2024-10-25

奢る奢らない論争

最近きな子食事に行って、自分の中で明確に「奢りたい」という感情存在していることに最近気がついた。

の子と一緒に過ごした食事時間が大層楽しく幸せで、価値のあるものだったとき(、相手もまたそう感じていてほしいという気持ちは置いておいて)、自分意思表示として「奢りたい」と思った。

ただ「奢りたい」という感情の先に、相手に見返りを求めている自分もいるように思った。求めるものはなんなのだろう。感謝だろうか。愛情だろうか。当然という顔をされれば、相手は楽しくなかったのだろうかとひどく落ち込むかもしれない。

対して相手に「奢れよ」と思うときは、相手相談もなく決めた店で大して面白くもない話を聞かされた場合食事代としてお金を払うのは当然だとしても、そもそも好みではなかったりするので、「食べたくもない料理と聞きたくもない話」というものお金を払うのがひどく嫌なのだな。

勝手に店を決める人と面白くない話をする人とは食事に行かないようにしよう。

なぜこの論争を1人でずっと掘り返しているかというと、元彼がなぜ、「誕生日から奢るよ」という言葉「ありがとう」と返したら「俺のこと財布だと思ってるんだ!?」とキレたのかがわからいから。700円のラーメンを「500円でいいよ」という人と同じくらいわからない。3割負担で奢りましたみたいな顔しないでほしい。同一人物だけど。

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