はてなキーワード: セックスワーカーとは
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。
エンパワメントやシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉が最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。
だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問や言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズムの信頼度が著しく弱まっている。
セラピー面も学問言論面もひと固まりだから、フェミニストはメンヘラだとか、他人の幸せを許せないだとか、ミサンドリストでセックスヘイターのジェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
(追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)
本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。
たとえ学位や免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者だから、理論と議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。
本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や心理の専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、普通の健全な当事者会セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者の要求は研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人が当事者の過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。
全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害の抑制ができている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者の区切りが曖昧になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交渉議論の感覚がごちゃまぜになっているせいだ。
「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である。
「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから、議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやろうとする、「自分はセラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーや看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能な動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会に要求するには妥当性に欠ける内容が研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。
それにもかかわらずフェミニズムの大義名分が世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストもミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その好き勝手な発言暴言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。
弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情を一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者と対話可能な研究者の弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
フェミニズムやジェンダー学周辺で、セラピー的機能と学問・言論的機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイをメインコンテンツとするWebサイトだ。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(下)|滝薫
https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a
私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。
(略)
『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイを投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
伊藤あかり編集長のモットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。
傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
沖縄在住シンママの現役キャバ嬢ライター・上原由佳子氏(Twitter:@yukakouehary)の紹介で取材に応じてもらったのが、池袋の某人妻系デリヘルに勤務している、ことみさん(仮名31歳)である。セックスワーカーとしてはキャリア8年目のベテランだ。
本人の話によれば、彼女は大学卒業を控えた年に東日本大震災による就職難に巻き込まれ、新卒での就職に失敗。やがて非正規雇用を経て正社員になったものの、職場がブラック企業でメンタルを壊して退職し、夜の仕事に就いた。武器はFカップのバストで、現在の仕事については、なんと2歳年上の夫も公認である。
以下、ことみさんへのインタビュー形式で、池袋の人妻デリヘル嬢の目から見たコロナ・パニックについて語ってもらうことにしよう。
――まず、コロナ流行前後の売上の変化について教えてください。
ことみ:うちの店は最短で40分10000円からコースがあるんですが、コロナ流行以前は70~90分くらいのコースを選ぶお客さんが多くて、120分という人もちらほらいました。
私、事情があって、限られた日数しか働けないんですが、月に10日間の出勤で、1日あたり2~3人のお客さんがつく。なので、たとえば昨年11月時点の月収は25万円くらいでした。待機時間も含めて換算して、時給で約3900円くらいでしたね。
「守るべきもの」がある客は来なくなった
ことみ:悲惨ですよ。祝日ですら、お茶をひく(1人も客が来ない)日が出ていますし、お客さんが1人だけという日も多い。3月は時給換算で約2400円まで下がりました。4月はもっとひどいはずです。コロナ減収者向けの緊急小口貸付の申請を検討しているのですが、通るかなあ……。
――お客が減った以外の違いはありますか?
ことみ:奥さんや子どもがいて、安定した普通の会社で働いていて、それでもたまに遊びたい、みたいな“ちゃんとしたタイプ”の人が、コロナ流行後は一切来なくなりました。まともにコミュニケーションが取れる場合が多いので、私の基準ではこういう人は“良い客”なんです。遊び方もきれいで、禁止事項や乱暴なこともしないことが多いですし。
ことみ:確実に悪くなりました。失うものがない感じの人が増えたんです。で、“ガッつき系”が増えました。ショート40分で会話も全然しないで、「カネ払ってるんだから」と焦って、あれもこれも要求する的な。
――働く側は、体力的にも精神的にもすり減りそうですね……。
ことみ:お客さんの年齢層も変わりましたね。コロナ以前は、年上の女性が好きな若い男の子から70代のおじいちゃんまで幅広かったんですが、いま、あえて来る人は、ほぼ40代。独身かバツイチです。
――コロナ流行後に来店した、いちばんヤバい客について教えてください。
ことみ:去年の9月から指名で月1回入っていた人なんですが、コロナ流行後の2月半ばにも指名してくれました。そのとき、なぜか20年前くらいに流行っていたような小学生女児向けの自己紹介カードを「次回これ書いてきてね」って渡してきました。
「カード男」がことみさんにプレゼントした自己紹介カード。しんどいものがある。(撮影・安田峰俊)
「カード男」がことみさんにプレゼントした自己紹介カード。しんどいものがある。(撮影・安田峰俊)(他の写真を見る)
――うわあ……。あえて彼の心の内を想像すれば、異性と接した体験が小学生で止まっていて、その当時にウケていたものをプレゼントすれば喜ばれると思ったのかもしれませんね。
ことみ:ですね。性風俗店のキャストに本気で恋愛感情を持つ、“ガチ恋系”だったのは確かです。女児向け自己紹介カード以外のプレゼントとしては、「一緒にポケモンやろう」って言って『ポケットモンスター ソード』をくれました。とりあえず、家で旦那とプレイしているんですが。
――“ガチ恋”相手の夫へのプレゼントになってるじゃないですか。ちなみに、彼は性格や外見的には、どういう人だったんですか?
ことみ:30代後半で、なぜか上顎の前歯がなかったです。仕事は工場勤務だって言っていたかな。秋葉原によく行くらしく、音ゲーでハイスコア出したとか言って、動画を見せてくれました。
――『電車男』みたいなステレオタイプなアキバ系が、令和の時代にまだ生息していた。
ことみ:はい。めちゃくちゃ早口で、ポケモンとか音ゲーとか、自分の喋りたい話題だけをワーッと喋る人でした。コミュニケーションを取るのに、ちょっと忍耐力が必要になるというか。
――まあ、個性的でこだわりの強いお客さんだからこそ、コロナ蔓延下でも来てくれるわけですね。
ことみ:そうなんですよね。「カード男」は私の前にも他の店でお気に入りのキャストがいたみたいなんですが、出禁(出入り禁止)を食らったそうなんですよ。で、そのことを「あいつとは“別れた”」って言っていて。うーん、となりました。
ちなみに私は、3月になってから事情あって他の店に移って源氏名も変えたので、この人とはそれっきりになりました。
ことみ:4月上旬に「俺、テレビ出たんだ」って写真見せてくださったお客さんがいたんです。それが、森三中のメンバーの1人と写した写真で。数日後に、森三中の黒沢(かずこ)さんのコロナ陽性ニュースを聞いて驚きました。
――それは冗談抜きで危ない話では……。
ことみ:はい。ただ、よく思い出してみると、たしか写真を撮ったのは2月末だとおっしゃっていたので、このお客さんはセーフだとは思うんです。もっとも、この件に限らず、私たちが知らない間に濃厚接触者になっている可能性はありますよね。
お店のほうも、ホームページでは「コロナ対策をしています」とか書いていますが、実際は手洗い用の消毒液を置いていれば“まだしも良心的”という程度ですし。対策はほぼゼロですから。
――コロナ以来、お客さんが相当減っているみたいですが、つなぎとめる作戦は考えていますか?
ことみ:「この人は絶対に無理だ」と思う相手でも、ちゃんと名刺を渡すようになりましたね。ちょっとでも指名を増やさないと死活問題なので……。正直、最近は基準をかなり下げていて、相当ヤバいお客さんでも指名してくれるならOKだと思いはじめています。
――「カード男」や「森三中男」よりヤバい人でも、営業をかけるわけですか。
ことみ:たとえば、スーツの下にパンツがわりにブルマを着用している60歳前後のおじさんが来たんですよ。で、自分が持参した別のブルマを私に履けと。しかも新品じゃなくて、なんだか布地に使用感があるんです。
ことみ:他にも気持ちの悪いことがいろいろあって、もう次回は絶対NGだと思ったんです。しかも、おじさんはなぜか右翼? なんですよ。部屋でテレビのニュースを見ながら「日本はもう1回、戦争をしたほうがいい」と演説を始めて。
ことみ:でも、現在の状況だと、こういうおじさんでも営業をかけるしかないですね。指名をもらうために、バンバンかけると思います。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
アジア出張で買春するおっさんとか、身体中ピアス入れてタトゥーいれてたりしている女子とか、本職のセックスワーカー以外は、
HPVの罹患率はそんなに高くない。いわゆるヤリチンヤリマン+買春おやじ病なんだから、「自由恋愛でみんながかかるんだ!」
こういう行動パターンで、たまたま自分はたいした症状が出ないタイプのやつが、日本のあちこちで感染広げてるんだろうな。性病もコロナも
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706943202944821506/comment/shields-pikes
外国籍やセックスワーカーの弱者をコロナだの性病だの決めつけてるこのコメントが
お前らちょっと前は「中国人がコロナを広める」とか言ってたネトウヨを差別主義者って馬鹿にしてたじゃん。
それと同じ行動を自分達もしてるって気が付かないのか?
あと、外国籍でかつ女性なら雇用は不安定なのでコロナ禍で真っ先に職を失いセックスワーカーとして働かざるを得なくなった
という可能性に思いが至らないのだろうか?
入管のアジア系女性に対する人権侵害とかもこういう国民のナチュラルなセックスワーカーの外国人に差別が根底にあるんだろうけど、
はてなーも表面上リベラルっぽいけど、「コロナ」みたいなワードがでると取り繕う事ができずに差別意識が全面に出てくるんだろうなと思う。
WW2時代に共産主義者がファシズムに転向した事について、政治学者アイゼンクは「硬い心性-柔らかい心性」「保守-急進」と言うパーソナリティの2軸で説明していた。
「保守-急進」は起こりやすいが「硬い心性-柔らかい心性」は起こりにくいとした。はてなはてサと言う言葉もあるくらい硬い心性かつ急進派が多いサイトである。
特にオリンピック辺りから外国人に対する排外主義的な意見が人気コメントになってるのをよく見る。
転向が着実に進んでいるの同ろうなと思う。
セックスワーカーが異常者みたいな言い方だな
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 111 | 13178 | 118.7 | 51 |
01 | 88 | 8475 | 96.3 | 47.5 |
02 | 53 | 8462 | 159.7 | 56 |
03 | 34 | 4480 | 131.8 | 76.5 |
04 | 14 | 2578 | 184.1 | 91 |
05 | 19 | 2451 | 129.0 | 89 |
06 | 13 | 9523 | 732.5 | 107 |
07 | 86 | 5122 | 59.6 | 35 |
08 | 100 | 10083 | 100.8 | 45 |
09 | 118 | 11696 | 99.1 | 43.5 |
10 | 156 | 13150 | 84.3 | 44.5 |
11 | 117 | 19813 | 169.3 | 37 |
12 | 108 | 17460 | 161.7 | 51.5 |
13 | 134 | 14465 | 107.9 | 39.5 |
14 | 96 | 8250 | 85.9 | 45 |
15 | 128 | 12298 | 96.1 | 40 |
16 | 133 | 11197 | 84.2 | 30 |
17 | 126 | 17910 | 142.1 | 47 |
18 | 117 | 8731 | 74.6 | 35 |
19 | 154 | 11935 | 77.5 | 40 |
20 | 168 | 15393 | 91.6 | 35 |
21 | 138 | 11273 | 81.7 | 37 |
22 | 170 | 11497 | 67.6 | 33.5 |
23 | 159 | 10344 | 65.1 | 28 |
1日 | 2540 | 259764 | 102.3 | 40 |
チートイツ(6), トイトイ(5), クンマー(6), ジャンボタニシ(4), BMX(4), ジェルマン(5), 府県境(4), 教員養成課程(3), 累犯障害者(3), 四暗刻(3), コホモロジー(4), IQ(58), 副反応(11), 夏休み(16), 反日(9), 出場(8), MMT(8), ω(15), ギャル(10), 活発(7), 東京五輪(10), 暑い(14), 競技(17), 帰省(11), 異世界(11), 打っ(30), インフレ(9), 接種(31), 五輪(39), ワクチン(73), オリンピック(61), 株(22), 選手(22), 中止(21), 指(12), 高齢者(13)
■犯罪者は「IQが"中の下"の男性」に集中している /20210731183707(28), (タイトル不明) /20110801175143(17), ■東京都内で在宅勤務してるけど、一般人のコロナ慣れがヤバい /20210729190251(16), ■推しVtuberのライブ見ない自称ファンってなんだ /20210731233702(15), ■明日からの出社が怖くて吐きそう /20210801113329(14), ■20年も働いてるのに昇給したの1万ぐらい /20210801005012(13), ■ネットのコンテンツが全部横並びになってつまんねえなって思わない? /20210731195223(12), ■コロナで暇だからラノベ原作の異世界物アニメをパターン分類してみた /20210801133351(11), ■男だけどフェミニズムに感謝している /20210801111224(11), ■彼女の飼い猫が彼女に寄り付かなくなった /20210801002353(10), ■アルコール飲料で水分補給はできません!水やスポドリを飲みましょう /20210731130719(8), ■ /20210731204411(8), ■女性は弱者男性にだけ冷たいわけじゃない /20210731150157(8), ■未婚率が上がってる理由って「女が調子乗ってるから」だよな? /20210801225202(7), (タイトル不明) /20210801190355(7), (タイトル不明) /20210801225451(6), ■大企業で内製が無理な理由 /20210801011405(6), ■ /20210801090437(6), ■20代だが、ビートたけしを面白いと思ったことがない。 /20210801110936(6), ■何故『トランスジェンダー』を受け入れないのに『LGBT』には理解を示す女性が多いのか?という話。 /20210801131905(6), ■地方移住したけど /20210801165926(6), ■セックスワーカーを差別するなってツイートを結構見かけるんだけどさ /20210801205140(6), ■ 原爆の日 五輪で黙とうなし 広島市、IOCに要請も「閉会式で共有」 /20210801205621(6)