はてなキーワード: シャーペンとは
ありがとうございます。自分は、自分の住む街の小さな新刊書店を必要なインフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能なビジネスであることが死活的に重要です(amazonも重要)。自分が読書好きになった経緯から、子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います。古本屋が一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います。
→ 個人的には書店の在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います。図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います。
・会計列を短くする目的でレジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。
→ 店舗によると思います。八重洲ブックセンター旧本店のときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行のカウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計を10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ・有人レジ・カウンターみたいに使い分けても良いと思います。
→ 必要ないと思います。書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客と対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービスも本棚で勝負できていない書店が稚拙な集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンターの物理的なポイントカードは結構好きでした。
→ オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携が中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置きは可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonのサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります。
・書籍を取り寄せするための流通システムとamazonやe-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。
→ 流通の細かな話は分からないですが、amazonやe-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズは新刊小売書店の企業努力で発掘されたら良いと思います。個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。
・しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおりを制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。
→ 八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年頃から、無くなりました。2024年にオープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町の東京堂書店も昔あった記憶です。
→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランスで本棚の書籍が決まっているような印象を受けるときがあります。丸善日本橋、丸善丸の内、ジュンク堂池袋、紀伊國屋書店本店も自分が比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています。神保町の東京堂書店は自分が比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。
→ 大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具や雑貨を売るのとオペレーションもモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具や雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店がセレクトした文房具や雑貨だからといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善の丸の内や日本橋にあるような高級文房具や絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンターでプレスマンのシャーペンは良く購入してましたので、書店のアクセントとしてあっても良いと思います。
→ 書店の体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラの販売店で購入している感覚があります。
・ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。
→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町の東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます。外人と外商に支えられている紀伊國屋書店も微妙にこの辺が改善してきている気がします。
・「雑誌ベースのインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍の流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。
→ 一般論として、toBをメインの収益源にしている企業がtoCに関わるのは難しいと思います。toB向けのコストカット的kaizenをtoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります。大型書店の場合について考えると、ニッチな需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍の流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌を毎日物流網に載せたい取次とはやや利益の方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズに対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます。
→ 新刊書籍の流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度が独禁法の適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います。
→ 1978年にオープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的なニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身のニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たからなのだと思います。上記のしおりが必要なのかどうかや文房具や雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論も貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的なニーズを中長期で発掘し持続可能なビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店の本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店の利用者なのかなと思うときがあります。紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。
以上です
俺が入学する時に体操服のデザイン、2年の頃に制服のデザインが変わったんだ
デザインそのものはショーパン→膝丈、生地が薄くペラペラで肌に張り付く感じ→体のラインでにくくシワにならない生地、とかなりの改善だったんだが
先輩の体操服は男女ともにポケットがついてたのに、俺達の体操服は女子になぜかポケットがついてなかった
記録とるためにプリントとシャーペン持って外に集まることもあったが、男子はポケットにそれらを仕舞えるからサクサク準備して集合
女子はプリントもシャーペンもずっと手で持ってなきゃならないからいちいちどこかに置いて取りに行く工程が加わる
それで女子は移動が遅い!と体育教師から叱られてるのを理不尽だなーと思ってみてたら
男性の体育教師たちが「男子を見倣ってポケットに仕舞え!」と叱りつけ、女子が「ポケットないんですけど」と反論して教師が驚いてた
高校の文化祭ではミスコンがあったんだけど、出場するのは女装した男子
制服は女子から借りたり姉のを借りたり学校のを借りたりするんだけど、スカートにもジャージにもポケットがなかった
なんか申し訳程度にハンカチすらはいらねぇ、みたいなポケットはあったけど使えないから男子はプログラムとかカンペを仕舞う場所が無くて驚いてた
女子に「トイレ行くときハンカチもってけないやんw」って冗談で言ったら
「まじそれ、口にハンカチ咥えながらするしかないし、ナプキン必要なとき最悪」とゲンナリしてた
そういう声もあって新しい制服には女子もポケット取り付けたと聞いたけど、それでも男子のズボンは4箇所入れるところがあるのに女子のスカートは一箇所だったな
女性服の不便さに衝撃をうけたもんだ
高校の頃にこうして女子と話さなければ強制的に与えられる女子の制服の不便さとか知らないまま大人になってた可能性はあるが
それを抜きにしても、女性の制服に大きなポケットをつせてくれ!って訴えてる働く女性たちを叩いてる男性がいるのが理解できない
妻もスーツで働いてるけど、利便性の関係でセットのスーツを+α払って全部パンツに変更、お金払ってポケット増やして、ヒール無しの革靴、で働いてるわ
男性のスーツならこんな余計な金払わなくていいのにな、と俺でさえ思うから、女性の訴えって最もだと思うんだけど
男性の服を女性に合わせろ!じゃなくて、女性服も男性と同じくらい利便性もたせろ!という内容でも批判してる男性がいることが何より衝撃だった
Web漫画が無い(https://anond.hatelabo.jp/20241025190620)と言われたので新都社に限定して書いてみたいと思います。
この為にアカウント作った新米増田なので見やすいように記法整理できていないのはご容赦ください。
思ったより長くなりそうだったので追記で何とかするかも
定義はオリジナル(https://anond.hatelabo.jp/20241012181121)のレギュレーションに倣って
作者一人につき一作品、後世の作家への影響、社会的な影響を重視とします。
とはいえWeb漫画自体の歴史が長くないので、同時期作家への影響度合いを考慮ポイントにしています。
なお順番は思いついた順です。過去に掲載されていたが、現在は掲載されていないものなども含みます。
また、作者名については著作時の名義を使用しています。本投稿時点で商業での名義や別名義がある方もおられますがご了承ください。
誤字脱字衍字等ありましたら申し訳ありません。
新都社(にいとしゃ)は誰でも参加可能な自作漫画と自作小説のコミュニティサイトです。
一般通過読者
何でも読む悪食、とはいえ界隈が狭かったので作者読みだったりするのは一部作家くらいしかできない裏返しでもある。
ルーズリーフにシャーペンで描いている漫画の画力が10段階中で3くらいの感覚で画力については語っています。
2007年頃から2015年頃によく見ていた。以下の内容に異論あると思いますが是非お勧め教えてもらえればうれしいです。私は書いたんだからさ(同調圧力)
名前からどうしても忌諱してしまうと思われるが、原作も新都社の文藝となっており当時の話題性は高かった。
YOKO先生の前作品である痴漢男もスレが原作にあるものの、画力や隙間のストーリーの作りこみ、あるいはギャグが非常によくできていた。
以後の活動ではジャンプに連載作を持つ等、出世を果たしている。
どちらかと言えば作者による選出
漫画を論理的に考えて組み立てて作っている。後述のONE先生と共に裏サンデーのメンバーでバトンリレー漫画を作成した際に
どうにもならない?大風呂敷を何とか纏めたりするなど仕切りの面が有るが、Web漫画家は自由奔放だったり繊細な人が多いので顔役的な立ち回りは非常に重用されたことと考えられる。
以後の活動では、某たらこの漫画を描いてバズったりしているらしい。
新都社作品はアマ作品が多いのでどうしても商業誌に慣れている人からすると苦痛ともいえるほどの絵、MSペイントで描いたんか?みたいなものもある
ワンパンマン(ONE作画)についても1話は一般人には読むに耐えないようなものかと思われる。ただし、新都社においてはこのクオリティは高い側に属し、なによりストーリーが素晴らしかった。
当然アンパンマン系の二次創作については他にも多数あり、作画がこの時点で上回っていたものも他にあったが最終的に作画がつくことでメディアミックスも果たし、アニメの原作も複数担当するなど出世を果たした。
新都社作品の多くはストーリーは良いのに作画が商業誌が要求するラインに届かない/担保し続けられないため商業に乗れなかった人が多かったが、
原作としてつくことで花開いた新都社作家も多く、その先駆けともいえる。
スターシステムを活用し物語の奥深さを出している。作画/ストーリーどちらも申し分なく、その性癖を除けば万人受けすることだろう。
ただ、その性癖ゆえに売れている面もあるため、マーケティング的に仕方ないとも思う。
以後の活動では、メディアミックスや多くのアニメを送り出すなどしている。
作画カロリーを減らしながらもストーリーの1つ2つ捻った展開がその才能を感じさせた。
どうしても斜に構えがちなWeb漫画家はその掲載方法の故かストーリーが難解すぎたり破綻することも良くある、
しかし捻りがありつつもわかりやすいストーリー、明かされていく設定が他の作者にも学びがあったように思う。
以後の活動では、癖に全振りした異種族レビュアーズのヒットを出すなど精力的に活動している。
性癖が…とはいえ掲載している作品の数とコメント数から考えると同作者を挙げるのは必然である
また作品のクオリティは高く、丁寧な線から紡ぎだされる物語は非常にグロテスクな内容ながらも絵画を見ているかのような錯覚に陥る。
しかしながら感情に素手を突っ込み揺らすようなものもあり、その多彩な作画力はやはり癖のなせる業(ワザ/ゴウ)だと思われる。
個人的にはレギュレーション面で同先生の他作品だが、先生の作品として導入に見るのにはテンポの良い作品。
ジャンプのお家芸的な男の子大好きを集めたような作品。意外と正統派な作品が少ない新都社作者にとってこの作品の作画/ストーリーの影響は避けられないだろう。
その気になれば真似できそうな絵やストーリーだがきちんと読めるように落とし込んでおりクオリティが高い。
ヒロインを…というくだりを"シュミ"レーションした作品として類をあまり見なかった作品。Web漫画は作り直せる利点が他の作者にも影響があったと思える。私はどっちの結末も好き。
人狼系は一時期流行があり、現在においても類するものがあるが新都社でも本作品が光っていた
他にもたくさんありますがキリが無いので思い出したら追記します。
ランキングのトップの作品(侠,K)に関しても影響度はあると考えられるが、そのクオリティが評価されている面が強く
個人的には独自のストーリーと限られた画力でどういう風に見せていくのかというところが他作者への影響度に強く関係しているとみている。
Web漫画自体が結構独自色が強いものであるため、あまり影響軸で語るのは無理があるのかもしれない。
また歴史の部分を語ってしまうと新都社に対して裏サンデーやとなりのヤングジャンプ、ジャンプ+といった投稿する場の移行があるため
初期のころのメンバーくらいしか上げにくいという問題もある。つまり、2陣3陣目といったところが居ないためフォロワーみたいな観点で計測しにくい。
あと、改めてみたらやっぱり閉鎖してるものが多かったりして…無料HPサービスの閉鎖と共に消えた作品とかもあってなかなか悲しい
はやくよめよめ いのちあるうちに
小学生にシャーペンを使わせないことの説明がポストで流れてきてたけど、いかなるものにでも否定の理屈はある、という感想
ポストでは最初にメリットをあげてその後にデメリットを延々と書いて
延々部分が読むのめんどくさくなったから途中で閉じたけど、まぁたぶんそういう構造
理屈で説得してるテイをとってるけどこういうのはパワハラに近い
ロジハラか
誘導してるだけでメリットとデメリットの説明なんかじゃ全然ない
最後にどちらを取るか自由にさせてこその説明なんだけどこういうのは長々と説明をして選ばせるフリなんかさせずに強制させてしまえばいいんだよ
ようするに言う側のゴールってそこでしかないわけで
言う側のとってほしい行動を取らなかったら、もう一度説明しますけど〜みたいな流れになること必死
日本的な嫌なやり口
ふと思い出したので書いてみる。
彼女はいつもオドオドしていて、なのに変なところでスイッチが入って突然怒り狂うような人だった。
◯◯菌が感染るなんて扱いもされていた。
私は彼女と関わらないようにしていた。
ある日、彼女が筆記用具を忘れて困っていた。
みんな気が付いていたが、ヒソヒソと囁き合うだけで誰も助けようとはしなかった。
彼女の隣の席であった私は、筆箱に入っていた使い古しのシャーペンを彼女に渡した。
返さなくていい、とだけ伝えた。
彼女はお礼を言い、その後度々私に話しかけてきたが、それらは全て無視した。
彼女がいない場所で◯◯菌のついたシャーペンなんか返してもらいたくないでしょ、と笑った。
彼女の母親は、彼女が友達から何かをもらうのは初めてなのだといたく感激した様子だった。
正直に言って、気味が悪かった。
古いシャーペンを渡しただけでわざわざ母親からお礼の電話なんて。
なので、私はそれ以降も彼女に関わることはしなかった。
二年になり彼女とはクラスが変わり、その後彼女は不登校になったと聞いたが、私は別に何も思わなかったし、今の今まで思い出すこともなかった。
地方在住なのだが、今年の春ころから近くの地方市にAmazonの配送支援拠点(小規模なもの)が出来たらしく、Amazonの配送が基本Amazon直配になった。
これによって、近隣の倉庫から出荷の商品の場合、深夜3時ぐらいまでは当日着出荷の表示が発生するようになった。
が。
今履歴などを見てみたけど、23件ぐらい購入しているが、当日届いたものが3件ぐらいしかない。
後は結局翌日になっているし、なんなら翌々日以降の配達になっているものもあった。
配送状況を確認すると、確かに当日持出にはなるのだが、結局配達されないのである。そして持ち出されてから配達担当者の車で眠りにつくのか、忘れられるのか、さらに翌々日などに配達されるケースも続出した。
いいんだよ。多少配達に問題があっても(※)別に早くなくてもいいのだ。翌日配送だって十分に早いから。でもね、ただそうやって予定されるとこちらも予定通りに来るもんだと思ってるから、困ることもあった。
いい加減苦情いれないとかな、どうしたもんかなと思っていたのだが、6月に入ってからだろうか、再び配送がヤマト運輸に戻った。そして、安定的に配達されるようになった。
ありがたい事である。やっぱり体勢的に無理があるという事になったのだろうか。他でも似た事例が続発して苦情が来たのだろうか。
ただ、不思議なことに、深夜3時ぐらいまで当日配送表示になっているのは変わらずである。
これで注文するとヤマト運輸が持って来るけれどもちゃんと到着するようになった。
これが出来るなら、Amazon配送ってやっぱり消費者にメリット無いんじゃないか?
そう思いながら、シャーペンの芯とか配送料入れると絶対赤字になるものだけをAmazonで購入し、それ以外は基本ヨドバシで買うという生活を続けている。
そのペンを使わないと国家間でのやりとりの証明にならないですと言われたら普通に100万は払わざるを得ないんじゃねえの
この契約は100万ドルで行われるんですけど、この一本1万ドルのペンを使ってペンも一緒に保持しておいてもらわないと契約者としての証明にならないのです。1万ドルですから日本円にして100万円ですので今回の契約が済みましたら契約時に書かれたお客様の口座から私共の口座に100万円振り込まれることになっております。
ってやっておけば契約中に『お、コイツ今のドルが何円なのかわかってないのに契約してやがるな』って勝手に察して100万円ぐらい払ってくれるだろ。
こういうのってそういう『これぐらいの金を軽く思える人間に難なく支払わせる能力』を問われてる訳でそれ自体が詐欺臭くなろうがどうでもいいんだよな
これがペンじゃなくて印鑑だとしたらもっとわかりやすい訳でそれの使用料が100万円ですって言われても有り難く使わせてもらうことになるだろ。
100万円じゃなくて10万円でも1万円でも千円でも百円でも十円、一円でも一緒。
それは高い!じゃなくて数値というハードルをどのようにして乗り越えるかを問われたのなら、ちゃんと柔軟性を持って解答しろって言われてるだけに過ぎないんだよな。
それが詐欺だとかの賢い話がしたいなら『そしてこの百万円のペンをご購入されたお客様にはなんと総額100万円以上もの特典がございます』って言われたら黙るしかなくなる。
本当に現実が見えていない人が『いや、大谷翔平のペンじゃないじゃん』とか言っている。
というかそんなお話をした人に対しても『お前の月収が100万とかなら払うじゃろ』という追加された前提を無視している。
因みに俺は月収100万でも大谷翔平が使ってたであろうペンに100万円を支払う気は起きない。
ただこれが1000円とかなら『まぁそれぐらいの付加価値は付くかな?』という勘違いを起こす。
あの成金の爺さんはその勘違いやネームバリューのことを指してそこの振り幅を大きくしただけにすぎない。
女が目立つだけの商売が天下取ってるような日本で現実の話をされてもアホじゃないのとしか言われないのだ。
実用性とかいう購入してから一年ぐらいで賞味期限が切れるものに月収分消費しかける人達に言われても『鏡を見て話したら?』と言われるのだ。ましてや24回払い48回払いでもしてない限りは使えないサービスを使ってる人達が言うだなんて。
賢いというのは本質を忘れないところにある。
我々はもうすでに大谷翔平のシャーペンに100万円を支払っており、その価値があるかないかを問おうと考える前からそのペンを使って隠れて素振りをしているのが我々なのだ。
数年前にYouTubeで``不登校少年革命家``として活動を行い、多くの議論を引き起こしたゆたぼん。
YouTubeのコメント欄は常にゆたぼんに対する中傷、そして彼の後ろに見え隠れする父親の方針に対する批判で溢れかえっていた。
自分はゆたぼんとタメだ。
ゆたぼんが嫌いで、ゆたぼんアンチをやっていた。「学校行けよアホ」、「そんなんで碌な大人にならねえよ」みたいなコメントをずっと送っていた。
ゆたぼん当時小5、自分も小5。自分がゆたぼんに送ったコメントは全部自分に返ってくるもので。
どんなにアンチが付いてもそのアンチを挑発するような動画を投稿するゆたぼんの無敵さにイライラしていた。
中一の春、世間がゆたぼんを忘れ始めた頃。自分もゆたぼんなんかすっかり忘れていた。
平日の3時。学校のチャイムが風に乗り家にまで聞こえ、焦燥感に包まれる。
ゆたぼんが嫌いだった。 自分はずっと不登校をやめたかった。やめどきが分からなくなって、友達もいなくなって、学校への行き方が分からなかった。
自信満々に不登校をやってるゆたぼんが嫌いだった。
時は流れ、ゆたぼんが「通わない、制服も買っていない」と宣言していた中学校に登校し始めた。 Twitterでは父親に対して反抗的な態度を取る投稿をしていた。(これはネタなのか分からない)
自分も中二の後半に入ってから、学校の先生の支えもあって学校に登校するようになった。
ゆたぼんが話題になる少し前から不登校だった自分は4.5年ぶりに教室で他の生徒と授業を受け、給食を食べた。
久しぶりにまともに通った学校は、友達もいないし、図工はなかったし、自分以外大学ノートとシャーペンを使っていたけど ``学校に行けた自分``が只々嬉しかった。
そして今年、2024年春。
ゆたぼんはここ最近、公立高校一般入試に向けたツイートを行っていた。
悲しいとか、ゆたぼんアンチをやってた身が言うのはエゴすぎる。だから何も言わない。
ゆたぼんなら、大丈夫だと思う。
小学校六年、中学三年の義務教育が終わった。 不登校になって、ゆたぼんアンチになって、不登校をやめ、中学に通いだして。
思えば自分が不登校になってからの4,5年間、ゆたぼんと共に成長してきた。
色が塗れない。正確には、前のように色が塗れなくなった。
高校生の頃は時間があり、暇な時間さえあれば絵を描いていた。電子機器を授業で使うことも多い学校だったから、iPadを学校に持っていっても浮かずに絵が描けて、今思えばとんでもなく恵まれた環境だったんだと思う。
ある程度絵柄が確立してからは厚塗りばかり(どころか厚塗りしか)やっていなかったから、さらっとシャーペンで描くよりはもうデジタルでまっさらな状態に色をぶちまけて描く方が楽しかったし、補色だろうがなんだろうが使いこなせていたはずだ。
肌色に灰色を置いて、オレンジやら水色やら紫色やらで影を塗って、差し色を置いてみたいな事が、何も考えずにできていた。
それが今、高校を卒業して早数年めっきり絵を描く時間が消えた。それと同時に当時あったはずの色彩感覚はミソッカス程度にしか残っておらず、パレットを前にして筆が迷いまくるようになってしまった。
絵が描けて、その中でも特に色塗りは多くの人に褒められるぐらい得意であったはずなのに、それが唯一の自分の取り柄であったはずなのに、もうできないのが辛い。
やっぱり美大に行くべきだったんだろうか。でも美大は美大でまず入るのも難しく、学費も高い。美大に行けば解決した問題でも無かったような気がするし、行ったら行ったで自分よりももっと色塗りの上手い人に出会って挫折をしてたのだと思う。
どうやったら当時の感覚を思い出せるのだろう。色塗りが本当に好きで、カラーパレットを作るだけでワクワクしてた頃には戻れないんだろうか。絵が描けない。色が塗れない。
今まで忘れたり失くしたりしそうという理由で定期券をモバイルSuicaにしていたが、期限が切れたのをきっかけにICカードにしてみた
家から駅までは自転車で片道20分程度なのでちょっとしんどかったし、家を出たのがギリギリだったので遅刻が確定してしまった
ここで筆記用具も忘れたことに気が付いたので、乗り換えの待ち時間で一旦改札を出てシャーペンを買った
各場所5回くらい探してもない
どうやら改札内で落としたらしい
逆方向の電車に乗り直して、ふとポケットに手を入れると定期券が出てきた
ちゃんと探したはずのポケットから出てきて本当に意味がわからなくて半泣きになった
双眼鏡 最強
モンスター倒しに行くんか
そうめん 茹で方
沸騰したお湯入れる以外に何があるんだよ。そんなことで不安になるな。大丈夫。おまえならやれる
ゲンゴロウ どこにいる
子供の頃しょっちゅう捕まえていたけど、今は絶滅危惧II類に分類されている。ヤバ。おまえそんなにいないんか……
宝くじ 当たる
当たる。宝くじは当たる。ただそれを検索しても何の意味が無い。今すぐにやめよう
梅干し純 どこに売ってる
中学生の時が一番文房具気にしていた様な気がする。中学生に人気なシャーペンはゼブラデルガードだった。306円。安い。中学生でもお求めやすい
わかるよ。人生に意味を求めている時って、こういうの検索しちゃうような。でも人生に意味もへったくれもないんだ。人生はただそこにあるだけ
銃の本体と言ったら普通弾じゃなくて撃ち出す方を指すと思う。シャーペンの本体も替え芯ではなくてペンの方だろうし、アイコスもスティックではなく機械の方を指すと思う。
消耗品ではなかったり、サイズ的に主従関係の主の方にありそうな部分を本体って呼ぶんだと思う。
銃本体だけがあっても鈍器にしかならない。銃弾さえあれば、専用の銃がなくとも筒と釘と石でもあれば撃ち出せるらしい。シャーペンだって最悪芯を指でつまめば筆記具になるけれど、ペンだけでは何の役にも立たない。アイコスだってただのヒーターで、肝心なのはタバコ葉の方だ。
主人公はむしろ消耗品の方と言ってもいいのに、手元に残り続ける方が得てして本体と呼ばれ大事にされるのにほんのりと違和感を覚える。
シャー芯とシャーペン、鉄砲弾と拳銃、フィルムとカメラ。「本体」は前者で、「消耗品/付属品」は後者に見える。
シャー芯は言わずもがな、単体でもつまめば文字は書ける。弾だって筒に入れてトンカチで叩けば撃てる(らしい?)。フィルムだって最悪専用のカメラがなくても映像を焼き付ける事は出来る。
逆に「本体」だけあっても目的は全く果たされず、ただの文鎮と化す。「本体」だと思われがちなものは、むしろ最終的な目的に向けた補助器具でしかなかったりもする。
シャーペンがなくてもシャー芯で文字は書ける。(専用の)銃がなくたって銃弾は飛ぶ。
だったら肝心要なというか、最終的な機能に作用する部分を「本体」と呼んだって良いんじゃないかすら思う。
でもそれらは使い捨てであったり操作する手元から離れた所にあったりで、どこか軽んじられてる節があるかもしれない。身体の拡張が云々とか、そういう話をしてる哲学で既に言及されてたりするんだろうか。
得てして補助器具に過ぎない「本体」の方に心血が注がれる事も少なくない。
高いカメラを買い漁る人は珍しくもないけれど、本体もそこそこにフィルムの性能に対して徹底的なこだわりを見せるという人はお目にかかったことがない。
このボールペンは良いですよ。書き心地が実に素晴らしい。
なんて高価な文具のセールストークがあったとして、おれは少し違和感を抱く。
確かに操作性、握り心地というのは無視出来ない。無視できないが、ペン先の引っかかりやインクのノリいった筆記具としての重大要素は消耗品である軸が担っている。
軸は消耗品、ある意味独立した存在であって、本体の魅力の説明に含むのには少々違和感がある。汎用の軸でどのボールペンにも適合するというのなら尚更だ。
こういうのってなんか不思議というか、面白いなって思う。別にあってもなくてもいいようなブルシットジョブの方が実入りは良くて、いわゆるエッセンシャルワークの方が無きものにされがちみたいな話とちょっと似てるかもしれないなって思う。なくても困らないにしたって、あった方が心は豊かになるかもしれんしね。ならないかもしれんけど。