はてなキーワード: 意思表示とは
それ以降、初めての衆議院選挙だ。
当然だが、各党ごとにWebサイトの作りは違う。
資料になっていない場合は、Webページ上のわかる範囲で調べた。
言っておくが、綿密に調べたわけではない。
既に投票は終えた。
論外。見出しレベルで障害者への言及なし。福祉制度の中だけで、ワンワード、障害の文字があっただけ。
自民党とほぼ同じ。
結論から言うと、一番障害者政策に対する解像度と量が高かった。
立憲の次に解像度が高かった。
国民民主の次。障害者議員を輩出している割には、解像度が低い。
意外と解像度レベルでは自民と大差ない。弱者対策はものすごくページを割いているのに、障害者への解像度は低すぎる。
DL可能なPDFなし。その代わり、埋め込み型のドキュメントがあり、これを参考の基準とした。
共産党と同じレベルの解像度でびっくりした。このレベルで左翼やってんのかとびっくりした。
ただ、このマニフェスト自体、急場凌ぎで作られたようで、障害者政策以外への言及も、全体的に荒い。
2023年のマニフェストではない政策資料は手厚く作られており、こちらは障害者への言及もあった。
障害者政策への言及なし。どうでもいいが、Webサイトに鬱陶しい矢印のアニメーションがあり、アクセシビリティとは何か、という気持ちにさせられた。
前職は維新の奥下君。橋下府政時代に色々埃が出ており、麻生太郎の会社とズブズブ。同和利権との絡みの噂もある。論外。
自民は渡嘉敷なおみ。元資生堂で薬剤師、厚労副大臣まで勤め上げながら、前回は維新に負ける。
今回も、その厚労副大臣の経験から、障害者福祉政策への提言があるかと思い本人のサイトを確認しに行ったが、全く触れられておらず。論外。
そういえば去年の6月ぐらいだったか。衆院選の噂が立ち始めた頃に、駅前街頭挨拶をやっていた。
選挙の噂が立ったら街頭に立つのか。落選したんだったら、もっとこまめに立てよ、と思いそのことを妻に言ったら
「本人に言ってやればよかったのに」と言っていた。そりゃそうだ。次見かけたらそう言ってやろうと思ったら、ついぞその機会がないままになってしまった。
参政党? 論外。
次は比例である。
障害者としては、やはり、障害者議員を輩出したという実績は、れいわ新選組は特筆に値すると思っている。
一方で大石のような現場の反発も当然だと、中立的には評価する。
だが、それは大枠としての俯瞰的評価であり、彼女自身の品性は別だ。
よって、比例は立憲に入れた。
立憲だって全部については納得してない。
前回の民主党政権はなんだったのか、と言うことについて誰も総括してない
(一応、そういうタイトルの本が図書館にあったので、今読んでるのだけど)
小沢だって政治資金の疑惑があったのに、どの口で自民党批判してんだよ、と思う。
でも結局、比例はこうするしかないんだよな。
そこから一つ分かったのは、偉大なる無党派層こそが、国民主権なのでは、ということ。
個人的には、自民党という党は嫌いだけど、中には評価できる人もいるよね、と考えている。
その党の方向性に有権者が納得できて迎合しているなら票を入れるし、そうでないなら、不本意でも反対勢力に入れるしかないよね、と。
もし渡嘉敷なおみが、かなり手厚い障害者福祉政策を述べていたら、増田は渡嘉敷に入れていたと思う。
昨晩、個別にレスとかしたやつあるけど、本人かどうかわからんから、結局追記した方がいいのな。
おまえはそう考えるのかもしれないが、オレは今回そう思って調べたわけじゃないのよ。
別に選挙権がないわけじゃないし、オレたちも社会参画が必要なわけ。
今後の自分たちを取り巻く状況が変わる。
そのためのリサーチなの(リサーチと言えるほどの情報量・情報密度かと問われると、それはまた別だが)
それ以上でもそれ以下でもないから、そこは理解しておいてほしい。
もちろん、そこ踏まえた上で、個々人があーだこーだ言うのは構わないよ。
オレとしては「ふーん。おまえ様はそう思われるんですね。それで?」って思うだけ。
本当は、各党のマニフェスト情報の定義をしっかり定めた上で、もう少し調査し、
各党の文書の中から、障害福祉政策の見出しはあるかどうか、.*障(害|碍|がい).*というワードは何ワードあるか
具体的には、血圧が高いときは上は170下が100、ひどい時は上が100を切り、下が50台とか。
血圧のジェットコースターに乗ってるんだが、これがもうキツい。
高い時は頭痛で何も思考することができない。低い時は起き上がれない。
なんとか調子のいい時にタクシーを使って市役所まで行って期日前投票ができた。
だから、申し訳ない気持ちはあるものの、事情は汲んでいただきたい。
その上で、気になったら自分で調べてほしい。今ならまだオレが見た状態のサイトが維持されているだろうし、
この件についてはあまりレスしようと思ってなかったけど、一応返事書くな。
まず、障害者認定される前までは、バリバリ所得税も住民税も払ってたよ。
で、障害年金は非課税だし、年金で足りない分はバイトで糊口を凌いでるけど、
かかりつけの医院がちょいと遠方だから交通費もバカにならないんだわ。
で、体力ないからな、せっかく体調良い日にはまとめて用事片付けようとかするだろ。
2箇所以上用事の先(役所とか薬局とかな)回ろうとするとな、息切れするし、
しょうがなくタクシーとか乗るわけよ。軽く5000円とか飛ぶわけ。
雀の涙の障害年金で5000円だぞ。健常者でもポンポンタクシー乗って払うがくじゃないだろうがよ。
匿名じゃなかったら言えないんだろ?
それができないなら、法廷で会おうぜ!!
んーと、まず、税金払う払わないの上でいうと、払っていようが払っていまいが、
日本国憲法とそれに紐づく法律で生存権と言論の自由が保障されてんの。
これがヘイトスピーチだったら問題だが、事実に基づいたお気持ちと投票行動を述べただけで、なんでここまでヘイト吐かれるんだろう?
もしおまえが納得行かないんなら、憲法改変するか、最高裁ぶっ倒してからオレの前に来て、顔見てそれを言えよ。
そん時はオレも土下座してやるわ。
その上でだ。
自慢じゃないが、元気な時はそこそこ税金払ってたよ。
今後、体調が回復すれば年金も貰うのやめて、また所得税・住民税が払えるようになるかもしれない。
当たり前だが消費税は払ってるし、車乗ってるヤツは自動車税やガソリン税も払うし、あ、最近は滅多に飲まなくなったが酒税も払ってる。
だからな、税金払ってないとか、そういう雑な思い込みでヘイトぶつけてくんな。頭の悪さ丸出しだからさ、やめてくれ。
それでも納得行かないってんなら、やまゆり事件の植松みたく、刃物でも持ってオレを刺しにこいよ。
そん時はオレも全力で抵抗するからな。返り討ちにあっても文句なしな。
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以下、個人的なお返事
https://anond.hatelabo.jp/20241026231611
障害者だと深刻な雇用問題はひとまず関係なくなるから、失業が増えそうという野田立憲のデメリットに目をつむれる分、比例を立憲にしたのは良い手だと思うよ。
今の自分は雇用問題は無縁かもしれないが、社会復帰することを考えれば全く無縁でもない。ただまあ、そこまで今は考えられない、というのが正直なところ。
小選挙区を共産、というのも、自分でもちょっとねえ、とは思うけど。ただまあしゃーない、という感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20241026232317
逆やろ 共産は個人の能力はそこそこ高いが党本部が駄目だから独立・移籍してもやってけるんちゃうか!っておもわせるのにいい手だ
そうそう、辛坊治郎も昔言ってたんだけど、個人個人では良い人いるんだよね、共産党。(ここで辛坊治郎を挙げるなんてどうこうとか言わないでね!)
https://anond.hatelabo.jp/20241026233205
税金納めてない云々に関しては自分が間違ってました、申し訳ない
その上で返信読んで思ったのだけれど
調べて出てきた画像を見たが知らん人からしたら単なるアクセサリーにしか見えないんじゃなかろうか
これ着けてるだけで全ての人が配慮してくれるべきって認識はちょっとどうかと思う
譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?
そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど
その上で、各種ご指摘について増田も思うところがあるから、お返事するな。
「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」
これ、まさにそうなのね。本人の主体性が大事なので、本来はそれが筋。それは合ってる。
ただ、それを認めると、「お願いする・しない」の2択になっちゃうんよ。
オレ自身は、本当に辛かったら譲ってほしいと言うと思う。それをしていない時点で、オレは愚痴っているだけと取られられても仕方がない。
ただね、人によってはこういうこともあるんよ。
「(しんどい、辛い、座りたい。でもなあ、自分年寄りじゃないしなあ、譲ってほしいって言って変な空気になったら嫌だしなあ、逆上されて怒鳴られたり、傷つけられたりしたらどうしよう… 誰も助けてくれなかったら?? じゃあ、今は自分が我慢したほうが得かな…)」
みたいな発想になる人はね、これは結構多いのよ。まさにおっしゃる通り
「そういうのが出来ない疾患なんだって言われたらアレだけど」
なので、可能な範囲でいいけど、ヘルプマークをつけてしんどそうな表情している人には、席を変わるかどうか声をかけてあげてほしい。
いいです、って言われたら、譲らなくていい。それぐらい。本人の主体性が大事なので。
でね、本当に「譲って欲しい・配慮して欲しいなら意思表示をして「お願い」するのが筋ではないの?」って、思うんなら、
「(席を譲ってほしいって言って、自分が不利益被ったらどうしよう?)」って心を痛めたり、
実際に申し出て嫌な思いをする人を助けてほしいのよ。
「そんなん都合よく出くわすわけないのに、できるわけないだろ!」って思う?
だったら、そういうことは言わないでほしいな。おまえ様の心の中で思うのは勝手だけどさ、
こういう場所で公にするのは、もうやめにしようぜ!
最近好きな子と食事に行って、自分の中で明確に「奢りたい」という感情が存在していることに最近気がついた。
この子と一緒に過ごした食事の時間が大層楽しく幸せで、価値のあるものだったとき(、相手もまたそう感じていてほしいという気持ちは置いておいて)、自分の意思表示として「奢りたい」と思った。
ただ「奢りたい」という感情の先に、相手に見返りを求めている自分もいるように思った。求めるものはなんなのだろう。感謝だろうか。愛情だろうか。当然という顔をされれば、相手は楽しくなかったのだろうかとひどく落ち込むかもしれない。
対して相手に「奢れよ」と思うときは、相手が相談もなく決めた店で大して面白くもない話を聞かされた場合。食事代としてお金を払うのは当然だとしても、そもそも好みではなかったりするので、「食べたくもない料理と聞きたくもない話」というものにお金を払うのがひどく嫌なのだな。
勝手に店を決める人と面白くない話をする人とは食事に行かないようにしよう。
なぜこの論争を1人でずっと掘り返しているかというと、元彼がなぜ、「誕生日だから奢るよ」という言葉に「ありがとう」と返したら「俺のこと財布だと思ってるんだ!?」とキレたのかがわからないから。700円のラーメンを「500円でいいよ」という人と同じくらいわからない。3割負担で奢りましたみたいな顔しないでほしい。同一人物だけど。
白票を投じることと棄権すること、どちらが良いかという問いには、それぞれの選択肢が持つ意味や影響を理解する必要があります。それぞれの行動には異なる意義があり、どちらが「いい」と感じるかは個人の価値観や政治的な意識に依存します。以下では、両方の選択肢を比較しながらその違いを説明します。
白票を投じる行為は、選挙に参加して自分の意思を示しつつ、支持できる候補者がいない、または全体に不満があるというメッセージを送る方法です。白票は「選択肢がない」という積極的な意思表示と見なされることが多く、以下のような意義があります。
政治への関与の意思を示す:白票を投じることで、選挙プロセスには参加したものの、どの候補者や政党も支持できないというメッセージを送ることができます。選挙の投票率に反映され、政治家や政党は白票が多いことをある種の不信任と解釈する場合があります。
不満の表明:白票を大量に投じることで、国民の中に候補者に対する不満が存在することを明確に示すことができます。これが、次回以降の選挙での政策変更や新しい候補者の登場につながる可能性もあります。
一方、棄権は選挙に全く参加しないことを意味します。棄権は、政治に対して無関心である、または現行の政治体制や選挙自体に対する拒絶を意味することがありますが、そのメッセージはあまり明確に伝わりにくいです。
メッセージが曖昧になる:棄権は、投票しない理由が多様であるため、何を意味しているのかがわかりにくいです。たとえば、単に政治に無関心なのか、外的な理由で投票できなかったのか、あるいは意図的にボイコットしたのかが区別できません。白票とは異なり、棄権者が具体的に何に対して不満を抱いているのかが明確に伝わりません。
政治に対する影響力が薄れる:棄権することで、政治的な意思表示を全くしないことになります。これにより、政治家や政党はその人の意見を無視する傾向が強まります。棄権者の声は選挙結果に反映されないため、政治に対して何の影響も与えないと見なされます。
項目 | 白票を投じる場合 | 棄権する場合 |
---|---|---|
意味 | 政治に参加し、支持できる候補者がいないという意思表示 | 政治や選挙に対する無関心または拒否 |
メッセージ | 「候補者に不満があるが参加はする」という意思表示 | 意図が不明確(無関心か反対かが曖昧) |
影響力 | 投票率にカウントされ、不満として示される可能性 | 選挙結果に反映されず影響力が薄い |
政治的関与 | 一定の政治参加意識を示す | 関与していないと見なされる |
4. 結論
白票を投じることは、投票に参加しつつ、不満や支持できない状況を示す方法であり、一定の政治的メッセージを送る手段になります。投票率にはカウントされるため、棄権よりも政治に対する影響を与える可能性が高いです。
棄権は、政治に対する完全な不参加を示す行為であり、その理由が選挙後に明確に伝わらない可能性があります。結果として、政治家や政党にとっては無視されやすく、影響力を持ちにくいです。
もし、支持できる候補者がいないことに強い不満を感じているのであれば、白票を投じる方が棄権よりもメッセージ性が強いと考えられます。棄権は投票行動としては消極的な選択であり、その意図が伝わりにくいため、白票よりも影響力が薄いかもしれません。
1. 現状維持への影響:
白票が制度上の勝者を変えることができないとしても、その数は無視できないメッセージとなり得ます。白票の増加は、有権者の政治への不信感や現状への不満の高まりを示すものです。特に投票率が低い場合、白票の割合が高くなると、政治家やメディアの注目を集め、政治への関心喚起や議論のきっかけとなる可能性があります。
現状の政治システムでは白票が消極的な行動と捉えられるかもしれませんが、それは政治家の意識やアプローチを変えるきっかけになるかもしれません。白票の増加は、政治家が有権者の声に耳を傾け、より良い政策や説明責任を果たす必要性を認識する機会となり得ます。
2. 民主主義への貢献:
民主主義は市民の意見表明を尊重する制度であり、白票もまた有権者の意思表示の一つです。白票を投じることは、現状の政治や候補者に満足できないという強いメッセージとなり、政治家の責任を問う行為でもあります。
民主主義の健全な機能には、多様な意見の反映と議論が不可欠です。白票投票は、既存の選択肢に納得できない有権者の存在を可視化し、政治家の間でより幅広い議論や改革の検討を促す可能性があります。建設的な対話や改革の方向性は、白票を投じた有権者を含む市民の継続的な関わりによってもたらされるものです。
白票投票は、政治への不満や現状への抗議として象徴的な意味を持ちます。特に、選挙における白票の割合が顕著に高まれば、政治家の間で危機感や改革の必要性を生み出すことができます。
他の抗議手段と比較して、白票投票はより広範囲の有権者が参加できる容易な方法です。選挙に立候補したり、特定の政策を支持したりするには、時間やリソースの制約がある有権者も多いでしょう。白票投票は、そういった人々の声を反映する手段となり、政治への参加意識を高める効果があります。
白票投票が直接的な変革をもたらすことは難しいかもしれませんが、政治や民主主義に全く影響を与えないというわけではありません。白票投票は、有権者の意思表示として尊重され、政治家の意識改革や政治参加の促進につながる可能性を秘めています。白票投票をきっかけに、より多くの有権者が政治への関心を高め、積極的な議論や改革への参加へと繋がっていくことが理想的です。
白票投票は、現状への不満や政治への抗議を可視化する手段として、一定の役割を果たします。しかし、より大きな変化を望むのであれば、白票投票に加えて、有権者が政治への関心を高め、具体的な行動や意見表明を行うことが重要です。白票投票は、政治参加の入り口として、民主主義を活性化させるための第一歩となり得るでしょう。
意味わからんバカの主張よりAIの方が有意義な回答を得られる時代になっちまったか・・・
せっかくだから俺もchatGPTに投げてみた
この文章についていくつかのポイントに触れて意見を述べたいと思います。
筆者は、白票投票を「有効票を減らす唯一の手段」として提案しています。しかし、白票の実際の効果は議論の余地があります。白票は有効票としてカウントされないため、選挙の結果に直接影響を与えません。多くの選挙制度では、白票は単に「意思を示さなかった」と見なされ、結果的には現状維持や既存の政治勢力の力を強化する可能性があります。つまり、白票が多ければ多いほど、相対的に少数の有効票で当選者が決まり、必ずしも「NO」を突きつける手段とは言い難いでしょう。
2. 現行の政党に対する不満
筆者は自民党、立憲民主党、維新、共産党など、すべての主要政党に失望していると述べています。これは、多くの国民が抱く感情の一つであり、政治への不信感や無力感を表していると思います。ただし、その解決策として白票を投じることが本当に効果的かどうかは疑問です。政治に対する不満を解決するためには、白票よりも具体的な行動(たとえば、支持する候補者を探し出す、独立した候補を応援する、市民運動や政策提言に参加するなど)がより効果的かもしれません。
筆者は「1億人が白票を投じれば9割の国民が政治家を支持しない状況になる」としていますが、これは非常に極端な仮定です。白票が大量に投じられても、その結果として9割の国民が支持しない政治家が生まれるとは限らず、むしろ選挙に積極的に参加した少数派の意見が反映される結果になる可能性があります。
また、筆者自身も認識しているように、白票投票が常態化すると民主主義そのものが揺らぐ危険性があります。選挙は国民が意思を示す最も重要な手段の一つであり、それを無効化する試みは、結果的に政治的な停滞や無秩序を招くリスクがあります。
筆者が述べているように、「ぶち壊す」ほどの不満がある場合でも、民主主義の基本的な枠組みを壊すことは、長期的には国民自身に不利益をもたらす可能性が高いです。どの政党も満足できない場合、理想は新しい政治的選択肢を模索したり、政策討議を促進したりすることです。白票を投じることで、問題の解決が促進されるかどうかは非常に不確かで、むしろ解決を先送りするか、さらに問題を悪化させる可能性があります。
この文章は、多くの国民が感じている政治的不満を鋭く表現していますが、提案されている白票投票という方法は、その不満を効果的に解決する手段としては弱いかもしれません。民主主義においては、選挙は重要な意思表示の機会であり、白票ではなく、より積極的な参加や政策の提案、あるいは新しい政治的選択肢の形成を模索することが求められるでしょう。
この意見に対する評価は、いくつかの視点から検討する必要があります。主に「白票投票が現状維持に寄与するか」「民主主義への影響」「有効な抗議手段か」という三点について論じることができます。
意見の中で「白票は現状維持、つまり与党支持」という批判を退けていますが、実際には、白票を投じても直接的な変革をもたらすことは難しいです。白票は無効票として扱われ、有効票には含まれません。その結果、最も多くの有効票を得た候補者が当選するため、白票が多くても制度上の勝者が変わることはありません。つまり、現状の政治システムにおいて、白票は消極的な行動とみなされる傾向があり、その結果、与党の強さや議席数が維持される可能性が高いです。このため、白票が有効票を減らすことで政治家の行動に影響を与えるという前提には疑問が残ります。
2. 民主主義への影響
意見では、多数の国民が白票を投じることで「9割の国民に支持されない政治家」を生み出すことを目指しています。しかし、この考え方は民主主義の基本原理に反する可能性があります。民主主義は、市民が積極的に自らの意見を反映させるための制度であり、投票行動そのものが意見表明の手段です。白票を投じることは不満の表明にはなるかもしれませんが、具体的な政策や候補者に対する意思表示が欠けており、建設的な対話や改革の方向性を見いだすことは困難です。結果的に、無効票が増加することで民主主義の機能が低下し、最終的には市民の意思がより反映されにくい政治構造が残るリスクがあります。
白票投票は政治に対する不満の象徴として使われることがありますが、意見表明としての効果は限定的です。抗議の手段としては他にも、選挙に立候補する、特定の政策を支持する候補を支援する、市民運動や請願を通じて声を上げるなど、より積極的な手段が考えられます。また、選挙制度や投票システムの改革を求める動きに参加することで、政治の透明性や公正さを高めることができます。単に白票を投じることは、現状への消極的な抵抗に過ぎず、長期的な政治改革につながりにくいでしょう。
この意見は、白票投票が有効な抗議手段として提案されていますが、実際には政治や民主主義に与える影響は限定的であり、むしろ現状維持に寄与する可能性が高いです。また、白票投票だけでは具体的な変革を生み出すことが難しいため、より積極的な参加や代替案の提示が必要です。
別にやりたいならやってもいいけど「白票には意味がある!既存の政治家へのNoという意思表示だ!」みたいにイキってるアホが他人に白票勧めてるたら「ぼくはみなさんとおなじでいいです」って意味にしかなってないから真似しても意味ないよ、というのは広めたいよね
選挙を意思表示の手段の一つにすることに同意はしていても、選挙を唯一の手段とする同意なんかしてねえよ。選挙にも行くし、署名だって集めるし、批判の声だってあげるし、機会があれば文章だって書くし、啓蒙活動だってするんだよ。生活がかかってるんだからな。本当は沢山の手段があるのに「選挙に参加したから」でその他の手段を封殺しようとするの、詐欺的だぞ。
この意見には妥当な点もありますが、いくつかの問題点や誤解が含まれています。以下で詳しく指摘します。
妥当な点
1. 自己満足としての投票: 「選挙は自己満足とわきまえて行くべき」という部分にはある程度の妥当性があります。民主主義の中で、個人の一票がすぐに大きな変化をもたらすわけではないため、自分の信念に基づいた選択が自己満足的な側面を持つのは事実です。しかし、選挙への参加を「自己満足」とだけ捉えるのは限界があります。
2. 生活の一部としての選挙: 選挙を「生活の一部」として捉える視点は正しいです。選挙は日々の暮らしに影響を与える決定を行う場ですので、自分自身や社会のために参加することが重要です。
1. 「一票や数票で結果が変わるわけではない」という主張: これは誤解を招きやすい考え方です。確かに、一票で選挙結果が変わることはまれですが、地方選挙や接戦の場合には、少数票が結果に大きな影響を与えることがあります。過去の選挙でも数百票、あるいは数十票差で当選者が決まる例が存在しています。このように、一票が集まることで結果を左右するケースもあり得るため、「一票に意味がない」というのは一面的な見方です。
2. 白票の意味について: 意見では「白票に意味が発生する」とされていますが、白票は選挙結果に影響を与えないため、その意味を巡って議論があります。白票は「どの候補者も支持できない」という意思表示ではありますが、具体的な政策や政治的影響を及ぼす可能性は低く、白票が多くても選挙制度自体には変更が起きません。したがって、選挙結果に影響を与えたい場合、白票ではなく、自分に最も近い政策を持つ候補者に投票することがより効果的です。
3. 「投票結果に結びつかない」という認識: 個々の投票行動が直接的に結果に結びつくわけではないことを冷静に理解することは重要ですが、このような姿勢が投票行動の放棄を助長する可能性もあります。集団的な投票行動の積み重ねが選挙結果を形成し、最終的に政治の方向性に影響を与えるため、参加そのものが重要です。投票行動に意味がないとする見方は、民主主義の基本的な価値を軽視してしまうリスクがあります。
まとめ
この意見は、投票行動の一部を「自己満足」として捉える点や、選挙を日常生活の一部として理解する点では妥当です。しかし、「一票が結果に影響を与えない」という見方や、白票の価値を過大評価している部分には問題があります。選挙は、集団としての意思表示を行う場であり、個々の投票が積み重なることで最終的に大きな影響をもたらす可能性があります。そのため、投票行動を放棄するのではなく、積極的に自分の意思を反映することが重要です。
この意見は一部に妥当な点がありますが、いくつかの問題点や矛盾点が指摘できます。以下に詳細を説明します。
妥当な点
1. 一票の集団的効果: 意見の中で「一人の一票は大きな意味を持たないが、集団で動けば意味を持つ」という点は正確です。民主主義の基本は、集団の意思を反映させることですので、個々の票が集まることで結果に影響を与えるという考え方は妥当です。
2. 自分の意見を反映させる方法として候補者擁立: 候補者がいない場合や不満がある場合は、自ら候補を擁立するか、政治活動に積極的に関わることが選択肢としてあるという点も理にかなっています。
1. 「投票しないことは無意味」という主張: 意見の中で「白票や無効票には意味がない」とされていますが、これは一面的な解釈です。白票や無効票を通じて「どの候補にも賛成できない」という意思表示を行うこと自体は、選挙システムにおいても重要なメッセージと解釈される場合があります。これは、政治家や政党に対して「選択肢が不十分である」という抗議の一形態です。
2. 「勝つことが重要」という視点の偏り: 意見では「勝たなければ意味がない」という主張がありますが、民主主義は勝敗だけでなく、多様な意見が反映されることも重要です。少数派の意見であっても、長期的な議論や変化に寄与する可能性があるため、「負けることが無意味」とするのは狭い視点です。
3. 選挙に行かないことの影響を軽視: 「投票する人がいないから選挙に行かなくてもいい」という主張は、投票率の低下が民主主義の健全性に悪影響を与えることを無視しています。低投票率は、代表性の欠如や特定の集団に有利な結果をもたらすことがあります。そのため、どのような選択肢であれ、投票に参加することは重要とされています。
まとめ
この意見は、一票の集団的な力や候補者擁立の重要性を指摘する部分では妥当ですが、白票や無効票の意義を軽視し、投票しないことの影響を正当に評価していない点に問題があります。また、勝つことが唯一の目標であるとする視点は、民主主義の多様性や長期的な影響を軽んじているといえるでしょう。
選挙における最適な投票行動は、以下のように定義できると考えられます。
最適な投票行動の第一条件は、自分の投票先について十分な情報を持ったうえで決定することです。政党や候補者の政策、過去の実績、価値観の一致度、社会問題に対する立場などを調査し、自分の価値観や利益に最も合致する選択をすることが重要です。情報不足や感情的な反応による投票は、自分の意志を十分に反映した行動とは言えません。
2. 長期的視点を持つ
短期的な利益や感情に左右されず、長期的な影響を考慮した上で投票することが望ましいです。社会や経済の変化は、しばしば長期間にわたって効果が現れるため、将来に向けたビジョンを持つ政党や候補者を選ぶことが重要です。
投票行動は、自分の価値観や信念を反映するものです。そのため、自分が重要だと感じる社会的、経済的、政治的な問題に対して、最も近い立場に立つ政党や候補者を選ぶことが、最適な投票行動となります。
投票先が見つからないと感じた場合でも、白票を投じたり棄権したりすることは、政治的な意思表示の一つと考えられます。白票は「現状の選択肢に満足していない」という意思を示す方法であり、政治家や政党に対して改善を促すメッセージを送る手段ともなり得ます。
選挙は個人の意思を社会全体に反映させる機会であり、投票行動を通じて社会に対する責任を果たすことが求められます。自分の一票が政治を直接的に変えることは難しいかもしれませんが、多くの一票が集まることで変革が生まれるため、個々の投票行動が重要です。
まとめ
最適な投票行動とは、情報に基づいた意思決定を行い、自分の価値観や信念を反映した選択をすること、長期的視点を持つこと、社会的責任を意識することが要素となります。また、投票先が見つからない場合でも、白票や棄権を戦略的に使うことで自分の意見を表明する方法があります。これらの要素を総合的に考慮し、冷静かつ理性的な判断で投票を行うことが望ましいと考えられます。
なんでしないの?
議論が何も進んでないように感じる
国際的な外圧もあって、いくつか国内制度の見直しも議論されてるし
献血や骨髄移植の話題をハテブ経由でたまにみることもあるくらい
いつまでスルーし続けるんだろ
• 民主主義の基本原則: 投票は民主主義の基礎であり、市民が政治に参加する最も重要な方法の一つです。個々の一票が直接的に政治を変えないように見えることがあっても、投票の積み重ねが政策や政府の方向性を変える力になります。
• 代表性の確保: 投票しないと、自分の意見や価値観が反映されない可能性が高まります。特定のグループや層が投票を控えると、その層の意見が政治に反映されにくくなり、政策が特定の利益団体や活発に投票する人々に偏ることがあります。
• 社会的影響力: 投票率が高いと、政治家や政党は市民の声により敏感になります。投票率が低いと、政治家は一部の熱心な支持層にのみ依存するようになり、広範な意見を無視する可能性が高くなります。
• 白票を投じる: 候補者や政党に満足できない場合でも、投票所に行って白票を投じることは意味があります。白票は「投票先がない」という意思表示としてカウントされ、選挙全体の投票率に影響を与えます。これにより、「政治に対する関心があるが、現状に満足していない」というメッセージを伝えることができます。
• 比較検討と妥協: 完全に一致する政党や候補者がいないことは一般的ですが、複数の選択肢を比較し、自分の価値観や優先事項に最も近いものを選ぶことも一つの方法です。完全な一致を求めるよりも、より現実的に自分の意見に近い選択肢を支持する方が、長期的には自分の理想に近づく可能性が高くなります。
• 政党の立場を知る努力: 政党や候補者のマニフェストを調べ、自分が支持する政策にどれだけ近いかを確認することが重要です。現状を打破したいという意見を持っている場合、その意見を反映する政党や候補者を探す努力を怠らないことが大切です。
• 地域の候補者に直接働きかける: 自分が支持したい候補者がいない場合でも、地域の候補者や政党に直接働きかけて、自分の意見を伝えることができます。政治家にとって有権者からのフィードバックは重要であり、政策に影響を与えることができるかもしれません。
• 市民運動やボランティア活動: 政治に直接的に影響を与えたい場合、市民運動やボランティア活動に参加することも一つの方法です。自分の価値観や意見を共有する人々と連携し、政治に影響を与える力を持つことができます。
• 地方選挙への関心を持つ: 国政選挙だけでなく、地方選挙にも注目することが重要です。地方政治の方が市民の日常生活に直接影響を与えることが多く、自分の一票が結果に大きな影響を及ぼす可能性が高いです。
まとめ
自分の一票で政治が直接変わらないと感じても、投票は民主主義の重要な一部です。投票しないことで意思を放棄するよりも、どのような形であれ意見を表明することが、より良い社会の構築に寄与します。また、投票先がないと感じる場合でも、白票を投じたり、政党の立場を理解しようとする努力が求められます。これにより、政治家や政党が市民の意見により敏感になり、より公正な政治が実現する可能性が高まります。
肩代わりはしないぞという意思表示では
60寸前、間も無く定年再雇用をするかどうかの意思表示をするタイミングの大卒からずっと働いてきたという人。
定年再雇用での待遇ダウンすることに対しての文句を言っていたのを聞くことに。
確かに話の内容からしたら、制度の趣旨に沿って一線を退き、後進の指導のみというわけじゃないので、そのような不満があるのはわかる。
ただ、転職経験者として「それは悪手で何ら良いことがない」と言いたいことはあった。
まだ辞めるかどうかは明言しちゃいけないし、「他に行くところがなかったら残る」は言っちゃいけない。
確かに出来る人だし、辞められると困ることはあろうと思う人だが。辞めることを取引カードにしたところで、会社は何も気を遣っちゃくれない。
むしろ、それで残ったら市場価値が無いと見られ、さらに評価されなくなる。
いつぞやに聞いた
いつまでも残るかのように働き
しかないのよ…
それでどれだけきっちり、自分の休みを犠牲にして引き継ぎをして退職しても、退職後に欠席裁判されることもあるけどね。
それは、組織の問題にせずにいない人のせいにした方が波風立たないからね。それやったところで問題の本質に切り込まず先送りしてるだけだから、後ほど問題が深刻化して対処できなくなるのがオチだけど。
久しぶりに実家に帰ったら弟が不登校の中退引きこもりニート目前になっていた。まだ高校生だし今なら引き返せる気がするからアドバイスが欲しい。
弟は半年前くらいから不登校になり始めて、最近は完全に不登校になった。
昼は寝ていて深夜に起きてカップラーメンを食べ、PCゲームとYouTube、ソシャゲ課金をするだけの生活をしている。
弟は高知能ASDというやつらしくて、IQは引くほど高いのに、精神面はかなり幼い。
高3なのに、ひろゆきの真似をして、ネットで見たことを自分で考えたように話す。
他の子が彼女とディズニーに行く中、一人野獣先輩の話をしている。
怠惰で、今やらないと後で何倍も大変になるとわかってても絶対にやらない。
テスト期間や受験期であっても勉強せず、当日はどうするのかと思えば休んで逃げる。
日常生活もだらしなくて、布団の周りにはシコティとゴミが積み上がっている。
友達の志望校をfランと言って馬鹿にし(勉強をしないからその子の志望校にかすりもしない)、母親の仕事を本人の目の前で笑う。
より最悪なのはこの状況を母親が助長してイネイブラーになっていること。
塾を勝手に退塾していても何も言わないし、寝坊して朝起きてこなくても何も言わない。作り置きを食べずにカップラーメンを食べても、勉強を全くしてる様子がなくても何も言わない。興味が無いのではなく、立場が弟の下にあるのだ。
買い物に行くと弟は母の持つカゴに何でもかんでもポンポン入れていくし、母も母で弟がこのメーカーの炭酸しか飲まないからといって毎回遠いスーパーまで買い出しに行っている。
このままだとダメだと母に何回も言ったが、改善されることはなかった。
母はあるトラウマから、厳しくして傷つけるのも、弟からキレられるのも怖いため何も言えない言わない。
母が弟に強く出られない理由はそれだけでは無い。
弟は気に入らないことが起こると首吊のロープや煉炭のセットをこれ見よがしに見えるところに置く。
何も言わない母を見かねて、自分が弟に学校や将来の話をしに行ったが、その後ちゃんと食卓に首吊りロープが置かれていた。
弟は将来を
何もせず一生家でゴロゴロニートになるか、死ぬかの2択だと言っている。それしか幸せが無いと。めんどくさいことをやらされるくらいなら死ぬと。
精神科と心療内科二軒につれて行っても元々の気質だと言われ効かない漢方しか出されなかったし、今もYouTubeをみてゲラゲラ笑っていて楽しそうだから、鬱とかではなくこれが弟の本音なのかもしれない。
スネかじりニートになって欲しくないのは弟の為といいつつ自分たちのエゴかもしれないが、このままだらしないニートになっていくのを見過ごすことも出来ない。そもそも母に齧るすねなんてない。
17歳の弟がこれから先幸せになるにはどうしたらいいのか全く分からない
(追記)
こんなに反応あると思ってなくて驚いてる。みんなありがとう。
まずはASD関連が多かったのは予想外だった。
分かりやすくASDと書いたが診断された訳では無くて、心理検査を沢山した中の1つで傾向ありと出たらしいからそこまで深刻に捉えてなかったんだ。
あとは弟が発達障害だって信じられない気持ちも大きい。弟は昔は友達も多くて、中学のときは彼女を紹介してくれることもあった。だからコミュニケーションが苦手と言われるASDと弟がどうも結びつかなかった。
高校もほぼノー勉で私立だけど(地方だから公立の方が偉い)の偏差値60後半くらいのとこに受かって、母も自分も弟に期待してたしそれもプレッシャーになってたと思う。
ただ、ASDだとしたら何らかの支援が必要だし、自分ももっと特性に合わせなきゃいけないから、詳しい人いれば教えてください。
あと見捨てるかどうかってところ。弟のこと疎ましく思ってるんじゃないかと言われたけど、弟のことはほんとに大切に思ってるつもりだよ。
お兄ちゃん!って小さい弟が走ってついてきた時のこととか、スマブラ買ってあげて一緒にやった時のこととか、思い出すと悲しくなるし、今の状況がやるせない。
ただ自分はもう家を出て遠くにいるし、恋人との将来も考えてるから一生弟を養うことも弟の人生の責任を取ることも出来ない。