はてなキーワード: 同棲とは
まだ、高校生といえばそれまでですが、もう高校生です。1回も男性とお付き合いもしたことのないまま終わりゆくのか…。付き合うとかそういう前にそもそも異性の友達がいない…。本当に喋れる男子なんて1人もいない…。異性なんて父親と担任以外喋らないぞ!という感じです。
私は俗に言う陰キャ、今っぽく言えば女版チー牛と言ったところでしょうか。(チーズ牛丼なんて頼んだことないですが)周りがどんどん垢抜けていく中、いつまでも小学生のような服装を極め、メイクはしたことがない…。(服は一応気にかけていますがメイクしないといつまで経っても小学生のようです)
正直恋愛とか結婚とか言われてもわかりません。でも何故か、結婚願望があります。とある独身の女性の方に「君はきっと結婚できないよ」と言われてからでしょうか。失礼極まりない発言ですが、その方が独身なだけに説得力はとてもありました。嘘でもいつか素敵な人に巡り会えるよ、くらい言ってくれたらどうでしょうか。その時から絶対に結婚してやる…!と、あなたとは違った幸せの形を掴み取ってやる!と考えるようになりました。
シンデレラコンプレックスてやつでしょうか、いつかは運命の人が現れる!と思います。現実的には無理そうですが。高校生なんてまだ世界が狭い!これから!と言われたらそうですね、としか言えないのですが、今後自分がいきなり積極的になり男性に話しかけにいくとも思いません。出会いってなんでしょう…。大学になったら同棲の友達すらできるか不安です。
それだけは嫌ですね…。批判とかそんなのじゃなくて、単純な疑問なのですが、婚活、というものをして出会い、お互いを尊敬し会える関係にどうすればなれるのですか…?言い方きついですが余り物同士(将来自分が余り物になるのかもしれません)が出会ったところでどうなるのでしょう…。
お互いが尊敬し合う関係の方と結婚したいです。顔は(自分の嫌なタイプでなければ)イケメンでなくてもいいし最低限の生活ができれば高収入じゃなくてもいいので賢くて(学力の話ではありません)尊敬できる、価値観の合う人に自然に巡り会いたいです。これが理想が高いというやつか。
条件というのは結婚願望はないから将来結婚はできないというものだった。
ここでは告白されるまでの経緯と告白された時とその後の心境について記したいと思う。
初めに書いた通り今回の告白は条件付きなので、後に間違いなく自分の気持ちを固めて何かしらのステップに進む必要が生じる。
その時に、今のこの率直な気持ちを振り返ると共に、自分の気持ちは変化したのかそれとも変わらないのかを観測したいという目論みである。
普段文章を書くことをしていないので相当読みづらい上に、内容には惚気も含まれるので、苦手な人は即ブラウザバックをおすすめする。(むしろここまで読んで頂いてありがとうございます。)
元々学生時代からつるんでいるグループ内での友人だった。ちょうど1年前あたりから2人で出掛けるようになった。
趣味は合うし、テンションは合うし、とても居心地がいいので自分としては2人で出掛けるようになってからはかなり意識していたと思う。
同時に向こうからの好意も感じた。彼はだいぶ淡白で省エネ人間であるので、遊びや小旅行の誘いをしてくれた時には、今まで友人として見てきた姿との違いに感動した事を憶えている。
当時の私は、彼も社会人になって少しは大人になったんだなあ、と思っていたが、もしかしたらこれが彼なりの好意の見せ方だったのかもしれない。
その間の心境は正直揺れ動いた。
なにせ好意や大切にされているという事は感じるが、告白もないし、もちろん泊まりで旅行へ行っても一切手も出してこなかったからだ。
その関係性が1年を迎えようとしていた頃には、彼が考えている事がわからなくなり、不安を越してもはや開き直って彼との時間を楽しむことにしていた。(手を出してきそうになったら告白を促そうと計画もしていた…笑)
告白されることになる前日、こんな状況下ではあるが密を避けながら2人で出掛けた。
その時は、正直両者とも次の日に告白するとも思っていないし、されると思っていなかった。そしていつも通り、少し名残惜しく感じながらもそれぞれの帰路についた。
告白のトリガーとなったのは、その帰路の途中で交わしたひょんなLINEのやり取りであった。
メッセージのやり取りの中で彼から元カノというワードがでた。私は元カノという言葉に少しモヤった。
結局、変な嫉妬を見せても情けないと思いながら、仲の良い女友達という立場を心がけて数件のメッセージのやり取りをしていた。
その中で、恋愛に関するやり取りをしている今の流れであれば、私たちの関係性もはっきりさせられるのではないか。と思い立った。
そこで多少無理はあったが、ところで今、彼女はいるのか?という趣旨のメッセージを送ってみた。少しズルい聞き方だったなと思ったが、もう勢いで送った。いい加減決着を付けたかった。
(今振り返ると、このやり取りをしていた時が1番緊張した。)
結果的に、短文ではあったがクリティカルな質問となり、これが告白のトリガーとなった。
彼にLINEでは風情がないので次会う時(約2週間後)に言う。と言われた。振るなら風情なんて関係ないから告白の予告と理解した。次会う時は緊張してしまうな〜と思いながらも、やっと決着が付くことにスッキリとした気分になった。
次の日、休日だった私はだらだら過ごしながら、いつもと同じように彼とたわいもないメッセージのやり取りをしていた。
その日の夜、突然彼に電話をしていいか聞かれた。もちろんOKしたが少し面食らった。なぜなら私たちはメッセージのやり取りはほぼ毎日しているが、滅多に電話はしないからである。
そのことから、私は咄嗟に大事な事を伝えようとしてくれているのだと察した。
そしてその予想は当たった。
彼曰く、次会った時に言おうと思ったが、心がざわざわして仕事が手につかなかったらしい。
さらに、お互いの無言の間から彼の緊張具合がひしひしと伝わってきた。
正直私はすこぶる萌えていた。普段、冷静で理性的な彼が緊張、動揺している様子は姿が見えていないもののとても新鮮で興奮した。
そして、彼は昨日からずっとこの件でモヤモヤしていたというのに、私は昼食のラーメンの汁を完飲してしまった事の罪悪感などという、しょうもない事が頭の中を占めていた事を深く反省した。
彼は言いたい事がたくさんあるようであった。
そして要点を伝えてくれた。
・1年間曖昧な関係のままにしてしまったことについて申し訳ないと思っている事
・ただし彼には結婚願望がない為、年齢を考えた時に私に対して申し訳なさを感じてしまう事
・加えて、私にとっては初めての恋人となる事に対して申し訳なさを感じるという事
・上の2点についてずっと悩んでいて告白が先延ばしになってしまった事
・これらを踏まえて、結婚はできず今だけになってしまうが、それでも良ければ付き合って欲しいと思っている事
私の心境については後程記すとして、結論として彼とお付き合いをする事を決めた。
結婚願望がない、と言われた点に関して全く引っかからないと言ったら嘘になる。
将来について考える事を絶たれているという事が寂しい。
しかし私自身すぐに結婚を考えてはいない事、例え彼に結婚願望があったとしても結婚できるかはまた別問題のような気がした事からお付き合いを受けた。
一方で今回、自分自身の結婚願望についての考えは浅いのではないか、と感じた。
というのも結婚願望自体はあるものの、それはあくまで一生一緒にいたい人と過ごす為に結婚したい。と思うのであって、暖かい家庭を築きたいからであったり、子どもを作りたいからというわけではない。また、家族からの要望で適齢期になったら結婚するべきという概念に囚われている部分もあることに気付いた。
正直2020年現在の自分としては、結婚をしなくとも同棲、事実婚のような状態であっても満足であると感じる。
ありがたいことに今の世の中では結婚するしないの選択も、事実婚をするという選択も、昔よりは比較的自由に選択できる風潮となっている。
自分がどの道を選びたいのか、数年後を目安に自分の中でより深く考えを固める必要があると感じた。
さらに別の疑問としては、彼が結婚願望がないという理由は何か、ということである。
これについては、たらればで憶測を書いても着地しないので彼自身と話し合っていこうと考えている。
もっと心境についてもう少し詳しく残そうと思っていたが、ここまで書いて力尽きてしまったので閉めようと思う。
今後自分自身の心境がどう変わっていくのか、自分がどの道を選びたいと思うのか、彼との関係は変化していくのか、など不安もあるがひとまずは目の前の状況、彼とのお付き合いを1日1日楽しさを噛みしめて過ごしていきたい。
ずっと物理的な暴力だけがDVだと思っていたけど、当事者になって改めてインターネットを見てたら自分が受けていたのはモラハラという名前のDVの形のひとつだったことが分かって、何故かほっとした。相手からの物理的なDVがなければ別れるのはおかしいと思って延々と我慢していたけど、結局最後まで暴力はなかったので、別れる覚悟が決まるまで5年かかった。別れたあとも「モラハラはDV」という認知を得るまで、ずっと自分は相手からの大したことない言動に耐えられる逃げた弱くて酷いやつなのでは、という重石を抱えていた。いまはその相手を見捨てたということはもちろん変わらないとは思うが、でもこっちもモラハラDVを受けていたしお互い様だよね、という考え方ができるようになって幾分楽になった。
結婚しなければ真人間ではない、という謎の古い考え方に囚われていたけど、結婚は手段であって目的ではないということに気づいた。
一人で生きていくのは少し寂しいが、よほどのことがなければ結婚するための活動はしないと思う。
もう絞り取られて生きていくのはこりごりだ。
魅力的でないとか、そういうことではないのだが、
とにかくピクリとも反応しない。
それだけではないのかもしれないが。
とてもいい人だと思う。
誠実で、優しくて、責任感もあり、
パートナーとしては本当に信頼できる。
お互いの両親にも会ったこともあるし、
趣味も合う。
でも、カケラも、したくない。
そういうことではないんだけども、むしろかなりいいほうだと思うんだけど、
一体何なんだろうか。
ただ、たとえば誘い方とか、
反応とか、正直好みとは言えない部分も多い。
まあそれが全てかもしれない。
彼女に何も落ち度はない。
けっきょく、一生このまま過ごしていくつもりはない以上、
楽しくなるのではないかという期待が捨てられずにいる。
早く別れた方が彼女のためでもあるだろう。
楽しかった思い出がたくさんあるし、
といって、彼女も、遠回しにではあるが、
しばらくしていないことに不満は漏らしている。
お互いに少しも嫌いではないのに、難しいな。
互いに譲れない部分がゴリゴリ激突してるじゃん
どうしても彼女と別れたくないなら全部彼女の好きにやらせるしかないよ
彼女のやることに口出さない、指摘されたらはいすみませんって言う
同棲または結婚をしている人はパートナーとどううまく生活しているのかが気になる。
去年は約60万組が結婚しているが、どうやってうまくやっているのか生の声を聞きたい。まじで。
付き合い始めの蜜月期は相手の嫌な部分なんて見えるわけもなく、かりに見えたとしてもなんでも許せてしまう。
しかし同棲するとなると一緒に住み始めて初めて分かったことや嫌な部分がボロボロと見えてくるだろう。
価値観の異なる二人が一緒に住むのだからそれは当たり前っちゃあ当たり前なのだ。
そこで、もし主張がぶつかり合ってバトルになったら世の人たちはどう解決しているのだろうか。
理想はお互い本音で話し合い、譲れない部分を抽出したうえで折衷案を考えることだろう。
しかしこれがまじで難しい。
何が難しいって、
まず一つ目!本音で話すということがまじで難しい。将来一緒になるにあたって本音で話し合う機会ってのは必ず必要だろう。しかし本音を話そうとする裏側には、もしかしてこれただの俺のわがままなんじゃ。。とかいつも○○してくれてるからこんなこと俺が言えたもんじゃ無い。と良心というか謙虚さが邪魔をしてくる。これを言ったことにより大戦争が勃発したら、、、と考えてしまい本当の言いたいことは言えない。
今日の出来事を例として出すと、洗濯物を干すのを手伝ってほしいと言われた。狭いバルコニーで二人で干すのだ。相手が休みの時は俺一人でやってるのになあと思いつつも手伝う。
すると、ちゃんとシワ伸ばして、はたいて、ホコリとって、、、、うるっせええええじゃあ自分でやれよ!これほとんどあんたの洗濯物だろうが!文句言うなら自分でやれや!!
と恥ずかしいことに25にもなって感情を露わに怒ってしまったのだ。
なんでも一緒にやろうとするからやり方に違いがあると指摘してケンカに発展するのだから、一つの家事は一人がやることにしよう。ご飯作るのも一人で。洗濯も干すのは一人で。手伝わないで一人でやろう。と提案した。
すると相手は不備があったら、それを黙ってやり直すのだ。確かにその服は彼女の服だし、何をするも自由だ、俺だってちゃんとしわを伸ばして干してるつもりだ、それにも関わらずやり直す行為ば見てて気分のいい物ではない。たしかに自分が提案したことだし、彼女も口には出してこないのだが、このすごくイライラしてしまうのはわかってくれるだろうか。ただのわがままかもしれないけど。。
もうお互い自分の洗濯物は自分でやろう、洗って干して畳むまで全部自分でやろう、そうすれば問題無いと、と言った。
すると共用で使っているタオルとか布巾とかは誰がするの?と言われ、確かにいいうああああ!!と思ったと同時にもう考えるのが面倒臭くなってしまったのだ。
もう面倒くさい解決に持っていくために多大な労力使いたくない実家の犬とニャンニャンしてええええ
分かってくれるだろうか。
同棲してた彼氏に浮気された上に理不尽な逆ギレされて、コロナ禍の中、猶予期間無しに家を追い出されたけど貯金があったのでなんとか生き延びれた
こういうことをネチネチ思うところが捨てられた要因だと思うけど、向こうに純粋にお幸せにって言えなくてしんどい
ふとした瞬間にその新しい彼女にズタボロにされて家を追い出されて私とおんなじ気持ちをあいつも味わえばいいのにという復讐心でいっぱいになる
なんで自分がこんな目にあってあいつは幸せになってるんだろう、ふざけんな、と思ってしまう自分が嫌だ
いつになったらこの感情は無くなるんだろう、悟りの境地にいきたい
こんばんは、クソ暑い夜やね。
わしは今彼女の賃貸にあがりこんで、いわゆる同棲をしている。楽しい日々は送れているのだが一つ難点を挙げるなら、エアコンがついていないこと。
でもエアコンが今目の前には無いのだから、無いなりに快適に生きる方法を考えなきゃと思って俺は流行りのハッカ油に助けを求めることにした。
そこでわしの涼しくなる体の洗い方を共有してみようと思う。
洗顔フォームを手の平に出し、そこにハッカ油を3〜5滴垂らす。
水を切った泡立てボールで泡を立てそこままボールを体に擦り付けるだけ。そのまま洗い流さず少し時間おけば徐々にヒンヤリ感が広がって不思議体験ができる。
え?洗顔フォーム?と思った方もいるかもしれないが、俺は肌がすこぶる弱いため洗顔フォームを使ってるだけです。泡立ちもいいし。ボディーソープでもいいよ。
ただこのハッカ油、最高やんけ!!となるが俺には失敗談がある。これも聞いてほしい。
それは顔と粘膜はハッカ油で洗わないこと!!
顔は他と比べて皮膚が薄いから単純に刺激が強く感じられる。
寒いを通り越してただ痛いだけから、間違ってもケツの穴*だとかペニペニの皮の中とかはやめといてな。
こうしたら寒さは和らぐとか、そういう解決法無いからほんと真似しないでな。悶絶必至。
あとな、みんな知ってるとは思うが、ハッカ油によるヒンヤリ感はあくまで錯覚なんやわ。
ヒンヤリしてるからエアコンいらねーわ!ってなってエアコン使わなくなったらほんまに熱中症で倒れるかもしれんからそこだけは注意してね。ほんま倒れないでね。
読んでくれてありがと。
なんか生きるのに飽き飽きしていた。
や、べつに死にたいとかそんなんじゃなく、なんつうか、刺激がないというかワクワクする事が無いというか。
面白い漫画とかゲームとか遊びとかがあれば、その瞬間はひゃー楽しいーてなるけど、しばらくすれば飽きるか、少なくともワクワク感は無くなる。
結局、遊びも恋愛もセックスも学生時代のようにいろいろと抑制された中だからこそ楽しいだけで、はいご自由にどうぞ、となると最初は楽しむもののすぐに飽きることに気がついた。
ある程度自由に使える金があって、ある程度自由に使える時間があると自分はダメなんかもしれんと思い、結婚してみた。
相手とは何年か同棲してたので、新婚旅行は楽しかったが、やっぱり飽きてきた。
子供ができた。
金と時間という資源がモリモリ無くなりびっくりするくらい制限が増えた。
途端にやりたい事リストが増える。
ものすごいストレスだが、それを年単位で少しずつ消化していく時の達成感がヤバい。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
人と人が仲良くなるのにはある程度の時間が必要という仮説に基づいて考えてみる
(生存バイアスである可能性もある、仲良くならない人とはそもそも同じ時間を過ごさない)
→ 1年で約50時間
ここらへんを基準に考えたい
仲は良いけど遠慮がある、お互いに親友ではない感じ
→ 1年で約500時間
1000時間あたりに腐れ縁・マンネリの壁があると予想してみる
→ 1年で約150時間
→ 5年で約750時間
1年も続ければそこそこ仲が良いと思う
5年もやれば腐れ縁に近づく
→ 5年で60時間
10年行かないとそこそこの友人感が出てこない
週に1回の頻度で遊びに行く → 週3時間のコミュニケーションと仮定
→ 3ヶ月で36時間
→ 6ヶ月で72時間
→ 1年で144時間
→ 2年で288時間
→ 4年で576時間
たぶん学生の頃は無意味に遊んでたけど、社会人になると予定を入れがちなんだよね
→ 1年で48時間
→ 2年で96時間
趣味の友達って趣味以外のこと話しづらい空気あるけど、コミュニケーション時間が足りてないのかも
1年でようやく心開くくらい
→ 1ヶ月で80時間
→ 1年で960時間
1年もあれば腐れ縁になってマンネリ化する お笑いコンビとかこんな状態なんじゃないかな
→ 1ヶ月で25時間
→ 6ヶ月で150時間
→ 1年で300時間
→ 2年で600時間
妥当なところかもしれない
→ 1ヶ月で90時間
→ 3ヶ月で270時間
→ 6ヶ月で540時間
3ヶ月目くらいが一番楽しくて1年も居れば腐れ縁レベルになるのがわかる
→ 1ヶ月で40時間
→ 1年で480時間
飲兵衛ってやっぱ友達多いよね
50時間以下 ・・・ 馬が合ったとしてもお互いにあまり知らないので心を開きづらい
今回のエントリには、「一度出した内定を取り消す」という点に重きがあります。
同棲のことや入職時期のことは面接時点で既に伝えてありましたので、企業側がそれでは困ると判断すれば不採用にすることが出来たわけです。
故に、一度は採用としたものを覆すにはあまりに不適当ではないか、どうして今になって取り消しなのかという部分に私は遺憾を感じています。
何人か取り消さなきゃいけない時に
一度出た筈の内定が取り消しになりました。
学生ではないです。
来年、彼氏との同棲するに当たって住居が遠くなる為、転職を考え、現在の仕事と同じ職種を選びました。
コロナ禍ではありますが、ライフライン従事の資格職なので、内定取り消しに当たってコロナの影響はありません。
理由は「同棲ということは結婚や予定外の妊娠で仕事をすぐに辞めるのではないか、別れた際に仕事を辞めるのではないか」という点だそうです。
開いた口が塞がらないとはこの事でした。
私は自分のライフステージの過程で結婚や出産を選択することも出来ないのでしょうか。
今の仕事を最後までやり遂げたいので4月からの入職で、と言っているにも関わらず、別れた程度で仕事を投げ出すと思われたのでしょうか。
私は子どもを育てる余裕も資格も今の自分にはないと考えています。
故に彼氏と付き合ってからは常にピルを飲み、予定外の妊娠はほぼ0です。
面接でこのようなセンシティブな話をすることはないのでその点は向こうに伝わらないのも仕方ないと思うのですが、1度出した内定を取り消すにはあまりにもモラハラすぎる理由だと感じました。
私21歳女。
先月初めて緊急避妊薬を処方してもらった。
いつもは必ず避妊してるけどその日に限って呑んだ。
呑んでなあなあになってしまった。
中では出してないけど排卵日前後だったので不安になった。もしも、の時を想像したら今はその時じゃないのは確かだから緊急避妊薬を処方して貰うことにした。
近場の産婦人科に電話で値段を聞き、副作用が強いが6000円程のもの、副作用があまり無く16000円の物があると知った。
受付を済ませ待合室で待っている時間は異様であった。
子供が欲しくて不妊治療にお金をかける人もいるのに、今は要らないからと私は薬を貰うのかとか、なんであんなベロベロになるまで呑んだんだろとか、グルグル考えてたら名前を呼ばれた。
診察室前の待合室で看護師さんに詳しくはなしをきかれる。セックスをしたのはいつの何時頃か、最後の生理は、普段服用してる薬はあるかとか。
薬の事について説明されたり必要以上の事は何も聞かれなかったし言われなかった。
16000円を払い別室で1粒の薬を貰いその場で飲んだ。
駐車場で待っていてくれた彼氏は薬代も出してくれたしごめんねしんどい思いさせちゃったねって言ってくれた。
大体次の生理予定日付近でちゃんと生理が来た。普段より出血が多くてめちゃくちゃキツかった。安心した。
私は車も持っているから1人でも病院にすぐ行けたし、仕事もすぐ休める職場環境で、高価な薬代も払える経済的余裕があるから妊娠を回避する事が出来た。
最悪山梨の彼女のように個人が特定されて社会復帰不可になるのか
そんなことを考えていたら1週間めまい不眠頭痛が治まらず病院にお世話になった
第二波は今
恋人との月に数回のお家デートのたびに罪悪感と恐怖心が止まらないのだ
デート(と仕事)以外友人と会ったりイベント、外食や無駄な買い物などリスクとなりそうな行動はしていない
毎朝検温してアルコールを見つけたらシュッとしている
こまめに緑茶を口に含む
職場での昼食も外食は絶対にしないし会話が発生しそうな自席ではなくベンチなどで一人で食べるなどしている
しかし、肝心のデートのたびにもし、感染したら今日この日のデートを後悔しないか?といつも怯えている
この恐怖心と、恋人に会うだけで恐怖を感じなければいけない状況がいつまで続くのか分からないことが大きなストレスになっている
もちろん感染したら後悔すると思う
だけど恋人とのデートは仕事人間の自分にとって唯一の癒しと楽しみなのである
会わないという選択肢は死に匹敵するが、かと言ってすぐに同棲や結婚ができるわけではない
喉が弱いようで昔から疲れると喉だけ痛くなることがあるのだが、デート後たまたまそうなる事があると感染したのではないかと夜も眠れない
完全在宅の部署から出社しないとできない仕事の皺寄せが来るので本来自分がやらなくていい仕事で忙しさが3月からずっと続いている
そのため終電で慌てて帰ることも珍しくないし、土日もどちらかは出社している
職場には年寄りも沢山いるのでもしうつしてしまったらどうなってしまうのか
誰も口にはしないかもしれないが戦犯扱いは免れないかもしれない
恋人に会うだけでこんなにも怯えなくてはいけないことがとても辛い
そして、こんな世の中で自分の周りの人にとってもリスクがあると分かっていながらも自分の気持ちを優先してデートを続ける自分はとんでもなく身勝手で非常識な人間なのではないかとも思う
みんなデートどうしてるのかな…
全員が全員ではないが増田周りのオタク女が彼氏できた途端三次元の恋愛を勧めてきたり頼んでもいないネット仲人をやろうとするのでマジで何…?
増田の友人は彼氏ができた途端「恋愛はいいよ〜二次元のセリフ三次元でいっぱい言ってもらえるんだよ?なんで嫌なの?」とか言ってきたし
「彼氏がクズだってわかってるのに好きだから離れられないの…」という話に「いやクズだってわかってるなら距離置けばいいじゃん」とマジレスすると「正論すぎて増田ちゃんのとこちょっと怖い」と訳わからないことを言われた。
あっだめだと思って連絡を取らずにいたら別の彼氏と同棲3年でおめでた婚をしたらしい。
そのまま幸せになってくれや…。
こちらも彼氏が出来てから付き合いたての頃はオタク垢の割にTwitterで惚気が激しすぎてミュートしてたのだが増田がミュートしてる間にどうも仲の良い男女フォロワーの仲を邪推して仲人になろうとしてたらしい。勝手に。
しかもTwitter上で「○○くんのことどう思う?」と公開処刑で聞いていた。めちゃくちゃ恐ろしい。
彼女の場合はTRPGもやっているのだが恋愛RPに持って行くことが多くなったとも聞いて「ああ…」となんとなく納得してしまった。
相談してきた方は「付き合う前の性格に戻ってほしい…」と半泣きになっていたが3年これが続いているのなら多分無理だろうという気になってくる。