はてなキーワード: 省みるとは
長くなったので結論。時間の無駄だから彼女のことを気にするのはやめよう。
(元)ビリギャルが以下のようなツイートをし、死ぬほど叩かれている。
『「努力出来る人と出来ない人がいるんだよ」と言う人いるけど、それって「努力出来ない人」なんじゃなくて、ただ「努力したくない人」なだけなんじゃないかなと思うんだけど、どうかしら。』
https://x.com/sayaka03150915/status/1764464963853144499?s=20
教育を学ぶ人間としてあるまじき発言ではあるけど、彼女にきっと悪気はない。
知っている人は知っていると思うけど、ビリギャルとは頭の悪いギャルが一発逆転で有名大学に現役合格!みたいな話。
しかし、ビリギャルは別に頭の悪いギャルではなくただ私立校でやる気をなくし落ちこぼれていただけで、地頭が良い+実家がまあまあ太めで教育費もがっつり出してもらえていたというのがもともとの叩かれポイントだった。
その背景があり↑のような発言をしたことでかなりヘイトを集めている。
今回なぜ彼女の擁護を勝手にしようと思ったのかというと、彼女は自分にとても似ているから。
小金持ちの親の希望で中学受験をして地方の有名私立に入学したものの、やる気は出ず学内で落ちこぼれた。
でも地頭は悪くはないので高校ラスト1年だけガチって旧帝に受かった。
だから自分は地の底からはいあがってきたような認識だったし、自分にできることができないってどんだけサボってるんだと周りを見下してた。
しかし就職してから自分では太刀打ちできない化け物エリートたちや、貧困の連鎖から逃れる気力すら奪われてしまった人たちと接することで自分の考えのゆがみに気づき恥ずかしくなった。
自分にもまだまだ直すべきところがあるけど、少しだけゆがみがとれた人としてビリギャルの擁護?をしたいと思う。
【恵まれていない人のことは眼中に入っていない】
おそらくビリギャルは自分と同じように、「決して貧乏ではないしむしろお金持ちの部類には入るだろうけど桁違いのお金持ちにはかすりもしない」みたいな家庭に生まれ育ったと思う。
実はこういう層が一番自分に甘く人に厳しいみたいな人間に育つ確率が高い気がしている。
生活の心配をすることは決してないけど手に入らないものも多いので親がよっぽどしつけないと色々なことにおいて感謝の気持ちが薄くなる。
そして本人においても絶望的に頭は悪くないものの天才にはかすりもしないので「どれだけ努力したか」に価値を見出したがる。バカになる勇気も天才についていく根性もないから。
そしてそこそこの結果を出すことができたら「ほら、私は頑張った。あの子は頑張ってない」と思い自分を上に置きたがる。
そういう気持ちをひっぱっているので今回の炎上ツイートのような感じになったのだと思う。
というか、彼女のツイート自体は間違ってはいないと思う。実際に何かと努力をしない言い訳を見つける努力をしている人はたくさんいる。
もちろん努力をすることすらできない恵まれていない人はたくさんいるが、彼女は今回そういう人のことを書いたのではない、彼女は素直だからその時に自分が思ったことを書いただけ。
しかし彼女は自分がどういう人で、どういう風に見られていて、このポストをしたら人がどう思うのか分からなかった。それは30後半の人間として、教育を学ぶ者としてかなり致命的だったと思う。
【自分に対する批判=おかしい、かわいそうな人たちという考え】
上記の通り、バカでも天才でもない自分を受け入れられない人は上を見ることも下に落ちることも辛いので、自分を下に落とすような行為は絶対に許せない。
なので批判をされるということを極端に嫌う。絶対に自分の非を認めないし徹底的に反論したくなる。
実際彼女は「ビリギャルはビリギャルじゃなかったのでは?」というような意見にずっと反論している。
正直大人として「そうですね、恵まれていた環境にいたことは感謝しています。今後、自分の環境が整ったら塾に通うことに金銭面や精神面で抵抗がある子供たちの助けになるようなことをしたいです」くらい口だけでも言っておけば叩きは弱くなったのにと思うけど、そういうこともできないくらい「私は正しい」を発信することに熱心である。
「ビリギャルは、元々頭が良かったんだよ。」という記事でも自分への批判に対する批判ばかりで自分の言動を省みる言葉はひとつもないし、誰だって才能があるし輝けるんだよ!という恵まれていない立場の人の神経をよけい逆撫でするような気休めのポエムで締めくくられている。
https://note.com/sayaka_suto/n/n48f400487ba6
『ここってまじで幸せじゃない人多すぎて心配になる... Please take care of yourself』
https://x.com/sayaka03150915/status/1766720264769794097?s=20
ここまで書いておいて雑な終わり方をするけど、小林さやか氏には決して悪気はない。
ただ自分の悪い点を認めることができず、そうしなくても生きてこられたからそうする必要もないと思っているしそんな発想もないだけ。
そしてこれからもそう生きていくことができる。なので小林さやか氏にかまっている暇があったら筋トレでもした方がいい。今すぐミュートしよう。
共同親権の認可を盛り込んだ民法改正案の骨子が見えてきてから、共同親権界隈は大揉めだ。柴山・牧原といった共同親権推進派議員達には、いわゆる別居親たちからの非難が殺到し、「騙した」だの「裏切り」だのと不穏な言葉が飛び交っている。
どういうことか。自民が了承し、今国会に提出する予定の民法改正案では、こうした推進派議員が共同親権界隈の後押しを得ながら主張してきた「原則共同親権」が実現しなかったからだ。父母どちらかの単独親権を義務付ける規定はなくなり、父母の協議と合意によって共同親権を選ぶこともできるようになる(選択共同親権)。多くの人にとっては、既存法体系との整合性もある程度保ちつつ、共同・協力して子を監護できる良好な関係の元配偶者達に対しては共同親権への道も開かれた、穏当で合理的に感じられる改正だろう。
ところがどっこい、ネットの共同親権界隈・別居親界隈というのはそういう話が通じる世界ではないのだ。詳しくは別のエントリ(共同親権推進派の界隈、色々すごい)で書いたが、この人達は基本的に「他責・他罰の共同体」である。離婚に到った理由について省みることなく、妻に「出て行け」と行って出て行かれたら「連れ去りだ」と騒ぎ立てたり(棋士の橋本崇載がその典型)、「少し叩いたぐらいでDVとか言い出した」「厳しめにしつけないと女はわからない」「面会交流する気がないなら訴えてやる(←これを妻ではなく子供に向かって言う別居父がいるのだ!)」みたいな有毒な男性性をみんなで承認し合って怪気炎を上げている、そういう界隈だ。
新法案では高葛藤(≒夫妻の関係が壊滅的に悪い)ケースや、DVのおそれがある場合は共同親権の対象から除外される。そして、ネット共同親権界隈というのはこれだけで適用NGになってしまう人達の吹きだまりだ。自分の見立てでは、この人たちの多くが本当に求めているのは、子の監護権そのものというより、「自分を見捨てた/裏切った妻子を見返すこと」であり「失われた男のメンツの回復」である。そして原則共同親権の導入という法改正は、それを労なく自動的に成し遂げてくれる福音のはずだった。しかし現実はそうならなかった。だから「俺たちには何の恩恵もねーじゃねーか! 嘘つき!」とキレ散らかしている。
今回の法改正にあたっては、法務省の要綱原案に対して、より共同親権界隈の主張に近い自民党PT案が出ていたが、基本的な線では法務省案が生かされた形になっている。共同親権に反対する法実務家側にもそこを評価する声が出ている(廃案すべきだと主張してはいるものの、要綱のなかで死守すべき要素は維持されている、という評価)。柴山議員たちは共同親権界隈に向けて、色々なことを口約束して支持を取りつけてきたが、実際の改正案にその多くが盛り込まれず、終わってみれば「真っ当な元夫婦同士なら、離婚後も共同で子育てできるよ」という穏当な落としどころになっている。おそらくこの改正案が可決したら、共同親権に関する法的議論はもう決着だろう。後に残るのは、満たされなかった期待に対して、非難すべき相手を探し求めて彷徨う「他責・他罰の共同体」の怨嗟の吠え声である。そして今のところ、その声は柴山ほか「共同親権推進派議員」に向かいつつある。
残念ですがそれは重いうちにはいりません。どんな女も付き合ってりゃそれくらいのケア案件は発生します。あなたからしたら「気立が良いいい女と付き合って羨ましいな〜」と感じてる友人も裏ではケア(重い案件を未然に防ぐor起こっても被害を最小限に抑える)しまくっています。
ちなみに、女性によってケアのミクロ面の正解は異なります。そういう意味では、自分が提供しやすい「ケアのミクロ」を正解と求める女性の方が、労力はかからないかと思います。
これを「相性」といいます。
ただ、労力の大小はあれど、とにかくそういったケアはどんな女性でも存在すると思っておいた方がいいです。
どんなに口で説明されてもこれを真実と受け止めるのは難しいと思います。人数をこなせばこなすほど、女はそんなもんだと理解し、妥協として受け入れられるようになり、ケアもこなせるようになり、男として一人前になるのです。
そして、女が普段からどんだけケア的な行動をとっているかを知る事もできます。
だからさっさと今の重い女でなく次の重い女と付き合って、女への幻想を捨てましょう。
最後に一つだけ本当のことを言うと、
パートナー間で問題が発生した時に、自分の行動を全く省みることなく、また環境や状況など多面的な配慮をすっ飛ばし、とにかく「相手が悪い」と結論づけてしまう性質を持っている人間は、
どんなにサバサバしたパートナーをも「重いパートナー」に変えてしまう能力を持っています。
そこに留意をしていただき、二股からの乗り換えなどではなく、誠意あるお別れが増田と増田彼女の間に執り行われますことをお祈り申し上げます。
これだけ皆に間違いを指摘されてるのに全く省みることがないのもなかなか大したもんだよ。仕事では是非とも関わり合いになりたくないタイプだ
はっきり言って姉はデブスだ
それでも男からの需要はあるらしく、子供部屋おばさんをしながらマッチングアプリで男漁りをしていた
結果は言わずもがな
一夜限りの性欲の捌け口にはなり得るけど、パートナーにすることはない
当たり前だ
こんなの人間じゃないだろ
「法律的にアウトなネットの誹謗中傷は、開示されて訴訟になるので、書き込む前に一瞬でも省みる」
罪はおいといて、功についてなんだけど
本当はもうみんなうっすら気づいていて、知らないフリ、関係ないフリをしていたと思うのだけど
「法律的にアウトなネットの誹謗中傷は、開示されて訴訟になるので、書き込む前に一瞬でも省みる」ようになったこと、だと思っている
Xに限らず、5chや増田もそう
少なくとも自分はこうなった
はるか以前に「小女子」で逮捕された人もいたけど、それは遥か遠くのおとぎ話のようなものではなく、もっと身近なものに感じた
去年のリーガルハラスメントからリーガルバトル、そしてH氏のX開示まで
バレなければセーフではない
訴えられなかったらセーフでもない
こういう事を心に深く刻んだのでした
おわり
これは大リーグ選手ダルビッシュ有の有名な言葉だけど、ギターも同じだなと思った。
ギターを手に取ると、好きな曲やすでに上手に弾ける曲をいつまでも弾いてしまいがちだ。楽しいから。
だがそれは、漢字ドリルの最初のページだけをひたすら復習しているようなものだ。すでに覚えた漢字を何度復習しても、新しい字を覚えることはない。その字は上手になるかもしれないが。
ギターは、新しいコード、新しいキー、新しい運指を次々に覚えることで上達する。
ひとつの曲をマスターしてだいたい満足したら、その場でいつまでも足踏みをせずに、さっさと次の曲に進むのだ。
今までに身に着けた知識の組み合わせだけでも動くプログラムは組めるかもしれない。
たとえば、たいていのループ処理は for 文だけでもどうにか書けてしまうものだ。
しかし for できちんと動くものが作れたことに満足してそこで足踏みしてしまうと、ほかの多様なループ処理法をいつまでたっても覚えない。馬鹿のひとつ覚えというやつだ。
スラスラ書けた時ほど、自分が馬鹿のひとつ覚えに陥っていないかを省みる必要がある。
自分がまだ知らない、もっと合理的に書く方法があるかもしれないのだから。
とりわけ JavaScript は日進月歩で便利な仕様が増えていくので、最新仕様にキャッチアップするだけでもコードはどんどんシンプルになっていく。
新しい知識を仕入れることと、仕入れた知識を使いこなせるようになることの両輪でスキルは向上する。
自分への戒めとして。
JTC時代に、新入社員として、Bさんのような社員のサポートにつけられたことがある。
と自己紹介したBさんはホラン千秋に似た、いかにも海外営業といった容姿の独身女性であった。
「私も異動してきたばかりで何も分からないの」
と困ったように微笑むばかりであった。
どんなにつまらない社内向けの書類でも、OSのアップデートでも、Bさんは胸にメモを押し頂くようにして、別の社員に教えを請いにいった。
わたしは能力は人並み以下だが、危機察知能力の高さには自信がある。
初日、Bさんから一日半かかると聞いたパソコンのセットアップが1時間弱で完了した時、
(この人の言うことは本当に信用できるのか?)
という疑問が生まれた。
「開催はだいぶ先だから今することはないの。
何もすることがないのはつらいかもしれないけど、緩急のある仕事だから仕方ないわ」
ともっともらしい話を聞いていた。
しかし、念のため、わたし自身の予習を兼ねて過去のメールを読み返すことにした。
すると、Bさんが回答する必要があるメールが何通も月単位で放置されていることに気付いた。
JTC風にいうと、「ボールはこっちにある」というやつである。
プロジェクトはとっくに動き出していたのだが、Bさんが返信を怠ったせいで数か月ストップしてしまっていた。
相手方から数度にわたって催促のメールが届いているメールさえあった。
なぜ返信しないのか聞くと
と会話を打ち切られてしまった。
わたしは数日目にして、まずい状況に身を置いていることに気付いた。
そこでチームに「状況の」やばさをアピールしつつ、彼女の顔を立てながら、プロジェクトの遅れを取り戻そうと必死になった。
Bさんはとくに焦るでもなく、
「増田さんは配属されて一か月なのに、もう何年も働いているみたいね」
とまんざらでもなさそうだった。
わたしはBさんに仕事を教わっているという体であったので、成果物はすべて彼女の個人フォルダに保存することになっていた。
自動で保存される更新履歴を見るかぎり、彼女はもう自身のフォルダを開いていなかった。
おもな作業者はわたしを筆頭としたBさん「以外」の社員であり、作業の進捗を管理し、遅れや不足に気付くのもわたしたちだった。
Bさんは仕事に優先順位をつけることができないという点で、会社員として絶望的だった。
期日等は考えずに自分がこなせる単純な仕事だけ片付け、それ以外は放置して忘れてしまう癖があった。
わたしは彼女のタスクに気付くと、その背景と彼女がとるべきアクションを説明して、例えばメールならわたしが背後で文章を読み上げてタイプしてもらった。
わたしの時間がとれなくなると、メールの本文を代筆して送り、名前だけBさんのものに変えてもらった。
簡単なタスクを与えずに放っておくと、気まぐれに取引先のメールに
などと返信してしまうことがあった。
それに気づくたびに
「Bの部下の増田です。その日程は別件の立ち合いのため厳しいです。
×日、または△日でいかがでしょうか」
取引先の担当者たちは察しがよく、Bさんのメールに返信することをやめ、わたしと直接やりとりするようになった。
Bさんは「契約書」や「議事録」といった基本的なビジネス用語、また「アダプタ」や「URL」といったPC関連の固有名詞をまったく知らなかった。
「クラウド」や「AI」といった近年の技術をすべて「システム」と呼び、
「学校で習わなかった」
と不満そうにしていた。
と言うのでその通りにすると感謝されるが、知識やノウハウよりも、自身の向学心を表現することに満足してしまうようで、マニュアルは一度も開かれないままだった。
実際、目の前にあることに対する好奇心は強いかただったと思う。
会議などに出席する機会があると
などとうれしそうにしていた。
なお、わたしはその時、彼女の代わりに翌日提出予定の議事録や報告書を起草していた。
ある昼下がり、顧客との打ち合わせに向かう前に急ぎの仕事を片付けていると、彼女が言いにくそうに話しかけてきた。
「あのね、増田さん、気付いてるかもしれないけど、わたし、実は…」
(またわたしの知らない熟成案件が?まさか今から会う会社関連のなのか?)
「わたし、実はキティちゃんが好きなの!このポーチもキティちゃんだし、定期入れもキティちゃんなの!」
(え?今、その話するの?私、あと15分で打ち合わせに入るんだけど?というか、Bさんもですよね?)
彼女は放心状態のわたしに対して、キティちゃんとの出会いから、ご当地キティちゃんを追いかけて京都や沖縄を旅したことについて語ってくれた。
彼女のお気に入りの旅行先は南国で、「何もしないでぼうっとするのが好き」とのことであった。
わたしは何の医学的知識もないのに、彼女の口内炎の経過を毎日30分近く聞かされることになった。
口内炎が完治する頃には、チームの全員が彼女の口内炎について直接聞いて知っていた。
数分後に経営会議を控えた幹部を呼び止めてブリーフィングすることすらあった。
季節は真夏となり、わたしは名実ともにBさんの業務を代行していた。
その頃にはBさんは社内外で完全に孤立しており、話の長いBさんに話しかける人はいなくなっていた。
「みんなオトコだから若い女性が好きなのね。だからわたしに冷たいんだ」
「この会社は古いから、新しい仕事のやり方が受け入れられないんだ」
彼女とて社内外の担当者が彼女をスルーしていることに気付いていたはずで、無理やりでも責任転嫁することで自分のプライドを守っていたのだと思う。
同時期に私は驚くような事実を知った。
口癖のように「わたしも配属されたばかり」と言っていたBさんは、実は私に1年前に異動してきていた。
しかも、だいぶ若々しく見えるが、新卒入社して勤続30年近い管理職世代の社員だったのである。
当時、わたしがBさんに感じていたのは、自分が理解できない存在に対する本能的な恐怖であった。
私が英日ネイティブだという話をすると
「私の年も氷河期で一番入りたい企業に入れなかった友人がいたわ」
(わたしがBさんの英語能力を目にする機会はなかったし、彼女の同期(管理職)によれば彼女はバブル世代である。
しかし、わたしたちの間に横たわっていたのは、世代や学力の差といったレベルでは片付けられない、まったくの断絶であった。
彼女は瀟洒なスーツを着て滑らかな日本語を話す、かぎりなく会社員に近く、(わたしの考える)会社員ではないものだった。
わたしは早朝のランニングをやめて、仕事の整理をする時間を作った。
毎朝「今日自分がすること」と「今日Bさんにさせること」の二つのリストを作って、スマホでスキャンし、会社のメールアドレスに送信した。
趣味を楽しむ心の余裕はなくなっていた。
書店に行って本を選ぼうとしたが、何を選んだらよいのか分からなかった。
学生時代は図書館で借りるしかなかった学芸文庫だって買えるのに、何を手にとってもときめかなかった。
本を選ぶことができず、例のメモ用のフリクションペンを買った時、自分が変質してしまったように感じた。
会社の最寄り駅に近づくと、吐き気やめまいに悩まされるようになった。
「自分が同期の中でも期待されていないから、Bさんのお守りを押し付けられたのかもしれない」
という疑念を振り払うことができなかった。
わたしは同級生から海外の労働事情について聞いていたので、日本の終身雇用制について好意的にとらえていた。
しかし、何かの予算で1000万円という金額を見た時に、Bさんが
と不満げに漏らしたことがあった。
それを聞いた瞬間、数々の疑問が湧いてきた。
年功序列とはいえど、新卒一括採用という一発勝負で、何もできない社員に1000万円が現実的に思える額の給与を与えるのはどうなの?
子供のような年の社員にお世話係をさせてまで引き止める必要があるの?
それ宝くじとどう違うの?わたしのオポチュニティはどうなるの?
仕事が極端にできない社員には引導を渡して、パソコンも契約もない、指示が一行で完結するような仕事に就かせた方が本人も周囲も楽なんじゃないの?
とくに出来がいいわけでもないのに、そんなことを考えてしまう自分を嫌悪した。
結局、わたしは冬頃には会社に対する信頼を失っており、1年を待たずに外資系企業に転職した。
会社の育成計画的にはわたしも失敗作なので、その点に関して言い訳をする気はない。
しかし、Bさんは給与について文句を言いつつも、おそらく転職機会がないという消極的な理由から、今も会社に居残っている。
災厄のような社員を解雇できず、中途半端な高給を与えて飼い殺すシステムは疑問だし、そのつけを他の人に払わせるのはもっと疑問。
元々は趣味繋がりだったが、彼女は時々政治や男女問題に関わる話題にも言及していた
彼女が男女問題に関わる事柄を話していた時のスタンスは所謂ミサンドリーとターフが混ざってる印象だった
結構強烈というか男性やMtoFへの厳しい視線が目立ったが、それも彼女の思想なので別にまあそういう人なのだと思うだけだった
いつだったか、彼女が自身の思想に基づく発言をSNSでした時に、誰かから「それは差別的だ」とつつかれていた
あの出来事で何か省みることがあったのか、単に他者からの反論が疎ましかったのか、彼女は男女問題について話さなくなった
それからしばらく経つと彼女は結婚して誰かの妻となり、更に時間が経った頃に一児の母となった
そうしてこの数年の彼女の話すトピックは趣味や以前話していた政治や男女問題に代わって母親はいかに大変か、夫への苛立ち、子供連れに対して世間がいかに冷たいかといったことへと移り変わっていった
だが今日も今日とて子供連れがいかに冷遇されているかを語る彼女が、そうした話題に絡めて「いい大人が特定の層を堂々と邪険に扱うの恥ずかしいことだ」という旨の言葉を発しているのを見ていると、少しなんだかなあと思うところもある
数年前まで男性やMtoFの人に厳しくあったのはどこの誰なんだろう
かつての彼女がしてきた発言を振り返るととんでもないブーメランになると思うのだが
モヤモヤしてるくらいならとっととフォローやめろよと突っ込まれる話ではある
でも今でも思い出したようにポロリと語られる彼女の趣味の話はとても面白いので離れるのも惜しくてここで吐き出している
老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣よつぎを。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
どうすんだよ、こいつがアンチ王派で
「こいつ正義感ばっかり強いバカだからだまくらかして王様殺させたろw」
と思って空気入れてたら。
まなべ、メロス。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230616150339
大家増田も少し調子に乗ったのか人格攻撃的な文言まで飛び出し始めて、それに便乗してタトゥー持ちのIQがどうだのと人格攻撃に発展しているブクマカが観測できる。
そうやって悪しざまに罵ることが差別的と指摘されているのに対して、「長く関わる住人も選んじゃいけないというのか」と曲解した激昂も見られ、
「擁護する人はタトゥーを入れている」というレッテル貼りや「じゃあお前が隣に住め」「求人の大卒以上条件なども全部糾弾しろ」などという論点のすり替えも横行している。
しかし私からしたら、差別だという指摘が求めるものは、「すべての人を住人として受け入れろという強制」「誰も差別するなという強制」などではない。
その人達を排除するのにどんな理由があろうが、統計的差別だろうが、合理的だろうが、トラブル回避のために必要だろうが、「まあこれも差別だし問題はあるんだけどね」という最低限の罪悪感くらい引き受けろということだ。
行為がはらむ問題点を正当化するために、あろうことか相手を攻撃して、一切の罪悪感を引き受けないという「お子ちゃまさ」が否定されている。
ささやかな良心の呵責を抱くことすら嫌って、あいつらには排除されて当然の理由があるんだと懸命に悪口を考えるのは、まるで防衛機制の言いなりじゃないか。
同意。ちょっと池沼とも思っている。境界域あたりのlower iqね。入れたことを後悔してるならさっさと消せば良い。嫌なことされたら即110番通報して被害届出すわね。話し合いができない人種だもの。
このようなことを平気で書く人は話し合いが出来る人種だろうか。
”誰でも絶対に差別するし、公共機関でなければ当然に許される。そんなことも理解せず自分を「差別しない正しい人間」だと無邪気に思い込んでるから、他人を差別主義者とか気軽に言う/お前らは誰とでも付き合うのか?”