はてなキーワード: シェルターとは
本当それ。シコ豚オタクは本来はフェミにも思想にも興味無いので。
フェミが貧困JKの支援やDV被害者女性のシェルターのような、萌え絵燃やすことなんぞより、遥かに緊急度の高い問題にだけ取り組んでいればオタクは敵に回らんだろうに。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
備えあればうれしいな、コロナでないないと思われていた地球規模のパンデミックが実現したことで、その他の緊急事態についても考え始めた。半分好奇心、残り半分は「ゾンビが来たらこうっ」って類の妄想用。日本政府の核への対応策が知りたくなって調べて、呆れるほど情報が出てこなくて愕然とした、という話。以下本文。
「核攻撃に備えて国民はどうすればいいのか」と気になって「核攻撃 go.up」と検索した
・屋内に逃げろ
・しゃがめ
ぐらいの情報しか手に入らなかった。着弾後、運良く生き残ったとしてどうすればいいのか、という情報は書いていない。そのまま屋内に居続ければいいのか、近くの避難所に向かえばいいのか、非常事態においてどこから情報を入手すればいいのか、などさっぱりわからなかった。
日本の地理や、国際情勢を考えても核攻撃される可能性は低いかもしれないが、それでも全く核攻撃に関する国民向けの情報が出てこないとは驚く。
突然の警報、光、爆風、熱、破壊された街並み。そのあと国民はどうすればいいのか?戦争か?災害か?事故か?放射能やバイオテロは?乏しい情報と混乱のさなかにどうすればいいのかーーそういった情報が一切ない。起きてから伝えればいいという考えなのだろうか?
日本の著しく低い核シェルター普及率はまあいい。俺もそんなものに備えられるよりは、生活保護にあててくれた方が嬉しい。が、日頃から核に備えてシェルターを用意しないのはいいとして、核に備えて何をすればいいかの情報ぐらい出して欲しい。
・どこに避難すべきか
・何を備蓄すべきか
・いつまで屋内にいればいいのか
・水や食料がなくなったらどうすればいいのか
まあ核が落ちてから出来ることなんかないだろうし、諦めて死ねということかもしれないが……。しかし爆心地から遠い地域も存在するわけで、核が落ちても生き残る人は確実に存在するのだ。日本政府の管轄外なのだろうか……。
なんにせよ政府を信頼し過ぎていた。日本政府のことなら、核が落ちた時どうすればいいかぐらい教えてくれているのだろうと。どっかの偉い人たちはあらゆる有事に備えて考えていてくれているのだろうと……。「自己防衛、国なんか当てにしちゃダメ」彼のいう通りであった。
一応、その後の検索によって原発が設置された各都道府県が作った「原子力災害のてびき」に辿り着いた。一応、政府の声明としての「原子力災害が起きた国民は時どうすればいいか」がどのようであるかはわかった。もちろん核兵器ではなく原発事故を想定したものであるし、情報量は少なすぎるが……。安定化ヨウ素剤の配布などは、原子力災害時に原子力規制委員会行うそうだ。原発に限定はされてはいなかったし、核兵器の場合もそこらへんが動くのだろうか。他の組織も既存の災害マニュアルに準じて行動するのだろうな。特別、核兵器に対する備えというのはないらしい。
ともかく、今の日本では基本的に核は落ちないものか落ちたら諦めるものとして想定されていて、それに関して「国民が知っておくべきことは特にない」ってことだろう。
そういえば、調べている途中に見つけた
まず、せめて誘拐という言葉の意味位は調べた方がいいのではないか。刑法まで見なくてもいいので、辞書で。
《名・ス他》人をだまして誘い出すこと、連れて行くこと。かどわかすこと。
「―事件」
冒頭に挙げられているツイッターのメッセージは嘘偽りなく真実であれば、「誘拐」として刑事罰の対象にするのは難しいかもしれない(ただ、ツイッターで見ず知らずの家で少年にそういった安易なメッセージを送る人間が単純な善意だとは私には信じがたい。)。また、仮想事例で言えば(これも荒唐無稽に近いが)本当に押し掛けてきた未成年者が自分の意志で家に入ったのであれば、誘拐とはいいがたいだろう。但し、そのあと帰らせなかったり、親権者との関係調整のための動きを何もしなければ、民事・刑事上の違法行為にはなるだろうが。
元増田は意図的に無視しているのかわからないが、こういった「家出少女」に対してうちへ来い等と連絡をする人間の大半はわいせつ目的であり、あるいは、性風俗で働かせるための労働力の確保の目的である。通常は、見ず知らずの他人を理由なく信じさせるよりは、様々な危険もあり得たことを教えることが先決だろう。しかも、おそらく同様の前科がある人間からの接触だったのであれば、少女が身を守るために何に気を付けるべきかがよくわかる格好の事例としか言いようがない。
そもそも、刑法を読まず、辞書も調べない人たちにも広く知られているように、未成年者に対しては、親権者の保護が広く及んでいるため、本当に行き場のない少年・少女を救いたいのであれば、しっかりと法律の枠組みで対応することが不可欠となる。そんなことも考えずにただの「善意」で人助けをしようとする人間が存在するとして、そのような人間に見ず知らずの未成年者を保護できる能力などあるのだろうか。親から単に逃げて、それだけで全てが物事がうまくいくようになると思わせたのであれば、そういった甘言だけでも「誘拐」の騙す行為に当たり得るだろう。
と元増田は言うが、匿われるべき理由がある人がいて、正当な手続きを踏めば、その人が避難できる公的システムは存在している。私的に「匿う」行為を安易に容認すれば、そこに公的な手段でアクセスすることは難しくなるし、実際、保護活動をするNPO等の人たちの何倍もいる卑劣な大人たちの手によって、見えないところで多くの少年少女が食い物にされている現実がある。確かに、公的な手続きは子どもたちにはつらい側面もある(例えば、通常、シェルターや保護施設ではスマホは使えないだろう。また、逃げてきた親なりと一定程度向き合って自分の人生を考える必要もある。)、そういうことを嫌って、公的ルートに乗ろうとせず、零れ落ちていく子もたくさんいる。しかし、それは、その子たちを守るためのやむを得ない面があり、子犬でも拾うように人間を拾ってくれば守ることができると考えるような人間を増やすことで解決できる問題ではないだろう。卑劣な大人たちに食い物にされる子どもを一人でも減らそうと懸命に努力されている人たちの活動を見た上で、元増田の反応はあんまりではないだろうか。
アオダイショウ、13歳
もう13年ほど飼っていて、毎年冬眠させているのだけど、冬眠中はずっと外に置いていて、雪が積もった日があっても春には元気に出てきていた
でも今年、年明けからとんでもない寒気で日中も氷点下の状態が3、4日続いた
これだけ寒さが続いた日は、私自身の人生経験でも初めてだったかもしれない
いま思えば少し温度が下がりすぎない場所に移すなどしなければならなかった
でもここ10年一度もそういうことをしないでも生きていたんだよ
シェルター外に出ていて動かない
死んでいるのだと思う
冬眠中に変に室内に移すなどしても問題になるかもしれないと思うとなかなか動かせなかっt
氷点下になる日移すべき、ちょうど4度前後くらいでなる場所ってどこなんだろう
冷蔵庫?
後半の合唱が、美少女の声でもなく、デスメタ風のオッサン達の声でもなく、普通の人たちの声なんだよ……
なぜならエロゲは現実から逃避する手段として当時の人々が必死に作ったエスケープゾーンだから
そんな作品のオオトリでいきなり現実に引き戻すような合唱なんてありえない
でも天気の子は一般商業作品で大衆向けで作られてるからこういったガヤガヤとした歌でも違和感がない
エロゲという空の上に浮かぶ不思議な世界に囚われていた文化が地上へと帰還する物語なんだ
それでも個々人の心のなかにある大切な何かは生きていく
あれはね……エロゲがなければ首をつっていたかも知れないヲタク達に向けた卒業式だったんだよ
現実へと帰っていくヲタクを送り出す歌がグランド(雄大なる)エスケープ(放免)だったんだ
終わったんだぞって
何かの班分けで男比率が高くなると「むさ苦しいチーム」という評価になる
「男が脱いで誰が喜ぶんだよw」みたいな評価がそのへんに溢れかえっている
野郎はどうでもいい、雑草みたいにしぶといんだからほっといてもOKだろ、的な価値観が蔓延っている
モテないどころかうっすら気持ち悪がられるのがどちらかというとデフォルト
女が間違って男子更衣室に入ったら「汚いものを見てしまってかわいそう」「仕方ない」
疲れてボーっとしつつ電車に乗り込んだら、周りが女性ばっかりでなんとなく異常なものを見るような目で見られている なんや?と思って周りを見渡すと、壁に踊る「女性専用車両」の文字 俺は男という生まれつきの性犯罪者予備軍なので、たとえ気付かなかったとはいえシェルターである女性専用車両に入ってしまったのは恥ずべきことだ あわてて頭を下げながら隣の車両に移動した
はいこれ貼っとく。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
とりあえず専用車両やシェルター的なものは色々議論があるとしても、コミュニティやサービスについて片方の性限定にするのは女性の方が圧倒的に多い現象はあると思う。なんというか、社会的に抵抗ない空気は生まれてるだろうね。(専用にする必要がないサービスで)男専用の何かやろうとしたらそれこそ炎上覚悟でないとできないけど。
個人的には税金の入ってない営利のサービスなんかは好きにすりゃいいと思うけど、そういうものも男性専用だと文句言うミサンドリストはいるくせに、女性専用は許される空気になってるの、社会のクソ矛盾だよね。
一日の終わりにはできるだけ目を使わないようにしようと思った。
目が覚めてから寝るまで、常に何かを注意して見ている。スマートフォンやタブレットが生活の中に入り込んで来てから、画面を見て何かを読むのをやめられなくなっている。人間は視覚を好むと言っていたのはアリストテレスだったか。大学で哲学の授業に出たのはだいぶ前のことだからうろ覚えだが、現代人は視覚を好みすぎて酷使しているような気もする。
仕事帰りに新宿の西口でラーメンを食べた後、ヨドバシカメラに寄って、小さなラジオを買ってきた。ラジオしか聴けないようにするためにラジオが欲しかった。
ベッドに入って電気を消し、ラジオの電源を入れる。小さな液晶にオレンジ色の光が灯り、周波数を表示する。ダイヤルを回すと、ザーッという音が聞こえる。
そういえば、番組と番組のあいだ、周波数と周波数のあいだには、意味をなさない、あるいは意味を読み取れない雑音の海があった。アプリで文字や画像をタップするといつも目的のコンテンツに一瞬でたどり着くことに最近はすっかり慣れていたから、そんなことも忘れていた。
ダイヤルを回し続けると、雑音は不意に音楽に変わる。この、無秩序から秩序への移行を一瞬に知覚する時の感じも、ずっと忘れていたことが信じられない。
ボサノバの旋律が、やけに遠くから聞こえてくる。チェーン店のカフェでお昼を食べるときに天井から降ってくる、ありきたりで空疎な環境音のボサノバ。それが今はどこか遠くから、大切に、丁寧にこの小さな箱まで届けられた音楽のように聞こえる。これはきっと、もともとはそういう音楽だったのだという気さえしてくる。
音量のツマミを回して次第に音を小さくすると、かなり小さな音でも音楽や人の声は識別できることに気づく。スピーカーに耳をつけてようやく聞こえる程度でもそれはさほど変わらないことにも。暗くした部屋でラジオの微かな音に耳をすませていると、落ち着く。
音楽よりも好きなのは、天気予報だ。各地の天気や気温をアナウンサーが静かに読み上げていくのを聞いていると、ただ時間が経っていくのを感じられるというか、なんだか豊かな気持ちになる。さらに好きなのは各地の気圧で、ヘクトパスカルがただ読み上げられていくのに暗闇で聴き入っていると、世界はすでに戦争で滅びかけ、自分はシェルターで生き延び、よく知らない政府の発表に立ち会っているかのような、何かに包み込まれた不思議な隔離感がある。
感じられている暗さが室内の暗さなのか、まぶたを閉じているときの暗さなのか、音の途切れは電波のせいなのか、自分の意識が飛び飛びになってきているせいなのか、もうわからなくなってきたら、ツマミを回し、音を完全に消す。
久しぶりに、薬を飲まずに眠ることができた。
保護猫の里親がどうのこうのっていう話題から、なんか違和感があって仕方がない。
人間の児童に対する「里親」は、実親の元へ復帰できるまでか、18歳になるまでの期間限定で養育することを指すよね。
動物の場合は「保護された動物を飼養する目的で引き取る者のこと」でいいの?
それって、「里親」じゃなくて「引き取り手」って言えば良くない?
「里親」って言われると、一定程度成長するまで飼養して、トイレなどの基本的なしつけを正式な飼い主が引き取るまでに身につけさせる人のことを言うのかと思ってた。
それなら確かに、条件として諸々求められるのは当たり前だと思う。人に慣れる必要があるし、食事やしつけを安定して提供しなきゃいけないし。
ただし、諸々の条件に合ったとしても、万が一ということはあり得るので、その時は保護施設がフォローする体制があるのかと思ってた。
でも、ネットでいくつか見てみたけど、どうも単なる引き取り手を「里親」と言ってる模様。
で、その「引き取り手」に対して諸々の条件を課している。
あのさぁ……その条件に合致するのがこの日本にどれくらいいると思ってるの?
そんなガチガチなことやってて、動物の保護活動は破綻しないの?
保護動物を多数引き取ってくれる裕福なご家庭があったとして、そこの一家が事故とかで飼うことができなくなったときはどうするの?
保護シェルターのキャパが全然余裕なら何の問題もないけど、そうじゃないんでしょ?
それなら、ガチガチの条件に合わなくても引き取り手として認めておいて、どうしても無理ということであればそのときにフォローするとか、もしくは、万が一の時のための保証人を設定するとかすればいいんじゃないか?
うちにも猫がいる。10年ほど前に、保護施設から引き取った子だ。一家全員で可愛がってる。
でも、「保護猫の里親になれる人の条件」でググったら、うちはその条件に合致しないんだ。
夫婦共働きと子供1人で、日中は仕事と通学で不在となるので、アウト。日中は一人でも家にいなきゃいけないんだって。
でもさ、うちの猫さん、気ままに過ごしてるみたいなんだよね。
トイレ掃除も朝と夜しかできないから、その点は申し訳ないと思う。
無責任な飼い主や虐待する飼い主とかはいなくなればいいと思うよ。でも、むやみに飼い主の条件を厳しくしても、いいことないと思うんだけどな。
たくさんの人が、気軽にお互いにフォローしあう仕組みを作れればいいのに。
そういえば、この子を引き取るとき、1週間くらいお試しをお願いしますって言われたな。
飼ってはみたものの、やっぱり無理ってなることもあるからって。
そーゆーのないのが普通なの?
・シェルターになる
性被害経験とかを持つ人がある程度安心できる空間があるというのは大きい
・ムカつく
この前出張帰りに「もう一歩も歩きたくねえ〜」と思いながら電車並んでたら、ちょうどそこが女性専用車両の乗り口だった。思わず舌打ちしそうになった。男に生まれたってだけで何故公共交通機関の使用を堂々と制限されないといけないのか?
こういう経験が何回かあって、悪いのは痴漢だとはわかってるはずなんだが女へのうっすらとしたヘイトが毎回溜まる。
俺みたいな奴が理不尽に怒りを感じ、女への憎悪を持つようになる。女に生まれたってだけでなぜバカ男に憎まれないといけないのか?
・女ヘイトの支え
フェミニズム系の議論において「でも女さんには女性専用車両があるじゃん」というのは強力な心の支えになっている気がする。はっきりした男性差別案件が日常生活に密接した形であるせいで「女性ばかりが抑圧されている」という意見にノりにくくなっている。
・めんどくさい
絶対やめたほうがいいよ
こっちとしても助かる