はてなキーワード: 屍姫とは
未完、収まりきらなくなったので分割 anond:20210626005632
主張自体はとりあえずさておいて、少なくとも屍姫は作画も十分糞だったと思うのだが…。
もったいぶるのもバカバカしいので先に答えを出してしまうと
「作画は作品の良し悪しに直結しないけど、声優は作品の良し悪しに直結する」
いくら作画がよくても、キャラデザや前後の文脈とかけ離れたものであれば全くキャラクターの魅力に寄与しない。その点声優は、いい演技がそのままキャラクターの魅力になってくる。
ムントにしろ屍姫にしろ、神作画が糞声優で失敗作になった例は数え上げればきりがないけど、逆に神声優が糞作画で失敗作になった例はここ数年では見たことがない。全ての作品を確認したわけじゃないからひょっとしたら存在するのかもしれないが、少なくとも「探さなきゃない」レベルであることは確か。
つまり、いくら作画の良し悪しを議論しても、声優の演技を議論しなきゃ意味がないってこと。そもそも作画オタなんてのは「いい作画」さえ見れればキャラデザなんて気にしないし、下手すればシナリオすら作画を見る集中力の妨げになるってんでスポイルする連中なわけで。
漫画では死神に忍者、ライトノベルでは異能バトルが物語のセオリーになりつつありますが、
これが行き過ぎた時に個人的になんとも言えない気持ち悪さを生むことがあります。
それを一般的に総じて中二病というわけですが、個人的には漫画はきついなぁと感じるもののライトノベルは大丈夫なんですよね。
もやもやとしかわからないのだけれど、この違いはなんなのかと深夜に屍姫を見ていてふと感じたので書いてみます。
理由の一部でしかないような気がしますが、
僕の中の言葉を寄せ集めてみると中二的な要素に陳腐だったり、地に足がついていない空想だと感じているからではないかと思います。
これが若さ溢れると感じる要因なのではないかと。
大人になるにつれて整合性を求めるというか、このふわふわとした感覚が許容できなくなるんですよね。
そう思うとライトノベルは辛うじて物語の体裁を保っていて、溢れんばかりの中二要素をうまくまとめてストーリーの主軸へと誘導しているのが特徴なのかなと思います。
話の整合性を保っていることで、思う存分中二的な妄想を展開することができて恥辱の泥沼に浸ることができる……これがライトノベルで中二的な要素を許容できる大きな特徴でしょう。
一方、漫画のほうは中二的な能力や設定に焦点がいきがちなのと、それをイラストで視覚化してしまうことで気恥ずかしさを感じてしまうのです。
あぁ、なんという羞恥プレイ。ボクの妄想が晒されているぅううううううう>< びくびくんっ!!
みたいな感じ。
読みながら脳内で繰り広げられる妄想が、目の前の紙面に投影されていることで辱められているような気になってきます。
そして、こんなことを考えながら読んでいる自分をさらに俯瞰することで死にたくなってくるという無限ループ。
あぁ、もうどうにでもしてぇえええええ!!!
さらに、設定ばかりが強調されていることでストーリーの地に足のつかなさが気恥ずかしさに拍車をかける。
……これが、漫画とライトノベルにおける決定的な違いなのではないかと。
まぁ要するに「中二は大好きなんだけど、おっさんには中二漫画はしんどい」
これに尽きるのかも。
もやもやと同じようなことを感じている人は結構多いんじゃないかな?