はてなキーワード: 証明書とは
以下は一般の方向けの解説です。「源しずか」が結婚して「野比しずか」になったとします。
「研究者の名前」=「論文に記載する名前」 です。漫画家や小説家のペンネームと考えるとわかりやすいでしょう。
結婚したしずかちゃんの選択肢は『業績リセットして本名(野比しずか)で再スタート』、『旧姓(源しずか)を無理矢理継続』の2つです。多くの人は後者を選択しています。しかしこの場合、例えば以下のような状況に直面して困ることになります
「源しずか」の申請した科研費を使って「野比しずか」の出張費(航空券代とホテル代)を支払った。しかも「源しずか」は日本に存在しない上、「野比しずか」は研究所に存在しないことがわかった
米国の研究所に出張することになった。入国審査において Invitation letter は「S. Minamoto」、パスポートは「Sizuka Nobi」。さあどうする?
研究者にとってかなり怖い状況です。前者は研究不正の疑いをかけられるかもしれませんし、後者はスパイやテロリストを疑われるかもしれません。
(これはジョークではありません。この辺りは分野によって違うのかもしれませんが、少なくとも僕の分野は非常に厳しいです)
最もセキュリティの厳しいのは米国の研究所です。僕の知っている研究所は
といった流れになります。ここで問題になるのは(2)の入国審査です。
Invitation letter は「S. Minamoto」でパスポートは「Sizuka Nobi」
といった状況になります。偽名と疑われるかもしれません。ただでさえ「お前核兵器開発しているだろ」「してねーよ」で毎度揉めるのにこれ以上のトラブルは避けたい。
以下のPDFに従って必要書類を準備し、通るまで食い下がりましょう。
ここで作った両姓併記のパスポートがほぼ唯一の身分証明書になります。また、以下の回避策でも必要になります。
研究者番号で管理されているからです。かつては揉めたそうですが、先人達の努力により現在ではまずトラブルになりません。大変ありがたい事です。
という部分ですが、上記の両名併記のパスポートを取得していれば、航空券もホテルも「源しずか」で予約する事ができるようになります。
はじめに謝っておく。
すまなかった。
最強超絶面白マンガベスト100などといったものは最初から用意していない。
なぜなら、そんなものは今まで存在しえなかったし、これからも存在しえないからだ。
俺たちが作るベスト100リストはいつだって嘘にあふれていた。見栄があった。見識不足や視野狭窄の証明書だった。プリントアウトして医者までもってゆけば、相応のお薬と交換さえしてもらえることだろう。
マンガはその面白さ、あるいは偉大さを証明する固有の体系を持たない。だからマンガという分野の側からのアプローチは不可能に近い。よって、リスト製作者個人の主観に頼るしかなくなる。それが悲劇なんです。
多くの場合、そのようなリストに意味は無い。なぜなら、あなたはその人を知らない。会うのは初めてだ。たとえば、カフェでたまたま相席になった人が聞きもしないのにお勧めのエロ漫画を勧めてきたとする。そのときにわかるのは良いエロ漫画の存在ではない。見知らぬ誰かの性癖だ。スカトロ趣味、熟女マニア、LO読者、それらはあなたに関係ない。あなたは自分の所持している MacBook Air の USB ポートと毎晩ファックしている。
あなたは事前に「そのリストを作っている人物は誰か」を知っておく必要がある。
そうでない人の作るリストなど、単に自分の知っているタイトルとの一致を見つける冷たいゲームにすぎない。
また謝っておく。
すまない、実は嘘をついていた。
まだぼんやりとして形をなしていないかもしれないが、しかしそれは確実に存在する。
どうやって確認すればいい?
貯金箱をひっくりかえせ。
頭がどの方向に向いていようとかまわないが、両足はその一帯で最大の品揃えを誇る書店へと向けておけ。
あるいはブックオフでもいい。
書店に入ったら、これまで自分が培ってきた漫画に関する知識と審美眼と勘をフル動員させろ。
作者名にかかった実績と、うろおぼえの知識と、表紙絵だけで判断しろ。
テーブルに乗せる賭金は一冊につき、高くてもせいぜい千円程度だ。分の悪い賭じゃない。
おまえの頭を使え。おまえの眼を使え。おまえの金を使え。おまえの時間を投資しろ。
面白い漫画を教えてくれる人間などネットにいない。アフィ料目当てのクソどもか、バカの一つ覚えみたいに『寄生獣』を連呼するしか能のないねらーかしか棲息していない。
漫画ごときにそんな金も労力も使う余裕などないと言うのだったら、人生をあきらめろ。ただテレビの前で座ってるだけで何かに値するものを知らない誰かがお前の口に運んできてくれる時代は三十年前に終わった。気づいていたか? 気づいていないのなら幸せだ。おそらくお前の欲求は、毎月アフタヌーンを買うか、毎週モーニングを買うかのいずれかで満たされる。リストなど必要ない。
おまえの人生に、面白漫画ベスト100リストなど必要ないと気づいたのはいつだ?
いつからおまえはそんなに自分に対して上手に嘘がつけるようになった?
おまえは書店に行っても何も見つけられない。
それを取り戻したいのなら。それでもまだ人間でいたいのなら。
心を保て。
漫画、映画、小説、演劇、落語、その他ありとあらゆる人間的な生活。
そのとき、そこに載ってある一冊一作、すべてをおまえは思い出せる。
読んだという記憶を確かにできる。
生きているという証を立てることができる。
かつて、私が勤めてたところ、
もう、その会社潰れちゃったけど
フリーペーパーも発行しようってなったの。
そのこと、今朝にフリーペーパーもらって思い出したんだけど、
やっぱり、どこもネタに困ってるらしくって
あれって、正直美味しいとか美味しくないとかじゃなく
それ、本当に多くの数を配ってるの?って疑われて、
印刷所に、発行部数証明書みたいな書類も作って出してもらったのよ、
そんな、書類ほんと初めて見たわ。
その会社、どんだけ信じられてなかったのよ!って思ったわ。
まあ、潰れちゃったんだけどね、その会社。
なんか最近甘い物づいちゃって、
こういうの好きだわ。
秋から冬にかけては、
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
ベビーカーの赤ちゃんが殴られるという痛ましい事件が起きて、一般の人たちは驚いたり不安になったりしたと思う
俺は市役所に勤めているんだが、その目線から見ると「こういう事件はありうる」と思った
市役所なんて普通の人は引越しするときぐらいしか来ない場所だろうが、そんな場所でも「常連さん」はいる
日常に必要な手続きとか証明書などの用事があって来る人、ただ暇つぶしに来る人、あとは日ごろの鬱憤を晴らしに来る人だ
いわゆる「普通の人」は市役所をすごく安全な場所だと思っているのか、子供さんを連れている人は老いも若いも男も女も、たいてい自由にさせている
ロビーを走り回っている子どもや、床に座り込んでいる子どもなど、市役所でもそうだが、広い病院などでも見たことがあると思う
俺はいつもはらはらしてそれらを見ている
職員に当り散らして行くだけなら別にいい
大声で叫びながら、鉢植えや壁を蹴っ飛ばして行く客なんかもいる
それが他の利用客に向く可能性を考えると本当に怖いんだ
だからと言って市役所は公共施設なので民間のスーパーみたいに出入り禁止にするとかそういうことはできない
そういう「お客様」がいるのに、役所を安全だと思い込んで子どもを好きにさせ、ほったらかしのまま窓口で書類を作っている大人は大勢いる
怖い、怖いよ
なにかあったら遅いよ
市役所や病院はキチガイの客がいっぱいいるから決して安全じゃないよ
悪気があるやつもいるし、悪気がないまま手を出してしまうかもしれない障がい者もいる
あとは、杖をついて歩いている善良な老人にも気をつけて欲しい
子どもは周囲を注意しながら走り回っているわけじゃないから、狭い役所でよぼよぼの老人とぶつかるかもしれない
そんなことになったら大惨事だ
小さい子どもがいる母親は普通の女性よりも役所を利用する機会が多いだろうから、本当に気をつけて欲しい
もちろん気をつけていると思うけど、役所でも、店や駅と同じようにしていて欲しい
http://anond.hatelabo.jp/20150711002502
昨日このエントリを書いたが、一つとても重大な不満を忘れていた。
既に何人もの人が書いてくれている通り、「自転車」は京都市内において最強の移動ツールである。
街には南北の非常に緩やかな傾斜がある程度で目立った坂はなく、渋滞に巻き込まれることもない。
外国人観光客が家族でレンタサイクルを使って観光している姿はもはや見慣れた光景である。
http://travel.cnn.com/explorations/play/asias-most-bike-friendly-cities-982373
このような記事も存在する程度には自転車の利便性が高い都市なのだ。
残念ながら日本人観光客には一種の公共交通信奉があるのか、あまり乗っていないように思えるが。
それはともかく、この自転車と言う移動ツールを行政側が疎んじているようにしか思えないのが京都市だ。
四条通や河原町通の繁華街部分では自転車通行が禁止されているし、その周辺の駐輪場は日中ほとんど常に埋まっている。
駐輪場が埋まっているからといってその辺りに停めてはいけない。瞬く間に撤去されて受け取る際には2300円が徴収されるのだ。
ちなみに僕が知る限り、とある撤去自転車受け取り場所には支払証明書の券売機が2台設置されているが1台は全く使われていない。
民間駐輪場も増えてきてはいるものの街中では全く足りていない。
「料金がかかっても停めたい」という人も停められないのが現状である。
しかし京都市は今年7月1日より「自転車撤去強化区域」の範囲を市内ほぼ全域に拡大した。
京都市建設局自転車政策課曰く、「マナーが先、駐輪場整備はそれから」だそうだ。
なかなか笑わせてくれる。
河原町御池で、烏丸今出川で、有料駐輪場に停めようとして停められなかった自転車がどれだけあるか。彼らは知っているのだろうか。
どうにもならない交通事情をなんとか成り立たせているのが自転車の自由度だというのになぜ自転車の使用を萎縮させるような政策を取るのか疑問で仕方がない。
念の為に言うが京都にはとても愛着がある。不便以上に得るものがある場所であることは間違いない。
歴史や文化といった観光的な面ももちろんそうだが、いかにも日本的な組織絶対主義と一線を画す社会こそ何よりも体験に値すると思う(異論は認める)。
日本政府が出展しないような旅行博覧会への独自出展や産官学連携の分厚さなど、京都市の戦略性には感心する部分が多い。
だからこそ、この点で不満は大いに募る。
相手の名前を刺青で刻むなどといった方法もあるが、それら全体を含めて両者の意見が完全に一致した現状と今後の一致について原則的な契約があることを他者に証明するのは証明書などもない関係上、式によって公知するしかない。
業務上のパートナーや生活福祉のパートナーでも愛がある可能性はある。その接点から関係を拡大していくこともありえる。
その逆方向からのアプローチとして、全体の信頼を確立した上で業務や福祉、生活を共有するということの理由として愛がある。愛は信頼を発生させる装置として働く。
契約の重要性や確実性を、語る愛で測るしか人間関係を説明できない現状、異性だからやたら好きになる、強力な枷となる前提を利用するほかなく、性差を利用した愛と同じ表現以外に性別関係なく手段がないため。
あこがれかの妄想の終着点。アニメファンの聖地巡礼みたいなもの。
信頼関係の公知が必要ない、契約の重要性を認識するために他者の反応を見たいという意向がなければ特に意味はない。
婚姻に証明書がないじゃん、同性ですんでるだけで認められたって認識がない → じゃあ証明書つくりましょう → 公的予算
同性愛者のコミュニティは発足したてで理解者もすくなく私たちは被害者だった → 公知活動には助成が必要だね
そういう取り組みに携わる人がいない → そういう人たちの雇用創出
あと、そういうのいいよねってほんとに思ってボランティアな人。
ぶっちゃけ異性のカップルでも数年以上同性しててなんでいまさら結婚、ってときには社会的な保障やら信用やら手続きやらが必要なときくらいで
共働きで年金や健康保険の種別が違うカップル(医師や看護師と作業員や自由業etc)なんかは結婚は子供の有無なんかでかわってくると思う。
(前回までのあらすじ)
twitter を始めて1か月くらいになるんだけど、
(中略)
私は神になった。
(あらすじおしまい) 引用元→ 「twitter はじめた」、(http://anond.hatelabo.jp/20150615004630)
神といっても何か特殊な力があるわけではない。
世間的には幽霊とか透明人間とかのほうが近しい感覚かもしれない。
時事的には透明な存在といったほうが薔薇みたいでトレンドかもしれない。
だが、私が神だと宣言すれば、私は神なのだ。
神に身分証明書など不要だ。神とは言ったもの勝ちの肩書きだ。概念なのだ。
私が神だといったら神なのだ。
プロフィールの自己紹介欄に書いておこう。なんなら名前欄に書くまである。
誰からも見えない高みから、どこかの誰かが垂れ流す有象無象な玉石混淆の情報の渦を傍観している。
有意義なtweetには感謝を込めてクソリプしたいし、幸せそうなtweetには爆発しろと呪いたい。
くだらないネタツイですら、それを発言したのが自分でないことに妬み嫉む。
西に疲れたアカウントがあれば追い打ちをかけるような罵倒を浴びせて余計に疲弊させる、
そういう神に私はなりたいという考えも脳裏をよぎる。
しかし、心せねばならない。
他人のtweetに干渉すれば、同時に他者から自分を観測されてしまう。
神は不可視であらねばならない。顕現してしまえばもはや神ではいられない。
放射能の箱に入れた猫は箱を開いた途端に生死が確定してしまう。箱を開けてはならないのだ。
tweetとは即ち示威だ。つぶやきなんて生易しいものでは決してない。街中で、駅前で、雑踏に向かって、世界を相手に、拡声器で声を張り上げているのだ。
誰も聞いていないと思って油断してはならない。奴らが聞いているか聞いていないかなんてこちらにはわからないのだ。神も万能ではないのだ。
聞こえているのに聞こえないふりをしているだけかもしれない。興味がなければ聞き流すだけだ。
しかし万が一にでも弱みを晒してしまったら、それを端緒に足を掬われかねない。神の座から引き下ろされかねない。ことは慎重を期するべきだ。
私はもはやtweetすることはできない。してはならない。
twitterはtweetしたくなるように誘導してくる。こっちの水は甘いぞーっと誘ってくる。砂浜できゃっきゃうふふと戯れるかのように楽しそうな会話がタイムラインに並ぶ。そこに私が近づくことはできない。
私は口を噤み、耳を塞ぎ、瞼を閉じる。冷たい岩屋に閉じこもる。外は怖い。出たくない。明るい場所には近寄りたくない。自意識ばかり詰め込んで膨らんだ身体ではもう岩屋の外には出られない。悲しむしかない。
それでもタイムラインは頻繁に更新される。新しい文字列を並べてくる。うるさいうるさい。見たくない。
のび太さんとキテレツくんが従兄弟?、そんなわけあるか。リムーブ。
ご飯かパンか?、知らん、朝飯は食べない。リムーブ。
水出し紅茶には専用のものを使え?、知るか、ペットボトルで十分。リムーブ。
デレパのゲストにちひろさん?、まじか、それは聞きます。リムーブ。
夏コミの当落?、知らんがな、新刊がんばってください楽しみにしてます。リムーブ。
噴火?、最近多くて心配ですね、近隣のみなさんお大事に。リムーブ。
デレマス、劇場の沢田麻理菜さんと佐藤心さんかわいい。リムーブ。
ラブライブ、ミュージカル風味で素晴らしかったけど高山みなみさんの役どころがよくわからん。リムーブ。
紐、リムーブ。吹奏楽部、リムーブ。レプリカはいらない本物がほしい、リムーブ。放課後のプレアデスのノベライズを菅浩江さん?、読む。リムーブ。
腹減った、リムーブ。
帰りたい、リムーブ。
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都内某区役所から、児童手当の現況届の用紙が来て、「6月30日までに提出しろ」と書いてある。
単に子供の状況を書くだけならいいのだが、「所得証明書を付けろ」とある。
自分の場合、大阪市からこの1月に転入しており、つまり1月1日時点の住所は大阪市なので、
仕方ないので、大阪梅田の「証明書申請センター」に、250円の定額小為替と返信用封筒を入れ、
これだけでトータル500円程度嵩んでしまうのだが、まあ仕方ない。
・・・と思っていたが、待てど暮らせど、大阪市から所得証明書が郵送で来ない。
どうしたものか?
大阪都構想のゴタゴタで、事務が混乱して、こんな単純作業ですら滞っているのか?
児童手当の貰える額は「所得制限のせいで、最低額の月5,000円だけ」である。
となると自分の場合は、「最低支給額であることの立証のために、500円掛けて収入証明を取得する」という、
「どうせ最低額になるのだから、所得証明の添付なしで、現況届を受理しろ」と某区に電話で掛け合った。
が、某区の窓口のバカは、「所得証明書がないと、児童手当の支給が出来ない」と硬いことしか言わない。
「どうせ最低額になる、こっちが了承してるのだから、最低額の支給手続きをしろ」と言っても、
「大阪市がいつまでたっても事務の混乱で証明書を発行できなければ、自分は児童手当を貰えないのか!!」と激怒すると、
相手は「とにかく大阪市へ証明書手続きをしてください」と繰り返すのみ。
「アンタじゃ話にならない、上司を出せ!」と言ったら、しばらく保留音が続いた後、ブチっと切れてしまった。
【緊急告知】明日!渋谷区「同性パートナーシップ条例」絶対反対緊急行動
https://www.youtube.com/watch?v=er_KhnJcdb4
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/14562/result
http://seiji.yahoo.co.jp/article/1665/
上記の記事・動画に湧いている同性愛差別発言は、常軌を逸している。狂気だ。
・同性愛は気持ち悪い ・同性愛は自然の摂理に反する ・子供を産めないのに結婚するな ・日陰者のままでいろ ・社会にあわせろ ・伝統的家族に迷惑をかけるな
差別主義者でもこんな戯言など2chでしか言えないだろう、と思っていた。
上記の記事のFacebookコメント欄では実名のままシラフでとんでもないことを書き連ねる奴がいる。知らなかった。
それどころか、自民党のヘイトスピーチ担当の座長代理まで同性愛容認=少子化説を唱えている。
匿名だからといって差別していいわけではないが、驚いたのは、自分のアイデンティティを晒した状態でも弱者を傷つける言動ができる人間がかなりいるということ。
では私は、どうすればいいか
今まで私はどちらとも全く実行していなかった。
しかし(あらゆる弱者への)差別主義者が大手を振ってまかり通るのを阻止するには絶対しなければならない。
もちろん差別主義者への非難だけでなく弱者を支える制度を支持する政治運動をすることも大切だ。
このようなクソ差別主義者を根絶できないことへの責任は常にマイノリティにある。私は知るのが本当に遅すぎたが、今日から頑張らないと。