雨宮まみが死んだことについて
最近の訃報の中で誰よりも悲しくて、ファンでもないし著作もそんなに買ってないし、どちらかというとインターネットで彼女のコラムや人生相談を読んでいただけなのだけど。
彼女の文章を読んで救われた気持ちになったり、寄り添われすぎて胸やけしそうになったり、けれど誰よりも他人の痛みをわかろうとする人、という印象だった。
それはきれい事なんかじゃなくて、彼女が本当に自分の痛みをすべて晒せる人で、だからこそみんなこの人にわかってもらいたい、この人ならわかってくれると思っていたのだと思う。
それだけの痛みを抱いていて、なお生きることに努力をしている彼女に私たちは勇気付けられていたし、だから彼女がどう年を重ねるか見ていたかった。
決してファンではなかったけれど(好きではあったけど)、あーこの人今こんなことやってんだ、こういう40代50代を生きているのかと思いたかった。
私は20代中盤で、生まれてこのかた恋人なんていたことがなく、毎日仕事しかしていないのだが、彼女が死んでしまうことは将来に対する希望がひとつ潰されることと同義なのだ。
私が将来孤独で、くるしくて、さみしくて、死んでしまいたいと思ったときに、それでもこんなに生きる努力をした人というお手本があることを希望に、
将来何も報われなくたって、ちゃんと生きていようって覚悟をもらっていたのに、なんで死ぬかなあ。死ぬなんてありえないでしょ。
事故です、とニュースサイトで言っていて、でも自殺では?と言っている人もいて、自殺だったら本当に本当に本当に許せない。
私は自殺は一つの選択肢としてアリだと思っていて、それしかないのなら本人が望んでいるのなら、しょうがないじゃないと思っているのだが、
彼女の文章や、商売は、彼女が生き続けることによって力が発揮されるのではないの?
死んでしまったらあなたによって励まされてきた人に嘘をついたことにならないの?
私は彼女が書いた文章の中での彼女しか知らないけど。プライベートで何かあったのかもしれないけど。
でも、彼女は死ぬべきじゃなかった。死んでほしくなんてなかった。
彼女に救われた心を返してほしい。
将来に希望を持たせてくれたことを謝ってほしい。
追記
彼女は自殺じゃなくて事故だっつってんだろ。 勝手に自殺したことにして、怒ってるんじゃねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20161118154530 飯島愛だよね。死に触れる女性たちの悲しみ方があの時に似てる。