はてなキーワード: ボンボンとは
別に僕はなにもしてない。たまたま親がそこに住んでいただけだ。
なのになんだろう、出身地言うだけでやれ「金持ちのボンボン」だ「苦労も知らないおぼっちゃま」だ。
「観光だと思って、まぁ楽しんで帰りなよ」って一言にとてつもない距離を感じてしまった。
ちなみに今の住まいは地方都市のど真ん中で、徒歩圏内で買い物もレジャーもどうとでもなる。
神奈川県民とか別に電車ですぐなんだからそういう態度やめてよ。
普通にその辺の公園を鼻たらして走り回ってすっ転んで泣き喚いてたただのガキだぞ。
思春期に少年から大人になるために青臭いケンカとか恋バナとかしてたただの若者だぞ。
別に地元が嫌いなわけではない。愛着はある。最終的には戻ってそこで暮らしたい。
でもなんかそれが「首都だから」とかそういう優越性みたいなもの故だと思われてるととても嫌だ。
地元愛ってやつだよ。僕とっては鼻たらして歩いたあの町並みこそが「ふるさとの景色」なんだ。
東京に住むために必要な稼ぎとか、そういうのが解らないわけではない。
地価が高いことくらい、今住んでる間取りで東京の物件を検索すれば解る。
ただ、なんというかそういう額面的な価値とかじゃなくてさ、郷愁?があるんだよ、僕にとっては。
東京を語ろうとすると、やれビジネスだお金だ財産だ、小難しくてカタカナ語な話ばかり。
僕に見えてる東京の郷愁が、そこでは欠片もないようなものと扱われるようで、なんか悲しい。
地元の郷愁を懐かしみながら、東京という街に出てくる青年の語りだ。
こういう郷愁ソングは、いつも東京から地元を眺めるものばかりだ。
両親にはどこぞの栄えた地方都市で老後の心配のない便利な暮らしをして欲しいと思う。
アレとは、アレだ。
アレのことと思わせておいて、別のものだ、というけちな叙述トリックは使わない。
アレとは、男性諸氏がみな持っているアレだ。
僕のアレは、子どもだ。
一般の男がホームランバーだとしたら、僕のアレは、ボンボンアイスの抜け殻だ。
子どもの頃から成長することなく、このままになってしまった。当の子ども時分は、「大きくなったら、大きくなるんだ」と淡い期待に胸を膨らませていた。アレは膨らまなかった。
幸い、元気なときには平均サイズ弱になる。その時ばかりは、僕も大人だ、と背伸びをするかのようだ。実際伸びた。
しかし、ひとたび消沈すれば、あっという間に化けの皮が剥がれる。皮には包まれた。
中学の修学旅行ではこの大きさをからかわれ、以降、大浴場に入ることができなくなった。
十余年経ってようやく、誰も知り合いがいない場所か、心を許せる親友たちとならば大浴場に入れるようになった。それでも、移動時は常に前を隠すし、湯船に入る時もギリギリまでタオルを使う。
しかし、そこまででない知り合いがいる場所では未だに無理だ。他の友人や会社の同僚達から旅行に誘われることもあるが、何かと理由をつけて断ってきた。
アレの大きさは、自信の大きさに直結すると思う。
大浴場で堂々としてる人は、大体ご立派だ。揺るぎない自信があるのだろう。
僕は自信までも小さい。
直接的な比較はできないが、女性の胸部に対する感覚も似たようなものだろうか。
男と違って、着衣でも大きさがわかってしまう状態は辛いと思う。
着衣状態でも男のアレの大きさがわかってしまう世界を想像したら、死にたくなる。
今さら大きくなることは期待できない。このまま小さいアレと共に生涯を終えるのだろう。それが運命なら受け入れるまでだ。
僕はアレが小さい。
日本の三大RPGは何てことが言われだしたのが90年前後くらいの話。
それ以前はDQ一強だったところにFFが割り込んできて、じゃあ三大RPGなら何だろうみたいなことがよく話題になるようになった。
ブコメでも女神転生を挙げる人が多いし当時も多かったんだけど知名度も売り上げもDQFFには遙かに及んでなかった。
ありていに言えばメジャーどころのDQFFを嫌ってちょっとマイナー気味のゲームを推す人に人気だったってくらい。
そうこうしてるうちに90年代半ばにポケモンが登場する。機種はゲームボーイ。
当時の「ゲーマー」にはゲームボーイを微妙に見下す風潮があった。
ファミコンの登場から10年以上経ち、小学生時代にファミコンと出会いゲームと共に成長した世代は高校生とか大学生。
現在と比べると公衆の場でゲームをすることの抵抗感が大きかったというのもあって
ゲームボーイは子ども向けで自分たちの守備範囲外だと思う高校生や大学生は多かった。
大学生になってジャンプやマガジンを読んでる人は多くてもコロコロやボンボンを読んでたらちょっと恥ずかしいみたいな感じ。
ところがまあポケモンが大ヒットするわけだ。しかも日本のみならず世界中で。
ちょうどインターネットが普及しだして海外の情報が入って来やすくなってポケモンの人気がヤベえらしいと伝わってくる。
世界的な知名度でいえばポケモンがDQFFを一気にブチ抜いてしまった。
結果としてそれまでDQFFを不動の前提として語ってた三大RPGには何だかポケモンを入れづらい雰囲気になって
残りのひとつは何となくあやふやなままポケモンは別枠みたいな扱いになった。
以上が俺の記憶をもとにした印象論。
生活保護を除くと、宝くじで大金を手に入れる以外無理なことに気付く。
例えばどこか田舎の一軒家をタダで貰ったとしても、
固定資産税、光熱費、年金、保険を払わないといけない。これだけで月数万円の収入は必ず必要になる。食費もかかる。
ではどうする?
一軒家と共に畑があったとしても、毎朝早く起きて畑仕事をしなければならない。
畑仕事は嫌だ。何か作って稼ぐ。
幸い貰った一軒家にはガス窯がある。陶土もある。
しかしそれを作る為にはデザインを考え、実際に形にしなければならない。そして焼く。
焼いた後はどうする?ミンネやメルカリに出品。
名も無い器を誰が買う?
次は店に置きたいと依頼があった。直接納品に行ったり、発送したりしなければならない。
それが終わった頃に諸々の請求が来る。
次の作品を作らなければならない。
未完、収まりきらなくなったので分割 anond:20210626005632
横だけど読んでて思ったことを少し。
たぶん今ゆらぎ荘のエロ描写にギャンギャン言ってる世代って、いわゆるジャンプの黄金期世代を見てきた人だと思うんだよね。
ドラゴンボールとか、スラムダンクとか、幽遊白書とか、ジョジョの1~3部とかあのあたりが連載してた頃の。
当時のジャンプってサンデーとかマガジンとかとは比べ物にならないくらい影響力があって、それでいて硬派だったと思う。
魁男塾とか初期の頃に申し訳程度に女性キャラが出てから男しか出てこないマンガが人気になったりとか、とにかく男臭かった印象がある。
この「男臭い」も20年前のコロコロとかボンボンとかのギャグマンガによくあった何の脈絡もなく女の子の洋服が破けたり男キャラが悪気なくスカートめくったりとかそういうのじゃなくて、男同士で世界が成立するとかそういう感じの。
(ドラゴンボールや幽遊白書の初期にもそういうお下劣な描写はあったけどさ)
だから今の親世代にとって今のジャンプがどう落ちぶれていようと、基本的にはジャンプは「紳士的に男としての生き方を教えてくれるマンガ」という神聖視があると思うんだ。
ジャンプがお下劣な女性蔑視表現しなきゃ生き残れないくらいの雑誌になったのは、読者が若年層じゃなくて高齢化してることだっていうのは確かなんだろう。
わかる気がする。
民主党政権のときにチャンネル桜に稲田が出てたの見たことがあるけど、根っからの右翼思想というよりは本人がフワフワしたボンボン嬢ちゃん気質なのかなって感じがしてた。
当時はまだ議員経験も浅くて、もともとちょい左っぽかった思想を日本会議みたいな右翼思想に塗り替えられたばかりっぽかった。
旧司法試験に合格してるし地頭は悪くはないんだろうけど、いかんせん金持ち育ちで根が素直すぎるんだろうなって思う。
周りの意見に左右されてそれらしい理屈があるとすぐにそうかとばかりに主張がブレるのが見ててわかる。
チャンネル桜に出てた頃はまだその柔軟さがいい方向に出てたといえるけど、大臣になってもなおフワフワしてるから結局そこまでの人だったんだろうなって印象。
小池百合子みたいに主張はフワフワしててもやりたい方向がはっきりしてればそれはそれで軸があるように見えるのにね。
実家が金持ちの高学歴で声優として働き始めるまで就業経験も無く、映像の企画で「アルバイトをしてみたいですぅ」という貧乏人が聴いたらドン引きするようなことを平気で言えるボンボンのお嬢様。
声優デビュー後も次々当たり役を引き当て順風満帆。サブカル系の知識を活かしてオタクを取り入り、怪しいお遊戯会を開いて変な歌を歌ってる。端から見ると完全に搾取する側とされる側だが、される側は喜んで金を出している。資本主義者め…。
twitterで一部のバカ共に目を付けられ大変な様子。唐澤弁護士に粘着している連中と同じ臭いがする。1人2人逮捕された所で止まらない奴らなのでどうしようもない。インターネットで徒党を組み個人攻撃して現実の鬱憤を晴らしてる底辺層。試しに調べてみたらスマホゲームをどれだけやり込んだとかしょーもない事しか誇れない可哀相な人だった。例1
良くも悪くも目立つ人なので色んな人間が集まる。光に群がる虫のように。個人的には声優としては問題無いが、彼女自身と周りに集まる人間は嫌い。殺害予告やクソリプ送って喜んでるガキ共は死ね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/internet/n_6277/
インターネット強者であるはずのはてなの人々が未だにこの件に関して無知すぎるため、定期的にこの手の記事を書き続ける必要を感じました。
なんJで3年近くに渡って自分語りや無差別煽りを繰り返しヘイトを溜めきっていたクソコテ(以下チンフェ)が自分語りの内容から個人情報を特定される
→特定された個人情報の消去と炎上の沈下のためにチンフェが雇った弁護士が唐澤貴洋
とだけ書けばクソコテの炎上のとばっちりのようにも見えますがそんなことはありません。
むしろこの炎上を5年以上続くものとしたのは唐澤貴洋によるものなのです。
ネットに強い弁護士を自称しチンフェから30万円で仕事を請け負っておきながら炎上を沈下させるために行った行為が書き込み者のIPを開示するという作業のみで、
それ以上の法的措置を一切取らず開示を繰り返すだけという「空のピストル」を繰り返したのです。
また、それにより無能扱いされはじめ自身への誹謗中傷が始まると今度は自身への誹謗中傷の書き込みへのIP開示を始めます。当然効果はありません。
彼の反応を面白がった人々(ハセカラ民と呼ばれます)が彼の新しい反応を見るために現在まで嫌がらせが続いています。
一時的に沈静化しても唐澤貴洋が自分からメディアに出演するなどして燃料を提供してしまうのです。
最近では(おセックスおばさん開示以外の)大きな出来事もなく沈下しつつあったところに
またテレビ番組に出演してしまうような愚行を行っています。
自身の炎上案件を解決できていないのにネット上の炎上について語る資格があるのでしょうか?
逮捕者はすでに複数出ていますが、唐澤貴洋に嫌がらせをした者が界隈で一種の尊敬を受けるような世界なのでもはや法的な力で解決できる段階ではありません。
また、逮捕者の多くが逮捕される社会的リスクが小さいいわゆる「無敵の人」です。
私のようなネットにしか居場所がない人間が承認欲求を充足させる方法の一つが唐澤貴洋への嫌がらせなのです。
彼らを何とかする手っ取り早い方法は軽犯罪の三振アウト(死刑)制度などを加えていく必要がありますが、それはまっとうな法治国家に行えることではありません。
素直に無敵の人を無敵でなくす(地域のコミュニティに接続し承認欲求を充足させ、この件から自発的に手を引かせる)など福祉の方向での対策が必要ではないでしょうか。
また、なんJを閉鎖しても全く意味がありません。すでに唐澤貴洋への嫌がらせの情報交換は海外のサーバに建てられた掲示板で行われています。
海外サーバはすでに複数回移転していますし、海外サーバでの運営が完全に頓挫したとしてもTorに移行するだけではないでしょうか。
もちろん唐澤貴洋がテレビ出演など公に露出する事態となれば古巣であるなんJでも大きな話題となります。
先日の出演の実況では2chの1000レス制限を越え1つのスレッドに2000以上のレスがついてしまう異常事態が発生し、当然のようにサーバも一時ダウンしました。
最初の炎上から5年も経過して沈下しないので、これからも今回のような件は発生し続けることでしょう。
多田野選手の出演騒動から10年以上経過しても下火にならない淫夢と同じフェーズに入っています。
twitterやニュースサイトやはてななどで唐澤貴洋の話題が出ても無視することです。
彼はどうしようもない無能なので今後何事もなくても自分から定期的に話題を提供し続けることでしょう。
お願いなのでどうか無視してください。弁護を依頼することなどもってのほかです。
無視したところで彼は金持ちのボンボン(父が会計士業界の有力者)なので仕事は父のコネからいくらでも手に入れることができます。
私も教徒であった時期がありますがここ数年行われているこの手の釣りにとても辟易していますし、心を痛めてもいます。
なのでせめてはてな民にはなぜこの事実を噛み締め、唐澤貴洋に関する事柄を今後一切無視していただけたらありがたいです。