はてなキーワード: 四国とは
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
四国の田舎に住む女子高生すずは幼いころ母親が人命救助のため川で死んで以来人前で歌うことができなくなっていた。
そんな中友人の勧めでインターネット上の仮想世界U (ユー)に参加する。
Uの中ですずは自身の分身BELLとなって自在に歌うことができた。
BELLの歌と曲は瞬く間にUで人気になっていく。
ここまでが前半のあらすじである。
Uに参加する際はイヤホン型デバイスが装着者の生体情報をセンシングし、隠れた能力を引き出してアバター、アズが自動生成される。
ここで特徴的なのはアバターの造形や能力には利用者の自由意志が介在しない点である。
(無意識の希望は反映されるかもしれないが、それがはっきり分かる描写はない。)
アズの、ひいてはこの映画の問題は、「人の潜在能力はセンシングによって見つけ出せる」という思想を無批判に受け入れていることである。
考えてみてほしい、あなたの生体情報からあなたの潜在能力が定義できるとしたら…
このような思想は人の可能性を狭め、優生主義につながる可能性がある。
例えばセンシング結果の反映がいくつかの可能性の提示にとどまり、利用者の意思が介在する余地があったらそこまで倫理的な問題はないかもしれない。
一番手っ取り早いのは、隠された能力ではなく、本人の願望が具現化したアバターとすればよかった。
それか潜在能力を生体情報から導き出すシステム自体を批判的に描くこともできたはずだ。
この問題は倫理的な面だけでなく作劇上のひっかかりとしても感じられた。
「隠された能力を引き出して作られたアズ」と「成りたい自分」が偶然一致すれば幸せだが、そうでない場合は全く楽しくないのでは?と思えるのである。
これについてはU世界の住人は基本的に主人公の承認欲求を満たすだけの書割なので細田守監督的には全然気にならなかったんだろうが、、
いやー、「竜とそばかすの姫」、実質的な「ラブライブ!スーパースター!!」の第一話でしたね! 作品としての出来はラブライブの100分の1にも満たないですけどね(素人の雑感です)!
以下感想(ネタバレあり、パンフレットは売り切れていたため未読です)。
なんなんですかね、あの序盤は。三幕構成でいうなら、第一幕が終わるまでの部分がとにかくひどい。ひどすぎる。監督氏も僕みたいな正社員経験のない四十手前の人間にいわれたくないでしょうが、あえて申しましょう。冒頭開始からの35分は10分程度に短縮できます。
劇中で主人公の幼少期と、母親の死のシーン、幸せな生活の終わりが描かれますが、プロットにおいてどうでもいいし、とくに母親の死のシーンなんて、死ぬほどどうでもいい。心底どうでもいい。
プロットに関係ない部分は省きましょう。劇中でも描かれましたが、母親がすでに死んでいることを伝えたいのなら、画面に遺影を写すだけでかまわないのです。「見知らぬ子どもを助けるために、川に入って死んだ」という事実は、シナリオの進行になんら影響をもたらしませんから、シーンごと削除すべきでした。
序盤が冗長すぎるせいで、この映画の主題がぼんやりとしかわかりません。インサイティング・インシデント(物語のつかみとなる事件)をおこすことに失敗しているため、観客が映画に集中することができないのです。
この映画はなにを描きたかったのでしょうか? 仮想空間での冒険を描きたいのか、仮想空間と現実世界とのギャップを描きたいのか、母親の死の克服、学校での人間関係、恋愛にまつわるエピソードを描きたいのか、主題がまるでわかりません。もし全てを描きたいというのであれば、つまらないことはやめろといいたい。
映画は積み重ねではなく、省略の美です(数えるくらいしか映画観たことないです)(素人の妄言です)。
劇中で描かれる仮想空間は、一言でいうならよくわかりません。なんのためにつくられたのか、それを使ってなにができるのか、いまいちよくわからないまま映画は終わります。しかし限られた上映時間のなかで、わからないことをわからないまま置いておくという決断を下したことは評価できます。
問題は仮想空間の描写が古すぎるということです。監督氏のネット認識は、「電車男」あたりの時代から更新されていないのではないでしょうか。
劇中で登場した仮想空間は、よくわからないスキャンシステムにより、現実の姿を反映したアバターを生成し、乗り込むというかたちになります。仮想空間には50億アカウント以上の登録があり、一種のインフラともいえる規模です。現実世界の姿のまま活躍している人間が一人も確認できないのはおかしいとも思いますが、劇中の人間にはそんな発想はないのでしょう。
しかし、どうも仮想空間の描き方というか、劇中で描かれたネット空間の概念自体が古いとしか感じられません。ネットの世界なんて、しょせんは現実の延長線上でしかありません。監督氏はネットと現実は切り離された世界だと思っていらしゃるのでしょうか。
仮想空間で主人公は竜(とある登場人物のアバター)と知り合いましたよ→竜が困ってますよ→でもアバター同士でしか面識がありませんよ→現実での顔を知らないため、オンラインで顔出しチャットしても、自分のことをわかってくれませんよ→だから全世界に素顔を晒すって、論理としては破綻していませんが、その発想の爺むささに腰を抜かしました。
劇中にはおもに二人の悪役が登場します。仮想空間の自警団長(間違った表現だが、そうとしか言いようがない)と、竜の中の人のパパです。
両者は悪役としてまさに力不足です。びっくりするほどうすっぺらく、たいした思想もないのに悪逆非道をつくすさまは、令和の時代に出てくる登場人物とは思えません。
まずは自警団長を紹介しましょう。彼は事実上の無法状態である仮想空間において、企業とスポンサー契約をかわし、自分の正義において悪を裁く役割を担っています。「TIGER & BUNNY」に出てくるヒーロー的な存在といえばわかりやすいでしょうか。
彼の必殺技は「ネットに素顔を晒しちゃうぞビーム」です。なんなんすかね。読者の皆さんはなんだと思います? 警察的な役割を果たすのであれば、わざわざ仮想空間でバトルするのではなく、現実側でアプローチする(主人公サイドはそうしていた)とかしたほうがいいと思いますが、これ以上紙幅を割くのはやめておきましょう……。
もうひとりの悪役である、竜の中の人のパパ氏を紹介しましょう。彼は自分の子どもに暴力を振るう最低パパです。しかし、劇中では主人公に立ちはだかれ、主人公の「にらみつける」に気圧され、敗走することになります。
この描写はおかしいとしか思えません。彼は日常的な暴力に慣れ親しんでいますが、主人公ににらまれただけで、腕を振りかぶったままの状態でおびえ、尻もちをついて、家に逃げかえってしまう。いったい彼はなにをしたかったのでしょうか?
劇中ではあからさまな暴力描写はありませんが、パパ氏の爪が主人公の頬に引っかかった結果、劇中で血は流れます。暴力シーンを写せないのなら、暗喩で表現すればいいとも思います。パパ氏が子どもに暴力を振るう暗喩は見事でした。主人公にちょっと流血させただけで逃げかえるという彼のふるまいは、キャラクターとして説得力がないとしか思えません。
まずはじめに、筆者は高知県民エアプということをお伝えします。都会人に差別されて当然のいなかっぺ(ヘイトスピーチ)(不適切表現)として生をうけましたが、生涯を田舎で過ごしてきたわけでもありません。
しかし、そんな僕にもわかることもあります(適当に書いてるだけなので、後述の内容は多分間違ってます)。四国という保守的な土壌において、高校生の自由活動を許している、いきいきとした生徒が多い、主人公が遠距離から汽車通学していることから、主人公の通学先は県内有数の進学校だと推測されます。主人公のパパがなにかとカツオのたたきを話題に出すので、おそらく彼は県外どころか四国外からやってきた移民でしょう。高知県民はアホのように酒を飲みますが、飲酒描写はこの映画になくていいと思います。返杯という未開の蛮族の汚い習慣が出てこなくて、本当によかったと思います。
しかし、免許を持っている大人がいるなかで、車を使わずに河川敷を徒歩でぞろぞろと移動する高知県民なんて、絶対にありえません。この映画にたずさわるスタッフにひとりもいなかっぺがいないとは思えませんが、どうして誰も止めなかったのでしょうか?
いなかっぺは都会人以上に地球環境に優しくない存在です。高知県民に関わらず、いなかっぺはちょっとした距離を移動する際でも、必ず車を使います。いなかっぺの最大歩行距離は、駐車場からイオンモールの入り口ぐらいまででしょう。『東海道中膝栗毛』の時代でもあるまいし、大人の集団が徒歩で移動する? ありえません。
もっとも、劇中の世界は現実世界とは違います。劇中では誰も高知弁を操りませんし、そもそも劇中で描かれた仮想空間は現実には存在しません。ガソリンがリッターあたり1万円を突破している世界かもしれませんし、政府によって運転自体が規制された世界かもしれません。しかし、それなら登場人物が車を運転するという描写をしてほしくはありませんでした。
ああ夏だね、河川敷は涼しいや、気持ちいいからみんなで歩こう的な描写を平気で行えるのは、アーバンの空気を吸って育った人間だけでしょう。主人公一派は全員都会からの移住者かもしれませんが、違和感をぬぐうことはできません。
とにかくつまらない映画でした。脚本の出来がよろしくなく、なにをしたかったのかがわかりません。
前から思っていたのですが、監督氏は宮崎駿監督になりたいのでしょうか。監督氏はアニメーターとして例外にあたる才能をお持ちだとは思いますが、宮崎駿監督になることはできないでしょう。宮崎駿監督は例外中の例外にあたるお方だと思います。宮崎監督の御業は誰も真似できない。だからこそ、宮崎監督は天才と呼ばれるのでしょう。
監督氏には才はありますが、脚本を自分で手がけるのは、本当にやめていただきたい。監督氏は身の程を知り、自分に不得意なことをあきらめて、ご自分の頭の中にあるアイディアをまとめてくれるライターを雇うべきだと思います。
ドリフターズは、昭和44年から昭和62年まで続き、最高視聴率50.5%を記録した、TBSの土曜夜8時「八時だよ!全員集合」において、過度のいたずら、食物を大切にしない態度、汚い言葉づかい、いじめ思考などを子供達に植えつけ、そのモラルを引き下げた。
タモリはそれまでタブーだった地方(田舎)を馬鹿にする言葉について、テレビに「市民権」を持たせた。
それ以前は、東北や四国、九州などを、少しでもその都市化の遅れゆえに貶めるような発言は、
テレビの中では、絶対的にご法度だった。ほんの少しでも、地方を馬鹿にした言葉が誰かの口から出ると、
「ただいま、放送上不適切な発言がありましたことをお詫びいたします・・・・・・」
と謝罪の言葉を、司会者は述べさせられていた。しかしタモリは、
「イーじゃねーか、本当のことなんだから」などとニヤニヤ笑いながら言い、「チバラギ、ダサイタマ」などという言葉を放送に乗せ、地方(田舎)を馬鹿にする風潮を、テレビの中に定着させた。
「どちらからいらっしゃいました?」
などという出だしのシーンがよく見られ、またそのシロウト参加者も
「ボクにも笑いが取れました」
とばかりにうれしそうな顔をするが、まったく嘆かわしいことである。
方言は、その地方の人にとっての昔からの伝統的な標準語である。
なお沖縄は、政治的な問題を抱える地域なので、こうした笑いの取り方は、少なくとも
タモリについては、「社空きの化粧厚塗りギャグ」のように、人の悪口を面白おかしく囃したてる、心の荒んだトークについても、「許容されないライン」のかなりの引き下げに、関与した罪は大きい。
などと笑いをとりながら、汚い言葉といじめ遊びをブラウン管に乗せた罪は、免れられない。これは、現在の極まりない悪意に満ちたいじめなどと比べれば、ずっと無邪気な、許されてもいいようなレベルのものではあるが、次世代に一層の悪化をまねいたその足場を作ったものとして、責められるべきものは、間違いなくあった。
ビートたけしは最近は、映画監督・文化人としてのイメージを高めているが、たとえばベネチア映画祭でグランプリを取ったのだとしても、悪いものは悪い、大いに批判されるべきタレントである。「早く死ね、このババア」といっていたことを、99年8月に母親を亡くした後も後悔していないか、聞いてみたいものだ。
90年代前半のとんねるずは「うるせえんだよ!」ダウンタウンは「じゃかあしい、このガキ!」とテレビカメラやライブ会場に向かって、青筋を立てて怒声を浴びせるところまで、凶暴さを増した。よりキレた、狂的な凄みで押しまくるスタイル。いじめも一層残酷で、理不尽なものとなっていった
90年代後半に台頭してきたナインティナイン、ウッチャンナンチャン、ロンドンブーツ1号2号は、それと比べると一見、やや静かで落ち着いた、おとなしい話し方をするが、サッと一瞬人の隙を突いて見せるようないじめ、暴言などは、一層いやらしさを増し、カマトト顔の裏で、陰湿さをさらに増した性格が、見てとれる。
こうしたタレントの作り出す“笑い”びたりとなっている子供たちが、弱いものいじめに走るのは、