はてなキーワード: デジカメとは
私は一人暮らしを始めてやりたかったことをやった。食パンを4等分して、それぞれジップロックに入れて、放置。毎日毎日ジップロックごしにデジカメで、食パンを写真に撮った。食パンにカビが生えて繁殖していく様子になんとも言えぬ興奮を覚えた。ちなみに、わさびを塗った食パンにはなかなかカビが生えなかった。
3週間ほど撮った写真をGIFファイルにして一人でこっそりそれを眺めるのが好きだった。それを誰にも見せることはないだろう。ミロのヴィーナスがミロス島の洞窟の中で発見されて、しばらくは公の目に晒されなかったように。
30前というのは、公私ともに微妙な年頃だ。
私的な面は言うまでもない。子供を持ちたいのであれば、そろそろ結婚前提の彼氏がいても良い時期だ。大学の同級生だった私の彼氏は、時折そんな話をしてくるものの、ちっとも具体性が出てこず、その気があるんだろうかどうかよくわからない。
仕事の面では、私の場合は、そこそこ名の通った大学を卒業して、総合職として入社して7年。そろそろ同期の間で有能な人とそうでない人が見えてきている。会社からの期待度がどれくらいかというのも色々とほのめかされる。留学に行ける人、業界団体に出向する人、後輩の指導役になる人。そしてもうすぐ、次の職位に上がる同期が出てくる時期だ。私はと言えば、2年おきくらいに異動があって、それぞれ前の仕事とはほとんど関係がない仕事ばかりを回される。もちろん、留学みたいな特別のプログラムの声がかかることもなく、要は、ぜんぜん期待されてないってことをひしひしと感じる立場だ。
そんなことを漠然と思っていたこの4月に、私のいる部の部長が交代した。部長どまりの人がいつも来る部なのだが、なぜか今回は、40歳過ぎたばかりのエリートが来た。東大卒で、会社の中枢をずっと歩いてきた人だ。人を人とも思わぬ凄腕という噂ばかりが轟いており、恐れていた我が部の面々は、実際にその人が来てみると、とても人当たりが良く部員一人一人に目をかけて励ます姿になんだか拍子抜けしたくらいだった。けれど、日に日に部長の凄さは明らかだった。どこから出てくるのかよくわからないくらい素晴らしい着想と、少しの無理を強いるスケジュール感と、段取りの良さで、我が部の業績は、目に見えて上がっていった。
私にも、部長はとても目をかけてくれた。仕事が滞ってたら直接私の席に来てトラブっているところを聞いては改善指示を直接くれた。時折みんなで昼食や夜の飲み会に行くときに話す機会があれば、こういう本を読んだらいいとか、こういう心がけで仕事をすればいいとか、親身にアドバイスをもらった。ただ、彼は年上の部下も含め、部員みんなにそういう態度だったので、私が何も特別だったというわけではない。
そうして過ごしていた6月のある日。たまたま客先との飲み会の帰り、部長と一緒の方向に帰る人がおらず、二人で最寄りの駅に向かって歩いていたその時。ふと私の中でわだかまっていたものが何か弾けたのだろうか、部長に「折り入ってご相談があるんですけど、今からお時間をいただいていいですか?」と思わず聞いてしまった。部長は「別にかまわないけど、女性の部下と2人きりって本当は良くないんだよね。ほかの人には聞かせられない話なのかな?」と言ったように記憶している。結局2人で軽く飲みに行った。そこで少し覗き見た、彼の深い仕事に関する知識と、社内の有力者とのつながり。こういう人の仕事の仕方を、こういう人の経験を、そしてこういう人の知識を知ることができれば、私も、仕事ができない三十路間際の総合職という立場から抜けられるかもしれない。言葉を交わすほどに、私は、彼に惹かれていった。もっとこの人の言葉を私が聞く方法はないか。できればこの人しか知らない話を聞く方法は。
めくるめく思考の中で、やはり答えは1つだった。2人きりで飲んだ3回目の夜に私が選んだお店は、私の一人暮らしのマンションから徒歩の距離。夜が更けるともない早い時間に、うちに来ての飲み直しを誘ってみた。
その夜、私は、部長に、抱かれた。
部長の奥さんは美人で、少なくとも私よりは美人で、しかも高給の専門職だ。夫婦して大変な子煩悩であることも知っている。彼が、奥さんと別れることはあり得ない。そして、私にも独身の彼氏がいる。部長と結婚したいとかそういうのじゃない。ひたすらに、微妙な年頃の微妙な立場にいる強い不安だけが、彼に抱かれる動機だ。そんなことは分かっている。
でも、部長と夜を過ごすたびに、問わず語りに語ってくれるその深い経験と知識、そしていろいろな裏話。時折実感する、仕事能力の上達。人事ユニットにも影響力のある彼は、あからさまではないにしても、私についての良い報告を少しずつ入れてくれているようだ。部長と関係を持ってから、私は少しずつ変わっている。仕事面では、間違いなく良い方向に。
部長とはだいたいいつも私のマンションで逢引だ。軽く飲んで、私のマンションに来て、そして私を抱いて帰る。これまで2回くらい、とても良いホテルでご一緒したけれど、記念日に限るって感じ。ゴムが嫌いらしいので、私はピルを飲んでいる。結婚する気もないのに面倒は起こしたくない。40も過ぎているのに、私の彼氏よりも精力がある部長は、いつも2度か3度、私の中で達する。1回目は私が気持ちいいか執拗に確かめるくせに、2回目以降は自分がいくために一生懸命だ。でもそこがとても可愛らしく、愛おしい。私のことを、若くて肌がきれいだとか、胸の形とか乳首の色をいつも褒めてくれる。時々デジカメで変な写真を撮るけどまあご愛嬌だ。
でも、こんな関係、いつまでも続けてていいわけじゃない。私だって、結婚したいし、子供も欲しい。いつまでも部長の部下でいるわけでもない。部長の、まあいわば愛人になって、ちょっとしたシンデレラになることを夢見ている私は、でも、いつ12時の鐘が鳴るのか、いつも心配している。そしてその不安が大きいからこそ、部長との関係がとても甘美なものになる。
私の人生を歪めるパラドックスの中にいるのは十分わかっているのだけど、止められない。本当は、自分で12時の鐘を鳴らさなければいけないのだともわかっているのだけど。
乗っかって、抜けてる分を補足しておこう。
https://www.youtube.com/watch?v=t8Ph5Wm6AL8
https://www.youtube.com/watch?v=YV57I6hd1oQ
https://www.youtube.com/watch?v=fcqvXQmSnZs
https://www.youtube.com/watch?v=58WrSnJZ25A
https://www.youtube.com/watch?v=urUVgPJZKhE
https://www.youtube.com/watch?v=bwlnqHh8FGk
auというか、固定回線も含めてKDDIになった頃の浅野忠信・永瀬正敏・豊川悦司。
はじめは浅野=au(ケータイ)、永瀬=DION(ネットプロバイダ)、豊川=KDDIという住み分けだったはず。
この頃のマス広告でクリエーティブディレクターをやってた佐々木宏は、その後ソフトバンクの白戸家を生み出すのである。
J-Phoneの「写メール」はじめアプリ機能、GPSなどなど、ガラケー化の萌芽が見られる頃。
SHARPがケータイメーカーとして躍進。ちっこい外付けデジカメは「写メール」対抗。
https://www.youtube.com/watch?v=tt_PmirbdYQ
仲間由紀恵が超かわいかった。auのCMキャラクターとしては最長だったのでは。
この頃のケータイは3Gから3.5Gになり、カメラやディスプレイの高画質化、
動画の送受信、パケ死問題→パケット定額などなど、ガラケーの基本機能が概ね出そろった時期。
INFOBARに代表される「au design project」ブランドのデザインケータイも、その流れに位置づけられる。
そのイメージもあって、この時期は、au=デザインがいいという評価があった。
ユーザーにとって「デザインで選ぶ」という選択肢が生まれた時期とも言える。
https://www.youtube.com/watch?v=wurAKBhizZw
ソフトバンクがiPhoneなら、Androidはauだ!的な打ち上げ花火、Android au × レディ・ガガ。
iPhoneの登場以前はスマートフォン=SymbianとかBlackBerryとかで、使うとしても一部のギーク層、
パッケージ化されたガラケーになれた日本の大多数のユーザーにはカスタマイズして使いこなすのなんて無理、
iPhoneも一過性の物珍しさで終わる、っていう認識だったんじゃないだろうか。
ところが、放置してたらiPhone&ソフトバンクに食われまくって大慌て。
遅まきながらも満を持して投入されたau初のタッチUI型スマホがIS03なのであった。
しかしそれは、”和製スマホ=クソ使えない”イメージ誕生の瞬間でもあった。
ソフトバンクのスマホがiPhoneで、auのスマホがAndroidで、
あれ?ドコモのはなんていうの?みたいな誤解もあった。
(略)
指輪なんてファッションでも全然しないのにそれでも欲しくなったのは彼女を縛り付けたかったから。
ペアリングを購入してみた。
事前にWEBカタログで見せた彼女お気に入りのペアリングは公式通販サイトでの扱いがなかったのでリアル店舗でもなかったらどうしようかと思ったけど運良く見つかって
サイズは彼女9号、自分15号で在庫も出てきた、彼女は高卒で働いている21歳と若いのでカジュアルブランドで満足してくれている様子。
自分がつけてみたところ、外すのがとても難しい。
店員さんからコツを教わった、第2関節までは曲げた状態で持ってくる、リングは指の腹側から手の甲側に押し上げるようにしながら行う。
そうすることで指の肉が寄りにくくなり、取り外しやすい。
新宿の店で買ったあと、適当なカフェに入って指輪を一緒につけて写真を撮った。
右手につけて、それをカメラで撮ろうとするので利き手ではないからシャッターがうまく押せなくてブレまくりだった。
デジカメやスマホのストラップで指に通す輪っかのあるリングストラップを愛用しているので、装着中の違和感はほとんどなかったけど
目の端にチラチラと写るシルバーの輝きが最初気になったくらい。
しかしそれは彼女がいることの証だと思うと、気持ちがすごく落ち着いてくるのがわかる。
まだ未婚だけど、気持ちが安定して仕事や趣味などの日常生活に普段からこんな落ち着いた状態で対処できるのなら結婚も悪くないなと思った。
指輪で彼女を縛り付けたいという気持ちがあったけれども、自分の気持ちが落ち着く効果もあることに驚いた。
(書いてみて思ったけれど、彼女が自分のものであるという思い込みから生まれる感情はどちらも同じことかも)
サラリーマンの男性が仕事中ペアリングをしているのはなんとなくオカシイような気がするので、普段は外してデートの時にペアルックよろしく一緒につけるのが良いのかな??
http://anond.hatelabo.jp/20150706064349
http://anond.hatelabo.jp/20150706062532
手のひらサイズのコンパクトデジカメや、スマフォのカメラの場合、撮影データがJPEGファイルなので、
解像度が大きくても数メガバイトだけど、一眼レフ等の一応プロ用カメラになると、
RAWデータファイルなので1枚につき 50MB とか70MB みたいになるんですよ。
RAWそのまま渡しでは一般の人は見られないし、
RAWは12~14ビットの広い階調(JPEGは8ビットの狭い階調)のデータを内包しているので、
その14ビットの階調をどうやって、8ビットの階調に落としこむか?が現像と呼ばれる作業でして、
明るい部分はギリギリ白飛びするくらいに輝かせて、グラデーションの綺麗な部分により多くの階調を割り当てるようにしつつ、
暗い部分の階調も残すと、メリハリの効いた、良い感じの写真になるんですよ。
自分はたまにプロに撮ってもらう方の人間なんで、カメラ自体には詳しくないんですが。
デジカメのセンサーが撮った生(RAW)データを吸い出してPC上で色調補正とかをやってから通常の画像ファイル形式に落とすことを「現像」と呼ぶらしいです。
デジカメからjpgとかで読み出せるデータは、デジカメ内蔵のソフトがそれを行ってるんだけど、細かいところをいじれない。画像ファイルにした時点で情報が落ちているので、その後加工すると画質が落ちる。なのでそれなりのポートレイトとかはRAWデータから撮影者が処理する、と理解してます。印象ががらっと変わるんで、多分カメラマン側としても、現像処理込みで自分の作品、と感じているんじゃないでしょうか。
自分の場合、撮影後に現場でざっと画像データを見せてもらって必要なのを指定して、数日後に最終的なファイルを送ってもらうって感じです。
一年前の私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
http://anond.hatelabo.jp/20150610104616
なんとなく、痴漢はどんなふうに犯行を重ねていくか分かっていない人が多いみたいだから、地方都市在住でかつて痴漢常習者だった私の経験を語ろう。周囲の人とはこんな話はしないが、性犯罪者のインタビューなどと比べてみると、自分はちょっと特殊かなという気もする。「子供のいたずら」で済まないような犯行をしていたのは大学生~社会人初期の合わせて10年ほどである。
(1)幼稚園のころ、すでに性的なものに興味が強かった。母や祖母と一緒に寝るとき、おっぱいをもんでたが、それは乳離れができないんじゃなくて、性的な興味からもんでたような気がする(たぶんエロ本か何かでそんなのを見て興味もったんだと思う)。
(2)幼稚園から小学生のころ、女の先生のお尻を「ぺろりんこ」と言いながらなでていた。
(5)中学生のころ、同級生のブルマのハミパン、セーラー服で前かがみになった時の胸の谷間、ブラちら、夏服で腕を上げた時に見える脇の下(わき毛)を視姦するようになった(これは今もやってる)。
(6)高校生のころ、スカートで三角座りした女子のパンチラを視姦するようになった。
(7)大学生のころ、一人暮らしになり、自転車や原付を入手すると、人気のない路上で痴漢やスカートめくりを常習的にやるようになった。
(8)社会人成り立てのころ、通勤車内で乗降時のどさくさに尻を触る痴漢をするようになった
(9)社会人のころ、乗車中に手の甲で女のお尻の端っこにタッチするようになった。
(10)社会人のころ、手のひらでお尻の割れ目が感じ取れるように、包み込んだり、なでたりするようになった。
(11)社会人のころ、大混雑の時にはスカート内や下着内に手を入れるようになった(俺以外の同業者もいた)。ただし、生来のビビりなので常習的にではない。
(12)社会人のころ、エスカレーターで前の女性のスカートの中にデジカメ入れて盗撮するようになった。
以上です。全ての犯行を合わせると数十件?100件行くかも?いまでも覚えているようなのは10件行かないくらいですけど。
よく「性犯罪は性欲・衝動が原因ではない」「性犯罪者は周到にターゲットを選んでいる」「ミニスカだからとか、美人だからとか狙われるわけではない」とか聞きますが、自分の場合は半分正解・半分間違いという感じです。
やっぱり性欲が高まって理性でコントロールできなくなったときにやってしまってましたね。一方で周到に犯行現場やターゲットを選んでるのは確か。さすがに交番の前でやろうとは思わないので。
そして、自分の場合はデブ、ブスは狙いません(眼中に入ってない)。しかし、美人でも目鼻立ちがはっきりして意志の強そうな(声を出しそうな)人は狙いません。やっぱ大人しそうな人を狙いますが、抵抗しなさそうという理由より、普段からそういう女性が好みだったりするのですね。
服装はやっぱり犯行がやりやすいのはフレアのミニスカート。そういう意味では女子学生は狙われやすいんだろうな、と思います。逆にジーンズなどは痴漢しても感触が堪能できなさそうだから、夜道を泥酔して歩いている人でもない限り狙いません。
だから、「ターゲットを周到に選んでいる」「服装が痴漢被害にあう原因ではない」という説は少し矛盾してますね。痴漢しやすそうなターゲットを周到に選べば、自然と露出の多い(なおかつお大人しそうな)女性を狙うようになりますよ。
他方で、性犯罪者のインタビューで「犯罪という意識がなかった」「相手も受け入れてくれていると思った」なんていうのも自分は同意しません。
自分の場合は犯罪だと自覚して、女性を辱めるためにあえてやってる感じでした。相手が嫌がっていることに興奮していましたね。
犯罪じゃないセックスの時でも、相手が恥ずかしがるようなプレイをするのが好きです。
自分が常習犯になったのは、犯罪最中のスリル?興奮?罪悪感?で心臓バクバクする感覚に比して、犯行が終わった後の達成感があまりなかったことが原因のような気がします。
いつでも満足できるような結果にならなくて、その不満足感が「次こそは満足いくまでやってやる」という気持ちにつながってズルズルと犯行を重ねてしまいました。
これって「今度こそは大穴が来るはず」みたいに大金つぎ込んじゃうギャンブル依存症を同じ感覚だと思います。
虚栄心が強く、自分がこんな人間だと親や友人に知られたら生きていけないと思っていました。
だから犯行を重ねた場数の割にはチキンで、大胆な犯行(下着の中まで手を入れるような)はそれほどやってないですね。
しかし、こういうチキンなところはほとんどの痴漢に共通すると思うので、やはり被害者が声を上げるのは防犯効果が高いと思います。
参考にしてください。
学生時代はそんなでもなかったのに急に可愛いと言われたりちやほやされるようになった。隣の席の1つ上の先輩はちゃらいタイプのイケメンのリア充お兄さんで、飲んでるジュースの話をすれば間接キスがどうのとキャッキャ騒ぎ、仕事風景をデジカメで撮る役割になれば私のことを狙ってばかりで笑っていた。私が度の弱い眼鏡を、つけたりはずしたりするのを、目ざとく指摘した。
就職から2ヶ月あまり、仕事で徐々に横のつながりも出始め、雑用だけでなく私自身が主体となる仕事も任され始めた。まだまだ周りに支えてもらいながらも、実力をつけていきたい。
同期同士の軽い飲みの席で「周りにちやほやされて天狗になってるねって、調子に乗ってるよねって、言われてるよ」と言われた。
仕事でお世話になる人となるべく角が立たないよう、愛想よく愛想よく接して、本当は見た目のことを言われたり、下の名前で呼ばれたり、そういうの、本当に嫌なのに、失礼にならないよう、気を緩めたら泣くか怒るかしそうなのを一生懸命ヘラヘラヘラヘラヘラヘラやってきて、そういわれた。
とても悔しくてたまらない。私の我慢はなんなんだろう。いっつもの冗談の定番の流れのように、涙を流して総務課にセクハラの報告を今度こそ本当にすれば良いというのか。周りの人の親切の、特別扱いのところだけ切って捨てればよかったのか。
私に実力はない。仕事はまだまだわからない。周囲の、実力と、評価の乖離を、天狗と呼ぶならば、どうしようもない。失礼や粗相は私のことだからきっとどこかでしてしまっている。それを許されていることを、調子に乗っているというなら、私の至らなさは、改善すべきだとして、調子に乗っているというなら、私の我慢はなんなんだ。
今思えば、大学の4年間で私は心地良い環境を整えていたのだと思う。見た目のことを言われたり、下心のあるような戯れあいをしたり、そういうのが嫌だということを知らしめていた。この嫌悪感はたぶん、「気持ち悪い人に言い寄られた」ような感覚を、どんな人が相手であろうと感じている、のだと思う。こういう環境で働く社会人として私がナイーブすぎるのだとは、わかってはいる。さらにいえば、大学に入学したころの私は、自分で言うのも悪いけれど、今よりずっと可愛くなかった。眉毛の手入れを覚えて、流行の服を覚えて、欠点を自然に隠す薄化粧を覚えた。異性から距離を詰められるのが嫌なのは、最初からずっと一貫していた。ちやほやしたくなるような人になったころには、ちやほやされるのが嫌だと皆がよく知っていた。
遠いところに就職をして、人間関係はリセットされて、急にこんなふうになってしまった。
ぐうの音が出ないほどの、態度と、実力をつけよう。
それで、いつかは。いつの日かは。人間関係は失敗ばかりで心も頭も弱いんだけど。
くやしい。
・とにかくたくさん撮って
・失敗しても消さず
・あとで見返すこと
じゃね?
あと細かいことは
(常にカメラと一緒にいていつでも撮るぞ撮れるぞと言う気持ちが大事)
・最初なにも分からなかったら、カメラ雑誌を1年か通しで見る(それで十分だとおもう)
・そんでいい写真、好きな写真見付けたら、データはどうなってるか見る、そんで真似てみる
・カメラはとりあえず最初はスマホでもコンパクトでも、あるものでOK
(こういうのが撮りたいんだと気付けばスマホやコンパクトじゃものたりなくなるので、そのとき必要なカメラ・レンズが分かってくるかもしれん)
・レンズは標準のでいい、が、単焦点の50mmとか使うと世界が変わる(大げさやけど)。
(最初はそのくらいのインパクトはあるし、こういうの撮りたかったんだ感が味わえる)
(写真に本当にずっとやっていきたいなら50mm単焦点の明るいレンズは持ってても損は無いよ)
(ちなみに、50mm1本で10年以上仕事してましたしw、つい最近まで)
・(これは難しいけど)好みの写真の集まりみたいなのがあったら参加してみると、また面白いかも
(いろんな撮り方あるんだなぁって)ハードル高けりゃインスタでたくさんの写真見ても良いしね
ざっと斜め書きだけど、商用じゃなきゃおおむねそんな感じじゃないかな?
楽しく撮ればいいんだよ、と思う。
ちなみに、ガッチガチの商用はやっぱり大変かな、と思う(^^;