はてなキーワード: 言葉にできないとは
生きづらいは誇張表現なので軽く捉えて欲しいのだけれど、他人に心配されるのがマジで苦手。
気をつけなくちゃいけない場面での注意喚起とかは全然大丈夫なんだけど、例えば家を出るときに
「隣町で刃物を持った男が出たらしいから気をつけてね」とか言われると、シンプルにすごいテンション下がる。
刃物を持った男に遭遇して刺されるところまではその一瞬で想像してしまうし、自分側に余裕がないと「刃物を持った男と遭遇しろってこと?」みたいな曲解解釈さえ頭をよぎることがある。
親に宿題やったのか聞かれる感じのウザさというか。
第一刃物を持った男に遭遇してしまってもこちとらどうしようもなくないかという。逃げられるようにヒールやめとけみたいなそんな感じなのか?
別に刃物男じゃなくても、「忘れ物しないようにね」とか「遅刻しないようにね」みたいなのも同様の気持ちになる。
当たり前に自分で気をつけることをわざわざ言ってくるほどこっちがスカポンタンって認識なんだろうか、みたいな。
上手く言葉にできないけれど、馬鹿にされているように感じるというか……。相槌感覚で心配ワードを使ってくる世話焼きみたいな性格の人間とマジで相性が悪い。
インターネットで、夫婦は話し合いが大事ってよく見るから、七十代の俺の親にも、なにかあったら早め早めに二人で話し合うことをすすめてきたんだわ。
そしたらまあ、夫婦仲が悪くなって仕方ねえの。ウケる~。(ウケない。なぜなら俺はパラサイトこどおじだから)
父親が、自分の言いたいことをうまく言葉にできないから、母親の方が筋の通った話ができてしまう。その場の話し合いは母親の意見が主に通る。そんで父親が不満をため込む。父親が言葉にはできないけど不機嫌そうな態度にはなり、イライラが滲む。母親がそれにストレスを感じる。結局話し合いをご破算にして父親の希望を叶えたりもする。そんなこんなで両方がイライラを感じて夫婦仲が険悪になる。
あの世代の高齢男性の言語能力が低い率って、かなりあると思うよ。
俺の父親がとりわけそうだって可能性もあるけど、世の中に「男はコミュニケーションができない」「寡黙で言葉少ない」「男の方が言語能力が衰える」みたいなステロタイプが流通してるのを見ると、そこそこ本当なんだと思うわ。
こういうことの組み合わせで、夫婦で言語能力が違いすぎるから、話し合いをすればするほどディスコミュニケーションが浮き彫りになってボロボロになるんすね~。
どうしたらいいんっすかねえ~~?
数分経って追記しはじめたことだから読んでないのかもしれないけど
幼児は語彙が足らないから自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。
その段階を越えるとまあ生存に必要な意思は伝えられるようになるよね。
それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのものの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿はそもそも高度な問題をもやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない(ので思考として固定化されない(一時的⇔固定化の対比))。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。
そして考えるということには結局言語が必要で切っても切り離せないものだからね。
生きる力には才能とは無関係なのもあるかもしれないけど少なくとも考えを言語を使って統合する力は地頭依存なんじゃないかね。
そうだと知らずに勝手に、言葉にできない場面に遭遇する機会が目に見えて減った感じしなくて報われないなーってなってただけと気づたってのが元増田の話。本も言語能力のない人間に頼られていい迷惑だったよね。
俺は単純に感情を吐露するのではなくもっと人間的な、といえば語弊があるとすればホモサピエンス的な大脳皮質があるから初めて可能になっているような思考をしたり発表したりしたいものだけどないものねだりだよなーって。
数日前にTwitterにて回って来たアマゾンの書籍レビュー。
ある日突然、大切な子供が自ら命を絶ち、そんな現実を受け入れられないまま、それでも世界は回り、
受け入れられないまま葬儀の手配をする。
今まで、子供を育てた二十数年間の日々。明日も続くと思っていたそんな日々を突然失った人が、
どうにかして、何かに、多すぎて言葉にできない怒りとも悲しみとも喪失感とも呼べるものを、その書籍にぶつけたい。
そんな悲しみに満ちた話かと思った。
違った。
そんなお綺麗なものじゃない。
既視感がある。
それを私はみたことがあるぞ。
そもそも「後始末マニュアル」と出た時点で私はそのツイートを読むのをやめるべきだった。
私はだいぶ油断していた、それなりに良いことがあったし、最近はほとんど思わなくなっていたし、
というより考えるのをやめるコツをちょっとだけうまくなって、どうにか思考停止もできるようになっていたし。
だから油断して全部読んで、気分が悪くなった。
全部読まないで途中でやめればよかったのに、怖いものは見たいし、臭いとわかってるものは嗅ぎたくなるような、そんな心情。あるよね。
そんでもって、この体たらく。最悪だね。
私は、十代の義務教育後半から、義務ではないけど世間一般に義務教育みたいな扱いを受けた学生時代。
それはそれは死にたかった。
病院には行かなかったし、この先だって行く気もないし、そこまでではない。
その頃は手首はバレるからと、腕を切り刻んでいて、そろそろ十年ほど経つのに、それは二度と消えない真っ白のケロイドとして三十本は残っている。
私は、それを消したいとも思わないし、誇りだとも思わない。見せびらかすなんてありえないし、憐れまれる原因、弱みとなるものなんて見せるはずない。
話が逸れた。
想像でしかないのだけど、その子供が死ぬことを選んだのは、おそらくその家族間にも問題があったのでは。とも思う。
実際何がいやで、何がそこまで追い詰めたのかなど知らないから、どうでも良いのだけど。
この、レビュー主のおそらく母親の言い分が、めちゃくちゃに刺さった。最悪な形でね。
そろそろ埃でも積もるかと思っていた、だいぶ前に閉じた箱が、まさしくパンドラの箱のごとく蓋がずれた。
確かに、きっとおそらく、子供を愛する母親なのだろう。でもそこに、恥ずかしいと、書くべきではなかった。
程度が知れてしまうよ。
薄っぺらい。
子供を、育て、愛し、清く正しくまっすぐに、間違ったことをしても謝れるように。そういう風に育てる、母親。
私だって大変なんだと、きっと言ったいた。
それくらいどうしたっていうの、それより私の話を聞いてよ。
病院に行けば?と言いつつ、本当に行こうかと思っていると相談をすれば、本当に行くの?いや、良い大人なんだから好きにすれば良いと思うけど?
そうやって、否定的なものをにじませた声色で言うのだ。きっと。
そこにふざけたような笑い方も付け加えていなかったか。
冗談のように言っていただろう。
子供の意思を尊重させていると言いつつ、自分の思い通りにならなかったら、育て方が悪かったのだと、泣く人。
絶対にそうだと思う。
外面が悪い。
マンションから出られない。泣くときは窓を閉める。声が聞こえないように。線香をあげるとき、窓を閉める。だれへの配慮だ。
本当にマンションだからか。人が死んだと陰口を叩かれたくないだけではないか。
人の目が気になる。親族に自殺だなんて言いたくない。でも、友達には「見送らせてあげたい」
ああ、本当に嫌だ。
まるでそっくりだ。
悲劇にヒロインぶりたい人だ。正しい母親であること、普通の母親だと、愛があるのだろうが、それだけではないだろう。
本当に気分が悪い。
本当に。
死んだのが私で、私の母親がこれを書いたのではないのかと思ってしまうほどに。
他人の目なんか気にしていないよ。と、そんな風に振舞って、そのくせとても人の目を気にしている。
おそらく過保護。
人のことを考えて。と言いつつ、自分のことしか考えていない、根底は優しくても、本性は愚かしい人だ。
思い出されたのは、私が学生の頃、程度は違うのだがしこたま言われたことだ。
私は頭の出来があまり良くなかったから、勉強に苦労した。覚えが悪いし嫌いだった。
全員で首をくくるしかない。
進級できなかったらどうするの。恥ずかしくって表を歩けない。
あんたのやることをやりなさい。
学校自体に辛いことはなかった。ただただ、毎日のようにそう言われるのが、恐ろしくしんどかった。
言わなくちゃあんたはやらないでしょう。
もうそろそろ、一番初めの頃から十年は立ちそうなのに、まさかここのパンドラを開く羽目になるとは思わなかった。
まあ、私は途中でふざけて袖をまくられ、切り傷まみれの腕を見られ大泣きされたし、
恨みつらみを書き連ねた日記帳を投げつけたりもしたし、それ以降はまるで本当に傷物で腫れ物に触るように
だいぶ甘くされている。
だから今でもフラフラしていても、そこまで辛く当たられることもない。
それでも、時折見せるその視線の先を感じるし、耳障りで仕方がない。
もう今では切り刻んでいることはない。タバコに切り替えているからね。私は自傷行為の延長で吸っている。
遺書があればよかったのか。
それで満足したのか。きっとしないだろう。
自分のことばかりだ。子供を愛していると抱きしめた手と、その口から出る言葉の温度があまりにも違う人だろう。
よかったね。君は救われたのだろう。それしか選べなかった君。とても勇気があり、ともに愚かしい。
けれど私はとても羨ましい。
私は学生のころ、とても死にたかった。成人以降はだいぶ楽になったけれど。
私はだいぶ特殊というか、恵まれたというか、恵まれている、甘やかされていると言われるような
振る舞いをしているのだから、本当に同じように辛い人の気持ちはわからないのだろうけど。
本当に気分が悪い。久しぶりに吐きそうな叫び出しそうな泣きそうな走り出しそうな気分だ。
「誰か、残される人のことを考えてください。」という人。
それで引き止められる人は優しい人。
確かに、考えてしまえば足を踏み出すのをためらってしまうだろう。
けれど、そんな言葉を口にした、その人が本心から心配をしているのだろうか。
この人のように、誰かの目を通した自分を、心配しているのではないだろうか。
集団の中で生活し、生きているけれど、自分自身の命の使い方くらい、自分で決めさせてほしいものだと、私は思う。
だいぶ前から、いつかその書籍は読みたいと思っているし、これは話題になったしそろそろ買う時期かしら。と思った。
その書籍を読んで、実行に移す人が少なかったという話を、私は知っているよ。
結婚して10数年。
子供も10歳を過ぎて、そこそこ自分のことは自分でできるようになってきている。
仕事も順調。残業は適度にあって、過度になる前に調整してもらえるホワイトな環境。
決して不幸ではないと思うし幸せな部類だと思う。
ただ、妻は僕を愛してくれているのか疑問だ。
妻は僕に触られるのを嫌う。
「やめてよ~」っというような冗談な感じではなく、本気で嫌がる。
しかし、僕を嫌っているわけではないという。
好きかと言われれば好きだという感じらしい。
こっちは好きだとハッキリ言葉にするのに、妻は自分からは言わないし聞かれても濁すような感じ。
浮気を疑ったこともあるけど、子供の習い事の送迎等でそんな時間は無さそうだし、面倒事は嫌いなタイプなので無い。
(信じたいだけかもしれないけど、浮気の可能性は0と断定している)
なぜ触られるのが嫌なのか聞いても「感覚的なことで言葉にできないけど、触られるのは無理。」と言われる。
疲れているからと思って晩ご飯は作るようにした。(残業のときはお願いしているけど)
風呂掃除は毎日やっているし、休みの日は昼と夜のご飯作りもしている。
それでもダメ。
時間が出来たら縫い物をしたり、PCで写真まとめたり、決して休む時間にしない。
いやいや、休んでよ。
夫婦ってなんだろう。
助け合うのは当然だと思うし、そうあるべきだと行動している(つもり)。
ただ、こちらとしてはそこに愛情表現も含めてほしいのはワガママなのだろうか?
承認欲求が全く満たされない。仕事をしている方が満たされるくらい。
(マズローの欲求五段階説は人の有り様を的確についていると思う。)
腕組んで歩くことなんてしたことないし、手を繋いで歩くことも昔から拒否されてきた。
子供が出来たから変わるのはわかりけど、拒絶する方向に舵を取るのはなぜ?
昔は笑顔で受け入れてくれたスキンシップも、今では嫌悪感をむき出しにした拒絶。
当然キスも無い。子供生まれてから数年はキスもあったのに、いつの間にかそれすらもダメになった。
こちらからの一方的な愛情表現だけで、向こうからは全く無い。会話はあるのにね。
法律上の意味合いだけではない心の繋がりを持った『夫婦』なのだろうか。
少なくとも、一方的な愛情表現は非常に虚しくなるし、心の繋がりは感じられない。
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妻は「見た目で結婚したわけじゃなく、性格で結婚した」というくらいだし。
「またまたぁwwww ほんとは好きなくせに~w」ってノリで1年くらい頑張った時もあるけど、本気で嫌悪する対応され続けたら折れた。
それに相手も一人の人間なのだから、こちらの気持ちの押し付けも良くないだろうという考えもあってやめた。
「愛してる」と月イチで真剣な顔で二人きりの時に言ってるけど、「はいはい、ありがとうね」って返し。
その後に勤め先の愚痴とか最近あったことなどの雑談に移行されて有耶無耶に。
体を鍛えてオシャレにというのも実践してみた。
身長170cmで65kgに体脂肪率22%だったが、1年掛けて58kgの体脂肪率15%にした。
服装も着古したものは整理したし、男性向けのファッション雑誌見たり、人の意見を聞きつつ見直した。
効果は全くなかった。ちなみに三十代。
家計はすべて妻が管理。給料も全て渡してる。小遣いは年間10数万。
夫婦ってなんだろうね。スキンシップすら出来ない関係は求めていた夫婦関係ではないのだけれど。
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追記その2
相手が気持ち良くなるようにしっかりやってたし、問題なさそうな反応だった。
肩を揉むのすら嫌う。柔軟等の補助は全て子供にしてもらってるから入る余地無し。
家族として見ているというのは納得。
実際、そういう風な言われ方したことある。
つまらないとか快楽的な側面じゃなく、愛情表現が無いということが辛い。
「愛してる」とか言われたこと無いし、求めても嫌がられて、挙句の果てにはキレられたこともある。
そういう経緯もあって辛く感じるし、ATMと同じじゃないかと感じる。
妻のことは愛しているけど、返ってくることの無い愛情表現は虚しく感じてくる。
虚しさを解消するには外に求めるしかないのかとも考える。
本気で愛情に飢えていると思う。
とりあえず運動して気を紛らわせてるけど、いつかどうにかなってしまいそうな気もしてる。
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追記その3
店も利用したことないし、利用するとたぶんハマる。
で、年間10数万円のお小遣いが一瞬で溶けるのは目に見えているので行かないようにしてる。
自分がされていたら心が張り裂けそうになると思う。
上述した通り、浮気は無いと断言できるけど。
結婚したことない人にはわからないことなのは仕方ないけど、愛し合っていた状態が突如として一方通行になる。
出産という一大イベントがあったことで、妻は母親になり僕は夫のまま父親になりきれなかったことが原因だと思う。
取り残されたというか、変化についていけなかったというか、変わらないと思っていたものが変わったというか。
セックス=ストレス発散というわけではなく、最大の愛情表現という考え。
キスやスキンシップもその一種だと思うけど、それも相手に取ってはNGなわけで。
病気で倒れた時にすぐに病院連れてってくれた時は心の底からありがとうと思ったし、結婚してよかったとも感じた。
(同期の男性は倒れても奥さんは救急車呼んでくれなかったという話を聞いて余計にそう感じた)
そういうのもあって離婚は全く考えていないし、それは話が飛躍しているというか些か短絡的かと思う。
とにかく、突発的なことで愛情は確かに感じるのだけれど、日常では0。
普段は仕事で承認欲求満たされているけど連休中は本当に辛い。家に居ると虚しくなるってヤバい気がしてる。
今は連休明けたから仕事行ってバランス取れているけど、休みの日は皿洗いしながら「夫婦ってなんだろうなぁ。心は別居中なんですかねぇ」っと思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
先が気になって一気読み。
読み終わった後にページ数を知ってすごいなと思った。
自分的には、この漫画は作中でも言葉が出てくるように「佳作」ぐらいだなと思った。
だからこそ前後編とか連載とかにしないで一気に出して評価を決める必要があったんじゃないかな、ぐらい。
それぐらいのパワーの作品。
勝手な推測だけど、作者も編集も客観的にそう評価して打ち出したんじゃないだろうか。
位置づけ的には、
ぐらい。
つまり、商業作品的には成分無調整で、オマケコンテンツ的な読み切り。
全部私の妄想だけど。
じゃあなんでお前は増田なんかに来て何を書こうとしてんだよ、というと
「天才すぎる」「自信を失った」「共感しすぎて言葉にできない」などなど
とりあえず今日はこれ褒めとけモードになってる雰囲気を感じてイライラしたから。
作者は間違いなく才能あふれる実力者だけど、
この作品はチェンソーマンを超えてるかと言うとそうじゃないでしょ。
わりと目に見えて伸びきらない点があって
「才能ある人たちが影響を与え合ってひたすら努力したら、トントン拍子で成功した」
という話の筋は
「共感できる人が非常に少ない」
でしょ。
ぶっ叩かれる言い方すれば自己満足的というかで、
「テーマを書きたい気持ちが先行しすぎて、エンタメの完成度としてはあと一歩」
ってジャンプの編集者がいつも言うアレのままでしょ。圧倒的佳作感。
それをもってB級C級のプロットをA級の作品に到達させてるのはそりゃすごいけど、
絵に観点の薄い人なら「そこそこ面白かった。なんか感動した」ぐらいで止まる。
じゃあクリエイティブな読者ならみんなに刺さるかというと
正直この作者さんの力なら、もっともっとすごいの描けると思うけどな。
匹敵する(そして話題にならず消えていく)作品は昔からかなりあるような。
そういう意味でこれ単品で
「一切の隙が無い作品」「才能に打ちのめされた」「共感しすぎて言葉にならない」みたいな盛り上がりは、
言ってる人たちはここ十年か二十年はあまり他者作品を摂取してきてないのかな?
ただの読者ならともかく、
いっぱしの作者がそういうこと言ってるとただの不勉強の告白というか現在のシーンが見えてないというか、
そんな感じに思った。
創作家でも、ここまでのストイックさも成功も不幸もないでしょ。
この主人公たちと二次創作絵描いてる絵師じゃ挑戦してる世界違いすぎるし。
ロートル入りかけてる人たち主導で、
一切の隙が無い完璧な作品だと褒めなくちゃいけないムード作られるの、嫌だな。
ハサウェイ観たときもそんな感じだったけど。
もしあなたがいま無職やニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる
重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真」
バートンさんが公開した写真。左が薬物使用で逮捕された05年、右がワシントン大学を卒業した現在(バートンさんのFacebookより)
一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物の写真だ――。
ある女性が、自身のFacebookにあげた画像が米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニー・バートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂をおかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。
「バートンさんは今年6月、米国の放送局『KMTR』の取材に応じ、自身の悲惨な半生を振り返っています。インタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親は麻薬の密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。
バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤、14歳でクラック(高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター)
バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性にレイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫からは毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。
生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人の麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察に被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。
〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力感からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉
バートンさんは17回逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。
〈最後に逮捕されたのは12年12月です。これが人生のターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨な最後を目の当たりにし、「絶対に人生をやりなおす」と決意。裁判所の特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官の監視のもと、薬物依存の治療や教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉
バートンさんは自身の体験をいかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者を支援したのだ。健康な身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学に入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学に編入し政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。
〈クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学を卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉
バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女の言葉を引用する。
〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います。地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉
現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性と結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。
男子に彼女の名前を出しても、ピンと来ない程度の知名度だったし、誰かと付き合ってるなんて話も全く無い。
話せばよく笑うし、話も面白い。
あと、顔が良かった。上手く言葉にできないが、麗しく透明感のある顔だった。うっかり見惚れた回数は枚挙に暇がない。
この話に賛同してくれる人もいたので、個人的な好みでは説明しきれない。
なんで男は彼女に見向きもしないのかなって思ってた。見向きされて付き合い始めてたら、お相手に嫉妬してたかもしれないけど。
2次元にしかいないはずの、男人気はあまりないが話せば面白いし顔がいい女の子は実在するって話
おわり
非常に憤りを感じている。
今朝方流れてきた以下のような言説。このような差別発言は今に始まったことではない。
「土日くらい休ませて」というパパへ。
https://www.instagram.com/p/CQDvgRTDA-N/?utm_medium=share_sheet
このような言説により、普段育児に参加しているしていないに関わらず、「休む」という言葉を封じられる。これは男親に対して顕著であることに疑いはなく、女親に対しては「休む」ことを推奨する言説がほとんどだ。
深夜に夜泣きでミルクをあげることを男親がやることだってもはや珍しいことではないし、そもそも育児とは何歳のことを指しているんだ?24時間体制なのはそれこそ乳飲み子の間。幼児くらいになれば保育園幼稚園もあれば夜に「異常時以外で」ケアが必要なことはない。異常検知にしても幼児側のアウトプット(泣くなど)のアラートで検知してるのであって、常にウォッチしているわけではない。そのくせウォッチして消費しているかのような言説を宣う。
その上で男親はフルタイムで働くことをもはや前提とされている。主夫なんてものが市民権を得ているのは「意識高い系が遠目から第三者的にそれを観測した場合」のみだ。近くにいる場合は蔑すむまではいかないまでも下に見ている。
俺は文章が下手なので、俺の憤りが貴様らに的確に伝わったり、言説としてちやほやされることもない(作文的弱者、発言弱者)。だからこういう男性属性でもって(先の例では「土日くらい休ませて」と言う者のみ対象にしているように見せているが明らかに男性という属性への警告という内容である。そうでなければ「パパへ」と絞る意味がない。パパは必ずしも男性ではないと言うならそれは書いたときの動機でなく後付の屁理屈と推察せざるを得ない。それはさらに卑怯な行為だと俺は認識する。)偏見を持つ、さらにそれに屈服することを半ば強制する同調圧力に対してしっかりと皆に届く形で異を唱える“代議士”が欲しいと本当に思う。(ただしその“代議士”には所謂ミソジニーの様な言説はやめてほしい。男の方が大変だとか言いたいのでなく、とにかく偏見とそれへの屈服の強制をやめろと言いたいのだ。)
俺は憤りを感じているが、それを上手に言葉にできない。作文としては子供のようなものだ。だが“よしよし”してほしいのではない、筋を通してほしいのだ。
妻子はいるけど友人は1人もいない。仕事と家庭で忙しすぎて友人と何かをする余裕はないのでそれでいいんだけど、1人も友達がいないのは欠陥人間なのかなとは思う。
ただ、そんな私でも会社では割と良識派だと思われている。複数からそう言われるので間違いない。感情が安定していると言われる。
しかし、そんな私ですが、部下が人事にパワハラ的な扱いを受けていると相談した模様。
この部下はなかなか困った子で、人の気持ちが病的にわからないため、その子の行動からこちらが受ける一般的な感情の流れをどうにかこうにか言葉にあらわして説明し、普通の人のフリができるようになってほしいと願っていたのだが、指導をやりすぎた模様。
そもそも他部署から追い出された子で、その子を知っている部下からは初めから受け入れに難色を示されていたし、受け入れ後には違う部下からも「あれには深入りしないほうがいいと思います。」って言われていたのに、どうにかできると思ってしまった自分が甘かった。
心を開いて話せばわかる、通じ合えるというのは定型発達同士の話であって、メンタル疾患者には通用しないということを学んだ。
で、人事と面談したわけだが、1時間面談したそう。それを受けて私も面談されたわけだが、最初から人事の人があまりにこちらに同情的だった。
フラットな感じで来るのかと思っていたが、最初からあまりにこちらに肩入れしてくるので聞いてみた。
「やはり人事のプロの方なら短時間の面談でもわかるものですか?」と。
「わかります。あぁ、こういう人の問題か…とすぐに察しました。ご苦労されて大変でしたね。」
という感じだった。
その子はお客様にも一回の対応で即座に嫌われてクレームや、その子以外での対応を求められるなど、とにかくほぼ全ての人間に嫌われる。
具体的な問題行動ももちろんあるんだけど、言葉にできない部分が大きい。なんていうか、こんなこと言うとはてなでは特に怒られると思うけど、キモいんだよね。所謂「生理的に無理」ってやつ。
好き嫌いは防御反応だなんて話もあるけれど、社会人生活はそれではいけないよなと思って、ウマが合わない人も尊重してやってきた。自分が苦手だと思っても信頼する部下が高評価している人材はやっぱり尊敬できるところもあったし。
だから仕事に好き嫌いは持ち込んではいけないと思って今回も自分なりには頑張ったつもりが会社に迷惑をかけてしまった。
この、大多数の人が一見しただけで「生理的に無理」と思うのって何なんだろう。アスペとかそういうのもあるのかもしれんけど、別にジョブズは一見しただけでキモいわけではないし。一緒に働くのはキツいんだろうけど。
これ、何なん?これを教訓に今後どうしたらいいのだろうか。田端さんみたいに履いて捨てるほど人材が集まる業界でもないのでどんどん切ればいいってことにはならんのよ。ギリギリ使えるようにできるならそこは拾いたい。でも、またこんなん拾ってしまうと組織に大ダメージなので、そこは見抜いて水際対策したい。日本では正社員を解雇にすることは実質不可能なので。
今回の件で一番の原因は、一見してキモい人材を採用しておいて、自分の直属では使い物にならず放り出した上司なんだけどね。
もう人材面では二度と協力しない。
背景がよく分からないけれども、もしそんなことを言う面接官がいたとしたら地雷臭がするからだと思うけど。
地雷臭ってよく怒るとかよく泣くとかもあるけど、他の要素にどんな時にどう言う理屈でどう感じるのか分からないってのがあると思う。
まぁそ言う意味では感情を言葉にできないってのが原因はあってるか。
多分ほとんどの学生は月並みな話もできないし、たぶん増田もやろうと思ってもいざやろうとしたらできないから。
あと
思ってもないことをたくみに話す学生も周りにいなくはないが、私にはそういうマインドコントロール力や知識は残念なことに備わってないし、彼らとは仕事に求めるものが違うと思うので実行しようとも思えない。
みたいに他者を極端に印象悪くてギラギラした邪なキャラにして、自分はそうでないって逆の方に極端にしちゃってバグっている印象。
以下、大学のオンライン授業に関するノウハウを列挙していますが、大学に限った話ではありません。ビジネスにおけるビデオ会議、企業における新入社員研修にも当てはまります。
https://online-edu.astr.tohoku.ac.jp/knowledge/open.knowledge/view/30
https://online-edu.astr.tohoku.ac.jp/knowledge/open.knowledge/view/46
https://utelecon.adm.u-tokyo.ac.jp/improvement/
週明けから、テレワークの促進、オンライン授業への移行により、ネットワーク帯域が逼迫し、企業の会議、大学の授業、新入社員研修に影響が出ることが想像されます。また、1年経っても社会人、学生、教育サービス事業者いずれも、「モバイルWiFiで何とかなるだろ」と回線を整備していません。(一方で、この期に及んで、まだ数百人規模の企業合同新卒研修を開催している研修会社もありますが)
その中で、過剰な解像度 (受信側の画面サイズでZoomが自動調整) でのカメラ表示、全員の手元にある教材をわざわざ画面共有しての講義、画面を最大化しないと見えないほどの文字で詰め込まれたパワポでの、会議・講義・研修は、結果としてコミュニケーションロスを生み、意思決定や学びを阻害します。上記のノウハウなどを踏まえ、ネットワーク負荷の少ないオンライン会議、講義、研修を実施しましょう。
そもそも、授業や研修でカメラなんていらんよ。研修 (新卒だけでなく、いい年したオトナ相手でも) だと「講師は受講者の顔を見て様子を観察」とかさせられるけど、大人なんだから、わからないことがあったら質問してよ。わからないことが言葉にできないということも含めて質問してよ。「私が困っている顔をしているのにサポートしてくれない!」とかやめてよ。