はてなキーワード: 経済的とは
「税は財源ではない=国債刷ればいい」派に共通しているのは政治的な交渉や調整のプロセスを軽視していること。あるいは軽視・無視することが正しいとナイーブに思い込んでいること。
国会議員や財務省・厚労省には、「消費増税しないと財政破綻リスクがやばくなる」派や「北欧のような高負担高福祉を目指すべき」派がたくさんいる。そういう人たちを一夜にして粛清することはできないし、民主主義社会である限り望ましくもない。それゆえ、政治的な「落とし所」を考えることが絶対に必要になる。
しかし「税は財源ではない」派は、自分たちが信じる経済的正論の殻に閉じこもるばかりで、政治的な落とし所を全く探ろうとしない。例えば現在、ケア労働者の賃金をいかに上げていかに人員を確保して職場に定着させるか、という課題が喫緊のものとして存在しているが、増税と減税とでどちらが政治的に実現可能性が高まるかは説明するまでもない。しかし、「税は財源ではない」派は、「減税で国債発行」という政治を無視した非現実的な正論を振りかざして、結果としてケア労働者の賃上げを遠ざけてしまう。
「税は財源ではない」論自体の正否はわからない(あまり興味もない)が、こういう問題に無責任な態度が目立つので信用しないことにしている。
子供のいない中高年の独身女性より、子供のいる中高年のシングルマザーのほうが経済的な状況はやばいんですけどね。
名指しはいかんそうなんでしないが。
ーボランティアとか支援事業みたいなのは普通の人はできない、普通の感覚じゃできないことなんで、熱すぎる人ばかりになるのは仕方ないし、そういう人らがちょっと突っ走っちゃうのも仕方ない…
みたいなこという人たちがいるんですよー。
なあーにぃー?
その手の公益活動に必要な条件は社会人としての常識感覚と生活の余裕だ。金持ちじゃなくていいが経済的ないし精神的にギリギリの状態ではダメだ。
自身問題を抱えてる人が「癒し手側」に廻りたがる傾向を一概に否定はできないが、あせるな。
自分のちょっとした余裕を、世の足りないところに充当するだけの行為に変なヒロイズムは要らん。
自分の寄付するリソースが効果的に使われるか、考えるべきはまずそこだ。常識的に考えて。
一部のエキセントリックなヒーロー頼みの社会福祉活動はそもそも破綻している。
みんながそれぞれ「自分が提供するリソースの有効利用」について考えることが、ボランティアや非営利団体界隈全体の「文化的底上げ・成熟」に資することになる。
どう考えても相手方の家の言う方が正しいし、ポリコレ的にもそっちが正しいな
増田側の言うことは卑屈と独善の押し付けだよ、その発想を自発的に持っている分には構わないが他人に刷り込もうとするのは倫理的にNG
自分としては正しいこと言ってるつもりだろうし社会的経済的に恵まれた家庭になれる可能性がないのが仮に事実だとしても、他人の幸せや人生について口出しする権利は誰にもないんだよ
これは貧困国の貧困家庭がどんどんくっついて貧困の再生産をしているのを論じる観点でも同じ
その状況を嘆くことはできても干渉できる立場にある人はいないんだよ、国家とかの人間を超えたレベルの権力であれば別だけど
そういう道義を無視して良かれと個人的な干渉をしたとして、トータルとして社会が良くなる保証は何もないし、それはそれで別の歪みを生むだけ
むしろそうした自由の抑圧が許容されうる歪みの方が社会的には深刻で、エスカレーションする危険性が高いと思うけどな
そして人間はトータルとしての社会のために生きているわけじゃなく、自分のまわりのミクロな社会のために生きているんだよ
その点は貧者も富者も愚者も智者も変わりないし、そうすることが幸福に繋がることはあらゆる本で語られている
慈善家のビル・ゲイツですらその点において異論を挟むことはないだろう
まあより重い障害を持った家系側の方がそういう複雑な観念を理性的に飲み込むのは難しいであろうことは察する部分がなくもないが
血は混ざって薄まっていくことで大局的には健常寄りになりやすくなるものだから悲観しすぎずに備えていけると捉えて
自己決定を阻害しようとしたことについて素直に無礼を詫びるのを勧める
知らんけど
その相場感や人文系の感覚というのは粗悪な翻訳が行われることに対する懸念に由来するものだろうが
しかし人選を批判する北村も翻訳の内容に対する具体的な批判はできておらず、山形による翻訳の内容は実際には粗悪どころか経済学者の石塚や翻訳家の山内から高く評価されている
つまり前提となる「粗悪な翻訳が行われた」という事実は特に確認されておらず、前提が成立していないことから不適切な人選と批判する根拠に乏しい
なお、翻訳が早く出て日本語で読めるようになったことは出版社に経済的なメリットがあるだけではなく、経済学者として学問に携わっている石塚にとっても「ありがたかった」とのこと
低価格帯のバッグを使っているのであれば、『バッグに損傷が起きた場合は丸ごと廃棄し新品を買うのが経済的に合理的』はその通り。
むしろ、作る側の視点からすれば、低価格帯のバッグはその価格で販売されているのが謎なレベルなんですよね。
例えば100キンに売っているさまざまな100円の品々、壊れたそれらを直すのに100円で出来るわけないですよね。
理屈で言えばそれと同じ。
本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済の専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにはフランス語を原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語はメジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。
ピケティの本が世界的な話題作であるなら尚更、フランス語と経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語からの翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系の感覚。「アイスランド語の推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語の経済学書」だったら、日本にはフランス語の専門家は大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚がマジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済的メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)
結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳は原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、
場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学に所属してて碌な研究費ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。
(理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコーの思想を研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力」概念をドイツ史研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料をちゃんとドイツ語で読んでるなら理論は日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)
なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品(ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究はあくまで原典に依拠して行うもの、原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田は経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学や統計学を踏まえずになされた経済学研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。
こないだですね、バッグのファスナーの真ん中あたりの布が破けて本体からちょっと外れてしまったんです。
開閉にはさほど支障がないですが、閉めても穴が開いてるのは気持ち悪いので修理に出すことにしてみたのです。
ファスナー自体に故障はないので、ファスナーとバッグ本体とを再度縫いあわてもらえば当日に直るかな。4千円以内ぐらいならうれしいな。
店員さんにファスナーが少し外れましたと見せたところ、さっと見て「交換になります」と言われたんです。
ははぁ、素人目にはファスナー自体に問題がなさそうだが、技術的に何か問題があるのだろうか。(後から調べたら布込みなため交換は必須でしたが)とそこは素直にそうですかと流したのですが、提示されたお値段がびっくりでした。
90cmなので18000円ですね。
…ハハッ!
辞書にのせてもいいと自負するぐらいの失笑をかましてしまいました。
18000円。90cmのファスナーをはずして、90cmのファスナーを取り付けるのに18000円。
増田、お店に寄る前に同じ施設内のビジネスバッグを冷やかしておりました。
そこでは5000円から新品のバッグが手に入るようです。増田は物に頓着がないので今持ってるそれも昔過ぎて値段を覚えてませんが、まあそれぐらいの品物でしょう。
それの修理が18000円。増田のバッグが仮に新品でも3倍以上。新品のほかのバッグでも1万超えればそこそこなものが手に入るのに、クタクタなバッグのファスナーが18000円…。
これは一体どういうことなのか。携帯プランのような怒涛の割引が始まるのか。
当然そんなことはなく、さらに店員が言うには店舗では修理できず別の場所に送るので往復のお時間がかかるとのこと。
増田、思わず新しいのが買えますねと口に出してしまってすごすご退散いたしました。
18000円…ファスナーを交換してもらうとYKKといふものに変えてくれるとHPでみたことがあります。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1964867
YKKとは超高級ファスナーなのでしょうか…。
ファスナー代。郵送費。バッグをばらし組み立てなおす工賃。利益。増田も末端ながら技術者なので作業費を低くみたいわけではありませんが…しかし…。
この世の中に5千円しないバッグのファスナーを18000円かけて交換する人がどれほど居るのでしょうか?
仮にバッグの値段が18000円でも同じ品を買い換えたほうがいいでしょう。
で、あるならば。ファスナー代が18000円でも納得できる本体の代金…3倍ぐらいでしょうか?
5万円以上のバッグの持ち主なら払うのでしょう。(か?)
あるいはそのバッグがお金で代えられないプライスレスな思い出の品、もう手に入らない限定品などであれば使い続けるために払うのでしょう。
それはそれで結構なのですが…。
どうにもモヤモヤするのが素人の増田目線ではバッグに損傷が起きた場合は丸ごと廃棄し新品を買うのが経済的に合理的である点。です。
古くは3R、今はサステナビリティやSDGsなどが常に叫ばれ、増田もできる範囲で物を大事にしております。
なので、この程度でバッグを捨てることに強い抵抗感があります。
そして、捨てる方向へ心を働かせているのが本来は捨てるの真逆の修理するということが高い障害、値段的に。となっていることです。高い修理費によってまだ使えるものを捨てて新しい物を買うことが暗に奨励されているのです。と邪推させられているのです。
そこまで言うのならば増田が針子となって直せばよいとおっしゃられるかもしれません。が、いやしかし、人類は分業によって協調と安価と専門性を持ちつつ持たれつブツブツブツ…と言い訳が浮かびます。
とかく、ファスナー交換が手間隙かかる作業であってもそれは増田も承服いたしますが、せめてせめて、できればその修理品の安価な物の金額程度に料金を抑えていただけないでしょうか。
直すより捨てるが良い選択肢であるということでこんなに凹む人間は稀なんでしょうし恐らくこれからも値段は変わらないでしょうが、そんな気持ちをここに流します。
ああそしてバッグはどうしましょうか。接着剤で何とかなるかしら。
ここからさらに人が悪くなるのですが、日記を書くために店の名前はなんだったかとGoogleマップで調べていたら、非常にレビュー平均が低かったです。
確かに増田が来訪したときも面倒そうなダウナーで放り投げるような印象を受けましたが、それは増田がファスナー交換に18000円だしそうにない風体やバッグで客になる見込みが薄いからだろうと後から一人合点してました。
ですが誰にでもあのような接客態度だとしたら、正直衣装直しでも利用したくない感じですね。
ファスナー交換のお値段自体はどこでも2万越えも普通にあるということは調べてみてわかりましたが、それでもあのマジックミシンを使うのは嫌ですね…。
山上徹也容疑者に殺害予告して逮捕された40歳無職の容疑者(1982~1983年生まれ)、
アラフォーになって、私としてはまずどうやったらそんな事できるのか不思議なんだが、、、
どこを向いても偉そうな性格ブスのビッチばっかなんたが、世の中の結婚できた男は何かね?
尻に敷かれ、プライドも自分の貯金通帳までも放棄し女に服従してるわけなんだな?
ダサいね、、、
介護職をやめて無職になり実家暮らししている、経済的には豊かでなさそうな男性が、
むしりとられようにも、取られるような金をもってないでしょうこういう男性は…。
ビルゲイツみたいな人が、金目当ての女に財産むしり取られることを恐れるのは普通に理解できるんだけど、
実家暮らしの無職や低収入ほど「女は男の金をむしりとる」と騒ぎがちなのは本当に何…。
ぷぷー!釣られてやんのー!フィクションだっていってんのになんでお前そんなにマジになってるの?
と、魔除けの呪文を…さて……。
俺の視点からと言う事になるんでたぶんエロいひとや政治家にはもっと高次の視点があるんだと思うが……。
なんか1000日後に潰れるスタートアップみたいになってて、なんか、ワロタ。ワロタ……。
えらそうなことを書いたが、ここに俺が入り込んだのは、そもそもこの一社できた当初目的の補助金の最後の年。
最初はワーキングプアではなくてワープアに使われるやりがい搾取養分として参加していた訳だが、入り込
みすぎて、ご覧の有様である。
その頃にはもうだいぶ怪しい雰囲気に傾いていて、えらい人は今年で終わりだと気付いて金策に動いていたと思われる。
そんなタイミングでJOIN!して抜けられなくなった実家暮らしの独身中年の間抜けな妄想だと思って聞いてほしい。
反応の中に「3年で終わるのは新陳代謝を促すためはないか」と言う声もあった。実はあんな書き方にしたが、3年で補助金が切れることそのものに文句があるわけじゃ無い。
(補助が終わって人が変わると、後任とされる人物であっても、その後の相談にあからさまに手抜き対応する中央官僚はどうにかなってくれと思うが)
問題は、3年後ももしかしたら続くかも知れないと言ううっすらとした望みをずるずると引きずらせるようなのが良くない。
政治家がやってきては「大変参考になるもので、このやり方を〇×(地名)モデルと名付けて、日本中に広めていこう」とかリップサービスをしたりして。
これだけ上手くいっているんだからもしかしたら今後も続くんじゃ無いか?と言う事を思わせたりする奴が結構いる。
〇×モデルじゃないんだよ。駄目なまま3年たったら潰すんだよ。
最初からそうやって詰めろと言う話だし、それを承知の上で乗り込んでくる奴らだけに覚悟を決めさせてやれ。
当時の誘致資料は役場が持っているので知らんが、風の噂では、補助期間が終了した後も〇×年は取り組みを続けると国の公募時にお約束していたらしい。
そんなものはマジ論外!!
一社方式でも上手くやっているところはある。俺も遊びに行くついでに話を聞いてまわっているのでいくつか。
まぁガチ行政職ならどっかで聞いたことがあるような話だと思うが…。
補助機関が終わったらきれいさっぱり体制を切って身軽になり、本質的に続けたい社会問題に対してアプローチする仕組みに持って行ってるやつ。
個人的に遊びに行った某友人帳の聖地にたまたま成功していた地域団体があったので話を聞きに言った。
そこでは数年で助成が終了する事を熟知していた中心人物がやっていた。
彼女は、元々中央官僚。最初から終わりを見越してスタッフ、家業がある家の息子とか、地元建設屋から出向社員、地域おこし協力隊員も本来業務に加えての業務として形で受け入れたりと言った工夫をしていたらしい。
要は、商工会などから出資を受けるときに最初からそうやって話を持ってった訳だな。
補助金を用いて、最初の活動の基礎基盤ができたら彼らを元の場所に返したり、地域活動の方を副業として本業を別に持ってもらったりといったやり方に変えていったそうな。
本人も一社の活動で得た人脈を生かし、本業を別に持っている。そちらで稼ぎながら一社を動かしているようだった。
傍から見るとワープア体質は変わってないのだが、その団体が実施する本来目的の部分(ある施設の運営と、定期的なグローバルニッチな国際イベントの開催)は、利用収入とスポンサー収入で、直接的な自治体からの金銭補助無しで続けられている。
ブコメに「文化的な雪かき」と評した人がいたが、まさにそんなパターン。
衰退していく中でも誰かがやらなければならぬミッションを維持するならば、最初からその金を回すように設計する方式。
某緩い感じの空飛ぶ魔女アニメの聖地から小2時間ぐらいで足を伸ばした場所。持続している地域団体があったので個人的に遊びにいったついでに話を聞いた。ここはそんな感じの所だった。
うちの所なんか目じゃないくらい過疎化が進んでいて、もうすでに自治体として集落維持を明確に無理と判断したような所がいくつもある土地。
高齢化が進み、住人が病気などで入院すると帰らない、と言う形で一人抜け二人抜けと消えていく状況。それを孤立しないようにサポートしながら、元のコミュニティを維持しつつ緩やかに移転を誘導し、人がいなくなった廃集落が、せめて美しく朽ちる事ができるようにケアをするのが、まぁ、彼らの任務だよな。
そして、同時に、それでも地域に残ることを選択した若者達の職場になることが目的。
もちろん金になんかならない。ではどうするかというと、同時に必須の仕事を任せている。
森林の整備の仕事。元々森林組合があったのだがほとんど有名無実化していた。それを団体の母体とし、県の森林環境贈与税による森林整備を受けさせるという手堅い仕事を与えた。さらに、ここに国の助成金を入れて、ささやかなバイオマス発電と小水力をやり、ソーラー発電による発電なども手がけて収入を得ている。
その金でできあがった収益を用いて、雇用を維持し、人を雇い、なんとか回しているようだ。自治体から下ろされた仕事は、自治体の安い下請けのような仕事がほとんどだ。しかし、コアとして収益源を与えているため、その地域の平均給与+αぐらいのおちんぎんが支払われている様だった。
うちの場合これを目指そうとしたんだけど、何もかも中途半端でぶっ壊れたんだよなあとは思うんだよね。
かけ声は巨大な大風呂敷でいいんだよ。目標は高くしてもいいし、口に出さなきゃ絶対現実にはならないわけだから。
都市部の人間はそんなもん潰せとか無駄だとか言うけど、そう言うのを跳ね返すためにも必要だ。こういうのは棒ほど祈って針ほど叶う世界だから。
でも、上手くいってます言い続けるのはよくない。むしろ困ってます、上手くいきません、でもがんばります、と言う形で情報公開をしていった方が良い。そうすると、関わる人が増えていく。関わる人が増えていくと、何かあったときにちょっとでも助けてくれる人が増えてくる。
そして、こう言う場面ではいろんな意味で、皮肉も揶揄こめて「超人」と言われる人が現れる。
その人がいろいろぐいぐいと進めていく事になる。けど、その人が何かの拍子に飽きちゃったら、もう終わりだよね。
だから、続けていきたいなら、その人に頼らない仕組みにしなくちゃだめ。そうしないといつまでたっても「個人商店」のままで、そこから先が広がらない。
そんで、人間だから、いろいろなひずみが溜まってくる。多選の弊害みたいな感じな。俺はそれが怖い。そうはならないようにしなくちゃならない。
公務員は「実務をやる」ではなくて「仕組みを整える」「続けていく事ができる環境を作る」という事がメインの仕事だと思って取り組んでください。
頭のいい人は「おちんぎんさえ出せば人が集まるだろう」と言い、人が集まらないのはおちんぎんが悪いからだと言いますが、それだけじゃ解決しません。
もちろん、最低おちん〇んでも働いてくれる、実家住まいで高齢童貞小梨、介護はあるけど親の年金がベーシックインカム(笑)になっていて搾取し放題の都合のよい、クッソ頭の悪いワープワはフィクション以外にはいないので、生きていけるだけの賃金を払う必要はあります。
でも、この領域に高い金を出せば解決するもんでもありません。経済的合理性だけ考えりゃ、いくら金を積まれてもどうにもならないところですから。そう言う意味では、経済原理を持ち込むのは無理がある。
そのバランスを取って、じっくり取り組んでいただきたいと思います。
と言う夢を見た。
https://econ101.jp/xi-jinping-forever/
習近平はそんなに有能ではない。皆がこれに気づいていないのは、彼が党の掌握に驚くほど熟練した手腕を見せつけたからではないかと思う。
もう失敗は山積みになり始めている。経済成長率、特に極めて重要な生産性の伸びは、コロナ・ショック前から大幅に鈍化していて、現在は基本的にゼロだ。この生産性の暴落で原因となっているのは、習近平によるゼロ・コロナ政策への頑な固執(これは社会統制も目的としていた)、不動産セクターの巨大な暴落の積極的な容認、テック企業などの起業家の取り取り締まり等々…、彼の個人的な選択に多くを負っている。
海外に目を移せば、習近平による代表的なプロジェクトである「一帯一路」は、経済的に無駄なインフラ、負債など、世界中に悪評を振りまいている。積極的な外交政策である「戦狼外交」は、香港への弾圧、新疆ウイグル自治区での強制収容所や全体主義的な監視と相まって、世界各所で中国のリーダーシップについての展望を毀損し続けている。他にも、ロシアとの「無制限」パートナーシップの約束は、プーチンがウクライナ侵攻という不手際を犯したことで、暗礁に乗り上げてしまった。彼が主導した国有化産業政策「メイド・イン・チャイナ2025」構想や、最近の半導体支配の推進でさえも、成長の加速では効果を上げておらず、逆にアメリカやその他の国々を、協調から露骨な経済戦争路線へと転換させてしまっている。
円安円高とは、日本円と外国為替の相対的な価値の変化を指します。円安とは、日本円が他の通貨に対して値上がりし、円高とは、日本円が他の通貨に対して値下がりしたことを指します。
円安円高は、様々な国内外の経済的な要因によって変化することがあります。例えば、日本経済が好調だと日本円が高くなり、米国経済が好調だとドルが高くなることがあります。また、政治的な問題や貿易摩擦などの影響もあります。
その為、結局の円安円高はどうなるかは、時期によって変化するものであり、予測することは難しいです。現在、円安円高については増田やその他の賢者たちの意見がまちまちであるようです。そのため、最もよいのは、常に経済や政治的な情勢を注意深く観察し、自分自身で判断することが大切です。