生きづらいは誇張表現なので軽く捉えて欲しいのだけれど、他人に心配されるのがマジで苦手。
気をつけなくちゃいけない場面での注意喚起とかは全然大丈夫なんだけど、例えば家を出るときに
「隣町で刃物を持った男が出たらしいから気をつけてね」とか言われると、シンプルにすごいテンション下がる。
刃物を持った男に遭遇して刺されるところまではその一瞬で想像してしまうし、自分側に余裕がないと「刃物を持った男と遭遇しろってこと?」みたいな曲解解釈さえ頭をよぎることがある。
親に宿題やったのか聞かれる感じのウザさというか。
第一刃物を持った男に遭遇してしまってもこちとらどうしようもなくないかという。逃げられるようにヒールやめとけみたいなそんな感じなのか?
別に刃物男じゃなくても、「忘れ物しないようにね」とか「遅刻しないようにね」みたいなのも同様の気持ちになる。
当たり前に自分で気をつけることをわざわざ言ってくるほどこっちがスカポンタンって認識なんだろうか、みたいな。
上手く言葉にできないけれど、馬鹿にされているように感じるというか……。相槌感覚で心配ワードを使ってくる世話焼きみたいな性格の人間とマジで相性が悪い。
分かりすぎる 余計なお節介よな あいつら心配するフリして他人のことバカにしてるんだよ と思ってしまうけど 多分言ってくる人にとっては"当たり前に自分で気をつけること"じゃなく...
心配の声を掛ける派だけど「思いやりがあるいいことをしたなあ」って思っちゃったりする…。心配されたくない人もいるんだね、すまんな
つまり声をかけてくる人の自己満足に我々は利用されてるんだ…