもあって、映画館もある。最近やっとKALDIが入ったので、さらに繁華街に行く気が起きない。
市役所も警察署も通勤経路(車)にあって、転入時は本当に助かった。図書館も大学もあるので、読書が趣味なら何も怖くない。近所付き合いも回覧板くらい。
ネットで注文した物もすぐに来るし、田舎で映らないテレビ番組もネットでも見ることができるし、夜空を見上げたら天の川が見えるし、同僚と「ほぼ仕事と家の往復だけど、出る気力が湧かないくらいに充実してるよね」と言っている。
大阪の田舎に住んでいた頃は、学生だったこともあり、毎週末に繁華街へ出ていた。
横浜に住んでいた時も、なぜか毎週末出かけたくなった。電車でわざわざ日本橋まで行って、電車で揉まれて疲弊して帰ってきた記憶がある。
言っている意味は分かる。俺も高校の頃は東京に居たいと思ったこともあるし、音楽ライブやイベントも交通費と移動時間という壁の前に何回も諦めてきた。
ただ、実際彼の言う「田舎」に1億人が住んでいるという現実からすれば田舎は何も無いってのは思考停止でしかない。
車持ちたくない?東京で満員電車に往復1時間も揺られるよりは遥かにマシ。時間に縛られるのは嫌いだし通勤中にタバコも吸える。三密云々の前に他人と密着して通勤しなきゃならないのが異常事態だわ。痴漢と間違えられたら人生まで終わるわ
運転嫌いで車要らない生活をしたいと思って仕事を探していたら、駅から3キロ離れた工場に仕事が決まってしまった
家から会社の最寄り駅まで電車で1時間半、そこから自転車でがんばった
不慣れで辛すぎて、会社に着いた時にはげっそりしていた
それでもなんとなく慣れていき、休日に家族をドライブに連れて行けるくらいになった
ポリコレが未来永劫どんな場所でも絶対的に正しいなんて話をしてるわけじゃなく、この2020年において、別に人種差別したっていいだろ!みたいな言動をするってのは、もし自分がそれなりの社会性がありモダンソサエティの一員だと思うならそれを全部失うくらいリスキーじゃないか?って話
世界じゃそれがコモンセンスなのに、ポリコレなんぞが!!とか世界の隅っこで吠えてるのはそれこそナイーブにすぎる
服を着るってのは一部の西洋社会の価値観であって俺の常識じゃない!とか喚いて毎日褌一丁で通勤したら多分いろんなものを失うと思うよって感じ
いい加減に今度こそ、雨の日の自分にあの道を通るのはやめさせるために、日記を書くことにした。
毎回、事件が起こるたびに「あ、そうだった」とがっくりくるのをやめたい。
*
今日みたいに天気の悪い日は、いつもと通勤の時間がずれるため普段とは違う顔ぶれとすれ違う。
最近ようやく気がついたのだがそういう日にすれ違う女性のひとりに、どうやらよくない意味でロックオンされている。
自分の自意識過剰ならいいのだが。だいたい同じ道ですれ違うが、やたらこちら側に距離を詰めてきてぶつかって行こうとする。
傘をさしているときにお互いの傘が当たらないように上下にずらしてみたり、先に通らせようと譲って待ってみたりしても、ぶつかってしまう。
たまにいる距離感がへたな人だと思っていたんだが、いい気分ではなかった。
そして今日。道中で雨はやみ、傘をたたんで件の道の辺りを歩いた。
人二人が並んで歩けるくらいの歩道で進行方向にむかってみんなが一列になってすれ違って行く中、列を乱してこちらに迫ってくる人影に気がついた。
彼女か、と思った。
今回は傘をさしていない分、道幅に余裕があってうまく避けられそうだ。
若い女性。どちらかというと化粧っけのない地味な顔立ちだ。目が合った瞬間にサッと視線を逸らした彼女は、自分の真横を通り過ぎて行った。
あんないかにも普通という出で立ちの女性にこれだけ執拗にされているのだから、どこかで自分が彼女の腹の立つことをしてしまっているのだ。
今なお「雨の日にすれ違うアイツには攻撃しなくては気が済まない」とまで恨みを向けられているのだと思うと自分の過去の不注意にうんざりする。
まず通勤方法が電車から自転車に変わったんだけど「折角だからロードバイク買ってみるか」と思って購入した
最初は土日に少し乗るくらいだったけど、しまなみ海道まで車で30分ほどなので、天気の良い日は海を見ながら自転車で走るようになった
あと都内住みのときはゴルフなんて高すぎていけなかったけど、地方だと食事付で1万円を切る
1ラウンドすればかなり歩くし良い運動になる
タクシーとハイエースは走行中も交差点での停車も、だいたい道路の左寄り、場合によってはギリギリにいる。
とくに左折するとかじゃなくて、直進するのであっても車道の中心よりも、ずっと左側にいる。
思い返すと教習所で左に寄れって言われた気がする。巻き込み防止だよって。走行中はどーだったか忘れたけど。
でも、一般の自動車はだいたい左には寄らない。道の真ん中を走っている場合が多い。
今日たまたま信号待ちで停車したらタクシーとハイエースだけ左に車体が出てる。
疑問なのはなぜタクシーとハイエースだけ左に寄るのか。配送系では見たことがない。
左折のウインカー出して左に寄ってるのは分かる。タクシーも何となく察するところはある。
ハイエースはなんでだろう、疑問だ。
都内の職場で恋に落ち、しばらくして同棲し、時々どちらが皿を洗うかでケンカしながらも、それなりに暮らしている。
1人で抱え続けるのも少し疲れたのでちょっと聞いていって欲しい。
兄弟姉妹に障害を持つ人がいる人のことをきょうだい児と呼ぶらしい。
私は2人兄妹で、5歳上の兄が生まれつき軽度〜中度の知的障害を持っている。
簡単な読み書きは出来て、なんなら私より綺麗な教科書通りの字を書く。
電車が好きで、休みの日には色鉛筆を駆使して私鉄の電車の絵を描く。
普段は一般企業の障害者雇用枠で働いていて、実家から毎日電車に乗って通勤して、多くはないが毎月給料を得ている。時々会社から製品の割引クーポンが送られてくると家族に分け与えてくれる。
父とサッカー観戦に行き、(隣以外には聞こえない声で試合と無関係な独り言をぶつぶつ言いながら)観戦しては帰ってきて手洗いとうがいをこなす。
家族に対してすらめったにボディタッチをしてくることもないため、危害を加えられない限り他害はしない。
様子だけ見るとちょっとコミュ症なだけに見えるのだが、会話してみるとかなり幼さの残る受け答えや落ち着きの無さが如実に現れる。
"ちょっとのんびりした子"どころでは無さそうだぞ?と気付かれるわけだ。
まぁそれでも親や親戚、ご近所さんや支援級の他の親御さんに可愛がられながら、アラサーになった。
彼は自称"お兄ちゃん"だが、私にとっては今でも"落ち着きのないデカい弟"である。
さて、先述した「きょうだい児」で検索すると「きょうだい児 結婚」というのがサジェストされる。
世のきょうだい児は、結婚において大きな不安を抱えているのだ。
自分たち家族だけで暮らしていくならこれまで通りの暮らしが続くだけだ。
しかし結婚となると話が変わる。バックグラウンドの全く異なる結婚相手とその家族が登場する。
「家族に障害者がいるんだ」と言った時にまず恋人はなんと言うだろうか?
この人なら受け入れてくれそうだと思っても、その瞬間を想像するだけで内臓が口から全部出てきそうなぐらい緊張感が高まってしまう。
どれだけお互い愛し合っていても、そのリアクション次第で2人の関係が終わってしまうかもしれないのだから。
もしかしたら相手は「そうなんだ!どんな性格?」なんて"普通の"きょうだいの話を聞くみたいに受け止めてくれるかもしれない。
しかし、そうでなかったら。
「えっ?あ、そうなんだ…」なんて言われたらもうおしまいだ。
近いうちに別れ話をすることになる。というかその日のうちに別れ話をされたこともある。
でもこれは仕方がないことだ。
相手の育ってきた環境によって培われた価値観はそう簡単に塗り替えられるものではないことを私たちは知っている。
もしかしたら何か危害を加えられたことがあるのかもしれないし、そうでなくても困らされたことがあったのかもしれない。
異性の、あるいは同性のでも他人の介護をする可能性があることに不安感がある人だって当然いる。
きょうだいの存在をカミングアウトする事は、両親に結婚相手を紹介するときの何倍もリスキーで、何倍も恐ろしい。
偏見かもしれないが、中高年の世代は若い世代に比べて差別意識を隠さない人が多いように思う。
差別しているという意識がそもそもない人もいるのかもしれない。
ゆえに大切に育ててきた我が子の恋人にそのようなきょうだいがいると知った時、おそらくショックを受ける人が多いだろう。
「孫に遺伝するのでは?」「両親が歳を取ったら夫婦できょうだいの面倒も見なければならなくなるのでは?」「今は良くてももし関係ない人にも迷惑をかけるようになったら…」など、たくさんのネガティブな想定が頭に浮かぶはずだ。
きちんと両親ときょうだいの老後のプランを考えてプレゼンすれば納得してくれるかもしれない。
それでも、叶わぬ恋になってしまうことは往々にしてある話だ。
「きょうだいに障害があることで恋人を振るような相手ならその相手の存在がきょうだいにとって良くないものなんだから別の相手を探せばいいじゃないか!」という意見を見たことがある。
そういうことではない。そういうことではないのだ。
自分のきょうだいのことを好きな人も嫌いな人もいるが、その恋人との将来について考えているのは、自分の将来について思い悩んでいるのは、まぎれもないきょうだい児本人なのだ。
障害があろうとなかろうと、子の面倒を見るのは親のはずだ。決してきょうだいではない。
自主的にケアをしようとする場合以外は自分自身の将来のことだけを考えれば良いはずなのに、どうして本人の結婚にきょうだいがこんなにも影響するのか。
どうして自分が産まれたのかについてかなり悩んだことがある。なんなら今も悩んでいる。
もしもそうだったら、私は結婚せずに実家にいて、家族が全員旅立つ日まで世話をし続ける想定だったのだろうか?
まだ怖くて親には聞けていない。
まぁ聞いても本当のことは言わないだろうが…
親が年老いた後も障害を持って産まれた我が子の面倒を見てくれる存在がいれば助かる。
我が子が"普通に"成長していく姿も見てみたい。
まぁ、なんというか、そういうことなのだろう。
私って何のために産まれたんだろう?
実は、恋人には「良い奴なんだけどちょっとトロくて話し下手な兄がいる」ということしか伝えていない。
そろそろ話さなければと思ったが勇気が出ないのでここに吐き出した。
正直に言うと同居して面倒を見たりするつもりはない。もう若くない両親が裕福ではない実家で面倒が見切れなくなったら、グループホームか施設で暮らしてもらう予定だ。
私とケンカしながら暮らすより、それなりのお金を払ってスタッフにケアしてもらったほうがきっと彼も生きやすいはず。
もちろん、兄にも兄の人生がある。
ずっとそばで見守ってはあげられないけど、できる限り楽しく生きていて欲しい。
子供がいる友人たちは「産めば可愛く思うようになるよ」と言っていたが、私のように苦しむ子供はこれ以上増やしたくない。
何十年か後になって、これまでの苦しかった気持ちが癒されたら、「それでも子供を産んでおけば良かった」と思うのだろうか?
…多分思わないと思う。
世の中ではコロナ患者の病床がひっ迫していると話題ですが、現場では通常診療への影響が問題となっています。
コロナ病棟をつくるために、一般病棟も重症患者をみる病棟も縮小されています。
普段ならICU(集中治療室)でみるレベルの患者を一般病棟で管理せざるを得なくなっています。一般病棟では普段みない重症患者や該当科以外の病棟へ割り振られてしまった患者を診療するため、過剰なストレスがかかっています。
ICUも患者を普段より早い回転でさばかなくてはいけないので入退室の件数が多くなっています。残るのは最重症の患者ばかりです。人工呼吸器や体外循環の管理、褥瘡を予防するための体交は当然増えますし、薬の種類も普段より多くなっているのでダブルチェックや点滴交換の回数が段違いに増えます。作業過程が増えれば、使う神経もさらに増えます。
転院や入院を断ることも増えています。とくに緊急入院は全例コロナを想定しなくてはいけないので個室に入れざるを得ませんが、その個室がなくて入院できません。
冬は一般的に心筋梗塞、脳卒中、肺炎など緊急入院が増える季節ですが、断るしかないのです。
医療従事者はどのスタッフも特殊性が高いので、自分がコロナにかかって周囲を濃厚接触者にしてしまったら、その部署が機能しなくなることを意味します。
超音波検査ができる技師、重症患者をみることのできる看護師、体外循環を管理できる臨床工学技士。
コロナが流行すればするほど、通勤中にコロナにかかるリスクが高まります。コロナ診療に直接関わっていなくても、自分がコロナにかかることを恐れています。ちょっと体調が悪くなると、コロナなのかと不安に思っています。
コロナ病棟へは偉い人たちが激励に来ますが、そうでない病棟には誰もきません。外からの偉い人だけでなく、中の偉い人すら来ません。
コロナを見ている人たちだけが頑張っているように注目されますが、コロナ以外の患者とそれを診療する医療従事者に負担がかかっています。コロナ患者を診療している人には精神科の診察などのサポートもありますが、そうでないスタッフは放置です。
コロナ患者は誰かが診療しなくてはいけないし、コロナを診療しているスタッフは頑張っていると思います。でも、テレビをつけて出てくるのは、直接診療していない専門家でもない時間がある人たちです。
テレビに映らないしわ寄せを受けている部署で頑張っている人たちは限界を超えています。コロナで浮かれるのもいいけれど、コロナじゃない患者のほうが数が多いんです。
朝の通勤中電車でTLを見てたら推しが今夜配信をやると告知していた。
次の瞬間「あ、もういいや」と何のためらいもなく推しの有料チャンネルを解約した。
五年も追いかけてたのに未だに何の感慨もなく自分でも不思議に思う。
その後彼の出ている知らない2.5舞台を見に行ったりと気がつくと追いかけていた。
私は二次元オタク兼舞台オタクだった。東宝四季新感線etcと面白ければ何でも見ていた。
下手に目が肥えていたせいもあり、最初は何でこの人がこんなに気になるのか
表情は変わらないしセリフは棒だし動きは硬い。
殺陣やアクションもスピード感がなく見てて退屈だったし、実際演出家から期待もされて
いないんであろう、彼の見せ場は他の役者に比べるといつも少なかった。
ただ集客力だけはそこそこあり、そこに不安のある舞台にメインではなくサブキャラとして呼ばれることが多かった。
全国制覇を目指す○○部のレギュラー…ではなくマネージャーとか
大人気アイドルグループのメンバー…ではなく一話限りのゲストキャラとか
メインを演じられたのは片手で足りるほどで、その数少ないメインも
客入りが振るわなかったのか原作を完走する前に無理矢理完結させられた。
ここ数年は2.5のサブキャラと身内の小劇場を交互に年に数本こなすばかりで正直飽きてはいた。
反復横跳びばかりで上にいかないというか。
推しに役者として成長してほしかったが、五年見ていてそれを実感する機会はほとんどなかった。
顔がいいスタイルがいい声がいい歌が上手いと散々言われ、強力な武器をたくさん持っているのに
演技は相変わらず、歌はちょっと上手いカラオケレベルでミュージカル歌唱ができる訳でもなく
他の若俳が次々に声優業で成功している中、端役をちょっともらって以来声優業もご無沙汰。
映像にも出てないし2.5で新しい大きな役もない。刀剣男士にもなれない。
先輩面して可愛がっていた後輩たちが次々とドラマに特撮にアニメにソシャゲに帝劇にと躍り出ていく中
生き馬の目を抜く芸能界でポジションをキープしているだけでも大変なことだとは思う。
でもこのまま歳を取れば2.5の需要はなくなるしその後はどういうキャリアを積み上げるつもりなんだろうか。
3040でも帝劇までいきつつ2.5とも上手く両立している役者はいるがあくまで帝劇レベルの実力があっての2.5での需要だろう。
推しはそもそも帝劇何それ美味しいのレベルだ。帝劇が何かすら知らないと思う。
(そもそも2.5ミュージカルといいつつ出ている役者の大半はミュージカルに興味もないし本物(と敢えて言う)を見てないのもおかしな話だと思う。
部活でやってる中学生だってプロ野球やサッカーを見るだろうに)
この先30も半ばを過ぎたら初代テニミュで活躍してたあの人とかその人みたいな
映像のチョイ役や地味な小劇場メインの役者になるんだろうなーと想像がついてしまった。
そしてそれはつまらないなと思った。そしてあの朝がきた。そういうことだ。
私の想像なんて軽々と裏切ってほしいけど多分それはないだろう。
せめて刀剣男士にはなれるといい。そしたらまた見に行こうと思う。
静岡県民と鉄オタにはよく知られた、東海道線静岡地区(熱海-豊橋)の、あからさまな冷遇っぷり。
そんな自分から見ても、ここのサービスはJR旅客会社全て見渡しても最悪の部類と思える酷さなのだ。
それこそ東北地区や中国地区、本州以外の三島の閑散線区でも、多分ここまでじゃない。
つまり露骨な新幹線誘導どころか、新幹線に乗らないやつは客と見なしてないくらいのやり口である。
ぶっちゃけ静岡なんて新幹線の通り道くらいにしか思ってない(それ以外の利益を全く見込んでいない)のがミエミエというか。
結果的に、静岡の利用者に売らんでもいいケンカを直球勝負で売りに行っているような感じで、その空気の読まなさは一種の殿様商売だろう。
まあ新幹線しかドル箱がないので、そこを生命線として可能な限りケアをするのは別にいい。
でも、一部の沿線民に「新幹線に乗らない貧乏人は知らん」みたく思わせるやり口である必要はないだろっていう。
ちなみに新幹線を長距離に渡って保有するJR東も西も、東北や中国の閑散線区は微妙ではあるが、露骨に地元民を軽視していると思わせないのが、東海とは明確に違うところ。
というかここまで静岡地区を雑に扱っている現状、いっそ島田か掛川辺りで分割して静鉄と遠鉄に譲渡するほうがまだマシじゃね?みたいに思えてしまう。
(ついでに言うなら大垣-米原間も養老鉄道か近江鉄道に譲渡したほうがいいくらい酷かったりするが)
JR貨物にとっても、未だにH級機関車を通させないJR東海なんかよりも融通利きそうだし。
で、そういうバックグラウンドがあって、リニア中央新幹線の南アルプストンネルの問題が出たと。
事実上の水利権を奪われかねないだけでも業腹だろうに、さんざんコケにしてきた末に…と感じてしまうやり口をかまされる静岡県民の心情は察するに余りある。
そもそも工事の前提となる大井川の水涸れリスクに対する、ガバガバな環境アセスからして、今までの静岡軽視路線の延長で慢心してたかナメてかかってたと、静岡県民じゃなくてもそう思うわ。
JR東海だって大井川の水返せ運動を知らないわけじゃないだろうし、しかも静岡地区に限っては、国鉄時代の丹那トンネルという前科があるわけで、むしろ最も重視しなきゃいけないところなのに。
世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。
まあ確かに、死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。
また、認知症などで長く家族に負担をかけて、とてつもない醜態をさらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である。
とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。
友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、
遺族が過労死や労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。
かといって通勤中とかに死ぬと電車が止まってしまい、何千何万の通勤客の呪詛を受けながら死ぬ、という割とキツいシチュエーションになってしまう。
なので、ポックリ死ぬなら、旅先が良い。
旅先の人にはちょっと迷惑をかけてしまうが、恨みつらみは残らないし、何か楽しく人生を生きて死んだ感が漂うから、遺される人も若干気が楽だ。
とはいえ、ポックリ死ぬのは、何の準備もしてないので、本人は良くても周囲に面倒をかける。
心の準備もできない。お別れも言えない。喧嘩中だったりしたら後味も悪い。連絡すべき関係先を洗い出すのも一苦労だし、遺品の整理も面倒だし、部屋が汚かったり、恥ずかしい所有物とかが発見される危険性もある。
という事で、お別れを言う時間くらい欲しい。
しかし、お別れを言うには「大病を患っている」という前提が必須である。
事故で死ぬ場合は、即死を免れても意識不明のまま死ぬ可能性が高いので良くない。ふためと見られない顔になってる可能性もあるし、恨みつらみや相手方の保険屋との交渉とかがあって面倒極まりない。
やはり病死である。それも死ぬと判ってから1週間程度の猶予は欲しい。
部屋の整理は諦めるとしても、せめて3日はないと、遠方にいる家族が死に目に会えない危険性があるし、お別れがあわただしくなってしまう。
しかし半年以上入院というのも厳しい。最後の方はかなり苦しみそうだし、そんだけ入院すると費用も馬鹿にならない。家族に金銭的負担がかかっているのを気にしながら死ぬというのも、きつい。
という事で、1か月前くらいに余命が判って、家族や親戚・友人に連絡して、身辺整理を済ませて、1週間前くらいに入院して一通りお別れを済ませて、最終的になんか良いセリフを言って眠って3分くらいで、ピー、ご臨終です、というのが理想である。
コロナは割と近いが、あれは陽性反応が出たら1日かそこらで問答無用の入院である。身辺整理もできないし、入院する段階ではまだ死ぬと決まってないから、関係者に通知もしにくい。
それに、コロナで死ぬ場合、途中からなんかゴツい機器で呼吸を助けてもらう形になるので、お別れを言えない。感染するといけないから遺族も立ち会えないし、遺体の顔すら見えないという。
じゃあガンならどうかというと、ガンで死ぬのは相当キツい。最後はモルヒネ使って痛みを取り除くとしても、そこに到達するまでに、手術や放射線治療などがあり、相当苦しむ。
それに、専門家じゃないから良くわからないけど、末期がんで余命1ヵ月になるまで気づかないというのも、さすがにレアじゃないだろうか。半年前には気づいてしまう気がする。そうすると、死ぬまで長い。
1か月前に死ぬとわかって、あまり苦しまず、身辺整理をする余裕があり、お別れも言える。
そんなの、何か凄い感じの宇宙船事故で冷たい方程式的な何かが無ければ、ありえないのではなかろうか。(私は宇宙飛行士じゃないし、前述の理由で事故死はちょっと問題あるので、どのみち却下である)
東京基準だと自宅は駅徒歩10分以内みたいなのがデフォらしいんだけど、しかし田舎基準(?)というか普通に長時間の徒歩に慣れてる人間基準でいうと、
べつに駅から30分歩いてもいいし、ていうか自宅から会社まで60分以下くらいなら徒歩通勤できるって人も多いと思うんですよね。
実際自分は2年近く片道徒歩40分を通勤してた。まあ雨とか真夏とかはちょっとキツいんで、アウトドアーな装備が必要になってくるんですけど。
「徒歩通勤」ってものをもっと普及させていいと思うんですよね、その選択肢を取る人が少なすぎるというか。それでいてエクササイズしてるの、意味不明。歩けば一石二鳥やん。
リモートワークが増えたので据え置きゲーが売れている、とか
リモートワークが増えたので、UberEatsが増えた、とか
そういうリモートワークが増えたのでXXが流行った、or廃れたってのが実感がない
弊社では東京や大阪はリモートワークもやっているのだが、大都市以外の支店は通常出勤だ
地元でも感染者はいるのだが、件で10人、20人/dayなので、リモートワークまでは行かない
それどころか、大阪や東京がリモートワークになったことで、会社でないと出来なかった作業が他の支店に降りてきて、こっちは残業が増えた
コロナで生産アップして、工場は残業だらけで、ヒイヒイ言っている
しかし、東京本社の大企業の店は、一律閉店を早めているので、必要な物も買えない
ヤマダ電機とか全部閉店19時にしやがって、間に合わないよ
看護婦の友人と先日ラインをしたが、テレビを見るだけで腹が立つので、もうテレビも見ないし、ネットも見てないと言っていた
観光地や店に人が増える=自分たちの休みと給料と体力気力が減る、になる
会社の通勤のみで感染した人は仕方がないと思うが、感染者isだいたい県外で遊んでたり会食してたりする、だそうで
てめーらは好き放題遊んでイイデチュネーはいそのせいで私の休み消えましたねー病院又貧乏になりマチュねー私の賞与あんたが払ってくれよ、って気分になりもう耐えられない看護婦辞めようかと言っていた
まあ言うてもさ
コロナで職を失った人とかからすれば仕事あるならいいだろ!ってなるだろう。他山の石だ
俺はリモートワークなんてことをさせて貰って、普通に働いて給料が貰えて、感染対策も出来て、GOTO使って遊びまくって食事しまくってる「普通」のやつらなんて、幸せだと思う
だからこういう選ばれし立場の奴らが、コロナ辛い辛い言ってるのみると、は?????とか思う
こういう人たちの方が、絶対泣きたいしつらいわ。